学生の自習と公共図書館

「図書館で自習はダメ? 論争再燃 『居眠りは許されるのに』『一般の利用者の妨げ』」(産経新聞 2016.2.20)では、大阪市立図書館の24館がすべて自習を禁止していることを受け、一般の利用者から席がないと苦情が入る一方、静かに勉強できる環境を求める受験生らの声が取り上げられた。

 

これを受けたYahoo!ニュース意識調査「図書館の自習利用、どう思う?」では容認すべきとの声が7割を越えている。

 

公共図書館と学生の自習の問題は、すでに長い論争の歴史があるが、ここではおおまかな見取り図を提供することにしたい。

 

 

公共図書館での学生による持ち込み勉強のための「席借り」

 

まず、問題となっている「自習」について、確認しておこう。

 

学校図書館や大学図書館では、テスト勉強のための自習は当然認められている。これらの図書館は、学校教育、大学での教育に資するために設置されているものだからである。また、図書館の資料を用いての学習については、どこの図書館でも禁止されることはない。それが学校の宿題であっても、図書館の本を使ってレポート課題を作成するといったことは、拒否されない。近年では、「図書館を使った調べる学習コンクール」なども各地の図書館で開催されている。

 

今回、問題とされたのは、公共図書館だ。中でも、図書館の資料を使わずにもっぱら閲覧席と閲覧机を使用することを目的とした「持ち込み勉強=自習」である。これは「席借り(席貸し)」とも呼ばれ、長年図書館業界でも議論の対象となってきた。

 

社会人であっても、資格の勉強をするため、または自分の作業をするために、図書館の閲覧席を利用することはある。これも学生の自習と同様の「席借り」と言える。ただし、学生の場合、学校のテストの時期または受験の時期に、大挙して図書館に押し寄せ、閲覧席をほとんど占領してしまう。社会人が各自バラバラにやってくるのとは異なり、学生の自習は特定利用者層の特定の目的による閲覧席の占有と問題視されやすい。

 

 

公共図書館を自習(席借り)に使ってよい根拠はあるか?

 

「(公共)図書館は勉強する場所ではないのか」と思われた方も多いかもしれない。

 

公共図書館について定めた図書館法の第2条では、「「図書館」とは、図書、記録その他必要な資料を収集し、整理し、保存して、一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーシヨン等に資することを目的とする施設」と定めている。

 

第3条では、図書館が行なうサービスについて例示されており、読書会や映写会の実施や時事情報の提供などもうたわれているが、学習する場所の提供は含まれていない。(http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S25/S25HO118.html)

 

図書館という施設の固有性は、多様な資料・メディアを収集し、提供するということであり、各種のサービスはそこと関連づけられながら展開する。このため、公共図書館の自習利用は法的にも基礎づけられていない。

 

電子掲示板「2ちゃんねる」において「マンガが備え付けてあって、マンガはOKで、勉強は不可とか、謎仕様すぎるな」という書き込みがあった。しかし、資料を利用させることによりレクリエーション等に資するという意味で、図書館資料であるマンガの提供が自習よりも優先されることは、その図書館の運営方針によっては不思議なことではない。

 

また、公共図書館は社会教育施設であり、生涯学習施設でもあるので、学生もサービス対象だが、学校教育や受験のための席貸しは、学校教育・高等教育の補助なのではないかという批判があり、学校に所属していない市民の利用を優先すべきという議論がある。

 

 

実際に公共図書館での自習は禁止されているのか?

 

冒頭の産経新聞の記事では、「近年は多くで自習のための利用は禁じられている」と報じられていたが、実状はどうなのか。

 

公共図書館自習の可否についての近年の調査は見当らなかったが、「図書館なび」というサイトでは1851館のうち577館が自習が可能としている。しかし、このサイトは公式な調査回答ではなく、利用者の投稿によって実態を調査しているようである(黙認という図書館も多い)。

 

図書館によっては閲覧室内の閲覧席とは別に「学習室」を設置しているところもある。このような図書館では閲覧室内での自習は禁じられている。学習室を別に設けることで、閲覧室内への席借り利用者の流入を防ぎ、資料の利用者のための閲覧席を確保しようという方針である。自習を容認している図書館では、学習室の設置以外にも、社会人席を設けたり、自習禁止のエリアを設けるなど、様々なゾーニングで対応をしているケースが多い。

 

基本的に公共図書館では、資料を閲覧するための閲覧席の利用を席借りの利用よりも優先する姿勢を取っている。席借りがなぜ禁止されるのかといえば、それは資料利用など他の図書館利用者が閲覧するための席がなくなってしまうからである。つまり需要に対して潤沢に閲覧席があれば、席借りや自習を制限する理由もなくなる。

 

自習利用を求める側からは「席が空いている」ということが理由としてあげられるが、自習を禁止している図書館では禁止しているから空いているのであって、自習を認めれば満席になり、資料の利用者が座れなくなる事態が発生することは容易に予想される。

 

 

図書館の閲覧席数は図書館・地域によって大きく異なっている

 

席借りについて容認するかどうかは、図書館のサービスする地域の人口と閲覧席数の関係によって決まる、というのが筆者の考えである。

 

産経新聞の報道で対象となっていた大阪市立天王寺図書館の閲覧席数は48席である。これは閲覧机のないスツールやソファを含んだ数(以下の他の図書館の閲覧席数も同様)で、閲覧机のある一般席は16席(児童用6席)しかない。天王寺区の人口は2015年9月現在で75,377人。区内に中学・高校が10校以上存在する。人口1万人当たりの閲覧席数は6.4席に過ぎない。

 

一方、愛知県の田原市図書館のtwitterは「田原市図書館開館してまーす(∩´∀`)∩現在、中央図書館の机のある席は、3~4割程度埋まっています。まだまだ空きがありますので、テスト勉強頑張りましょう!テスト勉強以外の方も、まだ比較的空いていますので、ぜひご来館ください(´∀`)」(https://twitter.com/tahara_lib/status/670415964668751872)

 

と呟いている。田原市の人口は2015年9月現在で66,390人。閲覧席数は中央図書館が約350席、地域館の渥美図書館にも約100席ある。田原市図書館のtwitterが自習利用を積極的に受け入れているのは、自習する学生がやってきても満席にはならないという状況があると思われる。他にも、福島県の南相馬市立中央図書館は600席の閲覧席があり、テスト期間中も満席にならないとのことだった(南相馬市の震災前の人口は7万人程度)。

 

逆に、愛知県半田市(人口約12万人)の図書館では、90年代中盤に席貸しの問題に苦慮している様子が図書館員によって記録されている。「席貸しの問題」(1996年) http://www.asahi-net.or.jp/~wh9t-td/lib4.htm

 

筆者の勤務する図書館は、おおむね5万人程度のサービス人口に対して250席の閲覧席を有している。1万人当たりは50席以上である。持ち込み勉強の自習は許可しており、学習室は設置していない。テスト期間以外は閲覧席が完全に満席になることはそれほど多くはない。しかし、テスト期間中は、開館前から学生が行列し、開館と同時に閲覧席に殺到する。

 

一部の社会人席や児童コーナー以外は完全に学生に占拠され、座れなかった学生が館内をうろうろする。昼には荷物を放置して席を確保したまま食事に行ってしまう光景がよく見られる。

 

人口に対して閲覧席が多いのは、比較的近年建設された地方の図書館に多い。一方、大都市部の図書館はいずれも人口に対する閲覧席数は貧弱である。これは閲覧席を整備するコストが高いということが原因だろう。

 

もちろん、席借りの学生がどの程度やってくるかは、図書館施設の新しさや快適さ、学校からの近さなどの他の要因もある。しかし、天王寺図書館をはじめ大都市圏の図書館が自習を禁止しなければならない理由は、単純に席借りの需要に対して閲覧席数が少ないからだろう。

 

このように、図書館の閲覧席の需給ギャップは、地域によって数十倍もの格差が存在する。このため、公共図書館で学生の自習を容認すべきかどうかを一律に議論することはあまり意味がない。そして、閲覧席に余裕がある図書館では、すでに自習は容認されているのである。

 

 

図書館に自習空間を確保することは合理的か

 

閲覧席が少ないならば増設すべきだ、学生の勉強を助けることは未来への投資だ、家庭の事情で家で勉強できない学生もいる、だから図書館は学生の自習を受け入れるべきだ、こうした論も散見される。

 

もちろん、自治体の教育施策として無料の自習空間を十分に整備することに高いプライオリティを与える選択はあり得るだろう。しかし、自習空間を整備する際に、それが図書館内にある必然性は実はないのである。

 

図書館は、多数の資料を整備し提供するために、大きな開架スペースを取り、専門的な職員を配置している。単に自習席を用意するのであれば、こうしたコストは不要である。図書館内に別途学習室を増設するのも困難な場合がほとんどだろう。

 

また、自治体のインフラ老朽化対策として、現在すべての自治体で公共施設等総合管理計画の策定が進められており、公共図書館の統廃合を進める地域もでてきている。とりわけ人口に対して延床面積が多い地方の自治体では、図書館を含め施設の統廃合圧力が強まっており、この点からも図書館の閲覧席を増やすことは容易ではない。

 

このような状態の中、自習空間を確保するコストを考えずに、学生の自習は価値があるから容認せよ、というのは無理難題である。学生の自習に価値があるのであれば、それを貧弱な閲覧席しか持たない図書館に押しつけるのではなく、別途自習空間を確保した方が合理的だろう。

 

たとえば、民間ビルのフロアを自治体が借りて、多数の無料自習席を設置し、警備スタッフを配置した方がはるかに安あがりだろう。実際にいくつかの自治体では、そうした自習空間を整備しているところもある。

 

なお付言すれば、経済的に厳しい学生に対する施策として、無料の自習空間の整備が有効かどうかは議論のあるところだろう。同じコストで給付型の奨学金を付与するなどの選択肢もあり得るからである。

 

 

これは日本に特有の現象か?

 

公共図書館が学生の勉強場所として占拠されるのは、日本では戦前から見られた状況だが、これは(私の乏しい経験ではあるが)欧米の図書館ではあまり見られることがない。比較的、東アジアの図書館で学生の自習利用が見られるように思う。学生の学習のあり様は、その国の学校教育や受験の様態に左右されるのだろう。

 

欧米の図書館では、ティーンエイジャーを図書館に呼び込むことに力を入れており、自習利用も歓迎されるのではないかと思われる。たとえば、デンマークの図書館では「宿題カフェ」と呼ばれる主に移民の子どもを対象とした、宿題サポートの場を図書館内に設けるという試みがなされている。これは、公共図書館が社会的包摂の場となる可能性も示すものだろう。(類似の事例として、イギリスの「宿題お助けクラブ」についてはこちらを参照:http://current.ndl.go.jp/ca1142)

 

学習空間のデザインでは、公共図書館よりも大学図書館の方が先行している。大学図書館では、従来型の静かな学習スペースとは別に、コミュニケーションをしながらPCやホワイトボードなどを使い自由に学習できるラーニング・コモンズの設置が進んでいる。公共図書館でも、館内でのコミュニケーションを解禁、促進し、コラーニングやコワーキングの場としていく方向性も見られる。

 

このように、現代の公共図書館は資料提供・資料利用から、「図書館という場所」をより幅広い活動の場としていく方向に向かっている。しかし、定期的にやってくるテスト勉強、受験勉強の学生たちが、多様な図書館サービスとどう結びつくか、というのは難しい問いである。

 

 

学生の自習と公共図書館の百年

 

公共図書館における学生の自習の問題は、百年にわたって議論されてきた。以下では、その議論をたどってみるが、論点としては上記につけ加えることはないので、議論の変遷に興味がない方はここで読むのをやめていただいてかまわない。

 

図書館でなぜ自習ができないのかという問いは、過去にも同様に繰り返されてきた。2003年7月25日の朝日新聞には練馬区の高校生から「図書館で宿題どうしてダメ」という投稿があり、これに答える形で7月30日には「自習の場所は図書館以外も」という社会人の投稿が掲載されている。

 

高校生は「母が学生の頃行っていた図書館では、受験生が並んで開館を待って席をとって勉強をしていたそうです。それを見て本が読めないから困ると言う人はいなかったそうです。みんな感心だね、えらいね、と言ったそうです」と述べている。

 

これに対し、社会人の投稿では「勉強をしたいのに場所がない、といういらだたしさはよく分かります。しかしそれは図書館側に問題があるものとは思えません。僕はなぜ学校や地域が自習する場を設けないのか、といった点に疑問を感じます」としている。

 

しかし、学生の自習利用を見て「本が読めないから困ると言う人はいなかった」というのは、いささか疑わしい。たとえば1961年12月18日の読売新聞には近くの区立図書館が「完全に受験学生たちの予備校化してしまい、納税者である一般区民はほとんど利用できない現状」に苦言を述べる投稿が掲載されている。さらに戦前にも同様の投書が新聞に掲載されているのである。【次ページにつづく】

 

 

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