2015.01.22
キューバ革命思想の行方――「帝国主義」アメリカとの国交正常化の背景
キューバと米国の関係は周知の通り、1959年のカストロ兄弟らによる民族主義革命をきかっけとして急激に悪化し、国交断絶に至っている。当時の革命指導者の一人が依然政権を担う中、先月、オバマ米大統領が両国の国交正常化のための交渉を開始すると発表した。このニュースは世界中を驚かせることとなったが、こうした動向の背景には何があるのか、キューバの歴史を振り返りながら概観したい。
キューバと米国の歴史的関係
そもそも米国とキューバの関係は、革命前から必ずしも良好だったわけではない。スペイン植民地時代に、米国はキューバの独立戦争に介入した。独立後はさらに、米国が内政に干渉する権利を持つという条項がキューバ新憲法に加えられ、キューバは実質的には米国の保護国となった。
かくしてキューバは、経済的にも政治的にも米国の大きな影響下におかれた。それゆえ、「完全独立を米国の介入で阻まれ、主権を侵害されている」という恨みと、同時に、豊かで強い米国への憧れや、より近づきたいというアンビバレントな感情が、キューバの人々には存在したのである。つまり、革命政権の反米思想は、決して1959年の革命期に急に出現したものではなかった。
そして革命勝利後、カストロ革命政権が、「貧しいキューバ人民の利益のため」として米国企業の資産を接収したこと、そうした状況の中で米国と対立していたソ連に接近し、2年後には社会主義宣言を行ったことなどから、両国の関係は急激に悪化した。
加えて、ラテンアメリカ諸国の大部分もキューバとの国交を断絶した。冷戦期は同地域においても、共産主義が “民主主義”に対する脅威であるとする反共政策がとられていたのである。とくに1960年代半ばから80年代前半頃に、ラテンアメリカの多くの国々に見られた、チリのピノチェト政権に代表される軍事政権は、“共産主義からの民主主義の防衛”を軍政正当化の根拠のひとつとしていた。
キューバは政治、経済両面でもっとも深い関係にあった米国や、近隣諸国との関係を失った。だが、冷戦構造の中で、キューバ革命政権の存在がソ連にとって好都合であったため、ソ連東欧社会主義圏との結びつきや援助によって、政権の基盤を固めることが可能となった。
冷戦後のキューバ
それゆえに、冷戦後のキューバはソ連東欧社会主義圏の支えを失い、とくに経済に大きな打撃を受けることとなった。もはや体制を維持できないであろうという予測も少なくはなかった。だが、革命政権は、その後も配給制度の導入、観光やバイオテクノロジーといった新たな成長分野の一定の成功によって持ちこたえ、社会主義路線も堅持してきた。そして、ソ連にかわりキューバの新たなパートナーとなったのが、ベネズエラや中国であった。
2013年に病死したベネズエラのチャベス大統領は、キューバのフィデル・カストロ元国家評議会議長を師と尊敬し、社会主義国家建設を宣言して急進的な政策を行っていた。ベネズエラとキューバを中心としたラテンアメリカ8カ国の相互扶助同盟がALBA(米州ボリバル同盟)だが、この同盟を基盤として、産油国であるベネズエラからはキューバへ石油が供給され、キューバからベネズエラへは医師や看護師の余剰人員が派遣された。こうした相互関係が、キューバ経済を支える大きな柱のひとつとなっている。
それでもなお、経済や国民生活は冷戦末期の水準には回復しておらず、観光やバイオテクノロジーといった新成長分野も頭打ちとなっており、国民は厳しい生活を強いられている。
たとえば、国営部門で働く大多数の国民は、医師や教師といった高学歴者の職に従事する人々を含めて、生活に必要なだけの十分な賃金を得られていない。こうした人々は、合法非合法の副業、海外在住の親族からの送金、横流し、あるいは非国営部門や自営業で働く家族の収入などで、不足分を補っているのが現実である。こうした手段を持たずに生活に困窮する家庭も当然ながら存在し、国民間の格差は拡大しつつある。
思想に関していえば、反米、反帝国主義思想は大きく変わってはいない。冷戦時の東西対立という構造はなくなったが、革命政権は米国を“帝国主義”として“反帝国主義の国際連帯”を訴え、ラテンアメリカ、アジア、アフリカなど様々な地域の国々との関係強化を試みている。
とくに近年は、スパイ容疑で米国に拘留されていた5人のキューバ人が、米国帝国主義の犠牲者の象徴として「5人のキューバ人反帝国主義者」「反テロリスト」と呼ばれ、英雄視されている。街中に彼らのポスターや看板が見られ、5人の存在は米国に対する批判で真っ先に挙げられるもののひとつであった。(5人のうち2人は2011年と昨年2月に、残りの3人は国交正常化交渉開始が発表された先月解放され、キューバに帰国している)
ラウル・カストロ政権
近年、物資や賃金の不足、賃金構造の歪みなどに対して、国民の不満は高まっていた。2006年に病に倒れたフィデル・カストロが国家評議会議長の座を退き、2008年に実弟のラウル・カストロが正式に跡を継いで以降は、これら国民の不満解消や、経済再建のための大きな改革が進められている。
とくに2011年4月に行われた第6回共産党大会では、経済運営や貿易、外国投資、雇用、文化など、およそ300項目もの多岐に渡る改革指針が示された。この改革指針の大部分、それも多すぎる国営部門の雇用を減らす、二重通貨制度の解消など、大きな変革につながるであろう項目は、実際には遅々として進んではいないものの、いくつかの改革は実施され、キューバ社会に変化をもたらしている。
たとえば、自営業の規制緩和による小規模な店やサービスの増加、携帯電話の所持、住宅や車の売買解禁、外国への渡航の自由化、外国投資の規制緩和などが、これまでに実施されている。とくに経済面では、改革は自由化路線であると理解されている。
以上を前提として、今回の米国・キューバの国交正常化交渉開始の背景を、国際情勢、米国側、そしてキューバ側の観点から探ってみたい。
国交正常化交渉開始の背景――国際情勢
東西対立がなくなった冷戦後は、米国の対キューバ政策は国際的に支持を得にくくなっている。対キューバ経済制裁の解除を求める決議は、毎年国連で採択されている。米国やイスラエルはつねに反対の立場であるが、近年は日本を含む圧倒的多数が解除賛成の立場である。とくに冷戦後の1990年代に、米国は新たに、対キューバ経済封鎖法であるヘルムズ・バートン法、トリセリ法を相次いで制定したが、これは第3国がキューバとの通商を行うことへの制限を含んでおり、行き過ぎた内容であるとして国際的にも非難されている。
先に述べたように、冷戦時は反共産主義政策から、近隣諸国の多くもキューバとの国交を持たなかった。しかし、現在は米国を除く米州諸国が、キューバの米州機構への復帰や米州首脳会議への参加を求め、メキシコやチリ、アルゼンチンといった地域大国を始めとするラテンアメリカの国々は、両国の関係正常化を求めていた。今回、仲介役となったローマ法王フランシスコも、ラテンアメリカからの初の法王であり、アルゼンチン出身である。こうした情勢の変化の中、キューバに対して経済制裁や排除を継続しようとする米国の姿勢は、じつは地域においても国際社会においても少数派となってきていたのだ。
米国の事情
米国内においても、今やとくに民主党議員や支持者には、キューバ経済封鎖という長年の政策は失敗だったのではないかという認識、経済制裁解除への支持が少なくない。第一に、現在の関係は両国民に利益をもたらしていない。第二に、米国の政策が半世紀以上に渡って続いているにも拘わらず、結局カストロ兄弟の革命政権は存続しており、反米が政権の基盤を強固にする一因となっている、すなわち米国の政策がむしろ現政権存続に貢献してしまったのではないか。こうした理由からである。
現在、上述のようにラウル・カストロ政権では、規制緩和などの経済、政治改革が進められている。こうした状況もまた、キューバが米国流“民主主義”への道へ進む好機なのではないかと考えられている。加えて、キューバ経済がより開かれていく場合に、米国がその利益に乗り遅れてしまうとして、米国企業はキューバとのビジネスの機会を求めていた。
政治、経済両面において、関係は閉ざすよりも改善した方が米国の利益になるという理解が進んでいたのである。さらには、議会で民主党が少数派となり、残りの任期が2年となった現状で、オバマ大統領が歴史的成果を得ようとしたという背景も当然、指摘できよう。
もちろん、キューバ革命政権に対して妥協や譲歩をするべきではないというタカ派も、米国内には少なくない。フロリダに集中する革命後の移民とその子孫から成るキューバ系米国人らの多くは、政治に無関心な2世、3世が増加しているとはいえ反カストロであり、彼らの支持、すなわち票は、米国の対キューバ政策に少なからず影響を与えてきた。今後、米国内で対キューバ政策の変更がスムーズに進むのかどうか、見通しは不透明である。
キューバの事情
最後にキューバ側の背景を見てみたい。キューバは、対等な立場で、内政干渉をしないという前提で、米国との対話をこれまでも求めてきた。冷戦終結以降のキューバ経済はきわめて深刻な危機に陥り、「平和時の非常時」、つまり戦時ではないがそれに匹敵する非常時であることを宣言したほどである。
米国の経済制裁による損失は大きく、当然ながらその解除はキューバにとって望ましいことであった。既述の通り、観光やバイテクノロジーという新たな成長分野の一定の成功、および産油国ベネズエラとの関係で持ち直しているものの、それも安泰とは言えない。
チャベス亡き後、ベネズエラではチャベス派のマドゥーロ大統領が前政権の路線を引き継いでおり、米国との関係も悪化したままだ。つまり、2国はラテンアメリカにおける反米同盟となっている。しかし、じつはベネズエラは原油価格の下落や、それ以前からの石油による収入を上回る過度な支出等から経済不振にある。またカリスマ性のないマドゥーロが大統領になり、反政府抗議運動が活発化するなど、チャベス後のベネズエラの政情は安定しているとはいえない。ベネズエラとの同盟関係に経済的に大きく依存していたキューバが、代わりを探す必要に迫られているとの見方もある。
少なくとも経済という点では、米国との関係改善はキューバにとって好ましい変化だろう。キューバ国内では、国交正常化交渉のニュースは好意的に、国にとっての喜びとして報道されている。たとえばキューバの主要紙である共産党機関紙グランマは、「我ら人民にとっての重大な一歩」「米国政府の歴史的決断」と報じ、「英雄たちの帰還と大統領のメッセージは、クリスマスの、そして革命の新たな勝利を祝うための最高のプレゼントだ」(Granma、2014年12月17および18日)と、人民権力全国議会(国会にあたる)議員のコメントを紹介するなどしている。
だが、これが手放しで歓迎できるかは、少々疑問も残る。これまで述べてきた通り、革命政権は米国を“帝国主義”であるとして、経済制裁などの敵対政策を非難し、物資や賃金の不足といった経済不振に由来する国民の不満や怒りの矛先を逸らしてきた。そして、反米思想によって、政権が国民に訴えるナショナリズムを強化してきたことは、多くの研究者が指摘するところである。
米国との関係が改善しても、国民の生活水準を十分に上げることができなかった場合、これまで政権を支えてきた革命思想から国民が離れていく可能性も否定できないだろう。
プロフィール
森口舞
大阪経済法科大学法学部准教授。専門はラテンアメリカ政治、政治思想。主な論文に、「2つのキューバ・ナショナリズムを巡る比較考察、1902-1962」(博士学位論文、神戸大学。弘学社より2017年12月出版予定)、「ピッグス湾事件亡命指導者、ホセ・ミロ・カルドナの政治思想」『イベロアメリカ研究』(イベロアメリカ研究所)、「「平和時の非常時」におけるキューバ革命政権のイデオロギー」『ラテンアメリカレポート』(アジア経済研究所)など。