どうして「ルールは守って当たり前」? ――現代の生き方を批判的に考える

「『人の価値観はそれぞれ』だから答えなんてないのでは?」「そもそも『倫理』ってなんだろう。誰が決めているんだ?」そんな疑問を持ったことのある方は少なくないはず。そこで今回の「高校生の教養入門」では、倫理学を研究している児玉聡先生へのインタビューをお届けします。いまあるものをそのまま受け入れるのでなく、批判的に思考することの意味からボクシング廃止論まで、興味深いお話をたくさんしていただきました。(聞き手/金子昂、構成/中沢新)

 

 

人間と社会のあり方について

 

―― 最初に倫理学はどんな学問なのかをお教えください。高校の課目に「倫理」はありましたが、思想、哲学、宗教となにが違うのかよくわからなくて……。

 

そうですよね。高校の「倫理」って、宗教や哲学が混じっていて、よくわからないと思います。きっと高校生は、西洋や東洋の哲学と宗教の歴史を思い浮かべるでしょうね。

 

倫理学は道徳哲学であり、基本的に哲学の一分野です。哲学には認識論や存在論、論理学といった分野があります。認識論や存在論は、人間の認識のあり方とか、「ものが実在するとはどういうことか」といったことを考える学問です。それに対して倫理学は人間のあり方、生き方、社会のあり方を、高校生のときに勉強する思想史の知識をさらに深めながら考えていく学問と言えると思います。

 

 

功利主義、義務論、徳倫理

 

―― 倫理学にはいろいろな分野があると思います。代表的なものをお教えいただけますか?

 

いろいろと議論はあるのですが、規範倫理学(Normative Ethics)、メタ倫理学(Metaethics)、そして応用倫理学(Applied Ethics)の3つにわけられると思います。

 

倫理思想史を勉強すると、現代の問題を考える際に参考となる理論がいくつも見つかります。代表的なものとしては功利主義、カント的な義務論、徳倫理学があげられます。

 

功利主義はご存知の方もいると思いますが、「私たちはなにをすべきなのか、そして社会はどうあるべきか」という問題を考えるときに「最大多数の最大幸福」を基準に考える理論です。

 

アンチ功利主義の立場をとるのが義務論です。単純化しすぎている例かもしれませんが、独裁者を暗殺することによって社会全体がよくなるような場合があっても、暗殺行為は正当化されない。つまり目的は手段を正当化しないという立場をとるのが義務論です。

 

そして徳倫理は、功利主義や義務論がわれわれの行為を問題にしているのに対して、わたしたちが人としてどうあるべきか、どういう性格を持つべきかなど、行為ではなく人格のよしあしを問題にする理論です。

 

こうした理論を使って倫理について考えるのが規範倫理学です。わたしは功利主義を中心に研究していますが、最近はわたしの学生の間では徳倫理が人気みたいですね。

 

 

「善い」ってなんだ?

 

―― そういえば功利主義は高校の授業でも耳にしたことがある気がします。メタ倫理学はなんだか難しそうですね。

 

そうなんです、説明が難しいんですよね。

 

メタ倫理学は哲学の他領域の発展に大きく依存している分野です。もともと20世紀の初頭に、イギリスの哲学者であるバートランド・ラッセルやジョージ・エドワード・ムーアが、「『善い』とか『正しい』っていったいどういうことなんだろう?」と言い出してから、具体的な倫理問題よりもまず、倫理にかかわる概念や言語を分析しなくてはいけないという流れが始まったことがきっかけにあります。

 

「Ms. A is tall」と「Ms. A is good」と非常に似通った文章を例に考えてみましょう。「tall」の場合、Aさんを見れば本当に「背が高い」のかすぐにわかります。でも「good」の場合は、Aさんが本当に「善い」のかどうか、どうやって確かめらたらよいのでしょうか。ムーア以前は「A is tall」でも「A is good」でも、「背が高い」「善い」という性質は「現実の世界」つまり対象の側にあって、それを「記述している」という発想が非常に強くありました。たとえば、Aさんが善い人だというのは、周りの人を快い気持にさせるということだ、というような感じです。

 

それに対してムーアは「道徳的な性質は自然科学で記述されるような世界にはない。善悪を快楽や苦痛といった自然的なものに還元することは大きな誤りだ」と言ったんです。これは「自然主義的誤謬」という非常に有名な話です。彼は善いという性質が現実の世界にあることは認めましたが、それは直観によってしか把握できないと考えたのです。

 

しかしムーアもやはり「言語は世界を記述するために用いられる」という発想にたっていました。ですが、実は言葉というものは、もっといろいろなことができるのではないでしょうか。例えば「このコーヒーは美味しい」というセリフは、「美味しさ」というコーヒーの性質を表す言葉なのかもしれませんが、コーヒーを飲んで美味しいと感じている私の態度や感情を表明しているのかもしれません。「Ms. A is good」もそうですね。「私はAさんを『善い』と思っている」という称賛の態度の表明とも取れます。

 

このように言葉にはもっとたくさんの使用法があるだろうという話が20世紀の前半からでてくるんですね。メタ倫理学はその影響を強く受けているんです。「あなたは約束を守るべきだ」「あなたは嘘をつくべきではない」と言ったとき、それは世界の何かを記述するというよりは、話者の「態度」を表明している。私たちが使う「道徳語」は、いったいどういうかたちで使われているのか。世界には私たちが道徳を評価するための基準があるのだろうか。そういう研究をメタ倫理学では行っているんです。……まあわかりにくいですよね。

 

中学生、高校生くらいのときって「人の価値観はそれぞれだ」「倫理には答えがない」といったことをよく考えると思うんですけど、メタ倫理学は、本当にそれが正しいのかも考えるので、関心のある人には非常に面白いと思います。でもメタ倫理学って非常に難しい分野になってしまって。いま頑張って入門書を書こうかなと思っているところです。

 

 

―― このインタビューを読んでいる高校生のためにも頑張ってください(笑)。

 

はい(笑)。

 

60年代ぐらいになるとメタ倫理学は閉塞状態になってしまいます。例えばベトナム戦争は善いことなのか悪いことなのか、言語分析ばかりしていると答えられないですよね。それが60年代、70年代あたりになって、ベトナム戦争や市民権運動などが起きて「もっと社会の問題にコミットすべきではないか」という問題意識が生まれるんです。そこで出てきたのが応用倫理学です。

 

応用倫理学は、生命倫理学、環境倫理学や情報倫理学、あるいは企業の倫理とかそういったものを扱う分野ですね。とくに生命倫理学の歴史は非常に長く体系だっているのではないかと思います。私も生命倫理に関心があり、研究をしています。20世紀後半からは、応用倫理学が流行っている状況ですね。

 

 

 

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