ボッラーテ刑務所の奇跡――イタリアの刑務所改革はいかに推進されたのか?

世界で最初にソーシャルファームが生まれた国、イタリア。ソーシャルワークの発達により社会内処遇には定評があるが、刑務所自体は様々な問題を抱えている。その中で、ボッラーテ刑務所は受刑者に自律的な生活を認め、ソーシャルファームを積極的に導入することで、再犯率を劇的に低下させた。イタリアの刑務所改革はいかに推進されたのか? 前ミラノ・ボッラーテ刑務所長で現イタリア司法省保護局長Lucia Castellano氏の講演を採録する。(翻訳/お茶の水女子大学、小谷眞男)

 

 

はじめに:イタリアにおける司法と行刑の仕組み

 

イタリアの刑事司法と行刑の仕組みについて、とりわけ刑務所の内部と外部における刑罰の執行の土台をなしているイタリア共和国憲法の原理について、日本の皆さんに話をする機会を与えられたことは自分にとって大きな喜びである。

 

今日は、まず最初にイタリアの司法と行刑(刑事施設)のシステムの基本的枠組みを概略的に確認したのち、現在のイタリアにおいてますます着実に進められようとしているある取り組みについて詳しく紹介したい。その取り組みとは、私が「人権刑務所(注1)(il carcere dei diritti)」と呼んでいる刑務所、すなわち刑事施設入所者に、その自由の制約と両立しうる限りで、すべての諸権利の行使を最大限認めるような、極めて先進的な拘禁の形態の実現に向けられたものである。

 

(注1)人権刑務所と訳したが、その中身は、更生に向けて、市民として普通の生活を取り戻すことができるような場所としての刑務所という意味である(以下、注はすべて本シンポジウム企画者の龍谷大学浜井浩一による)。

 

まず最初に、共和国憲法と法律に基づいて、イタリア行刑システムの輪郭を確認しておくことが必要であろう。こうした枠組みを抜きにして、イタリアの刑事司法と行刑のシステムを深く理解することはできないからである。

 

イタリア共和国は、第二次大戦後の1946年に成立した。イタリア人たちは、国民投票によって、君主制に替えて共和制を自ら選び取った。20年にわたるファシスト独裁と戦争の悲惨を経験した後で、イタリアには、民主的な秩序を樹立する必要性が強く感じられていたのである。すなわち、民主的な統治のシステム、市民間の平等、社会的連帯、より不利な立場に置かれた者への支援などを通して、市民の不可侵の権利の尊重と、共和国維持の責務とにもとづく市民的共生を実現することが必要とされていた。

 

こうして1948年にイタリア共和国憲法が制定された。憲法とは、社会の諸原理を明示することによって、国家機構の権限行使を統御し、その他のすべての法律が依拠すべき源泉となるような、最も基礎的な法律のことである。

 

イタリア共和国憲法は全部で139条からなる。その第1部(第13条から第54条まで)においては、市民の基本的権利が定められている。その諸権利を共和国は尊重しなければならないのみならず、すべての者に保障しなければならない。具体的には、個人の自由、平等、労働への権利、健康への権利、意見表明の自由、などである。

 

イタリアの行刑システムと「人権刑務所」に向けられた緊張感を理解するためには、これらの憲法的諸原理から出発しなければならない。なお憲法の第2部と第3部は、共和国の統治機構とその機能について定めている。

 

イタリアの司法システムは、いくつかの基本的な諸原理にもとづいている。刑罰執行の実態をよりよく理解してもらうために、その諸原理の概要をここで確認しておきたい。刑事、民事共に司法システムは、基本的に第一審と控訴審という二段階の審級によって構成されている。さらに第三段階の審級として破毀院があるが、ここでは当該案件の法律判断だけを扱い、事実認定には関わらない。

 

刑事裁判には、推定無罪の原則(il principio di presunzione di innocenza)がある。すなわちある人が有罪か無罪かは、ただ訴訟を通じてのみ確定される。たとえ被告人が自ら犯行をおこなったと自白したような場合であっても、ただ正規の手続に則った有罪判決を待ってはじめて、当該被告人が有罪であり、刑務所の内部ないし外部で一定の刑罰を受けなければならないということが宣言されうる。

 

司法システムを理解するうえで踏まえておくべきもうひとつの重要な原理は、罪刑法定主義の原則(il principio di legalità)である。何人といえども、法律によって犯罪と明確に規定されていないような行為によって有罪を宣告されることはできないし、法律によって規定されていないような刑罰を宣告されることもできない。さらに、ある事件について一度刑事裁判の審理を経て確定判決が出たら、その同じ事件について後に再び公訴を提起することを許さない、という一事不再理の原則(il principio del “ne bis in idem”)がある。

 

イタリアの刑事制裁には、刑務所内への拘禁、もしくは刑務所の外の地域社会において服する刑罰の二種類がある。後者のことを「拘禁に変わる措置」(misure alternative alla detenzione)といい、「在宅拘禁」(detenzione domiciliare)、「社会サービスへの委託」(affidamento ai servizi sociali. 日本の保護観察処分に該当する)、「ボランティアとしての公益活動」(lavori di pubblica utilità a titolo di volontariato)などの種類がある。

 

刑事施設への収容は、有罪の確定判決を受けた場合のほか、ある人が犯罪をおかした可能性があるという推定が強くはたらく場合に、予防的な未決勾留という形で適用されることもありうる。すなわち、ある人が有罪であることを示す重大な徴候が存在し、かつ、以下のような理由からその被疑者・被告人を社会から隔離する必要があると考えられる場合である。それは、逃亡の危険、新たな犯罪をおかす危険、証拠隠滅等の危険である。ただし、このような場合、予防拘禁(custodia cautelare)と呼ばれている未決勾留の期間は、厳密に定められた時間的制限を超えることはできない。

 

イタリアにおける刑事施設には、確定判決を待っている未決勾留者が入所する拘置所(case circondariali)と、確定判決を受けた受刑者が入所する刑務所(case di reclusione)の二種類がある。この区別は、刑事司法システムを理解するうえで重要である。今日のテーマであるボッラーテは、確定判決を受けた受刑者が入所している刑務所のほうである。

 

イタリアには、全部で191の刑事施設があり、55,929名の入所者がいる。そのうち、女性が2,354名、外国籍の者が18,971名、確定受刑者が36,136名である。人口比で考えるとイタリアにおける刑事施設入所者の人数は、国際的にはどちらかというと低い方であるが、いずれにせよ日本よりは高い。

 

女性の受刑者については、法律によって、6歳以下の子の母親は自宅または地域コミュニティ(comunità. 民間の住居または施設等)で刑に服すものとされている。しかし特殊な治安上の必要がある場合は別であり、現在、刑事施設内で母親とともに過ごしている子どもが46名いる。

 

刑事施設内に入所している者といっても、それが未決勾留なのか確定受刑者なのかという区別は、上述したように、重要なポイントである。なぜなら、刑事施設内の処遇が全く異なってくるからである。

 

確定判決を待っている人にとっては、すでに述べたように、推定無罪の原則が働き、有罪であるかどうかは、ただ裁判(審理)においてのみ確定されるべきことになる。これに対して、有罪が確定した受刑者に対しては、市民社会への復帰を容易にするための、労働、学校教育、遊び、スポーツ、宗教に関するさまざまな機会が提供されることになる。

 

これらの機会は、ひとたび刑を服し終えた際に、再び新たな犯罪をおかす可能性を低減させるために確定受刑者に提供される。この仕組みを理解するためには、イタリア共和国憲法第27条に定められた、重要な憲法的原則を確認しなければならない。すなわち、「刑罰は、人間性の感覚に反するような処遇であってはならず、受刑者の再教育(注2)(rieducazione)に向けられたものでなければならない」

 

(注2)直訳すると再教育となるが、その実質は単なる矯正教育ではなく、市民としての生活を取り戻す更生(rehabilitation)を意味する。

 

したがって、イタリアの刑務所は、本来、国家が自由な人間に対して保障するのと同じ諸機会を受刑者にも提供することを通して、受刑者を再教育し、犯罪から遠ざけるという機能を有していなければならないはずである。その諸機会とは、すなわち労働、学校教育、情愛に満ちた人間関係、外部世界との関係、自由時間の活動、宗教などである。

 

 

Lucia Castellano氏

Lucia Castellano氏

 

 

ボッラーテ刑務所の実験的プロジェクト

 

ボッラーテ刑務所(ミラノ市)には、現在約1,300名の確定受刑者がおり、うち約100名が女性である。ボッラーテ刑務所プロジェクトを十全に理解するためには、上述したように「受刑者の再教育(rieducazione del condannato)」という概念の真の意味をたずねることから出発する必要がある。2002年にこの刑務所を開設することが決まったときに、われわれは「社会復帰(reinserimento)」と「再教育」という言葉を、その本当の意味において理解しようと模索した。

 

私は、1991年に初めて刑事施設の仕事に就き、すぐに以下のことを理解した。すなわち、受刑者の再教育という根本目標は、極めて抑圧的な管理体制と日々衝突している、と。刑務所の管理体制は、受刑者から、いつ顔を洗うか、いつ着替えるか、いつ体育館に行くか、いつ図書館に行くか、といったようなほんの些細なことがらについてまで、自律的に決定する能力を奪っている。そこで、受刑者は、人間的主体というより単なる施設管理の対象にすぎず、その生活リズムは刑事施設側によって完全に統制されている(注3)。

 

(注3)こうした施設のことを、社会学者のアーヴィング・ゴフマンは全制的施設と呼んでいる。全制的施設とは、類似の境遇にある個々人が、共に、相当期間にわたって社会から遮断されて、閉鎖的で形式的に管理された日常生活を送る場所であり、そこで長期間暮らすことで被収容者はその人らしさといったアイデンティティを剥奪されていく。Goffman, Irving 1961 Asylums: Essays on the Social Situation of Mental Patientsand Other Inmates, Doubleday=1984 石黒毅訳,『アサイラム――施設収容者の日常世界』,誠信書房

 

私が理解したのは、このような管理体制は、自由な人間に対してであれ、刑事施設に入所させられている人間に対してであれ、憲法が国家に課している責務であるところの人権を尊重しようとするいかなる真剣な試みとも両立しえないということ、ましてや刑を終えたあかつきに、入所前に比べて少しでも良い人間(少なくともより悪くはなっていない人間)として受刑者を出所させるという現実的可能性とも両立しえないということであった。

 

このために、私を中心に結成されたプロジェクト・チームのメンバーと一緒に、そして今日この会場にもその責任者が参加してくれているところの社会協同組合「アルティーコロ・トレ」(Articolo 3. 直訳的には「第3条」。共和国憲法第3条〔法の下の平等〕を理念とする協同組合の意)のような刑務所外部のさまざまな社会資源が提供してくれる貢献を活用しながら、再教育と社会復帰という憲法の原則を本当の意味で実現する刑務所を目指す、ボッラーテにおける9年間に及ぶ仕事が始まったのである。

 

この際に、われわれが依拠した基本原則が三つある。

 

A)まず第一に、そこからは自由に外へ出ることのできない要塞化されたひとつの都市である刑務所を、その内部における生活がその都市に住む約1300人の市民たちによって明確で共通のルール体系にもとづいて運営されるべき都市として考える、という原則である。

 

このような確固たる原則から直ちに導き出される基本的方向性は、拘禁されている個々の受刑者に、自分固有の時間と空間の使い方に関して、それぞれ相応の責任を持ってもらうようにする(responsabilizzazione)ということであった。たとえばボッラーテ刑務所では、図書室の運営責任者に受刑者になってもらった。そのほか演劇活動の劇団長も、体育館の管理責任者も受刑者自身である。

 

B)第二に、地域社会における受刑者の処遇のために法律が用意しているすべての手段を、その利用が許されるための時間的条件がクリアされ次第、最大限活用するという原則である。最も代表的なものは外部通勤(lavoro all’esterno)で、ボッラーテにおいては、現在、約10%の受刑者が実際に刑務所の外部で働いている。彼らは朝起きると刑務所から公共交通機関を使って外部の職場に出勤し、そのようにして一日働いたあと、夕方にはまた刑務所に戻ってきて寝るのである。

 

そのほかに、部分拘禁(semilibertà. 直訳的には「半自由」。外部通勤に加えて一定の自由時間を外部で過ごすことが認められる)、特別休暇(i permessi premiali. クリスマスなどにまとまった期間外部で過ごすことが認められる)、社会サービスへの委託(l’affidamento ai servizi sociali. 一定の条件のもとに自宅での外泊等が認められる)などの法律所定の手段も活用する。

 

(注4)外部通勤については刑務所長の判断で実施することができるが、大きな処遇変更については刑罰の執行を監督する矯正処分監督裁判所の決定によって行われる。矯正処分監督裁判所の裁判体は判事2名、医師等の専門家2名から構成される。

 

受刑者にとっては、確かに自由は制約されているのだが、言わばゆっくりと開いていく大きな扉の内側にあるようなものであって、少しずつ部分的な自由を経験していき、最終的には完全な自由を手に入れるわけである。受刑者は、他者とともに働き、さまざまな社会関係を結ぶ経験を少しずつ積んでいく。そのような経験こそが最終的結果を大きく変えるのだ。自分自身が自分の人生の主役であるという感覚こそが、自分の未来を自分自身の責任で形作っていくことを可能にする。

 

C)ボッラーテ刑務所プロジェクトの第三の、そして最後の原則は、刑務所という要塞都市とその外側に広がる都市との間で、途切れることのない交わり(contaminazione)を続けていくという原則である。

 

百人を超える受刑者が外で働くために毎日刑務所から出勤していく。百人を超える自由市民がさまざまなサービスや文化的活動を提供するためにボランティア、教員または勤労者として毎日刑務所に入っていく。このような交わりが、刑事施設特有の生気に乏しい硬直的な拘禁生活のリズムに変化を与え、可能な限りで、外部社会の時間の流れと呼応し合うような施設内部の時間の流れを作り出していく。

 

こうして「塀の中」の生活と、塀の外の生活との間のずれが一歩一歩縮まっていく。たとえばボッラーテ刑務所の内部では大学の講義やセミナーがおこなわれている。教授も一般の学生も刑務所内に通い、刑務所内の教室には受刑者もまた学生として出席している。同様に高校の授業もある。また例えばホテル・観光業専門学校の授業も、同じような形態で刑務所内でおこなわれている。

 

 

受刑者の家族面会

受刑者の家族面会

 

 

実のところイタリアのなかでも決して広く普及しているとはいえない、このようなユニークな拘禁プロジェクトの構築には、いうまでもなく刑務官・技官らスタッフの仕事を適切に評価すること(valorizzazione)が不可欠である。そのためにスタッフの専門性の開発についても、また彼らの職業生活の質についても、多大な努力がなされた。こうした10年の努力によって、素晴らしいチームが形成されていった。このチームのメンバーは自分たちこそがこのプロジェクトを推進する主要な担当スタッフであることを自覚し、その仕事の実績に大きな誇りを持っている。

 

ボッラーテ刑務所プロジェクトは、およそ刑事施設ならば不可避的に有している懲罰的で応報的な側面についても忘却しているわけでは決してない。しかし、その影響をできる限り緩和しようとしている。このモデルの効果は、これを再犯率の低下、つまり社会の治安状態の改善という見地からみるとき、後述するように顕著である。

 

もうひとつの興味深いデータは、ボッラーテのような運営をしている刑務所の総経費が、従来型の刑務所の総経費に比べて、受刑者一人当たりにしてみると安くすんでいるという事実である。コストが安くすむのは、このような運営をしている刑務所でおこなわれている財やサービスの生産活動の貢献によるところが大きい。

 

受刑者に、時間の使い方と日常の諸活動を組み立てることに、主体的に関与する権利と義務を認めることは、権力行使という面で見れば刑事施設の側にとっては大幅な後退を意味する。ヨーロッパの歴史的危機という現下の局面において、私が思うに、それがいかなる種類の公的システムであっても、生きられた時間の構築への利用者自身の参加は、そのシステムを管理する者の側に課された義務である。

 

今こそいわゆる「能動的シチズンシップ(cittadinanza attiva)」が求められているのである。公行政とその利用者との間の関係をそれ以外の形で考えることはもはやできない。それはその利用者が刑事施設入所者であっても自由市民であっても何ら変わるところはないのだ。

 

この危機の時代にあっては、一定の現実を生きる者はその現実を統御するのに自ら貢献することが必要であり、そのことはただ単に美的に麗しいというだけではなく、すでに不可欠の要素というべきなのである。というのも、そのような形での利用者の参加は、ただ単に労働をする者に対してだけではなく、一定の場所にただ住んでいる者に対してもまた、人としての尊厳を取り戻させることになるからである。

 

 

アニマルセラピーの様子

アニマルセラピーの様子

 

 

したがって、「塀の中」における移動の自由を最大限保障しなければならないが、しかしそれだけでは不十分である。さらに刑務所の外部や内部に存在する、さまざまな組織や機関の間の横断的連携を呼びかけなければならないだろう。詳細は後述するが、人の自由を保障するための、矯正処分監督裁判官(magistratura di sorveglianza)、行刑当局などの間のヨコの連携である。

 

プロアクティブな行政を目指すのであれば、法律が人の自由を保障するために、われわれに提供しているすべての手段を活用しなければならない。それは受刑者が逃亡することなどないように、常々警戒していなければならないというようなことのためにではなく、また自分たちの責任をどこか別の機関に転嫁するためのものでもない。このようなプロジェクトの推進には当然リスクがある。だからこそプロジェクトは横断的な形で組織される必要があるのだ。

上記の横断的連携は、何よりもまず以下のような文化的前提から出発しなければならない。すなわち、最終目的はクライアント(受刑者)ひとりひとりの確かな自由を作り出すことであり、そのためには刑務所の外で刑に服せしめるべく、できうる限り彼らを刑務所の外に押し出さなければならないということ。それは「非刑罰化」ということではなく、地域社会における刑の執行なのである。この二つは決定的に異なる。

 

上記のような複数の機関の間の横断的連携は、ものの見方を丸ごと転換する。連携する各機関が、誰かが逃亡するかもしれないというような本プロジェクトのリスクを共同で引き受けるわけは、このような処遇の様態のみが再犯率を低下させ、社会の治安状態を改善する唯一の方法であるという認識を、基本的に共有しているからである。

 

時間の問題のほかに、もうひとつ考えるべき要素がある。それは、時間の流れに関するこのような新しい様態と整合的な「空間」が創造されなければならないということだ。

 

イタリアは、2013年に欧州人権裁判所によって、刑事施設において「非人道的で劣悪な処遇」がおこなわれているとの指摘を受けた。そして、わが国には、刑事施設入所者に「塀の中」における最大限の自由を与えることができるような、全国的な行刑施設の空間的再編を実施するための、一年の猶予が与えられた。われわれに課されたシステム変更のためには、人権と人間的な尊厳を尊重するような時間を生きることができるような、新しい「空間」の建設から再出発する必要があった。

 

 

04	刑務所内では子育てができる

刑務所内では子育てができる

 

わが意を得たりと思ったのは、イタリアにおける従来の刑罰執行の様態は、共和国憲法によって示された方向性と一致していないと洞察した人たちが、他にもいたということだ。もしわれわれが見方を転換させて、人(persona)という見地から再出発するならば、私がいうところの「人権刑務所」を本当に建設しようということになる。

 

私は単なるお題目としての「再教育」の幻想を信じない。「処遇」(trattamento)というお役所用語を聞くと、どこか操作的で、何かよそよそしい感じを覚える。このような見方を転換して、従来とは異なる空間と時間を構築することこそが、再犯率を下げて社会の治安状態を改善することにつながる。

 

ボッラーテ刑務所における私の任期を終えるにあたって、何年か前に刑務所についての本を一緒に書いた友人のジャーナリスト、ドナッテラ・スタージオと相談して、ボッラーテで刑に服した人たちの再犯率について調査研究をするように、しかるべき人に依頼してみようということになった。こうしてイタリアの経済紙「イル・ソーレ・24オーレ」の助成金を受け、エセックス大学のジョヴァンニ・マストロブォーニとエイナイウディ経済財政研究所のダニエーレ・テルリッツェーゼによる統計的調査が進められた。

 

その分析によって判明したことは、同じ刑期を宣告された受刑者同士で比べた場合に、開放的な刑務所で過ごした期間が長ければ長い者ほど、伝統的な刑務所で服役した者に比べて、再犯率が低いという事実であった。この意味での再犯率の差は約9%ほどだったのであるが(注5)、この数字は、そのまま社会の治安状態の改善と、刑務所への過剰収容の軽減を意味するのであるから、重大な意味をもつ。

 

(注5)本稿執筆者のカステラーノによるとボッラーテ刑務所の再犯率(5年間)は約18%であり、他の一般的な刑務所の平均的再犯率60%と比較すると極端に低いが、刑務所間で受刑者の質が異なるため、厳密にはこの両者の再犯率を単純に比較することはできない。そこで、高度な統計的手法を用いることで、ボッラーテ刑務所と同等の受刑者が一般的な刑務所で受刑した場合の再犯率とボッラーテ刑務所の再犯率を比較したところ、ボッラーテ刑務所のほうが9%ほど低くなっていることが検証された。

 

上記二人のエコノミストは、人間的尊厳と基本的人権を尊重する開放的な刑務所は、再犯行動を抑制できること、したがってまた刑事施設入所者の人数を減少させ、関連経費を引き下げること、ひいては市民生活をより安全にできることを実証したのである。

 

 

小谷眞男氏(左)

小谷眞男氏(左)

 

 

イタリアにおける刑務所と市民社会のパートナーシップ:ボッラーテ刑務所プロジェクトの経済的側面

 

イタリア共和国憲法によって宣言され、行刑法によって肉付けされた、「刑罰の目的は再教育にある」という原理にもとづく刑務所運営のモデルが、いかに刑事施設における多様な形態の市民社会のアクセスを不可欠のものとし、またそれを促進しているかということは、いくら強調しても強調しすぎることはない。

 

実際、個人のボランティア、ボランティア団体、社会協同組合、学校、大学といった市民社会の諸アクターは、受刑者の社会復帰に向けた個別化されたプロセスの実施と展開に、日々著しい貢献をなしている。

 

長い年月をかけて、こういった社会的な志向を有する民間部門(privato sociale)の活動と行刑部門の行政活動との間のシナジー(相乗)効果は徐々に強まっていき、発展してきた。このシナジー効果の形態は、当初は単に民間部門が行政の補助的な役割を果たすという程度に過ぎなかったものが、徐々に対等のパートナーシップを築くようになり、やがて統合的な共同運営モデルの実現が可能となるところまで発展してきた(注6)。その協働関係は、今やプロジェクトの企画立案段階から、実際の実施過程にいたるまでのすべての局面に及んでいる。

 

(注6)このプロセス、特に社会協同組合がネットワーキングによって地域や行政、ボランティア、民間企業との社会的な連携を強化するプロセスや社会協同組合の社会的意義については、Sara Depedriの原稿を参照されたい。

 

イタリア各地の刑務所で多種多様なパートナーシップの形態がみられるが、たとえばボッラーテ刑務所の場合でいうならば、それは市民社会と刑務所の共同運営レストランであるとか、ケータリング事業、農園や温室栽培の経営、また(デザインから加工・販売までを行う)ブティック経営などの形でおこなわれている。上述した大学や高校の教育活動も二つの世界の協力のもとで実施されている。受刑者も自由市民もともに劇団員として参加し、共同で運営の責任を負う形態でおこなわれている演劇活動もある。

 

自由な世界と刑務所との間のこのような交わり(contaminazione)は、実際にとても貴重な空間を創造することに貢献している。そこは、二つの世界のそれぞれ異なる文化、労働の形態、心性、資源などが、対比され、交換され、互いに豊かになる場である。このようにして刑務所と市民社会との間の相互浸透が深まっていく。その結果もたらされる最も重要な変化は、拘禁刑の執行に関する責任を、刑務所だけが単独で背負い込むのではなく、社会全体が集団的に引き受けるようになっていく体制が形成されていくということである。

 

これに対して刑事施設が自己完結的になってしまうと、法律がわれわれに課しているところの受刑者の再社会化、すなわち再犯の防止という根本目的が達せられなくなってしまうというリスクが生ずる。

 

現在イタリア経済は危機的状況にあるため、社会的志向を有する民間団体・個人の活動は、ますます銀行や企業からの助成金によるところが大きくなっている。

 

他方で、地方自治体(市町村などのコムーネ、州)の協力ももちろん重要である。自治体は、行刑の分野については、直接的に刑事施設入所者に向けられた社会サービスを提供してくれることもあるし、また民間団体の活動に経済的支援を与えるという形で貢献してくれることもある。

 

すでに指摘したように、イタリアでは、刑罰の執行プロセスにおける受刑者の労働参加(注7)がとくに肝要な点である。この際には、地域社会における外部通勤と社会サービスへの委託が果たす役割が大きい。

 

(注7)イタリア刑法(第23条)においても拘禁刑には義務として労働が科されるが、刑務所内での労働は強制されるものではなく、労働は義務であると同時に働く権利として位置づけられる。受刑者は求人に応募して採用される。イタリア司法省のHPにも刑務所内での労働は懲らしめを目的とせず、対価を支払うことが明記されている。

 

われわれの社会においては、再社会化への道程の何よりも重要な要素は、労働である。このため、コムーネにせよ州にせよ、地方自治体レベルで、雇用者に対して受刑者の雇用を促す何らかの経済的インセンティブが与えられている場合がある。その典型が「ボルサ・ラヴォーロ(borsa lavoro)」(注8)と呼ばれる一般的な初期雇用支援の仕組みであり、これを利用することによって経済的負担を軽減される雇用者は、受刑者の労働参加に関する責任をより引き受けやすくなる。

 

(注8)試用期間中に企業側に対し国等から奨励金が支給される日本のトライアル雇用制度を拡大した制度である。

 

ボルサ・ラヴォーロとは、実際の勤務経験を通して、いわゆる社会的により不利な立場に置かれた主体の労働市場への参入、すなわち雇用を促進する一般的方策である。そのような労働主体は、この仕組みのもとで一定の活動を提供する代わりに一定の「ボルサ」、すなわち代価(compenso)を受け取る。実際のところ今日では誰にとっても労働の機会を見つけることがますます難しくなってきているとすれば、より不利な立場に置かれた者にとってはなおさらそうであろう。そのような者たちのなかには、他ならぬ受刑者が含まれている。

 

ボルサ・ラヴォーロ制度が適用される労働者は、雇用期間のうちの最初の所定期間(多くの場合6ヶ月)は、雇用者からではなく、ボルサを供出する組織・機関から報酬を受け取る仕組みになっている。ボルサを供出する組織・機関は、多くの場合はコムーネ(ボッラーテ刑務所の場合で言えばミラノ市)またはその他の地方自治体(たとえばロンバルディーア州)であるが、ときには民間の財団や銀行、ボランティア団体、社会協同組合などのこともある。

 

この制度の目的は、自らの能力を労働の世界で試してみることが難しい状況に置かれている人に、それを試す機会を与えることである。このようにして自律的な職業形成を促し、ひいては継続的就労につなげようとするのである。

 

労働というテーマに関しては、社会協同組合がとくに重要な役割を果たしていることも強調しておきたい。一般的にいって、社会協同組合とはコミュニティの普遍的な利益の追求、人間性の促進、市民の社会的統合を目的とする企業体のことである。この目的を追求するために、社会協同組合には、もっぱら社会や医療のサービス、教育サービスを提供するA型と、社会的に不利な状況にある人の労働参入によって生産活動を展開するB型の二種類がある。

 

たとえば前述の「アルティーコロ・トレ」はA型の社会協同組合であり、温室栽培事業を行っている「カッシーナ・ボッラーテ」やケータリング・サービス事業などはB型(注9)である。したがって、ひとつの社会協同組合は、営利追求型の一般的企業とは異なり、社会的目的の追求のために、言い換えれば集団的ニーズを満たすために、自らの資源を組織する企業といえる。

 

(注9)このケータリング・サービス事業を行っている社会協同組合は、2015年に刑務所の敷地内にIngalera(監獄の中)という名のレストランを開設したが、世界最大の旅行サイトのトリップアドバイザーにおいて、ミラノ6,544軒中36位(2017年4月6日現在)にランクされている。

 

B型の社会協同組合は、社会的に不利な立場に置かれている主体の労働参入を目的として、商業、手工業、製造業、農業部門など、財とサービスのすべての生産活動を展開することができる。そのような主体としては、受刑者、薬物やアルコール依存症の者、精神障害者、何らかのハンディキャップを有する者、逸脱リスクのある未成年者などがある。

 

このようなタイプの企業は、不利な状況にある主体(人々)の労働参入という特定の目的のために、所定の分野における職業養成を推進し、十全な社会的統合を目指し、ひいては協同組合の外部に広がる労働世界への参入へとつなげるという役割を引き受ける。

最後に挙げるべき重要なことがらは、行刑分野における薬物やアルコール依存症の者に対する処遇に関して、国民保健サービスが果たしている大きな役割である。すなわち、地域社会において提供される社会的、医学的、臨床心理的なサービス、および治療施設という形で提供されるサービスである。

 

薬物依存症の受刑者は(注10)、一定の期間、刑務所内での服役に代えて、治療施設内での療養や治療を受けることができる。そのような施設では、専門教育士やその他のしかるべき専門職員が対人サービスにあたるため、しばしば犯罪の根本原因となっているような依存症の問題と正面から向かい合うことができる。

 

(注10)イタリアでは、違法薬物の所持量が定められたレベルよりも少なく、自己使用のみを目的として使用した場合には、刑罰の対象とはならず、国民保健サービスが治療を担当する。

 

この分野においても、数多くの多様な団体や社会協同組合が依存症の問題を抱える人の援助、受け入れ、療養に携わっている。

 

ここまで述べてきたような刑務所内外の交わりが十分に深まり、一層発展するためには、言うまでもなく、刑務所の外部に広がる地域社会が刑務所の改革と、そこに暮らす住民(受刑者)に積極的にコミットする態勢にあることが必要である。もちろん、刑務所内の人たちにまで労働の機会を提供するだけの豊かな社会的資源に、外部の地域社会が恵まれていることが前提となる。

 

残念ながらイタリアの失業率は非常に高い。とくに南部ではそうであり、そのうえ種々の犯罪組織(マフィア、カモッラ、ヌドランゲタ等)によって歪められた地域となってしまっている。その意味で、私自身はナポリで生まれ、ナポリで育った人間であるけれども、ミラノで仕事ができたことは幸運だったと言えるだろう。なぜなら、ミラノという都市は、経済的資源が比較的に豊かであり、そしてそれだけではなく、何よりも、犯罪者の再犯リスクを低下させ社会的治安を改善するために、受刑者にコミットするという勇気を併せ持つ極めて柔軟な社会的繊維(tessuto sociale)を備えた都市だったからである。これがもしナポリだったら、異なる種類の困難が待ち受けていただろうことは想像に難くない。

 

そのようなミラノのB型社会協同組合や有能なボランティア団体・個人などの惜しみない助けがあったからこそ、われわれは、受刑者によって生産された財やサービスを刑務所が購入し、刑務所内部の協同組合の最初の顧客となる、といったような好循環を創り出すことができたのである。

 

具体的な例を挙げよう。受刑者たちが働くレストランの経営はケータリング事業をおこなう協同組合に委託され、草刈りとグリーン維持の仕事は園芸花卉事業をおこなう協同組合に委託される。さらに、スタッフと受刑者たち自身がそのような協同組合の生産物を購入する。所内のランドリーを運営する協同組合が、受刑者が自分たちの衣類を洗うためのコイン式ランドリー機械についても維持管理を引き受ける。

 

このようにして好循環が生まれていく。この好循環のなかで、受刑者は職業としての労働に従事するようになっていく。最初期の生産活動に対しては買い手である刑務所によって代金が支払われるだろうが、やがて協同組合の経済活動は刑務所の外部へとその販路を拡大していくのである。

 

2017年3月20日 日伊シンポジウム「ボラーテ刑務所の奇跡 ソーシャルファームを活用した社会復帰」より収録

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.222 特集:沖縄

・仲村清司氏インタビュー「変わる沖縄——失われる心と『沖縄問題』」

・宮城大蔵「静かに深まる危機——沖縄基地問題の二〇年」

・北村毅「戦争の『犠牲』のリアリティー:当事者不在の政治の行く末にあるもの」

・神戸和佳子「『わからなさ』の中でいかに語り考えるのか——沖縄をめぐる哲学対話の実践から」

・山本ぽてと「沖縄トイレットペーパー産業史」
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