2015.09.16
戦後賠償――ドイツと日本の違いはどこにある?
「戦争には関わりのない子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」。戦後70年談話で安倍首相はこのように述べた。70年前、日本と同じように敗戦国となったドイツ。彼らは過去の歴史にどうやって向き合ってきたのか。そこから日本が学ぶこととは。東京大学大学院・石田勇治教授と経済学者の飯田泰之が語り合う。2015年8月26日(水)放送TOKYO FM「TIME LINE」『過去を克服できたドイツ、できない日本』より抄録。(構成 / 大谷佳名)
■ TIME LINE
TOKYO FM(80.0MHz)で月~木 19時から放送。多様な価値観、経験を積んだ「言論集団」と共に、様々な出来事・ニュースの「糸」を手繰って、今日という1日の意味を感じるニュース番組。第2、4水曜日は飯田泰之(明治大学政治経済学部 准教授)が担当。生放送終了後、「もう一度聴きたい!」という声にこたえて、ホームページにて1週間限定で番組音声を配信。http://www.tfm.co.jp/timeline
戦後70年談話
飯田 今夜のゲストはドイツ近現代史、ジェノサイド研究をされている、東京大学大学院教授の石田勇治さんです。よろしくお願いいたします。
石田 よろしくお願いいたします。
飯田 安倍首相の戦後70年談話を受けてどのように感じられましたか。
石田 そうですね。国内外の各方面に配慮された内容になっていると思いましたけど、心に残る部分があったかというと、あまりなかった。ややネガティブな印象を持ちました。
飯田 私は日本語版と同時に、主語をはっきりさせようと思い、英語版も同時に見ましたが、これまでの談話に比べると非常によくできてるというのが正直な感想です。日本語バージョンも英語版もすごく良いスピーチライティングです。しっかりとしたストーリー仕立てで、長めの形にしたことの意味は非常に大きいと感じました。
石田 今日のテーマに関していえば、戦後生まれが人口の八割を越えている中で、戦争に関わりのない子どもたちにいつまでも謝罪を続けさせるのか。ポイントは、それへの首相の答えですね。
もし本気でそうさせたくないのなら、今回、首相自身の言葉で、謝罪の気持ちを率直に述べられるべきだったと思います。それをしないで、これからの世代に謝罪をさせないよ、と言われても説得力が弱いなと思いました。
「戦争犯罪」と「ナチ犯罪」
飯田 なるほど。今日の番組テーマは「過去を克服できたドイツ、できない日本」となっています。僕はこの「ドイツ見習え論」には組みしない方なのですが。
例えばドイツの謝罪について考えるときに、重要な論点になるのは「戦争犯罪」と「ナチスの犯罪」という違いです。ドイツでこの二つはある程度明確に使い分けられているのでしょうか。
石田 そうですね。歴史的にいうとこうなります。戦争直後は、両者は未分化でした。「ナチ犯罪」があたかも戦争犯罪のように語られ、ユダヤ人虐殺の下手人が戦犯として恩赦されるなんてこともあったんです。しかし、それはおかしいでしょうという声が高まり、「ナチ犯罪」は特別なんだ、戦争犯罪とは違うんだ、と言われるようになります。
「ナチ犯罪」が強調されたもうひとつの理由は、誰のどの被害を補償するか、という戦後ドイツの補償政策にありました。補償されるべきは、一般的な戦争被害ではなく、ナチによる被害だったからです。
そうはいっても、現在のドイツで、大統領や首相が謝罪の意を表明する際に、戦争犯罪と「ナチ犯罪」を使い分けるということはありません。かつてドイツの名において行われた犯罪に対して「ドイツの名において許しを請う」、「謝罪する」と言っていますよ。
飯田 そういった点において日本の場合は「誰が何をしたか、誰が責任者であったか」という主体が非常に曖昧ですよね。これはごまかしているという意味ではなくて、実際の意思決定の現場でも、「空気」の支配によって戦争が遂行されていってしまった。
一方でドイツの場合は、「ナチスが決め、ナチスが行ったのだ」と言い切れる証拠があったわけです。この二つの差が、日本で謝罪や責任の追及が難しくなっている理由ではないでしょうか。
石田 たしかにそういった説明はよく聞きますが、実際はもっと複雑です。
なぜヒトラーのような人物に権力を与えてしまったのか、どうしてヒトラー体制に魅了されたのか、なぜホロコーストのような蛮行を食い止めることができなかったのか、そしてナチ時代のドイツがもたらした結果に自分たちはいったいどんな責任を負うのか――戦後ドイツの人びとはこれらの問いをずっと議論してきました。
有名な哲学者ヤスパースの「罪責論」も、よく読めば、ドイツの国民は皆、ナチであってもなくても、何らかの罪を負うと言っています。戦後のドイツはナチだけに罪を押しつけてきたという、日本でよく聞かれる説明は、一知半解の誤った見方です。
飯田 ある程度広い意味での戦争犯罪、あるいはナチスの犯罪を裁いた国際軍事裁判といえば“ニュルンベルク裁判”がありますよね。ドイツはこれをどのように受け入れていったのですか。また、東京裁判との違いはどこにあるのでしょう。
石田 現在のドイツで、ニュルンベルク裁判は、その後の国際法の発展に道を拓いた重要な裁判として評価されています。しかし当時は評判が悪く「(第二次世界大戦の)勝者の裁き」と言われていました。
とくにソ連が裁判官・検察官を出したことに不快感を隠さなかった。ソ連は1939年9月にドイツとともにポーランドを侵攻した国ですね。そういう侵略国がどうして正義の側に立つのか、というわけです。
おまけにこの裁判で導入された「人道に対する罪」、「平和に対する罪」は明らかな事後法にあたります。これは近代法原則=罪刑法定主義に反する、とドイツは反発しました。
日本はサンフランシスコ講和条約で東京裁判を受け入れて、主権を回復したのですが、ドイツは今日にいたるまでニュルンベルク裁判を受け入れる意思を表明していません。その代わり自国の刑法に基づく裁判を続けています。
そのドイツ国内の裁判ですが、これも当初は、時効が来ればその段階で終わるものと考えられていました。ところが1960年代になって時効の成立に反対する議論が戦後世代を中心に巻き起こります。「ナチ犯罪」に多くの国民が関与していたことがわかってきたからです。結局、ナチ犯罪の中心=謀殺罪の時効が1979年に撤廃され、今も裁判が続いているわけです。
ドイツ国内の裁判は、ニュルンベルク裁判と違って、自分たち自身の手で行いますから、そこで明らかになった諸々の加害の事実は重みをもちます。なかでもフランクフルトで行われた「アウシュヴィッツ裁判」(1963~65年)は、あの悪名高い絶滅収容所でドイツ人が何をしたのか、その詳細を明らかにしました。
飯田 ドイツは「お詫び」や「反省」という点についても非常に特異なのかなと思います。ドイツの場合は国内で裁く側と裁かれる側を作り出すことができたわけですよね。そこから日本が見習うとしたら、日本は誰が何を裁くことになるんでしょうか。
石田 日本で誰かを裁くということは、もう無理だと思います。戦後70年も経っているので、これは意味がないですよね。罪は、あくまでもそれを犯した個人のものであり、代わりに誰かが裁かれることはないわけです。
飯田 まさにワイツゼッカーの言葉ですね。
石田 私は、罪を犯してない者が謝罪する必要は、本当はない、と思っています。しかし、責任はあると思います。
飯田 なるほど。その責任はどういったことですか。
石田 「過去に対する責任」という表現がドイツではよく使われます。その考え方を参考にすれば、前世代の悪行、「負の行為」、侵略戦争なり、植民地支配なり、日本の名においてなされた不法行為に起因する未解決の問題が今もあるのなら、それらを解決する責任は私たちにある。罪は引き継がれないが、責任は引き継がれる。
私たちの子や孫の世代に罪がないのは明らかです。しかしもし日本の過去に対する責任に対して無自覚であるなら、それはそれで罪深いことではないかと思います。
飯田 番組では「ドイツは過去を克服した」とタイトルでつけていますが、一方でポーランド議会が賠償の請求をしたり、ギリシャ政府も戦時賠償が不十分であるとしていますよね。必ずしもドイツは全面的に過去を克服しつくしたというわけではないと思うのですが。
石田 過去の克服は「持続的な学習プロセス」だといわれるように、何かをもって終わるものではないでしょう。あれだけのことをやってしまった以上、ドイツ国民としての責任を果たすためには長い時間がかかる。世論はたしかに割れていますが、今のドイツの政治指導者は、この取り組みを続けることで、70年前に失った国際的な信頼を取り戻すことができると確信しているように思います。
飯田 何か決め打ちで「これで最終解決だ!」というのではなく、歴史のプロセスの中でゆっくりとお互いの視点を和らげていくことが重要なのですね。日本ももっと上手な発信ができるようになる必要があるかもしれません。
プロフィール
石田勇治
1957年、京都市生まれ。東京外国語大学、東京大学大学院、マールブルク大学に学ぶ。専門はドイツ近現代史。1989年より東京大学教養学部講師、91年同助教授、2005年より同大学大学院総合文化研究科教授。この間、ベルリン工科大学客員研究員、ハレ大学客員教授を務める。主な著書に『過去の克服―ヒトラー後のドイツ』(白水社)、『20世紀ドイツ史』(同)、『図説ドイツの歴史』(共著、河出書房新社)、『現代世界とジェノサイド』(共著、勉誠出版)、史料集に『資料ドイツ外交家の見た南京事件』(大月書店)がある。
飯田泰之
1975年東京生まれ。エコノミスト、明治大学准教授。東京大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。著書は『経済は損得で理解しろ!』(エンターブレイン)、『ゼミナール 経済政策入門』(共著、日本経済新聞社)、『歴史が教えるマネーの理論』(ダイヤモンド社)、『ダメな議論』(ちくま新書)、『ゼロから学ぶ経済政策』(角川Oneテーマ21)、『脱貧困の経済学』(共著、ちくま文庫)など多数。