テロリストの息子

ジハードを唱えるようになった父親が殺人を犯したとき、その息子はまだ7歳だった。1993年、投獄中の父はNY世界貿易センターの爆破に手を染める。家族を襲う、迫害と差別と分裂の危機。しかし、狂気と憎悪が連鎖するテロリズムの道を、彼は選ばなかった。共感と平和と非暴力の道を自ら選択した息子(ザック)が語る実話『テロリストの息子』(TEDブックス、朝日出版社)から、第一章と第二章を転載する。

 

 

第1章 1990年11月5日、ニュージャージー州クリフサイドパーク

 

母に揺り動かされて目が覚めた。「事故が起きた」。母が言った。

 

僕は7歳で、ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズのパジャマに身を包んだ小太りな子どもだった。日の出前に起こされることに慣れてはいたが、起こすのはいつも父で、ミナレット(イスラム教の礼拝所の塔)の柄が入った小さな絨毯の上で祈るためだった。母に起こされることはなかった。

 

夜の11時。父は家にいなかった。最近、父がジャージーシティのモスクで過ごす時間帯がどんどん遅くなっていた。それでも父は、僕にとってはババ(父の意)だった。おどけていて、愛情深くて、温かくて。その朝だって、靴紐の結び方をまた教えてくれていたのだ。事故に遭った? どんな事故に? 怪我をした? 死んだ? 答えが怖すぎて、疑問を声にすることができなかった。

 

母がめくり上げたシーツが、少しのあいだ、雲のように膨らみ、それを床に広げようと母が屈んだ。「私の目を見て、Z(ズィー)」。母が言う。彼女の顔は心配で凝り固まっていて、誰だかわからないほどだった。「なるべく急いで着替えて。そして持ち物をシーツの上に出して、きつく縛って。いい? お姉ちゃんが手伝ってくれるから」。母はドアのほうに進んだ。「ほら、Z、早く。レッツゴー」

 

「待って」。僕は、ヒーマン(アメリカンコミックの主人公)のブランケットから転がり出て初めて言葉を発することができた。「シーツには何を入れるの? どんなものを?」

 

僕はいい子どもだった。シャイで従順で。いつも母の指示に従おうとする。母は止まって僕を見た。「入るものはすべて」、と言う。「戻ってくるか、わからないから」

 

そして踵を返し、出ていってしまった。

 

荷造りが終わって、姉と弟と一緒にリビングに降りる。母はブルックリンに住む父の従兄弟に電話をかけていた。イブラヒム叔父さん、または「アミュ」と呼ばれる叔父さんと、何やら激しく話している。顔は紅潮し、左手は電話を握りしめ、右手はヒジャーブ(イスラム教徒の女性がかぶるヴェール)がゆるくなった耳のあたりを神経質にいじっている。テレビがついている。「速報。番組を中断してお伝えします」。僕らがテレビを見ているのに母が気づいて、急いで電源を切る。

 

母はその後しばらく、叔父さんと話す。僕らに背を向けて。電話を切るのと同時に、また電話が鳴り始める。真夜中には神経に触る音だ。うるさすぎるし、何かを知っているかのようだ。

 

母が電話に出る。今度は、ババと同じモスクに通う友人の一人で、マフムードというタクシーの運転手だ。髪の毛の色から「レッド」と呼ばれている。レッドは、父を探して必死なようだ。「ここにはいないわ」。母が言う。一瞬、相手の声に耳を傾けた。「オーケイ」と言って、電話を切る。

 

再び電話が鳴る。あのひどい音。

 

今度は誰なのかわからない。「本当に?」 母が言う。「私たちについて聞いてる? 警察が?」

 

少し経って、居間の床のブランケットの上で目を覚ます。どうやらこの混乱のなか、うとうとしていたようだ。運び出せるものはすべて、いや、それ以上の量の物がドアのそばに積み上げられて、今にも崩れ落ちそうだ。母は動きまわり、ハンドバッグの中身を確認し、さらに確認を重ねる。僕ら全員の出生証明書。誰かに求められたとしても、彼女が僕らの母親だということが証明できる。僕の父はエル・サイード・ノサイルといって、エジプトに生まれた。けれど母はピッツバーグ生まれだった。近所のモスクでシャハーダ(信仰告白)を唱えイスラム教徒になるまでは、そしてハディージャ・ノサイルと改名するまでは、カレン・ミルズという名前だった。

 

「イブラヒム叔父さんが来てくれる」。母が、起きて目をこする僕を見て言う。心配がにじみ出る声に、今はいらだちが混ざる。「来れたら、の話だけど」

 

どこに行くのかは聞かない。誰も僕には教えてくれない。待つだけだ。アミュがブルックリンからニュージャージーに運転して来るのにかかるはずの時間よりはるかに長いあいだ、待っている。待てば待つほど、母が動きまわる足並みが速くなって、胸の中にある何かが爆発するような気持ちになる。姉が片手で抱いてくれる。勇気を出そうとする。僕も弟の体に腕をまわす。

 

「ヤ・アッラー」。母が言う。「気が狂いそう」

 

わかるよ、と言うように僕はうなずく。

 

 

母が口にしないのはこういうことだ。過激派のラビ(ユダヤ教の指導者)で、ユダヤ防衛同盟(JDL)の創立者でもあるメイル・カハネが、ニューヨークのマリオットホテルの宴会場でスピーチを終えたあと、銃を持ったアラブ人の男に撃たれた。銃を持った男は現場から逃走し、途中で年配の男性の足を撃った。ホテルの前に待機していたタクシーに乗り込むも、再び車を乗り捨てて、銃を持ったまま逃走した。通りがかりの郵便局担当の警官と撃ち合いになって、男は倒れこんだ。ニュースキャスターたちは、ぞっとするような細部の一点に言及せざるをえないようだった。ラビのカハネも、暗殺者も、首を撃たれていた。2人とも、生き残らないと思われていた。

 

テレビはこの事件の経過を逐一伝えている。1時間前、姉、弟、そして僕が幼少期の思い出らしきものの最後の時間に睡眠を貪っているあいだに、母はテレビの音声にメイル・カハネの名前を聞いて、画面を見やった。最初に目に入ったのは、銃を持ったアラブ人の男の映像だった。母の心臓は止まりそうになった。それは僕の父の姿だった。

 

 

イブラヒム叔父さんがアパートの前に駐車する頃には、もう午前1時になっていた。それだけ時間がかかったのは、自分の妻と子どもたちが支度をするのを待っていたからだ。叔父さんは一家が同行することを主張した。敬虔なイスラム教徒として、妻以外の女性、つまり僕の母親と2人だけで車に乗る危険を犯すわけにはいかなかった。車の中にはすでに5人が乗っていた。そしてそこに僕ら4人がなんとか乗り込むわけだ。母の怒りがこみあげるのを、僕は感じとった。母だって、叔父さんと同じくらい敬虔だ。けれど自分の子どもたちだって一緒に車に乗るのだ。何のためにそんなに時間を無駄にしたのだ?

 

ほどなく僕らは、ぞっとするような蛍光灯の光の下、トンネルを走っていた。車は異常なまでに窮屈だ。みんなの手足が絡まって、巨大な固まりのようになっている。母が尿意を催している。イブラヒム叔父さんはどこかで止まりたいか、母に聞いた。母は頭を振って言った。「子どもたちをブルックリンに送り届け、それから病院に行きましょう。オーケイ? なるべく早く。さあ」

 

誰かが「病院」という言葉を使ったのはこのときが初めてだった。父は病院にいる。事故に遭ったから。怪我をしているという意味だ。でも同時に、死んではいないことも意味している。パズルのピースが頭の中でひとつになりつつあった。

 

イブラヒム叔父さんはプロスペクトパークのそばの巨大なレンガ建てのアパートに住んでいる。ブルックリンに到着して、9人がもつれ固まった状態のまま車から転がり出る。ロビーに入ったが、エレベーターが来るのに永遠とも思える時間がかかる。洗面所に行きたくて必死な母が、僕の手を取って階段に向かう。

 

母は一段飛ばしで階段を上がる。僕はついて行くのに必死だ。2階がぼんやり見え、3階が続いた。叔父さんのアパートは4階だ。入り口がある廊下に向かって角を曲がりながら、みんな息を切らしている。ついに到着したときには有頂天だ。エレベーターに勝ったのだ! そして玄関のドアの前に男が3人が立っているのが見える。2人はダークスーツを着て、バッジを高く掲げながらゆっくりこちらに歩いてくる。3人目は警察官で、ホルスターの銃を握っている。母が彼らのほうに足を進める。「洗面所に行かないと」。母が言う。「用を足したら話をします」

 

男たちは混乱したように見えたが、すぐに母を通した。けれど母が僕を一緒に洗面所に連れていこうとしたとき、ダークスーツの一人が、交通整理の警官のように手のひらを上げた。

 

「子どもは、我々と一緒に待機する」。彼は言う。

 

「息子です」。母が言う。「一緒に行くの」

 

「許可するわけにはいかない」。もう一人のダークスーツが言う。

 

母は困惑する。それも一瞬のことだ。「トイレで自傷行為に及ぶとでも思っているの? 自分の息子を傷つけるとでも?」

 

最初のダークスーツがぼんやりと母を見た。「子どもは我々と一緒だ」と彼が言う。笑顔を試みたがうまくいかない、そんな表情で僕を見る。「君は……」。手帳を見ながら言う。「アブドゥラジーズ?」

 

恐怖に慄きながら、うなずき始めると、止めることができない。

 

「Zです」

 

イブラヒムの家族がアパートのドアから入ってきて、気まずい沈黙が破られる。

 

イブラヒムの妻が、僕ら子ども全員を寝室のひとつに連れていき、寝るように命じる。子どもは6人。マクドナルドのプレイプレイス(遊び場)にありそうなカラフルな子ども用のベッドが壁に取り付けられている。母が居間で警察と話をしているあいだ、虫のように体をねじらせながら、ベッドの隅に体を横たえる。僕は壁の向こうに耳をすませようと努めた。聞こえるのは、低音のうなり声と、家具が床にこすれる音だけだ。

 

 

居間では、ダークスーツたちが嵐のようにたくさんの質問を母に浴びせている。母が後々覚えていたのは、特にこのうちのふたつの質問だった。「現住所はどこか?」そして「今夜、夫がラビ・カハネを撃つことを知っていたか?」

 

ひとつ目の質問への答えのほうが、ふたつ目の答えより複雑だ。

 

ババはニューヨーク市の職員で、マンハッタンの裁判所で冷暖房を修理する仕事をしている。市の職員は、市の五地区のどこかに居住することが義務づけられている。だから僕の家族は、叔父さんの家に住んでいるふりをしている。書類上の小さな噓のために、今夜、警察はここに現れたのだ。

 

母がこれを説明する。そして銃撃について、本当のことを言う。事件のことは何も知らなかった。事件について、一言も聞かなかった。何も。彼女は暴力の話を忌み嫌っている。モスクの人たちだって、彼女の前で扇動的な話をするべきでないことくらいは知っている。

 

母は、その後の一連の質問に答える。頭を高く掲げ、膝の上にのせた手は動かない。けれどそのあいだも、ひとつの考えがまるで偏頭痛のように頭の中で大きく鳴り響いている。父のところに行かなければ。父のそばに行かなければ。

 

ついに母が口走る。「テレビでサイードが死ぬと聞きました」

 

ダークスーツは、顔を見合わせたが答えない。

 

「彼のそばにいたい。ひとりで死んでほしくない」

 

 答えはない。

 

「彼のところに連れていってください。プリーズ。彼のところに連れていって。プリーズ」

 

母は何度も何度も繰り返す。ついにダークスーツはため息をついて、鉛筆をしまった。

 

 

病院の前はどこも警察でいっぱいだ。怒る者、恐怖に震える者、そして野次馬が、騒がしく集まっている。テレビ局のバンと衛星中継車がいる。ヘリコプターが頭上を飛んでいる。母とイブラヒムは、公然と敵意を露わにした制服の警官二人組に引き渡される。僕の家族はクズ同然だ。むしろクズ以下だ。暗殺者の家族。母は動揺してフラフラし、よりによってひどくお腹を空かせている。警官たちから発せられる怒りは彼女にとって、曇った窓ガラスの向こうに感じる程度でしかない。

 

母とイブラヒムは、病院の反対側の入り口を通って中に連れていかれる。エレベーターへと歩きながら、ワックスがかけられたばかりで、殺風景な照明に光る長い廊下に目をやる。セキュリティを通り抜けようと騒ぎ立てる群衆の姿が見える。記者たちが質問を叫ぶ。カメラのフラッシュが焚かれる。母は暗鬱な、弱い気持ちになる。頭が、腹が、すべてが抗おうとする。

 

「倒れてしまう」。母がイブラヒムに言う。「摑まってもいいかしら?」

 

イブラヒムがためらう。敬虔なイスラム教徒として、女性である母に触ることは許されていないのだ。ベルトに摑まるのをよしとする。

 

エレベーターホールで、警官の一人が粗野な態度で指を差す。「乗れ」。敵意がにじみ出る沈黙の中、2人は集中治療室のある階に上る。エレベーターのドアが開くと、母は治療室のまぶしい照明に足を踏み入れる。SWAT(特殊火器戦術部隊)の一員が弾かれたように立ち上がり、彼女の胸に向けてライフルを水平に構える。【次ページにつづく】

 

 

 

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