ジャカルタ州知事の宗教冒涜容疑と「イスラム擁護アクション」

インドネシアの首都ジャカルタで、2016年11月4日と12月2日の二度にわたって「イスラム擁護アクション」と題された大規模なデモ・集会が行われた。11月4日のデモには5〜10万、12月2日の集会には20〜40万のイスラム教徒が参加したと言われている。

 

これら2つの「アクション」が開催された原因は、中華系インドネシア人であり、キリスト教徒でもあるバスキ・チャハヤ・プルナマ州知事(通称アホック)に、イスラム教に対する宗教冒涜の疑いがかかったことだった。当初は、少なからぬ報道がイスラム過激派、ジハーディスト、果てはテロ組織との結びつきを強調して今回の事件を報じた。中には、国全体がイスラム過激派に乗っ取られる危険を示唆し、インドネシアの民主主義と寛容性が試されている、と警鐘を鳴らすものもあった。

 

インドネシアは国民の8割以上をムスリムが占め、バスキ知事のようなキリスト教徒は少数派である。また、32年に及んだスハルト権威主義体制期には中華系住民への弾圧が行われており、現在でも差別意識が根強く残っている。加えて、2017年にジャカルタ州知事選挙を控えていることから、強硬派のイスラム系組織によるバスキ氏の退任を求める運動やデモは激しさを増していた。

 

しかし11月4日以前の運動はイスラム急進派・強硬派とその支持者のみが参加するものであり、広範な大衆の支持を得てはいなかった。なぜ今回に限ってこれほどの人数が集まったのだろうか。以下ではまず事件の概要を紹介し、11月4日以降に動員が大規模化した要因を説明する。その上で、一連の事件がインドネシア社会にとってもつ意味を考察したい。

 

 

デモに至る経緯

 

事件の発端はバスキ州知事の発言に宗教冒涜の疑いがかけられたことである。しかし、その背景にはイスラム教の指導者による選挙活動の問題があった。ジャカルタ各地のイスラム教指導者の中に、「非ムスリムの政治的指導者を選んではならない」と住民に訴えかける者がいたのだ。彼らの主張は、コーラン食卓章51節の「キリスト教徒とユダヤ教徒を仲間としてはならない」という部分を根拠にしていた(インドネシア語では「仲間」の部分がしばしば「指導者」と訳される)。

 

こうした動きはモスクなどにおける行事の場に留まらず、強硬派イスラム団体として知られるイスラム擁護戦線(FPI)によるデモにまで発展していた。バスキ知事はこうした動きに対して以前から反発を示していた。実際、彼は9月21日にも「食卓章51節のみを理由に候補者を選ばないように」と発言していたが、大きな問題にはなっていなかった

 

しかし、27日に再びコーランに言及した発言をすると、その映像がSNS上に拡散されて大きな話題となった。州知事としての職務の一環でジャカルタ北部沖に位置するプラウ・スリブ県のプラムカ島を訪れた際、住民を前に話をする中でバスキ知事は次のように発言した。

 

「……あなた方が本心では私を選べないということも十分ありうる。そうでしょう?食卓章51節の文言を使って騙されたり、色々とそういう風に。それはあなた方の権利です。……」

 

州政府のアカウントに9月28日付でアップロードされた映像

 

 

前後の文脈を見ればこの発言は、州政府の出資による養殖漁業計画の説明をする中で、仮にバスキ氏が知事に再選されなくても進行中の計画が中止になることはないから、他の候補者に投票してくれてもかまわない、という意味だとわかる。コーランの一節を根拠に対立候補への投票を訴えかける人々を冗談めかして皮肉った発言だったのだろう。

 

元の映像から問題の発言部分が切り取られ、「宗教に対する冒涜?」というタイトル付きで10月6日にフェイスブック上にアップロードされると、映像はSNS上で瞬く間にシェアされ、大きな話題となった。10月6日から12日にかけて、イスラム団体やNGOから14件もの通報が警察に届けられた。通報の中には強硬派団体によるものだけでなく、ムハンマディーヤなど穏健派イスラム団体(の支部)によるものも含まれていた。

 

この発言が9月21日の発言と比較してセンセーショナルに受け取られた理由の一つは、コーランに言及する発言の中で「騙される」という単語が使われたことだろう。前述したフェイスブックのポストに付された当該発言部分の引用で「使って」という単語が欠落していたことが事態をさらに悪化させたとも言われている(注1)。元の発言では「コーランの文言を使って信者を騙している」イスラム指導者への批判であったものが、この説明文だけを見れば、「信者はコーランに騙されている」という意味になり、コーランの内容自体が「嘘」であると批判しているように読める。

 

世論の盛り上がりをみてバスキ氏は10月10日、報道陣の囲み取材の場でイスラム教徒に対する謝罪を行った。しかし、刑法にも規定のある宗教冒涜罪に関わる問題とあって事態は収束しなかった。翌11日には、インドネシアウラマー評議会(MUI)が「宗教的意見と態度」と題した公式声明を発表した(注2)。この声明は、バスキ氏の発言がコーランおよび/あるいはイスラム指導者と信者への冒涜にあたり、いずれにしても法的責任を免れないとするものだった。14日には、イスラム擁護戦線(FPI)が知事逮捕を求めて州庁舎などで数千人を率いたデモを行った。

 

 

「第2回イスラム擁護アクション」

 

2回目のデモが11月4日に予定されていることが知れ渡ると世論はさらに盛り上がりを見せ、1回目を大きく上回る動員がなされることが報じられ始めた。デモはいつしか「第2回イスラム擁護アクション(Aksi Bela Islam II)」と呼ばれるようになり、著名なイスラム指導者や政治家、イスラム団体も続々とデモへの支持を表明した(注3)。同時に、デモが平穏に行われることを望む声明が各団体から出された。SNS上にも「411平和アクション(#AksiDamai411)」などのキーワードとともにデモが平和裡に行われるよう望む声が広がった。第2回デモの目的は、バスキ氏への法的手続きの開始を求める住民の「感情を示す(unjuk rasa)」ことだとされた。

 

こうして11月4日、5万から10万といわれる人々が参加した第2回デモが行われた。それまでのデモの規模を遥かに超える人数が参加し、ジャカルタ以外にも複数の都市で行われた。この時点で、一連の「アクション」はもはや一部の強硬派による反社会的活動とはみなせないものになっていた。デモ自体の性格も、強硬派組織の支持者が参加者の多数を占め、全体を通して投石が行われるなど暴動の様相を呈していたこれまでのデモとは対照的だった。強硬派以外の組織が多数参加したことに加え、個人の意思で参加する人も多かった。参加者への飲料水・食べ物の無償提供が行われたことや、ビニール袋を用意して自発的にゴミを片付ける活動があったことも盛んに報じられた。ただし、バスキ知事の退陣を求める声や個人攻撃が多数聞かれるととともに、中華系住民をターゲットとしたヘイトスピーチも散見された。

 

デモは当初の終了予定時刻である18時まで概ね平穏に行われた。しかし、ジョコ・ウィドド大統領がデモ主催者と面会しなかったことに不満をもった参加者の一部が18時以降も大統領宮殿前に居座って暴徒化し、投石するなどした。警察も群衆を散らすために放水車や催涙ガスを使用した。その結果、一般車両を含む21台が破壊され、参加者250人が負傷、警察官や一般市民などデモ参加者以外にも100人の負傷者を出す被害が出た。また、デモの開催地から離れたジャカルタ北部の中華系住民集住地区でも商店が壊されるなど小規模な暴動があり、10人余りの逮捕者が出た(注4)。

 

画像「Aksi 4 November」VOA / Fathiyah Wardah https://id.wikipedia.org/wiki/Aksi_4_November

画像「Aksi 4 November」VOA / Fathiyah Wardah
https://id.wikipedia.org/wiki/Aksi_4_November

 

 

大統領の対応

 

これまでにイスラム強硬派が主催してきたデモとの対比もあって、世論からの第2回デモに対する評価は総じて肯定的なものだった。イスラム保守主義的価値観の拡大を危惧する声がある一方で、前例のないほど大きな規模で行われたにもかかわらず平和裡に行われた点を肯定的に評価する声も多く見られた。特にデモ賛同者の中には、平和的に行われたことをもって「民主的」な行動であったと認識する者が多かった。第2回デモの終了時点で主催者は、11月25日に第3回デモを開催すると発表していた。

 

大統領はデモ当日深夜に開いた記者会見で、バスキ氏への法的手続きを迅速かつ透明性をもって進めるよう警察に要請した。また、夕方までの平穏なデモと夜の暴動との区別を強調した上で、暴動の背後に「政治アクター」の存在があったことを明言した。この発言からもわかるように、ジョコ大統領の事態収束に向けた動きは大きく2つに分けられる。一つは、公正な法的手続きの実施をアピールするとともに、イスラム団体や政党関係者に根回しをすることによって第3回デモの開催を阻止する動きであり、もう一つは、一連の騒動を政治的に利用しようとする勢力を牽制する動きである。

 

前者について、大統領は第2回デモの開催と前後して事態収束へ向けた根回しを始めていた。まず、国軍・警察の関係機関への訪問を繰り返して連帯をアピールした。加えて、強硬派を除くイスラム系社会組織と近隣地域のイスラム教指導者、および各党党首(一部野党を含む)を中心とした政党関係者との面談の機会を設けて、第3回デモへの不支持を訴えた。また大統領は、こうした会合のたびに、自身が捜査や公判の過程に介入しないことを繰り返し強調し、法的手続きの公正性を印象付けるよう努めた。その成果か、多くのイスラム組織や政党から、バスキ氏への法的手続きの進展をもって第3回デモの正当性を否定する声明が出された。

 

事前捜査の結果、バスキ氏は15日に検挙され、被疑者となった。ただし、逃亡や証拠隠滅の恐れはないということで、勾留はされず、国外に出ることが禁じられたのみだった(注5)。法的手続きが進展してバスキ氏が被疑者となったことは前回デモの目的達成を意味する。これは結果として、事態の収束を狙う大統領や警察が第3回デモの正当性を否定するための根拠を与えることになった。

 

一方で、イスラム擁護戦線を中心とした強硬派勢力は、「インドネシアウラマー評議会ファトワ保護国民運動(GNPF-MUI)」の名で声明を出し、12月2日に「イスラム擁護アクション第3部(Aksi Bela Islam Jilid III)」と題したデモを行うことを発表した。バスキ氏が被疑者となったにもかかわらず勾留されていないことが不公正だと訴え、勾留を求めることが第3回デモの目的だと主張した。

 

この動きに対しては、警察と国軍も圧力をかけた。まず11月18日、警察庁長官はインドネシアウラマー評議会を訪れた際、同評議会が傘下に強硬派組織の主導するGNPF-MUIの成立を許したことを、社会組織にそぐわない政治的な動きであるとして厳しく批判した。また、21日には警察庁長官が国軍司令官同席のもと記者会見を行い、被疑者の勾留の是非は法に従って決定されていること、「法的手続きの開始」という当初の目的は既に達成された以上、デモに正当性はないことを主張した。その上で警察庁長官は、11月25日の騒ぎに乗じて政権転覆を計画している勢力があると発表した(ただしこの勢力が誰なのか具体的な言及はなかった)。12月2日に予定されているデモについても、公道の使用を禁止すると発表した。

 

大統領の根回しの結果イスラム系組織や政党の多くがデモ不支持を発表して強硬派が孤立し始めていた状況での警察庁長官の一連の言動は、結果的に強硬派にプレッシャーを与えることになった。デモ主催者のGNPF-MUIは翌22日に記者会見を行い、政権転覆とは無関係であることを強調するとともに、11月25日にはデモを行わないことを初めて明言した。そして、12月2日に「平和アクション」のみを行うことを発表した(警察庁長官はのちに、政権転覆を狙う勢力がGNFP-MUIではないと補足した)。さらに28日には、GNFP-MUIが警察庁長官同席のもと記者会見を行い、「イスラム擁護アクション第3部」は独立記念塔周辺の公園内で、朝8時から昼の金曜礼拝までのみの開催とすることを発表した。

 

デモを政治的に利用しようとする勢力に関しては、第2回デモの前後から様々な憶測が流れていた。今回の騒動を2017年のジャカルタ州知事選と2019年の大統領選に利用するために背後で動いている勢力がいるという懸念は多くの人々が感じていた。第2回デモの時点で特に世間の注目を集めたのは、デモに参加表明をした野党系の政治家と、デモ直前に異例の記者会見を開いたスシロ・バンバン・ユドヨノ前大統領だった(注6)。

 

デモに参加した政治家のうち演説などで政権の打倒や大統領の失脚に言及した者は、第2回デモ後に国会倫理法廷(MKD)ほかに訴えられた。また警察は、18時以降の暴動に参加したイスラム学生同盟のメンバー数人を逮捕し、その背後にいたアクターを特定すべく捜査を行なっている。こうして、一連の騒動を政権打倒にまで繋げようとする動きを牽制する流れの延長線上に、先述の「政権転覆」に関する警察・国軍の発表があった。第3回アクション当日の12月2日午前、警察は政権転覆を企図した疑いなどで10名あまりを逮捕した。【次ページにつづく】

 

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