世界の辺境とハードボイルド室町時代

現代ソマリランドと室町日本、かぶりすぎ! ノンフィクション作家・高野秀行と、歴史家・清水克行が「世界の辺境」と「昔の日本」を比較した異色対談『世界の辺境とハードボイルド室町時代』。その一部を紹介する。

 

 

血であがなうか、金であがなうか

 

高野 清水さんの本に出会ったのは、僕の『謎の独立国家ソマリランド』を読んだ、翻訳家で映画評論家の柳下毅一郎さんが、「ソマリの氏族による庇護と報復のシステムは、『喧嘩両成敗の誕生』で描かれている室町時代の日本社会とまったく同じ」というようなことをツイッターでつぶやかれているのを知ったからなんです。読んでみて本当にそうだと思いました。

 

『喧嘩両成敗の誕生』のまとめの章に、「当時の人々は、身分を問わず強烈な自尊心をもっており、損害を受けたさいには復讐に訴えるのを正当と考え、しかも自分の属する集団のうけた被害をみずからの痛みとして共有する意識をもちあわせていた」とありますよね。

 

これって、まるっきりソマリ人の説明じゃないかって思えるんですよね。それから、室町人の苛烈な心性の上に現れた法は、事件の理非(どちらが正しいか)を問うことではなく、社会の衡平や秩序を回復させることを目的とした、という説明もありますよね。これもソマリ社会の掟にすごく似てるんですよ。

 

ただ、僕のブログにも書いたんですが、不思議なのは、お金で解決するという賠償の発想が中世の日本にはなかったということです。ソマリ人も事件の理非とは関係なく復讐を行いますけど、トラブルはお金で解決するという道も用意されています。復讐するより賠償金をもらった方がいいと考えたら、そっちを選べるんです。

 

清水 「ラクダ何頭で」という話が出てくるんですよね(笑)。

 

高野 そうなんです。多くの場合、賠償金は当事者が属する集団(氏族)の責任によって支払われていて、ソマリランドやプントランド(注)では、男性一人が殺されたらラクダ百頭、女性一人ならラクダ五十頭で賠償すべしというふうに定められています。現代ではラクダ一頭は二百数十ドルぐらいに換算されているみたいです。そういう賠償の発想は、日本の中世にはなかったんですか。

 

(注)旧ソマリア北東部に樹立された政府とその支配地域。ソマリランドとは違い、独立を宣言しておらず、新たに樹立されたソマリア政府でも重要なポジションを占めている。周辺海域に出没する海賊の拠点はプントランドに多いとされ、政府の関与も疑われている。ソマリランドとの間に領土問題を抱えている。

 

清水 ないんです。高野さんのブログを読ませていただいて、鋭い指摘だなあと思ったんですが、賠償の発想がなかったということは、実は日本法制史上の大問題なんですよ。

 

一般的に人間の社会は、自力救済が横行する社会から、復讐が公に認められる社会に移行し、さらに復讐が制御される社会、復讐が禁止される社会というふうに進んでいくと、人類学的にも法律学的にも説明されます。そして、復讐が制御されていく過程で、必ず賠償の発想が生まれてきます。血で血をあがなっているときりがないから、血をお金に換えるという考え方がワンクッションとして入り、それによって復讐はネガティブな行為に位置づけられるようになるんです。ところが日本の歴史にはそれがなかったんです。

 

高野 ずっと賠償の発想がなかったんですか。

 

清水 室町時代、戦国時代と続いた中世が終わって、江戸時代に入っても、賠償の発想はほとんどなかったんですよ。そのことは日本の特殊性を表しているんじゃないかと言われています。

 

じゃあ、なぜなかったのか。僕も考えているところなんですけど、肉親の命といったものはお金には換えられないという強固な意識が日本人にはあるみたいなんですよね。

 

たとえば自分の親が亡くなったとき、葬儀屋さんに相応のお金を渡して葬儀をしてもらって、自分はハワイ旅行に行くなんてことをしたら、「あいつはけしからん」と世間的には非難されますよね。仇討ちに関してはそれに近い感覚があって、やっぱり肉親が自分でやらなければならないんです。仇討ちは弔いの一種だという考え方があって、お金で片をつけてチャラにするなんていうのは親不孝だというような、それぐらいの意識があったんじゃないかと思うんですよね。

 

実際、平安時代の『今昔物語集』には、親の仇を討った人がその後で親の葬式をやり直しているような話が出てくるんです(巻第二十五―第四話)。本人が仇を討った後で喪服で現れたので、集まった人はみんな「立派だ」と言って涙を流して感激したという。非業の死を遂げた人の魂は、仇を討たない限り、さまよい続ける。仇討ちまでやって葬式は完結するというような意識があったんじゃないでしょうか。だとすると、人の命をお金に換えることには抵抗がある、やっぱり血は血であがなわなければならない、という考え方はずっと続いていくのかなあと思いますよ。

 

高野 そのあたりは、現代の日本人にも残っている根本的な部分ですよね。清水さんの本では、「痛み分け思考」という言葉を使ってましたよね。あれは日本人にとってすごく大きなものじゃないかと思って。要するに日本人は、自分が痛めつけられたら、相手も同じように痛めつけないと気が済まない。やっぱりお金では相手を痛めつけたことにはならないというふうに考えるんじゃないかと思うんですよね。

 

清水 たぶん日本人にとって、人の命は計量不可能なものなんですよね。それを金銭に置き換えるという発想自体が無意味だという考え方があるんですかね。

 

ソマリの方では、賠償の発想はどこから出てきているんですか。人の命を計量可能なものと見なして、ラクダの頭数や金額に換算するというのは、そういう意味では非常に合理的ですよね。

 

高野 もともとはイスラムの思想なんですよ。イスラム圏には基本的にある考え方なんです。ただ、ソマリ社会以外でさすがにそこまで厳密にやっている所はないらしくて。たとえばリビアとかサウジアラビアとかイエメンとか、中東の、まだ氏族社会が続いているような所では、似たようなことをやっているみたいではありますよね。ただ、やっぱりソマリほどガチガチにやっている所はたぶんないだろうと。

 

清水 ソマリの方は紛争が多いから、そういう処理の仕方がルールとしていつまでも生きているということはあるんでしょうか。

 

高野 それはあると思いますね。

 

清水 トラブルや紛争にイスラム指導者が割って入ってくることはないんですか。

 

高野 あります。今回の僕の本では氏族の話にページを費やしてしまったし、そこまで取材できなかったということもあって、あまりイスラムには触れていないんですが、イスラム指導者の役割はやっぱり大きくて、和平の仲介に、コミュニティのリーダーだけでなく、イスラム指導者がニュートラルな立場の人間として呼ばれることはよくあるようです。

 

清水 わかる気がします。その点も日本の中世とよく似ていますね。日本の場合は、お坊さんが割って入ります。お坊さんは人命を優先するという倫理観をもっているし、俗世間から離れている人なので、どこにも利害関係がない。だから、紛争当事者をなだめるには最適任者なんです。【次ページにつづく】

 

 

 

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