『ドラマ「鬼平犯科帳」ができるまで』

一九八九年から松竹で制作、フジテレビで放送されてきた中村吉右衛門版『鬼平犯科帳』が、二〇一六年十二月をもって終焉を迎えた。

 

単純な勧善懲悪に収まらない脚本、江戸の情緒にあふれた映像、役者たちの人間味あふれる芝居……全ての要素が二十八年の長きにわたって高いクオリティのまま作られ続けた時代劇は稀有といってよく、一つの金字塔ともいえる作品であった。

 

二〇〇〇年代になって時代劇が量的にも質的にも凋落の一途をたどる中にあって、『鬼平』は年に一本のスペシャル放送を続け、そしてその間、決して安易な作りに流れることはなかった。新作を見ては落胆してばかりの時代劇ファンたちにとって、「今年も『鬼平』の新作を観られる」ということは、心の支えであり続けてきた。

 

それでは、なぜ『鬼平』はそれだけのクオリティを長いこと保つことができたのだろう。

 

もちろん、それは池波正太郎の原作の力に依るところが大きいのは言うまでもないし、吉右衛門をはじめとする名人級の役者陣の芝居の巧みさもあった。

 

だが、忘れてはならないことがある。

 

それは、スタッフの力だ。プロデューサー、監督、脚本家といった役割の見えやすいポジションだけでなく、隅々に至るまでのスタッフたちの創意工夫が、実は下支えとなって本作を名作たらしめてきた。彼ら一人一人のハイレベルな技術と熱い想いの結晶の集積が、『鬼平犯科帳』なのである。

 

本書は、そんな『鬼平』の現場に関わった人々が、いかなる技術を駆使し、どのような想いを込め、そしていななる役割を果たしてきたのか――。その歴史に終止符が打たれた今、改めて振り返りながら浮き彫りにしていく一冊である。

 

第一章は、「時代劇専門チャンネルガイド」にて二〇一〇年十月号から一六年五月号まで連載してきた、『鬼平』スタッフたちへのインタビュー。第二章は、『オール讀物』にて二〇一〇年四月号から現在まで筆者が断続的に書いてきた『鬼平』の魅力の検証記事。本書は、それぞれを再構成した内容になっている。

 

あれだけの名作はいかにして作られてきたのか。その裏側、そして全容が、本書をご覧いただくとよくご理解いただけるはずだと思う。

 

そして、お読みいただいた後で改めて『鬼平』を観直してもらった時、目の前の作品世界が一段と光り輝いて映っているように思ってもらえたとしたら――筆者として、この上ない幸いである。

 

 

ドラマ『鬼平犯科帳」ができるまで・表紙

 

 

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vol.222 特集:沖縄

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