2016.09.30
ブルキニ禁止問題から考えたこと――よりよい共生に必要なものとは?
ここ数年、日本のビーチでは、「ラッシュガード」と呼ばれる水着の普及によって、長袖姿の海水浴客が圧倒的に増えてきた。
「ラッシュガード」のラッシュ(rash)とは発疹や吹き出物という意味で、擦り傷や日焼けによるただれから皮膚を守る(guard)ものというのが原義だそうだ。もともとはマリンスポーツでアンダーウェアとして着用されていたが、前あきでゆったりとした形のものが登場し、水着の上着として使用されるようになった。日焼けを嫌い、体形を人目にさらしたくない日本の女性たちにとって、顔や首筋まで覆うことのできるフード付きラッシュガードはまさに光明だっただろう。かくいう私もこの恩恵にあずかり、この夏、水遊びを楽しむことができた。
ところが同じ頃、フランスではよく似た形状の水着が、政治的・社会的な大問題をひき起こしていた。8月の中旬、フランスの海沿いにある20以上の市町村の長が、行政区内のビーチで一定のスタイルの服装、とりわけ顔と手足を除いて全身の肌を覆うかたちを禁止し、違反者に罰金を課す命令を出したのである。いわゆる「ブルキニ禁止問題」である。
ブルキニとは何か
「ブルキニ(Burkini)」はレバノン系オーストラリア人女性アヒーダ・ザネッティ氏が2004年に開発した女性用水着の商標である。同製品の公式ウェブサイトによると、制作のきっかけは姪のネットボールの試合を見に行ったことであった。だぶだぶのジャージの上下を着て頭にスカーフを巻き、暑さに顔を真っ赤にした姪の姿を見て、肌を露出したくないムスリム(イスラム教徒)の女性が気軽に着られるスポーツウェアが必要だと考えたという。ザネッティ氏は後に、ヒジュード(hijood)とブルキニという二つのブランドを打ち出した。
ヒジュードは「ヒジャーブ」と「フード」からなる造語で、フード式のヴェール・スタイルという意味である(「ヒジャーブ」は「覆い」や「遮断物」を意味するアラビア語で、現在ではムスリム女性のヴェールの総称となっている)。ヒジュードは、スポーツブラとフードがつながっているため、激しい動きをしてもフードが脱げないというのが売りである。バハレーン初の女性オリンピック選手となったルカヤ・ガスラ(Ruqaya al-Ghasra)さんが2008年の北京オリンピックで着たことで一躍知られるようになった。
ヒジュード。通常はこの上にさらにスポーツウェアをまとう。
一方、それ以前から話題になっていたのがブルキニである。2004年に発売されたブルキニも、やはり「ブルカ」と「ビキニ」からなる造語である。ブランドの公式ウェブサイトによると、その名には「ビキニのようにツーピース式で、ブルカよりもコンパクト」という意味が込められているという(同ウェブサイトでは、ブルカとは、「全身を覆うオーバーコート」と説明されている)。
ブルキニは、長袖のチュニック式の上着とくるぶしまでのズボンのツーピースが基本形である。ヒジュードと同じ仕組みで上衣とフードがつながっているため、首と頭髪が完全に隠れる。水着としての機能性も高い。速乾性があり、伸縮性の高いポリエステル生地でできており、軽量で、UPF(紫外線防止指数)50+だという。着用者の好みに合わせて、細身で上着の丈が短いものから、ゆったりとして丈の長いものまで、いくつかの形のバリエーションがある。
アヒーダ・ブランドのウェブサイト
ブルキニが禁止された理由
ブルキニ禁止問題が浮上したのは8月11日のこと。カンヌ市のリスナール市長が出した命令(2016年7月28日発令)に関する報道がきっかけであった。
市長令には、8月31日までのあいだ、「道徳観念(モラル)と世俗主義(ライシテ)を尊重し、海辺の公的な場所での遊泳に際しての、衛生と安全に関する規定を尊重しない場合、海岸に近づくことや、海水浴を行うことを禁止する。〔中略〕これらの原則に反する水着の着用も同時に禁止する」とあった。違反者には38ユーロの罰金が課されることも明記されていた。
この命令の中で、リスナール市長は、フランスがテロリストの攻撃の的になっている現状において、「宗教的帰属をこれ見よがしに示すビーチウェアは、(騒擾や衝突を引き起こすなど)公共の秩序を乱すおそれがあり、そうした事態は未然に防がねばならない」と述べていた。
この発言の前提となっているのが、この夏フランスで起きた二つの事件である。一つは、カンヌの北東約30キロにあるニースの町で起こったもので、7月14日、海岸沿いの遊歩道をトラックが突進し、80人以上が死亡したという残忍な事件である。もう一つは、7月26日に、北フランスのサン=テティエンヌ=デュ=ルヴレにある教会で神父が殺害された事件である。いずれも犯人は、北アフリカ系でフランス在住のムスリムで、イスラム過激派武装組織が関与しているとみられている。
海沿いの静かな避暑地で、二度とこうした事件が起こらないように、また、フランス的「道徳観念(モラル)と世俗主義(ライシテ)」を尊重するために、市内のビーチで「宗教的帰属をこれ見よがしに示すビーチウェア」を着用することを禁じたというのであった。
この判断は、同じく海沿いのリゾート地をかかえる市町村の首長たちの共感を得たようで、またたく間に多数の行政区で同様の措置が取られた。一方、この禁止令は、フランス人権宣言や1905年法、ヨーロッパ人権条約などが保障する、表現の自由や信仰の自由といった基本的自由の侵害だとして、行政訴訟を起こす個人や団体があらわれた。緊急審理の手続きが取られたこともあり、8月13日にはニースでの禁止令に対する判決が、8月22日にはヴィルヌーヴ・ルベの町(ニース西南)で8月初旬に出された同様の禁止令に対する判決が、いずれもニース行政裁判所によって下された。
どちらの判決も原告側(ブルキニ禁止令に対して人権侵害を訴えた側)の敗訴となった。興味深いのは、二つの禁止令の論理がそのまま判決文の中に用いられていたことである。
例えば、秩序の問題に関して、ニース裁判の判決では次のように述べられていた。ニースでのイスラミスト(islamistes)による襲撃事件などを受けて、非常事態にある中、カンヌのビーチでムスリムがそれとわかる衣服を着用すると、多様な信仰を持つ人々の中に緊張感が高まり、公共の秩序が乱される。よって、秩序の保持のために、人々の「自由」に一定の制限を設ける必要があるという、市長の判断は妥当であるというのであった。
ヴィルヌーヴ・ルベ裁判の判決文でも、ニースとサン=テティエンヌ=デュ=ルヴレの事件が言及されており、「過激派を連想させうるブルキニ」の存在が、ビーチの緊張感を高めており、公共の秩序を乱しているという主張がなされた。
後者(ヴィルヌーヴ・ルベ裁判の判決文)にはまた、以下のような記述もあった。「女性たちの一部は、ブルキニを自分の意志で信仰心を示すためにまとうのだと言う。(中略)しかし、それによって、女性身体を消し去り、女性の地位を低めるという、民主主義社会にふさわしくない状態が生まれているという見方もできる。」
ヴィルヌーヴ・ルベ裁判の判決文
終わらないブルキニ問題
ヴィルヌーヴ・ルベの一件は上訴され、8月26日、フランスの行政裁判における最終審裁判所である国務院の判決が下された。結果はなんと逆転。判決文に示された理由はこうである。
その服装がヴィルヌーヴ・ルベのビーチの治安を乱していると判断すべき根拠はなく、7月14日のニースでの事件を含む、テロリストの攻撃から生じた不安感があるということは、その服装を禁止する措置を法的に正当化する理由として十分ではない。よって、ヴィルヌーヴ・ルベにおける命令は、「移動の自由や良心の自由、人身の自由といった基本的自由に対する、重大で明らかな侵害にあたる」。
こうして、ニース行政裁判所による一審判決は無効となり、ヴィルヌーヴ・ルベ町長令の執行停止が言い渡された。
国務院の判決にもかかわらず、ブルキニ禁止措置をとっていた多くの市町村の首長はその継続を宣言し、政治家や有識者はこの問題を議論し続けた。ヴァルス首相は、8月26日に自身のフェイスブック上で国務院の判断への不満をあらわにし、こう述べた。「ブルキニを非難することは個人の自由への侵害ではない。女性を陥れるような自由はないからだ! (ブルキニに対する)非難とは、人を苦しめる退行的なイスラミズムに対する非難だ。」 https://www.facebook.com/manuelvalls/
カンヌ市のリスナール市長は、9月4日、個人のウェブサイト上に、自らがブルキニ禁止令を出した経緯と意図をあらためて説明する一文を掲載した(8月31日付)。その中で市長は、異なる信仰や背景を持つ人々がフランス共和国内で共有しうる「常識sens commun」を確立し、共生を果たすことの重要性を指摘した。
その上で、「フランス人の集団的無意識」の中で、ブルキニが何を意味するかと問いかけ、こう答えていた。それは、「ブルカ」と同じく、壁や布の中に閉じ込められ、他人に目を向けることができない女性こそが高潔で、その他の女性は「娼婦」だというメッセージを運ぶものである。そして、こうした考え方が流入すると、社会は変質し、国の平和と社会の発展は脅かされるのだ、と。 http://www.davidlisnard.fr/
共生に必要なものとは?――イメージとの決別を目指して
9月に入り、ビーチに人が集まることも少なくなった。フランスでのブルキニ騒動はひとまず収束したようだが、来年もまた夏はやってくる。同じ問題を繰り返さないために何が必要なのか、ここでは私見を述べてみたい。
ヴィルヌーヴ・ルベの裁判の判決文やカンヌのリスナール市長の言葉にあらわれているように、ブルキニには一定の否定的なイメージが付随している。一方で、(前者でも指摘されていたように)ブルキニやそれに類する服装を、自分の意志で、信仰心からまとうと主張する女性たちもいる。
そうした女性たちの思考回路や、その数が近年増えてきた背景については、(エジプトの事例であるが)拙著『神のためにまとうヴェール』で論じたことがある。教育の浸透やメディアの発達という現代的状況の中で、女性たちは宗教的な知識や意識により身近に接するようになった。その結果、日常生活の中でも「神」の存在や導きの体験を実感する機会が増えた。こうした状況が、彼女たちに「神のためにヴェールをまとう」という決断をさせた、というのがその筋書きである。ヴェール着用は、「過激派」とのつながりや「女性差別」といった言葉だけで説明しうるような単純なものではない。
リスナール市長やマニュエル・ヴァルス首相、ヴィルヌーヴ・ルベ裁判の判事をはじめとするブルキニ禁止令の賛成派/推進派に必要なのは、ブルキニ(およびそれに類する装い)に対する、固定的で否定的なイメージから一歩踏み出し、それを着用したいと望む女性たちを理解してみようという姿勢ではないだろうか。そして、彼女たちとも共有しうる、新しい「常識」を模索することではないだろうか。
一方、対するブルキニ支持派に伝えたいのは、問題がここまで大きくなった原因の一つは、「ブルキニ」という名前にあるということだ。その生みの親であるザネッティ氏は、一連の騒動のさなか、自分はキリスト教徒でも、ユダヤ教徒でも、ヒンドゥー教徒でも、皮膚の疾患に悩む人でも、産後すぐの女性でビキニを着たくない人でも、誰もが着られるものをつくりたかったと述べている。この考え方には大いに賛同するが、そのデザインのあり方や、ムスリム女性の衣服の名称として知られる「ブルカ」に由来する名前をつけたことで、この水着には「ムスリム専用」というイメージが定着してしまっている。
提案したいのは、こうした「イメージ」(固定的で否定的なイメージや、ムスリム専用というイメージ)と決別した水着で、肌の露出を好まない世界中の人々が採り入れられるような、ユニバーサルなデザインの製品を開発することである。その場合の名前は、例えば、オール・カバード(All-Covered)や、造語であれば、レセクスポージャー(Less-Exposure)、モデスーツ(modesty-suit)などだろうか。そのようなスタイルが確立し、普及すれば、今夏のような大騒ぎはもう起こらないであろう。
この点、上質でファッショナブルな「ラッシュガード」を考案し続けている日本のスポーツメーカーのみなさんの活躍にも、大いに期待している。
プロフィール
後藤絵美
西アジア・中東地域研究、イスラム文化・思想、服飾文化史。東京大学総合文化研究科博士課程修了。学術博士。平和中島財団奨学生としてエジプトに留学、カイロ・アメリカン大学女性・ジェンダー研究所に研究員として在籍(2003–5年)。日本学術振興会特別研究員(2007–12年)を経て、現職は東京大学東洋文化研究所助教(2013年- )。主著『神のためにまとうヴェール―現代エジプトの女性とイスラーム』(中央公論新社、2014年)、共訳『「女性をつくり変える」という思想』(明石書店、2009年)。