2016.12.09
コロンビア和平プロセスの課題――新和平合意をめぐって
はじめに
南米コロンビア政府と左翼ゲリラ、「コロンビア革命軍-人民軍(FARC-EP)」(以下FARC)の和平合意が僅差で否決された国民投票(10月2日)から2ヶ月余りが過ぎた。停戦協定は年末まで延長されたものの、この間、宙に浮いた和平合意とその後のFARC兵の身の処し方をめぐって、国民全体が不安に苛まされている。そのような中、12月10日にはサントス大統領に、これまでの和平合意への努力を評価するものとして、ノーベル平和賞が授与される。
和平合意文書の国民投票での否決は、衝撃的な出来事として国際メディアに取り上げられた。しかし、その後平和賞受賞のニュースでコロンビアの和平プロセスに一条の光がさしたと理解され、国際メディアにはほとんどこのテーマは登場しなくなった。一方で、現地では政府とウリベ上院議員を筆頭とする「合意内容に対する反対派」(以下、反対派)との合意形成が難渋した。これまでも「クリスマス停戦」は幾度となく宣言されてはその後決裂し、紛争が再燃した。特に近年紛争地として苦しんできた周辺県—チョコ、ナリーニョ、カウカなどでは住民の不安が高まった。
出口が見えなくなった和平プロセスを前に、政府は反対派の意見を吸い上げる姿勢をみせ、これを踏まえて政府交渉団とFARC代表との間で11月12日に新合意文書が作成され、同24日にボゴタのコロン劇場で歴代大統領をはじめ、政府要人を含む750名が臨席の上、調印式が行われた(注1)。
こののちすみやかに新合意文書は国会に提出され、11月末に国会特別総会にて承認審議にかけられることになった。11月29日、上院で102議席のうち賛成75票、反対0票で、30日には下院で166議席のうち賛成130票、反対0票でそれぞれ可決された。両院ともに、ウリベ上院議員率いるCD(民主中央)党を中心とする反対派はことごとく棄権した。とはいえ新合意文書が国会での承認を得たことになり、FARCの武装解除プロセス開始のめどがついたことになる。しかし「新合意文書」内容の履行には課題が多く、和平構築プロセスはようやくその端緒についたばかりである。
以下では、今回の政府——FARCとの和平合意の意味と、それが宙に浮いてしまった背景、今後の行方と課題について、コロンビアの国内紛争の歴史とその背景にある社会的政治的構造も考察しながら、読み解いてみたい。
サントス政権の和平プロセス
コロンビアでは半世紀以上続いた紛争の解決にむけて、FARCと政府との間で停戦協定を含む和平合意文書が2016年8月24日に確定した。9月26日には、ボリバル県カルタヘナで、対話交渉のホスト国であったキューバのカストロ国家評議会議長、キューバとともに仲介と対話の立ち会い保証の役割を担ってきたノルウェー代表をはじめ、国連事務総長、各国首脳の列席のもと、華々しく調印式が行われた。
同国は「1000日戦争」や「ラ・ビオレンシア(暴力)」など、20世紀半ばまで、国を二分した内戦の歴史に苦しんできた。その後も政治エリートが政治も経済も掌握する伝統的二大政党制という特異な政治体質が温存し、左派勢力は公的な政治参加から排除された。その結果、1960年代以降はキューバ革命の「核」(フォコ)の実現をめざすもの、毛沢東主義を掲げるものなど多様な思想的背景をもった左翼ゲリラが組織され、各地で武力紛争が絶えなかった。1980年代以降、歴代政権は和平交渉に臨んだがことごとく頓挫した。2002年~10年はウリベ大統領が一転してタカ派路線を貫き、軍事力強化によって当時最大の勢力を誇っていたFARCへの徹底抗戦により、その戦力衰退に追い込んだ。
サントス大統領はウリベ政権期には国防相をつとめ、FARCの中核に徹底的打撃を与えた国軍戦略を率いた経験をもつ。大統領に就任後は満を持して和平プロセスを対話路線に切り替えた。以来、FARCへの徹底抗戦による和平構築を求めていたウリベ前大統領とは袂を分かつことになり、上院議員として影響力を持ち続けるウリベ派と与党との間で国政は二極分裂してゆく。
一方、サントス政権は4年以上の年月をかけ、「総合的農村開発」、「政治参加」、「終戦」、「麻薬関連問題」、「移行期正義と被害者補償」、「履行手続き」の6つの柱を立て、停戦後の和平構築アジェンダとしての和平合意文書の作成にこぎつけた。本来の法的手続きにおいては国民投票の実施は義務付けられてはいなかった。だが今年3月の時点で支持率が30%を下回ったサントス大統領は、次期大統領選(2018年)でウリベ派が率いる野党がたとえ勝った場合でも、和平合意内容の確実な遂行を担保しておきたかった。そのため調印ずみの和平合意を国民の審議にかけるという賭けに打って出たのである。しかし、10月2日の国民投票は僅差(賛成49.73%、反対50.37%)で否決された。
コロンビアの国内紛争の経緯と背景
今回の和平合意は政府とFARCの二者間での対話交渉であり、ゆえにFARC結成時からの52年の紛争に対する終止符が打たれたという一般的認識がある。しかしながら、コロンビアの国内紛争はFARC対政府という二者関係に限定されるものではない。したがって、今回のFARCとの和平合意は長年の国内紛争の解決への大きな一歩として受け止めるべきだろう。コロンビアの紛争の歴史はより複雑で、多様なアクターが関与してきたことを踏まえる必要がある。他方、左翼ゲリラという名の下に扱われる「反政府非合法武装組織」も、時代とともにその性格を変えてきたことも考慮しなければならない。
1980年代後半は、M-19(4月19日運動)、PRT(労働者革命党)、マルクス・レーニン主義の EPL(解放民衆軍)、先住民の解放をめざしたQuintin Lame (キンティン・ラメ) など多様なゲリラ組織が異なる地域基盤で社会変革を求めて武装闘争を続けていた。この時期は、同時に国内の麻薬密売組織が勢力を拡大し、左翼ゲリラの勢力圏と重なることもあった。当局の麻薬撲滅政策への抵抗だけでなく、ゲリラによる身代金目的の誘拐が麻薬密売組織幹部家族に及んだことも契機となり、麻薬密売組織も傭兵などで自警団を組織した。
1980年代後半、多元的民主主義を求める政治開放の機運が高まり、1991年の憲法改正につながった。1990年の制憲議会の成立を前に、M-19ほか複数の左翼ゲリラ組織が武装放棄し、M-19は市民政党として政治参加の道を選択した。これは当時の和平交渉の一定の成果とみなされるが、他方で、1984年に結成された左派愛国連合(Unión Patriótica: UP)は、その代表をはじめ多くの政党員が政治暴力によって暗殺され、2000年代には政党としての活動停止に追い込まれたが、2013年に復活した。こうした状況を前に、FARCとELN(民族解放軍)は一層武闘体制を強めていった。
この背景には1990年代のパラミリタリズムの拡大を考慮しなければならない。パラミリタリーは基本的に左翼ゲリラへの自警や制圧を目的とした正規軍以外の右翼の準軍事組織である。パラミリタリーはゲリラ兵以外に、農村部における社会運動家やコミュニティリーダーなど、左翼ゲリラとの接触が疑われる一般市民も弾圧、殺戮の対象とした。こうした政治暴力の悪化と農村部の国軍、パラミリタリーと左翼ゲリラの共存によって、中立的立場を維持しにくくなった農民の多くが土地を追われ、強制移住民となった。こうした人々は今日までに累積およそ600 万人にものぼると推計されている。
他方、1990年代、麻薬密売組織カルテルの勢力が当局の追及によって衰退をみせる頃、FARCは活動資金源を麻薬密売への関与によって確保するようになる。コカの栽培、麻薬精製基地、仲介業者と輸送ルートまでの一連の過程における「課税」によって資金調達を行うと同時に、農村部の支配を拡大していった。行政サービスが及ばない僻村における農民のコカ栽培への関与は、生存戦略の一つでもあった。しかし、この頃からFARCは革命運動の思想的基盤を失い、「ナルコ・ゲリラ」に変質したという認識が生まれていった。
国民投票実施が否決された背景
いったいどれだけの国民が「国民投票」の意味をきちんと理解していたのだろうか。海外メディアの一部には「和平にNOをつきつけたコロンビア国民」に対する困惑、といった内容で報じたものもあった。確かに「和平について、総論賛成、各論反対」というロジックは理解しにくい。「No」に投じた有権者にしても、どれだけ和平合意内容の可否を国民投票にかける意義を理解し、またその結果が与え得る国内外の影響を予見したうえで決断したかは疑わしい。先のBrexit(ブリグジット)現象にも似て、可決を疑わず、和平合意内容の一側面への批判や現サントス政権への経済政策への不満から、そして親ウリベという立場から反対票を投じた有権者も少なくなかった。
それ以外にも投票者の半数が反対票を投じた理由がある(注2) 。
(1) 合意文書の理解普及の不足
合意文書の項目を追ってゆくと、この和平合意が、DDR(武装解除、動員解除、社会復帰)だけでなく、「総合的農村開発」や被害者への土地返還を含む補償、麻薬密売問題の解決など、コロンビア社会で武力紛争が生まれた背景にあった構造的問題―社会階層格差、農村部の貧困、麻薬問題―に対する政策アジェンダを盛り込んでいることが理解できる。
しかし、残念ながら和平合意の内容がきちんと国民に理解されていなかった。有識者、大学関係者、人権擁護や民衆教育部門のNGOなど、実際に和平プロセスに密接に関わってきた層はともかく、297頁に及ぶ和平合意文書を通読した市民はごく限られ、政府の広報の時間も工夫も不十分だった。
(2)都市中間層・低所得者層のFARCへの反感
むろん、合意内容には課題も多かった。その筆頭がFARCへの譲歩がゆきすぎであるという批判であり、先に述べたように、1990年代以降のFARCの体質変化の結果、増幅された市民のFARCへの嫌悪感がその根本にあった。「なぜ真面目に働いても最低賃金しか稼げない自分たちがいる一方で、FARC兵の市民社会復帰に公的資金が投じられるのか?」という率直な疑問である。
他方、この国の過去の和平プロセスや政治体制そのものへの信頼度の低さが、政治的アパシーにつながり、和平プロセスについても同様の選挙行動を生んだ。投票日、会場前で列をなす人々を尻目に「どうせどっちに投票したって汚職まみれの政治家が勝つに決まっているさ」と吐き捨てて去った人がいたが、実は核心をついている。「国民投票」の意義が市民に浸透しておらず、結局はサントス(与党)VSウリベ(野党)という投票パターンになってしまった。
特に、紛争地にならなかった都市部では、ハバナでの和平交渉を自らの問題として受け止めた市民は限られていた。こうした都市と農村、特に長年武力紛争で苦しんできた周辺地域の農村部とアンデス山脈が縦断する中央都市部との温度差が、投票行動にも反映された。紛争地域では賛成(Si)が優勢であったが、ボゴタとボヤカを除いて、中核都市を擁する中央地域はことごとく反対(No)が勝ったのである。
加えて悪天候も影響した。ハリケーンの影響を受けて、賛成派が多かったと分析されたカリブ海沿岸のいくつかの市町村では、投票開始が遅れ、投票場に辿りつけなかった市民も出た。さらに、賛成派の中でも、賛成予想に安心し、悪天候を前に出足が遠のいた市民も少なくない。政府は投票率の低さへの対策として、国民投票の結果の有効条件として最低獲得投票率を13%に決めていた。しかし、皮肉にも、63%の棄権率を前に、賛成票もこの最低獲得投票率はクリアしたものの、反対派が僅差で制した形になった。
(3) Noキャンペーンとパラミリタリー支援企業家の関与
都市部での政治的アパシーと国民投票への理解度の低さに加えて、反対派のダーティ・キャンペーンが奏功した。投票前一週間、SNSによって紛争被害者への返還予定地情報がFARCへの土地提供として流れたり、年金受給者に「今後年金の2割がFARCの社会復帰プログラムに還元される」などの誤った情報がまことしやかに届いたりしたのである。こうした誤った情報の拡散が、「平和は望むがFARCへの譲歩には今一つ同意できない」というタイプの有権者の反対票につながった。
国民投票が否決された直後から、反対派のダーティ・キャンペーンの実態も明らかになった。10月15日のエル・エスペクタドール紙には、Noキャンペーンがアンティオキア県ウラバのバナナ流通業者の献金によって賄われたという告発記事が掲載された(ウラバはバナナ・プランテーションが集中する地域で、労働者搾取により労働運動と抵抗運動が著しい地域であった。FARCとパラミリタリー両者の介入によって長年紛争に苦しんだ地域でもある)。
FARCの存在に悩まされた企業家がパラミリタリーに資金提供を行うという構図は他にもみられ、その背後に政府関係者が関わってきた。こうした汚れた資金が今回のNoキャンペーンに流れた。
(4)ジェンダー・パースペクティブと保守派教会の影響
否決の背景には有権者の和平合意文書内容の総合的理解の不足や、「FARC優遇措置」と理解された社会復帰プログラムや政界参加に対する拒絶反応、という点が大きいが、合意文書内容の一部が曲解され、それがNoの勢いを押し上げた側面もあった。これが、福音派をはじめとするカトリック以外のキリスト教団体、特に保守派の教会とその信者たちの動きであった。
ハバナの合意文書には紛争被害者への補償の項目において、「ジェンダー・パースペクティブ」が盛り込まれた。すなわち、暴力がとくに女性とマイノリティグループ(アフロ系住民、先住民)に打撃を与えたことを踏まえ、和平合意の実施にあたっては、彼らへの補償を追求すべきである、というくだりである。コロンビアの紛争地では、先住民やアフロ系住民(特にカリブ海沿岸や太平洋沿岸地域)が紛争被害者として苦しんできた。また、コロンビアに限らず、武力紛争社会において、レイプをはじめとする女性に対する人権侵害が深刻化し、さらに紛争後社会においてもDVが悪化する場合も多い。
このように、ジェンダー・パースペクティブは不可欠の要素であるが、保守派キリスト教団体にとっては、彼らのもつ伝統的な家族観に反し、LGBTIの容認という解釈につながりうるため、脅威となると受け止められた。都市部、農村部を問わず、特に低所得層における福音派などのプロテスタント系宗派はカトリックをしのぐ勢いで拡大している。このような状況を考えると、宗教団体の政治的影響力が反対票を押し上げた一因となったのは明らかである。
反対派の争点と新合意文書における変更点
国民投票否決直後から、サントス大統領は反対派との合意形成のための対話を繰り返した。反対派はウリベ上院議員を中心にいくつか和平合意の大幅な改定を要求し、その対案を数多く提出した。政府は反対派の意見も考慮してそれらを吸い上げる形で合意文章の修正交渉にあたった。ハバナで政府代表とFARC代表との間で続けられた和平合意内容の再検討は11月12日に新合意文書として確定し、14日に公表された。国民投票による最初の合意文書否決から42日のことである。およそ60項目に修正が入ったが、当初の構成は維持された。実に最初の合意文書(全297ページ)に対し、新合意文書は310ページに及ぶ(注3)。
以下では反対派の主たる争点とそれを受けて新合意文書でどのように修正が施されたかを解説する。
(1)「移行期正義」について:元FARC兵の自由拘束
移行期正義とは紛争の和平過程において、紛争中に行われた戦闘行為やそのほかの様々の人権侵害に対して、その行為者に対し、真相の追及と法的審理が行われ、加害者には処罰を、被害者には補償を与えることで実施される正義のことである。紛争後社会における和解構築のために必須のプロセスである。
「(FARCに対する)免責のない和平を!」という反対派のスローガンに集約されるように、この点が反対派の最大の争点であり、これが、ハバナ和平合意内容がFARCに対して譲歩し過ぎるという世論形成につながった。もとより移行期正義は政府とFARCの間でも最も難航したテーマであった。合意内容では、通常の司法システムとは独立した、外国人判事も含む「和平のための特別法廷」(Jurisdicción Especial por la Paz: JEP、以下「和平裁判所」と略)を新設することとし、真実を告白したものには5年から最大8年間、武装解除後、特定の紛争被害農村部で勤労に服させるというものであった。
新合意文書では、対象となる元FARC兵の自由拘束の方法がより明確化された。和平裁判所が元FARC兵の勤労奉仕とその労働時間、宿泊所における自由拘束の厳格性について明言された。
(2)移行期正義における加害者の対象と法的手続き
ウリベ派の争点はむしろ、「誰が裁きの対象になるか」という点にあった。和平裁判所では「FARC以外の紛争中の人権侵害問題の関与者もあまねく審議対象となる」ことが確認されているが、ここには軍関係者や右派準軍事組織であるパラミリタリー、そして政府関係者も含まれるからである。
ウリベ上院議員の大統領任期中(2002-2010年)、FARCに対する国軍の戦闘は強化され、戦闘路線での和平プロセスがめざされたが、紛争地ではこの間パラミリタリーによる人権侵害も増大した。「偽装FARC兵士超法規処刑」(FARC兵ではない若者たちを殺害し、FARCのネームをつけたユニフォームを着せてFARC兵との戦闘による殺害と偽装した事件。)も同様に、政府、軍の関与が追及されている。これらの責任追及はウリベを中心とする反対派の権力層(政治家、企業家)に及ぶことは明白で、FARCが移行期正義交渉において譲れない一線であった。FARCは彼らが唯一の紛争の責任者ではなく、軍、パラミリタリー、政府関係者も同様に裁きを受けることを条件に武装放棄に同意したからである。
移行期正義に関するもう一つの論点は裁判手続きに関するものである。今回反対派が提示したのは、改定案では、和平裁判所はボゴタの高等裁判所に直属の設置とし、最終裁定は最高裁にゆだねられる、というものである。外国籍判事の参加も認められず、通常の司法枠組みに組み込まれるというものである。さらに、和平裁判所には、FARCメンバーの罪状審議に限定されるという主張が出されたが、これは軍、企業家、政治家ほかその他の紛争に関与した人々が和平裁判所での裁きの対象からははずれる可能性がある。
以上の反対派による要請に基づき、新合意文書では移行期正義を憲法裁判所経由での通常の司法手続きに含めるという修正がなされた。今後は最高裁判事が和平裁判所における最終的な影響力をもつことになる。この場合、重要案件に対する異議申し立ての効力が高まり、減刑に対する和平裁判所による裁定結果が不安定になる可能性が高まることになる。さらに、和平裁判所への外国人司法官の登用がはずされた。なお、審議過程で外国籍の専門家がコメントを出すことは容認している。
しかし、移行期正義の対象範囲については、ウリベ派の主張は通らなかった。国民投票の直後の声明から、ウリベは和平裁判所が紛争被害に関与したとされる「戦闘員以外の第三者」をさばく権限をはずすように要求した。しかし、新しい合意文書においても、この点は変わらず、紛争行為者に対する資金援助ほかの協力を行うことで、より重大な罪状に積極的に加担したとされる罪状を、和平裁判所は追及する権限をもつ。
(3)和平合意内容の法制化手続きについて
和平合意内容の法制化手続きについては、2016年7月に提出された「平和特別法令(Acto Legislativo para la Paz)」(Acto Legislativoとは大統領権限によって通常の国会における法案審議ではなく速やかに法制化することができる法令)を根拠に、ファスト・トラックによる法制化を進める案が出ていたが、それに対して反対派から強い抵抗があった。反対派は国会で通常の立法過程にのっとって法案審議に付されるべきであると主張している。
FARC側は和平合意に対する法的保障を確実にするべく、通常の法案審議を経ず憲法の暫定的付帯条項とすることを主張してきたが、結局、新合意文書では、FARC側が大幅に譲歩し、ファスト・トラックでの法制化は合意内容の一部にとどまることになった。それに対し政府交渉団代表のデ・ラ・カジェ(De La Calle)は、合意文書はその政策施行にあたっての解釈上のパラメータであり、法制化のガイドラインでなければならないと主張している。
現在、憲法裁判所では「平和特別法令」に対する異議申し立てを精査中である。合意内容が国会審議において速やかに法制化され、政策執行に移されるためのファスト・トラックのメカニズムを確保するためにも「平和特別法令」案の合憲判定は重要である。そもそも和平合意調印後、6か月内にFARCの武装解除が実施されると同時に、その他の合意文書内容の政策実施にあたって、様々な新規政府担当機関が設立されることがアジェンダとして組まれていた。
政府とFARC代表は今回の国会での新合意文書承認可決をもって翌12月1日をD-dayと認識し、この日からむこう6ヶ月を武装解除(disarmament)期間ととらえている。1万2000名のFARC兵が各部隊から、武装解除および市民社会への復帰プロセスのための収容地帯(20箇所の収容村、正式名称はZVTN: zonas veredales transitorias de normalizaciónと7カ所のキャンプ、正式名称はPTN:puntos transitorios de normalización)へ、順次集団移動が開始される見込みである。
ファスト・トラックが確保されない場合、新合意文書内容の政策策定には、通常および臨時国会の召集により、おびただしい法案審議を経ることになる。ウリベ派は国会審議にかけつつ、2018年の大統領選キャンペーンに持ち込む、という戦術である。和平合意内容が政策履行に必要な法制化過程でさらに変更されるリスクが高まる。
(4) FARC幹部の政治参加と議席獲得について
最初の和平合意では、向こう2国会会期に限り、上院下院ともそれぞれ「和平のための移行期特別議席枠(Circunscripciones Transitorias Especiales de Paz)」として4議席ずつ、武装解除後のFARC政党に議席が保証されていた。ハバナの和平合意では「武装解除したゲリラが市民社会に復帰再統合され、また戦闘活動に復帰する可能性を最小限にするための譲歩であり、彼らに政党運営維持能力を自力で獲得するまで時間を与える」ものとされている。しかし、反対派は、FARC政党に対して特権を与え、他の政党に対して有利に立たせることは容認できないと反発した。
新合意文書では、FARCの社会復帰によって誕生する新政党は、上記の16議席に対しては候補者をたてることはできず、これらの新議席枠は紛争被害者とそのコミュニティ代表に提供されることとなった。FARC新党の運営資金に対する30%の資金援助も削除された。すなわち、その他の政党と同じ条件で活動することになり、特別の優遇措置はない。
(5) FARCの資産について
FARCが取得したとされる財産の内容提示とその返還をめぐる批判は有権者の中でも強かった。FARCの財産については不明点も多いが、土地や入り江などの制圧地以外に、国外に数多くの資金源をもつとされ、それを被害者の補償にどの程度充てるかが問題とされている。最も難しい問題の一つは被害者補償のためにFARCがその資産を引き渡すかどうかということだ。新合意文書では、武器放棄の期間中、FARCは被害者に物質的補償として提供する資産目録の提出が義務づけられた。
(6) 紛争被害者への土地返還問題について
この問題は、2011年の「紛争被害者への土地返還法」制定時にさかのぼる。要は歴史的に戦闘が著しかった地域で土地を追われた被害者の土地を、のちに「善意で購入した」現在の所有者(または企業)も返還する義務を負うのかという論点である。返還義務を免責する場合、善意で土地購入した所有者に、その手続き根拠を提示して潔白であることを証明させなければならない。反対派は「善意で購入した」とされる企業所有の土地を守ることを重視しているが、この場合、紛争被害者に返還される土地面積は一層狭まることになる。
紛争の根本原因の一つである大土地所有制にメスを入れるのではなく、政府はさらに農地フロンティアを拡大することで対応しようとしている。なお、この背景には、紛争地での土地収奪と犯罪組織やグレーゾーンにある土地収奪などの行為もあり、極めて複雑である。
これについては、和平合意にはそもそも新しい地法の制定は含まれていないが、新和平合意文書公表に当たり、サントス大統領は農地法の見直しのために、専門家委員会が設置されること、また、合意なしに私有権が脅かされることはないことを明言している。
(7) FARCの麻薬密売への関与に関わる取り扱いについて
麻薬密売への関与はFARC側も事実として認めているが、移行期正義によって減刑がほどこされるとしたら、これは彼らの麻薬密売への関与も政治犯として裁かれることになってしまう。麻薬密売への関与の目的の解釈が争点となっている。憲法裁判所は、「麻薬密売への関与が、FARCの軍事資金確保の目的に限定されているのならば」政治犯としての罪状に含むという解釈を認める立場をとっている。しかし、前大統領のウリベもパストラーナ元大統領も、FARCが経済的繁栄のために麻薬密売に直接関与したという前提にたって反論してきた。
今回の新合意文書では、麻薬密売と紛争資金との関連性については憲法裁判所の司法枠組みで追及することが加えられた。 この点は政府と反対派との間の違いというよりももともと合意文書内では空洞状態にあった側面ともみなされる。合意文書の再交渉過程において、麻薬密売犯罪はコロンビアの刑法が適用されること、またその法手続きは通常の法的枠組みに従うことが確認された。また、政治犯罪と麻薬密売犯罪との関わりについても、個々の事例ごとにコロンビアの裁判所で裁定されなければならないことが明言された。
(8) 宗教の自由とジェンダー・パースペクティブの解釈について
教会や新教の教会および信者団体からの疑義に対し、FARCと政府はジェンダー・パースペクティブについて改めて定義した。すなわち「男女およびそれぞれの特別な状況にかかわらず、すべてのものの人権を認めること」である。「紛争は特に女性に対して異なるインパクトをもたらした。その結果、彼女らの権力を回復するためにも特別な行動が必要である」とサントスは述べた。この厳密化において、LGBTIについてはあえて言及を避けたが、いかなる人もその権利を謳歌する権利をもつことを主張した。同時に、すべての宗教の自由の尊重とその表明を尊重することも改めて確認した。
残る国政における合意形成と和平法令の合憲判定
幸いにも新合意文書は11月29と30日の両日で国会の承認を得た。現在憲法裁判所が精査中である「和平のための特別法令」(和平法令)のファスト・トラックが合憲と判断されれば、和平合意内容の法制化プロセスの迅速化が期待できる。
だが、状況は余談を許さない。8月26日の停戦後、およそ3ヶ月の間に、FARCの元制圧地(特にカウカ、ナリーニョ、カケタなどの県)における農村部では30人以上の左派系農民リーダーが殺害されている。こうした元紛争地は、ZVTN指定地にも近く、1980年代末の左派愛国連合(UP)関係者に対する大量暗殺の再来が危ぶまれるまでに緊張が高まっている(注4)。
和平法令のファスト・トラックが一日も早く合憲裁定を得られなければ、FARC兵に対する「恩赦法」の成立も遅れ、武装解除のために指定されたZVTNとPTNへのFARC兵の移動を開始することができない(注5)。12月2日の段階では憲法裁判所は一週間後に承認の裁定を下す見通しであったが、これは果たされず、また、これにあわせて12月5日を「D+5」(武装解除開始決定から5日目)としてFARC兵の移動開始を見込んでいたものの、さらに1週間の裁定決議期間が設けられた。
新合意文書が国会で承認されたとはいえ、真の国民採否は結局のところ2018年の大統領選ではかられることになるだろう。本来サントス現大統領が避けたかったシナリオであるが、新政権で新和平合意内容が反故にされないためには、2017年の国政審議が鍵をにぎる。合意内容の履行を頓挫させないためには、国政におけるコンセンサス形成が必須である。国民審議の手続きのいかんに関わらず、これは政治エリートの意思の問題であるが、コロンビアの政治体質を簡単に変えることは難しく、FARCとの合意形成過程においてもこの点は不問のまま、むしろ硬直化したと言えるだろう。
国民の合意形成にむけて可能性を抱かせるシナリオは、市民社会のイニシアティブがどこまで力をもち、政府がそれを取り込まざるをえない状況を作り出すかにかかっている。
学生を主体とする市民動員とローカルイニシアティブの重要性
和平を求める市民の動きは、国民投票否決後、全国的な動員を伴い拡大している。政府も反対派もこのうねりを無視することはできないだろう。
国民投票が僅差で否決され、政府も、賛成派市民もそのショック状況にあった3日後の10月5日、学生主導の「和平を求める静かな行進」が全国14都市で展開された。ボゴタだけでも総動員数は6万人を超え、26大学の学生がイニシアティブをとった。
投票行動における賛成・反対を問わず、和平を求める声が大学生から自然発生的に生まれ、多くの市民を動員した(注6)。危機に瀕した和平プロセスに直面し、若者がとったこの行動は、市民社会に覚醒効果をもたらした。現在もこの動きは続いている。
同じ10月5日を契機に、ボリバル広場(議会、市庁舎、最高裁前の中央広場で大統領官邸にも近い中央広場)には全国70箇所の主に紛争被害地から平和を求める人々が結集し、テント生活を続けながら訴え続けている(注7)。
これから長い年月をかけてコロンビア社会が構築してゆかなければならない和平と国民和解は、結局のところ、政治エリート主体の政治体制を民主化することと、資本家・企業家重視の経済政策にメスを入れ、民衆の主体性が認識される新しいパラダイムを確立することができるか、という問題にゆきつく。政府がこの必要性を認め、ともに真剣に取り組まなければ、国民の合意形成も遠く、和平プロセスは政治リーダーによる駆け引きに終始してしまうだろう。市民の和平形成へのイニシアティブは促進されず、国民和解も画餅に帰す。
FARCとの和平合意は、左翼ゲリラ、パラミリタリー、国軍の中で常に政治暴力の被害者であり続けた民衆組織をはじめ、ローカルベースのイニシアティブが可視化され、生き生きと活動できる「暴力のない正常な空間」を保障するものでなければならない。
左派政権の転換期におけるコロンビア政治の位置づけ
2000年代に多くのラテンアメリカ諸国で始まった左傾化とは無縁で、右派親米路線をとり続けてきたとみなされるコロンビアであるが、和平合意後の政策アジェンダの根幹である「総合的農村開発」が実現されれば、右派ネオリベラル路線であったコロンビアの経済発展政策が、社会階層間格差を是正し、社会的包摂をめざす経済発展を推進する方向に歩み寄りをみせることになる。
しかし、あくまでもサントス政権の土地問題解決方法は、農業フロンティアを拡大する路線にあり、多国籍企業主導の採取経済やアグロインダストリーの推進を緩めるわけではない。土地政策が今後の経済開発と政府の資源開発における統制力を決定づけることになるだろう。
また反対派は、パラミリタリーに関与した企業家が紛争中に獲得した土地について、その所有権を擁護することを主張し続けており、新和平合意ではその点は曖昧にされたままである。ウリベ政権期の麻薬密売組織、パラミリタリーと政治家の関与が放置され、また軍やパラミリタリーの不正行為のもみ消しが行われれば、移行期正義も闇のままである。こうした軍の人権侵害問題の真相究明は、他の南米諸国の左派政権でも取り組まれてはきたが、貫徹されたとは言いがたい。
ウリベ派にせよ、サントス派にせよ、政府エリートが紛争を長引かせることで得てきた利益を手放さない限り、真の国民合意は形成されない。これが前提となって初めて和平合意アジェンダの履行が進むのであり、市民社会も国際社会もこの点を追及、監視する必要がある。
(12月8日脱稿)
注釈
(注1)El Tiempo紙の11月24日記事参照: http://www.eltiempo.com/politica/proceso-de-paz/ceremonia-de-la-firma-del-nuevo-acuerdo-de-paz-en-vivo/16757839
(注2)国民投票に関しては、拙稿「崖っぷちに立たされたコロンビア和平の行方」『世界』2016年12月号 No.889 29-32ページを参照。
(注3)以下より全文ダウンロード可能である:http://www.elespectador.com/files/pdf_files/597c60eb35c55f02629da71e72e51921.pdf
(注4)参照:http://lasillavacia.com/hagame-el-cruce/asi-son-los-lideres-asesinados-durante-el-cese-58874
(注5)これらの収容村の場所は以下の記事と地図でも確認できる:http://colombia2020.elespectador.com/pais/el-mapa-final-para-la-concentracion-de-las-farc
(注6)参照:http://www.eltiempo.com/politica/proceso-de-paz/marcha-universitaria-en-silencio-por-la-paz/16717850
なお、この日の動員は動画でも見ることができる。Youtubeにて「marcha estudiantil por la paz」で検索可能。
(注7)参照:http://www.eltiempo.com/politica/proceso-de-paz/una-noche-en-el-campamento-por-la-paz-de-la-plaza-de-bolivar/16727550
プロフィール
幡谷則子
1960年生まれ。UCL(University College London)にて地理学PhD.取得。現在、上智大学外国語学部イスパニア語学科教授。専門はラテンアメリカ地域研究、都市社会学。主な共編著に『貧困・開発・紛争:グローバル/ローカルの相互作用』(SUP上智大学出版、2008年)、『小さな民のグローバル学——共生の思想と実践をもとめて』(SUP上智大学出版、2016年)。