2013.08.21

人はなぜ美容整形をするのか

谷本奈穂 文化社会学

社会 #美容整形#整形手術

美容整形の禁忌と普及

古代インド、ローマ時代にも記録が残っているほど、整形手術は古くから行われている。とはいえ、長期間にわたって(特に美容目的の)整形手術に対する抵抗感は強かった。医学には健康な体にメスを入れることへのタブーがある上、麻酔や外科技術現在ほど発達していなかったし、そもそも身体は「神」や「王」や「親」から与えられたものであって、個人が勝手に手を加えるのはいけないこととみなされていたからである。

美容整形が普及して行くのは、エリザベス・ハイケンによると、第1次世界大戦と第2次世界大戦の間である。第1次大戦のころ、戦争で傷ついた兵士の顔や体を治療することが広がり(まだ美容整形への風当たりは強い)、それが第2次大戦にいたる時期には外見を大切にする風潮が強まってきた。そこで医者は、身体の美醜をある種の「病気」にすり替える論理――心理学者アドラーが唱えた「劣等感」という概念――に飛びついたのだという。

劣等感学説は、特に1920年代のアメリカで専門家にも素人にも行きわたっていたメジャーな概念である。劣等感とはもともと精神の問題であったはずなのだが、その原因を肉体の問題に帰することで、劣等感を治してやるためには肉体を変えてあげる必要があるという論理が構築されることになる。外見における美/醜という軸を、健康/病気という軸にすり替えることで、美容整形への「正当な」理由となっていったわけである。

現在では、多くの美容目的の外科的措置が行われている。ピッツ-テイラーによると2005年のアメリカ合衆国では、200万件近い美容整形手術(1984年の4倍以上にのぼる)と、800万件を超える美容医療(=プチ整形などと呼ばれることもある、メスを使わず注射やレーザー、薬剤の塗布などでなされる美容のための医療的処置)がある。日本でも、実数を把握するのは困難だが、筆者の2011年男女800名に対する調査では、メスをともなう美容整形は8人、美容医療は28人が受けており、女性だけでいえば6.8%が何らかの美容的な医療措置を経験している。

整形の理由

かように普及してきた美容整形であるが、そもそも人はなぜそれを受けるのだろうか。一般的には、「劣等感があるからじゃないの?」あるいは「異性にもてたいからでしょ?」などと言われ、予想されているが、先行研究ではおおよそ三つの視点が考えられる。

一つには「心的な問題に起因するもの」ととらえる場合。その場合、例えば、美容整形は「自己嫌悪症候群」(ブラム)として、あるいは、「リストカットと同じような、代理による自己切断」(ジェフェリーズ)として考えられる。

もう一つは、「社会(男性社会)によって押し付けられる規範に合わせるもの」としてとらえる場合。まさに「美の神話」(ウルフ)として、「美しくあるべき」あるいは「人並み(普通)であるべき」という規範を内面化した結果、美容整形を受けるととらえるわけである。ここでは美容整形は「社会に伝播する女性美の典型に合わせる」(バルサモ)「社会的幻想によって煽られている」(ボルド)行為となるだろう。

もう一つの見方として、単に社会規範に煽られているわけではなく、むしろ「美容整形を通じて、自分のアイデンティティを再構築する(*1)」(ギムリン、デービス)のだという議論もある。自分の体を自分で変えていくことで、己のアイデンティティを作っていくのだ、という見方である。

(*1)「アイデンティティを再構築する仮説」についての検討も著者は行っているが、ここでは割愛する。谷本(2012)参照。

こうしてみると、一般的な美容整形理由の予想は、学術的な議論の視点とまったく無縁というわけではないことが分かる。特に「社会によって押し付けられる規範」という視点とは重なり合っているようだ。「劣等感があるからじゃないの?」という予測は、「人並み(普通)であるべき」という押し付けられた規範が前提となっている(同時に、心的な問題としてとらえる視点とも重なりあっているかもしれない)。また「もてたいからじゃないの?」という予測は、「美しくあるべき」という規範が前提されている(美しい方がもてるという前提も必要であるが)。

そこで、整形の理由として、「人並みであるべし」規範と関わっている(1)「劣等感仮説」と、「美しくあるべし」規範と関わっている(2)「もてたい仮説」について検討していきたい。

調査と分析:「自己満足」「自分が心地よくあるため」

筆者は、2003年~2011年にかけて、計2165名に対するアンケート、および整形経験者と医師に対するインタビュー32名分を実施し、整形を希望する理由を探っている(*2)。

(*2)アンケートは、プレ調査として03年486(男性212、女性274)および04年114(男性41名、女性63名)、 本調査として05年765(男性354、女性408、不明3)、および2011年800名(男性400、女性400)に対して行っている。

下記グラフは、本調査2005年、2011年における「美容整形をしたい理由」の結果である。2005年では「自己満足のため」が最も多く、2011年の調査でも「自分が心地よくあるため」が最も多い。

2005年 整形したい理由(%)
2005年 整形したい理由(%)
2011年 美容整形・美容医療を受けたい理由(%)
2011年 美容整形・美容医療を受けたい理由(%)

結論から言うと、(1)「劣等感」と(2)「もてたい」という理由もあることにはあるが、多数派とは言えない。「動機の語彙」としては、別の理由が主流なのである。2005年の調査では「自己満足」、2011年の調査では「自分の心地よさのため」という理由が多く、いずれにせよ「自分の満足のため」であることが強調されていると分かる。自己満足という表現は、インタビューでも多く聞かれた。

「ほんま自己満足なんですよ。わー(二重まぶたに)なってるって。自分だけの満足。キレイになったからでもなく、ただ嬉しい。」

「たぶん本当に自分でしか分からない程度の差なんです。」

(筆者の「周りの人に変わったと思われたいかどうか」という問いに対して)「別に人にどう言われたから嬉しいとかよりも、自分自身が嬉しかったので。本当に。人には気づかれたら気づかれたらで、良くなったんだなと思うし、気づかれなかったら別に何も思わないし、ぐらいの感じですね」

よって、美容整形の動機として「自己の満足のため」という言い方が多くなされていると分かる。

「劣等感仮説」の理由

では、いったいなぜ「劣等感」「もてたい」という理由が、想像されてきたのだろう?

劣等感に関しては、歴史的に美容整形の「正当な」理由として構築された経緯があったことはすでに見た。したがって、この手の言葉を理由として選択するのは不思議なことではない。さらに、アンケート対象者を「外見をよく誉められる」「そうでもない」で分類し、整形を希望する理由の差を見てみた。

整形したい理由・外見を誉められるか(2005)
整形したい理由・外見を誉められるか(2005)

外見を誉められない人は「人並みになりたいから」と答えているが、注目すべきは誉められる人が「自己満足のため」と答えていることである。「自己満足」という語彙が「理由として採用される」ということは、「外見に自信はあっても美容整形を受けたい人」が、かなりの数に上っているからだと推察できる。

筆者「コンプレックスってあったわけじゃないんですか?」

経験者「はい。マイナスからプラスというイメージの人が多いけど、私はそうじゃないと思う。…中略…私はさっきも「もったいない」という表現をしたと思うんですけど、「もっとよくなりたい」とか「もっとこうした方がいい」とか「もっとこうしたらよくなれる」というのを結構考えて生きてきてるので、プラスからプラス、もっとプラスを強くしたいというニュアンスでやった部分がありますね。」

このインタビューに答えてくれた人は、読者モデルのアルバイトをしていて、自らの外見に自信を持っていた。それでも、「もっとよくなりたい」という理由で、美容整形に踏み切っている。このような理由を語る人々が、それなりの数、存在すると考えられる。

「もてたい仮説」の理由

では、「もてたい」という理由が想定されるのは、なぜだろうか。男女差を検討したところ、次の結果が出た。

整形したい理由・男女差(2005年)
整形したい理由・男女差(2005年)

明らかなのは、男性の方が女性より、「異性に好かれたい」という理由で、身体を加工することである。この傾向は、2011年でも同じであった。

美容整形をしたある人は次のように語っている。

「男の人のためっていうより自分のためだと思う。私も男の人のためとか、彼氏がほしいからとか、そういうことは一切思ったことがない。自分のためだった。(中略)ぜったい自分のため。うん。私は、整形するまで男の人と一度も付き合ったことがなかったんだけれども、それでも、男の人のためとか、もてたいとか、彼氏がほしいからとか、思ったことは一度もない。」

こうしてみると、「異性に好かれたい」という回答は、男性の方がしがちであり、「もてたいから」という理由付けは、男性的な身体観に起因しているといってよい。男性による身体観が、そのまま整形理由(周囲による予測)として転用されているともいえるだろう。

自己満足という語彙

以上から、これまで整形理由として想定されていた内容は、歴史的に正当とされてきた理由(ただし実際には「人並み」「普通」を押し付ける社会規範)か、男性的な視点による理由のいずれかであったといえる。それに対して、現在、整形をする女性たちは、あくまで「自分のため」を強調しているのが特徴的だ。例えば、インタビューでも、彼氏や周りの人に反対されても美容整形を行っていることが示されている。

「最初、やる前は反対されたんですよ、『別にやらんでいいやん』ってけっこう言われとったけども、『やっぱり嫌や』って言って。みんなは『やらんでいい』って言うけど、でも決めてるから。」

この言葉からは、「人並みになりたい」「もてたい」という理由とは若干ずれた、自己満足のためという位相を見て取ることができるだろう。

自己満足についての考察

ここで「自己満足」について、もっと掘り下げておこう。このタームはマジックワードであって、「自己満足といっても本当は劣等感があるのではないか」「本当は異性にもてたいからではないのか」「他の理由が何であっても自己満足というのではないか」などと考えることは可能である。

しかし、これは「動機の語彙」なのだ。当事者の「真の」動機を(研究者の側で)「決定する」ことはできない。重要なのは、さまざまな理由のバリエーションの中から「自己満足」が、美容整形の「適切な」理由として、実践者に「選ばれる」という事実なのである。したがって、「自己満足」の「真の」中身を追求するのではなく、それが語られるような「美容整形の位置づけ」について考えたり、それが語られるときの「自己」とはどういうものかを考えたりするべきなのである。それについては『美容整形と化粧の社会学』(2008、新曜社)で既に述べているが、以下でも少し触れておき、自己満足に関する若干の補足を試みたい。

美容整形の位置づけ

まず、自己満足という語彙から透けて見える、今の美容整形の特徴を考えておこう。一つの特徴として、歴史的に「正当」とされた理由は、もはや絶対条件ではないことが挙げられる。もちろん劣等感を克服したい、人並み(普通)になりたいといった理由は、今でも語られるだろう。だが必ずしも、そういった動議の語彙を使わなくても、美容整形が可能になったことが重要である。外見を褒められるにもかかわらず、「もっとよくなりたい」という風に受けることもできるのだ。

もう一つには、ある意味で「女性的な語彙」が使用されていることも特徴といえるだろう。先に見たように、「もて」の強調は男性が使用する語彙であった。それに比べて「自分」の強調は、女性が好んで選択する語彙なのである。

したがって、現代の「美容整形」は、「正当とされてきた語彙」「男性的な語彙」を使用せずに、経験可能なものとなっている。そして、外見に劣等感のない女性たちが、あくまで自分のために受けるものとして位置づけられるといえる。

美容整形を志向する人々の「自己」とは

筆者は、美容整形・美容医療をしたいグループとしたくないグループに分け、それぞれのグループがどう違うかを検討している。両グループの「性別」「年代」、「世帯年収」、「最終学歴」、「既婚・未婚」に違いがあるか分析したところ、「性別」においてのみ顕著な差が見られた。男性より女性が美容実践に関心を持つのである。その他は、いずれにおいても有意差は見られなかった。性差の影響を避けるため、女性のみで美容整形に「したい」「したくない」グループに分けて同様に分析しても有意差は見られなかった。

そこで、女性のみの「したい」グループと「したくない」グループにおいて、美容と関係なく(服を着替える、顔を洗うなどの)「一般的に外見を整える理由」12項目に有意差があるかどうかを分析した。12項目とは1.同性に評価されたい、2.異性に評価されたい、3.流行に乗り遅れないため、4.自分が心地よくなるため、5.自分らしくあるため 、6.若く見られたいから、7.年相応に見られたい、8.大人っぽく(年上に)見られたい、9.同性にバカにされないため、10.異性にバカにされないため、11.清潔感を保つため、12.身だしなみとして、である。

そのうち、7項目で有意差がでた。美容整形・美容医療を受けてみたい人は、そうでない人に比べて「同性に評価されたい」「異性に評価されたい」「流行に乗り遅れないため」「若く見られたいから」(χ2検定:1%水準で有意)、「自分が心地よくなるため」「同性にバカにされないため」「異性にバカにされないため」(χ2検定:5%水準で有意)。「清潔感のため」「身だしなみのため」などは有意差がなかった。

「希望者」ではなく、実際に美容整形を受けた女性(27人)のデータで確認しても、同じ傾向が見られた。

美容整形・美容医療希望者の身体意識・女性のみ(2011)N=400(女性のみ)
美容整形・美容医療希望者の身体意識・女性のみ(2011)N=400(女性のみ)

したがって、美容整形を志向する人の特徴は、次のようなものになる。一つは、清潔感・身だしなみといった「社会」的配慮については、美容整形に関心のない人と同じようにもっている。

二つ目に、特に「自分」という語彙を前面に押し出す傾向がある。「自分が心地よくなるため」という理由は、身体を加工において、美容整形・美容医療に関心のない人も、使用している(48.1%)。美容に関心のない人にとっても、一般的に外見を整える理由として挙げうる「無難な動機の語彙」なのである。しかしながら、美容実践を望む人の方が、よりその理由を挙げている(62.5%)。つまり、「自分の心地よさ」という語彙は、美容実践を望む人が、より好む理由なのである。したがって、美容整形・美容医療を志向する人にとって、特に「自分の心地よさ」や「自己満足」ということが重要になることが分かる。

とはいえ、三つ目に、「同性・異性に評価されたい・バカにされないため」「流行に乗り遅れないため」「若く見られたいから」といった理由に有意差が見られたことも注目すべきであろう。美容実践を望む人ほど、「自分」を語りながらも、普段から「他者」の評価を意識していることが分かるからである。

ゆえに、美容整形・美容医療を受けたい人の「自分」とは、殊更、「自分だけの」心地よさや満足を語りつつも、その「心地よさ」「満足」の中には、普段から「他者の評価」が組み込まれている「自分」なのである。

まとめ

こうして、現代の美容整形は、外見を褒められるような人まで行う、「自分だけの」満足や心地よさのために行われる行為であると分かった。ただし、その際の満足や心地よさには、言外に他者評価が組み込まれているということも分かった。

以上で論を閉じるが、最後に、今後の研究を進めるにあたって、目指すべき方法論について述べておきたい。実際の所、美容整形の動機を探るには、実践した人にインタビューするのは当然必要であるが、それだけでは限界がある。

まず、美容整形をした人・希望した人にだけアプローチするのは、十分ではない。例えば、男性の意識を調べる際に、男性にだけ調査するのでは不十分で、女性の意識と比較してこそ初めて意味を持つ。それと同様に、美容整形を希望しない人と比較する必要がある。

次に、美容整形実践者の、事後の語りは「動機の語彙」であり、美容整形を正当化する戦略が無意識であれ含まれることになる。したがって、今回示したような希望者の意識、特に美容整形を希望する理由ではなく、そもそも持っている日常的な身体意識についての調査を組み合わせて初めて、インタビューが意味を持つだろう。

つまり、美容整形に関心のない人々との比較や、整形希望者の日常的な身体観の調査などを組み合わせる必要があるのだ。今後も、そういった方法論を用いながら、美容整形を希望する人々の心性について調査していきたい。

参考文献

・Balsamo, A., 1996, “On the Cutting Edge: Cosmetic Surgery and the Technological Production of Gendered Body”, in Camera obscure 22, Jan., pp.207-226.

・Blum, V., 2003, Flesh Wounds: The Culture of Cosmetic Surgery, Berkeley, CA: University of California Press.

・Bordo, S., 2003 Unbearable Weight: feminism, Western culture, and the body, University of California Press, Berkeley, L.A., London.

・Davis, K., 1995 Reshaping the Female Body, Routledge: New York & London.

・Gimlin, D., 2002, Body Work: Beauty and Self-Image in American Culture. Berkeley, CA: University of California Press.

・Haiken, E., 1997, Venus Envy: A History of Cosmetic Surgery  Baltimore, MD: Johns Hokins University Press(=野中邦子訳1999『プラスティック・ビューティー』平凡社).

・Jeffreys, S., 2000, Body Art and Social Status: Cutting, Tattooing and Piercing from a Feminist Perspective, Feminism and Psychology 10(4), pp.409-429.

・谷本奈穂2008『美容整形と化粧の社会学——プラスティックな身体』新曜社

・谷本奈穂2012「美容整形・美容医療を望む人々――自分・他者・社会との関連から」『情報研究』(関西大学総合情報学部)第37号、37~59頁

・Wolf, N.,  The Beauty Myth: How Images of Beauty Are Used Against Women, William Morrow, 1991(=曽田和子訳 1991=1994 『美の陰謀』 TBSブリタニカ).

サムネイル:「woman’s day」Vladimer Shioshvili

http://www.flickr.com/photos/vshioshvili/414505968/

プロフィール

谷本奈穂文化社会学

1970 年生まれ。大阪大学人間科学部卒業、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。現在、関西大学総合情報学部教授。単著に『恋愛の社会学』(青弓社、2008年)、『美容整形と化粧の社会学』(新曜社, 2008年)、編著に『博覧の世紀』(福間良明・難波功士と共編、梓出版社、2009年)、『メディア文化を社会学する』(高井昌吏と共編、世界思想社、2009年)など。

この執筆者の記事