言語を知ることは、人とは何かを知ること――人の言語習得の仕組みを明らかにする

普段、私たちは当たり前のように言葉を話しているけれど、それがどうして話せているのか、また、どうやって話せるようになったのか──考えてみればみるほど、私たちは自分たちが話している言葉について、あまりよく知らないままでいることがわかります。

 

悩める高校生のための人気連載『高校生のための教養入門』、今回は、ヒトの赤ちゃんの言語習得の研究を通じて「人とは何か」という大いなる謎に挑み続ける、認知・発達心理学者の今井むつみ先生にお話を伺いました。(聞き手・構成/堀部直人+松石悠)

 

 

人が言語を習得するには何が必要なのか?

 

――先生がご研究なさっているのはどのような学問でしょうか?

 

私が一番メインでやっているのは言語の習得です。人として言語を学ぶにあたって、もっとも必要となる認知の条件とは何か、わかりやすく言えば、言語を学ぶには何が必要なのか、ということですね。

 

私たちは、「言語を覚える」ということを当たり前のように言います。ですが、赤ちゃんの立場になって考えてみると、たとえば大人が話している声に特別な意味があることをどうやって理解するのかは、そう簡単に説明できることではありません。声も音なので、普通の環境の音とは区別して、大人の声に特別な意味があることをまず認識する必要があります。

 

そもそも「意味がある」ということを認識するために必要な単語の区切りを、私たちはどうやって聞き分けているのか、あるいはそもそも意味というのはどういうものなのか、などという深遠な問題もあります。

 

普段私たちは言語を使っていて、そういうことを考えることはないのですが、これはとても大きな問題なのです。ある意味、哲学の問題でもありますね。赤ちゃんから幼児期にかけて、人がどうやって意味を見つけていくのか。そこに私はいちばん興味があります。

 

子どもが言語を学ぶということにはいろいろな面白さがあります。なかでも人の学習能力に私はとても関心があります。言語の習得を見ることで、人がどういう学習能力を持っているかを一番如実に見ることができるのです。

 

 

歴史上の進化は個体内で繰り返される

 

──私たちは何気なく言葉を覚えているようでいて、実はものすごく高度なことをやっているのですね。

 

その通りです。話をするレベルであれば、人は非常に短い期間で言語を習得することができます。でも、そのときものすごくたくさんの知識を習得しているのです。赤ちゃんから4、5歳ぐらいまでの子どもでも、言語の規則を自分で発見し、推論して習得していく。驚くべきことに、言語の学習のほとんどを自分で考えてやっているのです。

 

赤ちゃんは教えられずに言語が学習できるのだとすれば、人は生来どういう推論能力を持っているのか、という問題にもここで突き当たりますね。言語のような非常に複雑なものは人だけが持っているものなので、それを知ることはとても重要です。

 

さらに言えば、子どもの言語習得の過程を研究することには、言語の何万年もの進化の歴史を、ひとりの人間の中に見ることができる、という面白さもあります。一般的に歴史上の進化は個体内で繰り返されますが、言語の進化においても同様です。

 

すごく大きなスパンで見たときにいろんな言語が進化してきている、その非常に大きな時のスパンが圧縮されて、人ひとりの個体内で繰り返されるわけです。

 

ある意味で、言語がどう進化してきたかというのを、赤ちゃんの習得過程を見ることで垣間見ることができる。言語の習得が二重三重の意味で面白いと思っているのは、そういう背景もあります。

 

 

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photo: Mitsuru Mizutani

 

 

言語は人間の知性の象徴

 

――確かに、私たちは言語の実態が何なのかを全然知らない。

 

言語は人間の知性の象徴ともいえるとても大きな存在です。やはり全容を理解しないと分からない。ほんの一部だけを切り取って、たとえば文法のことだけを切り取っても言語は理解できないし、音のことだけを切り取っても理解できない。

 

専門的に研究するとき、一般的にはすごく狭く切り取って、それをものすごく掘り下げていくというのが通常です。それはそれですごく大事なことですが、私は研究する上では広さと深さが両方必要かなと思っています。

 

とはいえあまり大きく切り取り過ぎてしまうと、なかなかひとつひとつの研究がまとまっていかないので、視野は広く、問題意識は広く持ちながらも、ひとつひとつの研究はある一定の切り取れる範囲でやる、というのが良いと思っています。

 

私の場合は実験もするのですが、ある切り取れる範囲で実験をする一方で、大きな仮説も持っておく。その仮説を実験によって統計的に検討していきつつ、それぞれの研究を積み重ねていくことで、ようやく全体が見えてくるわけです。

 

ひとつひとつの研究はジグソーパズルのピースみたいなものです。私も20年研究をやっていて、自分なりにある程度は埋めてこれたかな。これからは、残りをさらに埋めていって、ひとつの大きな絵が描けたら、とは思っていますね。

 

 

言語を知ることは、人とは何かを知ること

 

――一番大きな絵というとどんなものを考えられていますか?

 

難しい質問ですね。一番大きな絵はやはり、「人はいかに学ぶのか」ということでしょうか。もっと大きく言うなら、「人とは何か?」。「人とは何か?」ということは、もちろん哲学者がずっと問うてきたことではあるんですが、私としてはそれをサイエンスとして考えたいと思っています。

 

人がいかに学ぶのかということを考えるとき、学びをするために、たとえば記憶がどういうふうに働いているのか、あるいは記憶をするためには何を知覚しないといけないのか、その知覚の仕組みを考える必要があります。

 

目で見たり、あるいは耳で聞いたり、あるいは触ったり、そういう感覚知覚と記憶がどのような仕組みで働いていて、それがどのように知識になっていくのか。ここが一番大きな問題だと思っています。

 

私たちはいろんなことを知っていて、また「知っている」と思っているのですが、では「その知識って何?」と聞かれたときに答えられる人はあまりいません。

 

たとえば言語に関しても、私たちは言語についてものすごくたくさんの豊かな知識を持っているから話すことができるわけですが、その知識が頭の中でどういうふうに蓄えられているのか、脳がどういうふうに働いてるからその知識を使えるのか、それもほとんど分かってないのが現状です。

 

知ってるということを自分で分かっていない。でも知識として必要な時に使うことができる。

 

そういう知識って、私たちはすごくたくさん持ってるわけです。たとえば運動の知識はほとんどそうですよね。私たちは反射的に何かを避けることができたり、当たり前のようにして物をつかんだり、体を動かしていろんな操作ができる。

 

でも、それを脳がどのように指令していて、筋肉がどうやって動くからそれができるのか、普通の人はなかなか分からないと思います。

 

言語もそのような知識のひとつです。たとえばTOEFLやTOEICでテストされるような知識は非常に表層的な知識でしかなくて、あのようなテストで高得点をとれたら英語を上手に話せるかというと、決してそんなことはない。ただ覚えただけではだめだということ。だとしたら、言語を使うことができるようになるには何が必要なのか。私が知りたいのは、まさにそれなのです。そしてそれは「人とは何か?」という問いにつながっています。

 

 

感覚経験を模倣することから、言葉は始まった

 

――人が学ぶ仕組みのメカニズムを研究される上で、先生はどのような研究手法を取られているのでしょうか。

 

さまざまな手法を使います。私は心理学者なので、行動指標を使うことが多いですが、脳波を使うこともあります。最近出た論文で、これは実験の写真が『Cortex』という科学雑誌の表紙になりましたが、この実験では、11カ月の赤ちゃんに複数の音と視覚の刺激を与えて脳波の反応の違いを見ました。

 

ここに、2つの図形がありますよね。これを見たときに、「キピ(kipi)」はどっちだと思いますか?

 

 

図版2 (1)

 

 

図版3 (1)

 

 

――Bのギザギザしているほう?

 

そうですね。そして、「モマ(moma)」は丸いほうですよね。でもこれって、言語の大原則を考えると別にどちらでも構わないわけです。ところが、私たちはAが「キピ(kipi)」でBが「モマ(moma)」であるという直感を持っている。

 

だから、人はずっと昔、言語が始まった頃に、音と対象の関係や音と意味の関係のような、言語学では本来は恣意的、独立であったとされるような関係を超えて言語を用いていたのではないか、と考えたわけです。

 

言葉というのは視覚や触覚と音の感覚の間に恣意的でなく対応関係が感じられ、そのような感覚間協応から感覚経験を音で模倣するようになって始まったのではないか。そのようなことを言う人は数多くいるのですが、それを直接実験で確かめた研究はなかったので、この実験をすることにしました。

 

 

――感覚経験というのは、Bを見て「キピっていう音がしそうだ」と思うような、そういう経験のことですか?

 

そうですね。感覚統合とも言います。私たちには聴覚、視覚、触覚、それぞれありますよね。それが大人の脳ではだいたい整理されているんですが、その間に全然コミュニケーションがないかというと、そうではありません。

 

たとえば、高い音と小さいものがよく合うと思うこととか、低い音と大きいものが合うと思うこととか、そういう直感は持っていると思うんですね。その延長として、Bが「キピ」でAが「モマ」だと言うときに、その背景に存在するのが感覚経験です。

 

大人のなかにも、少数ですが、共感覚と言われる感覚を持つ人がいます。共感覚とは、たとえば文字に色を感じるとか、味に対して形を感じるなど、一つの情報を処理するときに、他の感覚も一緒に感じる現象のことです。

 

黒いインクで書かれた「あ」という文字を見ると黒い文字が見えるのに加えて赤い色の印象も感じるとか、苦い味のものを食べると味の感覚に加えて四角形が頭に浮かぶ、というような具合です。

 

共感覚を持つ人の脳内でどのような処理が起こっているのかはまだ解明されていませんが、共感覚を持つ人の場合は、幼少期の脳内の未整理の配線が一部つながったまま残って、そのまま大人になったのではないかと考える研究者もいます。いずれにせよ、大人の脳でもさまざまな感覚の間にコミュニケーションがあることを示している例の一つです。

 

 

脳波の反応を見て赤ちゃんの認識を推測する

 

──言葉の意味を知るよりも前に言葉を音として経験している、というのはとても興味深いです。

 

言葉が感覚経験を直接に声で模倣したところから始まると考えた場合、その後、言語がシステムになって複雑なことを言おうとしたとき、ひとつひとつを声で模倣していたのではとても足りない。つまり、記号としての言葉の数が不足してしまうことになります。

 

そのため、いまの言語記号ではもはや音と意味の直接のつながりは薄れてしまっていますが、最初の時点を考えれば、そこから始まったのではないかと考えることができるわけです。

 

この赤ちゃんも、丸いAの図形と「モマ(moma)」という音、ギザギザしているBの図形と「キピ(kipi)」という音の組合せを聞くと、それが初めて聞いた組合せであっても、ごく自然に「キピ」や「モマ」を言葉だと思うのではないか?

 

丸いAと「キピ(kipi)」、ギザギザしているBと「モマ(moma)」という組み合わせを聞いたら、何か変だと思うのではないか、と考えたわけです。

 

とはいえ、11カ月ぐらいの赤ちゃんにそれを聞くこともできないので、脳の反応を見て、赤ちゃんがどう思ったかを調べることにしました。下の表紙写真のようにして脳の電位を測るんですが、赤ちゃんの頭に被せている器具には電極が付いていて、その電極から本当に微かな電位の差を拾ってきて、それを3つの解析手法にかけてみた、というわけです。

 

これに関連して言うと、私はオノマトペの研究もしています。オノマトペってご存知ですか?

 

 

感覚経験を音で模倣するオノマトペ

 

――「ゴーゴー」とか?

 

そう。「フラフラ」とか「モチモチ」とか。たくさんありますよね。お母さんが赤ちゃんに話しかけるときって、すごくオノマトペが多いんですよね。

 

日本語は言語として特にオノマトペが豊富な言語で、日本人のお母さんは非常によく使うんですが、ちゃんとした辞書に書いてあるような言葉はほとんどないにもかかわらず、お母さんが赤ちゃんに話すときは自分でオノマトペを作って話しかけている。

 

一方で実は、ドイツ語や英語のような欧米の言語ではそれほど多くありません。漫画でよく使われる“Bang!”のような、音を模倣して使われる決まりきったものはありますが、日本語の擬態語のように非常に豊かな感覚を表すボキャブラリーはほとんどありません。

 

そのドイツ語であっても、お母さんが赤ちゃんに話しかけるときには、やはり普通の言葉を使うよりも音を自分で作ってオノマトペを使います。

 

つまり、ドイツ語や英語のようにオノマトペをあまり使わない言語でも、やはりお母さんは赤ちゃんに一番最初は音の模倣をして話しかけます。見たものや経験したもの、感覚経験を音で模倣することで、そこから言語の記号性を赤ちゃんに分からせようとしているのではないか。そうした仮説にもとづいて、さまざまな手法をつかって一連の研究を行っています。

 

 

 

歴史への関心から、心理学へ

 

――先生は高校生のころから言語に興味があったんですか?

 

言語を意識するようになるのはもう少し後のことですね。高校生のときは読書が好きだったので、随分と本は読んでいました。授業科目では、英語と世界史がすごく好きで。私は少しロマンチストで、昔のエジプト時代の遺跡の発掘とかにあこがれていたのです。

 

大学に進むとき、世界史か、広くは歴史を勉強する学部に行きたいなと思って、それで慶應(義塾大学)の文学部に入りました。

 

その後大学二年になるときに学科を選ぶことになったのですが、もともと興味があったエジプトのことをやっている先生はいなかったので、中世のキリスト教を研究する西洋史を選びました。

 

 

――ずいぶんと違った領域を選ばれたんですね。

 

中世キリスト教が一番古かったので、それで中世キリスト教にしました。でも、歴史の勉強を本気でしようと思ったら、それこそ言語ができないといけない。たとえば中世のヨーロッパをやりたいと思ったら、まずはラテン語ができないといけません。

 

しかも、それぞれの地域の現代の一般的な言語だけではだめで、古代の英語とか中世ドイツ語、中世英語とかケルト語みたいなものも必要になってくる。

 

そういう新しい言語を勉強すること自体は楽しかったのですが、いまいちのめり込むことができず、一生それをやっていくという気持ちになれませんでした。

 

 

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photo: Mitsuru Mizutani

 

 

人について知りたい

 

──どうして心理学に?

 

若者にありがちなことで、ちょっと気恥ずかしいですが、人についてもっと知りたいなと思いました。大学4年時に学士号は西洋史で取ったのですが、その後教育心理学をやるところに学士入学で入り直しました。学士があれば修士課程を受験する資格があったので、1年間だけ教育心理学専攻に3年生として在籍し、次の年に大学院に進学しました。

 

教育心理学が属する心理学は、カバーする領域がすごく広い学問ですが、大きくいうと基礎心理学、社会心理学、教育心理学、発達心理学、臨床心理学の5つがあります。そのなかでおもに教育に直接役に立つような学習や、発達の研究を扱うのが教育心理学です。

 

 

人が言葉を覚える仕組みを知りたい

 

――心理学の中でも教育心理学を選ばれたということは、教育にも興味があったんでしょうか?

 

教育にはずっと興味がありました。高校の教員免許を取り、。社会の先生になろうかと思っていたこともありました。ただ私の場合、自分が教える前にまず、人が考える仕組みや学ぶ仕組みの、その中身が知りたいなと思ったのですね。人が学ぶときに頭の中で何が起こっているのか、それ自体を知りたいと。

 

特に私は言葉がすごく好きだったので、言葉というものをもう少し深く知りたいとも思っていました。英語はすごく好きでしたし、読書も好きだったので、言葉にはずっと興味がありました。だから言葉を覚える仕組みを研究したいと思いました。

 

 

――言葉への興味は、歴史に興味を持っていたときからずっとある関心だったのですか?

 

そうですね。ただ、言葉といってもすごくいろいろな切り口があります。たとえば、言語学という学問がありますよね。私も言語学の研究者として紹介されることがあって、確かに言語そのものの規則性を見つけ出すことにもとても興味があるのですが、私はどちらかというと、どうやって言語を学ぶのか、言語を学ぶことによって人の思考がどういうふうに変わっていくのかという、学習をする時の心の仕組みのほうにむしろ興味を持っていました。【次ページにつづく】

 

 

 

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