爆音のもとで暮らす──沖縄・普天間における「選択」と「責任」

1. はじめに──普天間に住むことは「自己責任」か?

 

先日(2015年6月25日)、あるベストセラー作家が、自民党若手議員による憲法改正のための「文化芸術懇話会」という勉強会で、次のような発言をした。

 

「市街地に囲まれ世界一危険とされる米軍普天間飛行場の成り立ちを「もともと田んぼの中にあり、周りは何もなかった。基地の周りに行けば商売になると、みんな何十年もかかって基地の周りに住みだした」と述べ、基地の近隣住民がカネ目当てで移り住んできたとの認識を示した。」(『沖縄タイムス』2015年6月26日

 

この発言がどのような文脈で、どのような趣旨でおこなわれたのかについては、さしあたってここでは問わない。「商売になると」という言葉を「カネ目当て」という意味に受け取ってよいのかどうかも、ここでは議論しない。

 

ただ、この発言が、全体として次のことを意味していることは明らかだと思われる。

 

「普天間の周囲に住む人びとは、自らの意思でそうしている。その人びとは、基地の騒音などの被害をわかった上で住んでいる。自分から好きで住んでいるのだから、基地に対して異議申し立てをする権利はない。基地被害のすべての責任は、わかった上で好きで住んでいる人びとの側にある」

 

作家の発言が意味するところをまとめると、このようなことになるだろう。こう考えれば、彼の発言が、在日コリアンや被差別部落の人びと、あるいは外国人研修生などにしばしば向けられる、「嫌なら出ていけばいい」という論理とまったく同型であることがわかる。

 

彼が本当にカネ目当てと言ったのかどうか、それをどういう意味で言ったのかは問題ではない。重要なことは、彼の発言が、あらゆる基地問題の責任を、日本とアメリカの政府ではなく(あるいは日本人やアメリカ人ではなく)沖縄の人びとに帰属させるものである、ということだ。

 

そして、その根拠となっているのが、「好きで住んでいる」という事実である。この作家による下らない暴言それ自体は、ここでじっくりと取り上げるに値しないものである。しかし、同じような考えは、彼だけではなく、多くの人びとによって共有されている。

 

普天間の問題だけではなく、例えば、自ら進んで公園に住むホームレスや、自ら納得して働くセックスワーカーなどに対する、「自己責任」という名の論理のもとでの、差別的なまなざしがある。

 

この発言に対して、『沖縄タイムス』が反論する記事を掲載している。それによれば、宜野湾市(村)の普天間周辺には、戦前からすでに集落があり、9000人の人びとが暮らしていたという。(『沖縄タイムス』2015年6月27日

 

タイムスの記事の意味は、もともとそこには人が住んでいた、従って、そのあとも住み続けるのが当然だ、というものだ。しかし、すぐわかることだが、この反論は有効な反論にはなっていない。

 

なぜなら、現在の宜野湾市には、9000人どころか、ほぼ10万人もの人びとが暮らしているからである。この人びとはまさに、戦後になって普天間基地が「できてから」そこに住んだことになる。強制的にここに住まわされた人はほとんどいないだろうから、この10万人の「普通の人びと」は、自らの意思でここに住み、暮らしているということになる。

 

『沖縄タイムス』の反論記事も、「多くの地域は元の集落に戻れず、米軍に割り当てられた飛行場周辺の土地で、集落の再編を余儀なくされた」という表現になっている。このことは、暴言に反論するタイムスもまた、自由で意図的な行為には責任が伴い、もし責任が解除される場合があるとすれば、それは外部から強制され仕方なくおこなった行為であるはずだ、という考え方を共有していることを表しているのである。

 

それでは、この宜野湾の10万人の人びとは、基地が存在することの責任を負わなければならないのだろうか。そもそも、この人びとは、どのような経緯で、どのような選択でここに住んでいるのだろうか。私が知りたいのは、自らの意思で選択して普天間に住む人びとの、その選択の経緯や、実際の暮らしぶりについてである。そうした人びとの毎日の暮らしや人生の選択について知りたいのである。

 

先日、まさに普天間基地の真横に住む、ひとりの女性の生活史を聞き取った。本稿では、この語りからひとつの「沖縄の現実」について考えたい。Wさんの生活史から、宜野湾の人びとがどのようにしてそこに住んでいるのか、そしてそこにどれほどの「責任」が存在するのかについて考える。

 

 

2. Wさんの生活史

 

Wさんは42歳の女性、コザ(沖縄市)生まれ。職業は教員。夫は46歳で、同じく教員をしている。2歳の娘と、2匹の猫がいる。聞き取りは2015年8月9日。

 

 

2-1. いまの状況

 

──いまのお住まいはどのへんですか

 

宜野湾市のA地区というところなんですけど。ちょうど何ていうのかな、普天間飛行場の滑走路の近くですね。ちょうど飛行機が入ってくるところあたりです。

 

 

──けっこう爆音が。

 

はい、あります。すごいある。ずっとひっきりなしという感じではなくて、ジェット機の訓練の日とオスプレイもそこに混ざる日と、風向きでだいぶ違うんだなって、住むようになってわかったんですけど。その日によってだいぶ、騒音のひどい時刻は違ってる。

 

ただかなり、かなり、何だろ。もう天気がいいと、ともかく(騒音がひどくて)ダメですね。ジェット機も飛ぶし、オスプレイも飛ぶし。朝早く飛んで、深夜に還ってくる、(夜の)10時こえてから戻ってくる飛行機がかなりあるので。

 

ほんとに私、コザ(沖縄市)に住んでたので、爆音はかなりわかってるつもりだったんだけれども。時間が違うのと、音が違う。

 

 

──宜野湾のなかでも特にうるさい地域なんですか?

 

うん、そうだね。あの、大謝名っていうところが、自治会とか公民館の方が出てきて、テレビとかにも、「どれくらいの騒音か」っていうんだけど、そことほとんど同じ騒音。だから宜野湾でも、とてもうるさいエリア。

 

 

──沖縄のひとにもあんまり知られてない?

 

うん、A地区はものすごくうるさいっていうのは、宜野湾のひとだと知ってるって感じなのかな。もともとの宜野湾のひと。うちの親とかもやっぱりびっくりしてるし。ちょっとなんかあれだよね、平日にお客さんを招くのは躊躇するぐらい。まあ、見てもらうのはいいことかなとも思うんだけど、でも、こんな音でこんな振動なのねっていうのを……。

 

でもちょっと私がなんかお友だちがこのへんに住んでこういう状況だってわかったら、なんで?って(笑)、なんでって住み続けるのって、思うと思います(笑)。

 

 

──どんな音ですか?

 

……どんなんだろ。えとね、建物が音で震えるって言ったらいちばんわかるかな。

 

一時期ね、私、夫と仲が悪くなりました(笑)。あんまりイライラして、ふたりとも。音でね、なんかイライラして。あと、ちょっとほんとに、ドキドキするぐらいの振動なので。だから、そういうのが立て続けだから、だいたいね、夕食が、暮らしはじめたときには8時、9時、10時みたいな感じにごはんたべることが多かったから。ちょうどふたりでいる時間で。なんかイライラするねっていう。

 

ジェットが飛ぶ時間もだいたいわかってきて。この時間とこの時間は辛いよねっていうことがわかってきたんだけど、オスプレイがそこに混じるようになったので……。ウチが揺れるんですよね。

 

で、なんかこれで仲悪くなるのヤダねえっていう話になって、オスプレイが一機飛ぶたびになんか変なダンスを踊るっていうルールを決めて(笑)。なんか、それで仲直りするみたいな(笑)。そういうことをやったりした、時期もあった。

 

 

──子どもは大丈夫?

 

子どもねえ……。うーん、だいじょうぶじゃないかも。

 

子どもよりも実は猫がだいじょうぶじゃなかった。いまは、トイレの位置をともかく変えて、いちばん振動とかが弱いところにトイレを再設置したんだけど。引っ越してすぐ、これほんとに辛かったんだけど、引っ越してすぐの頃に膀胱炎に猫がなってしまって。(爆音が)怖くてそこでおしっこできなかったんだよね。で、それで、おしっこしてないよねって、いつも確認してたから、ちょっとこれまずいかもしれないって病院行ったら、膀胱炎になってて。白血球の値がすごい下がってるので、強い恐怖を感じてる状態だった。

 

トイレの場所を変えて、あと、お外にたまに散歩に行ってたんだけど、それは完全にやめさせて。私たちの寝室は、ともかく、いちばん音が少ないんだよね。だからそこに、猫のトイレとごはんを食べるところメインにして。それでだいぶ良くなった。

 

子どもはね、結局ね、ほぼ生まれたときからいるじゃない? だから、それもあると思うんだけど。猫のほうが、静かな暮らしのほうから連れてこられたんだよね。子どもはこういう、うるさい状態のなかでしか育ってきてないから。(でも)子どももジェットよりもオスプレイが苦手。抱っこされにくるのは、オスプレイのときが多い。

 

 

──オスプレイって、音もちょっと違いますよね

 

あー、違う、違う。吐きそうになりますよね。ドロドロって。あのね、ほんとになんだろう。お腹がひっくり返るみたいな音。

 

 

──補助金とか補償金とかはないんですか

 

あ、住宅の補助で、防音のはあるらしいんだけど、うちはやらなかったですね。そういえば川のむこうに、元知事の大田昌秀さんの家があって、ずっと、うるさいけれども補助金もらわないってやってたところなんですけど。なんとなく、なんていうのかな、ちょっとどっかで、もらわないほうがいいなって思って。(「対策してますか? 二重ガラスとか」)寝室だけはしていて、他はまったく何もしてないです。

 

 

2-2. 移り住んだ経緯

 

──いま住んで何年ぐらい?

 

4年半ぐらいになるかな。5年はならないかな。一戸建て。作りました(笑)。建てた。

 

 

──持ち家ですね、土地も。そもそもそこにしようとしたのは?

 

そうなんですよね。それなんだけど。首里にずっと住んでたんだよね。で、首里に住んでて、すごく静かだし、街を気に入ってたんだけど。私の実家がコザにあって、彼の実家が首里の隣、ほぼ首里なんだけど、そこにあって。

 

私は実家のほうにけっこう顔を出すので(実家では母が一人で暮らしている)。母に何かあったときのことを考えると、高速沿いで、実家まで40分ぐらいで帰れるっていうふうに考えたら、宜野湾か浦添の、高速(道路の出入り口を)出たエリア。

 

 

──車で暮らすには便利なところなんですね

 

すごく便利。高速、ここから3分で乗れるし。新都心とかにも遠くないし。いろんな意味で、便利なところなんだよね。まずはその、便利さというのと。それと、それぞれの実家の中間をとろうって。このあとのことを考えたら。

 

で、宜野湾か浦添で探していて。うちの前の道は路地になってて、住民以外は入れないんですよ。行き止まりになってて。だから猫が散歩ができるっていうのが、けっこう決め手で。

 

下に大きな川があって、湧き水があるんだよね。蛍がすごい出るんです、ここ。だから、便利さと、猫の安全っていうのがあって。そっちの生活のことをまずは考えて、うちになった感じかな。

 

 

──最初から家を建てるつもりで土地を探してた?

 

そうそう。最初から土地を探してた。不動産屋さんで紹介してもらいました。見に来て、かなり気に入ったって感じだったかな。もうひとつ、気に入って見てるところがあったんだけど、ここは、前の道が車が入ってこないってこと。それが大きかったかな。

 

 

──そのときに騒音のことは、覚悟はしてたわけですよね

 

そうなんですね……。あのね、飛行場の延長線上にあるから、音はうるさいっていうのは知ってたんだよね。でも、(自分が生まれ育った)コザみたいなうるささだと思ってたわけ。コザもうるさいんだけど、それは何ていうのか、テレビが見れなくなったりとか、回線が、ぶれてしまって見れなくなったりとか、家が振動で恐怖を感じるとかではもちろんなくって。ただ、すごくうるさいな、っていう、ちょっと不愉快だなっていううるささだったんだよね。

 

だから何か、わかってるつもりになっちゃったんだよね、音に関しては。彼は首里育ちだからまったく爆音の経験はなくって。そりゃうるさいよねきっとね、っていう話はしてて。

 

でもね、それより(土地を買うときに)いちばん怖かったっていうか心配したのは、斜め前が○○○○(激戦地)で、どちらかっていうと、地上が怖かった。なんていうんだろう。すごい激戦地であることは知ってて、たくさんひとが死んだ土地だなあと思ってて。

 

 

──激戦地だったっていうのも、土地を探すときに思ったりする?

 

思う、思う。不動産のひとにもそれは必ず聞くし。だけどね、なんか不動産のひとに言われて、すごく納得したんだけど、沖縄で中南部で土地探すときに、ひとが大量に死んでない土地なんて、ほぼ無いって言われて(笑)。そうだよね、そうだよね。それ探すほうが難しいよって言われて。そうかそうかって思って。ただ、その土地の怖い感じは、最初の頃は強くて。

 

 

──なんか感じるものがあったの

 

うーんとね、うーん、なんかね、怖かった(笑)。なんか怖かった。○○○○(激戦地)にいるし。だから、なんかなんとなく、なんかやっぱり怖いなあと。そういう感じで、「(土地に)呼ばれたひとたち」が回りにいるみたいな言い方するんだけど沖縄で。そういうふうな土地柄だなってのがあったから。

 

近所のおばあちゃんが、よく散歩してるおばあちゃんがいて、喋ってたら、この下の湧き水があるじゃない、ああありますね、蛍飛びますねっていう話をしてて。

 

戦争中はそこ大きな洞窟があって、住民のひとたちはみんな隠れてたって。その湧き水があるから、水がとりあえず確保できて生きながらえたんだよっていうお話とかを。

 

80歳近いんですけど。よく(私の家の玄関の)お花を見たりとか、ちぎっていったりとか勝手にするおばあちゃんなんだけど(笑)。きれいに咲いてるでしょって言いながら、笑いながら喋ってるんだけど(笑)。

 

そのおばあちゃんが、こっちの下はねって。そういう話をしてて。

 

 

──それは、それを買わない理由にはならなかったわけね

 

うーん…………。(買ったことの大きな理由のひとつは)蛍かなあ。ちょうど、5月ぐらいに土地を見に来ていて、夜も見にいこうって言って、ふたりで見にきたりしてたんだけど、そのとき蛍の群生がいて、ほんとにここで飛ぶんだねって、(土地を気に入って)ぽーってなっちゃった。

 

住み始めてというか、建ててるときに、建築士さんに、木造で、すごくシンプルなおうちでみたいな感じのことを言ってて、それで建築士さんもその方向で、みたいな話をしているときに、いや、無理だと思うって言われて。ちょっとそういう土地じゃないって言われて。爆音のレベルが。ちょっとこの方向だと無理っていう話に。けっきょく石で、コンクリートで造ったんですけども。とにかく木造なんてもう、まず暮らせないよっていう話になって。

 

 

──鉄筋コンクリートで建てても、それぐらい音は聞こえているんですね、いまでも。最初に住んでから、音には気づいた?

 

建ててるときにもう、気づいて。で、あとそのときに、オスプレイが普天間に配備されるんじゃないかっていう話がずっとされてて。なんていうのかな。そこまでひどいことがあるんだろうか、って思った。

 

こんなに普天間、いまでもひどいのに、こんな爆音のなかでみんな暮らしてるのに、ここにオスプレイみたいなものをほんとに配備するなんて、なんかひととして(そんなことが)あるのかなっていう感じがどこかにあって。

 

(日本に対する)不信だけではなかったんだよね(家を建てて住むまでは)。どっかでちゃんと大丈夫になっていくだろうみたいな感覚を持ってたんだけど。あ、そういう論理じゃないだな、って。痛感させられた。

 

 

──土地の前の持ち主とか、仲介の不動産屋とかは、ここそうとう騒音うるさいですよって言わなかった?

 

契約のときにしか、土地を持ってた方に会わなかったので。不動産の方は一切言わなかったです(笑)。【次ページにつづく】

 

 

 

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