2017.06.14
“共謀罪”をめぐる特別報告者の書簡で注目、国連人権理事会とは何なのか?
5月18日、国連人権理事会の特別報告者ジョセフ・ケナタッチ氏が、「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案について、「成立すればプライバシーや表現の自由を制約する恐れがある」と懸念を示す書簡を安倍総理に送った。また5月30日には、国連人権理事会の特別報告者のデービッド・ケイ氏が、日本の表現の自由を調査した報告書を発表した。国連人権理事会の特別報告者とはどんな立場で、どのような調査報告を行っているのか? その後ろ盾となる、国連人権理事会は、何を目的に設立されたのか。2017年5月31日放送TBSラジオ荻上チキ・Session22「日本政府は制度の趣旨を理解していない!?国連人権理事会・特別報告者とは何なのか?」より抄録。(構成/大谷佳名)
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日本政府の反応は筋違い
荻上 今日のゲストを紹介します。国連の人権保障システムに詳しい、神奈川大学法科大学院教授の阿部浩己さんです。よろしくお願いします。
阿部 よろしくお願いします。
荻上 阿部さんは普段、どのようなご研究をされているのですか。
阿部 専門は「国際人権法」と呼ばれる分野です。国際社会では、第二次世界大戦後に、人権を保障するための法制度が徐々に整備されてきましたが、それらがどう機能しているのかを分析し、現実の人権保障に資するための方策を研究する法分野です。
中でも、世界の難民保護の状況や、国連の人権保障システムがどのように発展してきたのか、といったテーマに強い関心をもっています。
荻上 国連には、第二次世界大戦を受けて「各国の人権状況を改善することぬきには戦争を抑止できない」という反省があります。それ以降、人権保証のためのシステムの構築が進められてきたわけですよね。その過程において、さらに新たな課題に直面してきたのでしょうか。
阿部 はい。どれほどシステムが改善されてきたと言っても、人権状況そのものが良くなっているのか、という根本的な問いがあります。実際、国や地域によっては政治的な動乱や腐敗が起き、ますます悪化しているところもある。ここ数十年にわたる国際社会の営みは本当に意味のあるものだったのかという疑問は常に突きつけられています。
荻上 そもそも人権を獲得する社会の実現とは、不可逆なものなのでしょうか。それとも、政権交代や突発的な紛争などによって不安定な状況になると、人権を守るという機運が失われることもあるのでしょうか。
阿部 長期的にみると、不可逆な流れではあると思います。しかし短期的に見ると、どこの国でも揺り戻しが起こることはありうる。そういった時こそ、国連がきちんと人権の問題を指摘する役割が重要になります。
荻上 なるほど。国連の人権保証システムについては後ほど詳しく伺いたいと思いますが、その前に、今回話題になっている国連の特別報告者の件を振り返ってみましょう。
5月18日、国連人権理事会のプライバシー権に関する特別報告者ジョセフ・ケナタッチ氏が、現在参議院で審議中の共謀罪の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案について、「成立すればプライバシーや表現の自由を制約する恐れがある」と懸念を示す書簡を安倍総理に送った。
これに対して菅官房長官は、「特別報告者は独立した個人の資格で人権状況の調査報告を行う立場であり、今回の書簡は国連の立場を反映するものではない。」「一方的に出された書簡の内容は明らかに不適切」と抗議(5月25日)。
この抗議を受けて、ジョセフ・ケナタッチ氏は「日本政府の抗議はプライバシー権に対する多くの懸念などについて少しも向き合ったものではない」と再び反論。
また安部総理も、参議院本会議(5月29日)での答弁で、「今回の公開書簡は国連人権理事会に対する正式な報告ではない。アントニオ・グテーレス国連事務総長も『特別報告者は国連からは独立した個人の資格で活動しており、かならずしも国連の総意を反映するものではない』と述べていた」「法案を作成した日本政府の説明を聞くことなく一方的かつ唐突に出されたもので、著しくバランスを欠き、不適切である。よって、書簡の内容は政府のこれまでの説明の妥当性を減ずるものでは全くない」と反論。
この一連のやりとりについて、阿部さんはいかがお感じですか。
阿部 「一方的に公開された書簡だ」という日本政府側の反論がありましたが、実はこれは、プラバイシーに関する特別報告者としては、人権理事会によって与えられた任務にもとづく通常の活動なのです。コミュニケーション(通報)と呼ばれる活動の一つで、ケナタッチ氏から日本が受けたのは今回が初めてでしたが、特別報告者たちからのこうした問い合わせは多くの国に対して行われています。通報というのは、個別の人権侵害事案についての問い合わせが一般的であり、沖縄の山城博治さんが長期間身柄拘束されていた際に複数の特別報告者たちが緊急アピールを出していたことが報道されていますが、これなどがそれにあたります。ただ、そうした個別事案への対応以外にも、特別報告者の任務しだいで、法案などについての問い合わせができるのです。
ケナタッチ氏は、人権理事会から、各国のプライバシーの状況を調査報告することを委託されている立場にあります。今回はその任務に従って、共謀罪に関わる法案について、「プライバシーの保護が考慮されているかどうか、きちんと情報提供してください」と問い合わせをしただけなのです。このように各国の法案等について問い合わせをするときは、まさに“一方的に”書簡を送り、そして回答が得られる前でも国連のホームページで書簡内容が公開されるという手続きになります。
ですから、むしろなぜこれほど日本政府が動揺しているのかが、私には理解できません。
荻上 日本がこうした形で公開書簡を受けるのは、今回が初めてのことだったんですね。だから政府側としては驚いてこのような反応になってしまったのかもしれません。しかし反論するにしても、「その指摘は全く当たらない」と一方的に退けるばかりで、質問されていることへの応答はまったくしていませんね。
阿部 そもそも、ケナタッチ氏は法案に対して非難をしているわけでは全くないんです。ですから、今回の日本政府の反応は筋違いということになります。
荻上 むしろ、プライバシーの権利や表現の自由に関わるものであるからこそ、透明性が確保された公の場で議論された方がより理念にあったやり取りになりそうですよね。
さて、ケナタッチ氏の件につづいて、先日、特別報告者をめぐってこんな出来事もありました。
5月30日、国連人権理事会の特別報告者のデービッド・ケイ氏が、日本の表現の自由を調査した報告書を発表。
報告書の中では、特定秘密保護法の改正や、放送メディアに政治的公平性を求める放送法4条の撤廃などを求め、メディアへの政府の圧力に対する懸念、教科書検定のあり方の再検討などを勧告する内容となっている。
これに対して菅官房長官は、「我が国の立場を十分に反映していない報告書になったことは極めて遺憾」と不快感を示した。
まず、この報告書はどういった内容だったのですか。
阿部 報告書を発表したデービッド・ケイ氏は、昨年に日本を訪問し、表現の自由に関する包括的な現地調査を行いました。今回の報告書はその調査結果をまとめたものです。
報告書にはいくつかの重要な指摘があります。一つは、メディアの独立性についてです。例えば、報道機関に対して放送法を通じて圧力がかかっているのではないか、慰安婦問題に関する報道内容に影響力が及ぼされているのではないか、といった懸念が示されています。
また、教科書問題についての指摘もあります。表現の自由とは、情報を発信することだけでなく、受けることも重要な要素と考えられています。ですから、日本が過去に犯した「慰安婦」問題のような重大な犯罪的行為について教科書の記載が減っていることについては、知る権利などと絡めて問題があると述べられています。
そして重大な関心が示されているのは、特定秘密保護法に対する指摘です。この法律は表現の自由にかかる深刻な問題をはらんでおり、特にジャーナリストなどの活動を制約する恐れがあると勧告されています。そのほかにも、ヘイトスピーチに関する規制が不十分であること、選挙中の活動が制限されていること、沖縄のデモに対して過度の力の行使がなされていることも問題視されています。ちなみにヘイトスピーチは、国際人権法の領域では表現の自由による保護の対象にならないものとされています。
荻上 面白いことに、この報告書の詳細を報道している新聞はいくつかあるのですが、ほとんどのメディアが省略しているのは「記者クラブ制度」の問題なんですよね。
阿部 この問題は、デービッド・ケイ氏が来日した当初から強調していたものです。報告書では、圧力に抗するメディアの力が日本では弱いことが指摘されています。その理由の一つして、ジャーナリストたちが大手メディアに雇用され、多くの場合そこでずっと仕事をし、組合も企業レベルでしか存在していないことがあげられています。要するに、日本では、雇用された新聞社なりテレビ局に忠誠を尽くす仕組みになっており、横断的にジャーナリストの独立を守る仕組みがないということです。
世界的に見ると、ジャーナリストたちはむしろ所属する報道機関を移動することが多く、だからこそ、所属する会社に忠誠を尽くすようなことはなく、ジャーナリスト同士での連帯の度合いが高くなっている、と報告書はいっています。日本での現地調査に協力してくれたジャーナリストたちのほとんどが匿名を条件としたことにケイ氏は驚いたようですが、これも、日本の報道機関で働いている人たちが、経営者からの報復を恐れ、ジャーナリストとしての独立性を保障されていない証左であるとされています。
そして、メディアの連帯を阻み、市民のために情報を収集する能力を損なっている要因としてあげられているのが記者クラブ制度なのです。とくにフリーランスのジャーナリストや外国のプレスが記者クラブから排除されて、不利な立場におかれていることが問題視されています。デービッド・ケイ氏は、記者クラブ制度がジャーナリストの連帯を妨げ、政府の圧力に抗することができなくなっていることを憂慮しています。
特別報告者はどのような立場なのか?
荻上 特別報告者の人選はどのようになっているのでしょうか。
阿部 特別報告者にはさまざまな人権に関わる専門家が選ばれ、それぞれの専門分野にふさわしい任務が与えられます。選考は公募で行います。政府やNGOなどから推薦されるのですが、自分で自分を推薦することも可能です。5名の大使からなる協議グループが書類の審査と電話でのインタビューによって選考し、候補者リストを作り、人権理事会議長に示します。議長は国連人権理事会の加盟国やオブザーバーの国々との間で協議を行い、候補者を絞り込みます。そして最後に国連人権理事会で承認を得て決定する、という手続きになります。
荻上 特別報告者がどの国を調査するかはどう決められるのですか。
阿部 特別報告者にも2パターンあり、特定の国や地域を担当する人と、人権課題別に担当する人がいます。一人ではなくグループで任命される場合には、特別報告者ではなく作業部会という言葉が使われます。今回のような、表現の自由やプライバシーについて調査する特別報告者は後者の人権課題別ということになります。なお、今年の3月の時点ですと、13の国・地域と、43の人権課題が、特別報告者たちの調査報告の対象になっています。人権課題別に調査報告の任務を与えられている場合には、どこの国を調査するかは特別報告者の判断によります。
荻上 すべての国は回れなくても、他の国にも共通する象徴的な課題を取り上げることに意味がありますよね。
阿部 まさにその通りです。これまで167カ国が調査の対象となり、国連加盟国は193カ国なので、ほぼすべての国が調査対象になっていることになります。調査対象になっていない26カ国の内訳をみると、ほとんどがいわゆる極小国であり、サン・マリノ、ルクセンブルク、アンドラ、トンガといったところです。比較的大きな国で、強硬に現地調査を拒んでいるのはアフリカではジンバブエ、アジアでは朝鮮民主主義人民共和国です。他の国は現地調査を受け入れています。
また、現時点では日本も含め117カ国が「どんな特別報告者でも、いつでも来ていいですよ」という“スタンディング・インビテーション”(恒久的な招待)を国連人権理事会に提出しており、常に特別報告者を受け入れる約束をしています。
荻上 過去に日本では、慰安婦問題についての勧告も含む「クマラスワミ報告書」が出されたことがありましたよね。あの場合も、「女性の人権」という枠組みの中で報告書が作られたのですか。
阿部 はい。女性に対する暴力を調査する特別報告者として、ラディカ・クマラスワミ氏が任命されました。どこの国を調査するかを決める議論の中で、日本の慰安婦問題はかなり初期の段階から候補に挙がっていましたが、これは彼女の仕事のほんの一部であり、決して日本だけが調査されて勧告を受けているわけではありません。日本以外にもさまざまな国において、幅広く女性の人権に関わる調査を行いレポートを出しています。
荻上 なるほど。こうした特別報告者の位置付けについて、リスナーの方からこんなメールが来ています。
「日本政府の抗議の中で『特別報告者は個人の資格で活動しているので、国連の立場とは別だ』という反論がありました。しかし国連のHPを見てみると、この“個人の資格”という言葉は、『国連のスタッフはどこの国の出身者だとしても、国籍に関係なく意見を言う資格を与えられている』という文脈で記述されており、国の縛りから自由だということを明確にする意味で、“個人の資格”を与えると表記されているのではないかと受け止めました。この解釈はあっているでしょうか?」
阿部 はい、まさにこのリスナーの方のおっしゃる通りです。ここでは、「個人=私人」という意味合いではありません。個人だからこそどの政府にも縛られることなく、専門家としての知見を提供することができる。特別報告者の5つの資格要件である、「独立性」「専門性」「経験」「客観性」「高潔な人格」を保つことができるのです。
特別報告者は、国連の特権免除条約によって身分を保障されており、任務を遂行する際の発言や行動を理由に法的な制裁を加えられることは一切ありません。さらに、特別報告者が持っている書類には手をつけてはいけないとされています。
これは国連事務総長だったコフィー・アナン氏の言葉ですが、特別報告者の制度は、国連人権保障システムの「もっとも重要な要素(“Crown Jewel”)」であり、国連人権保障システムを成り立たせる基盤になっています。だからこそ、特別報告者の活動を尊重し、その勧告に真摯に向き合うことは、理事国である日本としては当然の責務なのです。
荻上 こうした構図を考えると、ますます今回の日本政府の反論は見当違いなもので、権威主義的な通俗観念に基づいた発言のように思えますね。
阿部 そうですね。「国連の総意ではない」という指摘は、特別報告者制度の意義とは全く別の次元のことです。また、特別報告者から問い合わせを受けた場合は応答する責務があるのですが、それをきちんと果たしていません。
そもそも日本は国連人権理事会の理事国に当選した際に、特別報告者と協力していく旨を表明しているのです。
荻上 ケナタッチ氏の件では「一方的な公開書簡だ」という抗議もありましたが、そもそも日本側も質問を受け入れることを宣誓しているので一方的でもない。そう考えると日本政府側は“事前通告慣れ”をしすぎているのかもしれませんね。国会での出来レースのようなやりとり、記者クラブでの質問に慣れすぎているから、「事前の通告なしに公表するなんてひどい!」という反応になっている。
阿部 私もまったく同感で、そうしたメンタリティが露骨に出ていると感じます。今回のジョセフ・ケナタッチ氏の書簡、デービッド・ケイ氏の報告書の内容はなにも過激な内容ではなく、むしろ特別報告者として書くべきことを書いているだけなのです。ケナタッチ氏については、そもそも問い合わせをしているだけなので、その質問に反発すること自体、おかしな話です。
荻上 確かに国会や記者会見での答弁でも、質問が出ると「その指摘は当たらない」と言って強制的に議論を終わらせるというケースが続いてしまっていて、少し麻痺してしまっているのかもしれません。
特別報告者の勧告は「内政干渉」にあたるのか
荻上 さて、こんな質問も来ています。
「特別報告者は日本以外の国にも報告書を送って大きな問題になったことはあるのでしょうか。」
阿部 もちろんレポートを受けた国としては痛いところを突かれるわけなので、それなりの問題にはなります。これまでの流れを見ると、特にアフリカやアジア、イスラムの国々で、特別報告者の指摘を過激な内容だとして強く反発したり、特別報告者制度そのものをなくしてしまおうという動きが出てきました。
これに対して、特別報告者制度を守ろうとする動きも欧米諸国を中心に広がっており、日本もこれまではその側に立っていたはずなんです。
荻上 デービッド・ケイ氏の報告書に対して日本政府は、「我が国の立場を十分に反映していない報告書になったことは極めて遺憾」と表明しています。これは、どういうことなのでしょうか。
阿部 特別報告者が報告書を出すときは、事前にその国の政府に見せて「どこか修正すべきところはありますか?」と確認をすることになっています。今回も草案の段階で日本政府に提出し、それに対して政府はかなり詳細な反論文書のようなものを送り返していたのです。しかし、最終的にその内容がすべて反映されたわけではなかったため、「日本政府の立場が反映されてない」と反論したわけですね。
デービッド・ケイ氏は、反論の文書に書かれていた細かな事実関係にかかわる修正要求についてはきちんと取り入れています。しかし、例えば特定秘密保護法に関する、日本政府からの「伝聞に基づく勧告は受け入れられない」などという意見については真っ向から拒否し、当初の立場を貫いています。
荻上 ただ、特定秘密保護法ですから、具体的にどのようなものを保護したのかは見せてくれない。となると当然、調査は伝聞にならざるを得ないですよね。
阿部 はい。そもそも何を持って「伝聞」と言っているのか分からないのですが、特別報告者は一つの報告書を書くために、さまざまな人に聞き取りを行い、必要な資料を収集し、それなりの手順を踏んで作成しているのです。ただそれが日本政府の認識と異なっているということが、政府にとって最大の問題だったのでしょう。
荻上 国連の加盟国として、特別報告者の勧告を受け入れる義務などはあるのですか。
阿部 法的な強制力はありません。この点は特別報告者制度の弱点とも言われています。しかし、果たして特別報告者に強制する力を与えることが適切でしょうか。
指摘を受けた側が、拒絶するのではなく自分たちの制度を振り返り改善していく。特別報告者はそうしたきっかけを与えてくれている、そう考えると、強制よりむしろ勧告の方が良いと思います。
荻上 強制すると内政干渉ということにもなりえますし、自分たちで改善することで血肉化した制度にしていく機会を失ってしまうことにもなりますよね。ただ、いざ耳に痛いようなことを言われると「内政干渉だ」と言う人もいますが、内政干渉の定義は強制的に他国の政治に関与することであって、ただ評価されるだけでは内政干渉に当たりません。そもそも日本は「特別報告者を受け入れる」と表明している立場であり、合意のもとだという点は、重ねて抑えておく必要がありますね。
阿部 もう少し言うと、表現の自由やプライバシーは国際的な基準であり、この基準はすでに各国が合意しているものです。それをベースにして特別報告者たちは意見を言っているので、まったく内政干渉ではありません。
荻上 自分たちで気づかない論点を第三者にチェックしてもらうからこそ、この制度の意味があるのであって、当然、対象となる国の立場が反映されない報告書にならざるをえないということですね。
阿部 はい。大事なことは、そもそも干渉かどうかを議論する前に、人権は内政ではないのです。それに特別報告者に強制力はないので、干渉でもありません。
国連人権理事会の目的
荻上 ここからは国連人権理事会の歴史を振り返っていきたいと思います。まず設立されたのはいつごろなのでしょうか。
阿部 設立は2006年ですが、もともとは国連ができた直後の1947年から活動していた「人権委員会」が基になっています。しかし、人権委員会は当時の各国の政治力学が非常に強く反映された組織であり、欧米諸国、旧ソ連を中心とする社会主義諸国グループ、発展途上国グループがそれぞれの人権課題を持ち、激しく衝突していました。そのため、きちんとした組織に作り替えようという声が21世紀になって台頭し、国際人権理事会が生まれたという経緯になります。
少し詳しく説明しますと、人権委員会はもともと本気で人権を守ろうとする組織ではなかったと言えます。1947年は、まだアメリカには人種差別があり、イギリスも世界各地に植民地を持っていました。ソ連も自国内に深刻な問題を抱えていました。国連をリードしていた国々が、自国内に多くの人権問題を抱えていたのです。そのため、人権委員会は1960年代に入るまでほとんど機能していませんでした。
1967年になって初めて南部アフリカのアパルトヘイトが取り上げられ、1969年にはイスラエル占領地域、1975年にはチリ、というように少しずつ国別に人権問題に取り組み始め、特別報告者制度が発達する流れにつながっていきます。
最初は国別の調査報告のみでしたが、1976年にアルゼンチンで起きた軍事クーデターの際に大勢の人々が失踪したことが問題となり、世界中で起きている強制失踪の問題を調査しようという動きが始まりました。こうして1980年に強制失踪を調査する作業部会が設置され、それ以降、人権課題別の調査報告活動もスタートしたのです。
国別の調査において問題だったのは、当時の冷戦下では社会主義諸国と資本主義諸国が対立していたため、お互いに相手のグループに属する国を調査対象にしようとして激しい政治力学が働いたということです。それが人権委員会が政治化してしまった大きな原因です。国連人権理事会はこうした反省を受けて、公正公平な理念に基づいて作り直そうと立ち上げられました。しかし、実際のところは基本構造がほとんど変わっていません。
さきほど言ったように、アジアやアフリカ、イスラムのグループは、特別報告者制度自体をなくすか、その力を弱めようという意思をかえって強めているところもあるように感じます。
荻上 普遍主義はあくまで西洋の中心主義にすぎないという批判は、もともと人権差別にかかわらず文明論としてはありましたが、「この国は差別がある」と名指しされることによって逆にそうしたロジックを強め、反発が起きることもありそうですね。
阿部 はい。ですので、人権課題別の特別報告者は発展途上国だけを調査の対象にするようなことはしません。日本やアメリカ、カナダなどの先進国にも積極的に調査に入り、特別報告者制度を通じて公平性を保っていこうという動きはあります。
荻上 日本はこれまで国連人権理事会からどれくらい勧告を受けてきたのですか。
阿部 これまで9人の人権課題別特別報告者の現地調査を受け入れていますが、こうした特別報告者の制度とは別に、人権理事会にはもう一つ重要な活動の柱があります。それは普遍的定期審査(UPR)と呼ばれるものです。これは、全ての国連加盟国が4年半に一度、その国の人権状況を人権理事会で審査されるという制度です。日本もこれまでに二度の審査を受け、多くの勧告を受けました。
荻上 それらの勧告によって、日本が改善したケースはどういったものがありますか。
阿部 UPRのもとでは、まだ日本が入っていない人権条約に入るよう検討してください、という勧告は受け入れています。また、人身売買の問題に関する勧告や、障害者、性的指向、子どもの権利にかかる取り組みなどについては受け入れています。ただ、アイヌの問題、在日コリアンに対する差別、死刑の廃止、難民の審査、代用監獄問題、入管の人権侵害などに関する勧告は、受け入れていません。
特別報告者の勧告にかんしては、今回の表現の自由に関する報告もそうですが、これまでもあまり真摯に受け入れるという状況ではなかったように思います。
荻上 どれに応じてどれに応じていないのかを見ると、私たちとしても国内課題としてどの問題に消極的なのかを知ることができますね。
最後に、これからの国連人権理事会の課題についてはどうお感じですか。
阿部 現在においても国連人権理事会には、さまざまな批判が向けられています。人権問題が複雑化していることと並んで、やはり大きいのは、かつての人権委員会と本質的には何も変わっていないじゃないか、という批判です。そればかりか、国連の人権保障システムにおいてもっとも重要であるはずの特別報告者制度が、近年ますます批判を受けている。そうした政治的な状況が、この人権理事会を覆っているという問題があるのです。
荻上 政治的なパワーバランスからは独立した形で、より中立性を確保していく。さらには、各国が良好な関係のもとに解決策を一緒に議論できるような段階までつなげていけるといいですね。阿部さん、本日はありがとうございました。
プロフィール
阿部浩己
1958年伊豆大島生まれ。現在、神奈川大学法科大学院教授。早稲田大学大学院博士後期課程修了、博士(法学)。専門は国際法・国際人権法。難民の保護や国連の人権保障システム、国際法の脱植民地化などが研究のメインテーマ。主な著書に、『国際法の人権化』(信山社、2014年)、『国際法の暴力を超えて』(岩波書店、2010年)、『沖縄が問う日本の安全保障』(共編著、岩波書店、2015年)、『戦争の克服』(共著、集英社、2006年)など。
荻上チキ
「ブラック校則をなくそう! プロジェクト」スーパーバイザー。著書に『ウェブ炎上』(ちくま新書)、『未来をつくる権利』(NHKブックス)、『災害支援手帖』(木楽舎)、『日本の大問題』(ダイヤモンド社)、『彼女たちの売春(ワリキリ)』(新潮文庫)、『ネットいじめ』『いじめを生む教室』(以上、PHP新書)ほか、共著に『いじめの直し方』(朝日新聞出版)、『夜の経済学』(扶桑社)ほか多数。TBSラジオ「荻上チキ Session-22」メインパーソナリティ。同番組にて2015年ギャラクシー賞(ラジオ部門DJ賞)、2016年にギャラクシー賞(ラジオ部門大賞)を受賞。