新春暴論2016――「性的少数者」としてのオタク

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表現規制とオタク

 

こうした性的嗜好に関する「少数者」たちは、上記の研究などによれば、LGBTの人たちとそれほど変わらない比率でいるようにみえるが、その権利を主張する人はほとんどいない。

 

LGBTについては彼らが社会生活を送る上で感じる「生きづらさ」やいじめに遭うことなど、さまざまな問題に対する配慮を行うべきとする考え方が出始めているが、性的嗜好に関する「少数者」たちについて、こうした動きはみられない。

 

これらの人たちが特段生きづらさや不便など感じていないというなら、別に問題はないのだろう。では実際のところ、彼らはLGBTの人たちのような生きづらさを感じていないのだろうか?

 

私が知らないだけなのかもしれないが、少なくとも、LGBT運動の中で、性的嗜好における少数者の問題を取り上げたものを見たことはない。ただ含まれていないだけではない。

 

かつてある心理学者が、LGBTの権利に関連して、性的指向と性的嗜好を混同してちゃかす趣旨の発言をツイッター上で行った(後にこの学者は謝罪した)際に起きた炎上の経過を見ると、批判者たち(LGBT、支援者、あるいはシンパシーを感じている人が多いのであろう)の批判の中には明らかに、性的嗜好を性的指向より劣ったものとみる考えがあることがうかがわれた(この心理学者の当初発言を擁護するものではない。念のため)。

 

性的嗜好といっしょにされたことで、性的指向であるLGB、性自認であるTがばかにされた、と感じたようだ。

 

「同性愛サポートか~次はロリコンとか熟女マニアとかもサポートしなくちゃな。」(Togetter – 2013年1月)

http://togetter.com/li/435173

 

米国において、アングロサクソン系市民の差別の対象だったアイルランド系、イタリア系市民が最もアフリカ系市民を差別したという話を思い出す。ハワイにおける戦前の日系移民が韓国系移民を差別したという話も聞いた。

 

見下した視線の対象となること、社会的に認められないことが生きづらさにつながるというのであれば、これは十分、生きづらい状況だろう。特に性的嗜好はデリケートな問題であり、知られれば名誉や交友関係、社会的地位やときには仕事まで失いかねない状況があるかもしれない。もしそうならこれは、差別に苦しんでいる、といってもいいのではないか。

 

本稿では特に、小児性愛やレイプ、あるいは窃視など、実際に行えば犯罪となるような行為を扱ったマンガやゲームなどの創作物の愛好者を取り上げてみる。

 

こうしたテーマは、マンガやゲームなどの中では1つのジャンルになっていて、比率はわからないが、数多くの作品がある(以前、コミックマーケットで買った「エロマンガ統計」というタイトルの同人誌によれば、2007年2月時点で流通していた成人マンガ誌――一般人の目に触れないよう配慮の上販売されているもの――に掲載されたマンガのうち、女性に対する強姦的な行為が描写された作品は全体の33%、女性キャラクターが高校生以下である作品は全体の40%であったという)。

 

サークル:でいひま (2007)「エロマンガ統計」

http://ventdejade.seesaa.net/

 

それだけ多くの作品があるのであれば、それなりの数の読者がこうした作品を読んでいることになる。こうした読者の多くは、読んでいるぐらいだからそうした性的嗜好を持ってはいるのだろうが、これらを娯楽作品として消費するだけであって、実行に移そうなどとは思っていないだろう(極端な場合には、実在の人間より表現物の中のキャラクターに惹かれる層もいる。いわゆる「二次コン」である)。

 

こうした層の人々を、以後本稿では「一部オタク」と呼ぶことにする。マンガやアニメ、ゲームなどのファンを意味するいわゆるオタク層の中の一部、ぐらいの意味であり、これ自体に特段の意味をこめたものではない(本稿タイトルの「オタク」もこの意味であるが、以下の本文においては「オタク」と「一部オタク」は使い分けている)。

 

この一部オタクは性的嗜好における少数者にあたるわけだが、彼らは以前から、差別的視線にさらされ続けてきた。最もひどかったのは、1988~89年に発生した東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の直後だろう。

 

精神鑑定の結果、犯人は本来的な小児性愛者ではなく、成人との関係を結ぶことをあきらめて幼女を代替としたものであったとされるが、彼が自室に大量の性的な――俗にロリコンものと呼ばれるジャンルの――マンガやアニメなどを蒐集していたと報じられたことから、こうしたコンテンツの主な消費者である一部オタクは、その後激しい差別と嫌悪の目にさらされることとなった。

 

実際のところ、犯人の自室にあったものの大半は性的なものではなく、報道による印象操作が行われたとする証言があるが、その真偽はともかく、差別が起きたのは事実である。

 

事件報道のリソースに「恣意的な映像」を加えていたマスコミ、それを黙認するマスコミ。

http://archive.is/20120709165211/erict.blog5.fc2.com/blog-entry-165.html#selection-83.1-83.42

 

その後、オタク全般に対する社会的認知が次第に進み、1990年代ほどひどい差別は影を潜めつつあるが、だからといって、一部オタクに対する差別がまったくなくなったわけではない。現在、これが最も鮮明なかたちで出てきているのは、マンガやアニメなどに関する表現規制の問題ではないかと思う。

 

この問題に関する一部オタク擁護論はこれまで、主に表現の自由という観点から論じられてきた。もちろん、あらゆる表現が無制限に許されるというわけではない。たとえば刑法第175条のわいせつ物頒布等の罪、児童ポルノ禁止法、あるいは各都道府県の青少年の健全な育成に関する条例の該当規程など、さまざまな規制がある。しかし、憲法が保障する表現の自由との関係で、そうした規制も必要最小限にとどめるべきである、という主張だ。

 

しかし近年、マンガなどの創作物における性表現の規制、もしくは事実上の規制につながる動きがあちこちで出ている。特に大きな問題となったのは児童ポルノ関連であろう。

 

2010年に東京都少年の健全な育成に関する条例が改正された際に「非実在青少年」なる珍妙な定義でマンガが規制の対象となりかけ、最終的に「違法な性的行為や近親相姦を、不当に賛美し又は誇張している」との定義で「非実在性犯罪」を規制することとなった件、2014年に児童ポルノ禁止法が改正され、単純所持が違法となった際、マンガやアニメが規制対象となりかけた件など、規制強化に向けた動きが相次いだ。

 

都育成条例改正案、成立 本会議で可決(ITmediaニュース2010年12月15日)

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1012/15/news051.html

 

児童ポルノ禁止法が改正、単純所持に罰則 漫画・アニメは除外(The Huffington Post 2014年06月18日)

http://www.huffingtonpost.jp/2014/06/18/child-porn_n_5505956.html

 

こうした動きは政党、特に与党の政策とも関係しているが、同時に国際的な圧力を受けたものでもある。2009年、国連女子差別撤廃委員会は日本に対し、マンガやゲームを児童ポルノとして規制すべきとの勧告を行った。

 

女子差別撤廃委員会の最終見解(仮訳)

http://www.gender.go.jp/whitepaper/h22/zentai/html/shisaku/ss_shiryo_2.html

35.委員会は,「児童買春・児童ポルノ禁止法」の改正によって,この法に規定する犯罪の懲役刑の最長期間が延長されたことなど児童買春に対する法的措置が講じられたことを歓迎する一方,女性や女児への強姦,集団暴行,ストーカー行為,性的暴行などを内容とするわいせつなテレビゲームや漫画の増加に表れている締約国における性暴力の常態化に懸念を有する。委員会は,これらのテレビゲームや漫画が「児童買春・児童ポルノ禁止法」の児童ポルノの法的定義に該当しないことに懸念をもって留意する。

36.委員会は,女性や女児に対する性暴力を常態化させ促進させるような,女性に対する強姦や性暴力を内容とするテレビゲームや漫画の販売を禁止することを締約国に強く要請する。建設的な対話の中での代表団による口頭の請け合いで示されたように,締約国が児童ポルノ法の改正にこの問題を取り入れることを勧告する。

 

「わいせつなテレビゲームや漫画の増加」が「性暴力の常態化」であるとする恐るべき短絡ぶりだが、彼らは大まじめだ。2015年10月には「子どもの売買、児童売春、児童ポルノ」に関する特別報告者であるマオド・ド・ブーアブキッキ氏が来日し、記者会見において、日本に対し、子どもを「極端」に性的に描いた漫画を禁止するよう呼び掛けた。

 

「極端な」児童ポルノ漫画は禁止を、国連報告者が日本に呼び掛け

AFP BB NEWS 2015年10月26日

http://www.afpbb.com/articles/-/3064264

 

児童ポルノ等に関する国連特別報告者との面談

山田太郎 2015年10月22日

http://www.huffingtonpost.jp/taro-yamada/child-pornography_b_8353022.html

 

 

性的少数者としての一部オタク

 

ここでいわれているような規制が行われれば、一部オタクがこれら規制対象となったコンテンツを楽しむ権利を阻害するだろう。しかし一部オタクたちは、そうした内容のマンガ等を消費することで、実際に行えば犯罪となるような性的嗜好を犯罪を犯すことなく充足させ、社会と円満に共存している。それが規制されることは、不当な権利制限とはいえないだろうか。三次元、すなわち実際に行うことができない行為を二次元、すなわちマンガなどで疑似体験して解消することは、規制されるべき行為なのだろうか。

 

もちろん、それが目的に照らして有益であり、かつ不可欠な規制であれば、やむをえまい。しかし、実際はそうではない。

 

ポルノグラフィの流通が性犯罪の増加につながるかどうかは、各国で研究されているが、政治的な意図をもった結論ありきの一部研究以外では、そのような関係は見出されていない。日本でも同様である。

 

Milton Diamond, Ph.D. and Ayako Uchiyama (1999). “Pornography, Rape and Sex Crimes in Japan.” International Journal of Law and Psychiatry 22, 1: 1-22.

http://www.hawaii.edu/PCSS/biblio/articles/1961to1999/1999-pornography-rape-sex-crimes-japan.html

 

日本で問題となったマンガについては、問題視されているものの多くは実際には成人向けではなく一般向けのものだが、1980年から1990年までの10年間でマンガ雑誌の売上げはほぼ倍増、マンガ単行本の売上げは3倍以上に増大となったが、強姦で検挙された刑事責任年齢少年男子は半分以下に減少(984名から445名)している。

 

松文館裁判 意見証人意見書(MIYADAI.com blog 2003-05-03)

http://www.miyadai.com/index.php?itemid=59

 

そもそも、こうした創作物においては、被害者はいない。児童ポルノ規制において、児童に対する性虐待の防止は最大の法益ではないかと思うのだが、少なくとも日本の児童ポルノ規制を推進している人々は、マンガなど被害者のいない表現物を規制対象としたい意向を隠さない一方で、いわゆる着エロなど性虐待の成果物を規制対象外としていることには特段の問題意識を感じていないかのようである(この、着エロなどを対象外としていることについては、上記のブーアブキッキ氏も問題視していた)。

 

さらにいえば、一万歩譲って、そうしたマンガなどが犯罪を助長するなどの有害性を持っていたとしても、そもそも有害かどうかだけで決まる話でもない。たばこや酒、ギャンブル(日本では合法的なものは「遊戯」と呼ばれる)のように、健康や社会生活の安定に害がありうるにもかかわらず一定の制約つきで許されている場合は少なくない。

 

単に害があるかないかではなく、どの程度の有害性なのか、それはメリットを上回るほどのものなのか、規制以外に方法はないのか、どのような規制が有効なのか、規制の弊害は何かなど、総合的にその影響や意義を考えなければならない。そうした議論の積み重ねなしにただ規制してしまえばいいと主張するのは、てんかん患者には自動車運転免許を与えるな、HIV感染者は就職させるなといった主張と同じ類いの妄言だ。

 

科学的根拠に欠ける規制強化論者は、根拠がないとの指摘をいくら繰り返しても、聞く耳をもたないことが少なくない。科学的エビデンスをいくら積み重ねても放射能の恐怖を言い立て福島からの移住を叫ぶ人々を思い出す。

 

さまざまな「根拠」をつけて正当化されてはいるが、その裏にあるのは、つきつめれば「このような表現は保護する価値がない」といった価値判断、あるいは「ああいうのは嫌い」といった感情論である。

 

2017年4月に行われる予定の消費税率引き上げの際、同時に導入される予定のいわゆる軽減税率の対象品目に書籍など出版物を含めるべきかという議論において、「有害」出版物の存在が問題になっているのも、同じ理由だ。

 

軽減税率、出版物の線引き難航 自公が議論(朝日新聞2015年12月15日)

http://digital.asahi.com/articles/ASHDG6T2LHDGUTFK01K.html

青少年への悪影響が懸念される出版物を対象とすることには慎重論があり、その扱いや線引きが焦点となりそうだ。

 

とはいえ、表現の自由論だけでは、一般の人々に対する説得力が今ひとつ弱いのも事実だろう。表現の自由は「有益な表現だから守る」わけではなく、むしろ「無益、あるいは有害な表現であっても守る」という類のものだからだ。一部オタクたちが愛好するマンガやアニメなどに、一般の人たちが何か「積極的」な価値を見出すのはなかなか難しいだろう。

 

これまでの表現の自由論に加えて、彼ら一部オタクを性的少数者の一部であると位置づけ、そうしたコンテンツを消費することを性的少数者の権利であると主張してみてはどうであろうか。かつてそうだったように、性的少数者の中に、性的指向や性自認における少数者と同様、性的嗜好における少数者も含める、ということだ。

 

性的少数者である一部オタクたちは、犯罪に走るでもなく、誰に迷惑をかけるでもなく、社会と協調し平穏に暮らしながら、静かにマンガやアニメなどを楽しんでいる。それは、犯罪者の活躍を描いた映画を楽しんで見る観客が自ら犯罪を犯すわけではないこと、疾病を抱えた人が薬を飲みながら平穏な社会生活を送ることなどと似ている。

 

映画やマンガなどに影響されて犯罪に走る者も中にはいるかもしれないが、それは薬の乱用による副作用のようなものだろう。表現物の規制に走る前に、犯罪者に対する処罰や治療、あるいは犯罪を予防するための教育などで対処していくべき問題だ。上記のような表現規制への動きは、性的少数者への不当な差別以外の何物でもない。

 

もちろん、現状で何も変える必要がないというわけではない。対応が必要な分野はある。

 

上記の通り、現在の児童ポルノ禁止法は、着エロのようなものを規制対象としていない点で、法の目的と規制内容の間に齟齬がある。性虐待と無関係の表現規制を行おうとしている点もさることながら、何より実際に起きている性虐待を放置したままである点は容認できない。早急に法改正すべきであろう。これらに対しては、さらに厳しい取り締まりと被害者の保護、被害者予備軍をこれらから守るための諸施策がとられるべきである。

 

「児童ポルノ」でなく「児童虐待記録物」と呼ぶべきであるとする主張があるが、賛成だ。児童に限らず、ポルノコンテンツの制作過程において、性虐待が行われるケースは少なくない。業界構造に踏み込む政策的対応が求められる。

 

また、一般の人々の不快感の多くは、こうしたマンガ等の内容そのものより、それらが街中にあふれていることに向けられている。このことを考えれば、販売方法には改善の余地がある。成人指定となっている書籍についてはすでに販売場所の分離などがなされているが、問題は一般向け書籍における性表現だ(コンビニなどで売られているのはこちらだ)。

 

成人指定とすることで販売場所などの制約を受け、売上が落ちることを懸念しているのだろうが、こうした販売方法が表現規制への積極論を引き出しかねない状況に対して、もう少し敏感であるべきだろう。

 

 

多様性こそ豊かな文化

 

繰り返すが、LGBTの運動自体を否定するものではない。しかし現在のあり方は、社会における多様性を認めていくべきとする旗印に沿ったものとはなっていない部分があるように思う。

 

多様性を謳いたいのであれば、名称として、一部で提案されている、より包括的なGSDのようなものの方がより望ましいと思うが、仮にそのように変えたとしても、現在は残念ながら、それにふさわしい状況ではないのではないか。

 

もし、性的嗜好に関する少数者を性的少数者に含めることが、LGBT運動を貶めるものと考えているのであれば、それは内なる差別感情を暴露するものであり、少なくとも多様性を謳う主張とは相容れないだろう。

 

本稿は、マンガやアニメ、ゲームなどのさらなる規制をはかる動きに対して、表現の自由の観点に加えて、性的少数者の権利という観点から反論していくことを提案するものである。表現の自由は、それが民主主義社会の根本原則であると同時に、多様な表現が文化を豊かにし、社会の発展をもたらすとの考えに基づくものであろう。

 

多様な表現が文化を豊かにするのは、多様な人々が表現を発信できるからであると同時に、それを受け取る人々が多様だからでもある。

 

架空の表現が現実の犯罪に結びつくといった理由で規制強化を主張する人は、彼ら自身が架空と現実の区別がついていないだけでなく、自分たちの内なる差別意識が無関係な他人の権利を不必要に侵害し、傷つけていることに気付くべきだろう。

 

人口が減少に転じ、相対的な経済力も低下傾向にある我が国にとって、豊かな文化は、今後拠って立つべき付加価値の源泉である。

 

多様性を認め、互いを尊重しあう社会をめざすことは、少数者が生きづらさを感じずにすむ社会であるだけでなく、誰もが文化に貢献できるという意味で「一億総活躍社会」の旗印にふさわしいものであり、また、世界からさまざまな文化を取り入れさらにそれらを改良しながら独自の文化を作り上げてきた日本の伝統に沿ったものともいえるのではないだろうか。

 

知のネットワーク – S Y N O D O S –

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.269 

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