「ボキャブラリー」の変化が、人間の思考を変化させている――思想を歴史的に研究する意味とは

エコノミカルな言語が政治に差し込まれていくアメリカ

 

――先生の本(『ミシェル・フーコー:近代を裏から読む』筑摩書房)を読んで面白いと思ったのは、警察なんていう制度は犯罪者がいなければ誰も認めるわけがない、という話です。そもそもどうして近代は警察という制度をよしとしてきたのかも謎ですよね。これも統治の問題でしょうか。

 

「警察がいてよかった」「警察が犯罪者を捕まえてくれている」と思うのはおかしいという話ですよね。何が犯罪で誰が犯罪者なのかを定義しているのは政府であって、その一部が警察なのだから。職務質問は迷惑ですが、みんななぜがまんしているか。それは犯罪があるからです。

 

だから近代の刑務所制度は犯罪を本気でなくそうとしてはこなかった。犯罪があるために人々が警察の存在を許すからです。過激なことを言っているようですが本当のことだと思います。

 

でも一方で、交番にいるおまわりさんとか、警察の人も大変ですよね。最近だと、「家を出て徘徊している高齢者を保護してほしい」と通報されたりするらしいんですよ。ほかにも「迷い犬を保護してほしい」とか。それから、夫婦喧嘩している夫婦の妻の方がDVだと言って交番に駆け込むことも多いそうです。夫婦喧嘩の仲裁までも警察がやらされる。

 

今言ったような行為はすべて統治行為です。統治行為というのは、人間の日常生活を秩序づけていく行為です。警察がやっていることというのは、本当は誰がやるべきことなんでしょうか。誰もやらないから仕方なく警察がやっている。だから警察が良いか悪いかというのは難しくて、確かに警察という存在が犯罪者をつくっているというのもあるんですが、一方で彼らは大変な仕事を押しつけられてもいる。

 

では、どうして警察の仕事が増えているのかというと、社会が壊れかけていて、面倒を見てくれる人が減ってきているからですよね。そういった状況で、どのようにして人の面倒を見ていくのかは統治の問題ですが、ちゃんと議論されていません。

 

たとえば高齢者の面倒をどう見るか。これから高齢者はもっと増えるわけですし、すべて警察に任せるわけにもいかないですが、家族が担うには重すぎる。つまり、統治というのは、あらゆる社会問題とつながっています。それは政治学の対象とすべき問題なのですが、政治学は統治についてあまり議論してきませんでした。だから社会問題を統治の観点から考え直すというのは新しい試みだと思います。

 

 

――なるほど。統治の観点から社会を見ると、また別の考え方をできるかもしれないということですね。

 

はい。ただ、私の考えでは、今の社会で一番重要なポイントは経済なんですよ。今、法でも行政でも統治でもなく、経済のボキャブラリーがあらゆるところに浸透している。どういうことか分かりますか?

 

 

――経済的な合理性で政治を決定している、ということですか?

 

でも、単に「財政が赤字の時は黒字にするように頑張る」というのは昔からやっていることじゃないですか。そうではなくて、今ボキャブラリーが変わっていることの象徴は、たとえば今年アメリカ大統領に就任したドナルド・トランプ。

 

彼はもともと政治家ではなく経営者・投資家です。そのためビジネスの発想で政治をやろうとしている。たとえばロシアのプーチン大統領と仲良くしようとしているのも、政治的イデオロギーやパワーポリティクスの発想からは出てこないですよね。こういう戦略は政治の世界の常識ではありえないかもしれませんが、ビジネスの世界では功を奏すのかもしれません。

 

経済のボキャブラリーが政治の世界に入ってくるというのは、今まではこのような形ではなかったと思います。政治家はあくまで政治家。日本の安倍首相は政治家であって、経営者ではないですよね。だから彼は政治的なボキャブラリーで政治をやろうとしているはず。

 

でもトランプはまったく違っていて、ビジネスの発想、経営と投資の考えをそのまま政治に持ち込もうとしているんですよ。これは、政治の世界に経済のボキャブラリーが入り込んでくる時代が行き着くところまで行ったことの象徴になっているという例だと思うんです。

 

つまり、今起こっているのは、経済の言語が強くなって、政治の言語が弱くなっているということとも言えます。たとえば規制緩和というのは、国が手出しをしていたことを止めるということですよね。これは考えてみれば変ではないでしょうか。政治をやっている人間が、政治の仕事を減らしましょう力説するのですから。

 

この発想は、政治のボキャブラリーが非常にエコノミカルになっているということを示しています。ほかにも今、政府の諮問会議や審議会がたくさん開かれていますよね。こうした会議に財界の人がたくさん呼ばれています。昔から入っていたかもしれないけれど、その割合と影響力はどんどん強まっている。むしろ政治家がビジネスの声を聞きたがっているんです。それが今の統治の傾向です。

 

フーコーはその昔、今言ったようなことが起きるだろうとすでに予言していました。それで実際に数十年後ですがトランプが登場した。彼はポピュリズムの政治家に分類されますが、ポピュリズムはフランス国民戦線党首のマリーヌ・ル・ペンのような排外主義・ナショナリズムの方向に行くことが多いです。だから、ヨーロッパのウルトラ・ライトのような政党はクラシックな政治の左右の布置の中に辛うじて置くことができる。

 

トランプも排外主義ではありますが、ナショナリストのように愛国主義的に考えるというよりは、国家運営というビジネスがうまくいくかどうかで考えている。だから彼は、ビジネスの論理とうまく整合するかぎりでナショナリズムを利用していると思います。

 

 

――トランプ、プーチン、ル・ペンは並べて語られることもあるかと思うのですが、トランプは違う発想で政治をやっているということですね。

 

はい。だから先がまったく見えないですよね。あの人は政治家としてはこれまでにいない人で、アメリカは良くも悪くも最先端が突出して出てくる国なのだなと思いました。アメリカに代わる国はまだないですよね。中国が代わりになるのかもしれませんが、まだ文化的なヘゲモニーを得ていないので、中国が世界をリードするようになるのは当面は難しい。それまではアメリカが経済的・ビジネス的な考えで世界政治を動かしていく時代が続くでしょう。

 

ここ十数年の間、タリバンやアルカイダ、ISなどが出てきましたよね。これらはみんな基本的にアメリカの経済主義に対する挑戦です。つまり、エコノミカルなボキャブラリーに対する反発がテロという形をとって、今とても強まっているわけです。その2つの対立で今の世界は揺れ動いているといえます。だから今、エコノミカルな言語が政治に差し込まれていくのはどのようにしてなのかを、フーコーを通じて考える必要があるんです。

 

 

「何かのスペシャリストになろう」と思わなくてもいい

 

――そもそも先生はどうして哲学に興味をもたれたんでしょうか? すごく難しい学問だと思うのですが。

 

中学生や高校生は、哲学の抽象性を具体的な事柄に置き換えて理解することが難しいかもしれません。社会人になれば、今までの人生経験からなんとなく哲学の話であっても、身近な経験や具体例にあてはめてイメージできるようになると思います。でも、私がフーコーに興味をもったのは、中学時代の経験がきっかけなんです。その時は哲学につながるとは思ってもみませんでしたが。

 

名古屋という文化が何もない場所で過ごしたんですが、そこの中学校が刑務所のような管理教育だったんです。体罰はあるし竹刀を持って歩いている先生もいたし、異様な世界でした。それで大学に入ってフーコーの『監獄の誕生』を読んだ時、そこでフーコーが言っていた「規律権力」というのが、まさに私の通った中学校と同じだと思ったんです。実体験を違った角度から確かめるような、どこかでああそうかと思い当たる経験がなければ、哲学や思想はなかなか入ってこない学問ではないでしょうか。

 

もし高校生でこのインタビューの記事を読んでいるような人がいたら、その人の大半は中高一貫校に通っている恵まれた学生かもしれません。でもそうではない人の方が哲学の言葉は響くかもしれないですよね。

 

中学高校を楽しんで過ごしてきた人には何も思想なんて必要ないですし。苦労した時にはじめて必要になるんじゃないかと思います。だから私はあの愛知県名古屋市で過ごしたことを今でも恨んでいるんですが(笑)、それがあったからこそフーコーを読んだ時にこれだと思えたわけで、その意味では感謝しています。

 

 

――高校生へのメッセージをお願いします。

 

若い時は「自分はどうやって生きていけばいいんだろう」とか「自分がやっていることって何の意味があるんだろう」とか悩むと思います。私も学生のころはなんとか世の中の役に立ちたいって思っていて、青年海外協力隊に入りたいと突発的に思ったりしました。いろんな天候変化に強い新種の稲を東南アジアなどに植える活動をしようと。

 

 

――それは……本当に実践的な方法で世の中を良くすることを目指していたんですね。

 

そうです。でもこれはやらなくてよかったなと思っています。なぜかというと、「緑の革命」の話を聞いたからです。発展途上国の農業、とくに米作における技術的な生産性の向上が、化学肥料への依存や在来の農村文化の破壊に結びついたという例です。緑の革命に関しては、何が正しく何が間違っていたかの評価は難しいと思います。

 

しかしその話を聞いた時、私は科学の応用によって人の生活を物質的に改善しようとすること自体の限界と、そこに肥料を売る会社や技術を売る先進国などの政治的経済的な思惑が必ず入り込むのだなと思いました。つまり、技術ではなく社会的価値や政治の観点から、生活の豊かさや改善を捉えるべきだと思ったということです。

 

要するにODAなどで国を支援するということは、とても政治的なことなんですね。政治とは無関係に、純粋に技術的な支援をすることは難しくて、たとえば大企業の商業的な思惑が差し込まれてしまう。原発事故もそうなんですが、技術的なものと政治的なものは絶対に切り離せない。

 

結局、大学卒業後は銀行に就職したんですが、やはり現実に近すぎて近視眼的になるなと思いました。もう少し現実と距離を取りたいと。距離を取らないと自分の立ち位置も分からないし。それで「現実と距離を取るために辞めたい」と話したところ、「そんなこと学生にうちにやっとけ」と怒られたんですね。今さら遅すぎるだろうと。でも私は全然遅いとは思わなかったんです。だってまだ22、3歳だったんですよ。

 

だから高校生には、何かのスペシャルになろうとこだわらないでほしいですね。迷ってるなら間口の広いところに行ってほしいです。私は政治学科に入ったのですが、それは間口が広いと思ったからです。本当は文学や哲学が好きだったのですが、まあ文学は人から教えられなくても、あるいはその方が読めるし書けるだろうと(笑)。

 

それに哲学を専門にすると、社会について勉強できなくなるんじゃないかとも思ったんですね。だから政治学科を選びました。入ってからあまりの退屈さにのけぞりましたが。でも哲学は政治思想として勉強できたし、悪くはなかったと思います。

 

就職のことを考えて大学を選んだりするとこぢんまりとしてしまいます。だから、人から急かせることもあるかもしれませんが、将来についてあまり狭く考えなくてもいいと私は思います。

 

 

高校生におすすめの3冊

 

監獄の誕生―監視と処罰

著者/訳者:ミシェル・フーコー

出版社:新潮社( 1977-09 )

定価:

Amazon価格:¥ 20,238

単行本 ( 345 ページ )

ISBN-10 : 4105067036

ISBN-13 : 9784105067038


 

 

これから大学生になるみなさんには、持っているだけでドキドキする本を見つけてほしいです。私にとってはこれがその本でした。内容は分からなくてもいんです。分からなくてもかっこいいのです。

 

 

悪霊 1 (光文社古典新訳文庫)

悪霊 1 (光文社古典新訳文庫)

カテゴリ:Kindle版

発売日:2013-12-20


 

悪霊はやばいですよ。麻薬をやりたくなったら代わりに悪霊を読んでください。経験したことがないので分かりませんが、おそらく近い効果が得られますから。はじめて読んだ時は本当にそう思いました。麻薬をやっている人はこういう気持ちになるんだろうなと。ドストエフスキーのなかでも最も麻薬感が強い一冊です。

 

 

ツァラトゥストラはこう言った 上 (岩波文庫 青 639-2)

著者/訳者:ニーチェ

出版社:岩波書店( 1967-04-16 )

定価:

Amazon価格:¥ 864

文庫 ( 275 ページ )

ISBN-10 : 4003363922

ISBN-13 : 9784003363928


 

おそらくまれに見る珍本なのですが、ニーチェというのは本当にいいんですよ。小人とかピエロとか蛇が出てきて、綱渡りしている人が綱から落ちて死にそうになって、「ツァラトゥストラ……」とか言って。全然意味が分からないんですよ(笑)。ちなみにニーチェには「この人を見よ」という本があるんですが、その「この人」がニーチェ自身なんですね。そして目次には「なぜ私はこんなにも賢いのか」とか書かれているんですよ。だからニーチェを読むと、ああ、自分は何を言ってもニーチェに比べれば恥ずかしくないな、と思うことができます(笑)。

 

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vol.216 特集:移動

・東京大学大学院超域文化学教授・内野儀氏インタビュー「国境を越える舞台芸術――移動するアーティストと変化する舞台表現」

・松岡洋子「『エイジング・イン・プレイス』と『日本版CCRC構想』」

・上村明「牧畜における移動――不確実性を生きる」

・中田哲也「『フード・マイレージ』から私たちの食を考える」

・齋藤直子(絵)×岸政彦(文)「Yeah! めっちゃ平日」