2016.11.29

ローコンテクスト社会で<通訳する>ということ――新潟県立大学「政治学入門」授業公開

田村優輝×浅羽祐樹

国際 #新潟県立大学#通訳

新潟県立大学国際地域学部では、「政治学入門」はカリキュラム・ポリシー上「共通基幹科目」として位置づけられていており、1年生後期に開講されている。2年次進学時に、4つのコースの中から「国際社会コース」や「地域環境コース」に進む場合、必修科目になっている。

入門科目という特性上、「国際政治学」「比較政治学」「計量政治学」「比較地球環境政治・経済」など2年次以降の発展的学習に向けて土台を築くことを目標にしている。同時に、コース選択はどうであれ、幅広い「教養」のひとつとして履修する学生も対象にしている。そのため、政治学であれ法学であれ、「見知らぬ街」にたどり着いたときに、まず「地図」を手にする体験とはどういうことなのか、についてもメタ的に伝えたいと考えて、シラバスを作成し毎回授業に臨んでいる。

その一環として、外交という「別の街」の第一線でプロフェッショナルに仕事をしている田村優輝氏(外務省アジア大洋州局地域政策課課長補佐)に「出講/出向」していただき、2016年10月12日に特別講義を開催した。その全容をお届けする。なお、田村氏の発言は個人的見解を示すものであり、日本政府の公式見解を反映するものではない。

●田村優輝「ローコンテクスト社会で<通訳する>ということ―外務省通訳担当官としての経験を踏まえて」

浅羽 今日は特別講義と題してみなさんにお届けします。外務省から私の尊敬する友人、田村優輝さんにお越しいただきました。 

最初に30分間、田村さんから「ローコンテクスト社会で<通訳する>ということ―外務省通訳担当官としての経験を踏まえて」と題してお話いただきます。続く30分間は、主に私が質問役になって田村さんとクロストークをおこないます。最後の30分間は、みなさんから質問をしてもらって田村さんにお答えいただく時間になります。貴重な機会ですので、質問を考えながら、積極的に講義に参加してほしいと思います。 

ごく簡単ではありますが、田村さんのプロフィールを紹介します。いま、ここにいるみなさんの多くは1年生だと思います。1年生のみなさんにとっては15歳年上になります。2001年4月に東京大学に入学し法学部に進学した後、2005年4月に外務省に入省されます。2007年から2年間イギリスで研修をして、ケンブリッジ大学で修士号を取得しています。その後、アフリカのガーナ、ガーナチョコで有名なガーナで2年間勤務して、2011年に帰国し、それからは東京にある外務省の本省で働いています。東京では総合外交政策局海上安全保障政策室、大臣官房総務課を経て、いまはアジア大洋州局地域政策課で課長補佐としてご活躍中です。課長補佐というのは、外務大臣の国会での答弁の作成を、実は田村さんみたいな方が担っている。同時に、今日お話いただくように、総理大臣や外務大臣の英語の通訳を担当しています。

学生のみなさん、本当に貴重な機会ですので、卒業後、国際的な舞台で働いている自分の姿を思い描きながら、いろいろなインスピレーション、ヒントを得る貴重な機会にしてくれることを願っています。拍手で田村さんを迎えたいと思います。

(この間、田村が浅羽の日本語を英語に訳出する逐次通訳をおこなう)

外務省通訳担当官のスクリーニング

田村 いま私が実演してみせたことがまさに逐次通訳で、誰かが話したあとでそのまま英語に訳すというものです。

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まず、そもそも通訳はどういうことをしているのか、誰が担当しているのかという話をします。外務省の通訳担当官は、若手から中堅の外務省員が担っています。よくニュースで、総理大臣や外務大臣の後ろのほうに黒っぽいスーツを着ている男性や女性がいるのがちらほら見えることがあると思います。あれが通訳で、実は外務省員です。実は、外務省員は通訳だけを専門にしているわけではありません。本来は別の仕事があるのですが、「君に今度通訳してもらいたい」と言われて、普段とは異なる仕事として通訳をするわけです。

私の場合、いつもは外務省アジア大洋州局地域政策課というところで、本業は南シナ海問題やASEANに関する仕事をしています。ですが、同時に外務省の通訳担当官でもあるので、通訳のときは普段の仕事とはまったく関係ない世界にいるわけです。最近でも、国連関係で海外の要人が訪日し、日本の政府要人との面会時に私が通訳をした時には、自分の普段の仕事とは異なる語彙を用いました。

外務省において、通訳担当官がどのように選ばれるのかについて説明します。国家公務員総合職試験、専門職試験に合格し、官庁訪問という面接プロセスを経て採用された外務省員は、入省時に必ずひとつの言語を選択することになります。「それはあなたの専門言語だ」と言われます。私の場合は「英語、それもイギリス英語だ」と言われて勉強をしました。他にもメジャーどころでは中国語、フランス語、ロシア語、韓国語といった言語もありますし、より話者が少ない言語ですと、たとえばラオス語です。東南アジアのラオスという国でしか話されていませんが、外務省には10人以上ラオス語の専門家がいます。その人たちは、まず文字を一から学んで、ラオスに行き、現地の大学で勉強して、そのまま大使館で勤めて、人脈を深めて……ということをしているんです。このように「少数言語」といわれる言語に関しても、通訳担当官がいます。

もちろん、外務省員が全員通訳をするわけではありません。外務省員は非常にシビアに語学の能力をテストされます。若手のうちは、年に一回「統一語学試験」を受験する必要があります。これは全世界共通――どの留学先でも、東京の本省に勤めていても――で、語学ごとにまったく同じ問題です。その答えをかつてはカセットテープ、いまはICレコーダーに吹き込む。一発勝負であり、ズルしないようにテスト会場には試験官がいます。その後、そのICレコーダーは、外国人の講師がいる外務省研修所に世界各地から集められ、全員が同じモノサシで「あなたはこのくらいの語学のレベルですね」と厳密に測られるわけです。

外務省員は1-2年間東京で働いた後で、さきほど話したとおり各人に決められた国で2-3年間研修する機会が与えられます。大学や大学院で学ぶお金は公費負担です。国が払ってくれるということは、当然のことながら税金に見合うだけの仕事をしなければいけません。2年間終わって使い物にならないのでは話にならない。したがって一生懸命勉強して、外務省員として使い物になるだけの語学力を鍛えるわけです。統一語学試験の結果、「このレベルなら通訳として使い物になるかもしれない」と判断される成績を取ると、東京に戻ったあと通訳としてのトレーニングが始まります。

その後、まず、比較的年次の若い国会議員の方々が就く、政務官や副大臣などの通訳を担当します。そして、ある程度場数を踏んで「この人ならやっていけるかもしれない」と判断されたら、「じゃあ外務大臣通訳として試してみるか」となるわけです。私の場合、「副大臣の通訳を」と言われて現場に行ったら、見知らぬ人がいました。その人は実は、私のパフォーマンスを見るためだけに現場に来ていた、天皇陛下の通訳をしている大先輩でした。そうやってシビアに私のパフォーマンスを観察し、上でも使える人材なのかを測っていくわけです。私は幸運にもパスすることができて、今では総理大臣や外務大臣といった方々の通訳を担当しています。

通訳の現場

外務省員がどんな場面で通訳をするのか。大きく分けて、3つのパターンがあります。

第1に、正式な二国間会談、たとえば首脳会談や外相会談です。よくニュースで、長いテーブルに向き合って総理大臣と先方の大統領や首相が会談をしている映像が流れます。このとき総理大臣の隣にいるのが通訳担当官です。多くの場合、「片方向・逐次」で通訳をします。「片方向」とは、たとえば「日本語から英語にするだけ」ということです。向かい側には別の通訳がいて、その人は英語を日本語にする通訳をします。反対に「双方向」、つまり両方の通訳をすることですが、首脳会談の場ではあまりおこなわれません。だいたいの場合は先方が自前で通訳を雇いますが、先方の言語を日本語に訳すことができる通訳が手配できない場合、外務省員同士が向かい合って通訳することもあります。

「逐次」の反対語は「同時」です。ニュースで、たとえばオバマ大統領が広島を訪問し記者会見を行ったとき、NHKなどで、ぶつぶつに途切れながらザーッと訳していく、低い小さな声が聞こえますよね。あれが同時通訳です。同時通訳というのは、その場で出てきた言葉を間髪なく訳している。その結果、プロの通訳でも、話していることの中で取れるのは、だいたい7割くらいといわれています。8割取れたらすごい通訳です。ある程度正確性を犠牲にしたとしても、発言をすぐ訳していくのが同時通訳です。これは時間の節約につながります。それに対して逐次通訳は正確性を期して、さきほど私が、浅羽先生がお話しになったあとで逐一訳したように、通訳対象者が話したすべての内容を忠実に訳すことが求められています。外務省員がしているのはほぼ逐次通訳で、同時通訳は民間で通訳を専門にしている方がおこなうことが多いですね。

「発言要領」「応答要領」という言葉があります。たとえば、日本ではあまり知られていないA国との間で首脳会談があるとしましょう。普段から総理大臣の頭のど真ん中にA国のことがあるわけではありません。ですから事務方は、総理大臣に対して、会談に先立ち事前勉強会をおこないます。その際に、ごく少ない時間ながら「今回来る人はこういう方です。こういうことがポイントです。ついては、こういうことをおっしゃってください」と「事前レク」します。このレクチャーする内容が「発言要領」です。こうして事務方は、トップに対して事前に筋書きを説明します。

しかし、往々にして筋書きどおりには進まないものです。一例を挙げましょう。冒頭の紹介で、浅羽先生が「ガーナ、チョコレートで有名な」とおっしゃいました。私たち2人は今回の講義のために事前打ち合わせをしていたのですが、私は浅羽先生が「チョコレートで有名な」と言うとは想像していませんでした。しかし実際に訳出するときは、「famous for Ghana chocolate」と付け加えました。筋書きどおりに進まないことは多くあります。むしろ、原稿を筋書きどおりに読む人はほとんどいません。だいたい自分のアドリブを入れる。ですから、元の筋書きをそのまま英語に訳して読み上げていては仕事にならないのです。

「応答要領」とは、「向こう側がこう言ってきたら、こう回答してください。しかしこちら側から積極的に言う必要はありません」というものです。簡単な例で言いますと、みなさんはオフィスアワーで浅羽先生を訪ねることがあるでしょう。訊きたい質問があってそれをぶつける。これは「発言要領」ですね。しかし実は1週間前に提出しなければいけなかったレポートをあなたは提出していなかった。そういう状況で浅羽先生に会ったときは、「レポート提出してないけどどうしたの?」と訊かれたらどう答えるか、あらかじめ準備しておく。たとえば「先週は忙しくて……いま8割くらい書いているところです」とか、そういう苦しいラインを用意しておくわけです。これがまさに「応答要領」の世界です。「発言要領」の内容は、読み飛ばさない限り発動されますが、「応答要領」は「向こうがこう言ってきたら、こう回答してください」というものですから、実際には使わないこともよくあります。

第2に、晩餐会や立ち話です。多くの場合、公式な会談のあとに設定されます。どういう話題になるかはわかりません。というのは、ごく少数の例外を除いて、事務方は社交の会食のための筋書きは書かないからです。社交の会話となるため、予測が難しい。そのため必要なのは、特に相手の国の歴史・文化・宗教などの予習です。さらに言えば、政治家というのは国内の状況、選挙の時期、選挙において与党がどれだけ勝ったのか、次の選挙でどのような得票が予測されるのかという話題が大好きな人たちですので、そういう共通の関心について予習しておくことも大事です。たとえば、ある国の首脳と話すときであれば、与党・野党の名称、前回の選挙結果、次の選挙はどういう展開になりうるのか。そういったことを当然予習しておかないと話になりません。「この話題は出てくるだろう」と思って予習しておいたら、向こうからその話題をふられて「やっぱり」と思ったこともありました。

こうした社交の会話のために、外務省では「話題集」というものを用意しています。正式な会談では出てこないけれど、晩餐会や立ち話などで提起されるかもしれない柔らかいネタ帳のことです。事前レクの際に、「こういう面白い話があります」「食事のとき、ちょっと柔らかいネタでこういう話はいかがでしょう?」みたいなことも一緒にご説明申し上げるわけです。そうした準備をしておけば、相手側も「このリーダーは、うちの国のことをよくわかってくれている」と当然嬉しくなりますし、いろいろな話題が盛り上がります。場合によっては、話題集のネタが契機となり、首脳間に個人的な友好関係が生まれることも外交の世界ではよくあることです。各国首脳の人柄をよく垣間見ることができる、とても面白い機会なのですが、通訳を除けばごく限られた人しか知ることができない世界でもあります。

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第3に、外交とは少し異なる「表敬訪問」というものもあります。たとえば、米国で知らない者はいない著名な起業家や、SNSの世界の有名人が日本に来たときに、総理大臣を短時間訪問することがあります。これが「表敬訪問」です。こうしたときの話題は、外交の話をするわけではないので、いままで以上にもっとわかりにくいものです。外務省員の守備範囲ではない話がほとんどです。会話の展開は読みにくく、そもそも一体どういう話題になるのかも予測しにくい。現場での反射神経がとても重要になります。それでも、たとえ準備ができないにしても、切り口はいろいろあるんですね。たとえば、その方をモデルにした映画があれば、もしかしたらその話題になるかもしれない。事前に観ておくと、その話題が出たときに大変助かります。

「表敬訪問」のときはどのように準備をするのかというと、準備期間はあって2-3日くらい。その限られた中で、テスト前の一夜漬けならぬ、二夜漬け、三夜漬けで準備をおこないます。もちろん訪問をアレンジする側は、その方と日本側要人が以前会ったときの記録を通訳に提供してくれますから、そこである程度会話の内容を予測することができます。たとえば共通の知り合いがいて、その話で盛り上がったのであれば、その知り合いは誰なのかを事前に調べることができます。

必要十分な準備をしておく

実際に通訳するにあたり、どのように準備をするのかをお話します。

基本方針は「必要十分な準備をおこなったうえで、現場でベストを尽くす」ということです。ただ、この「必要十分」がクセモノです。たとえば、さきほどの政治家同士の話であれば、その国の与党野党の名前を覚えることは必要なことです。しかし、その党の過去100年間の歴史や、大統領の親戚の名前まで覚えておくのは、たぶんやりすぎです。首脳会談でそういった話題になる可能性はゼロではありませんが、出る確率はほとんどありません。そういったことに関しては努力しない。それが「十分」という意味です。やりすぎてはいけない。時間がもったいないからです。使える時間はとても限られていて、ほかにもするべきことがたくさんあります。そもそも通訳担当官は、通訳業務だけでなく普段別の仕事もしています。もちろん家に帰って休んで、体調も維持しなくてはいけません。「必要十分」な準備をするためのバランスが求められるわけです。

準備時間は限られています。多くの場合は1-2週間の準備期間がありますが、私が過去に経験した最短の準備期間は1分間でした。1分だと、もう開き直るしかありません。なんとかその会談は失敗なくこなしましたが、いま思い返しても恐ろしい体験でした。二度とやりたくありません。ただ、こういう機会は非常に少なく、ほとんどの場合は準備のための時間が与えられます。限られた時間の中で何をするか。まずは、参考資料のうち「何を読み、何を読まないか」の取捨選択です。必要以上のことをやってしまうと、かえって自分の負担にもなるし、あまり意味がない。「必要十分」というのはとても難しいことです。

次に「通訳対象者のクセを事前に見抜く」ことです。最近はYoutubeがあるので楽になりました。たとえば、ある国の首脳は英語とは別の言語が母国語なので、英語で話す時には訛りがあります。その様子はインターネット上で探せばすぐに見つかるので、通訳の前に、どんな英語を話しているか、独特の言い回しや訛りなどについて事前に勉強することができます。私の同僚のフランス語通訳は、アフリカのフランス語圏にある国との首脳会談で通訳を任されることなり、会談までの2週間、通勤電車の中でひたすらYoutubeでその首脳が話す動画を聞いて耳を慣らしていたそうです。そのくらい万全を期さないといけないこともあります。

「発言要領の対訳」も準備します。日本側要人に「これを読んでください」という「発言要領」は事前に事務方から渡すので、その外国語訳は事前に作成しておきます。通訳は普段与えられない情報も、その瞬間だけは「完全情報」、すなわち通訳対象者とほぼ同じ情報が与えられます。通訳は秘密の管理をしっかりしないといけませんので、その際に何を見たのかは終わったらすぐ忘れないといけませんが、会談の瞬間だけは、とても秘密度の高い話にも一瞬だけアクセスすることが許されます。そうした中で、通訳するときには細かいニュアンスを訳すように注意しなければなりません。私が担当する英語でも、自動的に「こういうふうに訳します」とできたら楽ですが、残念ながらそういうケースばかりではない。何が適当な訳なのかを常に考えなければなりません。なにより元の日本語は、上の決裁を得ていく中でどんどん変わっていきますから、用意した対訳の修正も適宜必要になります。

さらには現場で、通訳対象者が筋書きにないことを話すケースもある。さきほどの例で言えば、まさに「ガーナチョコレートで有名な」がそれですね。私はそれに合わせて、元あった原稿に「こういうことを言った」とメモしていきます。もちろん通訳しているときに、すべてを書き取る時間はありませんから、自分だけにわかる記号で、手元のノートにメモをしていきます。その方法は人によって様々です。

「英日/日英単語集」というものも準備します。電子辞書はほとんどの人が持っていると思います。わからない単語が出たら電子辞書で引きますよね。しかし現場では、通訳に電子辞書を引く時間が与えられることはまずありません。ですので、知らない単語が出てきたら困るわけですね。そのために命綱として、出るかもしれない単語集をつくっておくんです。政党の名前とか、親族の名前、政治・経済・宗教用語など、すべて頭の中で覚えられるわけがありません。ですから、ポイントを絞って小さい文字でメモ帳のようなものを作り、資料の下のほうに隠しておく。聞き覚えのある単語が出てきたら、それで「あ、これ調べたぞ」と確認して、用意しておいた訳をそのまま読み上げるんです。事前に調べておいた単語のうち、20個中1個でも出れば大当たりです。1個も出なかったこともよくあります。しかし、これがあるとないとでは、現場での精神的な安定感がまったく異なります。それこそ試験本番に会場で、「あ、これ進研ゼミでみた問題だ!」となるようなもので、すごく安心できるんです。

「いざ本番」での振る舞い方

会談の本番で通訳が心がけることは何か。基本方針は「正確に、わかりやすく、テンポよく」です。

通訳として重要なもののひとつは、当然のことながら「正確性」です。通訳対象者が言ったことは正しく訳さなければいけません。これを間違えると、厳しい交渉の場合は、誤訳そのものが外交問題に発展するかもしれません。特に、人の名前、地名、数字で失敗すると致命傷です。私が知っている例では、民間の同時通訳の方が、「○○首相、今日はお招きいただきありがとうございます」と訳す際、あろうことか現職ではなく前の首相の名前で言ってしまうという事件がありました。しかも、その国の前の首相は、汚職で失脚した人だったんです。まるで我が国の要人が、前の首相に対して敬意を示したかのようになってしまい、すぐに「どういうことだ」と照会が殺到しました。通訳が間違えるだけでそういう恐ろしいことが起きてしまうんです。それだけ、人名、地名、数字は死活的です。「150億円支援します」とすべきところを「150万円」としてしまっても一発退場です。通常はメモを取らない同時通訳の方でも、数字と人名、地名だけはメモを取る人がほとんどだといわれています。

ただし、いくら正確だとしても、それを相手方が理解できなかったら何の価値もありません。場合によっては、通訳対象者が言ったことを多少丸めて、「実際はこういうことを言っていたんです」と意訳することがあります。政治家の先生方に特に多いのが、同じことを何度も言うことです。「Aです。Aでした。私もこういう経験があったんです。それでAだったんです」と、Aを3回くらい言うことがある。それを同じ順番で訳していったら通訳として失格です。相手にとって何がわかりやすいのかを考えると、そのAは1回にまとめられる。文脈上どのように整理できるかを瞬時に考えて、日本語から英語に訳すことが必要になります。これは英日通訳の際にはあまりないのですが、日英通訳で、日本語独特の表現があるときにはよく起きることです。

「わかりやすさ」ということで難しいのが、冗談です。会談で登場する冗談は、通訳にとっては非常に大きいプレッシャーになります。たとえば、総理大臣が冗談を言うと日本側の関係者が笑います。すると先方は「どんな面白いことを言ったんだろう」と期待するわけです。通訳の際にそのニュアンスが伝わらなくて向こう側が笑わなかったら、本当に切腹ものです。冗談が出てきたら、なんとしてもそのニュアンスを伝えなければいけないと考えます。

ずいぶん昔、伝説的な通訳の逸話で、某少数言語が使われた懇談でのエピソードを聞いたことがあります。日本側の要人が非常にわかりにくい冗談を言った。それでも相手に対して、冗談のニュアンスを伝えなければならない。そこでその通訳は、全部訳したあと、相手側に「これは冗談ですので、私が訳し終わったら笑ってください」と付け加えたそうです。これで相手がワハハと笑い出して、大団円……ということがあったといいます。もし英語で通訳がこれをやったら、その瞬間「打ち首」ですね。私にはできません。英語の場合、同席者の方もかなり英語を理解されることが多いです。会談が終わったあとで「田村君、あのときの訳だけど、こうじゃないの?」と指摘する人もいますから。こういう状況ですので、通訳をしていて冗談が伝わったら、僕の首はつながったなあ、と安心します。

最後に、現場では「テンポよく」通訳するのが大切です。基本的な原則としては、通訳対象者が「1」話したら、最低でも「1」の分量で収めることです。理想的には「0.8~0.9」で収めること。通訳が長々と話していると会談のテンポが失われます。逐次通訳の場合は、通訳が話している時間も会談全体の時間に含まれますので、通訳が時間を無駄にしてはいけません。通訳ができるだけテンポよくこなすことが会談の充実につながります。

「知る人ぞ知る」人になる

通訳担当官の心構えとはどういうものか。基本方針は「有名人ではなく、「知る人ぞ知る」人になる」ということです。

第1に、黒子に徹すること。外務省の伝説的な通訳といわれた、いま駐英大使を務めている鶴岡公二さんという方がいます。彼は「通訳の理想は存在を認識させないこと」という名言を残しています。「通訳がこう言った」とか「あの通訳がよかった」とか、そういう影すら見せないことが通訳にとっての理想であるというのが、鶴岡大使の指摘です。

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それでも、見ている人はしっかり見ています。たとえば、総理大臣がある国を訪問し首脳会談をおこなった際、私が通訳を担当しました。後日、まったく違う機会に、この会談のことが話題になったことがあります。東京でその国の外交官と議論しながら食事をしていたときに、向こう側から唐突に「そういえば君のこと知ってるよ。あのとき通訳していたでしょ」といきなり言われたんです。「なぜ知ってるのか」と訊いたら、「あのとき会談の記録係で、うしろでノートを取っていたんだ。だから君のことも知っているんだよ」と言われたんです。私はとてもびっくりしました。通訳をやっていることをその人に言っていなかったにもかかわらず、相手はそれをわかっていた。私自身はまったくの無名の人間ではありますが、外交のサークルの中で自分という存在や仕事ぶりが認識されていた。これは驚くとともに、誇りにも感じ、身が引き締まる思いもしました。これが、見ている人はしっかり見ているという意味です。名前が売れていて、プライバシーを切り売りするような有名人なのではない。一定のサークルの中で「あ、そこに君いたよね」「君、こういう仕事していたよね」と測られ、知られていく。これが「知る人ぞ知る」人という意味です。

第2に、「適度な緊張感と楽天主義」です。私は首相官邸や外務省で通訳をするとき、「これが最後かもしれない」「失敗してしまったら次がない」と自分に言い聞かせます。実際に、非常に英語がうまい先輩が、ある一回の会談での致命的な失敗が尾を引いて、その後通訳としては声がかからなくなったということがありました。「致命的なミスは絶対にしてはいけない」と緊張感を持って自分自身に言い聞かせますが、同時に、仮に失敗してもあとに引きずらないという楽天主義も重要です。会談の最中に明らかな失敗をすることは、私も何回かありました。同席者に訂正されて、「失礼しました」と訳し直したこともあります。その瞬間は「やっちまったなぁ」という気持ちになるのですが、そこで失敗したことを引きずると、残り10分20分も、間違いなくいいパフォーマンスにはなりません。

フィギュアスケートの世界でも、4回転ジャンプを試みて失敗する場合があります。羽生結弦クラスの人でも4回転は全部成功できるとは限りません。しかしその後でも、ステップのシークエンスとか簡単なジャンプとか、そういうところで超一流の選手というのは、着実に決めてくるわけです。その結果、ジャンプは失敗したかもしれないけれど、全体の総合点はいいスコアとなって、優勝することもある。失敗を引きずらないことは通訳にも重要です。

第3に、「ハイコンテクストをローコンテクストに」ということです。詳しくはクロストークの中で浅羽先生と一緒に話したいと思いますが、話し手の本意の理解、すなわち通訳対象者が何を言いたいのかを理解しなければ、それを外国語に適切に訳すことはできない、ということです。そのためには、どういう内容なのか、サブスタンスを正確に理解したうえで通訳しなければいけません。

複数の手札から最善のカードを切るために、日本語・外国語の表現を両方とも充実させることも必要です。たとえば「牽制する」という言葉が外交分野ではよく出てきます。文脈によって、どの英単語がいいのかを考えなくてはなりません。英語では、discourageという用語がありますね。それからcheckという用語もあります。discourageのほうが、ニュアンスとしては「そういうことはさせない」という非常に強いネガティブ感を示す表現に感じるのですが、checkだと「お前のことを見ている、わかっているんだからね」というニュアンスになります。自分の中にcheckという用語しかないと、「牽制」を通訳するときにcheckという用語しか出せません。それでは話した人の意図が必ずしも正確に伝わらないかもしれない。しかしそこで複数の手札を持っていたら、discourageという用語も知っていたら、現場では通訳対象者の意図を汲んで、2枚のカードの中からそのつど選択することができます。より正確になります。通訳同士の勉強会でも、「この表現は他にどういう言い方があるのか」をよく調べます。一つの用語に数パターンの用語を用意しておく。それを自分たちの手持ちのカードにしていく。そうすると、いざ現場に立ったときに「どれがいいかな」と選ぶことができる。通訳は自分の手札をなるべく増やす訓練をしています。

「アンテナを高く、視野を広く」ということも大事です。以前、たまたま飛行機の中で見ていた映画の話題が表敬訪問で登場し、結果的にうまくいったことがあります。外交と関係のない世界の話でも、どこかで役に立つかもしれないと思って、視野を広くして、いろいろな分野を見ておく。それが後々になって自分の身を助けてくれることが、通訳の仕事だけでなく何度もありました。

努力が報われやすい語学学習

みなさん、国際関係に興味がある人が多いと思いますが、全員が通訳になるわけではもちろんないし、国際関係の仕事をするわけでもありません。まったく関係ないことをやる人も多いことでしょう。まだ1年生で、これから何をすればいいかが決まっていない人もいるかもしれません。「国際的な舞台で働きたいなあ、活躍したいなあ」となんとなく思いつつも、自分が何をやりたいのかよくわからないという人も決して少なくないと思います。そうした人たちに向けて、私からちょっとしたアドバイスを贈ります。

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まず語学に限って3つの点をお話しします。第1に、「スタートラインに立つための基礎学力の充実」に努めてほしいということです。私は今までの人生で、「しっかりとした学問を受けていて日本語ではちゃんとした話もできるけれども、英語能力がない、あるいはとても不足しているために、まともな人間として扱われない」というとても悔しい思いをしてきた人たちを数多く見てきました。これを避けるためには、一定程度の語学力が絶対に必要です。これは、みなさんがこの先どの分野に進もうとも当てはまることです。英語であれ、中国語であれ、ある程度のレベルに達していないと、足切りを食らう。相手から「まともに話せないよね、この人は」と見限られてしまいます。

これは非常にもったいないことです。「ある程度のレベル」というのは人にもよるのですが、まずはそのレベルに達しないとどうしようもないところがあります。特に英語ではその傾向が顕著です。なぜなら英語は全世界の人が勉強しているからです。もちろん出身地によって英語の訛りがある場合もたくさんありますが、一定程度の水準に達していれば意思疎通はできます。単なる「国際交流できてよかったね」だけだったら別に構わないのですが、ちゃんとした仕事を持ち、英語を使って考える、英語を使って意思疎通をする、英語を使って商売をするということになると、やはり一定程度の水準に達しないと話になりません。在学中にまずはそれをクリアすることを目指すのが一番てっとり早く、同時に、多くのみなさんにとっておそらく最後のチャンスになると思います。

第2に、「語学力そのものよりも、その語学を用いて何を語れる人物となるか」です。語学ができるだけではダメで、むしろその語学を使って何を話すことができるのかが重要です。その意味で、語学学習だけを目的とした短期留学はあまりオススメしません。語学を使って何を言うのかを意識しないと、「英語ができるようになったね、よかったね」で終わってしまうことが多いからです。自分が勉強したいこと、卒業して何をしたいのかにもよるでしょうが、英語は単なるツールにすぎません。その道具をどう使って、自分のしたいことに活かしていくのかがより重要です。単に言葉ができるだけでは、どんなに流暢であっても、相手から「あいつは中身がないな」と簡単に見切られてしまいます。

第3に、「日々の努力が結果に結びつく可能性が他の分野に比べて比較的高い」ということ。みなさん、もう気づいていると思いますが、日々の努力が必ずしも結果に結びつくとは限りません。社会に出ると、その傾向はより顕著です。頑張ったこと自体が評価されるのは、せいぜい大学か、本来高校までです。そこから先は、どんなに頑張っても成果が出ないこともあれば、ちっとも頑張らなくても運がよくて成果が出て、「君の手柄だ」となることもある。ある意味とても不公平な世界に、みなさんは飛び込んでいくことになります。ただ、そんな中でも、語学の勉強は、比較的努力が結果に結びつく世界です。やればやるほどできるようになる。努力した分、費やした時間にほぼ比例して語学の能力が上がっていく。これは一見フェアなように見えて、実は怖いことでもあります。語学力は、やらないとどんどん落ちていくんですね。言葉はすぐ錆びついてしまう。前はできたのに、いまできないのは、努力を続けていない自分自身のせいになるからです。

正しく努力する

もうひとつ、語学に限らず、将来についてのメッセージを3点お伝えします。

第1に、「「ハイコンテクスト」の世界で生きていける時間が有限という自覚」が切実です。身内だけがわかる用語、説明しなくてもなんとなくニュアンスが伝わる、そういった世界で生きている状況を「ハイコンテクスト」と言います。これに対して「ローコンテクスト」というのは、しっかりと説明しないとわからない。まったく前提知識がない相手に対しても、「どういうバックグラウンドがあって、だからこういう話なんですよ」ということを説明しなければいけない状況のことです。このローコンテクスト/ハイコンテストを意識するかしないかで、これから大きな差が出てくると思います。

みなさんは新潟県立大学にいます。新潟駅や中心街から離れているかもしれませんが、キャンパスはまとまっていて非常にしっかりしている大学です。生協もあって、学食に行くと「豆乳頂上決戦」という面白そうな企画もやっています(笑)。ですから、大学内のグループとしては楽しめる環境にあると思うのですが、この時間はすぐに終わってしまいます。その先は、そういう仲間内だけでわかる言葉で仲良くできるのとはほど遠い世界になります。それだけでなく、いま、この瞬間も、一歩外に出るとすでにそうなんでしょうね。このことを自覚するかどうか、1年生の時点で「その先」や「一歩外」に目を向けるかどうかで、今後の大学生活や人生のチャンスが大きく変わってくると思います。

第2に、「限られた準備時間の中で「正しく努力する」ことを意識する」ということです。さきほど、通訳の準備の中で「必要十分」という話をしました。必要な努力はありますが、やりすぎは何の意味もない。そのとき、その場で「必要十分」を着実に積み重ねていく。これはみなさんにとっても似た世界があるのではないかと思います。たとえばある分野を学ぼうとするときに、誤ったことが書かれている本は世の中に溢れています。そういう本を最初に手にとってしまって「すごいこと書いてある!」と思って読んでしまったら最後です。そこから修正するのはなかなか難しい。その先に待っているのは、誤った内容について「そのとおりだよね」と少人数の蛸壺のグループの中で盛り上がって、スタンダードからどんどん離れていってしまうことになるでしょう。したがって、まずは正しい努力をすることです。

みなさんが使っている、指定された教科書には、過去100年から200年の間、学者たちがいろいろと検討し合った結果、「おそらくこういうことが正しいんだろう」という結論のエッセンスが詰まっています。教科書を読むことは実にコストパフォーマンスがよいのですね。逆に、そうではないものを先に読んでしまって、軌道修正がきかず、失敗してしまうということがあります。これはもったいないことです。せっかく大学で学んでいるわけですから、しっかりとスタンダードなものに当たってください。

第3に、「有名人ではなく、「知る人ぞ知る」人になる」ということです。通訳の世界に限った話ではありません。みなさんは今後、いろいろな分野で生きていくことになると思います。その中で、自分のプライバシーを切り売りして、不特定多数に対してインターネット上で有名になっていくのではなく、自分の専門領域の世界で「あの人はここが本当にすごい」と知られる――それは少人数の間なのかもしれませんが――そのサークルでは、「この分野ではこの人だ」と一目置かれるようになることが、私が志すキャリア像です。

ほとんどの有名人はすぐに飽きられます。プライバシーを売るのには限りがありますし、刺激もなくなっていきます。その結果、最後は見捨てられてしまうだけです。数年前は頻繁にテレビに出ていたのに、いまはまったく見かけないタレントが少なくないことをみなさんも知っているでしょう。一発芸で一度は売れるかもしれませんが、そのあとが続かない。どんどん過激になって、テレビで使いづらくなっていく。そういう「単なる有名人」は賞味期間が短いものなんですね。ですから、みなさんも今後生きていくうえで、プロとして仕事をして、自分の専門のサークルの中で「知る人ぞ知る」人になることを目指してみてはどうでしょうか。

私の話は以上でおしまいです。これから浅羽先生とのクロストークに移りたいと思います。

●田村優輝×浅羽祐樹「クロストーク」

プロは人前では足バタバタを見せない

浅羽 田村さん、ありがとうございます。どうしても1年生だったときのことを思い出しますね。僕が大学1年生だったのが1995年、いまから21年前ですが、当時この話を聞くことができていたら、僕のその後の進路、「いま、ここ」は変わっていたかもしれない。そんな人生を変えるチャンスになるかもしれない話を、今日みなさん聞いたんだと思います。

ちょっとびっくりしたのは、ネタばらしを自ら進んでしてくれたということです。僕ら2人のあいだで最初にどう紹介するのか、について事前に打ち合わせをしていたんですね。黙っていてもみなさんにバレていなかったと思うんですが、なぜあえて手の内を見せてくれたんですか。

田村 多くの場合、まったく事前勉強なしに通訳をする機会というのはありません。特にお金をもらっているプロの通訳の場合は、事前に「こういう文脈なんです」と情報を与えられて、その中で勝負をすることがほとんどです。まるで何も無いところから魔法が出てくるように英語に訳されたように思ったかもしれませんが、浅羽先生と一緒に入念に打ち合わせしていました。とはいえ、いくら準備しておいても、それだけでは対応できないこともあります。アドリブの話がまさにそうですね。そういったところでもパッとその場で対応するという、「準備」と「現場対応」という2つの要素があるので、あえて背景を紹介しました。

浅羽 意地悪なので田村さんを試そうとして、「ガーナチョコで有名な」と入れてみたんです。「どう訳すかな」と僕もつぶさに見ていました。通訳をする際にも、チェックする人がその場にいることがあるということでしたが、それをこの場でも実演してみたんです。見事な対応で、さすがだな、と感服しました。

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田村 浅羽先生は意地悪なので、絶対にアドリブを入れてくると思っていました(笑)。「何が出てくるのかなあ」と思いながらメモを取っていました。あらかじめ訳していたものは手元にありますが、それだけだと信用できないわけですね。実際にどのように通訳対象者が話したのかをちゃんと見ておかないといけない。その中で、耳にひっかかるものがあったら、「これは!」と思ってメモをする。たぶん「GC」としかメモしていないんですけど。

浅羽 それが自分にだけわかる「言葉」、ノートの取り方なんですね。

田村 「ガーナチョコレート」の頭文字をとってGCと書きました。

浅羽 最後、食堂を見てまわったというのも何気ない話のようで、実はすごい準備なわけですよ。この講義の前に、キャンパスを一緒に一周しました。「この施設がこうで、出身高校はこんなレベルで、卒業生はだいたいこんなところに就職して、教職員はこんな感じです」とそれこそ「事前レク」を申し上げたのですが、それが全部今日の話に盛り込まれていました。驚きです。

田村 どういう相手に話をするのか事前に確認して準備します。金太郎飴のように同じ話だったら面白くないですし、みなさんにとってどういう話が面白いのかをまず考えます。これにすごく近いのが政治家のスピーチです。

選挙の応援演説で、とても有名な政治家が来ますよね。新潟県だったら知事選が今度あります(注:本講義は新潟知事選の4日前に実施された)。「県知事候補のために誰々先生という有名な国会議員が来ました」ということで、普段テレビでしか見ないような有名な人が新潟駅に来る。そういう人たちはとても選挙慣れしているので、どういうことを話せば選挙民に響くのかを熟知しています。たとえば、私と同年代でとても人気のある若手の政治家がいますが、彼はただ単にかっこいいから人気なのではなく、現場がどういうことを言うと盛り上がるのかを事前に分析しています。彼は地元トークを絶対に入れます。地元の名産品、特産物で、こういうものがおいしいという話や、ぱっと地元の方言を入れて話す。すると「あの彼が新潟弁で話した!」とみんなが盛り上がるんですね。そういうところで関心をつかんでいるわけです。私は政治家ではありませんし、今日は講義をしているわけですが、そんなときでも「観客」「顧客」がどういうバックグラウンドの人なのかは常に事前に調べて準備しています。

浅羽 いざ本番に臨む前に予習しておく、準備を徹底するということがいかに大切か、ということですね。同時に、「手の内を晒すことはまったく怖くない」ということも示してくださいました。とはいえ、準備している姿は普通どこまで明かしていいのでしょうか。今日はあえて示されたのだと思いますが。

田村 職場ではまずしないですね。プロの仕事は準備していることが当たり前で、準備の結果だけで評価される世界なので、「これだけ準備していたんだよ」と話す人はほとんどいません。そうしても何の意味もないからです。ただ、今回の場合は目的がちょっと違って、通訳のパフォーマンスをすることではなく、舞台裏、楽屋を公開することが目的だったのであえてこういうかたちを取ったというわけです。

浅羽 田村さんと知り合って数年になります。こういう場でコラボレーションさせてもらったのも、4年半ぶり2回目なんですね(前回の講義録は「「航行の自由」と陸での「船」造り」【PDF】として公表している)。今回も準備していただくにあたって、何度か往復する中で、最後の段階で新潟県立大学の学生、それに教職員に対象を絞って、何かメッセージを伝えてください、と無理なお願いをしました。目前の相手だけでなく、発注主にも応じてカスタマイズする。そういう姿勢を今回も示してくださって本当にありがたいです。

田村 私もこういう話をするのはとても好きなので、ぜひ機会があれば3回目にも呼んでいただければと思います。

浅羽 こちらこそお願いします。普通はなかなか足をバタバタさせているところって見られないじゃないですか。フィギュアスケートのたとえ話をしてくれましたが、練習の光景はなかなか公開されないですし、苦労話も引退後にようやく語られるものです。そういう場面を今日あえて語ってくださったので、学生のみなさんには、本番に臨む前にどれだけのことをして、あたかもそういう準備をしていなかったかのように振舞うというのを見てもらえたと思います。

田村 どれだけ準備してもネタを拾えないと意味がないわけですね。たとえばさきほどキャンパスを見せていただいた中で、「豆乳頂上決戦」って面白そうな企画をしていることに気づきました。しかもラーメンは200円。私がいた大学だとラーメンは300円台後半でしたので、「安いなあ」と思っていました。また、その時間は空コマだったんですね。多くの人は授業がなくて、3—4人のグループが食堂でしゃべっていました。そこから「おそらくこの大学の学生は休み時間になってもキャンパスの外には出ないだろう」ということが推定されたわけです。私は今回、新潟駅からバスで大学まで移動しましたが、ロードサイドの風景が一面に広がっていました。大学のキャンパスを出たところになにかお店があるようには見られなかった。そこから想像するに、学生のみなさんはキャンパス内、このグループの中で非常に仲がいいだろうということは短時間の観察でもある程度推測がついた、というわけです。

ハイコンテクスト⇔ローコンテクスト

浅羽 「ハイコンテクスト」について、「自分たちの間では説明なしに伝わる、身内だけで通じる言葉やルール」と話してもらいました。まさに大学にいる間、みなさんがいる環境というのは、そういう「濃さ」があると思うんですね。独特の言葉――たとえばCASECって何のことか、田村さん、わかりますか?

田村 まったくわかりません。

浅羽 こういうズレがあるわけですよ。CASEC(「キャセック」と新潟県立大学の中では何の注釈がなくても誰でもそう読みます)って、いま、ここにいるみなさんにとっては重要ですよね。1点でもスコアを上げたいと。TOEICの模擬試験みたいなものなんですけど、文脈が変わればまったく通じない。こういうことがまさにハイコンテクストってことなんですよね。

田村 ハイコンテクスト、ローコンテクストの話をするときに注意しないといけないのが、どちらのほうが良いという話ではないということです。自分たちの中でとてもわかりやすい話か、それともできるだけ万人に、日本国内だけでなくて、いろんな人にとってわかりやすいことなのかということがハイコンテクストとローコンテクストだとひとまず理解してください。

最近の映画だと、『シン・ゴジラ』。これはハイコンテクストの極みのような映画です。私はこの映画が大好きで、2回観ました。多くの日本人は東日本大震災を経験しています。自衛隊に対して理解があり、日本政府がどのように対応するのか、ある程度わかっています。そういう人が観たら、すごく面白いし、よくわかる。ゴジラ第二形態、いわゆる「蒲田くん」が川をのぼっていくとき、一切合切をなぎ倒し、飲み込んでいく。多くの日本人は東日本大震災のときの大津波を想起したはずです。その恐ろしさは現代の日本人にはわかる、極めてハイコンテクストな映像です。ですが、たとえば、同じシーンを観たアメリカ人のほとんどは、「汚い川から水があふれている」くらいにしか思わないでしょう。『シン・ゴジラ』をつくった庵野秀明総監督は、そこに焦点を絞って、極めてハイコンテクストな作品に仕上げたことで、日本国内で大きな成功を収めたのだと思います。

浅羽 狙いさえ間違わなければ、ハイコンテクストで攻めたがゆえの興行的な成功はありうるという話ですよね。

田村 それは十分ありえると思いますね。いい悪いという問題ではなく、あくまでどこに狙いをつけるのか。自分の立ち位置はどこで、どういう方法で狙っていくのかということです。

ハイコンテクストの話をしたのでひとつローコンテクストの話をすると、羽海野チカさんの『3月のライオン』というマンガがあります。最近アニメ化されましたが、非常にうまくローコンテクストの文脈をつないでいる作品だと思います。基本的には将棋の話なんですね。しかし多くの人にとってプロの将棋の世界というのは非常になじみの薄い、本来はハイコンテクストな話です。「あの一手で勝敗がついた」というように棋譜のディテールに入り込んでしまうと、羽海野チカさんのタッチで描いたとしても、おそらく多くの読者層が理解することは難しい。しかし、この作品は、将棋がわからなくても、勝負の綾とか、面白さ、厳しさといったものをとてもうまく万人に伝えるために、いろいろな仕掛けをしています。その結果、興行的な成功にもつながっているという点で、よくできたローコンテクストの鏡みたいな作品だと思います。

「いま、ここ」の「先」や「外」

浅羽 ひなちゃん、かわいいですよね~。それはともかく、私たちは「いま、ここ」で、2016年、日本で新潟という地に生きていますので、必ず文脈があるわけですよね。その中で、たとえばCASECの点を上げるとか、韓国語能力試験で級をひとつでも上げたいとか、コンテクストが濃いわけです。それと同時に、CASECというのは学外ではまったく通用しないということを、いまの時点で知っておく。そういう姿勢が大事ですよね。

田村 そのとおりだと思います。新潟はある程度の規模の都市で、人口も多い政令指定都市です。産業もあり、たとえばサッカーJ1のクラブチーム「アルビレックス新潟」もあります。しかし新潟から一歩外に出ると、アルビレックスは聞いたことあるかもしれませんが、レオ・シルバというボランチがすごい選手だということは意外とみんな知りません。あるいは「柿の種」「ハッピーターン」は知っていても、それが亀田製菓という新潟の超優良企業がつくっていることは、意外と日本国内、東京でも知られていないわけです。ほかの例だと、「瑞花のうす揚げ」は新潟の銘菓ですよね。私も好きで、今日もお土産に買って帰るつもりです。ただ、新潟の人がどれだけ美味いと思っても、それだけだと、新潟ローカルで終わってしまうことになりかねません。

みんなが当たり前だと思っていることも実はそうでもない。日本の中でもまったく文脈は一緒ではない。みなさんの中には新潟で就職する人もいると思いますが、新潟を離れて仕事に就く人も多いはずです。卒業後に出ていく世界というのは、自分たちと文脈が共有できないローコンテクストな社会ですし、そこで人生の大半を過ごすのではないか、ということです。

浅羽 でも、いま、なかなか実感できないし、クラスタの違う人とは直接知り合いにはなりにくい。東京には行けないし、ましてやニューヨークは行けないときに、ここ新潟にいて、4年間自分の足で踏ん張りながら、新潟以外、あるいはその先を考えながら過ごしていくにはどうすればいいでしょうか。

田村 やはり一番大事なのは、いまここにある新潟県立大学で使えるものをフルに使うということだと思います。先生と大学内を見てまわった中で面白いと思ったのが、SALCという施設です。英語で会話ができて、英作文を見てくれるチューターがいる。私がみなさんの立場だったら、SALCに入り浸りますね。ほとんど毎日のように利用するかもしれません。

なぜか。新潟県立大学を出たら、これはめちゃくちゃお金がかかることなんですよ。民間の英語教室に行って、ネイティブあるいはネイティブ並みの英語力を持つ人に、きちんとしたフィードバックを受けるには、たくさんのお金が必要です。そして多くの人は社会人になるととても忙しい。そもそもお金もかかるし忙しい中で、そんなことやっていられるか、となります。そうすると語学を磨く機会がどんどん失われていく。ところがみなさんはいま、比較的時間があります。それにSALCは無料なんですよね。だったら、私ならもっと利用するな、というのが個人的な感想です。

浅羽 これですよ、みなさん。自分が学んでいる環境のコンテクストのハイとローですよね。僕もまったく同感で、僕も自分が書いた論文の要旨を見てもらうときはものすごくお願いをして、「本来先生のものは見れないんです」「そこをなんとかお願いします」と、拝みに拝んで見てもらっています。みなさんは、いつでも可能ですよね。卒業後だと、お金も時間もかかります。他大学でこんなサービスがあるか。やっていません。ほとんどの大学にこんなサービスはありません。僕は毎日SALCをのぞくのですが、みんなDVDを観ているんですね。DVDを観たって、もちろん構わないんですけど、「もっと頼るべきはチューターの人でしょ」と声を大にして小一時間言いたいですね。ものすごくハイコンテクストなんですよね、学んでいる環境そのものが。

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田村 多くの人は宝の山にいると、それが宝の山だとはわからない。その宝の山から去ったあとになって、自分がいたところはなんて恵まれていたんだろうと初めて気づくことが、残念ながらよくあります。私も「大学時代もっと勉強しておけばよかった」といまになって少し後悔しています。私は法学部でしたが、法律以外の勉強ももっとしておけばよかったなと。ですが、こういう話は、ナカにいるとまったくわかりません。私もかつてそうでした。みなさんもおそらく「えっ、そうだったのか」と、いま気づいた人もいるでしょう。だからこそ、ハイコンテクストだけで生きるのではなく、ときにはまったく部外者だけの話を聞くのもそれなりに役に立つのだと思います。

≪他者≫にどう向き合うのか

浅羽 まさに、みなさんにとっては、田村さんがそうしたソトの人ですね。田村さんは国際舞台の第一線で、本業のプラスアルファとして英語の通訳を担当されています。「日本語から英語」「韓国語から日本語」といった、いわゆる「通訳・翻訳」ではなくて、文脈を異にするローコンテクストな社会の中で、必ずしも何かを共有していない≪他者≫に対してどう向き合うのかという意味での<通訳する>というのはどういうことなのでしょうか。

田村 さきほど新潟の特産品が外で通用しない、あるいはわかっている人が少ないということを話しました。卒業後、東京や大阪に行き、そこで出会う≪他者≫に対してどう向き合うのか。簡単に言うと、出汁醤油の「越のむらさき」が美味いということをいかに県外の出身者に伝えられるか、ですね。新潟県民以外で「越のむらさき」の美味さを知っている人はあまり多くありません。その美味さを伝えるとき、「美味い」と連呼するだけではダメで、まして売り込みたいのであれば、何が美味いのか、どういう料理にしたらいいのかを伝える言葉や技術が必要になります。実際、「越のむらさき」のウェブサイトにアクセスしたら、「この醤油を使ってこんな料理ができますよ」というレシピが50くらい紹介されていました。「ここはちゃんとハイコンテクストをローコンテクストにする努力をしている企業なんだな」と感じました。

浅羽 私と田村さんが生きている世界はかなり異なっていて、普通にしていたらなかなかクロスしないと思うんですね。今日のコラボも、ある種の「通訳」「交渉」の結果として実現しました。1年生のみなさんにとって、コンテクストの異なる人と出会い、そういう場所にアクセスすることはなかなか難しいと思いますが、何かヒントをいただけますか。通訳や翻訳に向けた「窓」みたいなものは、どうすれば獲得できるのでしょうか。

田村 「窓を見つけたらとりあえず飛び込んでみる」くらいの姿勢でいいのではないかと思います。言い訳はあとですればいいので、何かチャンスがあったら臆せずに飛び込んでみることです。今日はいろいろと厳しいことも言いました。たとえば、まっとうに勝負させてもらえるためにはまず基礎学力が重要であるとか。自分の語学力は足りていないかもしれないという不安は当然あると思います。しかし失敗を恐れないで、その中で自分は何ができるのか、あるいはやっていくうちに、何が足りないのかがわかってくるかもしれません。

通訳の世界の中で、私には大きなコンプレックスがありました。私は帰国子女ではありません。多くのみなさんと同じように、12歳でABCから学びました。この世界で、帰国子女、つまり幼少期にアメリカやイギリスで過ごしてきた人の英語表現と、中1から英語を学んだ私の表現では、どうしても差があります。私が聞いたこともないような表現をいろいろと知っている。そういう人が同僚にたくさんいます。それでも、この世界でなんとか私が生き残ることができたのは、自分自身の比較優位――他の人に比べて優っているところを武器にできたからだと思っています。私にとってそれは、日本語の能力です。帰国子女の同僚に比べて英語はできないかもしれませんが、日本で中学・高校・大学と教育を受けてきた中で、彼らが得ていないものを自分は確実に得ている。日本語から英語へ、英語から日本語へと通訳をする中でも、確実に自分のほうが上回っているという自信をどんどん磨いていくために努力しました。

英語と日本語、それぞれ複数の手札を持つことについてお話しました。英語だけではなく、日本語でどういう表現ができるのかも通訳の世界で死活的に重要です。その日本語表現は、ひょっとしたら中学・高校・大学で日本にいなかった人にはできないものかもしれない。私たちが英語のネイティブや帰国子女をうらやましいと思うように、彼らも私の日本語能力をうらやましいと思っているかもしれません。そう思うと気が楽になって、「これを強みに生きていく通訳になろう」と思うようになりました。これは私自身の経験で、自分のほうが劣っているところはもちろんありますが、「この分野だったら比較的勝負ができる」というものがあります。そこで勝負を賭けること。そのことが私にとって重要でしたし、みなさんにとってもヒントになるかもしれません。

浅羽 「正しく努力する」ということですね。

田村 まさにそうですね。この段階になってくると弱点の克服はあまり意味がなくて、ほかの人に比べて自分がどれだけ強いのか、強くなりうるのかというところに投資を集中させることが欠かせません。みなさんも今後、そうした局面に直面することになるかもしれません。

●新潟県立大学学生×田村優輝「質疑応答」

スタンダードをまずは手にする

学生A ケンブリッジ大学での研修期間をどのようにお過ごしになったんですか。

田村 私はケンブリッジ大学の修士課程に入って、1年目は地域研究、2年目は歴史学の勉強をしました。日本で所属していた学部は法学部でしたが、あえて法律と違う分野にしようと思ったのも、「引き出し」の多さを意識したからです。地域研究では東アジアに関するテーマで修士号を取得しました。大学院の休暇期間に、欧州諸国をバックパッカースタイルでひとり旅したのもこの時期です。直接外交には結びついていないかもしれませんが、ネタとして、そういう引き出しを持っておく点では、とても貴重な経験になりました。

学生B 通訳は、プレッシャーのかかる仕事ではないですか。一回失敗したら明日どうなるかわからないという厳しい環境は、精神的にもキツいと思うのですが、それでも続けることができている理由と、そもそもなぜそういう仕事に就こうとしたのか、教えてください。

田村 外務省で通訳業務を担当することで金銭的に得られるものがあるかと言えば、特別な手当があるわけではありません。さらに通訳をしている間はデスクを離れなければならないので、「やれやれ、ひと仕事終わった」と職場に戻ってくると、机の上には大量の書類があって「これがお前のいない間に溜まっていた仕事だから早くやれ」となります。にもかかわらず、なぜやるのか。理由はシンプルで、面白いし楽しいから。それに尽きます。

こんなことでもなければ、30歳過ぎの若輩者が、総理大臣や外務大臣の隣で通訳をしたり、首脳間のやりとりを聞いたりする立場になることはまずありません。それに、「うまくいったな」というときの達成感はなかなか癖になります。「通訳するのが嫌でたまらない」という人は、しないほうがいい仕事だと思います。しかし、うまく通訳できた瞬間が楽しい、また面白いネタが増えたと思える人にとっては、こんな魅力的な仕事はないのではないかと思っています。

そして、なぜ外務省に入ったのかという質問ですが、私は高校生の頃、世捨て人になりたいと思っていました(笑)。大学に入って、ずるずる留年を重ねて、女の子と同棲して、授業にもぜんぜん出ないで……みたいな。しかし、高校生3年生のときに未来を大きく変える出来事があったんです。イギリスのイートンカレッジというところに、2カ月ほど交換留学する機会がありました。いわばイギリスで最もいい男子校です。そこで同年代の17歳の男子は私とこうも違うのか、と痛感させられたわけです。彼らは、自分がイギリスで最もいい教育を受けていて、親が年間300~400万円を自らの教育費に費やしていることをよく理解していました。先生からもことあるごとに「お前たちはイギリスで一番いい教育を受けているんだ」と叩き込まれていました。「一番いい教育を受けている自分たちは、社会に出たらその分を還元する義務、ノブレスオブリージュがある」と彼らは言っていたんですね。同じ17歳の男子の私は、世捨て人になりたいなんて恥ずかしくて言えなくなっちゃったんです(笑)。

日本に帰ってきて、イギリスとは状況が違いますが、東京大学に進学する中で、自分にも何かできるのではないか、何かしないといけないのではないか、と思うようになりました。私は外国語が比較的好きだったこともあり、いろんな世界を見てまわれる仕事ということで、外交官を選んだわけです。

学生C 通訳をする際に小さい努力を地道に積み重ねているということでしたが、努力をするときのモチベーションを生み出すのは何なのか、伺いたいです。

田村 私の場合、通訳の準備をするモチベーションは2つあります。「失敗できない」という恐怖心と「やっていてよかった」という感覚です。通訳は、まったく知らない単語が出てきて詰まってしまったらどうしようという恐怖心と常に戦っています。どんなに準備をしても避けがたいもので、可能性はゼロではありません。それを少しでも取り除くためには努力するしかない。そのうえで、事前に準備していた内容が通訳の本番で出てきた時は、内心「これ、言うと思ったんだよね」と思いつつ、あたかも何事もなかったように冷静な顔をしながら訳す。これはすごく気分のいいものです。これに快感を覚える人は、通訳としてかなり向いているタイプだと思います。

学生D 最後にお話いただいたメッセージの中に、「限られた準備時間の中で「正しく努力する」ことを意識する」とありました。努力しすぎもダメだし、やらなかったらもちろんダメだとおっしゃったんですが、「正しく努力する」ラインを見極めるコツはありますか。

田村 すごくいい質問だと思います。そこがわかりにくいことが、努力の難しいところです。

みなさんが授業を受けて、試験に臨むときも、「どこを、どれだけやればいいんだろう」ということは常に迷うことだと思います。一番いいのは授業をしっかり聞くことです。自分自身はまったく授業に出ないで、試験でどこが出るのかがわかっていい点を取る天才的な人も世の中にいます。しかし最も効率がいいのは、先生が何を言ったのか、講義でどこに注目していたのか、どの点を特に強調していたのか、先生が推薦した教科書は何か、その教科書には何が書いてあって、どういうアプローチが示されているのか、スタンダードなものから学ぶことだと思います。

そして読み込んだうえでなお、わからないことはたくさんあるでしょうし、新たな疑問も出てくると思います。そうしたら「先生、私はここまで読みました。ここまで演習も解きました。それでもここがよくわかりません。どうなんでしょう」と質問することです。まったくやらずに「先生よくわかりません」と言われると、教える側もやる気がなくなります。しかし、「ここまでは自分でやった。それでもちょっとよくわからない」「この先どうすればいいか」といったかたちで先生に訊いてみると、先生のモチベーションは100倍くらい高いはずです。

努力をしすぎるのはよくないと言いましたが、やや語弊があって、みなさんの段階では、しすぎてもしすぎることはないはずです。ただし、変な方向に行くのはダメです。最初でつまずき、トンデモ本ばかりを読むと、とんでもない方向にどんどん進んで行ってしまうことになります。まずは入門編です。1年生で学習する内容は、今後どんな学問分野に進もうとも、応用編に取り組むうえで、必ず基礎としなければいけないことを、教科書なりこの授業なりでしているはずですから、しっかりと聞いて、自分なりに消化してください。それでもなおわからないことがあったなら、「ここまでわかったけれど、ここから先がわかりません」という言い方で先生に訊く。これが私のやり方です。

浅羽 この授業で指定している『政治学の第一歩』という教科書はそういうスタンダードですから、そのように使ってほしいですね(先生方向けに、昨年度の講義スライドなどを版元の有斐閣のウェブサポートページで提供していますので、ご笑覧ください)。最後の最後までサービス精神旺盛ですね。「サービス(service)」というのは、「誰かのために仕える(serve)」という意味ですよね。このとき、この場にいるみなさんのために、一番役立つメッセージを、「今日、この授業の中でやっている」という意味も踏まえて、まとめてくださいました。

みなさん、1年生のこのタイミングでこの話を聞けたということを、どうか人生を変えうるチャンスにしてほしいと切に願います。私自身、19歳の大学1年生のとき、1995年にこの話を聞けていたら、いまと違ったキャリアパスに進んでいたかもしれないということを思わざるをえません。今日そういうチャンスをつくってくださった田村さんに心からの拍手で感謝の気持ちを伝えたいと思います。ありがとうございました。

田村 ありがとうございました。互いに違うステージで、またコラボしましょう。

●新潟県立大学学生「受講生による解題」

聞き手に期待しないこと

私はいま、日常生活の大部分を、新潟県立大学というハイコンテクスト社会の中で過ごしている。学生同士であれば、あらかじめ共有している情報が多いため、わざわざ言葉にしなくても、その場の雰囲気や話の流れでコミュニケーションがとれることが多々ある。

しかし、大学を出れば、様々な背景を持った、自分と共有する情報がまったくない人たちに囲まれたローコンテクスト社会で生きていくことになる。そこで求められるコミュニケーションは、私がいま生きているハイコンテクスト社会でおこなっているものとは異なるはずだ。では、そのようなローコンテクスト社会では、どのように情報をハイコンテクストな表現からローコンテクストな表現へ<通訳>して伝え、人と関わっていくべきなのだろうか。

まず、聞き手に対して、「これくらいのことは当然知っているだろう」「言わなくても察してくれるだろう」というような期待は持つべきではない。ハイコンテクスト社会では、このような期待のもとに、はっきりとモノを言わずに、遠回しな表現を使うことがある。自分と同じ背景を持ち、情報を共有している限られた人たちとの間では、それで十分伝わるからである。しかし、ローコンテクスト社会では、自分と異なる背景を持ち、共有する情報がない人たちと交流する際には、聞き手にとっては自分が話す内容が、その場で得られる情報のすべてになる。つまり、ローコンテクスト社会では、言葉のみで相手に情報を伝える必要があるということだ。

相手に知ってもらいたいことは、言葉にしなければ伝わらない。ローコンテクスト社会において、もし上記のような期待を聞き手に持ってしまえば、当然聞き手に伝わる情報が不足し、自分と聞き手との間に理解の差が生まれてしまうだろう。そのような状況を少しでも避けるためには、ローコンテクスト社会では、相手に自分の常識は通じないということを前提として、明確で誰にでもわかりやすく、誤解を与えないような表現を使うべきである。

たしかに、ハイコンテクスト社会でのコミュニケーションは、仲間内の一体感につながるなど良い点もある。しかし、それはあくまで限られた仲間内だけで効果を発揮するものであり、ローコンテクスト社会では通用しないということを弁えておかなければいけない。グローバル化が進み、世界各地の様々な文化を持つ人たち同士が交流する機会が増えている。そうした中で、自分と異なる背景を持ち、共有する情報がない人たちともよりよい関係を築いていくためにも、「聞き手に期待しないこと」を念頭において、ローコンテクスト社会に適した表現を使うことを、私は心がけたい。

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プロフィール

浅羽祐樹比較政治学

新潟県立大学国際地域学部教授。北韓大学院大学校(韓国)招聘教授。早稲田大学韓国学研究所招聘研究員。専門は、比較政治学、韓国政治、国際関係論、日韓関係。1976年大阪府生まれ。立命館大学国際関係学部卒業。ソウル大学校社会科学大学政治学科博士課程修了。Ph. D(政治学)。九州大学韓国研究センター講師(研究機関研究員)、山口県立大学国際文化学部准教授などを経て現職。著書に、『戦後日韓関係史』(有斐閣、2017年、共著)、『だまされないための「韓国」』(講談社、2017年、共著)、『日韓政治制度比較』(慶應義塾大学出版会、2015年、共編著)、Japanese and Korean Politics: Alone and Apart from Each Other(Palgrave Macmillan, 2015, 共著)などがある。

この執筆者の記事

田村優輝外務省職員

外務省総合外交政策局人権人道課兼人権条約履行室首席事務官。1982年埼玉県生まれ。私立武蔵高等学校、東京大学法学部卒業後、2005年に外務省入省。ケンブリッジ大学で修士号(MPhil)取得。在ガーナ日本国大使館二等書記官、総合外交政策局海上安全保障政策室、大臣官房総務課、アジア大洋州局地域政策課での勤務を経て、2017年7月より現職。2013-17年には、外務省通訳担当官として、総理大臣、外務大臣等政府要人の英語通訳を担当した。

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