人道的介入の倫理とその解剖

昨今のシリア危機の深刻化・複雑化を契機として、今また「人道的介入」の是非に注目が集まっている。人道的介入とは、一国内で大規模な人権侵害が生じており、当事国の政府が侵害の主体であるか、あるいはそれを阻止する意思や能力をもたない場合に、国家や地域機構などの国際社会が主体となって、人権侵害を阻止するための(とくに)軍事的干渉を行うことである。

 

今日でもしばしば国際的な論争を呼んでいるように、人道のための軍事介入というアイデアには、その直感的な説得力にも関わらず実は複雑な論点が含まれている。本稿では、それを支える価値や原理の問題に立ち返り、人道的介入の理念とその実際の姿を検証してみたい。

 

 

人道的介入とは何か

 

人道的介入をめぐる議論が国際社会のなかで本格化したのは、ソ連の崩壊と冷戦の終結を経た1990年代以降である。冷戦構造のくびきが外れた世界各地では、分離独立や内戦といった国内・民族紛争が同時多発的に生じていた。こうした武力衝突は、領土や資源をめぐる国家間紛争といった従来の戦争像では捉えきれない。具体的には、旧ユーゴ地域やアフリカ諸国で生じている分離独立や内戦のさなかで、一民族が他民族を公式・非公式に迫害する事件が多発し、こうした事態に対処するための措置として、人道のための軍事介入の是非が、冷戦終結後の国際社会で盛んに議論されるようになったのだ(詳しくは最上敏樹『人道的介入』(岩波新書)を参照)。

 

もちろん、1990年代以前に平和維持・人道支援の取り組みがなかったわけではない。ただし、冷戦期の国連平和維持活動(PKO)は、国連憲章における紛争の平和的解決(第6章)と強制措置(第7章)のあいだの「第6章半の措置」として、限定的な役割を期待されていた。

 

第一世代のPKOは、第一次中東戦争(1948-9年)時の国連休戦監視機構が先駆けとなり、第二次中東戦争(1956年)における停戦監視を主な任務として始まった。また1990年前後以降のPKO第二世代になると、ナミビアやカンボジアなど、現地の統治活動に関与して国家再建を支援する平和構築の役割が付け加わるようになる。これらの措置は原則的に、当事国からの同意に基づく支援措置だった。

 

しかし、冷戦終結後の国際社会で生じている国内・民族紛争を前にして、PKOの性質は大きく様変わりする。ある統計によれば、冷戦終結から今世紀初頭までに生じた紛争は116件あるが、そのうち89件は純粋な国内紛争(内戦)であり、また20件は外国の介入を伴う国内紛争だったという(ナイ/ウェルチ『国際紛争』(有斐閣)247頁)。こうした事態を前にして、ときの国連事務総長B・B=ガリは、就任後まもなく『平和への課題』(1992年)を発表して、次世代のPKOが、強制措置に基づく平和強制など、より一層積極的な役割を果たすべきだとの提言を行った。具体的に彼は、紛争地域に展開される、従来の部隊よりも重装備の国連強制部隊の創設を提案している。

 

こうして、1990年代以降の国連は、冷戦期に米ソに挟まれて積極的な役割を担えなかった過去を払拭すべく、世界の平和創造に向けて非干渉から介入へと大きく舵を切ろうとしていた。

 

従来の国連PKOと人道的介入の違いのひとつは、同意の有無である。「介入」あるいは「干渉」という用語自体、当事国からの同意を前提とする第一世代・第二世代のPKOからの逸脱を意味している。実際、ガリ事務総長下の国連では、第二次国連ソマリア活動(1993年)など、従来の平和維持に加え、場合によっては当事国の反対も押し切って、重装備のもとに平和強制に踏み込む活動が見られるようになった。ただし後述するように、ソマリアでPKO部隊が現地勢力と実質的に交戦状態に陥り、敵味方ともに多くの犠牲者を出すと、国際社会では平和強制に関して慎重な意見が相次ぐようになった。

 

場合によっては、国連の承認を経ない一方的軍事介入の試みもあった。例えば、アメリカとヨーロッパ諸国の軍事同盟である北大西洋条約機構(NATO)軍は、旧ユーゴ地域セルビアのコソボ自治州で生じているアルバニア系住民への人権侵害を阻止するため、国連の承認を経ないままセルビアに対して空爆を中心とする軍事攻撃を行った(1999年)。国連の承認を経なかったのは、安保理常任理事国の中国とロシアが介入に反対していたからである。国際世論が分裂するなかで一方的に介入が強行されたことは、人道的介入の論点をさらに複雑なものとした。

 

 

国益から国際道義へ

 

以上言及した人道的介入の実践は、国際政治をめぐる私たちの価値観のなかに根本的な変容が生じつつあることを示している。国益の追求を対外政策の最優先課題と見なす伝統的な価値観においては、国際社会における国家の第一義的な関心は、自国民の安寧であり、他国民の安寧ではない。それゆえ、他国で生じている人権侵害に対して、国境を越える道義的義務に従う必然性もない。アメリカの外交官として活躍したG・ケナンが言うように、「政府が担う主たる責務は、それが代表する国家社会の利益に対する責務であって、当社会の個々人が抱くかもしれない道徳的衝動に対する責務ではない」(Kennan, “Morality and Foreign Policy,” p. 206)。

 

しかし、昨今の世界各地で生じている事態に、国際社会がただ手をこまねいて傍観するだけでよいのだろうか。とりわけ、そうする能力を備えた大国は、自国民の利益のみならず他国民の利益をも配慮すべきなのかもしれない。

 

例えば、ときのイギリス首相T・ブレアはNATO軍のコソボ介入に際して、「この紛争において私たちは、領土のためではなく価値のために戦う」と宣言し(Blair, “A New Generation Draws the Line,” p. 40)、またチェコ大統領V・ハヴェルはこの介入を評して、「文明の発展が、最終的に人類を、人間こそ国家よりも重要なのだという認識へと到達させた」と宣言した(Havel, “Kosovo and the End of the Nation-State,” p. 4)。単なる国益の追求よりも重要な国際道義がある――こうした価値観の変容が人道的介入の実践を後押ししている。

 

冷戦終結以降、人道的介入とそれを支える価値観は政治家や知識人から広い範囲で支持を集めている(ウィーゼル/川田編『介入?』(藤原書店))。自国民のみならず他国民の利益に資するために、私たちは国境を越えて、人道的危機に何とかして取り組むべきだというのだ。しかしながら、国益の追求という伝統的な価値観を乗り越えることは、それほど簡単なことだろうか。あるいは、人道介入論者が熱心に推し広める理念とその実践のあいだには、無視できない食い違いが依然として存在しているのではないか。以下ではこの疑問を、介入の目的と方法という二つの観点から検討してみたい。

 

 

 

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