2015.07.02
フジテレビ「池上彰緊急スペシャル」の「字幕取り違え」事件についての私見――テレビ報道の映像・字幕翻訳者としての経験から
フジテレビは6月29日、5日に放送した「金曜プレミアム 池上彰緊急スペシャル! 知っているようで知らない韓国のナゾ」のなかで取り上げた、現地の韓国人2人のインタビュー映像の字幕と発言内容が食い違っていたことについて、「編集作業でのミスに加えて、最終チェックが不十分であったため、誤った映像を放送してしまいました」として、番組公式サイトにおわびの文章を掲載した。
この件について、経験談をまじえた私見をSNS上で述べていたところ、今回の原稿の執筆依頼をいただいた。少しかじってはいるものの日韓関係やメディアの専門家というわけでもなく、「アカデミック・ジャーナリズム」の場にふさわしいものには到底なりえないので少し迷ったが、自らの経験から少しでも言えることがあるような気がして引き受けることにした。
編集段階と最終段階、「二重のチェックミス」という弁明
実は当該部分以外未見ということもあって、「日韓基本条約締結から50年という節目の年、仲良くしたいけど、なかなかうまくいかない隣国韓国との問題を学びながら日本の歩むべき道を探る」(番組公式サイトより)と銘打たれたこの番組の、内容的な部分についてはここでは論じない。
本稿で取り上げるのは、前述したように、番組内で現地の韓国人に対してインタビューをしているVTRで、2か所合わせて約10秒、実際のVTRで話している音声内容と、そこにつけられた翻訳テロップおよび音声にかぶせた日本語ボイスオーバーが異なっている部分があったという「事件」についてである。
日本の印象について語ったと放送された部分が、意味が真逆であったり異なっていたのだから、「ねつ造」と言われても仕方のない大問題で、大きな波紋を呼んでいる。放送は6月5日だったが、この事実が話題になり始めたのは26日頃。韓国を「反日」と決めつけたうえで展開するような番組内容とその宣伝手法などに偏向だという声もあがっていたなか、実際の音声と日本語字幕およびボイスオーバーの違いに気づいた韓国語のできる人たちが、SNS上で声を上げ始めたのがきっかけだ。
それがねつ造疑惑としてまとめサイトにまとめられて拡散し、さらにネットメディアが相次いで記事にした。ネット上では、フジテレビが「悪意あるねつ造を行った事実」を認め、これによって日本のテレビや報道に不信を抱いたすべての人々と当該番組が取材した方々に謝罪し、改善策や防止策を提示し実施するよう求める署名運動も起きている。こうした動きは29日になると、韓国の有力メディアが記事にするまでとなった。
このままでは国際問題になりかねない状況にいたったためか、同日、フジテレビは番組公式サイト上におわびの文章を載せた。これについて報じた同日付の朝日新聞によると、同紙の取材に対し池上氏本人も、「私の名前がついた番組のなかで起きたことであり、申し訳ないことだと責任を感じています。番組スタッフ全体でのチェックが不十分でした」と話したという。ちなみにフジの謝罪を受けて、この件に関する報道は前述した朝日をはじめとする国内の主要メディアはもちろん、海外のメディアにも広がった。
では以下、フジテレビの「おわび」の文章をそのまま転載しよう。
6月5日に放送した金曜プレミアム「池上彰 緊急スペシャル!」において、韓国の方に日本についてインタビューしているVTRで、2カ所合わせて約10秒、翻訳テロップ並びに日本語吹き替えナレーションの内容と異なる映像を、誤って使用していたことが分かりました。
(1)女性がインタビューに答えるシーン
「嫌いですよ、だって韓国を苦しめたじゃないですか」と、答えている部分で、誤って、韓国を好きな理由について話している、「文化がたくさんあります。だから、外国の人がたくさん訪問してくれているようです」という映像部分を使用していました。この女性は、インタビューの別の部分で、実際に「日本が嫌いです」と答えています。
(2)男性がインタビューに答えるシーン
「日本人にはいい人もいますが、国として嫌いです」と、答えている部分で、誤って、「過去の歴史を反省せず、そういう部分が私はちょっと…」と話している映像部分を使用していました。この男性も、別の部分で実際にこのように発言しています。
いずれも、編集作業でのミスに加えて、最終チェックが不十分であったため、誤った映像を放送してしまいました。
視聴者の皆様、インタビューにご協力いただいた方々、並びに関係者の皆様にお詫び申し上げます。今後はこのようなことがないよう再発防止に努めてまいります。
テレビの影響力はいまだに大きい。池上彰氏という人気者を使い、タレントを並べる近年流行りの知的バラエティの形式で特集を組んだこの番組、視聴率調査会社ビデオリサーチによれば、関東地区の番組平均世帯視聴率は12.8%だったという。
日韓関係の現状を鑑みても、またマスメディアの信頼に自ら傷をつけたということを考えても、引き起こした問題の重大さに比してこのおわびが誠実なものになっているかどうか、また責任問題としてこれだけで十分であるかどうか、当然ながらまだ議論の余地はあるだろう(何よりもまずは、顔出しで発言と違うテロップ、ボイスオーバーをつけられたインタビュイーの気持ちにもなってみてほしい)。
だが、とりあえずこのおわびの文章に嘘がないとするならば、私としては、想像どおりだな、というのが率直な感想だった。
文脈より重視された過激さと面白おかしさ
実はかつて、会社を辞めて大学院に入った後、2004~2010年の6年間、テレビの映像・字幕翻訳の仕事をしていたことがある。
朝鮮学校出身で在日コリアン関係の報道機関に勤めていた経験から、それは当然ながら朝鮮・韓国語の映像・字幕翻訳だった。時折エンターテインメントにかかわることもあったが、報道の仕事が主だった。つまり、北朝鮮や韓国の問題を扱うテレビ報道の現場で、そこに必要な翻訳という作業を末端ながら担っていたわけだ。
私の場合、仕事内容は大別すると3種類だった。モニタリングと、文字起こし、編集作業への立ちあいと字幕作りだ。
メインの仕事は、北朝鮮国営朝鮮中央テレビのモニタリングである。この仕事に入った2004年といえば、2002年9月の日朝首脳会談による公式な拉致認定をきっかけに一部の拉致被害者が帰国してから間もないころだった。
さらにミサイルや核をめぐる緊張や、2010年のサッカー・ワールドカップの南アフリカ大会に北朝鮮が出場するなど、連日、それも大量に、北朝鮮関連の様々な報道が続けられていた。その矛先が韓国に向いた感もある今とは比較にならないほどだ。
しかし、国交がないこともあって、2006年に開設された共同通信平壌支局以外は支局もなければ特派員もいない。つまり、実際に取材した素材が極端に少ない。どうするか。そのための方法が、朝鮮中央テレビの映像利用であった。
同テレビの放送は、平日は17時に始まり、終わるのがだいたい平均して23時前後。日曜と祝日など特別な日は朝から放送している。これを、局が受信して録画するとともに、局内のモニターの前に座って朝鮮語のわかる翻訳者がひたすら見続け、放送内容を記録し続けるのだ。
とくに、17時、20時、放送終了前の1日3回放送されるニュースの時間は神経をとがらせ、詳細なメモを作る(メインは20時)。たとえば核実験成功等の大きなニュースがあったときは、すぐさま外報部デスクのもとに走っていって知らせる。
そして夜のニュース番組に間に合わせるべく編集作業に入り、字幕を作る(あの独特の語り口の女性アナウンサーの姿を見たことがある人も少なくないだろう。あの映像につけられた字幕はこうして作られていた)。
とくに何もなかった場合は記録したレポートを提出して終了する。これを1日1人、5~6人くらいでシフトを組んで回していた。
私がレギュラーとしてモニタリングの仕事をした民放の某局以外でも、仕組みに違いはあっても同じようなことをしていたらしい。
ちなみに、テレビの放送映像を使った北朝鮮報道が下火になった現在では、もうどの局もやっていないようだが、その理由はコストに見合わなくなったためだとも聞いた。【次ページに続く】
2つ目の仕事が、文字起こしだ。朝鮮・韓国語の入った取材VTRの生素材の音声を、日本語で文字に起こす作業である。ディレクターはその文字起こしを見て、素材のうちのどの部分を番組で使うかを決めていく。文字起こしをした時点で、それが最終的にどう使われるかは、翻訳者にはわからない。
そして3つ目が、これとは対照的に、最終的な放送内容にかかわる作業である、編集作業への立ちあいと字幕作りだ。取材VTRから番組で使う部分を切り出してつなぎ合わせる際に立ちあって、音と内容に間違いやずれがないか確認する。これで編集が決まったら、字幕をつけていく。
この間で複数回、ディレクターやデスクの確認やチェックは入る(翻訳者はあっちに行ったりこっちに行ったり、引き回されることになる)。ちなみに、2つ目の文字起こしと3つ目の編集・字幕作成に同じ翻訳者が呼ばれる場合もあるが、そうでない場合もある。
私がかかわったのは主に北朝鮮に関する報道だが、このような番組作りのプロセスのなかで、編集においてもとの資料や発言の「文脈」が重視されない、無視されることすらあるのは日常茶飯事だった。
よくあったのが、政府や党の公の声明から全体の意図や文脈を読み取るのではなく、表面的に、言葉的に「過激」で「反日、反米」的なところだけ抜いてほしいという指示だ。これが政治的なネタの場合の「基準」だとしたら、もう少し柔らかい社会、文化ネタの場合の基準をひとことで言うと、「面白おかしい」と「変であること」であった。
文脈的な「正確さ」を求めたい翻訳者としての良心から異を唱えたこともあるが、それは難しいことであり、聞き入れられることはほぼない。原則としてフリーランスで翻訳会社に所属し、呼ばれたら派遣されていく外部の翻訳者に、番組制作に対する発言力はない(もちろん、だからといってテレビ報道における翻訳が「つねに正確さを欠く」という意味ではなく、その内容がつねに不誠実だ、ということでもない)。
思考停止のずさんな仕事現場が生んだ致命的なミス
このように、文脈無視やある種の「他者化」、「対象化」は日常的に起きていたことだとしても、さすがに発言と字幕、ボイスオーバーが完全に異なっているという今回の件には驚いた。
とはいえ、だからこそ、今回の件を「意図的なねつ造」と言い切ってしまうのは当初から違うように思っていた。
先に述べたように切り貼りの編集技術は高く、誘導も含む恣意的な取材や編集も可能で(それらは実際に行われている)、意図的なねつ造ならもっと上手にいくらでもできるからだ(もちろん、上手くやればいい、ということではない)。
おそらくそこにあったのは、ただただ、「決めつけられた前提のもとで、何も考えずに進行していくずさんな仕事」だったのだと思う。そのようなずさんな仕事の場に、発言者やもとの資料の文脈を考慮する余地はない。
繰り返しになるがそこにあるのはあらかじめ決められた前提どおりに作り、とどこおりなく終わらせる、ということだけで、もしかすると、自覚的な「悪意」どころか何らかの「意図」すらもないかもしれない。また近年、経費も削られるなかでそのような空気にさらに拍車がかかっているのではないかとも想像する(翻訳の単価も下がる一方だと聞く)。
かつてはどうせバレやしない、どうせ見ている人も反発しない対象だからとタカをくくって北朝鮮についてやっていたことが、今は韓国についてもできているのだとしたら、だ。このような空気が今回、「ねつ造」と言われても仕方のないミスを生んだのではないか。
今回の件は、番組作りにおいて、そもそも「あおりありき」という内容的な問題と、日々忙しいなかで多くは下請けの制作会社や契約のスタッフが追い立てられながら「やっつけ」でやっているという方法的な問題が、一番悪いかたちで結びつき、露呈した事件だろう。そして、この2つは別々の問題ではなく、同じ構造から生まれている同根の問題だと思う。
私見だが、そこでもっともないがしろにされているのは「専門性」だろう。たとえば調査報道であったり、専門家の解説であったり、そして翻訳であったりというプロフェッショナルの仕事、プロフェッショナルとしての姿勢だ。今回の番組の作りひとつを見ても、それは明らかではないだろうか。
池上彰氏は韓国問題の専門家だろうか、また普段から韓国について取材している記者たちの知見はどのくらい生かされたのだろうか、そして翻訳者はきちんと必要なところで仕事をさせてもらえたのだろうか。
このような現状は同時に、作り手自身のプライドすらも、そして視聴者もないがしろにし、結局は、視聴者に迎合したはずがむしろ視聴者の信頼を失うという結果を招いている。
最後に、朝鮮・韓国語の映像・字幕翻訳に携わった者として少し書いておきたいことがある。
2003年からの、日本での韓流ブームを影で支えてきたのは映像・字幕翻訳者たちでもある。この番組作りにも本来なら、前述したように素材を起こす段階なり、編集して字幕を作る段階なりでかかわっているはずだと思うが、フジのおわびから明らかになったのは、少なくとも最終段階のチェックにはおそらくかかわっていないという事実だと言っていいだろう。
彼女たち(あえて彼女たちと言ったのは、9割方が女性の、雇用環境として不安定な世界でもあるからだ)、プロフェッショナルの仕事をいったい何だと思っているのだろう、と心から思う。
またあくまで私の経験で言うが、朝鮮・韓国語の映像・字幕翻訳の世界は、在日、韓国人、日本人がほぼ同じ割合で働いている世界だった。
そういえばあるプロデューサーが北朝鮮についてバカにするような態度をとったとき、それに怒った韓国人の翻訳者が私に同意を求めてきて、2人で一緒に愚痴を言って憂さ晴らしをした思い出もある。日本人翻訳者たちからは、韓流ブーム以前の日本で朝鮮・韓国語を学ぶということの不遇さについての話もよく聞いた。
様々な人がいて、朝鮮・韓国語とのかかわり、言語を通じた朝鮮半島への思いは、それぞれに深い。生活があるとは言え、誰だってそのような気持ちを裏切ることになるような仕事をしたくはないはずだ。
プロフィール
韓東賢
日本映画大学准教授。専攻は社会学。テーマは在日外国人問題、とくに在日朝鮮人のナショナリズムや文化など。1968年東京生まれ。朝鮮大学校卒業後、朝鮮新報記者を経て東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。著書に『チマ・チョゴリ制服の民族誌(エスノグラフィー)―