介護事業に富裕層を取り込め

2005年ビルゲイツ氏(マイクロソフト会長)が、インドへ5000台ものパソコンを提供し、e ガバナンス・プロジェクトへ1億ルピーの寄付を申し出た。2011年東日本大震災直後には、孫正義氏(ソフトバンク社長)が被災者への義援・支援金として、個人で100億円を寄付すると宣言した。最近では、2015年にザッカーバーグ氏(フェイスブック最高経営責任者)が5兆5000億円にものぼる寄付をすると宣言した。

 

いったい、富裕層がどこに資金を使っているのか見えにくいと一般には思われているかもしれない。しかしながら、彼らの資金の使い方には1つのルールがある。それは、自らが利する(私利)と信じる事業へ投資するということである。

 

 

富裕層は、時代を嗅ぎ分ける

 

ビルゲイツ氏のインドへの寄付は、インド人がこれからパソコンを使ってくれるという将来への投資であり、政府のeプロジェクトへの寄付は、自らの事業がインドで展開し、さらにはインドと連携することで大きく成長すると見越したものだと考えられる。

 

孫正義氏の被災者への義援・支援金に関しては、確かに個人として赤十字や福島県、宮城県、岩手県などに対して10億円ずつ寄付しているが、孫氏自身が組織の会長を務める「東日本大震災復興支援財団」に40億円の寄付を行うというものであった。つまり、東日本の復興事業として、彼は莫大な投資を行ったともいえる(寄付先は全て公開されている)。さらに、ザッカーバーグ氏の巨額の寄付先も自らが所有する有限責任会社である。

 

私は、こうした富裕層の「純粋な意味での寄付」とはいいがたいお金の使い方を批判するつもりは全くない。むしろ、歴史的に見て、富裕層のお金の使い方とは、その時代に必要とされる「時代的要請(公益)」と深く関係してきたのである。

 

孫正義氏の場合、100億円の寄付のうち、自らが会長を務める組織への40億円の寄付を差し引いたとしても60億円だ。個人の寄付額としてはダントツであり、敬服するに値する。さらに、彼の東日本再生への意気込みは並々ならぬものがあるだろう。ビルゲイツ氏のインドの投資は、すでに多くのインド人IT技術者を生み、大きな社会貢献となっている。

 

実は、富裕層のお金の使い方は、自らの事業への投資(私利)と社会の要請(公益)とに深く関係している。日本のこれまでの歴史的を振り返ってみても、日本の富裕層は、社会インフラの整備と国力の充実のために社会奉仕ともいえる投資を積極的に行ってきたのである。富裕層は、時代が必要とするものを嗅ぎ分ける臭覚をもつのである。

 

 

政府が富裕層に与える影響

 

時代の要請といったが、これまでの日本ではどのような時代の要請があったのか、そしてそのとき富裕層はどのように動き、投資してきたかを振り返ってみよう。なぜなら、政府の政策は、日本の富裕層のお金の使い方に大変な影響を与えてきたからである。

 

まずは、明治期である。この時期に各地の富裕層の投資行動と政府の政策に関係するものの1つとして、郵便制度の整備があげられる。当時日本の郵便制度は未熟なものであり、全国に郵便局を設置し展開する必要があった。

 

幕末に坂本龍馬が土佐の姉宛に百通以上もの手紙を送っていたことは広く知られた事実であるが、1通送付するのには現在の価値で10万円以上の費用がかかったのである。(ただの浪人がこの費用をどのように調達したのか、つまりスポンサーは誰であったのかは、現在解き明かされつつある興味深い史実である。)

 

明治政府には、郵便局を整備するだけの資金はない。そこで利用したのが全国各地にいる富裕層の邸宅であった。各地の名士や大地主に土地と建物を無償で提供させる代わりに、事業を委託する形で郵便局が設置されたのである。この制度では、局長は官吏に準ずるという好待遇も受けられ、各地の富裕層にとっても十分利するものであった。また、各地の名士がお金を出し合って尋常小学校を設立し、人材養成にも貢献したことは、明治期の注目すべき事実である。

 

次に大正期である。この時期になると、各地に診療所・病院ができ始める。これは、日本だけではなく、イギリスやアメリカでも同時期の1920年代に各地で診療所・病院ができ始めている。まさに、医療の黎明期といってもよい。ただ、米英の場合は慈善団体が診療所・病院を設立するのが普通であったが、日本は慈善団体などほとんどない状態であった。しかしながら、政府としては各地に病院施設の社会インフラが必要であった。

 

そこで力をふるったのが、各地の富裕層であった。当時、診療所は開設すればほぼ間違いなく儲かるものであった(詳しくは、猪飼『病院の世紀』を参照)。政府は開業医に対して、十分な診療報酬を確約したのである。そのため、自らの邸宅の一部を診療所として開設する開業医が雨後のタケノコのように各地にできることとなる。地方の開業医が富裕層である傾向が強いのは、戦後にも引き継がれていく。(詳しくは、橘木・森『日本のお金持ち研究』日本経済新聞社を参照)

 

さらに、戦後である。戦後の富裕層の変遷については、三つの時代に分けることができる。まず、1960年代の松下幸之助を筆頭とする「オーナー経営者の時代」である。表1には、1960年当時の上位高額所得者を掲載している。

 

所得上位者の常連は、松下幸之助をはじめ石橋正二郎(ブリヂストン)、井植歳男(三洋電機)、出光佐三(出光興産)、上原正吉(大正製薬)などであり、いずれも戦後の日本経済を支えてきた大企業のオーナー社長であった。日本が焼け野原から復興し、新たな時代を切り開いていくために、日本の政府は産業を育成振興していく必要があった、この時期はそうした時代である。

 

 

表1 1億円以上の所得者(1960年度)  国税庁『全国高額納税者名簿』1960年より。

表1 1億円以上の所得者(1960年度)  出典:国税庁『全国高額納税者名簿』1960年より。

 

 

その後、1969年からは「土地成金の時代」へと様変わりをする。時代は「列島改造」を要求しており、各地の田畑をもつ農家に土地を手放し、国家事業に賛同してもらう必要があったのである。表2には、1960年代の1億円以上の所得を稼いだ人の数の推移をまとめている。税制が改正された1969年以降に、土地長者の数が急増しているのがわかる。

 

 

表2 1960年代に1億円以上の所得を稼いだ人の数 出典:国税庁『全国高額納税者名簿』の各年より集計。

表2 1960年代に1億円以上の所得を稼いだ人の数 出典:国税庁『全国高額納税者名簿』の各年より集計。

 

 

土地の譲渡所得税率が大幅に引き下げられ、土地の売買が促進されることとなり、この機に乗じた各地の農家や不動産投資家たちが土地長者となっていった。このブームはバブル経済が破綻する90年代まで続く。まさに、政府の政策が各地の土地持ちを動かし、土地売買を促進して、土地への投資を加速させていったのである。【次ページにつづく】

 

 

 

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