異なる人びとのイメージを、ひとつに重ねあわせる方法論――ミリの世界から日本列島改造論まで

今回「高校生のための教養入門」コーナーでお話を伺ったのは、建築家の藤村龍至氏。ワークショップを開いて市民から意見を集めても、最終的にできあがったものに市民の意見が反映されきれていないことに違和感を覚え、新しい方法論を考えだした藤村氏。「段階的に形にしながら最終的な案を決める」という方法論とは? そもそも建築学ってどんな学問なの? その魅力についてお話いただきました。(聞き手・構成/金子昂)

 

 

「アーキテクチャ」をどう訳す?

 

―― はじめに藤村さんのご専門である建築学についてお教えください。

 

日本の建築はもともと、住宅からお城に至るまで、あるいは作業小屋から神社に至るまで、大工さんが作っていたので、設計を専門にする建築家という職能はなかったんですよね。ずっと職人の経験によって作られていたんです。

 

それが明治維新後に、西洋から「建築学」という学問が輸入され、イギリスのジョサイア・コンドルという建築家が、工部大学校造家学科(現在の東京大学工学部建築学科)に招かれます。「造家」という言葉が端的に表しているように、当時の日本人には「アーキテクチャ」という概念に適切な訳語がなく、「メイキング・ハウス」と訳していました。つまり「家を造る」ことが建築だと思っていたわけです。

 

しかし、しばらくして伊東忠太という建築家が「アーキテクチャ」という言葉はどうやら違う意味らしいことに気が付き、「建築」という言葉を提案しました。それによって「造家学会」が「建築学会」と名前を変え、いまの建築学ができました。

 

 

―― 輸入された学問ということは、もともとあった職人の知恵と混合して、日本独特の建築物が建てられたこともあったのでしょうか?

 

伝統的に木造建築に取り組んできた日本の大工さんたちが西洋の組積造の建築のスタイルを見よう見まねで真似た結果、「擬洋風建築」と呼ばれる独自の様式が生まれました。

 

一般的に、革命の後に奇妙な様式が生まれ、30年くらいで消えると言われているんですね。権力が移行して評価軸が不安定になるからです。例えば日本でも、平家から源氏に権力が移るときに、貴族の建築である寝殿造から武家の書院造へと様式が移るわけですが、その間に変な様式が生まれている。フランス革命やロシア革命の後にも、不思議な様式が生まれています。

 

明治維新直後の日本で流行った木造による西洋建築の流行は、留学して本場の建築を学んだエリート建築家たちが帰国し、活躍するようになって次第に廃れていきます。造家学科一期生であり、東京駅や日本銀行本店を設計した辰野金吾はそうしたエリート第一世代の最たる例です。舛添要一東京都知事が先日「赤坂迎賓館はベルサイユ宮殿のコピーだ」という発言をしていましたが、実は建築史の中では、本場ヨーロッパよりも技巧として成熟しているという評価もあるくらいで、当時、すでに技術がしっかり伝わっていたことがよくわかります。

 

 

専門は建築意匠論

 

―― 建築って都市計画とか、いろいろな分野がありますよね。主だった分野を教えていただけますか?

 

建築学は「意匠論」、つまり西洋のデザインの勉強から始まり、長らく意匠論のみの時代が続きます。ただ1923年の関東大震災をきっかけに、構造の重要性がクローズアップされ、それ以来「デザインなどどうでもいい、最大の問題は構造だ」と構造が幅を利かせるようになった。そこからコンクリートを使った柱と梁による「ラーメン構造」による耐震技術構造の確立が日本における建築学の中心となります。

 

それから第二次世界大戦の戦災復興まで、コンクリートによる近代主義的な構造が発展し続けていくのですが、高度成長期に入り公害が深刻な問題となったことで、ようやく「建築環境・設備」という効率的にエネルギーを利用するための設計を考える分野が登場します。

 

海外の建築では、梁の下に空気を送るダクトが通されることも多いので、ダクトの分だけ天井が膨れてしまっていました。でも日本人って取り合っているものどうしをまとめるのが上手なんですよね。梁の真ん中に穴をあけてダクトを通し、天井の懐を薄くすることに成功した。するとその分だけ余計なスペースをとらなくて済みます。

 

 

―― なんでそんな工夫をしたんですか?

 

1960年代まで日本には百尺制限といって、31メートルの高さまでしか建物を建てられないという条件があったんですね。デベロッパーからすれば、同じ高さのビルにできるだけ多くの床を作りたい。テナントがたくさん入れるようになりますから。でも天井が膨れると使える空間が減ってしまう。中には天井にダクトを通さずに、縦に空調を通して31メートルのビルに10層を詰め込んだ会社もありました。有名な森ビルという会社です。

 

その後、オイルショックをきっかけに、建築環境はヨーロッパで発展していきます。遅れを取った日本は最近になってようやく、改めてエネルギー全体をどう抑えるかという話がでてきているところですね。

 

 

―― 建築の分野には主に意匠、構造、そして建築環境・設備があるということですね。藤村さんはどの分野を特に専門とされているのですか?

 

意匠です。その中でも建築意匠論を専門としています。

 

意匠といっても表層的な、いわゆるデザインと計画学、そして歴史にわかれています。歴史は、もちろん日本建築史とか西洋建築史を研究する分野。計画学は、例えば人は何センチくらいのテーブルに座っているのか、椅子の高さ、キッチンは何センチが適当なサイズか。あるいはそれらが集合して学校、病院、劇場はどうやって計画するべきかなどを考える分野ですね。そして、こうしたものを基調に建築をデザインしていくのが建築デザインなのですが、意匠論はデザインそのものを分析したり、方法論を研究したりする研究分野のひとつです。

 

 

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