2014.04.11

コロンビア農民の生存戦略――コカ栽培が人々の生活にもたらしたもの

千代勇一 ラテンアメリカ地域研究/開発人類学

国際 #ラスパチン#synodos#シノドス#麻薬戦争#スペイン#コロンビア#コカイン#アンデス#マグダレナ・メディオ

コロンビアはハリウッド映画のお得意様である。

「デルタフォース2[*1]」、「トリプルX[*2]」、「コラテラル・ダメージ[*3]」、「今そこにある危機[*4]」にはコロンビアのシーンが登場する。それぞれチャック・ノリス、ヴィン・ディーゼル、アーノルド・シュワルツェネッガー、ハリソン・フォードといった蒼々たるアクションスターがコロンビアの麻薬コカインの生産施設で大暴れするのである。

もちろんフィクションの娯楽映画ではあるが、その背景には世界最大のコカイン消費国の米国がその最大の生産国であるコロンビアで展開してきた麻薬戦争がある。

麻薬戦争という言葉は1968年に米国のニクソン大統領が演説で初めて使ったのだが、このときには国内で深刻になっていたマリファナ消費への対策を意図していた(Crandall 2008: 22)。その後、コカインの消費が増加したことにより、“戦争”の舞台はコカインの生産地であるアンデス諸国へと移っていった。こうして、米国はこれまでに莫大な予算と人的資源を使ってコロンビアを中心に麻薬戦争を遂行してきたのであるが(千代 2011)、依然としてコロンビアはコカインの生産量もその主原料である植物コカの栽培面積も世界最大のままだ。

非合法の麻薬ビジネスは隠密に行われ、そのプロセスも複雑であることから、麻薬対策は容易ではない。その中で注目されてきたのが植物コカの栽培面積である。コカインの精製施設は人目につかないジャングルの奥地でひっそりと作られ、密輸手段も潜水艦を使用するなど巧妙化している。他方、屋外で栽培される植物のコカは人工衛星画像や航空写真を使って探知が比較的容易である。実際に、麻薬を監視している国連薬物犯罪事務所(UNODC)はコカの栽培面積からコカインの推定生産量を導き出しているのである(UNODC Colombia 2013: 36)。そのようなわけで除草剤の空中散布など様々なコカ対策がとられてきたのだが、コロンビアの違法なコカ栽培はなくならないのである。

これまでの麻薬問題へのアプローチは、主に国際関係論あるいは経済学など、マクロの視点から試みられてきた。そのためコカ栽培農民についてはあまり知られていない。そもそもどのような人々がコカを栽培しているのだろうか。

本稿は、麻薬コカインの原料である植物コカを栽培する農民の生活を明らかにすることで、これまでとは異なる視点から麻薬問題を理解することを目的としている。そのために、まず、背景となるコロンビアの麻薬ビジネスとコカ栽培の展開を整理する。続いて、コロンビア北中部のマグダレナ川中流域のボリバル県南部において筆者が実施した聞き取り調査に基づき、コカ栽培農民とコカの関わりを明らかにしていく。最後にコカ栽培農民の生活の実態を踏まえて、コロンビアの麻薬問題の見通しについて考察する。

コロンビアの麻薬ビジネスの歴史的展開

冒頭で述べたようにコロンビアは世界第一位のコカイン生産国であり、その主原料である植物コカの栽培面積も世界最大であるが、これは1990年代半ば以降の比較的新しい現象なのである。

もともと南米原産のコカは、スペインによる征服前から現在に至るまで、アンデス地域において先住民の儀礼の供物や嗜好品として用いられてきた(Young 2004: 250)。スペインによる征服と植民地支配を経て19世紀に欧州でコカからコカインの抽出に成功すると、外科手術のための麻酔やワインなどの添加物として利用されるようになった。しかし、次第にその中毒性が明らかとなり、1961年には「麻薬に関する単一条約」によって麻薬として世界各地で禁止されるようになった(千代 2013: 123-125)。

1980年代の米国では、それまで流行していたマリファナに代わる麻薬としてコカインがブームとなったが、このビジネスを取り仕切ったのがコロンビアの麻薬組織であった。巨大なカルテルに成長したコロンビアの麻薬組織は、先住民が多く伝統的にコカが栽培されてきたペルーとボリビアからコカあるいは一次精製物質のコカ・ペーストを手に入れ、コロンビアでコカインに精製して欧米などへ密輸をしていた。

麻薬問題が深刻化していた米国は、1980年代末の冷戦終結を機に麻薬対策に本腰を入れ、ペルーとボリビアに対してはコカインの原料をコロンビアに空輸するルートの遮断を支援し、コロンビアに対しては麻薬カルテルの壊滅に協力した。この結果、コロンビアでは90年代後半になると、それまで麻薬ビジネスの警護をしていた左翼ゲリラがカルテルに代わってこれを取り仕切るようになり、また、ペルーとボリビアから調達できなくなったコカがコロンビアで栽培されるようになっていったのである。

出典: UNODC World Drug Report 2012 (注)UNODCの調査データは、ボリビアが2004年以降、ペルーが2001年以降、コロンビアが2000年以降。それ以前は米国務省調べ。また、2009年以降のコロンビアのデータは精度向上のための調整済み。
出典: UNODC World Drug Report 2012
(注)UNODCの調査データは、ボリビアが2004年以降、ペルーが2001年以降、コロンビアが2000年以降。それ以前は米国務省調べ。また、2009年以降のコロンビアのデータは精度向上のための調整済み。
地図1.コロンビアのコカ栽培地域(2008年) 出典:UNODC Colombia 2009: 9をもとに筆者作成。
地図1.コロンビアのコカ栽培地域(2008年)
出典:UNODC Colombia 2009: 9をもとに筆者作成。

図1は1990年から2010年までのコカ栽培面積の推移を表しているが、このコカイン・ビジネスの変遷を如実に示している。また、地図1のコロンビアのコカ栽培地の分布を見ると、一定地域に栽培地が集中しているペルーやボリビアと異なり、広範囲にわたって栽培されているという特徴も見て取れる。これらのことから、コロンビアにおける麻薬の原料としてのコカ栽培は短期間に広く農村部で受け入れられていったことがわかるのだが、なぜそれほどまでコカ栽培が農村部で受け入れられていったのかはマクロの視点からではなかなか見えてこない。

コカ 筆者撮影
コカ 筆者撮影

[*1]アーロン・ノリス監督、ユナイテッド・アーティスツ社配給、1990年(米国)および1991年(日本)公開。

[*2]ロブ・コーエン監督、コロンビア映画配給、2002年(米国および日本)公開。

[*3]アンドリュー・デービス監督、ワーナー・ブラザーズ配給、2002年(米国および日本)公開。

[*4]フィリップ・ノイス監督、パラマウント映画配給、1994年(米国および日本)公開。

麻薬とコカの対策

膨張する麻薬ビジネスに対し、コロンビアでは麻薬組織の解体、密輸の阻止、コカイン生産施設の破壊といったコカインの対策だけでなく、その原料となるコカの根絶が進められてきた。

その方法は強制的な駆除と自発的な駆除に大きく分けられる。強制的な駆除とは手作業による引き抜きや米国の支援による除草剤グリフォサートの空中散布などがあり、自発的な駆除とは自らのコカの廃棄を条件とする補助金の支払いと代替作物の生産支援である。

出典:筆者作成。

これらの対策はある程度の効果を示したものの、しばらくすると栽培面積はなかなか減少しなくなる。図2が示すように、2000年以降のコカ栽培面積の激減は除草剤の空中散布によるものと考えられるが、その後は大きな減少が見られず、この手法の有効性に対する疑問が生じている(千代 2008: 36-38)。また、補助金の支払いや代替作物の生産支援についても、費用対効果や治安上の問題が指摘される(同書 38-39)。つまり、コカインの原料としての違法なコカ栽培に対して、これまでのところ有効な解決策が見いだされていないのが現状である。

コカ栽培農民の生活へのまなざし

そもそも、どのような人々が、なぜコカを栽培し始め、どのように生活してきたのだろうか。莫大な利益を得て、贅沢な暮らしを満喫しているのだろうか。ここで視点をコカ栽培してきた人々の生活へと移していく。

ここでの記述は断りがない限りは筆者が2008年にボリバル県南部において実施した聞き取り調査に基づいている。インタビューは、政府あるいはNGOが実施している違法作物代替開発プロジェクトに参加している60人を対象に行ったものである。コカ栽培は後述するように暴力と結びついているため、インタビューには困難や制約があった。そこで対象者を調査の趣旨に賛同した「元」コカ栽培者として、可能な範囲で過去を語ってもらうこととした。そのため厳密には対象者の数や選定の方法がこの地域のコカ栽培者を十分に代表するとは必ずしもいえないかもしれないが、コカ栽培者への聞き取りという特殊性と情報の希少性を鑑みるとそれでも分析材料とする価値があると考えている。

国家から“見捨てられた”土地と人々

ここで対象とするボリバル県南部はマグダレナ・メディオと呼ばれる地域にある(地図2)。マグダレナ・メディオとはスペイン語でマグダレナ川中流域を指す。マグダレナ川はコロンビア中部の山岳地帯を源流とし、アンデス山脈の支脈である東山脈と中央山脈の間を北に流れて大西洋へと注ぐ。全長1540キロのコロンビアを代表する河川の一つである。中流域では西に中央山脈の一部を形成するサンルーカス山脈へと続く森林地帯、東には平坦な土地が緩やかに東山脈西斜面へと続く。

出典:筆者作成。
出典:筆者作成。

行政区分としてはセサル県、サンタンデル県、ボリバル県、アンティオキア県を含む地域であるが、これまで開発や政府の統治が欠如あるいは不足してきたそれぞれの県のいわゆる「僻地」の寄せ集めともいえる。先述のように森林と河川があることによって他地域から分断され、歴史的にも政府から見捨てられて開発から取り残されてきたため、麻薬組織、紛争、ゲリラ、密輸などあらゆる違法なものが存在してきたと住民は語る。

地図3.コロンビアの行政区分(県)
地図3.コロンビアの行政区分(県)

ここでは、このマグダレナ・メディオの中でもとくにコカ栽培が盛んであったマグダレナ川西岸のボリバル県南部を対象とする。ボリバル県は世界遺産にも指定されているカリブ海沿岸の観光都市カルタヘナを県都として南北に広がるが、比較的に経済発展をしている北部に対して、南部地域はインフラも整っておらず開発が放棄されてきた。なお、行政区分としては、川沿いに広がるシミティ市、サンパブロ市、カンタガジョ市、そしてサンルーカス山脈の斜面に位置するサンタロサ市を中心に構成されている(地図2参照)。

ボリバル県南部の歴史は古い。16世紀にスペインの探検家ゴンサロ・ヒメネス・デ・ケサダの一行がマグダレナ川を遡上して現在のボゴタ一帯を支配するムイスカ族を征服する際、旅の途中の1537年に現在のシミティ市に集落を建設したとされる[*5]。その後、マグダレナ川沿岸部が漁業、港を通じた商業、そして石油開発により発展していく一方で、サンルーカス山脈の斜面へと続く森林地帯はバルディオスと呼ばれる国家が所有する未開墾地として放置されてきた。

1960年代に入ると状況は大きく変化する。伝統的な土地の集中化に加えてコロンビア各地の農村部における人口増加により土地不足が深刻化し、また、二大政党の自由党と保守党による政治的イデオロギーを巡る暴力が蔓延したため、新しい土地を求め、あるいは紛争を逃れて未開墾地の森林地帯への農民の入植が進んだ。聞き取り調査においても、60人中43人が親あるいは自分の世代でボリバル県南部以外から移住しており、とくに農業が盛んなボヤカ県、サンタンデル県、アンティオキア県からの入植が多くなっている(図3)。理由も土地不足、紛争からの逃避などとなっている。

出典:筆者作成。
出典:筆者作成。

入植者たちは自由に所有地を設定し、森林を切り拓いて住居と畑を作っていった。彼らの土地の多くはバルディオスあるいは1959年に設置された森林保護区の中にあり、登記されていないものも少なくない。しかし、実際に生活が営まれ、また私的な覚書を通じた土地の売買も行われてきた。聞き取り調査においても、土地を所有すると答えた43人のうち26人は法的有効性がない覚書のみを所持しており、土地の権利書を持つのはわずか7人であった。

土地の権利書を持たない理由としては、隣人が知っていれば十分であると考えていること、あるいは登記による税金が払えないことなどが挙げられている。こうした状況は、国家がボリバル県南部の未開墾地や森林保護区を管理できていないことを意味するのと同時に、入植者が国家の制度の外で生きていることも示している。

ボリバル県南部 筆者撮影
ボリバル県南部 筆者撮影

[*5]シミティ市ホームページ(http://simiti-bolivar.gov.co/informacion_general.shtml#historia)2014年1月10日閲覧。

コカ栽培の開始

1960年代にはボリバル県南部においてコカ栽培は行われておらず、入植者はインゲン豆、調理用バナナ、イモ類、トウモロコシなどの栽培や、ニワトリ、ブタ、ウシなどの飼育を行い、自給自足に近い状態で生活していたという。

1970年代になると米国におけるマリファナ消費が増大し、それにともなってコロンビア北部のラ・グアヒラ県においてマリファナの栽培が始まり(Thoumi 1995: 125-130)、その後、ボリバル県南部にも広がっていった。調査で得た情報では、ラ・グアヒラ県に出稼ぎに行った農民が儲かる作物だと聞かされてマリファナの苗を持ち帰ったという説や、ラ・グアヒラ県から出稼ぎにきた若者が持ってきたという説などがある。いずれにせよ、植物を乾燥させるマリファナは売買の際にかさばるため利益が小さく、商売に失敗して借金を抱えた農民もいたとのことである。

1980年代に入ると、マグダレナ川沿岸のシミティに麻薬マフィアによるコカイン精製施設ができ、小型飛行機が飛んでくるようになったという。それからまもなくしてコカの種が“商人”によって持ち込まれた。まずはマリファナ栽培などで借金を抱えた人々がその埋め合わせにコカ栽培を始め、他の人々も彼らが実際に儲けていく様子を見ながら恐る恐る始めたのだと語られている。

1990年代のコロンビアでは開放経済路線がとられて規制緩和が進められていくが、これにより安価な農産物がエクアドルなど近隣諸国から流入したことでこれらの市場価格が下落し、ボリバル県南部においても特産のインゲン豆の生産農家を直撃した(千代 2013: 131)。このように遠隔地の脆弱な農民が国家の経済政策から切り捨てられたこともコカ栽培が拡散する要因の一つとして考えられる。

出典:筆者作成。
出典:筆者作成。
出典:筆者作成。
出典:筆者作成。

なぜコカ栽培を始めたのかという問いに対しては、第一に収入が少ない、第二により良い生活をするためと経済的な理由を挙げている(図4)。具体的には教育や医療、あるいは衣食住の向上のために現金が必要であったと答えているのだが、このような現金収入の必要性が増大したという生活の変化もコカ栽培の拡大要因の一つであると考えられる。実際、必要最小限の生活費を尋ねてみると、都市から離れた地方の農村部であるにもかかわらず、当時の最低賃金の月額約40万ペソを超える金額を人々が必要と感じていることがわかる(表1)。

コカ畑 筆者撮影
コカ畑 筆者撮影

ラスパチン(raspachín)という職業

麻薬ビジネスはいくつかのプロセスに分けられる。コカの栽培、葉の収穫、葉に薬剤を使用して一次精製物質であるコカ・ペーストを抽出する作業、それをさらに精製して二次精製物質コカイン・ベースを抽出する作業、そして結晶化によりコカインを生産し、最後に主に国外へ密輸される。

このうちコカの栽培からコカ・ペーストの抽出までは農民が行い、それを非合法武装組織や麻薬組織が買い取ってコカインの生産と密輸を行う。農民がコカの栽培だけでなくコカ・ペーストも生産するのは、麻薬組織や非合法武装組織にとってはかさばるコカの葉を運ぶ手間とリスクを減らす利点があるが、このことは農民が違法作物の栽培をこえて麻薬の生産過程にも直接的に関与することを意味する。つまり、コカ・ペースト精製のための化学薬品、施設、労働力を調達するコストや麻薬を生産する大きなリスクを背負うこととなる。

農民の作業は基本的に世帯単位で行われる。これはコカ・マネーを巡る殺人が多く発生したため、コカの栽培面積、収穫量、収穫時期、そしてコカ・ペーストの生産量、取引の相手や時期といった情報を他人に知られないようにするためである。しかし、葉の収穫作業だけは集中的に人手を必要とするため、ラスパチンとよばれる収穫専門の労働者が雇われる。

ラスパチンという言葉は、収穫時にコカ葉を指で摘み取る動作の「こそげ落とす」を意味するスペイン語の動詞ラスパール(raspar)に由来している。ラスパチンは基本的にコカ葉の収穫および必要によってはコカ・ペーストの精製のみに従事し、各世帯の依頼を受けて作業を行う。労働は一回の収穫を単位としているため、通常は数日から2、3週間程度、食事付きの住み込みで作業を行い、次の農場へと向かう。賃金は労働時間ではなく、収穫量に応じて支払われ、雇用主は食事と寝る場所を提供しなくてはならない。熟練度による個人差はあるが、平均的な賃金は一日あたり1万8,000ペソ(約9米ドル)から8万ペソ(約40米ドル)程度であり、一般的な合法作物の栽培における日当1万ペソ(約5米ドル)と比較するとはるかに高い。

コカの収穫は2、3ヶ月毎に行われるため、ラスパチンたちは複数の農場を掛け持ちして巡回する。元ラスパチンの話では、非合法武装組織はラスパチンから各世帯のコカ栽培の情報を収集し、それに基づいてコカ・ペーストの買い取りを行うという。したがって、コカの収穫期や収穫量、さらにはコカ・ペーストの生産量がこの地域を縄張りとする非合法武装組織に知られているため、各世帯は仮により高い買い取り価格が別の組織から提示されても自由な売買を行うことはできない。縄張りとしている組織以外にペーストを売ったために殺された人も少なくないといわれる。

出典:筆者作成。
出典:筆者作成。

調査対象の60人のうち26人は所有する土地でコカ栽培をしており、そのうち17人がコカ葉の収穫を行うラスパチンであった(図5)。また、コカ栽培を行っていた26人のうち17人がコカ栽培を始める前にラスパチンの作業に従事しており、そのときに蓄えたお金により土地を購入したとのことである。つまり、ラスパチンという職業はコカ栽培を拡大する一つの契機にもなっている。さらに、コカ栽培をしていない農民に対しても、現金が必要となった場合に“割の良い”賃金労働を提供している面もあるという。

ラスパチン 筆者撮影
ラスパチン 筆者撮影

コカ栽培は果たして儲かるのか?

麻薬の原料となるコカを栽培している農民はどれほど儲けているのだろうか。そして生活はどのようなものなのだろうか。ボリバル県南部でコカ栽培およびコカ・ペースト生産をした場合、1ヘクタールあたり年間それぞれ約790万ペソ(約3950米ドル)、約889万ペソ(約4445米ドル)を稼ぐことができ、元コカ栽培農民によるとこの額はこれまでほとんど変化がないという。

インフラが整っておらず長距離の悪路を通って市場に農産物を出荷しなければならないボリバル県南部の山岳地帯では、野菜や果物は輸送のコストや商品へのダメージにより利益が小さくなってしまうのだという。たとえば、サンパブロでは、トウモロコシを50キロ出荷する毎に輸送費を始めとする経費を差し引いて4,000ペソ(約2米ドル)の赤字が出たこともあったという(千代 2013: 131)。これに対して、粘土のようなコカ・ペーストをリュックに忍ばせて町に出れば、自らの運賃を支払うだけで大金を家に持って帰ることができる。なぜコロンビアの農村部にコカ栽培が急速かつ広範囲に浸透していったのかということを考える際、単純なコカ栽培の利益の大きさだけではなく、このように合法作物と比べた場合に様々な利点があることも考慮に入れる必要がある。

出典:筆者作成。
出典:筆者作成。

コカ栽培で得られた収入は人々の生活を大きく変えてきた。土地や家畜の購入あるいは子供の教育といった未来への投資がないわけではないが、飲酒を始め食料、衣服など現在の生活に直結する支出が目立つ(図6)。ボリバル県南部のような遠隔地では外部から船などによって運ばれてくる衣料品、食料品、そして医薬品などは高額な輸送費を伴って、首都ボゴタよりも高い値段がつけられている場合も少なくない。また、コカ・ブームに便乗して商品の価格はさらに上がっていったという。

ではコカ経済は農民の生活改善に役に立ったのかというと、聞き取り調査では26人の栽培者のうち19人がこれを否定している。コカ栽培による“経済発展”は、町だけではなく森林地帯の農村にも酒場、売春施設、ビリヤード場などの遊興施設、娯楽施設をもたらした。ビールの消費はとくに多く、「コカ・マネーの大部分はビールに使われて小便となって流れていってしまった」といった冗談はよく聞かれる。

また、小型船舶を貸し切り、3、4時間と数百ドルを費やしてマグダレナ川を下り、マグダレナ・メディオの中核都市バランカベルメハ市のホテルで朝食や昼食だけを食べて帰ってきていたという武勇伝も少なくない。他方、コカ栽培で得たお金によって子供が大学で農学を学ぶことができ、現在は地域の農業指導を行っているというケースがあるなど、それまでアクセスが困難であった教育や医療を享受できるようになったという事例も存在している。

コカ・ペーストの精製工場
コカ・ペーストの精製工場 筆者撮影

コカ経済の闇――進むコカ離れ

ではなぜ代替開発プログラムに入った人々はコカ栽培をやめたのだろうか。その理由として収入が少なくなったことが挙げられている(図7)。

出典:筆者作成。
出典:筆者作成。

多くの元コカ栽培農民が、「収入が良かったのはコカ栽培を始めた頃だけであり、次第に割に合わない、あるいは弊害が多いことに気付き、コカ栽培をやめるに至った」と語っている。これは、コカ・ペーストの取引価格自体は変化していないものの、その精製のためのガソリンや化学薬品、あるいはコカ栽培で必要な化学肥料や農薬などのコストが上がったことや、政府が除草剤の散布や警察の取締りを強化したことにより一瞬で“商品”を失うリスクが増大したため、相対的に収益率が下がったことを指している。

これに加えて、非合法武装組織による支払いが不履行となるケースも増えてきたという。非合法武装組織がコカ・ペーストを買い取る際、コカインを精製して売って利益を得たら代金を支払うとして、一種の約束手形のようなものを置いていくことがあるという。農民は生活費だけでなくコカ栽培に使う肥料や農薬の代金の支払いもある中で、コカ・ペーストの代金をもらえないことは死活問題である。しかし、取引相手を変えようものなら先述のように殺害されることもある。さらに、置いていく約束手形に対する支払いが行われることはほとんどないというが、武装組織に対して支払いの催促をしたり、約束手形の受け取りを拒否することは不可能である。

出典:筆者作成。
出典:筆者作成。
出典:筆者作成。
出典:筆者作成。

コカ栽培を始めた頃とやめる直前の各世帯のコカ栽培による収入を比較すると、図8が示すように収入が減少した人の方が多いのである。その一方で、一見すると奇妙なことではあるが、コカ栽培をしていない13世帯では、コカ・ブームの2001年と調査をした2008年の年収を比較すると9世帯で増加が見られるのである(図9)。

これは近隣のコカ栽培農民がバナナやインゲン豆あるいはニワトリ、タマゴ、ウシやブタ、さらには黒糖などの農産物を高値で購入していたためである。コカ栽培農民の多くはコカ栽培に専念してその他の作物や家畜を持たず、コカから得られる収入で食料を購入している。つまり、コカ栽培をしない農民はコカ栽培農民に対する農産物の販売で利益を得ており、その意味では彼らもコカ経済圏の中にいると言える。

社会と経済の破壊

経済面以外でもコカ栽培は社会にネガティブなインパクトを与えている。すでに述べたようにコカ栽培は疑心暗鬼から地域社会のコミュニケーションの断絶を招き、さらにコカ・マネーや売買のトラブルから殺人を始めとする暴力が蔓延した。金銭的な問題だけではなくコカに対する嫌悪感も増している。子供たちが小学校に行くよりコカ栽培でお金を稼ぐことに魅力を感じたり、たやすく稼いだお金で飲酒や浪費を覚えることも懸念されている。

さらに、コカ経済は合法作物の栽培にも悪影響を及ぼしている。先述のようにラスパチンの賃金が高額なため、ボリバル県南部ではイモ、マメ、バナナといった合法作物栽培のためのホルナル(jornal)と呼ばれる賃金労働の賃金もラスパチンと同水準の高額となっている。かつてはほかの地域と同じく一日あたりのホルナルは1万ペソ(約5米ドル)であったが、この金額ではボリバル県南部において労働者を確保することは困難であり、ラスパチンの賃金の最低水準に近い1万5,000ペソ(約7.5米ドル)が相場となった。結果として、この地域の農産物には高額な人件費と輸送コストがかかるため、市場での競争力が失われてしまうのである。

おわりに

これまで麻薬問題は国際関係論などマクロの視点から捉えられ、それに基づいて対策がとられてきた。したがって、麻薬の原料となる植物のコカについても、いかにその栽培面積を減らすのかという点に関心が集まり、どのような人々がなぜ栽培を行い、そしてコカとともにどのように生きてきたのかといったことには関心があまり払われてこなかった。

そこで本稿では、これまでのマクロの視点からのコカ栽培の分析を補完する目的で、違法作物代替開発プログラムに参加している人々の生活に着目して麻薬問題を捉え直すことを試みた。そこで見えてきたのは、国家から排除され、あるいは国家から逃れて生存を模索してきた農民の姿であり、コカはその生存戦略の一つであったこと、そしていかに人々の生活や社会に深く浸透してこれらを変えてきたのかということであった。また、一般的なイメージと異なってコカ栽培で利益を得ることは難しく、むしろ人間関係やコミュニティを破壊しかねないものであった。

ところで、コカの栽培面積は大規模なコカ駆除プログラムの実施により大きく減少したが、その後は依然として高い水準にあることはすでに述べたとおりである。興味深い最近の傾向として、一部のコカ栽培地域ではコカ栽培面積の減少に呼応するかのように金の違法採掘が増加しているのである(UNODC Colmbia 2013: 70-71)。

本稿で扱ったボリバル県においても、コカの栽培面積は前年比で2011年には-34%、2012年には-11%と減少しているのだが、2013年2月に実施した調査ではこれまでに見たこともないほどの金の違法採掘が行われていた。話を聞くと2、3年前から急増したとのことであった。このことが示しているのは、違法なコカ栽培という現象は社会が抱えている問題が表出した一つの形であって、今はコカ対策の圧力や金の国際価格の高騰などによって金の違法採掘と形を変えているのかもしれないということである。根本的な問題解決がなければ、これからも形を変えていくのかもしれない。

コカは植物であるから、それを除草剤や引き抜きによって駆除することは一時的には可能である。しかし、コカを麻薬の原料として利用してきたのは人間であり、それを必要とする人間がいれば再び種を大地に蒔いて8ヶ月後には収穫することができる。しかし農民は必ずしも違法なコカ栽培を積極的に実践したいわけではないことはすでに見たとおりである。

コロンビアの麻薬問題の根本的な解決には、表面的なコカの栽培面積の増減にとらわれず、それを栽培してきた「国家から排除されてきた」人々をいかに社会に包摂していくのかが問われている。

参考文献

千代勇一(2008)「コロンビアにおける違法コカ栽培と政府の対策-なぜコカ栽培地は減少しないのか?」、ラテンアメリカ・レポート25(2)、p.29-41。

    (2011)「プラン・コロンビア再考」、海外事情59(5)、拓殖大学海外事情研究所、p.73-91。

    (2013)「違法作物に翻弄される人々-コロンビアにおけるコカ栽培の実践とその政治性」、池谷和信(編)『生き物文化の地理学』、海青社、p.121-142。

Crandall, R.(2008 )Driven by drugs: U.S. policy toward Colombia(2 nd edition,ynne Rienner Publishers, Boulder.

Thoumi, E. Francisco(1995)Political economy and illegal drugs in Colombia, Lynne Rienner Publishers, Boulder.

UNODC (2012)World drug report 2012 (United Nations publication, Sales No.E.12.XI.1), New York.

UNODC Colombia(2009)Monitoreo de cultivos de coca 2008, Bogotá, D.C.

                         (2010)Monitoreo de cultivos de coca 2009, Bogotá, D.C.

                         (2011)Monitoreo de cultivos de coca 2010, Bogotá, D.C.

                         (2012)Monitoreo de cultivos de coca 2011, Bogotá, D.C.

                         (2013)Monitoreo de cultivos de coca 2012, Bogotá, D.C.

Young, K. R.(2004):“Environmental and social consequences of coca/cocaine in Peru”, in Steinberg, M. K., J. J. Hobbs and K. Mathewson(eds.)Dengerous harvest: Drug plants and the transformation of indigenous landscapes, Oxford University Press, Oxford, p. 249-273.

プロフィール

千代勇一ラテンアメリカ地域研究/開発人類学

1969年長野県生まれ。上智大学イベロアメリカ研究所準所員。上智大学大学院グローバルスタディーズ研究科博士課程単位取得退学。主に北部アンデスを中心とするラテンアメリカの開発現象の人類学的研究を行う。主な著作に『アンデス高地』(共著・京都大学学術出版会)、『コロンビアを知るための60章』および『エクアドルを知るための60章』(ともに、共著・明石書店)、『生き物文化の地理学』(共著・海青社)など。

この執筆者の記事