「ただ祈る、ということを肯定したい」――美術家・椛田ちひろが描く世界

海外でも活躍する美術家の椛田ちひろさんは、東日本大震災の直後、震災をテーマにした作品を制作せずにはいられなかったという。未曽有の大災害を前に美術に何ができるのか……自分の表現が誰かを傷つけるのではないか……迷いや葛藤を抱えながら、それでも椛田さんが描き出そうとした世界とは? 椛田さんの普段の制作風景から、芸術に何ができるのかという問題まで、震災後「アートや文学に何ができるのか」思い悩む障害者文化論の研究者・荒井裕樹さんと幅広く語り合っていただきました。(構成/金子昂)

 

 

「描線」が「絵」になる瞬間

 

荒井 椛田さんとは、展覧会で何度もお話しさせていただいてますけど、あらためて「対談」という形になると、ちょっと緊張しますね。

 

椛田 荒井さんとこういうかたちでお話しするのは初めてですね。今日は、何を話すんだろう、何を話せるんだろうと考えながら歩いてきました。この対談のシリーズは全部読ませていただいていますが、並々ではないテーマを扱われていますよね。この対談企画がどこに着地していくのか楽しみです(笑)。

 

荒井 着地しないかもしれません(笑)。でも、それでもいいんです(笑)。

 

今回、どうして椛田さんにお声掛けしたのかをご説明します。東日本大震災のあと、「アートや文学に何ができるのか」について、とても悩んでいました。椛田さんのことを知ったのは震災後ですけど、「震災」や「津波」をテーマにした作品を制作されていたという話をお聞きして、これはぜひ一度、詳しくお話しいただきたいと思っていました。

 

震災とアートについては後ほどお聞かせいただくとして、まずは椛田さんの普段の制作について聞かせてください。椛田さんの作品って普通のボールペンで描かれているんですよね?

 

 

《Dark Ocean, Yellow Sea》 2013年、紙に油性ボールペンで描画、900x937 mm 写真:長塚秀人 提供:アートフロントギャラリー アートフロントギャラリー「椛田ちひろ:影をおりたたむ」展より

《Dark Ocean, Yellow Sea》
2013年、紙に油性ボールペンで描画、900×937 mm
写真:長塚秀人 提供:アートフロントギャラリー
アートフロントギャラリー「椛田ちひろ:影をおりたたむ」展より

 

 

椛田 今日も持ってきていますよ。よかったら差し上げます。(ボールペンを手渡す)

 

荒井 ありがとうございます(笑)。本当に普通のボールペンですね。椛田さんの絵って、ひとつひとつの線は決して複雑な動きをしているわけでもないし、何か特別な技術を駆使して引かれているわけでもない。でも、それらがいくつもいくつも積み重なって不思議な雰囲気を醸し出している。そこが面白いと思っています。

 

椛田 ありがとうございます。ひとつひとつはただの描線にすぎないのですが、わけがわからなくなってしまうくらい無数に集まるということが大切です。そうですね……、この「わけがわからない」っていうのが、私にとってとても重要なんです。

 

描いているときも、画面にくっついてしまうくらい顔を近づけているので、全体の構図は見えない状態、つまり「わからない」状態にしています。狭い机の上で紙を丸めながら、全体を見ることなく、「わからない」ままどんどんどんどん描いていきます。

 

荒井 写真だとわかりにくいんですけど、実物を見るとすごい筆圧なんですよね。紙が破れてしまいそうなくらい強く描かれている。「描く」というより、「叩く」「ひっかく」に近いかもしれませんね。

 

椛田 写真だと細かい描画部分がつぶれてしまうんですよねー。私の作品は写真うつりが悪いんです(笑)。仕事中は紙をひっかく音がうるさくて、「何の音? 怖い!」って言われてしまったこともありました。机を叩くようにして描くのでガリガリガリガリッドンドンドンッって音がします。

 

荒井 距離を置いて眺めるとすごく柔らかいんですけど、近づいてよく見ると力強くて、ところどころ荒々しささえ感じられる。そこが面白いなあと思います。ちなみに、お聞きしたいんですけど、こうした「線」の積み重ねが「絵」になる瞬間って、どんな時なんですか?

 

椛田 画面に近づけていた顔を、なにかのタイミングで離して全体を眺めたとき、絵が終わっていたり終わっていなかったりします。なんて言えばいいんだろう……荒井さんは文章の終わりをどうやって決めているのですか?

 

荒井 何のひねりもないですけど、やっぱり「締切り」ですね(笑)。あとは、自分の文章を「見たくない!」って思った瞬間です。何度も何度も書き直して「もう読みたくない!」って瞬間がきたら、終わりかな。

 

文章を書き終えた時って「なんてつまらない文章を書いてしまったんだろう……」って落ち込むんですよ。でも1年くらい経って読み返してみると「あれ、なかなかいいもの書いてるじゃないか」って思ったりします(笑)。あと、ゲラのチェックはぼくにとって苦行です。何回見直してもミスが出てくるし、そのうち直さなくていい場所まで手をいれてしまう。

 

椛田 ああ、わかる気がします。油絵具を使っていたときがそうでした。油絵の場合は描いた上にもさらに絵の具をのせることができるので。でも、ボールペンって消せないんですよね。描いて、描いて、描いて……。最終的には真っ黒になります。だからどこで止めるか以外の終わりはありません。失敗したら捨てちゃう。

 

荒井 「失敗」と「成功」の違いはどこにあるんでしょうか? 「これは良い作品になる!」という手ごたえって、どんな時に感じられるんですか?

 

椛田 作品が静かになった場合に、良いかなって思うことが多いですね。大切なのは、作品に、観る人自身を映しだすような、反射板としての強度があるかどうか。作品が静かになったと感じるのは、たぶんそういう強度があると感じた時なんだと思います。

 

荒井 椛田さんって、作品の「作り溜め」はしないんですよね?

 

椛田 展覧会自体をひとつの作品と考えているので、会場が決まってからつくり始めることがほとんどです。そういうやり方をしていると、どうしても作り溜めがしづらいという事情もあって。いつでも取りかかれるように、アイデアノートや実験、練習と、それとなく準備しておくわけなんですが、締切りがないと終わらない作業になってしまいがちです。

 

荒井 制作の「終わり」って、やっぱり難しいんですね。逆に「始まり」はどうですか? どんな時に「よし、描こう」というスイッチが入るのでしょうか?

 

椛田 仕事をする時間を決めています。スイッチは無理矢理入れる(笑)。途中で悩んでひっくり返しちゃうこともありますけど、作り始めたらあとはもうずっと作っていく。

 

荒井 それは自動運動というか、言葉が適当かどうかわからないですけど、ロボットというか……?

 

椛田 そんなふうに見せるのがねらいの作品もあります。だから、そう言ってもらえると嬉しかったりもして(笑)。「わからない」という状態をどうやって観客に「わかる」ように伝えるかっていうところが、いちばん難しくて楽しいところですね。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.222 特集:沖縄

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