2014.01.08
「一昨日」に回帰するロシア――ロシアは女性にとって住みやすいか?
ロシアの今日か一昨日か
2013年12月9日、プーチン大統領はRIAノーボスチ通信とラジオ局「ロシアの声」を廃止し、新たに国際情報局「ロシアの今日」を開設するロシア連邦大統領令に署名した。
これに対して、『モスコフスキー・コムソモーレッツ』紙のミンキン記者は、大統領への手紙と題するコラムの中で、この新しい情報局を「ロシアの今日」ではなく「ロシアの一昨日」と名付けるべきではないかと揶揄している(*1)。これはプーチン政権の上からの締め付け政策への批判であり、現在のロシアが過去へ、つまりソ連時代に回帰していることを意味している。そして、情報局だけの問題ではなく、ロシア社会全体にも「一昨日」の雰囲気が漂っている。
それは筆者が関心をもっているロシアのジェンダー状況にも見受けられる。ただ、ジェンダー状況に関しては、ソ連時代よりもさらに過去の帝政ロシア時代への回帰とも思えるような状況にある。
ロシアでは、ジェンダーの問題はフェミニズムと同様にあまり人気がなく、一部のヒステリックな女性たちの抵抗として受け止められている。しかしながら、よく考えてみと、ロシアは、ソ連時代、括弧つきではあるが一定の「男女平等」を達成した国である。そのロシアでの過去への回帰しているように見えるジェンダー状況について具体的な事象を考えつつ、俯瞰してみる。
(*1)http://www.mk.ru/politics/letters-to-president/article/2013/12/09/956982-rossiya-pozavchera.html
ロシアのジェンダー今昔
革命前の帝政ロシアでは、スラブ地域、ムスリム地域、コーカサスなどといった民族的・地域的差異はあるものの、女性の置かれていた状況は概して厳しいものであった。女性は夫だけではなく、舅、姑、夫の兄弟、また兄の妻などに従属しなければならない存在であった。
しかしロシア革命によって、それまでの家父長的な家族制度を壊すことが試みられ、女性解放運動も大きく前進する。新生ソビエト政府は女性を組織し、教育活動を大規模に展開していった。1919年には共産党の婦人部が組織され、『労働婦人』や『農業婦人』といった女性啓蒙誌が発行された。その後、1930年に婦人部から婦人課に代わり、1934年にはソ連では女性問題は解決済みとされ廃止される。以後ソ連では女性問題は存在しないとされた。
ソ連時代には、社会主義建設のためにと女性も労働力として動員されていたことはよく知られている。女性が全就業者の半分以上を占めていて、年齢階層別労働力率を見ても結婚、子育て期間で一時的に労働力率が下がるМ字型ではなく、20-55歳までが高い台形型を描き、男女ともに年金受給年齢まで労働することが当たり前の社会であった。
しかし1985年のペレストロイカの頃から経済の合理化のために「女性は家庭へ」といった女性の家庭回帰への声が聞こえるようになった。そしてその傾向は、ソ連解体以後にはさらに強まっていく。同時に、それまでにはなかった家事や育児だけに専念できる専業主婦にあこがれる女性が増加し、ニューリッチとの結婚を夢見る女性も出てきた。
このような流れから、新生ロシアで大量の専業主婦が出現するのではないかと予想されていたのだが、90年代の経済的な圧力もあり、結局大量の専業主婦は出現しなかった。また、社会主義時代の経験から女性も働くことが習慣化しているために、フルタイムかどうかは別にしてもソ連時代と同様に仕事をし続ける女性が多かった。
筆者のインタビュー調査でも「家で家事、育児だけの生活は考えられない」と答える女性が90年代後半になると増えていった。その証拠に専業主婦率は2011年で5.4%であり、年齢階層別労働力率を見ても大量の専業主婦は出現していない。つまり、ペレストロイカ期から連邦解体直後に見られた専業主婦への一時的なあこがれの時期は過ぎ去り、現在、多くの女性たちは結婚後、出産後も、お金のため、自己実現等の理由で仕事を続けている。おそらく今後も女性の主たる役割が専業主婦であるシナリオはロシアにはないと思われる。それではロシアでは家庭内の性別役割分担はどうなっているのであろうか。
働く良妻賢母
ロシアでは、社会主義時代には「男性=仕事、女性=仕事=家庭」という図式が主流であった。男性が家事を分担するという習慣はあまりなく、強いて言うならば昔も今も家の修理やゴミ捨ては、男性の仕事である。
他方、多くの女性は働きながら、家事、育児、介護もこなしてきた。そして何より、男性はもとより女性自身が家事、育児、介護と仕事の何重苦をあまり意識していないのである。むしろ、仕事も家庭もこなしてこそ素晴らしい女性であるといった価値観がある。したがって女性の家事労働と仕事との負担に関しては、あまり議論になることもなかった。
もちろん、まったく皆無であったと言うわけではなく、1968年に制定した「結婚と家族に関する基本法」の策定過程では家事を分担する夫の義務を定めようという動きがあったことも事実である。しかし、今日まで、男女ともにワーク・ライフ・バランスを考慮した政策へと結びついてはいない。ロシア人男性はもとよりロシア人女性も、家事、育児、介護を女性の仕事として自然に受け入れているのである。筆者のインタビュー調査でも「女性が仕事も家事、育児もすることに何の問題があるの」、「ロシアの女性は強いのよ」「仕事と家庭の両立ができてこそ素晴らしい女性よ」いったことを誇らしげに語る女性が非常に多い。つまりロシア女性にとっては、働く良妻賢母が一般的なのである。
「産めよ殖やせよ」国家政策
このような良妻賢母志向の女性たちに昨今国家の「産めよ殖やせよ」という人口動態政策が押し寄せている。
ロシアはいま、人口が激減している。2012年の人口は、1億4144万人だが、2050年までの長期予想では、1億783万人にまで減ると予想されている。出生率はここ数年改善の兆しを見せているが、人口学者によれば、この改善は想定内のシナリオであり、今後は人口が減少する一途であるとされている。そして、ロシアはただ人口が減るだけではなく、ロシアからロシア人がいなくなるかもしれないというほどの危機的な状況にあるという。したがって、女性にできるだけたくさん子どもを産んでもらわなければならないのである。
ロシアでは出生率の低さもさることながら、死亡率も高い。一時は男性の平均寿命が60歳に届かない時があったほどだ。人口減を止めるためには、死亡率を下げるということも大切ではあるが、それ以上に出生率を上げるということが焦眉の問題であるとして、この「産めよ殖やせよ」の動きを政府が進めている。
プーチンの人口動態政策
人口問題については、プーチンが2005年の演説の中で、1990年代には手が回らなかった問題であるが差し迫った問題として触れている。そして、2006年5月10日の年次教書の中では、ロシアが抱えている人口問題を解決するには、死亡率の減少、効果的な移民政策の実施、出生率の上昇が不可欠であると述べ、人口問題に真剣に取り組む姿勢を見せた(*2)。前述した一連の「産めよ殖やせよ」の人口動態政策はここに始まることになったのである。
人口動態の危機を脱するため、国をあげての人口問題への取り組みとして、2007年に「ロシア連邦2025年までの人口動態政策」が大統領令で出された。2008年を家族年に制定し、子どもをもつ家庭への支援と家族のイメージアップキャンペーンをロシア全土で行ったのである。
家族への支援には、出産・育児手当の引き上げ、育児手当の拡大、新たな育児手当の創設、女性が出産後職場に復帰しやすいような環境づくり、孤児養子の問題解決などがあった。育児手当の拡大では、仕事をもたない母親にも2007年から児童手当が支給されることが決定された。
出生率の上昇のために政府が最も力を入れてきたのが、新たな育児手当の創設である。これは、「母親資金」と呼ばれ、2007年1月1日から2016年12月31日までに生まれた2人目以上の子に対して25万ルーブル(1ルーブル=4.5円(2007年)として、約112万5000円)支給されるというものであった。出産時に現金支給されるのではなく、子どもが3歳になった際に、(1)住宅の資金として、(2)教育資金として、(3)母親の労働年金の資金として支給される。支給額はインフレスライドするときめられた(*3)。
また、家族のイメージアップのために、著名なロシアの政治家、文化人などをはじめとした様々な家族を繰り返しマスメディアで紹介した。家族の伝統、家族の運命、大家族の幸せ、子育てにおける両親の責任感、家族の相互理解、家族愛といったことが強調されていた。また、ロシア下院議員発案の「家族、愛、忠誠の日」(7月8日)が家族年に合わせてロシア全土で祝われ、社会における家族のイメージアップに一役買った。
さらに政府は「両親栄誉勲章」の創設を決定した。「両親栄誉勲章」は、4人以上の子を持つ両親に授与される。これはスターリン時代の母性主義を彷彿させ、1944年の家族法の「多子母」奨励・人口増加政策の現代版のようである。しかし、名称が「母親」や「母性」から「両親」へと変わり、授与条件の子どもの数も変化している。以前は、10人以上の子どもを生んだ母親に「母親英雄勲章」、7~9人を生んだ母親に「母性名誉勲章」、6~5人の母親には「母性記章」が与えられたが、現在は4人以上の子どもをもつ親に授与される。
以上のような催しが功を奏したのか、現在の出生率は2007年時点に比べて約10パーセントほど改善している。しかし、さらなる策を講ずる必要があるとして、今度は支援だけではなく、圧力とも受けとれるような様々な動きがある。その中心にいるのが、下院の家庭・女性・児童問題委員会委員長であるミズーリナ E.である。
(*2)http://www.kremlin.ru/appears/2006/05/10/1357_type63372type63374type82634_105546.shtml
(*3)母性資金は、2010年からの支給が2009年からに繰り上げられた。また、支給額も引き上げられている。2008年12月に連邦法「子供のいる家族の国家支援の追加的施策について」へ改正が加えられたことにより、当初の3つの使用用途に加えて住宅ローンの返済にも使うことができるようになるなど改正されている。
ロシア正教的家族の復活か? 帝政時代への回帰か?
ミズーリナは、ロシアのヤロスラヴリ出身である。大学卒業後に州裁判所顧問を経て教職に就き、1992~93年にはヤロスラヴリ国立大学の刑法・刑事訴訟講座助教授、教授として勤務していた。
そんな彼女が93年12月選挙で第1期連邦会議代議員に当選したことにより政治の道に入る。改革派の「ヤブロコ」会派に所属し、95年に国会議員になった。その後、「ヤブロコ」から「公正ロシア」へ移り、路線変更した。現在は下院の家庭・女性・児童問題委員会委員長であり、以前の改革派からは程遠い非常に保守的な政策を次々に提案している。そしてそれが現在のロシアのジェンダー状況にも影を落としている。
2013年6月に、ミズリナグループによる「2025年までの家族政策基本理念案」(以後基本理念案)が公表された。これが「ロシア連邦2025年までの人口動態政策」と「子どものための国家戦略2012-2017年」とリンクしている。
この基本理念案では、前述したように財政的支援や家族のイメージアップキャンペーンは行ってきたもののロシアの人口動態は依然として危機的な状況にあるとし、その打開策として、より保守的で懐古的な産めよ殖やせよ政策が提案されている。
正直言ってこの基本理念案を初めて読んだ時、スターリン時代の人口増加政策や日本で1939年に出された産めよ殖やせよで有名な『結婚十訓』を想起させ、いつの時代のものなのかと時代錯誤に驚いた。ただこのような志向は現在の日本でも決して無縁ではない。2013年5月に内閣府の「少子化危機突破作業部会」が妊娠や出産に関する知識や支援を記したいわゆる女性手帳作成の試みが記憶に新しいだろう。
この基本理念案の総則の中では、まず「家族とは血統の存続のためのものである」と定義されている。そしてそれに続いて、「ロシア正教の重要性やロシアの伝統的な家族の価値観を守っていく」ことが強調されているのである。ここまで読んだだけでもこの基本理念案が保守的なものであることが十分感じられると思う。
さらに読み進めると、「ロシアの伝統的な家族の価値観は婚姻である」と書かれている。ここでいう婚姻とは、法律婚あるいはロシアの諸民族の歴史的遺産である宗教的な伝統による婚姻で結ばれた男女の結合である。そして、「結婚した夫婦は自らの血統を守っていくために、3人以上の子どもを産み育てていくこと」とされている。基本理念案でいう伝統的なロシアの家族とは、もちろん帝政ロシア時代の家族のことを指している。そして、現在のロシアの家族は政府がこうあるべきだとする伝統的なロシアの家族からは大きく逸脱している。そのことが現在のロシアの人口問題を生み出している原因であり、伝統的な家族に戻るべきであるというのがこの基本理念案の中身である。
具体的には、拡大家族の推奨、登録婚重視、子沢山の家庭の勧め(3人以上)、中絶の制限、離婚を減らすこと、さらには国家とロシア正教会をはじめとする宗教の個人生活への介入ともとれるような内容が盛り込まれており、これをたたき台に完成版へとつなげていくという。
この基本理念案に関してはすでに多くの批判が多方面から出されているようだ。しかし、この基本理念案を後押しするような提案や意見も次々と出されている。例えば、ロシア正教トムスク主教座のステパチェンコ伝道課長は未婚の母や、事実婚の夫婦を非常に汚いロシア語の罵詈雑言で呼ぶべきであると提案しており、ステパチェンコによると、法律婚の父と母からなる家族のみが唯一正統な家族であり、それ以外は認めないということをインターネットで公表している(*4)。
この件に関してロシア正教総主教庁は、ステパチェンコの個人的な意見であり、主教庁とは無関係であるとしているが、聖職者の発言の影響力を考えると、一個人の意見として放置しておいて良いはずはない。
また、この基本理念案に沿うように既存の制度への改定も行われている。その一例として、現在の育休3年間のうち、最初の1年半は給付を受けることができ、保険料も免除され、労働年金に換算される期間である。現在この特典の1年半の育休は2人目までとることができる。つまり3年間が恩典のある育休期間であったが、それを4年半に延長することが決まった(*5)。子ども3人以上産むことを実現するための策である。さらには、先に述べた母親資金の期限を2025年まで延長するようにという提案もなされている。
以上みてきたように、ロシアの未来を担う次世代を産み育てるためにロシア政府は躍起になっているのであるが、それがうまくいくのかははなはだ疑問である。政府の描く人口動態の理想に女性を当てはめようとしており、女性の幸せや人権が考慮されているとは到底考えられないからである。
その上、家庭内の役割分担は変わらないため女性の負担は増えるばかりではないか。ソ連は労働における男女平等をもたらしたが、家庭内の役割分担については結局あまり前進がなかったことが問題ではないかと思っている。ロシア政府としても女性に子供を産んでもらいたければ、もっと根っこにある問題にも目を向けてもらいたいと思う。このような「ロシアの一昨日」を感じさせるような状況がロシアのジェンダーにも見受けられ、ロシアは女性にとって住みやすい国になるのかと他人事ながら憂える日々である。
(*4)http://echo.msk.ru/blog/echomsk/1215865-echo/ http://echo.msk.ru/blog/echomsk/1216041-echo/
プロフィール
五十嵐徳子
天理大学国際学部准教授。主要著作:『現代ロシア人の社会意識』(大阪大学出版会、1999)、「タタルスタンのジェンダーの状況」『多文化多世代交差世界の政治社会秩序形成—多文化世界における市民意識の動態—ロシア』(慶應義塾大学出版会、2008)、「旧ソ連諸国のジェンダーの状況-ソ連時代からの遺産とその功罪-」『ユーラシア世界』(東京大学出版会、2012)