駆けつけ警護、PKO撤退、日報問題…安保法制施行から1年、自衛隊をめぐる課題とは

歴代の政権が禁じてきた集団的自衛権の行使を一部可能にした安全保障関連法。その施行から1年が経った。しかし、駆けつけ警護、南スーダンからの撤退、日報問題など、自衛隊をめぐる問題が世間の注目を集め、その課題が浮き彫りになっている。東京外国語大学教授、伊勢崎賢治氏と改めて振り返った。2017年3月29日放送TBSラジオ荻上チキ・Session22「駆けつけ警護、PKO撤退、日報問題…安保法制施行から1年、自衛隊をめぐる課題とは」より抄録。(構成/増田穂)

 

■ 荻上チキ・Session22とは

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現場と政府認識のずれ

 

荻上 本日のゲストをご紹介します。国連PKO活動などに詳しい、東京外国語大学教授伊勢崎賢治さんです。よろしくお願いします。

 

伊勢崎 よろしくお願いします。

 

荻上 安保法制施行から1年を迎えるにあたって、稲田防衛相が改めてその意義を強調するコメントをしました。「わが国を取り巻く安全保障環境が一層厳しさを増す中で、一国のみで自国の防衛はできない。その中で集団的自衛権を可能にする安全保障法制は大変意義深いものである」とのことですが、いかがでしょうか。

 

伊勢崎 日本を取り巻く安全保障環境が激変しているという指摘はもっともだと思います。ただ認識の仕方がずれている。その激変の認識が間違ってます。

 

左派、右派、イデオロギーの違いを問わず、日本人全体にいえることですが、まず国内で広く一般に共有されている「戦争」の概念が、現代の国際社会のそれとは大きく異なります。この齟齬を日本社会が理解しない限り、自衛隊の海外派兵の議論は現場の実情からかけ離れたもののままであり続けるでしょう。

 

荻上 この1年の、防衛省あるいは自衛隊を奉告するような国内の動きについてはいかがでしょうか。

 

伊勢崎 今回の安保法制の目玉の一つはPKO活動における「駆けつけ警護」でした。実際に自衛隊が派遣され、駆けつけ警護などの新任務を担うとされましたが、実際の自衛隊の活動としては、基本的な部分は従来と何も変わっていません。つまり、これまで通り自衛隊は国連PKOの活動の中で、1番安全な時に、1番安全なところで、1番安全な業務をしていた。

 

昨年の7月には南スーダン首都のジュバで戦闘が起こり急激に治安が悪化しました。ジュバはPKO本部がある南スーダンで最も安全な場所でした。そのジュバで戦闘が起こったということは、今や南スーダンに安全な場所は存在しないということです。これでは自衛隊はもう外にでれません。基地に籠るだけで、新任務は何も出来ずに撤退する。新任務は、別に、現場では実行されず、後に述べるように実行されようがないのですが、ただ、国内政局において新任務を課した法案を通したということが、唯一の実績です。おそらく、これがそもそもの目的だったのでしょうから。

 

そもそも「駆けつけ警護」に蓋然性はありません。自衛隊が実際に駆けつける、つまり極めて能動的な警護をするような事態が、本当に起こるか、ということです。こうした蓋然性のないシナリオに基づいて任務を付与することは、政策立案の常識としてはありえません。もう少し蓋然性のあるシナリオをちゃんと考えて、それに備えた実のある訓練をしておくべきだったでしょう。

 

荻上 立法事実そのものが疑わしかったということですか。

 

伊勢崎 そうなります。駆けつけ警護に関しては完全に日本国内へ向けたアピールでしたね。現場で実際に任務を遂行するか否かは関係なく、集団的自衛にむけて自衛隊が一歩進んだという実績を作りたかったのでしょう。

 

荻上 南スーダンに限らず、現在の自衛隊をめぐる問題では、アメリカや日本国内の保守層へ向けて自衛隊の可能性をアピールしたい政府側と、可能性と同時に限界も明確に認識している現場の自衛隊員の間で、現状解釈などに齟齬があると指摘する声もあります。

 

伊勢崎 そうですね。自衛隊員たちは日本の安全保障の実情をしっかりと理解していると思います。例えばPOSOW戦略なんかはいい例でしょう。POSOWとは非軍事的な手段による挑発のことを指します。中国がこのPOSOW戦略を行っていて、具体的には、武装した大量の漁船や、中国の海上保安庁にあたる海警を、尖閣諸島を始めフィリピンやインドネシアなど諸外国の領海に送り込み、相手国を挑発をするんです。

 

これに対して日本が軍事組織である海上自衛隊で応対すると、これは日本側から戦争を仕掛けたことになってしまう。中国はそれを待っているわけです。中国にとっての個別的自衛権の行使の要件が整ってしまうということです。自衛隊はそうした中国の戦略をしっかりと理解しており、だから、警察力というバッファーがない「空」は別にして、防衛出動を戦後一度もやったことがないのです。

 

しかし問題は、尖閣問題のようなイシューはナショナリズムの問題になってきているところです。日本側だけでなく、あちらの側でも。自衛隊の幹部の間ではPOSOWの考え方は定着していて、挑発に乗らない冷静な対応が出来るとしても、それを理解していない政治家や世論が「中国やっちまえ」みたいなことになってしまっている。こうした政治的熱狂の中で、現場の自制心が崩れ間違いが起こってしまうかもしれない。本当の脅威はナショナリズムなのです。

 

荻上 駆けつけ警護に関しても、現場からは必要な議論がされていないことや、本来必要な備えがされていないと不安の声が上がっているようですね。

 

伊勢崎 自衛隊派遣の最大の問題は法的な整備が不十分なことです。自衛隊が派遣先で活動を行うためには、派遣先の統治政府と地位協定を結ぶ必要があります。地位協定とは、派遣先で軍事的な事故が起こった場合に法的にどう対応するのかを定めたものです。南スーダン派遣の場合、自衛隊を指揮する国連がPKO派兵国を一括して、南スーダン政府が協定を結んでいます。

 

ところが日本では、自衛隊の活動場所は非戦闘地域なのだから、軍事的な衝突や事故を「起こるわけがない」と想定外にしている。つまり万が一自衛隊が事故を起こしても、それを審理する国内法がないのです。しかし現場では事故が起こり得る。事実、昨年の7月のジュバでの大規模な戦闘では、自衛隊が巻き込まれる可能性も十分にありました。事故が起こる瀬戸際だったんです。

 

当時の状況に関して陸上自衛隊はかなり危機感を持っていました。官房長官も撤退は昨年の9月、10月から検討していたと言っていますが、この状況を考えれば当然です。

 

荻上 しかし今回の撤退決定は、治安悪化のためではなく、南スーダンの状態に目処がつき、役割を果たしたからだとされていますね。

 

伊勢崎 政府はそう言っていますが、国際認識とは真逆です。国連では悪化する治安を懸念して、平和維持軍の追加派遣を行っています。状況が落ち着いてきた、目処が付いたというのはナンセンスな認識です。撤退の判断自体は正しいと思いますが、理由付けは実態からかけ離れています。

 

荻上 撤退の判断が正しいとのことですが、その理由はなんでしょうか。

 

伊勢崎 通常軍隊を持っている国では軍法、軍刑法といって、国際人道法でいうところの違反行為、つまり戦争犯罪を裁く法律を持っています。しかし、日本にはそれがありません。なぜなら、戦闘することそのものが法理的に想定外だからです。

 

米軍の基地問題でもわかるように、軍事組織というのは常に事故と隣合わせです。意図せずとも一般市民を傷つけてしまったり、殺してしまうことさえある。日本のような平和時での駐留でもそうなんですから、「戦闘」が実際に起きている南スーダンのような戦時状況では、なおさらです。万が一でも民衆を誤射してしまったときにどうするのか。それも大量に。

 

こういうリスクは、自衛隊が基地にじっとしていても、あちらからやってくるのです。つまり、昨年7月のジュバのように、大統領派でない住民が、大統領派の迫害に堪え兼ねて、庇護を国連に求めるべく大量に押し寄せる。そのなかには、戦闘服を脱いだ大統領派の民兵も混じっている。そういう中で撃たれたら、当然撃ち返すことになる。住民に紛れている敵に向かってです。

 

こういう状況になった時、国連は、1994年のルワンダの時のように門を閉ざさないのです。現在の南スーダンPKOの筆頭任務は「住民の保護」なのですから。ある国連加盟国の一つの国民を、国連PKOが、その国軍、警察を差し置いて、いや、彼らから守る。これが、日本の政局が、見事に見誤っている「激変」なのです。

 

つまり、PKOが住民の保護のために好戦的になっているのです。好戦的になるということは、必然的に、PKO自身が「誤射」「誤爆」をしてしまう蓋然性が高くなってくる。それをしっかり想定し、それへの法理的な対処を各PKO派兵国に義務付けたのが、後で詳述することなる1999年の国連事務総長による告知です。これが日本で全く議論されていないのです。なぜなら「戦闘」そのものを法理的に想定外にしているからです。

 

荻上 自衛隊は軍隊ではないから戦闘地域にはいかない。衝突はあるかもしれないが、そうした場所には派遣しないから大丈夫だ、という循環論法になっていますよね。

 

伊勢崎 確かに日本国内では、自衛隊は9条の制約により軍隊ではないと認識されています。そしてその想定で派遣する。しかし国際人道法上、自衛隊は「交戦資格」のある軍事組織として認識されます。国際人道法は、「交戦資格」のある「紛争の当事者」どうしの間での合法的な戦闘のルールを定めるものですから、その意味で「敵」とは対等であり、「敵」からどう見えるかが問題になります。「敵」が自衛隊を、他のPKO部隊から切り離して特別視する国際人道法上の義務はありません。

 

「敵」から「交戦資格」がわかるように、自衛隊も迷彩服を着て、同じブルーヘルメットをかぶり、右腕には国連章を付け、他のPKO部隊と資格的に「一体化」しています。政府は自衛隊は武力行使とは一体化しないとして、PKO部隊にいても自衛隊の指揮権は東京にあると言っていますが、ウソです。他の国の部隊と同様、国連PKO司令部の指揮下、「一体化」しています。

 

もし指揮権が東京にあるのなら、日本は南スーダン政府と二国間の地位協定を結ばなければなりませんが、そうしたものは存在しません。南スーダン政府が自衛隊を受け入れるのは、国連PKOの構成員として、国連との地位協定に基づいているのです。そして、日米地位協定での日本と同じく、南スーダン政府は、事故発生時の第一次裁判権を放棄しているのです。

 

 

駆けつけ警護は「ありえない」

 

荻上 先ほど駆けつけ警護の蓋然性が低いとの話がありましたが、その点についてはいかがでしょうか。

 

伊勢崎 端的に言って、駆けつけ警護なる概念はありません。駆けつけない警護ってあるんでしょうか。そもそもこれは、安保法制の前の、集団的自衛権の閣議決定の時に安倍首相が出した2つのポンチ絵の1つです。自衛隊が、同じ現場にいる日本人の人道援助スタッフを助けられない忸怩。つまり邦人保護という感情論からきているのです。

 

そもそも国連PKOにおいては、要人の警護や救出は、一義的には国連文民警察、特にFormed Police Unitという警察機動部隊の仕事で、PKO部隊であれば典型的な歩兵部隊もしくは特殊部隊の仕事です。自衛隊のような専門外の施設部隊に通常任務としてそれをやらせることは、まず、ありえません。なぜなら、専門外の部隊を送って、そこで何かあった場合、地位協定上の責任は国連PKO司令部が負わなければならないからです。

 

さらに、PKOでは、自国民をその国の部隊が優先して救出に行くというようなことはありません。国連は国籍によるトリアージはやりません。というか、タブーです。

 

南スーダンのPKOに部隊派遣している国は20カ国もありませんが、NGO職員など、南スーダンで活動している人は、実に様々。世界中から集まっています。PKO部隊が、自国民だけ優先保護したら、PKOはオペレーションとして破綻してしまいます。

 

考えても見てください。現在国連PKOは世界20ヵ所で行われていますが、自衛隊が派遣されているのは南スーダンだけ。一方で残りの19カ国でも文官やNGO職員などをはじめ活動している日本人は沢山いる。南スーダンで自衛隊が日本人だけ守ったら、他の場所で日本人が差別される口実をつくるようなものです。もうほんとバカらしいから、PKOに感情論を持ち込むのは、止めにするべきです。

 

荻上 しかし議論はあくまで邦人救助のためということで進みました。

 

伊勢崎 そうなんです。これはカンボジアPKO派遣以来と言われていますね。実際カンボジアでは、国連文民要員の中田さんと警察の高田さんが犠牲になられた。それをどうすることもできなかったという独りよがりの忸怩感。

 

感情論としてはわかりますが、軍事組織は、通常の官僚組織以上に、個人の感情が指揮命令下、抑制されるべき存在です。各国部隊は、司令部の命令によって動くのです。自衛隊が感情に任せて「駆けつける」。そんな、勝手なことが軍事組織として許されるわけがありません。繰り返しますが、地位協定上の責任は国連が負っているのです。感情と軍事組織の運用論をごっちゃにしてはいけません。

 

荻上 同時に、国内向けの「自衛隊は軍隊ではない」という説明のために、本来活動に必要であるはずの万一に備えた法整備をめぐる議論が進まずにいるわけですね。

 

伊勢崎 その通りです。自衛隊は通常戦力で言えば世界第4位の強さを誇る軍事組織です。にもかかわらず、自らが犯す軍事的過失、つまり国際人道法違反=戦争犯罪を審理するための法体系がない。これは世界でも日本だけです。

 

荻上 それだけの力を持ちつつも、その力が暴走してしまったときにそうするのかという議論がされていない。

 

伊勢崎 はい。国際人道法の観点からは、非常に野放図な打撃力を持った軍事大国としか見えない。日本人だけです、9条が印籠になっていると思い込んでいるのは。

 

だから、日報を破棄するなんていう、軍事組織としてありえないことが起きてしまうのです。フツーの国では、「破棄」ということが国会の議論の俎上にのぼること自体がありえない、法治国家として。「改ざん」はあるでしょうが、悪意の問題として。「破棄」は、フツーの国では、想定すること自体が不可能でしょう。

 

日報は何かが起こった際にその問題の軍事行動の状況を説明する唯一の証拠です。軍事法廷や国際法廷で裁判となった時、日報は、まず軍事行動の正当性を指し示す第一義的な証拠です。軍にとって身を守るための証拠なんです。【次ページにつづく】

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シノドス国際社会動向研究所

vol.222 特集:沖縄

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