「空襲は怖くない。逃げずに火を消せ」――戦時中の「防空法」と情報統制

空襲の安全神話

 

1枚の写真をご覧いただきたい。

 

畳の上に炎があり、男女3人が水をまいている。昭和13年に東部軍司令部の監修で作られた12枚組ポスターの一つで、今でいう政府広報である。表題には「落下した焼夷弾の処理」とある。

 

それにしても不思議な光景である。屋根を突き破って落ちてきた割には弱々しい炎。天井や畳は燃えていない。焼夷弾の間近に迫って怖くないのか。アメリカ軍の焼夷弾はその程度のものなのか。一杯目のバケツで水をかけた後は、一体どうするのか。この一つの炎のために次々とバケツリレーをするのか。謎が深まる。

 

 

写真1

「防空図解」昭和13年・赤十字博物館

 

 

もう1枚。同じ12枚組の1つである。

 

ショベルの先に小さな「焼夷弾」らしき物体があり、「折よくば戸外に投出せ」と書かれている。こちらも、畳や障子はまったく無傷である。

 

こんな対処法が可能とは思えない。実戦で使用された焼夷弾は、発火装置と燃焼剤が一体となっており、投下されると数十メートル四方へ火焔を噴出し、家屋を猛烈な炎に包む。その破壊力ゆえ、昭和20年3月10日の東京大空襲では一晩で10万人が死亡し、8月の終戦までに全国で50万人が犠牲になった。その厳然たる事実を思えば、このポスターは犯罪的なまでに牧歌的である。

 

すでに日本政府は、中国の錦州や重慶への空襲を開始していた。したがって空襲や焼夷弾の威力を熟知していたが、国民にはそれを隠し、「空襲は怖くない」と宣伝した。

 

 

写真2

「防空図解」昭和13年・赤十字博物館

 

 

「空襲から逃げるな」の政府方針

 

このポスターが作られる前年、昭和12年12月に内務省が発した「防空指導一般要領」は、「防空は国民全般の国家に対する義務」であると定め、「自衛防空の精神により、建物ごとに防護する」ことを基本として、老幼病者以外の者は避難させない方針を示した。

 

昭和13年3月には、内務省警保局が通達「空襲の際における警備に関する件」を発し、「原則として避難させないよう指導」する方針を明記。同様の方針は、昭和15年12月に内務省計画局が発した通達「退去、避難及び待避指導要領」にも明記された。

 

軍人に対して「生きて虜囚の辱めを受けず」と説き、潔く命を捨てろという「戦陣訓」が発せられたのは昭和16年1月。それより前に、一般市民は「空襲から逃げるな」と命じられたのである。

 

 

写真3

朝日新聞昭和16年11月18日付

 

これを指導方針から法的義務へと高めたのが、昭和16年11月に改正された「防空法」である。第8条ノ3で退去禁止、第8条ノ5で消火義務を定め、懲役や罰金刑も規定された。法律の条文は「大臣は退去を禁止できる」という抽象的な定めだったが、この法律に基づいて昭和16年12月7日に内務大臣が発した通牒は、退去を全面的に禁止すると明言した。真珠湾攻撃の前日である。

 

 

昭和16年12月7日の内務大臣通牒

昭和16年12月7日の内務大臣通牒

 

 

こうして、国民が「空襲は怖い」と気付く前に、「空襲から逃げずに、焼夷弾へ突撃することが国民の義務」とする防空法制が確立された。

 

なお、安全なはずの地下鉄駅への避難も禁止された。これについては、こちらのサイトをご覧いただきたい。

 

 

なぜ逃げてはいけないのか

 

避難の禁止。なぜ、このような方針がとられたのだろうか。逆に「空襲のときは逃げなさい、自分の命を守りなさい」と指導して、労働力や兵力を保全する方が合理的ではないか。

 

この謎を解くカギが、帝国議会での防空法改正審議にあった。陸軍省の佐藤賢了軍務課長(のちの陸軍中将)は、衆議院で次のように演説している。

 

 

 

写真5

朝日新聞 昭和16年11月21日付

 

 

「空襲の実害は大したものではない。それよりも、狼狽混乱、さらに戦争継続意志の破綻となるのが最も恐ろしい。」(昭和16年11月20日 衆議院 防空法改正委員会)

 

日清・日露戦争以来、戦争に負けたことも空襲を経験したこともない国民は、空襲被害が「大したものではない」という虚偽を見破ることはできなかった。

 

他方、戦争継続意志の破綻が「最も恐ろしい」というのは、戦争遂行者として正直な告白であろう。退去を認めると、都市部で軍需生産にあたる労働人口が流出する。逃避的・敗北的観念や反戦感情も醸成されかねない。それを怖れた政府は、「空襲は怖くないから逃げる必要はない」と宣伝した。

 

 

「消火できない」から「簡単に消せる」への変化

 

昭和15年に政府が発行した冊子「防空の手引き」には、「焼夷弾は消火できない。落下と同時に発火爆発する」と書かれていた。

 

ところが、昭和16年発行の冊子「時局防空必携」は一転して「焼夷弾は簡単に消せる」と書き、身近な道具で消火する方法を紹介。「砂袋」や手製の「火叩き」で焼夷弾へ立ち向かえと指示している。恐るべき「安全神話」が流布されるようになったのである。

 

 

写真6

昭和16年 政府発行冊子『時局防空必携』

 

 

この変化は、昭和16年の防空法改正で「逃げるな、火を消せ」が法的義務になった時期に符合する。これ以後、昭和20年3月の東京大空襲を経験した後も、終戦まで政府方針は変更されなかった。東京が「焼け野原」になった後も、新聞紙上には「逃げるな、守れ」、「疎開は抑制」、「国土を守れ」などの見出しが躍った。

 

昭和18年5月、大阪帝国大学の淺田常三郎教授は、中国で押収した米軍製の焼夷弾の燃焼実験を行い、「アメリカ製の焼夷弾を消すことは不可能」という結論を得た。しかし政府は科学者の警告を無視して、「空襲から逃げるな、逃げる必要はない」と宣伝する。同じようなことが今も起きていないだろうか。【次ページにつづく】

 

 

 

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