2015.10.21

猪口邦子議員からいきなり本が送られてきた――「歴史戦」と自民党の「対外発信」

山口智美 文化人類学・日本研究

政治

猪口邦子議員から届いたパッケージ

10月1日、アメリカのモンタナ州に住む私の勤務先大学の住所宛に、自民党の猪口邦子参議院議員からのパッケージが届いた。私は猪口議員と面識はない。封筒には、送付元として猪口議員の名前と肩書きが書かれ、気付としてフジサンケイ・コミュニケーションズ・インターナショナルの住所が記載されていた。

封を開けてみると書籍が2冊とネット記事のコピーが3部、猪口議員がサインしているカバーレターが入っていた。

同封されていた書籍のうちの一冊は、Sonfa Oh, Getting Over It? Why Korea Needs to Stop Bashing Japan (Tachibana Shuppan 2015) 。呉善花『なぜ「反日韓国に未来はない」のか』(小学館新書 2013)の大谷一朗氏による英訳版だ。英訳版の版元はたちばな出版となっている。

もう一冊は、The Sankei Shimbun, History Wars: Japan- False Indictment of the Century 産経新聞社『歴史戦—世紀の冤罪はなぜ起きたか』(産経新聞出版 2015, 古森義久監訳) 。これは、産経新聞社『歴史戦—朝日新聞が世界に巻いた「慰安婦」の嘘を討つ』(産経新聞社2014)のダイジェスト英日対訳版だ。

同封されていたネット媒体掲載の3点の英文記事は、どれも韓国についての批判的な内容のものだった。(注)

(注)同封されていた3点の記事は、

(1) Jeb Harrison, “Sea of Japan Becoming a Dumping Ground for Trash from China and South Korea,” Huffpost Green, Aug 19, 2015 

(訳:日本海が中国と韓国のゴミ捨て場になっている)

(2)John Lee, “South Korea’s Domestic Politics Undermine Strategic Interests,”
(訳:韓国の国内政治が戦略的利益を害している)World Affairs,日付不明

(3)John Lee, “The Strategic Cost of South Korea’s Japan Bashing,”

(訳:韓国の日本叩きによる戦略的コスト)Business Spectator, Nov 5, 2014

パッケージに同封されていた手紙は2015年9月付。猪口議員がイェール大学でPh.D. をとり、上智大学で30年以上教鞭をとったという学者としての背景、及び政治家としての略歴を記した自己紹介から始まっている。日米関係の重要性について触れた後、4パラグラフ目で、「しかしながら、残念なことがあります」(以後、山口訳)と、歴史認識の話に進む。

そこでは「東アジアにおいて、20世紀のこの地域の歴史は、現在、国内的な政治的野心に基づいて動く人たちがいるために、間違って歪曲されています。より悪いことに、この歪曲された歴史はアメリカの幾つかの地域にも伝えられています」と、現在東アジアの歴史が何者かによって「歪曲」されている、という史観が披露され、さらにアメリカにもそれが及んでいると主張する。

そして、同封の書籍がどのように歴史が歪曲されたかを論じるものであり、だからこそ学者は是非読むべきであると主張している。

さらに、レターの最後、猪口議員のサインと共に書かれていた肩書きは、「沖縄及び北方問題に関する特別委員長」のものだが、猪口氏は2015年9月時点ではこの役職を辞しており、この地位にはなかった。なぜこの肩書きがレターヘッドにも、署名の下にも使われていたのかはわからないが、これも杜撰な印象を与える可能性がある。(文末のレター本文参照)

加えて、猪口議員の略歴に関しては、「日本に戻り、小泉純一郎首相からの要請を受け、参議院議院選挙への出馬を決意し、当選いたしました。」と書かれているが、猪口議員の公式サイトによれば、猪口氏は小泉首相からの要請を受けて、まず2005年に衆議院議員に当選し、2009年まで衆議院議員を務め、2010年から参議院議員になっている。レターの内容が自身の略歴を正しく反映していない。

それに加え、些細な事ではあるが、今回の書籍が送られてきた封筒には、私の宛名として「M. Tomomi Yamaguchi」という表記が使われていた。この「M.」という表記は何らかのミスかと最初は思ったが、他にも「M.」で送られている人がいるのがわかった。

通常、宛名としてはMs. やMr.、あるいは学者相手ということもあり、Dr.が使われる。このM.という表記は使われることはなく、性別がわからないからという理由でM.という表記にしたのかもしれないが、相手の事を調べてもいないことがわかり、失礼な印象を与えるだろう。特に、猪口議員自身については、Dr.を使っているため、なおさらである。

一体このパッケージは誰に送られたのだろう? 2015年5月5日に出た、「日本の歴史家を支持する声明」(注)の署名者である日本研究学者(計464人)がターゲットになっているのかとはじめは考えた。

(注)「日本の歴史家を支持する声明」全文と署名者一覧(英日両語)は以下を参照 Open Letter in Support of Historians in Japan UPDATED, May 7, 2015

実際に、「声明」に署名した数人の友人たちから、猪口議員から同じく書籍をもらったという声も届いた。しかし、それだけにはとどまらず、署名しなかった学者(特に政治学者)や、日本に駐在している外国特派員らに届いているようだ。

私が確認した限りにおいて、さらに同封された手紙の内容からも、在米の日本研究の学者、および米国を含む海外に英語で日本のニュースを発信するジャーナリストらがターゲットだったのではないかと思われる。

同封された書籍

猪口議員から同封され、各所でも配布されている、呉善花氏の書籍英訳版と、産経新聞『歴史戦」英日対訳版は、どのような本なのだろうか? 目を通してみた。

・呉善花『なぜ「反日韓国に未来はない」のか』英訳版(たちばな出版)

センセーショナルなイメージを与える表紙。裏表紙には、「韓国のエキスパートのリーダー呉善花氏のベストセラー本の待望の英訳版、世界で発売!」や「なぜ韓国は反日キャンペーンを続けるのか?呉善花は韓国についての真実を知らせたいと思っている!韓国研究の第一人者、呉善花が、韓国への入国を拒否されたことにもひるまず、真実を語り続ける!」(山口訳)などと英語で書かれている。

まえがきでは、呉善花氏が本書の刊行にあたり、たちばな出版の半田晴久(深見東州)氏に世話になったと感謝の言葉が記されており、訳者まえがきでは、本書は日本語版を読んで感銘を受けた訳者の大谷一朗氏が呉善花氏に翻訳したいと希望を伝えて本書の刊行につながったことが書かれている。

本文には、著者による韓国批判がこれでもかと繰り返される。情報源の記載がほぼ皆無の上、「反日」、「真実」(truth, fact)などの言葉が多用されている。研究者が仮にこの書籍を参考にしたいと思っても、学術的にあまりに疑わしく、無理だろう。

本書は韓国について、反日民族主義を国是とする国家だと評価し、歴史を捏造してきたのは韓国に他ならないと述べる。歴史観は「民族性に根ざした部分もあるのかもしれない」とも言う。また著者は、日本は中国、韓国と距離をとるべきであり、「場合によっては関係謝絶も仕方ない」と結論づけており、在特会などの「日韓断交」といった主張と区別がつきづらい。さらに、翻訳も、日本語版の原文とずれた訳も散見された。

・産経新聞社『歴史戦—世紀の冤罪はなぜ起きたか』(産経新聞出版 2015)英日対訳

産経新聞社『歴史戦—朝日新聞が世界に巻いた「慰安婦」の嘘を討つ』(産経新聞社2014)のダイジェスト版だ。

アマゾンのサイトに掲載された同書の内容紹介によれば、「○米国をはじめ、各国の書店でも販売します。○海外在住の日本人の方、海外と交流のある方のプレゼントにも最適。」などと書かれており、レビューにも「10冊購入し、アメリカ内で知人、大学関係者などに配る予定」などのコメントもあり、海外で配布することが主要目的の書籍なのだろう。

この本の最初のページを開けると、英語で、桜井よしこ、秦郁彦、西岡力各氏の推薦の言葉がいきなり出てくる。その日本語訳は以下のようなものだ。

これはまさに「戦争」なのだ。

主敵は中国、戦場はアメリカである。

中韓両国が日本に突きつける歴史問題の本質を「産経新聞」はそう喝破し本書にまとめた。  

ジャーナリスト 櫻井よしこ氏 (注)

(注)英語版では、櫻井氏の文章の冒頭部分は以下のものである。”This book is about a full-fledged information war now waged against Japan, with China as the chief adversary and America as the main battleground.”  日本語の「戦争」とされている部分が “full-fledged information war”(本格的な情報戦)と訳されている。

慰安婦問題は日韓米の運動体と中国・北朝鮮の共闘に対し、日本は主戦場の米本土で防戦しながら反撃の機を待っているというのが現状だ。

現代史家 秦郁彦氏 (注)

(注)英語版では、秦氏の肩書は「日本大学名誉教授」が使われている。

悪意を持って日本を貶める勢力に、先に謝罪して誠意を見せる日本外交がいかに失敗してきたのかがよく分かる。(注)

東京基督教大学教授 西岡力氏

(注)英語版では、西岡氏の文章は以下のものになっている。”The book explains very well how unscrupulous forces have used the utter failure of Japan’s sincerity and ‘apology first’ diplomacy to suppress the facts and malign Japan.” 英文の最後の部分の「事実を押しつぶし」という部分は日本語版にはなく、”unscrupulous forces”という強い表現もあり、日本語版にも増して攻撃的な印象を与える。

これらの推薦文は、日本語の2014年の『歴史戦』には掲載されていないため、この英日対訳版のために書かれたものだと思われる。しかし、櫻井、秦、西岡の三氏とも、英語圏読者の間で有名な人々でもなく、冒頭に出てくるこれらの推薦文が、英語圏の読者に通じ、説得力を持つとは思えない。

産経新聞「歴史戦」取材班キャップの有元隆志氏による「はじめに」も、英日対訳版のために新たに書かれた文章だ。そこでは、産経新聞が「歴史戦」として米国内の「慰安婦」問題を巡る動きを詳報してきたとし、そうした動きは「第二次世界大戦の敗戦国である日本を「犯罪国家」として永久に貶めることで、国際的に優位な立場に立とうとする韓国・中国による組織的な活動の成果」(p116)とか、「慰安婦問題を取り上げる勢力の中に日米同盟関係に亀裂を生じさせようという明確な狙いが見える」(p117)などと述べ、陰謀論めいた印象を与えている。

「産経新聞として今回、英訳版を発行することにしたのは、世界の多くの人に事実は何かを知ってもらい、日本に対する誤解を解いてほしいからである。」(p117)とも述べるが、この本も、引用や情報源が非常に少ない。

中国系が「サンフランシスコに反日拠点」(p129)を作ったとか、「日本の主敵は中国」(p147)などと、中国の敵視も目立つ。「慰安婦」問題に関しては、明らかに河野談話やクマラスワミ報告を否定する立場に立っており、中国や韓国政府、および「反日団体」に「事実がねじ曲げられた」という産経の主張があまりに前面に打ち出されており、冷静さに欠ける印象だ。

さらに、朝日新聞批判が頻繁に登場するが、アメリカ国内でそもそも朝日新聞を知っている層は少ない。研究者やジャーナリストで知っている人がいても、「朝日新聞批判」はアメリカの読者が特に興味関心を持つような事柄でもないだろう。

2冊とも、もともとは、日本の右派層をターゲット読者として書かれた記事を元にした書籍であろう。それをそのまま、注釈すらつけずに英訳して、英語圏の読者に通じると考えるのがそもそもおかしい。そして、ソースもほとんどないこれらの本は、明らかに研究者が資料として使える種類のものではない。資料になるとすれば、「日本の歴史修正本」のサンプルとしての使い方しかないだろう。

猪口邦子議員に連絡を取ってみた

猪口邦子議員の名前で、しかも猪口議員のサイン入りのレターを同封して送られてきたパッケージ。ならば、猪口議員が送ってきたものだと考えるのが自然だ。とはいえ、まさか議員のみならず国際政治学者でもある猪口氏が、本当にこれらの書籍の中身を理解した上で送ってきたのだろうか、名前を使われただけではないか、などの可能性も否定はしきれなかった。

猪口議員は、これまで歴史修正主義的な発言で知られた議員ではなかったことも、疑問を感じた理由だった。送付元は本当に猪口議員事務所なのか、まずは確認したほうがいい。そして、もしそうだとしたら、なぜ送ってきたのかも聞きたい。そう思って、猪口事務所に国際電話をかけてみることにした。10月9日のことである。

猪口議員の秘書がおそらく電話口で対応するだろうと予想していた。最初は秘書が出たが、私が何者かと要件を伝えると、なんと猪口議員本人が電話口に出たのだった。そして、その後、15分弱ほど電話で猪口議員に話を伺った。

結果として、これらの書籍は猪口議員が送ったものだということを確認した。猪口議員曰く、自民党として対外発信としてチームで取り組んでいるのだという。同封の手紙は、猪口議員一人ではなく、このチームで書いたもので、実質上、猪口議員の名前を使ってチームとして出したものだったという。

この「チーム」の名称までは、猪口議員は言わなかった。だが、猪口議員は、自民党外交・経済連携本部「国際情報検討委員会」(原田義昭委員長)のメンバーであると思われる。少なくとも一度は会合に参加していることが同委員会の文書に記録されているからだ。(注)

(注)荻上チキ Session 22「『朝日慰安婦報道に関する自民党・国際情報検討委員会の決議』全文掲載」2014年9月25日。「中間とりまとめ」文書の中に、菅官房長官に「中間とりまとめ」を提出した際の出席者として、猪口議員の名前及び写真が掲載されている。

同委員会は2014年3月に発足。産経の発足時の報道によれば、「委員会では米国での中韓両国の宣伝活動を調査。米国に政府の情報戦略拠点を設置し、対抗のための情報発信を行うことを検討する方針」だといい「中韓反日キャンペーンへの対抗」が目的だと強調されている。(注)

(注)「靖国、慰安婦…中韓反日キャンペーンに対抗 自民が国際情報検討委発足へ」『産経新聞』2014年3月27日

さらに同委員会は、「国の主権や国益を守り抜くためには、単なる「中立」や「防御」の姿勢を改め、より積極的に情報発信を行う必要がある」と2014年9月に決議した。

同年6月の「中間とりまとめ」では、「我が国の政策、主張を国際社会に広めるには、日本外交に関する論文、記述等を外国語(主として英語)による情報発信を強化することが必要であり、そのための翻訳活動を拡充する。」、「わが国への理解者を増やすために外国の議会、経済界、知識人、市民活動への積極的働きかけが必要である。」などとしている。

今回の猪口議員による書籍の送付は、この自民党の「国際情報検討委員会」としての取り組みだった可能性は高いのではないか。あるいは自民党内に別の「チーム」が存在したということもありうるが、いずれにせよ自民党内のプロジェクトだったということだ。

私との電話における猪口議員の答えからは、今回の呉善花氏と産経新聞社の書籍を送った対象は「主要な研究者、実績のある研究者」という答えにとどまり、具体的にどのような人に送ったのかはわからないままだった。

「対外発信の一環として、様々な資料があって良いと考えて、英語になっているものも少ないのでこれらの書籍を送ったのだ、逆の立場、韓国の立場などは英語になっているから」と猪口氏は述べた。

私に猪口議員が話してくれた内容の大部分は、アジア女性基金擁護論だった。「慰安婦」のことは正当化できないが、戦後の日本は問題に向き合ってきたし、一生懸命やったということをわかってもらってもいいと思う、という主張だった。

この、「日本は一生懸命向き合ってきたのだ」という主張自体にも、私は同意できないが、それ以前に今回、アメリカの学者らに送付された2冊の本は、「日本が一生懸命やってきたことが理解されない」から発信する、だけではすまない内容だ。

むしろ、日本の過去を正当化し、日本の戦争責任は否定しつつ、中国や韓国こそが一方的に悪いと批判する内容であり、歴史修正主義に他ならない。さらに産経新聞社の『歴史戦」本は、「慰安婦」問題に関して、河野談話を明らかに否定している。

猪口議員がアメリカで教育を受けた学者であり、さらに「慰安婦」問題に関して言えば、女性であるからこそ、これらの書籍を送る役割を担うことになったのだろうと想像する。

だが、そもそもこれらの書籍は、政権与党の国会議員が送付すべき種類のものだとは全く思えない。その上、女性の人権や男女共同参画などを主張し、国連の軍縮大使も務めてきた猪口議員の過去の言動とも大きく異なるものでもあるだろう。

右派による「主戦場=アメリカ」論と英語発信の経緯

なぜ、こうした書籍を、在米の学者や滞日の外国特派員らに送るのだろうか。その背景として、右派が「慰安婦」問題をめぐる「歴史戦」の「主戦場」はアメリカだと主張し、アメリカを主要なターゲットとして運動を展開していることがある。

アメリカと「慰安婦」問題の関係といえば、2007年、アメリカ下院で、「慰安婦」に対する日本政府の謝罪を求める決議を思い出すかもしれない。しかし、現在の右派の「主戦場=アメリカ」説に直接的につながる流れは2012年ごろから活発化した。

2010年、ニュージャージー州パリセイズパーク市の図書館前に「慰安婦」碑が設置されたことに関して、「慰安婦」碑に着目し「在米日本人のイジメ被害」を訴える、ジャーナリストの岡本明子氏の論考が2012年5月号の『正論』に発表された。(注)

(注)岡本明子「米国の邦人子弟がイジメ被害 韓国の慰安婦反日宣伝が蔓延する構図」『正論』2012年5月号:126-133

そして、その頃から、在特会事務局長(当時)の山本優美子氏によって2011年に設立された「なでしこアクション」が、右派の在米日本人と連携をとりつつ、アメリカにおける「慰安婦」の碑、像、展示や決議などに反対する運動を積極的に呼びかけていった。そうした中で、2013年頃には、アメリカ・カリフォルニア州グレンデール市での「慰安婦」像設置が大きな注目を集めるようになった。

さらに2014年8月、朝日新聞の「慰安婦」報道の再検証により、国内で「慰安婦」問題が注目され、批判される。そのため、「日本では「慰安婦」問題は勝利したので、これからの主戦場はアメリカだ」と右派はより強く主張するようになっていた。

そして、英語での発信も、より積極的に行い始めた。右派団体による「慰安婦」問題に関する英文、もしくは日英両語による小冊子が幾つか発行され、無料配布された。(注)

(注)例えば「史実を世界に発信する会」は、The Truth about Comfort Women: A “comfort girl” is nothing more than a prostitute(『慰安婦の真実 売春婦にすぎない』)と題された英文小冊子を発行し、米上下院議員、グレンデール市長と市議会議員、米主要紙などに送付した。(日本語版も発行)。また、保守系シンクタンクの「日本政策研究センター」は、西岡力氏執筆の「慰安婦」問題についての英文小冊子(とそれに対応した日本語版冊子)を2014年、2015年に一冊ずつ発行している。「『慰安婦の真実』国民運動」も、『国連自由権規約慰安婦問題 記録と解説』と題された日英対訳本を2015年に発行した。

他にも、「慰安婦」問題をはじめとした歴史認識問題に関して、右派の立場から英語で発信するウェブサイトやFacebookページ、Youtubeなどでの英語版動画もこの2年ほどで大幅に増えた。

アメリカのセントラルワシントン大学では、今年の4月、「慰安婦」否定の英語の映画、Scottsboro Girls(谷山雄二朗監督)の上映会が開かれた。(注)さらに右派は、東京の外国特派員協会での記者会見を積極的に開催しており、「日本の歴史家を支持する声明」に対抗する声明も複数が右派から日英両語で出されている。このように、右派は現在、「主戦場=アメリカ」説のもとで、英語での発信をより積極的に行っている状況にある。

(注)セントラルワシントン大学でのScottsboro Girls上映に関しては、Emi Koyama, “The U.S. as ‘Major Battleground’ for ‘Comfort Woman’ Revisionism; The Screening of Scottsboro Girls at Central Washington University,The Asia-Pacific Journal, Vol. 13, Issue 21, No. 2, June 1 2015を参照

だが、「歴史戦」の主要テーマとみなされている「慰安婦」問題に関しては、右派の立場とは全く異なる内容の英文学術書籍や論文が数多く出版されてきた。日本語の書籍についても、例えば吉見義明『従軍慰安婦』(岩波新書1995)が英訳され、コロンビア大学出版会からComfort Women(Columbia University Press 2002)として出版されている。

一方、日本の右派の立場からの学術書も、日本語の書籍の翻訳書も、英米圏で評価される学術系の出版社から出すことは未だにできていない。

右派運動に関わる人たちへの私の取材によれば、吉見氏の書籍の英訳が、高く評価される学術系出版社であるコロンビア大学出版会から出ているにもかかわらず、自らの陣営は学術書が出せていないことは、アメリカの政治家などへの説得力も持ちづらくなるため、由々しきことと捉えられているようだ。

日本の右派がアメリカで「歴史戦」を戦う上で、最大の弱点の一つが、英文書籍の欠落、特に学術書の欠落であり、それは右派の中でも自覚されているのだろう。

しかし、現実的には英米の大学出版会など高く評価される学術出版社から書籍を出したければ、査読を通す必要があるため、おそらく今後も日本の「慰安婦」否定論者による学術書の出版は難しいだろうと思われる。

そして、今回、猪口邦子議員から送られてきた、産経新聞社の書籍と呉善花氏の英文書籍は、産経新聞出版、およびたちばな出版という、日本の出版社によって出されたものだ。amazonで販売されてはいるものの、基本的にアメリカの一般読者への販売はあまり想定されていないと思われる。特に対訳版である産経の書籍は、日本人や在米日本人を購買層として対象にした書籍と想定できるだろう。

これらの最近出版された英文書籍は、猪口議員のみならず、様々なルートで配布されているようだ。私自身、呉善花氏の書籍は、著者から今年の8月に送られてきたばかりだった。(私は呉善花氏とも全く面識はない。)

このように、日本の右派の個人や団体から英文書籍が北米の日本研究の研究者らに送付されてくるのは、今までもあったことだ。しかしながら、国会議員、および政権与党である自民党がこれだけ大量の研究者に送付してきたのは、今回のケースが初めてだと思われる。

アメリカの研究者らの反応

アメリカの研究者の友人などに聞くと、これらの書籍が自民党国会議員から届いたことについて、苦笑と共に呆れ果てた反応が多かった。何度となく、書籍、パンフ、メールなどを送られ続けてきている日本研究分野の研究者も多いが、今回は国会議員からということで、またか、という感覚と共に、より驚き呆れたという反応が多いようだ。

そして、自民党内のチームが執筆したという手紙についても、「ひどい」の一言であった。私もパッケージが届いた日にちょうど日本研究の授業があったので、学生に、手紙の内容を読んで聞かせ、届いた書籍を回覧したところ、唖然としていた。「これで説得できると本気で思っているんだろうか」という反応だった。さらには、封筒に書かれた宛名の「M. 」という部分も苦笑を誘っている。宛先の研究者について全く知らず、調べもせずに送っていることが伺えるからだ。

自民党や右派の個人・団体が、右派論者や新聞社の書籍英訳版を北米の研究者らに送るという活動が、「北米研究者らにこれらの書籍を読んでもらい、自分たちの考えをアピールし、説得する」という目的だとしたら、効果があがっているとは思えない。

ただ、もしかしたら、自民党及び右派活動家の狙いは、北米研究者など実はどうでもよく、それらの本を「送った」という事実をもって、国内のサポーター向けへのアピールをすることなのかもしれない。実際、それくらいしか、こうした文献や書籍を送りつけることの効果はないのではないか。

にもかかわらず、このような「対外発信」を続ける与党自民党の目指すものは一体何なのか。これでは、日本の評価はますます下がるばかりだろう。こうした「対外発信」の結果、日本で歴史修正主義が蔓延していることだけは確実に海外に周知されている。

【資料】パッケージに同封されていた手紙(山口訳)

猪口邦子, Ph.D.

参議院議員

沖縄及び北方問題に関する特別委員会 委員長

2015年9月

みなさま

様々な分野において、あなた様が日米関係の向上のためにご尽力いただいていることに感謝を申し上げます。

私はイェール大学で国際政治学の博士号を取得した後、30年以上にわたり、上智大学の教授としてつとめてまいりました。2002年に、私は軍縮会議の特命全権大使に任命され、ジュネーブに赴任いたしました。日本に戻り、小泉純一郎首相からの要請を受け、参議院議院選挙への出馬を決意し、当選いたしました。私は小泉首相のもとで、特命担当大臣(少子化対策・男女共同参画)に任命されました。

日本はアメリカとの緊密な連携のもとで、世界的にもアジア太平洋地域においても、

経済発展をリードし、人類の福祉を向上させています。この連携は、地域の安全保障をより強固なものにし、より深い側面においては、人権や民主主義、法の遵守などの価値観を広げるものです。この連携に基づき、私は我々2国間の同盟が名誉なことであると信じてやみません。

しかしながら、残念なことがあります。東アジアにおいて、20世紀の地域の歴史は、現在、国内的な政治的野心に基づいて動く人たちがいるために、間違って歪曲されています。より悪いことに、この歪曲された歴史はアメリカの幾つかの地域にも伝えられています。最近、あるメディア企業と、ある学者が、その背景も含め、いかにこの地域の歴史が歪曲されてきたかについての英語の本を出しました。アカデミアにおいて大変に尊敬されているあなた様が、同封した書籍をお読みくださることはとても重要であると私は信じております。お読みいただくお時間を取っていただけたら大変に嬉しく存じます。

ご存知のように、8月14日に、安倍内閣は、日本政府と与党が歴史と未来への展望をどのように考えているかについて発表いたしました。できるだけ早い機会に、あなた様と一緒に一致協力させていただけますことを楽しみにしております。

猪口邦子

沖縄及び北方問題に関する特別委員会 委員長

参議院議員

自由民主党

〒100-8919 東京都千代田区永田町1−11—23

プロフィール

山口智美文化人類学・日本研究

モンタナ州立大学社会学・人類学部教員。ミシガン大学大学院人類学部博士課程修了、Ph.D. 日本の社会運動を研究テーマとし、70年代から現在に至る日本のフェミニズム運動、2000年代の保守運動などを追いかけている。共著に、『社会運動の戸惑いーフェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』(斉藤正美・荻上チキとの共著、勁草書房2012)、共編に『編集復刻版 行動する女たちの会資料集成 全8巻』(行動する会復刻版資料編集委員会編、六花出版2015)など。現在、『田嶋陽子論』(斉藤正美との共著)と、日本の草の根保守運動についての単著を執筆中。

この執筆者の記事