サムライと国際協力

助けたい、助けられない

 

国際協力の世界はドラマに満ちている。2016年7月1日夜(現地時間)、バングラデシュで7人の侍が命を落とした。ドラマといっても悲劇。テロリストグループに襲われた。ひょっとしたら、犠牲になったのは自分であったかもしれない。国際協力経験のある日本人の中には、そう思った人もいるに違いない。

 

国際協力の悲劇をテーマとしたノンフィクション映画もある。例えば、ルワンダのジェノサイドを描いた「ホテル・ルワンダ」。命を救うはずの国連職員がルワンダ人を見捨て、自分たちだけが生き残ろうとした。国連職員とて、本当はルワンダ人を救いたかったに違いない。しかし、自らの生命を危険にさらしてまで、という選択肢は組織のトップから拒否された。一方、120万人のツチ族や穏健派のフツ族が虐殺される中、ホテルに1,200人の難民を引き取り、生き延びたフツ族のホテルマンもいた。ポール・ルセサバギナである。救われる側の人物が知恵を活かして、同胞を救ったストーリーである。

 

矛盾である。途上国の人々を助ける仕事をしているのに、ある一部の現地人に逆に殺されてしまう。困っている人を助けたいのに、救いたいのに、組織の論理によって、つぶされてしまう。小さなコミュニティではあたりまえの助け合い。それがあたりまえでなくなる。助ける者と助けられる者、どうしたらお互いに分かり合い、あたりまえの行為をあたりまえにできるようになるのか?

 

 

七人の侍

 

助ける者と助けられる者、両者の間の人間模様が巧みに描かれている映画がある。黒沢明の「七人の侍」である。国際協力ではない。しかし、強い者と弱い者が「協力」して危機を克服する、という点では共通点がある。舞台は戦国時代。現在の多くの途上国よりも日本がもっともっと貧しかった時代。ただですら貧しい百姓たちが野武士に襲われ困窮している。そして生き残りをかけて、七人の侍に助けを求めた。国際協力との違いは、侍もまた腹を空かしており貧しかったということ。それでも侍としての誇りをもち、野武士の一団40騎と戦い、最後には勝利を収めた。生き残った侍は3人だけであった。

 

黒沢明による予告編のための解説がある。

 

「ある山間の小さな村に、侍の墓が四つ並んだ。野心と功名に憑かれた狂氣の時代に、全く名利をかえりみず哀れな百姓達の為めに戦かった七人の侍の話。

彼等は無名のまま風の様に去った。しかし彼等のやさしい心と勇ましい行為は、今猶美しく語り傳えられている。

彼等こそ侍だ!」

そうして侍たちは勝ったはずなのに、主人公の勘兵衛はこういう。

「いや……勝ったのは……あの百姓たちだ……俺たちではない」

 

百姓を救ったのは、七人の侍か、百姓自身か。国際協力のあるべき姿の一面をここに垣間見ることができる。両者には共通の目的意識があった。百姓は「野武士から村を守る」というニーズを強く意識していた。ニーズを満たすため、自分たちが主体となって、自分たちに欠けている「武力」を外部に求めた。侍も野武士を共通の敵とみなし、両者は協力できた。

 

国際協力の現場では必ずしもそうではない。支援する側と受ける側が、共通の目的意識をもっているわけではない。統計データを見て、支援する側がニーズ設定をする。予算を付ける。あたかもそのニーズが対象国や対象地域の内部からでてきたように見せながら、事業が進んでいく。うまくいけば、支援の担い手となったサムライたちは勝ち誇り、昇進への道を邁進する。ところが、その成功はサムライがいたからこその成功である。残された百姓は、いずれまた、似たような問題に苦しむ。映画のように、百姓が勝利するとは限らない。勝つとしてもつかのまの勝利。持続可能な勝利ではない。

 

 

百姓という者は?

 

「7人の侍」の中で最終的に勝ったという百姓とは何者か?

 

侍の中には一人変わり者がいた。おそらくは百姓でありながら、力が強いことから後に侍として認められ、七人の一人となった菊千代である。百姓の内部事情に通じていた。

 

「百姓ぐらい悪びれた生き物はねえんだぜ」

「米も麦も何もないと言う。しかし、何もかもある。床板の下に、納屋の隅に、瓶に入った米、塩、豆、酒、何でも出て来る。山の中には隠し田があり、戦があれば落武者狩り……。」

「百姓ってのはな……けちんぼで、ずるくて、泣虫で、意地悪で、間抜けで、人殺しだあ」

「でもな……そんなけち臭いけだものつくったのは誰だ?……お前たちだぜ!侍だってンだよッ!」

 

そんななずるい一面を持ちながらも、百姓は生き残りのために、侍を雇った。自ら竹やりをもって、戦いのためにも立ち向かった。学校教育は受けてなくとも、金もなくとも、与えられた場で生き残る知恵はもっていた。侍を雇うことに成功した。そして最後に勝者となった。そこを侮ってはいけない。百姓がもつ潜在力を我々の価値判断だけで決めつけてはいけない。

 

 

つくりあげられた依存

 

国際協力における先進国と途上国との関係は、侍と百姓との関係に似ている。途上国の中でも、年間の一人当たり総所得が約1,000ドル以下の低所得国は、とりわけ先進国に依存している。エイズ対策、マラリア対策、結核対策……。

 

今から20年も前の1996年、ネパールで当時国際協力事業団(現・国際協力機構:JICA)の公衆衛生専門家として勤めだした頃のこと。「開発とは何か?」という議論がその頃専門家の間で花盛りであった。支援を受けている人々の声も聴いてみたいと思い、村々にでかけては、「開発とは何か?」と尋ねた。

 

意外な答えが返ってきた。

「日本の援助機関がきて病院や道路を作ってくれること、国連やNGOがやってきてトイレを作ってくれること、水供給施設を作ってくれること……」

一言でいえば、「開発とはギフトである!」

そんな答えが戻ってきた。七人の侍にでてくる百姓のようである。

 

「持てる者」が「持たざる者」に金品を寄付する喜捨、あるいはその類似行為が文化として根付いており、助けてもらうことに慣れている、という背景はあるかもしれない。しかしながら、これほどまでに依存してしまってよいものなのか? ネパール人をそんなふうにしてしまったのは誰なのか? 援助機関からやってきた未熟なサムライではなかったか? ネパール人を助けたいという思いは持っていたかもしれない。けれども、10年も20年もそのやり方を間違えてきたのではないか?

 

「そんなけち臭いネパール人つくったのは誰だ?……お前たちだぜ!先進国からの侍だってンだよッ!」

 

貧しいネパール人の中にも、そう憤る者がいるに違いない。【次ページにつづき】

 

 

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