メルケル首相の携帯電話盗聴事件と戦後ドイツとアメリカの関係

メルケル首相の携帯電話がアメリカの国家安全保障局(NSA)によって盗聴されていたと報道され、米独関係は冷却化している。2013年6月にオバマ大統領が訪独し、ケネディー元大統領にならってベルリンで「歴史的」と評価されるべく演説を行い、多くのドイツ人が暖かくオバマ大統領を迎えたことが遠い昔の出来事のように思える。

 

NSA事件はちょうど4年に一度のドイツ連邦議会の選挙戦期間に発覚し、選挙戦でもメディアが大きく取りあげた。時間の経過とともにさまざまな問題が発覚し、事件の発端となったスノーデンNSA元職員と緑の党のシュトローベレ議員がモスクワで接触するなど、ドイツでのNSA事件への関心は薄れていない。しかし、米独関係を短期的な雰囲気の変化だけとらえて表面的に見てはならない。第二次世界大戦後の米独関係を振り返り歴史的な背景を理解した上で、NSA盗聴事件をドイツの政府や市民がどうとらえているのか考えてみよう。

 

 

連邦共和国とアメリカ――シンボルとしてのベルリン

 

ドイツの正式な国名は「ドイツ連邦共和国」である。連邦共和国は1949年5月にアメリカ、フランス、イギリスが占領していたドイツの西側の地域に建国された。第二次世界大戦に敗れたドイツは、米、英、仏とソ連に分割占領されたが、冷戦の深刻化にともなって統一された形での再建は断念され、西側に連邦共和国(西ドイツ)、東側のソ連占領地区に「ドイツ民主共和国」(東ドイツ)が建国された。

 

アメリカは第二次世界大戦後の早い時期にはドイツを懲罰的に占領する考えを持っていたものの、冷戦の始まりもあって、間もなくその方針を転換し、ドイツの再建を支援する政策をとった。ドイツ人から見ると、戦後ドイツとアメリカの関係を最初に印象づけることとなったのは1948年6月に始まったベルリン封鎖であったと言って良いだろう。

 

米、英、仏、ソ連によってドイツの国土は分割占領されていたが、戦前の首都であったベルリンだけは別途この4カ国によって分割占領されていた。ベルリンはソ連占領地区の真ん中に陸の孤島のように存在していた。ソ連はこのベルリンに至る東ドイツ地域の陸路を西側占領地域から遮断した。米、英、仏が管理する西ベルリンを西ドイツと切り離して兵糧攻めにすることによって、西側が西ベルリンをあきらめることを狙っていた。

 

このベルリン封鎖は、西側占領地区で通貨改革が実施されたことへの報復でもあった。通貨改革はその後実現する西ドイツの建国への重要な第一歩であり、この時期にはすでにドイツの分断は不可避となっていた。

 

ドイツ人にとっては戦前のワイマール共和国時代のハイパーインフレーション、そして第二次世界大戦後の荒廃したドイツ経済と、まったく価値の無くなってしまった通貨は忌まわしい記憶である。戦後の通貨改革によって導入されたドイツマルク(DM)はこの過去を完全に払拭した。そしてドイツマルクこそがその後の「奇跡の経済復興」の基盤であり、安定した通貨を持つことこそが経済的な繁栄のためにもっとも重要なことであるというドイツの信念ともいえる認識がうまれていくこととなった。ベルリン封鎖の記憶と通貨改革と戦後経済の成功の記憶は戦後ドイツの政治認識の中にしっかりと刻み込まれている。

 

アメリカを中心として英仏はベルリンを放棄することなく、協力してこのベルリン封鎖を乗り切った。陸路を遮断された西ベルリンは食料から燃料に至るまで、すべての必要物資を空輸によってまかなわなければならず、戦勝国の軍が実施した。現在はベルリン郊外に新空港が建設中なのでいずれその地位を譲ることになるものの、今日なおベルリンの空のメイン玄関として使われているテーゲル空港はこのベルリン封鎖の時に急遽整備された。

 

1948年6月から49年5月にかけてのベルリン封鎖は、占領軍としてドイツで認識されていた戦勝国の軍が、自由と繁栄を守ってくれる友人であると認識を転換させる出来事であったと言えるほどの出来事であった。

 

その後の冷戦のいっそうの激化と朝鮮戦争の勃発によってヨーロッパでも軍事衝突の懸念が強く認識されるようになると、西ドイツの再軍備問題が浮上する。東側と直接に国境を接し、大きな国土と人口を有する西ドイツを、米、英、仏の軍のみでは通常戦力で優位に立つ東側から守り切れないためである。

 

ヨーロッパ統合の枠組みを使ってドイツ再軍備を実現しようと当時のフランス首相であるルネ・ブレヴァンは、欧州防衛共同体の構想を打ち出した。しかし、結局国内をまとめきれず、フランス議会が条約の批准をできなかったことで欧州防衛共同体は失敗した。

 

これを受けて、アメリカを盟主とする北大西洋条約(NATO)の枠組みを使ったドイツ再軍備が実現した。ドイツは占領期から制限されていた外交主権を回復し、NATOに加盟して西側同盟の一員となった。アメリカが冷戦下で最前線に位置したドイツを東側の脅威から守り、ベルリン封鎖以来ドイツの市民はこれに感謝の念を抱くという構図が出来上がる。当初の占領者は、1950年代には友人となり、そして1961年にはベルリン封鎖15周年を記念してJ.F.ケネディー大統領がベルリンで歴史的な演説をおこなう。自由な世界に生きるものは誰でもベルリン市民であり、そのことを誇りに思うという意味で、ケネディーは「私はベルリン市民だ」と西ベルリン市庁舎の前で演説し、ベルリンの大群衆から喝采をあびた。

 

 

 

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