2015.10.01
米国ユダヤ社会で強まるイスラエル批判――新時代のロビイング組織
今年3月3日、イスラエルのビンヤミン・ネタニヤフ首相は米議会両院合同会議で演説し、核開発問題を軸にイラン脅威論を最大限に強調した。40分以上に及んだ演説中、議場では共和党議員らがスダンディングオベーションを繰り返した。
しかし、ネタニヤフ演説は本当に成功といえるのだろうか。演説予定が明らかになった今年1月下旬以降、オバマ米政府だけでなく米国ユダヤ社会内からも厳しい批判が相次いだ。
AIPAC(米国イスラエル公共問題委員会)を中心とする米国イスラエル・ロビーの影響力の強さは、「前例がない」とまで形容されてきた。それを担保してきたのは、イスラエル支持に関し米国ユダヤ社会が一枚岩を誇ってきたことにある。
だが、ネタニヤフ演説への反応が示唆するように、米国ユダヤ社会内には今、イスラエルとの関係をめぐり深い亀裂が生じつつある。新しいイスラエル・ロビー組織「Jストリート」の台頭を手掛かりに、亀裂の背景を探ってみよう。
新しいロビー組織Jストリート
Jストリートは2008年4月に、「プロ・イスラエル、プロ・ピース」を掲げて結成された。AIPACと同様、法的にロビー組織として登録しており、米国の対中東政策、特にイスラエルが関係する政策に関し、上下両院やホワイトハウスなどへロビー活動を行っている。
またマスコミへの意見表明、地方や大学キャンパスでの支持者の拡大や動員、アドボカシーなど、活動の内容や狙いはAIPACとほとんど変わらない。
しかし、両者の主張には大きな開きがある。イランの核開発問題に関し、AIPACは経済制裁をいっそう強化するとともに、軍事攻撃を含めイスラエルの行動の自由を保障すべきだと主張している。またパレスチナ問題でもイスラエルの入植活動を批判せず、米国はイスラエルに圧力をかけるべきでないとの立場をとっている。つまりAIPACはイスラエル政府の主張をそのままワシントンで表明しているにすぎない。
一方、Jストリートは、核問題の政治的な解決を目指して2013年以来行われているイランと「P5+1」(国連常任理事国とドイツ)との交渉を支持し、軍事行動に反対している。また入植活動に反対し、ガザ地区への過剰な軍事力の行使などにも批判的だ。つまりJストリートはイスラエル政府の政策や主張のほとんどに批判的で、AIPACときわめて対照的だ。
こうした路線をとっているJストリートの目的は何なのだろうか。Jストリートという名称は、ワシントンの通りの名前に由来している。ワシントンの東西の通りはアルファベット順にAからWまでの名前がついている。ただ、J通りだけはない。
Jストリートの創設者で会長のジェレミ・ベンアミによれば、米国ユダヤ社会の多数派の声はJ通りがないように、ワシントンで無視され続けてきた。多数派はあまりにも長い間、沈黙してきたため、彼らの政治的な意見はユダヤ社会全体を代表していると主張する右派の声にかき消されてきたからだ。「だから私たちはJストリートを立ち上げた」とベンアリは説明している。
Jストリートのホームページも、「ユダヤ的でかつ民主的な価値へのコミットメント」に基づき、イスラエルとパレスチナ独立国家が共存するという二国家解決案によるパレスチナ問題の解決を呼びかけている。さらに「親イスラエルとはイスラエル政府のすべての政策を支持することを意味しない」と宣言している。
米国ユダヤ社会の主流派組織や指導者の間では従来、パレスチナ問題や占領政策に関しイスラエル政府を公然と批判しないという暗黙のルールがあった。
イスラエル政府の政策を公然と批判することは、イスラエルの敵を利することになるという考えに基づいていた。それ故、イスラエルを批判した者は米国ユダヤ社会内で活動することが困難になり、さらにはつまはじきに遭ってきた。
ジョン・メアシャイマーとスティーブン・ウオルツが2006年に、共著『イスラエル・ロビーと米国の外交政策』のオリジナル論文を発表した際、米国ユダヤ社会から猛烈なバッシングに会ったことは記憶に新しい。
発足当初のJストリートへの風当たりもかなり激しく、「Jストリートはユダヤ社会主流派の意見を代表していない」といった批判や非難が相次いだ。だがこの7年間で、Jストリートはロビー組織としての地位を確立した。
もちろん、AIPACとの間には依然としてかなりの差がある。それでもイスラエル政府関係者はJストリートの存在を無視できなくなったと語っている。2013年の年次総会ではジョー・バイデン副大統領が演説し、今年の総会にはオバマ大統領の首席補佐官デニス・マクドノーが出席した。
リベラリズム重視の米国ユダヤ人
最近、Jストリートの存在感を特に強めているのがイランの核問題である。外交的解決を目指すオバマ政権と、外交交渉にまったく信を置かず制裁強化を求めるネタニヤフ政権との立場は完全に平行線をたどっている。
米議会の上下両院で多数派を握る共和党もネタニヤフの強硬姿勢を支持し、ホワイトハウスと対立している。こうした議会の動きを加速させているのが、ネタニヤフ政権の意向を代弁しているAIPACの強力なロビー活動だ。
Jストリートもまた、外交的解決支持の立場からロビー活動を強化している。その成果の一つとされるのが、2013年8月に131人の米議会議員がオバマに書簡を出したことだった。
書簡はイランで改革派と目されるハサン・ロウハニが新大統領に就任したことを機に、核問題に関する外交努力を続けるべきだとオバマに呼びかけたもので、18人の共和党議員も署名していた。ユダヤ関連の米国ニュース通信社JTAによれば、書簡の発出はJストリートによるロビー活動の成果だった。
筆者が2012年にワシントンでインタビューしたJストリートの政府部門担当責任者ディラン・ウィリアムズは、「Jストリートは今や、リベラルから中道までの幅広い層を包括する “ビッグ・テント”になった」と述べ、成長の理由として米国ユダヤ社会内の変化と、若者の取り込みの2点を指摘した。
ウィリアムズがいう米国ユダヤ社会内の変化とは、米国ユダヤ人の多数がイスラエルの右傾化に強い違和感を覚えていることを指している。米国ユダヤ人のほとんどはリベラルで、教会と国家との分離、銃規制、性的少数者の権利擁護などにも熱心だ。大統領選挙や国政選挙でも、顕著に民主党を支持している。2008年の大統領選でオバマはユダヤ票の78%をとり、再選された2012年にはやや減少したが69%の票を得ている。
米国ユダヤ人は全米人口の2%強という少数派だ。だからこそユダヤ人は自分たちの権利やアイデンティティを守るために、リベラルな価値の実現に努めてきたといってよい。
コラムニストとして活躍したレオナード・フェインは「この国でユダヤ人が幸福で公正に扱われるか否かは、リベラルで民主的な多元的主義のあり様にかかっている」と述べ、リベラリズムの重要性を強調している。
こうしたリベラリズム重視の米国ユダヤ人から見ると、現在のイスラエルはかなり異なっている。右傾化や偏狭なユダヤ民族主義が強まっているからだ。【次ページに続く】
実際、今年3月の選挙を含め1990年代以降のほとんどの国政選挙で、リクードを筆頭とする右派政党が全議席の3分の1以上を確保し、連立政権の中枢を担ってきた。一方、かつてイスラエル政治の中核だった労働党に代表される左派や中道左派政党の議席数は低迷を続けている。
右傾化や偏狭な民族主義の台頭を促しているのは、テロやロケット攻撃などの脅威に絶えず曝されていること、占領や入植活動、過剰な軍事力の行使などが常態化し、占領地での人権問題も「安全のために仕方がない」といった風潮が強まっていることが指摘できる。さらに過激な宗教ナショナリストが増大していることも要因となっている。
イスラエルの「ユダヤ性」を重視する偏狭な民族主義の拡大と、リベラルな民主主義の擁護という基本的な価値観の対立が端的に示されたのが、「基本法:ユダヤ民族国家」という法案の取り扱いだった。(注)
(注)イスラエルは憲法を持っておらず、その代わりとして通常の憲法の各章に当たる個別の基本法を制定・適用している。
この法案はイスラエルをユダヤ人の民族国家であると規定しようとするものだ。法案をめぐっては、民主主義や平等の原則を法案に盛り込むか否か、盛り込むとすればどのような規定にするかなどについて連立与党内でも意見が対立し、2014年12月の国会解散の直接の契機となった。
同法案は米国ユダヤ社会にも大きな波紋を引き起こし、反誹謗同盟(ADL)や米国ユダヤ委員会(AJC)など主流のユダヤ団体は、イスラエルの民主主義原則を危うくすると批判した。一方、右派組織は法案を支持し、伝統的な米国ユダヤ団体の間にも立場の相違があることを明確にした。ただ全体的に見れば、米国ユダヤ社会では法案に批判的な意見の方がずっと多かったといってよい。
ニューヨークのユダヤ教神学校の校長が2014年11月に出した「イスラエルはアラブ人や他のマイノリティを二級市民に追い落すべきではなく、民主的なユダヤ国家としての性格を維持すべきだ」との声明は代表的な批判の声だった。
イスラエル批判と若者
米国ユダヤ社会で顕在化しつつあるイスラエルへの批判は、若者たちの間でいっそう強い。例えば2014年夏のガザとの間の軍事衝突の際のイスラエルの軍事行動に対し、80%とほとんどの米国ユダヤ人は支持を表明した。ただ世代別にみると「支持しない」との回答は、40歳未満では29パーセントと、40歳以上の18パーセントをかなり上回っていた。
米国ユダヤ人で自らをシオニストと位置付けながら、イスラエルの占領政策と、その占領政策を批判しない米国ユダヤ社会の伝統的な主流派を痛烈に批判し続けているのが若手ジャーナリストのピーター・ベイナートだ。
彼によれば、旧い世代が強調するユダヤ人迫害の物語を若い世代は共有していない。むしろ若い世代の目には、「ユダヤ人は犠牲者だ」という旧世代の言説と、イスラエルによる占領の継続や人権侵害という現実とは明らかに矛盾していると映る。その結果、若者はイスラエルにより批判的になっているという。
若者を中心にイスラエルに批判的な見方が広がっていることに関し、米国ユダヤ社会の動向を調査している社会学者セオドア・サッソンは近著『新しいアメリカのシオニズム』で、インターネットの普及などでイスラエルに関する情報量が米国内で大幅に増えたことを指摘している。
彼によれば情報が多くなった結果、イスラエルでの政治腐敗や兵士の戦争犯罪、社会的格差の増大、非ユダヤ人や非正統派ユダヤ教徒に対する差別など、イスラエルの負の側面が米国でもより知られるようになった。そのため米国ユダヤ社会内でイスラエルを見る目に違いが生じ、特に若い世代で批判が増しているという。
アイデンティティをめぐる対立
米誌『アトランティック』は今年5月、オバマの長文のインタビュー記事を掲載した。インタビューでオバマは、イラン核問題の外交的な解決とパレスチナ問題の二国家解決案による解決こそが、イスラエルの安全を確保すると強調した。
さらにオバマは、イスラエル政府の政策を批判するとすぐに「反イスラエル的」、さらに「反ユダヤ的」というレッテルを貼られてしまう風潮を、イスラエルが掲げる民主主義の原則に反すると強く批判している。ネタニヤフ政権やAIPACなどの米国イスラエル・ロビー主流派、さらに共和党が繰り返しているオバマ非難に、これほど率直にオバマが反論していることも珍しい。
かつて多くの米国ユダヤ人は、「ユダヤ国家」と民主主義の両立は自明のことと受け止めていたか、あるいはそう信じていた。しかし、イスラエル社会の右傾化が顕著になるにつれて、米国ユダヤ社会ではこの見方に揺らぎが生じている。もっといえば、イスラエルと米国の2つのユダヤ人社会の間に、根本的な価値観やアイデンティティをめぐる対立が生じている。
それに拍車をかけたのが、共和党と手を組んでイラン核問題で強硬姿勢を貫こうとするネタニヤフの政治手法だった。米国ユダヤ社会の多数派から見ると、ネタニヤフの強硬姿勢は自分たちが支持しているオバマ政権、さらに民主党に対する攻撃と映っている。
今年3月の選挙戦最終盤でネタニヤフは「アラブ人が大挙して投票する」と述べ、アラブ系有権者の選挙参加を危険視するユダヤ系有権者の危機意識を煽るような発言をした。思わず本音が出たということだろう。
これに対し米国ユダヤ社会内からも「反民主的」という批判が上がった。社会学者でニューヨーク市立大学教授のサム・ハイルマンはイスラエル紙『ハアレツ』に、選挙でリクードなど右派が勝利した結果を受けて、リベラルな米国ユダヤ人の多数は「ますますイスラエル政治に違和感を覚えるだろう」と述べている。
(本稿は拙論「米国ユダヤ人の対イスラエル観の変化と新しいロビー組織J Streetの活動」『中東レビュー』2014-2015年Vol.2をもとにしている。)
プロフィール
立山良司
防衛大学校名誉教授、(一財)日本エネルギー経済研究所客員研究員。早稲田大学政治経済学部卒業。国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)職員、(財)中東経済研究所研究主幹、防衛大学校国際関係学科教授などを歴任。専門は中東の国際関係・安全保障研究。著書に『揺れるユダヤ人国家』(文春新書)、『イスラエルとパレスチナ』(中公新書)、『エルサレム』(新潮社)、『イスラエルを知るための60章』(編著、明石書店)、『中東政治』(共著、有斐閣)など。