2013.08.29

東アフリカの「怪談」?――ウガンダ東部アドラ民族の場合

梅屋潔 文化人類学、社会人類学、宗教民俗学

国際 #ウガンダ#怪談#ジュオギ

アフリカの「怪談」?

東アフリカ、もっと特定すると私が1997年から毎年調査で滞在しているウガンダには、四季はない。気候的には大雨期と少雨期、その間に挟まれた2回の乾期があるだけである。「夏」という「季節」を考える考え方が、本来的には、ないのだ。

そして、日本のように、毎年きまった期間、お盆のような時期に死者の霊が子孫のもとに帰って来るという考え方も信仰も、それらにもとづく行事も本来はない。名前が特定できる死者、つまり最近死んだ死者の霊はルンベ儀礼という最終葬送儀礼がおわり、住んでいた小屋が破壊されるまでは、常に生者とともにいる、と考えられている。

すくなくとも私の知る限りにおいては、怖い話を聞くとぞっとする、とか、「冷や汗」をかく、という考え方もない。だから、暑い「夏」になると、涼をとるために「怪談」や「怖い話」の需要が増えるという現象もありえない。「語り部」のような立場の人々がいて、物語を語って聞かせる習慣は、この社会にもかつてはあったようであるが少なくなっている。総じていうと、今日の日本社会のいろいろな文脈に沿った「夏の風物詩」としての怪談は成立しない。

一般に「怪談」は、恐怖を感じさせるような、事実とも錯覚やつくりばなしとも判断しにくいような、ちょっと不思議な話のことをいう。幽霊や妖怪など、超自然的な存在や現象が語られる。死者と生者の狭間、人間と人間ではないもの、いわゆる異人やまれびとの交錯するような、不可知の領域が「怪」であり、それが語られたものが「怪談」である。

この広い意味に「怪談」をとれば、アフリカの「怪談」はじゅうぶんあり得ることになる。

まず、死霊の観念はある。また、死者とも生者とも区別がつかない神秘的存在について語ることも、よくある。ここでは、広い意味での「怪談」に含まれそうな話題を提供することにする。

呪い(人類学では妖術・邪術という用語を使うことが多い)、祟りなどをキーワードに文化を読み解こうとするのが私の研究の意図するところだからである。ちなみに妖術は『源氏物語』の六条の御休所の生霊のように、本人の意図しないまま誰かに神秘的な危害を加えることである。いっぽう邪術は丑の刻参りのように意図的に誰かに危害を加えようと何らかの技法に訴えることである。

この分野の研究の現在の基礎をつくったひとりが、イギリスの社会人類学者、エヴァンズ=プリチャードである。かつて彼が述べた以下の言葉が今も私の調査・研究を方向づけている。

「……アフリカのすべての民族において、有神的信仰、マニズム信仰[いわゆるマナイズム、マナへの信仰。あるいは祖先崇拝のこと:梅屋注]、妖術の諸観念、超自然的制裁を伴う禁忌、呪術行為などの諸観念が独自の結びつき方をしているがゆえに、各民族の哲学は独特な性格を示している。たとえば、一部の諸民族―バンツー諸族の大部分―では、祖先祭祀が支配的なモチーフとなっている。スーダン系諸族では、妖術が支配的モチーフとなっており、それに呪術や託宣の技術が加わっている。また他の諸民族、たとえばヌアー族では「霊」が中心に位置し、その周辺にマニズムや妖術の観念がみられる。そしてまた他の諸民族では他の概念が中心的位置を占めている、という具合である。何が支配的モチーフであるかは、ふつう、そしておそらくつねに、危険や病気やその他の不幸に際して人びとがそれらの原因を何に求め、それから逃れたりそれらを排除したりするためにいかなる手段をとっているかを調べることによってわかる……」[エヴァンズ=プリチャード 1982: 494-5]

要するに、ある民族の「哲学」を理解するためには、人間社会を不可避的に襲う病や死といった不幸の出来事の原因として、何が持ち出されて、それに対してどのような対処を行うのかが重要だ、と説いているわけだ。そういった観念と行為の集合体を「災因論」と人類学では言い習わしてきた。その「災因」のモチーフの多くは、広義の「怪談」のトピックと必然的に重なる。いくつか私がフィールドワークの最中に実際に体験したことを含めて紹介しよう。

死霊の観念

死霊の観念はある、と書いたが、私が調べているアドラという民族では、かつては死霊の観念に対する信仰は、それほど強くなかったと考えられている。彼らは言語学的・文化的には西ナイル系という区分に分類されている。本来的には牧畜民で、家畜(特に牛)に花嫁代償や財産としての高い価値を付与し、エチオピア高地原産のシコクビエを主食としている。

死霊の観念が希薄だったのはある意味では当然である。歴史上牧草と水、あるいは近隣民族との紛争を経て長い間移動を繰り返してきた民族だからだ。墓をつくったとしてもやがて遺棄して去らざるを得ない。日本の位牌に当たるような、祖先の霊を物質的に象徴する習慣もなかった。現在でも、構造的健忘症と呼ばれるほど、祖先の系譜を容易に忘却してしまう。

巨大なことでこの地域ではもっとも有名な墓石。よほど祟りをおそれたのか。
巨大なことでこの地域ではもっとも有名な墓石。よほど祟りをおそれたのか。

南スーダンのバハル・アル・ガザル周辺にいたとされる母集団がアドラという伝説上のリーダーに率いられて、16世紀ごろまでに、何回にも分けて移住をし、キョガ湖のほとり、ウガンダ東部のトロロ県近辺に居住地がほぼさだまった。死霊や妖術の観念への信念と精緻な儀礼をもつニョレ、サミアなど近隣のバンツー諸民族に囲まれたアドラ民族は、その影響を受けて、死霊や邪術などの観念をしだいに発達させたとみられている。現在ではキリスト教の影響で、遺体埋葬の後セメントの墓をつくる。たまに見かける行き倒れなど素性のわからない人の墓は、土まんじゅうである。それが本来の姿であろう。

移動の過程で死霊を指す語彙を近隣言語から借用したり、意味や形態の変化が生じているようで、死霊などを指すときに系統を同じくする西ナイルのアルル、ランギなどの近隣諸民族と同じ語彙をもちいていても意味がすこし(あるいはかなり)違っていたり、バンツーの語彙を借用していることも多い。

言うまでもないことだが、本来無文字社会なので、基本的には口頭伝承によってのみ「怪談」は伝えられる。言語情報に依存して、ビジュアルのイメージが乏しいのが特徴である。数多くの妖怪・怪異絵巻がある日本の状況とは、そのあたりの事情はまったく異なっている。

アドラの祖先崇拝の霊場。沖縄の御嶽(うたき)に雰囲気が似ている。
アドラの祖先崇拝の霊場。沖縄の御嶽(うたき)に雰囲気が似ている。

ジュオギ

人は、死ぬと、ジュオギ(死霊)になる。死霊は、われわれと同じように同じ時間・空間に生前と変わらず生活している、というのが一般的な認識である。日本のような「山上他界」「海上他界」のような他界に行くのではない。三途の川も渡らない。同じ世界にいるのだが、ふつうは不平・不満がない限り、生きている人間に干渉することはない。不平・不満とは、死者の魂の安寧を保証するための儀礼を滞りなく行うこと、そしてその後は、(これもおそらくは最近の傾向であろうが)死者の終の棲家である墓を保全することである。

だから、葬式を行わなかったり、不当に簡略化したりすると、ジュオギの祟りで病気になったり、不幸に見舞われることになる。実際には認識の順序は逆であることがほとんどだ。病気や不幸に見舞われ、なぜだろうとジャシエシ(民間宗教者)に相談に行ってはじめて託宣によってその結果を人びとは知ることになるのである。同じように占いの結果、特定の死者が自分の墓の状態に不満がある、との卦が出て、墓に行ってみるとセメントで塗り固めた墓の表面にひびが入っていたりする。なおせ、というわけだ。あるいは、同世代の死者の墓にはセメントが塗ってあるのに、自分の墓にはまだ塗られていない、などという直接的な要求がジャシエシを霊媒としてその口で語られることもある。

儀礼小屋のまえでポーズをとるジャシエシの家族
儀礼小屋のまえでポーズをとるジャシエシの家族

ジャシエシは、ひょうたんのがらがらやタカラガイ、小石、ヒョウやヤマネコなど野生動物の毛皮やしっぽ、センザンコウの鱗などを巧みに使って占いや治療を行う。私が出会ったジャシエシのひとりは、3つの声を使い分けた。若い男性、若い女性、長老格の男性などの役割を必要に応じて演じていた。

死霊はけっこう人間的な性格で、その要求、メッセージのほとんどは人間のロジックで理解可能なものである。それだから、それほど理不尽な恐ろしさはない。古代日本のように祟る死者を祓ったり、調伏したり、供養したり、たんに祀りあげるのではなくて、その要求をひとつひとつ聞いてあげるのである。

要求のなかで最も一般的なもののひとつに「ルンベ儀礼をしてもらっていない」というものがある。ルンベ儀礼というのは、ちょうど日本でいう「弔い上げ」のようなもので、最終葬送儀礼である。埋葬後、数年、時には10年近くたってから、死者を忘れるために、死者の墓と小屋を会場にして盛大な宴会を開く。週末の二日間かけて、夜からはじめて一昼夜酒を飲み続ける。酒は、シコクビエを醸造してつくったコンゴという酒である。参加者は、親族、近隣の人びとはもちろんだが、参加できる者すべて。オケウォというクラン(氏族。ここでは父系を辿る出自を共有する人びとからなる集団)のなかで死者のオイに当たる男が宴会の責任者となり、酒を醸し、しかるべきかたちで供する。

「死者とともに飲む」この宴では尋常ではない量の酒が消費される。何年もあとに行われるのは、多くの場合経済的な理由からである。開発の専門家のなかには、このルンベ儀礼での浪費こそが、この地域がいまだ低開発であり、貧困から脱却できない大きな原因である、という者もいる。実際、彼らは支払いきれない花嫁代償と、支払いきれないルンベ儀礼の費用で首が回らなくなっているところがある。この後に、生前賞賛されるべき業績をあげた人物に対して行われるオケロ儀礼があるが、ここ数十年行われたことはないという。

儀礼小屋の柱に霊を祀る。
儀礼小屋の柱に霊を祀る。

拡大家族で、系譜も移住や内戦などによって不明確だから、「何世代か前の先祖がルンベ儀礼をやってもらっていない」といわれれば、「そういうこともあるかな」と思うようだ。クライアントの立場から見れば、かなりの蓋然性があり、いうならば「当たる」のである。だから多くのジャシエシも「災因」をここにもっていこうとする。説明が破綻しようがないからだ。

墓や位牌のありかたが激変した現代日本人も、「大昔の先祖の位牌が正しく祀られていない」とか「墓参りはきちんとしているか」とか「仏壇や神棚に毎朝お参りしているか」などと占い師にいわれたら、多くの人がぎくりと思い当たるのではないだろうか。卑近な例だが、実態はそれによく似ている。

死者の祟りを恐れて、アドラの人びとは瑕疵がないように、注意深くルンベ儀礼までの一連の葬送儀礼を遂行しようとする。

ネコの毛皮をまとうジャシエシ
ネコの毛皮をまとうジャシエシ
ジャシエシの治療
ジャシエシの治療

ティポ殺害された人間の霊

殺害された人の霊が復讐に訪れるという信仰もこの民族にはある。殺害された者の霊はジュオギには違いないが、とくにティポ、と呼ばれて区別される。これは被害を出したクランの人びとと、加害者のクラン双方全員が集まって「骨かじりの儀礼」(カヨ・チョコ)をしないと解決しない。加害者の七代先までティポは祟るのだという。言語・文化的に類縁関係にあるランギ民族ではティポはジョク(霊)の力の顕現だ、という考え方で、殺された霊に限定されないから、ずいぶんとユニークな概念になっている。

迷惑な話で、加害者だけではなく、最初の遺体発見者や、犠牲者の小屋に事件後はじめて入った者にまでティポは取り憑くのだという。

葬式の手順死者への対処

一般的な葬式の手順は、以下のようなものである。手順を間違えるとその後不幸や病が訪れたときに「祟り」(ムウォンジョ)が疑われる要素となるから、きわめて慎重にとり行われる。

まず、遺体をバナナの絞り汁できれいに洗って服を着せ、盛装させる。これは女性たちの役目。プランテーン・バナナ(料理用バナナ)はガンダ民族などにとっては主食である。続いて、ブリという特別な太鼓と叫び声(ululation)で、死を知らせる。そのための太鼓があるのだ。

ブリを鳴らす
ブリを鳴らす

死者のオイにあたる人物(オケウォ)が、葬儀のあいだじゅうともされるかがり火用の丸太(カシック)を探して持ってくる。

知らせを受けて三々五々集まってきた親族たちはそれぞれ立場によって供犠され、共食されるべきウシ(これを提供するのは死者の娘の夫など義理の息子も含む「息子」たちの役目)、毛布やシーツなどを持ちよる。近所の人びとも香典のような金銭をもって集まる。

数日間(死者が男性の場合には3日間、女性の場合には4日間)の喪の期間(ピド)に近親者は死者の屋敷の庭に野宿することになっている。地面にはバナナの葉を敷き、日光を避けるためにテントを張ったり、バナナの葉を葺いたりする。

ロングドラム(フンボ)と弦楽器(トンゴリ)、そして板のような打楽器(テケ)で構成された楽団が招かれ、「アジョレ」(隣のイテソの言葉では「兵士」の意)という挽歌を演奏すると、それにあわせて女たちが踊り始める。

アジョレ(挽歌)を演奏する楽団
アジョレ(挽歌)を演奏する楽団
アジョレを踊る女たち
アジョレを踊る女たち

やがて、男たちの手で遺体が納棺される。死者が男性なら、右側が下、女性なら左側が下。生きている時の性交の姿勢である。

死者の信仰する宗教の神父や牧師のミサが終わり、遺体は屋敷のはずれに埋められる。伝承上の所属クランの出自により、頭を向ける方角が決まっている。

埋葬前にはクランの長や、地方行政の長など一連のスピーチが続き、ピドの終わりに当たっても親族会議が開かれるが、トピックのなかでも重要なのは死因の確認である。死因を確認してくれる医者など村にはいない、ということもあるが、この社会にはおそろしい格言がある。「ジャジュウォキ(広義の妖術師。後述)なしに人は死なない」というものである。妖術・邪術や死霊の祟りなども含む、広義のウィッチクラフトがかならず介在している、というのだ。

参列者は必ず遺体と対面しなければならない
参列者は必ず遺体と対面しなければならない
遺体をまもる近親の女性たち
遺体をまもる近親の女性たち
死者の功績を称え、死因を説明するスピーチ
死者の功績を称え、死因を説明するスピーチ

彼らは「白人のいう自然死を信じない」のだという。

埋葬後しばらくして近親者によりジョウォ・ブル儀礼(「灰を集める」の意、ピドのあいだじゅうともされていたかがり火の灰を取り除く)とリエド儀礼(近親者の髪の毛と眉毛などを剃る儀礼)がおわると、一応の喪明けである。死者がらみの権利義務関係を清算し、借金も含めて相続人と後見人を確定する。喪のあいだ控えていた水浴びや掃除、ウシの搾乳などの行為が解禁され、一応の日常を取り戻す。

さて、数年後、時には10数年の時を経て催されるルンベ。盛大な宴会は、死者と共に酒を飲み、死者を忘れるためのもの、といわれる。

それではルンベ儀礼を執行されると、ジュオギはどうなるのか。ちょうど、日本の民俗宗教において「弔いあげ」を契機にホトケがカミになり、祭祀される場所が仏壇から神棚に変わるように、ジュオギは匿名性の高い集合的な霊となり、呼び方も少し変わってジュオキと呼ばれるようになる。これは、ある種の霊的な「力」なのだが、ジュオギだったときとは違って、人間のロジックがあまり通用しない。個別取引の相手としてはやややっかいな霊となる。しろうとがどうこうできる相手ではないので、霊界の専門家であるジャシエシの占いのなかで「災因」を分析するにあたって登場するだけである。

盛装して集まった参列者たち
盛装して集まった参列者たち
近親の男性たちによる出棺
近親の男性たちによる出棺
参列者もひとつかみづつ土をかける。
参列者もひとつかみづつ土をかける。
植物のストローで地酒を飲む村人―葬式でも酒を飲むことが重要な意味を持つ
植物のストローで地酒を飲む村人―葬式でも酒を飲むことが重要な意味を持つ

さまざまな「災因」

ある老人は私に、エイズ、マラリア、事故、毒、悪霊、殺人、首つり、老衰、結核、発狂、呪詛などで人間が死ぬが、そうした不幸の背後には必ず死霊、呪詛、毒などがある、と語った。

呪詛は、年長者へ払うべき敬意を払わなかった場合、年長者が社会的な規範の違反者である年少者に対して公に行うもので、英語のcurseにほぼ対応する。アドラ語ではラムという。近隣民族でも「ラム」は言葉でなにがしかの超自然的「力」に働きかける祈願を含意することが多い。

村には、何人か呪詛をかけられた、と噂される人がいた。ひとりはオドゥエ。自分の祖母に肉を届けるようお使いを頼まれたが、腹が減ってその肉を食べてしまった。祖母は目も見えないし、記憶も定かではない。老人の病が進行しているので高をくくって、オドゥエはバナナの葉に包んだ牛糞を、肉の代わりに祖母に渡した。それに気づいた老婆は激高し、「おまえなんか駄目になってしまえ」と呪詛をかけた(ほかにも墓場で裸になり、祖先の霊に向かって性器を露出して恨み言をいう呪詛もあるという。非礼な子孫に対する責任を遡って祖先に追求するわけだ)。

以来、オドゥエは片時も酒を切らすことがなかった。肉体労働で得たわずかな金銭を残らず飲んでしまうのだ。妻も愛想をつかし、子供を連れて出て行った。制度的には花嫁代償を返さないと離婚は成立しないが、仕方がないので実家の台所で妻子は暮らし、オドゥエは村はずれの廃墟に住み着いている。私の観察でも2着しかもっていないぼろぼろの服を交互に何年間も着ていた。

ある朝地酒を売るバーの地面で、冷たくなって倒れているオドゥエが発見された。つぶれてしまったので、店主はそのまま放っておいて鍵をかけて帰った。発見した店主の話では、その後かなりの量の酒を飲んだ形跡があったという。前の晩つぶれたと思ったのは狸寝入りだったのかもしれない。

「夢の世界は霊の世界。呪詛をかけられた彼は夢を見ることを極度に恐れていた。だから毎晩つぶれるまで飲んでいたんだ」「実は彼はインテリなので、自分がエイズであることを知っていた。潜伏期間がいつ終わって発病するのかわからない。恐怖で現実を直視できなかったのだ」と村人はいう。「そもそもエイズになったのも、ばあさんの呪詛のせいだ」とも。

毒を盛られた、という村の裁判にもいくつか出席した。そのうちのひとつの事例。原告は眼鏡をかけたインテリで、被告は流れ者の中年女性。地酒を売っていた。酒に毒を混ぜた、という。被害者の羽振りがいいのがねたましかったのだろうというのだ。以前住んでいた村でも同じ嫌疑をかけられたという。

結局女性は村を追放された。誰もが毒の使い方をよく知っているので、誰もが疑わしいともいえる。殺虫剤でもバッテリーのなかの硫酸でもいい。最も強力なものは猛禽類であるムブルクという鳥の肉でつくった毒(キダダ)であるといわれる。被害者は腹がぱんぱんに膨れてまもなく死に至る。絶対に助からないのだそうだ。

邪視もちにねたみをもった目で見られると不幸がもたらされる、という考え方は東アフリカでは非常に広く分布している。降雨師も邪険にされると、畑に雹を降らせて作物を全滅させたりする。石のような巨大な雹で頭を砕かれた、などという話も、降雨師に雷を意図的に落とされて殺害された、などという話も過去にはあったようだ。もちろん、邪視もちは外見でわかるようだが、降雨師のなかにはその能力を隠している者もいる、と考えられている。「彼は実は豹と双子で生まれたのである」といわれている人もいる。「彼を怒らすと双子の豹に襲われる」のだとか。他人のポテンシャルは非常に高く見積もられている。

このような、人間は他人に不幸をもたらすことができる、という考え方があり、その手法が多岐にわたり知られている。埋葬など一連の葬式にうっかり欠席すると、当の死をもたらした呪詛や邪術をかけた人間に違いない、という嫌疑をかけられるおそれもある。人びとはかなり遠方の埋葬儀礼にもみんな盛装してかけつける。私も葬式で参列者のなかに知己の顔をみつけるとほっとする。「まだ生きていたか」と。皮肉なことだが、葬儀への参列は、ある種の社交の機能も果たしている。

ジャジュウォキウィッチ

匿名的、集合的な死霊を指すジュオキに複数の人間を指す接頭辞をつけたジャジュウォキという語がある。英語ではwitchにあたるが、英語のwitchも、ハリー・ポッターがそうであるように女性に限らない。どうしても日本では「ウィッチ」というと三角帽子をかぶって箒にのって空を飛ぶ「魔女」のイメージから逃れにくいので注意が必要だ。

これは、隣人に毒を盛るなどして危害を加えたりする反社会的な者を指す。また、英語で「ナイトダンサー」と訳されるが、人の寝静まった夜中に出歩いて踊りを踊る、といった反社会的存在についても同じ語彙で呼ぶ(他の東アフリカでは「ナイトランナー」と訳される例が多い)。

彼らの語るジャジュウォキのイメージはおもしろい。われわれからすると全然怖くないのである。彼らは、全裸で灰を体中に塗りたくって墓の前に集まる。人間のしゃれこうべを腰紐につるし、踊って腰を振るたびにそれが鳴る。カトゥール、カトゥール、カトゥール、と音がするのでそれと知れる。逆立ちしたり、後ろ向きにあるいたり、普通の人とは逆のことをする。そもそも普通の人が眠っている夜中を活動時間としていること自体、普通とあべこべなのだ。片足のかかとを襟首のところに引っかけて片足でとん、とん、とんとあるく、という話も聞いたが、ここまでくるともう不思議、というより行為の目的や意味がわかりにくい。

日本にも死者にまつわることは「さかさ水」をはじめ「さかさごと」と呼ばれるが、同じ構造であろう。死者の言葉は生者のさかさまだというインドネシアのンガジュや、死者の世界ではあべこべであるとするバタク、トラジャなどでもよく似た考え方が以前から報告され、知られている。

1998年だったか、10月ある夜、深夜ちかくに「ばたばたばた……」と小屋の外を何かが走り回る気配があった。すぐに小屋の外に出たが、ばらばら茂みの小枝を揺らす音がするだけで、何なのかさっぱりわからなかった。懐中電灯を頼りにしばらく音のする方向を追ってみたが、やがて見失った。翌朝隣人に話をすると、青ざめている。

「それを追いかけたのか。それはジャジュウォキだ。殺されなくてよかったね」

「なぜ殺されるのですか」

「彼らは自分たちの正体を知られたくないのだ。かれらは集団でやってきて辻という辻にあらゆる種類の食べ物を置いてゆく。われわれがジャジュウォキではないかと疑っている者が村にもいるが、恐ろしくてその名は口には出せない」

「どうしてですか」

「彼らは毒を持っているんだよ!」

不思議なことに、ウィッチなら毒に頼らず神秘的な力を行使しそうなものだが、それはこちらの思い込みらしい。

この社会では、邪術をつかう人びともジャジュウォキで区別されていない。もっとも村対抗のサッカーの応援ではサポーターたちは見方の勝利を祈るよりも、どちらかといえば敵チームの負けを願って「呪う」ので、ウガンダにも非常に多いサッカー・ファンは全員、潜在的にはジャジュウォキである。最もこれは、サッカーなどのゲームでは、味方の神業を願うより相手のミスを想定する方が現実的だという側面もある。

アフリカにはサッカー・ファンは多いが、彼らの応援はときにウィッチクラフトを伴うことがある。2002年のワールドカップの代表選抜戦を兼ねたアフリカ杯では開催国マリにより呪術がかたく禁じられたし、カメルーン・ナショナル・チームからは邪術の疑いで逮捕者も出た(後に容疑を撤回)。マリとカメルーンとの葛藤は、サッカーと呪いをめぐって国際問題にまで発展したことはよく知られている。ワールドカップが終わっても、スポーツ省には、「アフリカ杯2連覇とワールドカップでのナショナルチームの活躍は私の儀礼のおかげ」とするカメルーン国内では高名だという呪術師から約515万円相当の請求書が届けられたりした。

霊の専門家であるジャシエシも、霊に憑依されることにより霊界と通信できるようになったと考えられている。彼らはまた、悪意を持って意図的に霊力を送りつけることができるとも考えられているので、不幸の原因探しと、それを取り除くためには頼りになる存在であるが、つねに容疑者にもなりやすい、きわめてヴェルネラブルな立場にあるといえる。

ヒューマン・サクリファイス

日本にも人身御供(ひとみごく)という考え方があるが、誰かの霊魂を供犠することで自分の願望(多くは邪な)を達成しようとする、という実践およびそれへの信仰もある。

アムネスティ・インターナショナルらの試算では実に50万人もの罪もない国民を殺害し、アフリカのヒトラーと異名をとったウガンダの元大統領イディ・アミン・ダダ。彼は、かつて自らの実子をコンゴ川のほとりで殺害し、遺体を鍋で茹でて「薬」をつくり、自らの権力を盤石のものにするための呪的力を得た、といわれた。この、あたかも目撃者でもいたかのようなエピソードはしばらくのあいだ新聞などを通じていわゆる西洋諸社会にも信じられていたが、しばらくすると当の息子がぴんぴんして公の場にあらわれた。西側諸国のねつ造だったとの説もある。

それに類するヒューマン・サクリファイスの話は現在でもアフリカの絶対的権力者には多い。

ウガンダのアルバート湖畔では、仲間の漁師に勝手に魂を売られてしまい(相手は湖の霊のようなものらしい)、死にかけたという人がいた。漁の最中に湖の波にのまれ、冥界のようなところに連れ込まれた。そこで出会った別の友人の死霊に「おまえはまだ来なくてもいい」といわれて助けられた、という。攻撃した男の望みは大漁祈願だったのだろうと考えられている。また、タンザニアやウガンダのヴィクトリア湖畔では、アルビノなどがヒューマン・サクリファイスの対象に狙われ殺害される、という事件が時折報道されたりする。

このように他人の命を何らかの超自然的存在に捧げることによって自らに「福」を招こうという考え方がある。呪詛といい、ウィッチといい、邪視もちといい、不幸をもたらすのは死霊だけではない。生きている人間に対しても決して油断はできないのである。いや、むしろ生きている隣人が一番おそろしい、という「哲学」がこの地域の「怪談」には貫かれているようにも思えてくる。自然、アドラ民族の「怪談」の登場人物は、現実に生きている人間になりがちで、その叙述は「あの世」についてではなく「この世」の出来事の噂話に傾きがちになる。葬式の頻度が多く、「死」がリアルな身近にあるこの世界で、娯楽としての「怪談」は成立しにくい。この社会での「怪談」は非常に現実的な、現在の日常と結びついたものである。現実認識ののびしろが大きいので、部外者にはときにファンタジーにみえるだけだ。

アミン元大統領の事例でもわかるように、時事問題とも結びつきやすい。反政府軍ゲリラとしてウガンダを長らく悩ませてきた「神の抵抗軍」のリーダーであるジョセフ・コニイ――You Tubeなどで世界に配信された「Kony 2012」で有名な――は、当初は「精霊運動」の指導者アリス・ラクウェナのオイである、という触れ込みだった。アリスはイタリア軍人の霊に取り憑かれ、メッセンジャー(アチョリ語でラクウェナ)として首都カンパラ奪還を命令されたのだという。首都を奪還しないと、ルウェロ地域の激しい戦闘内戦で死んだアチョリ民族の霊が祟る、というのであった。「精霊運動」の兵士には「弾丸に当たっても絶対に死なない」という儀礼を行い、不死身の薬を処方した。「神の抵抗軍」にも同種の儀礼が行われているといわれていたし、彼らは自分たちの戦いを聖戦と位置づけ、聖書にちなんだ名前を持つ部隊を組織して規模は縮小したが依然としてゲリラ戦を行っている。

呪われた私、守られた私?

村で暮らす「異人」であり「白人」で、毎年ほぼ決まった時期に訪れる「まれびと」である私は、当然村の人にとっては好奇の対象であるとともに「不思議」な存在である。私自身についての噂話も多い。調査・研究のことをスワヒリ語を借用して「キソマ」と呼び、私の活動を便宜的にそう説明してはいるが、村人の多くが小学校を出ていない社会では「キソマ」の内容がよくわからない。彼らにとって私はただ日々野放図に飲み食いしているようにしかみえないのだろう。しかも働いていない。それでいて結構な生活をしているのである。これは彼らにとって「ミステリー」以外のなにものでもない。

時折町のATMでキャッシングする姿は、仕組みを知らない人から見たらお金をつくるマジックである。実際、ガーナの施術師が最強のお守りとして、アメックスのクレジットカードを出してきた、というエピソードはこの世界ではよく知られたこぼれ話である。

無尽蔵に金を持っているかにみえる私は当然、ねたまれてもいるだろうし、場合によっては気づかずに年長者に無礼を働いていたかもしれない。妖術・邪術や呪詛の対象となっている可能性は十分なのである。

一度確認したことがある。が、呪っても「白人」には効かないのだそうである。あるいは遠すぎるから効き目がない、という人もいる(ということは呪ってみたということか?)。極端な場合には「白人は死なない」ともいう。白人は死ぬと例外なくその遺体は本国に送還されるので、アドラ人は埋葬をしていない。現実問題として、経験的に、白人を改めて死霊として扱うための文化的手続きをとったことがないのである。ある意味では実証的に「白人の死」を経験していないのだ。なかには私が邪術や呪詛から身を守るために、メイド・イン・ジャパンの強力な「科学的(!)呪術」を行っている、と考える者まであらわれた。1997年から村に住み着き、エイズ、事故などさまざまな原因ですでに何人もの飲み友達を失ったが、まだ私は生きている。この現実自体が、ミステリーなのであり、私の存在についての「怪談」ふうの議論も活発にしているもようだ。

私は一度ジャシエシに占ってもらったことがある。1998年のことだった。占いによれば、私は、キソマの一環でジュオギやウェレ(テリトリーをもつ精霊)が住んでいる場所を無遠慮に暴いているので、その祟りで、とんでもない不幸がすぐに私を襲ってくる、という。それを防ぐ守護霊をつけるには、10万ウガンダシリング必要だ、という。当時のレートで約10,000円。ジャシエシの費用としては破格に高額だと思ったが、同行したアドラ人が是非に、というので、支払いを済ませ、ちょっとした儀礼をして守護霊をつけてもらった。

それから1週間後、乗っていた自動車がサバンナのマラムロード(舗装されていない道路)で大事故を起こした。蟻塚に乗り上げて、横転。正確には右側フェンダーから接地して3回転。縦転したのだ。「かしゃん」と音がして車はひっくり返った状態で止まった。シートベルトはしていなかった。回転したときに重傷を覚悟したのは確かである。自動車の割れた窓から外に出ると、指示器が壊れてちかちか点滅している。

私の体も車内で何回転かしたのだろうが、わからない。奇跡的に脇腹を打撲しただけで、無事だった。ディーゼルなので火がつかなかったのが幸いだった。廃車となった車両を大変な苦労のすえ運び込んだ警察署で警察官が一言。

「何人死んだのかね?」

3人乗っていたが、誰も死ななかった。

裏返しになった事故車
裏返しになった事故車
村の人びとの力を借りて起こしてみたが
村の人びとの力を借りて起こしてみたが

それ以来、私にはどんな毒も邪術も効かない、という「迷信」を信じる人びとが村には何人かあらわれた。とくに例の「守護霊」について知っているアドラ人は「奇蹟」として熱心にこの話をした。おそらくはこのような出来事に肉づけがされて、この地域の「怪談」を含む不思議な話は出来ていくのだろうと思われる。

まだ当分その予定はないが、いつか私が死んだら、どう語られるのだろう、と考えることはある。ついに自分の長年かけていた邪術の効き目があらわれた、と語る人もいるかもしれない。実はすでにあの事故で死んでおり、その後の私は「ぬけがら」だとか、日本の「怪談」ふうにも語られるかもしれない。ことによると豹になって森に帰っていった、などという神話めいた噂を流す者が現れるのかもしれない。アフリカのある国の大統領の死に際してそのような噂が流れたことがあった。ブガンダの王には死ぬ、という動詞は使わない。森に「帰る」という。

中央が著者
中央が著者

自ら我が身を大統領とか亡き一国の王にたとえるというのは不遜なことだと気づいた。呪詛を招かないとよいのだが。いや、アドラ風に考えると、いちばん怖いのは生きている生身の人間である。毎日出会う隣人にせいぜい呪われないようにしなければ。

私自身の日本の村落社会のフィールドワークの経験に照らしてみても、日本でもほんとうのところ、「怖いのは生者」という事情は、あまりかわらないのかもしれない。

追記:私は本年も8月30日からウガンダの村に「帰省」する予定である。いい機会なので、村の「怪談」をあつめることはもちろんだが、村の人に日本の「怪談」を聞かせてみたい。

参考文献

梅屋潔・浦野茂・中西裕二、2001『憑依と呪いのエスノグラフィー』岩田書院。

エヴァンズ=プリチャード、E.1995(1982)、 『ヌアー族の宗教』(向井元子訳)平凡社ライブラリー。

奥野克巳・花渕馨也編著、2011『文化人類学のレッスン[増補版]』学陽書房。

吉田昌夫・白石壮一郎編著、2012『ウガンダを知るための53章』明石書店。

吉田禎吾1998(1976)、『魔性の文化誌』みすずライブラリー。

中野麻衣子・深田淳太郎編著、2010『人=間の人類学―内的な関心の発展と誤読』はる書房。

長島信弘 1987『死と病の民族誌―ケニア・テソ族の災因論』岩波書店。

Behrend, H., 2000, Alice Lakwena and the Holy Spirit Movement: War in Northern Uganda 1986-97, Ohio University Press.

Meyer, B, Peter Pels& Peter Geschiere, 2008, Readings in Modernity in Africa, Indiana University Press.

Moore, H. L.& Todd Sanders, 2002, Magical Interpretations, Material Realities: Modernity, Witchcraft and the Occult in Postcolonial Africa, Routledge.

「新潟県佐渡村落のフィールドワークにもとづきあつめたムジナの憑依、呪詛などの事例141をもとに、人類学・社会学の地平から、「憑きもの」研究に新しい局面を切り拓こうとする異色のエスノグラフィー」。

プロフィール

梅屋潔文化人類学、社会人類学、宗教民俗学

1969年生まれ。一橋大学大学院単位取得退学。現在、神戸大学大学院国際文化学研究科准教授。日本と東アフリカを中心に妖術・邪術、憑霊、呪詛など文化的秩序概念の民族誌的研究を行う。共著書に、吉田昌夫・白石壮一郎編著『ウガンダを知るための53章』明石書店。中野麻衣子・深田淳太郎編著、2010『人=間の人類学―内的な関心の発展と誤読』はる書房。梅屋潔・浦野茂・中西裕二、2001『憑依と呪いのエスノグラフィー』岩田書院など。論文に「ある遺品整理の顛末―ウガンダ東部トロロ県A・C・K・オボス=オフンビの場合」『国立歴史民俗博物館研究報告』169集、209-240頁、2011年など。ホームページはhttp://www2.kobe-u.ac.jp/~umeya/site01/index.html

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