機械が人間の知性を超える日をどのように迎えるべきか?――AIとBI

コンピュータが全人類の知性を超える未来のある時点は、シンギュラリティ(Singularity、特異点、技術的特異点)と呼ばれている。アメリカの著名な発明家カーツワイルによればそれは2045年に到来するという。そして、そのような時点に発生する様々な問題は、ひっくるめて2045年問題と言われている[*1]。

 

シンギュラリティとはもともと数学や物理学で使われている用語である。物理学では、シンギュラリティは物理法則(一般相対性理論)が通用しない特異な点である[*2]。技術的特異点としてのシンギュラリティもそれと同様に、技術に関する予測が成り立たず、既存の経済法則も通用しなくなるような時点である。

 

人類の経済社会における進化のオメガ点、つまり終局であるシンギュラリティに至ると、全ての労働は、人工知能とそれを搭載したロボットが行うので、人間は労働から解放されることになる。すると「労働からの解放と言うが、その時人々は一体どこから所得を得るのだろうか」とか「人々は遊んで暮らせるようになるのか、それとも単に機械に仕事を奪われて食べていけなくなるのか」といったような疑問が当然浮かんでくるだろう。

 

[*1] 2045年問題を扱った日本語文献に、松田卓也『2045年問題コンピュータが人類を超える日』がある。

 

[*2] 物理学におけるシンギュラリティはブラックホールの中にあると考えられている。ブラックホールの中にないものは、「裸の特異点」と言われているが、このような裸の特異点はないというのが、有名なペンローズの「宇宙検閲官仮説」である。 

 

 

技術的失業

 

「技術的失業」(テクノロジー失業)という言葉が経済学にはある。これは新しい技術の導入がもたらす失業を意味する。「銀行にATMが導入されて、窓口係が必要なくなり職を失う」とか「Amazonなどのショッピングサイトの普及によって、街角の書店が廃業に追い込まれ従業員が職を失う」といったような失業のことである。あるいは、1台の自動車を作るのに6人の人手が必要だったのが、新しい機械の導入による生産性の向上により、4人で済むようになる。その際、消費需要が1.5倍になれば問題ないが、消費需要が変わらなければ6人中2人は失業する。これもまた、技術的失業の例である。

 

19世紀、第一次産業革命の頃には、機械の導入による技術的失業を恐れた労働者が「ラッダイト運動」という機械の打ち壊し運動を行った。そして、技術的失業は、シスモンディやマルサス、リカードなどの19世紀の経済学者によって度々に議論の俎上に載せられ、20世紀の初頭にはケインズによっても論じられた。ケインズは「われわれは一つの新しい病気に苦しめられつつある。一部の読者諸君はまだ一度もその病名を聞いたことがないかも知れないが、今後は大いにしばしば聞くことだろう。それは技術的失業(technological unempoloyment)である[*3]」と言っている。ところが、その後も人々はさしてこの病名を聞かされることはなかった。

 

[*3] ケインズ「わが孫たちのための経済的可能性」(『説得評論集』に収録)

 

忘れ去られたこの経済問題が再び甦ったのは、1990年代になってからである。この時期から、アメリカでは情報技術の導入がもたらす技術的失業を懸念し、このような技術の発達に反対するような運動「ネオ・ラッダイト運動」が起きており、その一部はシンギュラリティの阻止を目指した運動にも繋がっている。1990年代以降アカデミックの分野でも、技術的失業がノーベル経済学賞受賞者であるモーテンセンとピサリデスのような主流派の著名な経済学者によって研究されるようになった。

 

日本では2013年に、アメリカの経済学者ブリニョルフソンとリサーチサイエンティストのマカフィーによる『機械との競争』の翻訳書が出版され、技術的失業の脅威が広く認識されるようになった。彼らによれば、コンピュータは、未だに商品企画や研究開発などの創造的な労働や介護や建設などの肉体労働をできずにいる一方で、文書の作成や解析、事務手続きなどを効率化し必要な人手を減らしている。それゆえ、現在のところ主に雇用破壊が進んでいるのは、創造的な労働でも肉体労働でもなく、その中間に位置する事務的な労働であり、それは多くの中間所得層が従事している仕事である(図 1参照)。

 

 

図1:労働の種類と雇用量

図1:労働の種類と雇用量

 

 

このような要因により、世界金融危機後のアメリカでは、景気回復期において雇用が増大しない「ジョブレス・リカバリー」が発生し、また世帯所得の中央値が下落し続けているという。そのような問題に対し彼らが提案した解決案は、教育投資を増やし起業家精神を高めることで、人々を事務的な分野から創造的な分野へと「労働移動」させることである。

 

経済学者は、ほとんど常に、技術的失業を「摩擦的失業」(雇用を得るまでの時間が掛かるために起こる失業)や「ミスマッチによる失業」(求職者が求人の条件にマッチしていないことから生じる失業)と見なす。しかし、そうであるためには、どこかに求人が存在してなければならないが、常にそうであるとは限らない。例えば、図1に示すように情報技術の進歩によって事務的な労働が減ったとしよう。その時、創造的な労働(あるいは肉体的な労働)に対する需要が増えなければ、失業した労働者を吸収し得るだけの勤め口はそもそも存在しないことになる。その場合、労働移動は解決にならない。

 

 

図2:減少する人間の労働需要

図2:減少する人間の労働需要

 

 

図2のように、今後、ロボットに対する需要が増大するとともに、人間の労働需要は減少していき、シンギュラリティではゼロになる。しばらくは肉体労働や創造的労働は増えるだろうが、長期的にはそれらも減少傾向にある。したがって、一方の雇用が減る代わりに都合よく他方の雇用が増えるような状況が次第に得られにくくなる。失業者が就職活動をどんなに続けても、さらには求人の条件にマッチするように職業訓練を行っても、雇用されないケースが増えてくる。こうして発生する失業は、摩擦的失業でもミスマッチによる失業でもなく、需要が増大しない限り解消されることのない「需要不足による失業」である。

 

経済学者は一般に、技術的失業を需要不足による失業とは考えない。しかし、先の自動車の例では、消費需要が1.5倍に増大しないからこそ6人中2人は失業するのであって、やはり需要不足が関係している。その際、他の業種に2人分の勤め口があるならば、そこへ就職するまでの間の摩擦的失業ということになるが、マクロ経済全体を見渡して、どこにも勤め口がないならば、それは需要不足による失業と言うべきである。【次ページにつづく】

 

 

 

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