2014.07.07

悪化するシリア情勢に難民たちはいま

井上慶子 教育経済学

国際 #難民#シリア

「Hi, How are you?」

2014年3月15日、シリアで最初のデモが起こってから3年が経った。国連難民高等弁務官(以下UNHCR)の統計[*1]によれば、6月16日時点で、シリアの紛争による避難民は287万人、うち正式に難民登録をしているのは280万人。難民登録数は2013年4月半ば過ぎから急激に増え、今もなお増え続けている。

シリアでの戦闘が悪化し国際社会の関心が強く集まっていた頃、ある友人が「毎日たくさんの人が亡くなる。彼らの埋葬が追いつかず、かつて墓地には死者の名前を刻んでいたが、今は数字になった」と言っていた。

また今年の4月には、シリア人の友人から突然、「シリア国外に出た」というチャットが入ってきた。私が2007年12月末にシリアに訪れた際に都市アレッポで知り合った友人だった。政府派と反政府勢力の衝突が激しくなった頃に一度シリア国外に出たものの、すぐにシリアに戻ったが、「政府の強制徴兵に参加したくなかった」ために再び国外に出ることにしたらしい。

シリアは中東地域ではエジプトに次ぐ軍事大国と言われ、約40年前から、18歳になった男子は兵役の義務が課され、迷彩服を着用し、武器の扱い方などの軍事教育を受ける。あるシリア人の友人によれば、この軍事教育はシリアと外交関係の深い北朝鮮の影響を受けており、週2回行われている。また、これを断ると、すぐさま収容所に収監され、家は焼かれ、家族は殺されるという。

シリア国内の戦闘が激化するにつれて、戦闘から離脱する兵士が増える一方で新たな戦闘力の確保のために強制徴兵が横行しているようだ。このチャットをくれた友人の知り合いは、強制徴兵に参加することを断ったため、劣悪な環境の収容所に収監されているという。

3年経った今でも、日々シリアの情勢は悪化する一方だ。しかしそもそも日本では海外の報道が少ないこと、また南スーダンや中央アフリカ、ウクライナ情勢が注目されたこともあり、シリアの報道を耳にする機会が限られるようになってきた。

本稿では、著者が入手したシリアの人々やその周りの人々からの声をもとに、今シリアで何が起こっているのか情報を発信していきたいと思う。なお、本文では、“シリア人の難民”と“パレスチナ人やクルド人などシリア人以外の人々も含む難民”を便宜上、区別するため、前者を“シリア人難民”、後者を“シリア難民”と使い分けている。また、本稿は政府もしくは反政府の支持を表明もしくは誘導するものではなく、あくまで中立的に今シリアで起こっていることを伝えることを目的としている。

[*1] http://data.unhcr.org/syrianrefugees/regional.php

騒乱のはじまり

リビアやエジプトで起こった「アラブの春」という民主化革命の動きを受けて、シリアでも秘密警察による表現の自由や言論の自由の監視に対する窮屈さを訴えるデモンストレーションが平和的に行われるようになった。しかし、政府は軍事力を持ってこれを抑え込もうとした。デモンストレーションに参加した多くの人々が警察に連行され、劣悪な収容所に入れられて、電気椅子など酷い拷問を受けた。

平和的にデモンストレーションしていた国民もこうした政府の対応に軍事力で抵抗するようになった[*2]。また、2006年から続く大規模な干ばつと水不足、それによる経済不振が、政策に対する不満を増大させ今回のデモの発端となったとも言われている[*3][*4]。

[*2] Syria 1st-Hand: Former Solider Describes How The Conflict Started (EA WorldView 2013年9月8日) http://eaworldview.com/2013/09/syria-1st-hand-former-soldier-describes-how-the-conflict-started/

[*3] How Could A Drought Spark A Civil War? (NPR 2013年9月8日) http://www.npr.org/2013/09/08/220438728/how-could-a-drought-spark-a-civil-war

[*4] Drought Helped Cause Syria’s War. Will Climate Change Bring More LikeIt? (Washington Post 2013年9月10日) http://www.washingtonpost.com/blogs/wonkblog/wp/2013/09/10/drought-helped-caused-syrias-war-will-climate-change-bring-more-like-it/

「そして代理戦争が始まったんだ」

シリアに住んでいたクルド系の友人が言った。彼は戦闘の悪化を受け、イラクのクルド人自治区に逃れている。彼によれば、国民は政府に対抗するため、その大部分が反政府勢力を支持する国々から流れ込んだ武器[*5]を闇市場で入手している。中には、流出元の国の政策を支持することを表明してから、その国から流入した武器を買うことを許可されるというプロセスもあったらしい[*6]。

[*5] Syria Today: US “Will Supply Weapons to Insurgents” (EA WorldView 2013年6月14日) http://eaworldview.com/2013/06/syria-today-us-will-supply-weapons-to-insurgents/

[*6] Syria Special: Who’s Important Within the Insurgency and Who Funds Them (EA WorldView 2013年8月11日) http://eaworldview.com/2013/08/syria-analysis-beginners-guide-to-whos-important-in-the-insurgency-and-who-funds-them/

シリア国内での戦闘が悪化していく中で、反政府の立場をとる欧米各国は、メディアを通して、シリアの人々をアサド政権派もしくはイスラム原理主義者であると決めつけ、シリアに干渉する“大義名分”をつくり、政権を崩すために反政府勢力を支援する体制を整えた。そして、シリア国内に国外からの様々な力と思惑が流入し、シリアの紛争は、冷戦のような代理戦争となったのだと、彼は訴えた[*7]。事実、アメリカ、ロシア、そしてサウジアラビア、イラクの思惑が絡んでいると言われ、騒乱の終わりはそれにかかっているという見方もある[*8]。

[*7] Russia: Lavrov-“All Syrian Patriots Must Unite to Fight Against Islamic Front, Jihadists, and Al Qaeda” (EA WorldView 2013年12月18日) http://eaworldview.com/2013/12/russia-lavrov-iran-syria/

[*8] Putting Out the Syrian Fire (New York Times 2013年10月23日) http://www.nytimes.com/2013/10/24/opinion/international/putting-out-the-syrian-fire.html?_r=1&

国境を超える人々

さまざまな人々の思惑がひしめき合う中で、シリア情勢は悪化していく。それに伴い、国内の人々はシリアを脱し、周辺国へ逃げ込んでいる。2014年3月時点で国外避難民は250万人、そして国内避難民は650万人に上ると報告されている[*9][*10]。その多くは子どもであり、状況はアフガニスタンを超える非常に厳しい状況であると言われている。

[*9] UN: 9 Million Syrians Now Displaced as Conflict Ticks into Forth Year (Aljazeera America 2014年3月14日) http://america.aljazeera.com/articles/2014/3/14/syriaa-s-forciblydisplacedtop9million.html

[*10] Syria Crisis http://syria.unocha.org/

UNHCRによれば、避難先はレバノンの約110万人[*11]が最も多く、次いで、トルコが77万人、ヨルダンが60万人、イラクが22万人、そしてエジプト13万7000人となっている(2014年6月8~10日現在)。これらの人数はあくまでUNHCRの難民登録をしている人々の数であり、難民登録を待つ人々は地域全体で6万6000人いる。一口に難民と言っても、人種や避難先によって置かれている立場は異なる。以下では現地で耳にした人々の声を紹介しつつ、難民が置かれた立場、支援状況などを概要していく。

[*11] レバノンのシリア難民、100万人突破 人口の4分の1 (CNN 2014年4月3日) http://www.cnn.co.jp/world/35046094.html

そもそも国境を超えることは容易ではない。まず、自分の町を出るまでが大変だという場合がある。シリアの首都ダマスカスから北東へ約10キロのところにある町、ドゥーマから逃げてきたというシリア人難民は以下のような話をしてくれた。

「ドゥーマは政府軍により、針金のような鉄線で囲まれ包囲されている。そこから出るためにはいくつかの検問を通らなければならず、その度にお金を払わなければならなかった。お金がないと外に出ることができないんだ」

ヨルダン北部、シリアとの国境まで約10キロ。UNHCRのロゴの入ったテントが立ち並ぶ。(2014年5月筆者撮影) (写真1)
ヨルダン北部、シリアとの国境まで約10キロ。UNHCRのロゴの入ったテントが立ち並ぶ。(2014年5月筆者撮影)

外に出て国境を越えるまでの行程も、また過酷なものである。車やタクシーを使って国境まで来たという人もいるが、中には何日間も歩いてきたという人もいる。先のヨルダンに逃げてきたシリア人一家は、車で3時間ほどの距離を40日間かけて歩いてきたという。彼らの場合、足を怪我し、車いすでないと動くことのできない家族がいたため、さらにきつく厳しかったそうだ。

ヨルダンには2か所の国境検問所があるが、検問所ではないところから国境を超える難民も多くいる。多くのシリア人難民が不法入国だと言われるが、国境までくるとヨルダン軍がヨルダン国内の難民キャンプまで輸送してくれる。そのときに、IDカードなどの身分証明をヨルダン軍に取られてしまったという声も聞いたが定かではない。

パスポートを持っている人のなかで、ヨルダンまで空路で避難している人がいた。このシリア人難民によると、ダマスカスとアンマンの間の空路は閉鎖されることも多かったため、ダマスカスからレバノンの首都・ベイルートに飛び、その後アンマンに逃げる経路が主だということだ。彼はパスポートを持っていても避難のために必要な渡航費がなかったのだが、故郷からダマスカスまで逃げてきたとき、偶然出会ったシリアの富裕層に費用を負担してもらうことができたそうだ。これは極めて稀なケースで、多くの人々がヨルダンにせよレバノンにせよ、陸路で移動している。

十分でない支援

難民としての支援を受けるためには、まずUNHCRの難民登録窓口に行き、難民登録をする必要がある。しかし、難民登録のできる場所は極めて限られており、その窓口に行くまでが大変である。さらに、すぐに難民登録できるわけではなく、事前に登録のための面接を予約しなくてはならない。その後、予約日に面接を受け登録申請をしに行く。ヨルダンに滞在するあるシリア人難民によれば、面接の予約をしに行ってもその受付をするまで長蛇の列に並ばなくてはならず、朝早くに並んでも終日かかるという。

また、難民登録は一度目は一年後に、それ以降は半年ごとに更新をする必要があり、この手続きもやはり時間がかかる。そのため、難民登録が完了するまでの間、そして難民登録の更新をしている間はUNHCRからの支援を受けることができず、けがや病気の治療が必要であれば自費で賄わなければならない。

絶えず増え続ける難民に対して、UNHCRも人数を増やして難民登録を行っている。またシリア難民を受け入れるホストカントリー(ヨルダン、レバノン、イラク、トルコなど)には国連機関や非政府組織(NGO)も数多く入り、シリア難民支援に取り組んでいる。多くの支援機関が入ることで、援助漬けになってしまわないかという懸念もあるが、一方で次から次へと国境を越えてくる難民への対応は追いついておらず、また彼らのニーズを反映した支援が必ずしも十分でないこともまた事実である。

難民登録証を受け取ることができれば、規定された支援を受けることができる。例えば、UNHCR指定の病院を無料で受ける、食事券をもらう、家賃補助を受け取るといったことができるようになる。しかし、その支援は必ずしも十分でないのが現状である。

無料で受けることのできる病院は以前の住所のある地域に限定されてしまうため、難民登録をしたあとに引っ越しをして住所が変わった場合、その地域まで通うか住所変更が必要になる。前者の場合は交通費がかかってしまうし、新たに住所変更をするのにも時間がかかってしまう。そのため、途中で治療をあきらめてしまう難民も少なくない。

食事券の金額はその家族によって様々であるようだが、足りていないという声をよく聞く。不正な補助申請を防ぐため、網膜認証で家賃補助等の経済支援を管理しているようだが、なぜか登録を受けることができず、十分な収入がないのにも関わらず、家賃補助を受けることができていない家庭もある。そのため、家賃を支払うために食事券を売らざるを得ない家族はかなり多い。

「働くことができたら、収入も入るし、今の辛い状況を考えてしまう時間から少しでも逃げることができるのに……」と、訪問した家庭先のシリア人の父親が言った。そのほかの訪問した家庭でも同じような言葉を聞いた。ヨルダンでは難民の雇用機会はほぼ皆無の状態である。労働許可をとるためにはいくらかの費用を支払う必要があり、そのためのお金を賄うことができないからだ。

また、ここ数カ月の間に、少なくともアンマン市内で警察による検問が厳しくなったという話も聞いた。日々大量に押しよせるシリア人難民に対する国の負担は大きく、またシリア人難民支援が優先されているがゆえに、自分たちの国の政策が滞っていることに不満を持つ国民が増えてきており、国もまたフラストレーションを抱えるようになっているからだ。さらにヨルダンの場合、難民がキャンプの外へでることが認められているため、安く賢い人材であるシリア人難民に就職の機会を取られてしまうことを懸念するヨルダン人もいると聞く。街中を移動していると、警察が身分証明の提示を要求することがあり、シリア難民のあるひとりは、いつ検問をされても抜けられるようお金を少し多く持つようにしていると語った。

シリアのクルド人

また、イラクのクルド人自治区政府は、現在はクルド人難民の受け入れを制限しているという。

シリアでは独立以降からずっと、クルド人に対して国籍のはく奪をはじめとした差別政策を行ってきた。バアス党政権になるとそれらが制度化する(青山、2005年)。青山弘之氏による論考[*12]によれば、アサド政権樹立後は以下の5つの措置が実行され、クルド人への抑圧がさらに厳しくなっていったという。

[*12] 青山弘之、シリアにおけるクルド問題―差別・抑圧の“制度化”―、アジア経済XLⅧ-8、2005年

1)クルド人が所有していた土地の没収及び追放

2)クルド語語源の地名のアラビア語名への変更

3)公の場でのクルド語使用の禁止

4)クルド風の名前を付けられた新生児の出生届の却下

5)非アラビア語名の事業のアラビア語名への変更

これらに加えて地理科目の教科書から、クルド人に関する記述の削除やクルド語での出版の禁止なども行われ、クルド人の存在を抹消する政策を行ってきた。

しかし、反政府勢力のデモの拡大を受け、アサド政権は体制維持のために、反政府勢力に対抗するクルド人に対しては攻撃をしないといった特別な措置をとることを表明したと、クルド系の友人から聞いた。

「政権を支持するクルド人に、特別な配慮を与えたんだ」

反政府勢力と政府勢力の衝突の激化で多くのクルド人が主にイラク側のクルド人自治区に逃げている。一方で、それによりシリア北部に多く住むクルド人市民兵の中にはアサド政権支持派が増えたのも事実である。そのため、これまでシリアから逃げ込んでくるクルド人を受け入れていたイラクのクルド人自治区政府も、政権支持派の流入を恐れて、受け入れを制限している。

二重難民

忘れてはならないのは、シリアもまたパレスチナ、イラク、ほかにアフガニスタンやソマリアなどからの難民を抱える国だということである。つまり、今回のシリア騒乱で、難民を抱えていた国が難民排出国になっただけでなく、シリアに逃げ込んだ難民がまた難民になるという“二重難民”が生まれることとなった。

かつてシリアにいたパレスチナ難民とヨルダンで出会ったという、ヨルダンでシリア難民を個人的に支援する人はこう話す。

「シリア国内にいたパレスチナ難民は、その際の難民登録証明書を持ってヨルダンに入国している。キャンプにとどまる人もいれば都市部に移動する人もいる。イラクからシリアへ逃げてきたパレスチナ難民は、主に、グレシェットキャンプに残っているが、ブラジル政府が移民を受け入れる姿勢を見せたので[*13]、中にはそれを利用し、ブラジルに渡り、そこで国籍と家を手にいれる人もいる。シリア人難民と比べると、パレスチナ難民の状況はかなり深刻だ。教育状況も医療状況も悪い。彼らの多くは社会から孤立してしまっている」

[*13] ブラジル政府のパレスチナ難民受け入れに関する詳細を知ることはできなかったのだが、過去にシリアとイラク国境に残されたパレスチナ難民を受け入れたことがあることと関係していると思われる。(参考: http://www.maannews.net/eng/ViewDetails.aspx?ID=702766

シリアから逃げてきたパレスチナ難民は基本的には、ヨルダン国内に入国することをヨルダン政府に認められていない[*14]。彼らのほとんど、特にヨルダンもしくはシリアの国籍を持っていないパレスチナ難民はヨルダン北部ラムサにあるドミトリー式の住宅が供えられたサイバーシティという場所に収容され、自由に出入りをするは許可されない。そのため、ヨルダン政府との協定のもとでシリア難民支援を行っているUNHCRの支援を受けることができない。

[*14] 1970年に起きた“Black September”と呼ばれるヨルダンとパレスチナ解放機構の間で勃発したヨルダン内戦を契機とした政治的要因が関わっていると思われる。Analysis Palestinian Refugees from Syria Feel Abandoned (IRIN 2012年8月29日) http://www.irinnews.org/report/96202/analysis-palestinian-refugees-from-syria-feel-abandoned

パレスチナ難民の中には家族の中にヨルダン国籍を持っている人がいることがあるが、その場合、残念ながら“シリア人”難民を支援することがマンデートであるUNHCRの支援対象にはならない。国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の支援対象にはなるようだが、支援を受けられることを知らない難民も多く、またUNRWAによる細かい支援も行きとどいていない状況であるという。

レバノンにおいてもシリアから来たパレスチナ難民の状況は、政治的要因がからんで苦しい状態にある。レバノンではシリア人難民に対しても6ヶ月ごとの滞在許可申請を貸しているが、パレスチナ難民に対しては1週間ごとであり、シリア人難民同様、延長や違法滞在には支払いをしなければならない。

シリア国内にも依然、多くのパレスチナ難民がとどまっている。彼らもまた苦しい状況にある。ダマスカス南部近郊ヤムルークにあるパレスチナ難民キャンプでは、2012年12月から、少なくとも1万8000人のパレスチナ難民が政府関係のグループのもとにおかれ、約120人が飢餓や必要な医療サービスの不足により亡くなったと報告されている[*15]。

[*15] Palestinians from Syria-Syria Need Analysis Project (Reliefweb 2014年3月18日) http://reliefweb.int/report/syrian-arab-republic/palestinians-syria-syria-needs-analysis-project-march-2014

また同キャンプで支援をするUNRWAは、5月5日、治安悪化によりキャンプ内のパレスチナ難民支援が妨げられていることを報告した。2012年12月以降、ヤルムークでは反政府グループがヤルムークを拠点に活動をし、その周辺を政府軍が管理下においたため、少なくとも14万人のパレスチナ難民が家を逃れることになり、UNRWAによる食糧支援などが十分に行きとどかない状況となっている[*16][*17]。

[*16] 4万人餓死の危機、シリア・ヤルムーク難民キャンプ(AFP通信2014年2月28日) http://www.afpbb.com/articles/-/3009500

[*17] Gunfire Forces UN Agency to Suspend Food Delivery to Besieged Palestinian Refugees in Syria (ShanghaiDaily.com 2014年5月6日) http://www.shanghaidaily.com/article/article_xinhua.aspx?id=216609

難民同士の支援の輪

シリア国外の大きなシリア人ネットワークを通じて資金を募り、ボランティアでシリア人難民を支援する活動をする個人やグループがヨルダンをはじめ周辺国に存在する。私がヨルダンに滞在している間、都市難民の家庭訪問を1年以上にわたってシリア人難民支援を続けて来たサダーカを通して、そういった人々に会い、話を聞くことが出来た。

・ケース(1)シリア難民A氏

自身も難民であるA氏は、ヨルダン北部の都市イルビッドで、負傷したシリア人難民を病院に運ぶ支援を個人で行っている。A氏が支援をはじめたきっかけは、彼自身がある病院でシリア人難民の診療登録や家族探しなどのボランティアをしていた際に、シリア人難民の多くが継続して治療に通うことが難しいことに気付いたからだった。負傷や病気のために治療に訪れても、以降の通院にかかる交通費や公共交通機関の利用の難しさ(けがのため座ったり、もしくは立ったままでいることが辛いなど)から治療を続けることを断念せざるを得ない人々が多くいた。

そこで、かつてシリアで運転手をしていたA氏は彼らを住まいから病院まで運ぶボランティアを始めた。運転手を含め5人乗りのバンに、さらに荷物を置くスペースに椅子に座ることの難しい負傷者を乗せて、ほぼ毎日病院と彼らの住まいを往復する。私が同行したことがある。本来ならば荷物を乗せるスペースに、負傷したシリア人難民と座った。久しぶりに外国人の、しかも女性と話すことが嬉しいようでシリアの歌を笑顔で歌ってくれた。

その時の行き先は、イルビットから片道2時間かかる、シリアとの国境まで約10キロの町にある病院だった。工場地帯を過ぎ、開けた赤土の大地に、砂ぼこりで赤茶色く汚れた白いテントがところどころに見られ、うっすらとUNHCRのロゴが見える。

「私が運ぶ多くの人々は市民兵だ。彼らの中には、自身の身を守るため武器を持ったまま越境してくる者もいる。彼らは比較的楽観的だ。ヨルダンに来ることで自由を手に入れられると考えている」負傷者を運ぶA氏が言う。

印象に残ったエピソードがある。次々と患者をそれぞれのリニックにおろしていくのだが、足を負傷したあるシリア人男性は足を曲げることができないため、座席ではなく後部の荷物を乗せるスペースで座っている必要があった。一緒に行動していた私の友人が席に座るか訪ねてくれたのだが、私は彼がひとりになってしまうからと断った。日本語で、である。そして私が荷台スペースで座りなおすと、彼はひとこと、「Thank you」と言った。驚いた。彼は日本語が分からないはずなのに、私が彼と一緒にいることを選んだことを、彼は分かったようだった。そして、携帯電話でシリア国内の様子を撮影した動画を見せてくれた。崩れ、かたちのなくなった灰色の建物、ほこりがすごくがれきだらけの街中、泣き叫ぶ人々……。彼は時折、車の移動の振動で痛む足を抑え痛みに必死にこらえていた。

・ケース(2)シリア人難民B女史

A氏が運ぶ傷病者のひとりが通うクリニックが、ヨルダン北部のイルビットにある。ビルの中にあり、一見すると、以前からあったようなきれいなクリニックだが、自身もシリア人難民であるC女史に話を聞くと、持続的な医療支援の不足を感じたシリア人難民の医師やカウンセラーが、子どもを含む傷病者のリハビリやケアのためのクリニックを協力して設立し、ボランティアで活動をしているようだ。

資金は国外のシリア人ネットワークを利用して確保し、現在はNGOなどに協力を打診しているところだという。これまで175人の患者をケアし、現在は42人の患者を抱えている。その多くが17~21歳の男性で、15歳以下の子どもが6人いる。ヨルダンに避難して一度治療を受けても、ケアをしてくれる家族がいない、お金がないなどの理由で完治するまで治療を続けることができない難民が多くいることを知り、治療が完了するまでのリハビリやケア、入院設備も設けて食事や薬の提供も無料で行っている。

また、トラウマを抱える子どものカウンセリングと教育支援を行うプロジェクトを新しく立ち上げた。3カ月周期のプログラムで、各プログラムで100人の子どもを対象にし、交通費は支給する。

クリニックで働く医師に病室を案内してもらった。銃撃された14歳の男の子、ロケット弾による爆撃で負傷した14歳と15歳の男の子……足を切断した男の子や手足を切断した男の子、背中を負傷したことにより神経をやられ、足はあるけれども一生動かなくなった15歳の男の子。足が一生動かないことを若干15歳で宣告された男の子の母親は、悲痛な表情で彼を見つめる。男の子の目は、いっけん笑っているように見えるけれども、その奥には悲しさや辛さ、希望を見出すことの必死さと諦めの葛藤を抱えているように見え、わたしは言葉にできない感情を抑え込むのに必死だった。部屋を離れるとき、母親は私を抱きしめてくれ、「アッラーのご加護を」と祈ってくれた。

爆撃に巻き込まれ、背中の神経を損傷し、足を動かすことができなくなった少年。両足に手術の跡が残っている。(シリア人難民B女史が支援するクリニックにて。2014年5月筆者撮影) (写真3)
爆撃に巻き込まれ、背中の神経を損傷し、足を動かすことができなくなった少年。両足に手術の跡が残っている。(シリア人難民B女史が支援するクリニックにて。2014年5月筆者撮影)

国籍を越えた支援の輪

シリア人同士だけではない。国籍を越えた支援の輪が広まっている。パレスチナ系ヨルダン人C氏は、個人的にシリア人難民に対して金銭と物資の支援を行っている。自身のネットワークを利用して寄付を募りながら、医療費の必要なシリア人難民の家庭に金銭の支援、また生活基盤を整えるために必要な家具や日用品の配布を行っている。

今回、私はヨルダン滞在中、シリア人難民の家庭にホームステイしたのだが、その家族もC氏から家具の支援を受けていた。C氏の存在は口コミで広がり、支援を必要とするシリア人難民からの連絡が絶えず彼に届く。中には、比較的恵まれているのにも関わらず、支援を乞う詐欺師のような人もいるため、「本当に必要な人に必要なものを届けたい」と願う彼は、連絡を受けた家庭を一軒一軒訪問し、その家庭の状況を把握し、記録している。これまでに訪問した家庭は約330件(2014年5月8日現在)、A氏の支援を待つ人は約20人で、順番待ちリストも記録し、シリアからの難民支援に尽力している。

彼のほかにも、ボランティアでシリア人難民のホストとなり、移動や居住の支援を行うヨルダン人がいる。ヨルダンは、一定の条件を満たすことができれば、難民キャンプから移動することが認められている。

ヨルダン国内最大の難民キャンプであるザータリキャンプでは、難民登録をしたシリア人難民の約55%がキャンプ外で滞在している[*18]。キャンプ外での滞在には身を寄せられる人や場所が必要になるが、見知らぬヨルダン人が身元引受人になってくれているという。また大きな活動ではないけれども、近所に住むヨルダン人が物資や食料品を分けてくれたという話も聞く。

[*18] UNHCR Jordan Operation (2014) Syrian Refugees Living Outside Camps in Jordan Home Visit Data Findings, 2013. Amman: UNHCR Jordan Operation

シリア人難民に詳しく聞いたところ、ヨルダン人がキャンプを訪れ、キャンプ外に出たいシリア人難民を探す。そして彼(ら)の身元引受人として難民キャンプの外に出る手続きをし、人によっては居住地や家財の確保、病院の紹介などアフターケアまでをしてくれるそうだ。これをボランティアで行ってくれているという話もあれば、むしろビジネス化しており、かなりの高額を支払っているという話も多く聞く。難民支援がビジネス化している事実が垣間見られる。また仕事をめぐってヨルダン人との関係があまりよくないと話すシリア人もいるし、シリア人同士であっても互いに抱えている問題が大きく、心が開けず、孤立しているシリア人もいることもまた事実である。

訪問者を家族や友人のようにもてなすシリア人のホスピタリティ。シリア人難民の家庭訪問でも、温かいアラビックコーヒーや甘いシャーイ(お茶)を振舞ってくれた。彼らのホスピタリティは、どれだけ過酷な状況にいても変わらない。(アンマンのとあるシリア人難民の家庭にて。2014年5月筆者撮影)
訪問者を家族や友人のようにもてなすシリア人のホスピタリティ。シリア人難民の家庭訪問でも、温かいアラビックコーヒーや甘いシャーイ(お茶)を振舞ってくれた。彼らのホスピタリティは、どれだけ過酷な状況にいても変わらない。(アンマンのとあるシリア人難民の家庭にて。2014年5月筆者撮影)

子どもの状況

2012年から13年にかけて行われた、ヨルダンの難民キャンプ外に滞在するシリア人難民の家庭調査の結果をまとめた報告書がUNHCRから発行された[*19]。その中で、2012年9月から13年7月の学年度で、半分以上のシリア難民の学齢期の子どもが学校に出席していないことが報告されている。そのうち5%以上はすでに退学していたという。

[*19] UNHCR Jordan Operation (2014) Syrian Refugees Living Outsides Camp in Jordan Home Visit Data Findings 2013, Amman: UNHCR Jordan Operation

ヨルダンの首都アンマンやカラク、アカバの3都市で最も高い就学率だったと報告されているが、それでも50~60%であった[*20]。低就学率の要因として、学校での暴力や脅迫、ヨルダンのカリキュラムに合わない、勉強の遅れ、そして児童労働が挙げられていた。

[*20] Amman 51%, Karak 51% and Aqaba 61%

実際に、シリア人難民からも同様の声が聞かれた。12歳と9歳の子どもを抱えるシリア人難民の父親は、戦闘中に学校に通えなかったので、勉強の遅れを理由に、本来ならば5年生に通わせたいところ、12歳の子どもを3年生に就学させている。今のところ、勉強自体について不安はないが、ヨルダン人の同級生との仲はあまり良くなく、シリア人の友だちと一緒に過ごしているという。また、ヨルダン人の教師がシリア人の子どもの勉強の遅れをフォローアップしてくれず、教室からついて行けないシリアの子どもを追い出すことがあると話した。13歳の弟をもつシリア難民の女性は、同様に勉強の遅れを理由に本来ならば中学1年生に就学すべき年齢であるが、小学校4年生のクラスに弟を通わせている。

トラウマもまた、子どもをめぐる大きな課題となっている。

「まだ幼い下の子どもは戦闘のことを覚えていないようだが、22歳の上の子どもは毎晩悪夢を見るため夜になると精神的に不安定になる」と話してくれたのはドゥーマからきたシリア人難民家庭の父親だ。

UNICEFによれば、少なくともザータリキャンプにいる子ども3人に1人は暴力的な行動や自傷行為の傾向があり、特に女の子は戦闘経験に起因する感情の起伏のコントロールが難しい状況にあると報告する[*21]。先にシリア人同士のボランティアでの支援状況でクリニックを設立したB女史によれば、子どもたちの精神的ダメージは深刻で、不眠及び悪夢を見る、感情が安定しない子どもが多いという。

[*21] UNICEF (2014) Under Siege The Devastating Impact on Children of Three Years of Conflict in Syria. Amman: UNICEF-MENA

子どもたちの心理ケアの必要性は、UNICEFをはじめとする援助機関だけでなく、シリア人からも必ずと言っていいほど聞かれた。次の世代を担う子どもが教育を受け、自立するためにも健康な身体と心を持つことがまず必要である。しかし、こうした心理ケアが必要な人たちと対話をし、医療支援の現場を見ていると、どれだけやっても切りがない、先の見えない状況にあることを痛感する。紛争が続く限り、そういった人々はどんどん増えていく、そして彼らの心理的負担も自身の経験による直接的な経験や周囲の環境など間接的な影響を受け、増していく一方である。こういった心理ケアはもちろん急務ではあるが、同時に根本的な紛争を解決していかなければ何も状況は変わらない。

戦闘に巻き込まれ、片足を失った少年。私たちの訪問に笑顔で答えてくれたが、彼から“声”を聞くことがなかったように思う。笑顔の代わりに彼は声を失った。後ろに立つのはボランティアでシリア人難民を病院へ送迎するA 氏。右が筆者。(B女史の支援するクリニックにて。2014年5月筆者撮影)
戦闘に巻き込まれ、片足を失った少年。私たちの訪問に笑顔で答えてくれたが、彼から“声”を聞くことがなかったように思う。笑顔の代わりに彼は声を失った。後ろに立つのはボランティアでシリア人難民を病院へ送迎するA 氏。右が筆者。(B女史の支援するクリニックにて。2014年5月筆者撮影)

望みと覚悟

シリア人難民の家庭訪問やクリニックなどへの訪問を通して、彼らの望みを尋ねると必ず「シリアに帰りたい」という答えが返ってきた。私がホームステイしたホストマザーは、彼女がずっと暮らしてきたシリアの国の話をよくしてくれた。家庭訪問先のある父親は、「シリアに帰る、それだけだ」と言った。シリア人難民を支援するパレスチナ系ヨルダン人の男性は、「突然、家を失った人の気持ちを考えたことがあるだろうか」と問いかけた。しかし、彼らはシリアに帰れる日は長く先あることを分かっているようだった。「第3国へ出たい」という声もまた、続けて聞くことが多かった。子どもをいい環境の下で育てたい、とあるシリア人難民の両親は静かに語った。

シリアでの戦闘はいまだ終わりが見えない。どのような状態が、終息の糸口になるのだろうかも分からない。ただそのような中で、国際社会からのシリアへの関心が薄くなっていってはいけない。

さらにシリア国外だけでなく、国内避難民も窮地にあることを見過ごしてはならない。国連世界食糧計画(WFP)によると、紛争によって農地だけでなく、灌漑用水路など農業環境も破壊され、食料不足はますます深刻になっていくと報告している[*22]。飢餓だけではない。医療面も深刻な状態にある。シリア国内にあった病院の60%とヘルスケアセンター38%は破壊もしくは何らかの損害を受け、薬の生産は70%まで落ち込んでいる。医師の半数以上がシリア国外に逃げてしまった。その結果、本来ならば治療できる病気で亡くなる人々、がんなど慢性的な病気を抱え治療が受けられず死に至る人々は増え、妊産婦や乳幼児のケアも厳しい状況にある[*23]。

[*22] WFP (2014) Vam Food Security Analysis Special Focus Syria. Roma: WFP http://documents.wfp.org/stellent/groups/public/documents/ena/wfp263930.pdf

[*23] Save the Children (2014) A Devastating Toll The Impact of Three Years of War on the Health of Syria’s Children. London: Save the Children

シリアの紛争解決を目指してアドボカシー活動を行っているシリア支援団体サダーカでは署名活動を行っている。現地での直接的な支援だけでなく、世論から紛争解決を訴えていくこともひとつの重要なアクションではないだろうか。ぜひ、下記リンクから賛同していただければと思う。(https://www.change.org/peace_for_syria

ヨルダン滞在最終日の夜、シリア人難民のホストマザーがたくさんのシリアの家庭料理を用意してくれた。「今度は、シリアの家に来てね」と。(アンマンにて。2014年5月筆者撮影) 
ヨルダン滞在最終日の夜、シリア人難民のホストマザーがたくさんのシリアの家庭料理を用意してくれた。「今度は、シリアの家に来てね」と。(アンマンにて。2014年5月筆者撮影)

シリア難民を支援する環を広げたい!難民の声を映像で発信

プロフィール

井上慶子教育経済学

特定非営利活動法人ピースウィンズ・ジャパン(PWJ)海外事業部シリア事業調整員

1986年神奈川県生まれ。神戸大学大学院国際協力研究科博士課程前期(経済学修士)、後期修了(学術博士)。教育経済を専門とし、大学院在学中、UNESCOアジア太平洋地域事務所、UNICEFジンバブエ事務所、FHI360(米国NGO)等でインターン。2016年9月にPWJ入職後、イラク、ハイチ、モザンビーク事業にも携わる。2017年1月よりシリア事業を担当し、現職。

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