防災教育の最前線――「自ら考える」防災訓練の試み

「グラッときたら」

 

「火の始末」と答える人はほとんどが40代以上、「おはし(おかし)」や「おはしも(おかしも)」の約束が頭に浮かぶ人は、30代前半以下の方だろう。

 

地震対策の中心が火災対策だったのは、1923年関東大震災の教訓にさかのぼる。98件の火災が発生し、約21万棟が消失,死者・行方不明者数は10万5千人に上った。犠牲者の大半は火災による焼死だった。住民は大八車に家財を満載して避難しようとして、各地で大渋滞を引き起こし、荷物に引火して被害を拡大させた。

 

しかし、今日では揺れを感知して自動的にガスを遮断するマイコンメーターがほぼ100%普及しており、慌てて火を消す必要が無い。逆に火を消そうとして火傷や転倒するなど、揺れの最中の消火活動自体が危険とされるようになっている[*1]。以前は合理的で意味のある標語だった火の始末も、現在ではマイナス面が大きいとされている[*2]。

 

[*1] 文部科学省科学技術・学術審議会:地震防災研究を踏まえた退避行動等に関する作業部会報告書,2010年5月( http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu2/sonota/1294461.htm

 

[*2] ただし、このことは震災時の火災リスクが小さいことを意味しない。2013年12月に公表された中央防災会議による首都直下地震被害想定では、都心南部直下地震により約43万棟の焼失が想定されており、大都市の密集市街地における出火防止対策の強化は重要な課題である。中央防災会議 首都直下地震の被害想定と対策について(最終報告)http://www.bousai.go.jp/jishin/syuto/taisaku_wg/pdf/syuto_wg_siryo01.pdf

 

「おはしも(おかしも)」は、押さない、走らない(駆けない)、しゃべらない、戻らない、の頭文字で、阪神・淡路震災以降、消防庁による教育安全指導のガイドラインに紹介されたことから、防災教育の標語として全国に普及した。当初は、「おはし(おかし)」だったが、津波による避難の原則である「も(戻らない)」が後に追加された。筆者は、防災教育の現場で当たり前になっている「おはしも」を含めて、見直すべきだと考えている。

 

 

危険を予測し、回避する能力を高める防災教育

 

東日本大震災を受け、文部科学省[*3]は今後の防災教育の考え方と施策の方向性として、自然災害等の危険に際して自らの命を守り抜くため「主体的に行動する態度」を育成すること、そのために「自らの危険を予測し、回避する能力を高める防災教育の推進」を打ち出した[*4]。

 

[*3] 文部科学省 東日本大震災を受けた防災教育・防災管理等に関する有識者会議:中間とりまとめ,2011年9月(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/sports/012/toushin/1311688.htm

 

[*4] この背景に釜石の軌跡がある。釜石市の学校に通う小中学生全生徒2926人中、学校を休んでいたなどの5人を除く全員が津波から逃れた事実と、多くの犠牲者が出た鵜住居地区にある釜石東中学校、釜石小学校の生徒・児童らの積極的な避難行動は、国内外から賞賛を受けた。

 

こうした中、筆者は山梨県防災教育アドバイザーとして、小中学校の防災教育に関わる機会を得た。本稿では、従来の型どおりの防災訓練の問題点を指摘し、いかにして「自らの危険を予測し、回避する能力を高めるか」の解決策の1つとして、筆者が取り組んでいる「自ら考える」防災訓練をご紹介したい。

 

 

学校における安全教育における標語

 

防災教育に関わるようになり、教育委員会の指導主事[*5]の方々から、「防災教育で何か良い標語はありませんか」と問われた事は、強く印象に残っている。なぜ標語という言葉が防災教育と関連するのか、非常に不思議に感じたからだ。

 

[*5] 都道府県または市町村の教育委員会から任命される専門職員。ほとんどは教育委員会に出向している小中学校の教員である。

 

調べてみると今の教育現場には、多くの標語があふれていることを知った。例として東京都教育委員会作成している安全教育プログラム[*6]に載っている標語を見てみよう(表1)(かな等は原文のまま)。「いかのおすし」には、思わず吹き出しそうになってしまうが、大真面目にこれらが指導されている。

 

[*6] 東京都教育委員会:安全教育プログラム,2013 (http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/pickup/p_gakko/anzenkyoikuprogram.htm

 

こうした状況に違和感を覚える人は筆者を含めて少なくないだろう。そして、その違和感は、「標語を徹底することに、どれだけの意味があるのか」という疑問に起因しているのではないだろうか。

 

いきなり結論になってしまうが、筆者はこのような標語による安全教育に対して非常に懐疑的である。それは標語が悪いというよりも、標語の背景が共有されないまま標語が示す行動を徹底することは、安全教育の本来の目的である「身の安全を守る」ことに必ずしも結びつかないと考えるからだ。

 

例えば、「おはしも」を例に考えてみよう。太平洋側の海水浴場に出かけているときに、巨大地震に遭遇したとする。東海地震をはじめとする南海トラフの巨大地震では、場所によっては5分から10分程度で津波が来襲する。「おはしも」を徹底したら命を守ることができるだろうか。大声で地震が起きたことを知らせないといけないだろうし、少しでも標高の高い安全なところを目指して、全力で走って逃げないと助かる命も助からないはずだ。

 

当たり前のことではあるが、災害に遭遇する状況に応じて発生する危険は異なるし、とるべき対応も変わる。この当たり前のことを理解し、的確に判断できるような能力を養うことが、「危険を予測し、回避する能力を高める」防災教育であると筆者は考えている。

 

 

(表1 学校における安全教育における標語(出典:東京都教育委員会2013))

(表1 学校における安全教育における標語(出典:東京都教育委員会2013))

 

 

 

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