2015.12.09
自民党のメディア戦略はどう変わってきたのか
メディアと政治の関係を考えさせられるニュースがこの一年で相次いだ。NHK番組「クローズアップ現代」のやらせ問題をめぐる、放送倫理・番組向上機構(BPO)との応酬など、自民党のメディア戦略はこれまでとは大きく変わっているようだ。こうした変化はどのような背景で生まれてきたのか。また、メディアの側は政治権力にどう対応してきたのか。立教大学兼任講師の逢坂巌氏と、東京工業大学・大学マネジメントセンター准教授の西田亮介氏が語り合う。TBSラジオ「荻上チキSession22」2015年11月13日(金)「自民党のメディア戦略」より抄録。(構成/大谷佳名)
■ 荻上チキ Session-22とは
TBSラジオほか各局で平日22時〜生放送の番組。様々な形でのリスナーの皆さんとコラボレーションしながら、ポジティブな提案につなげる「ポジ出し」の精神を大事に、テーマやニュースに合わせて「探究モード」、「バトルモード」、「わいわいモード」などなど柔軟に形式を変化させながら、番組を作って行きます。あなたもぜひこのセッションに参加してください。番組ホームページはこちら → http://www.tbsradio.jp/ss954/
「安倍2.0」――メディアへの復讐が始まった
荻上 今日のゲストをご紹介いたします。まずは、立教大学兼任講師で、『日本政治とメディア テレビの登場からネット時代まで』 (中公新書)などの著書がある、逢坂巌さんです。
逢坂 よろしくお願いします。
荻上 そして、東京工業大学・大学マネジメントセンター准教授で、『メディアと自民党』(角川新書) などの著書がある西田亮介さんです。
西田 よろしくお願いいたします。
荻上 NHK「クロ現問題」をめぐって、BPOと自民党との応酬が続いています。この状況について、どうお感じになりますか。
逢坂 段階を踏んで、メディアと政治の関係は変わってきました。1993年の椿事件では、テレビ朝日の取締役報道局長であった椿貞良氏が「非自民政権が生まれるように報道せよ」と指示したとされ、大きな問題になった。それ以来、はじめて表立った議論がなされつつあります。この際、新しいメディア環境と政治の関係についてオープンに議論すべきです。
西田 僕は、政治の側がメディアに攻勢をかける姿勢を隠さなくなった、という印象を持ちました。かつては、より広く情報を発信できるメディアやジャーナリズムの力が強かった。一方で政治の側はメディアを通さず、直接情報を発信することはできませんでした。自分たちの意見を世に出していきたいのなら、メディアと一定の信頼関係を築く必要があった。そのためには露骨なプレッシャーを我慢しなければならない局面もあったということです。
最近は、特に第二次安倍内閣においては、そういうことに対して躊躇しなくなったように感じます。直接発信可能なネットが普及し、また政治的な緊張感も緩んでいるのでしょう。さらに自民党の中でも野党との関係においても、かつてのような競合関係がなくなってしまった。ですから、露骨にプレッシャーを表に出しても、どうせ自民党に取って代わるものはない、と遠慮しなくなったのだと思います。
荻上 自民党政権が復活した後の反動が、メディアとの距離感にも変化をもたらした。また、野党の責任も実は大きいということですね。第一次安倍内閣と第二次安倍内閣のメディア戦略の変化はお感じになりますか。
逢坂 僕は「安倍1.0」から「安倍2.0」にバージョンアップしたと考えています。第一次安倍政権は、メディアが政治を支配していた時代でした。今は政治がメディアを「支配」している。マスメディアに対する安倍さんたちの復讐が展開しているように思います。
西田 僕もほぼ同じような見立てをします。まさに1.0から2.0、つまりリニアな変化であり、延長線上にあります。第一次安倍内閣や、それ以前の小泉内閣の中で様々な試みがなされて、そこには数々の失敗もあった。それらが修正されて、洗練されていったとみています。
メディアと自民党の「慣れ親しみの関係」
荻上 もともと、メディアと自民党の関係はどういった距離感だったのでしょうか。
西田 最近『メデイアと自民党』(角川新書)という本を出しましたが、その中では「慣れ親しみの関係」と形容してみました。つまり、メディアと政治の双方がお互いのことをよく知って、密接なコミュニケーションをしている関係があった。そして中長期にわたって両者の利害が均衡する、「慣れ親しみの関係」を築きあげていく歴史的な背景がありました。ときどきは両者に緊張関係が生じることもありましたが、メディアの政治部と個々の政治家は深い関係を築いていたと言えます。
荻上 例えば「番記者」と呼ばれる、特定の政治家と密接なつながりを持つ記者もいます。あるいは記者クラブが各省庁、各党、国会にも設置されている。このように記者と政治家が触れ合う場が設定されているのは、慣れ親しみの関係を作る効果を生んでいるのでしょうか。
西田 そうです。メディアと政治の慣れ親しみの関係は、これは一般の視聴者にとっては必ずしも望ましいとは限りません。たとえばメディアはインフォーマルな情報を共有していても、それは表に出さないように遠慮したりするからです。両者が長期の安定した関係を継続したいからですね。メディアは政治の特別な情報を知りたいし、政治の側も自分たちの意図を長期的に安定して発信していきたい。それを満たすような、均衡した関係を形成してきた。
荻上 より露骨に言えば、馴れ合いを生みやすい関係性をずっと作っているんですね。例えば政治家と記者が食事をするのはどうなのでしょうか。
西田 食事のみならず、車に同乗するとか、家に押しかけて一緒に酒を酌み交わすとか、そういったことを含めて極めて密な関係性を築いてきました。多くの政治記者の回顧録に明記されています。それが主流の政治報道の姿ですね。
荻上 メディアとの会食の回数については以前、首相動静で数えたことがあります。現在の安倍総理の回数は、平均値と同じくらいでした。ですから他の首相と比べて多いわけでは決してありません。しかし、これまで歴代総理はメディア関係者と会食し、情報を交換し続けてきた歴史があるんですね。
90年代以降の「政治のメディア化」
逢坂 昔の自民党は五大派閥に権力があって、そこに番記者が張りついて取材をしていました。しかし、だんだん派閥が弱くなり、官邸の力が強くなっていった。このため、メディアにとって自民党との関係というよりも、官邸の取材をいかにするか。一方、官邸もメディアとの関係をどう築いていくかが、問題になってきました。
この変化は1990年代以降の20年間くらいで、段階的に起こってきたものであり、「政治のメディア化」が進んできた結果だと思います。すなわち政治がメディアを気にするような状況が展開してきた。これは1980年代以降欧米でも起こったと言われています。
だんだんと組織の力が弱まり、政党のグリップも緩くなっていく。日本でも同様で、無党派が多くなってきました。そうすると、マスメディアを通じたアピールが重要な状況になり、政治の方もメディアのロジックに従わざるを得なくなる。こうして相対的にメディアの力が強くなるなか、政治家たちも苛立ちを募らせます。
荻上 80年代くらいから、いわゆる「テレビ・ポリティクス」が始まり、テレビの前でいかにアピールするかがセットされていきました。おそらくその後も、基本的にはメディアに対する意識付けが政治家の中に埋め込まれているのだと考えられます。2000年代以降の昨今の変化についてはいかがでしょうか。
西田 80年代、例えば日本でも中曽根内閣のスピーチライターに劇作家の浅利慶太が活用されたり、メディアに対するアピールが顕著になっていきました。やがて政治の流動性が高くなった90年代以降、特に2000年代以降のネットの普及によって、ますますその傾向は加速したと思います。というのも、ネットというメディアは従来の規範や慣れ親しみの関係を築くようなルールが全く通じないものだったからです。
さらに90年代の後半から2000年頃にかけて、そのころは与党に限らず野党も、PR会社などと関係を持つようになりました。どうすれば自分たちの意図をメディアで取り上げてもらえるのか、広報戦略の開発が本格化したのはこのころです。これが安倍首相の姿勢の原点になったとみています。
荻上 2000年代といえば、「小泉旋風」がありましたよね。この辺りの変化は大きいのでしょうか。
西田 そのとおりだと思います。一般的に小泉内閣の強さは小泉純一郎のパーソナリティーによるものだと理解されがちですが、拙書『メディアと自民党』で詳述したように、その背後で様々な広報戦略が開発されていました。党と官邸の中に組織を作り、その中で「戦略PR」と言われる手法を開発していた。つまり、集団的な体制というアプローチが始まった意味では、そのころに今の原点を見出すことができます。
荻上 メルマガを初めて使った首相は小泉首相ですよね。その形式を後の総理が引き継いでいった。政治家の声を直接届けることができる、ネットを活用した走りにもなりました。
チーム安倍の高い広報マインド
荻上 こんな質問メールが来ています。
「自民党のメディア対策というと、世耕弘成議員の名前がよく出ます。世耕グループは実在するのですか?」
逢坂 今は世耕さんというよりも、第一次安倍政権でマスメディアに敗れた人たちが戻ってきて、安倍2.0における「チーム安倍」として活動しているのだと思います。第一次政権では、郵政造反組復党問題、年金問題、選挙期間中の失言などが、ずっとテレビや新聞で盛んに批判されました。その度に支持率が下がりましたが、政権はメディアに攻め込まれるだけで、有効なアプローチができませんでした。
しかし第二次安倍政権では、それらを経験しメディアやコミュニケーションに対するマインドがとても高くなった政治家や官僚たちが戻ってきています。世耕さんも一次政権で失敗を経験し、現副総理兼財務大臣の麻生太郎さんもメディアに追われた過去があります。現政務秘書官の今井尚哉さんも第一次安倍内閣で広報を担当していましたし、菅義偉さんも第一次安倍政権での総務大臣や福田政権や麻生政権の時には選挙を担当し、マスメディアの「攻撃」を経験している。
とはいえ中でも、一番マスメディアへのマインドが「高い」のは安倍さんでしょう。一時期はネットでも「下痢ピー総理」とかひどい書き方をされて、個人としても非常に傷つけられた。ある意味、報道被害者のような側面が安倍さんにはあります。だから、今はチーム世耕ではなくチーム安倍として、意識的なコミュニケーションを行っているのだと思います。
西田 最近は世耕氏がまったく表に出てこなくなり、実態が分かりにくくなってきましたよね。だからこそ、安倍さんが存在感を発揮するのではないかと推測できます。小泉内閣のころは世耕さんご自身がメディアの場に出てきて、ご著書も書かれていた。今は表に出てこなくなっている。黒子に徹している印象です。
広報マインドが官邸や自民党の中で強く意識されていて、それによって多元化していると思います。マインドが政治と政党の中に根付いたことによって、個人の能力というよりも、組織的な力が強くなっている。つまり、官邸と政党の取り組みが洗練されているのだと思います。
荻上 特に世耕さんはネット戦略との絡みで語られることも多かったですよね。その後、自民党や官邸のネット戦略は定着してきたのでしょうか。
西田 そうですね。例えば、選挙の時に「Truth Team(T2)」という組織的な取り組みをしたこともあり、ネット戦略は定着したのだと思います。これはどういう組織かと言いますと、まずネットのトレンドや話題のキーワードについて、その評価がポジティブなのかネガティブなのかをモニタリングする。それを演説などの場で活かすため、どういうメッセージを出すとポジティブな影響を与えるのか分析し、各選挙対策委員会や個々の議員に送り返していきます。
荻上 自民党は「ネットサポーターズクラブ」という肩書きでTwitterで活動する人もいて、様々な形でネット対策に力を入れていますね。
西田 『メディアと自民党』でも指摘したとおり「Truth Team(T2)」の分析はむろんまだまだ改善の余地も多数あると同時に、最近はネットが政治に与える直接的影響が限定的なものであるという認識が広まったことでやや消極的になったこともあり、自民党でさえ組織的なネット戦略の取り組みはまだ完成されていませんが、コストの面でも、一番力を入れているのは自民党だと思います。【次ページへつづく】
ネットにおけるコアな支持層に向けたアプローチ
荻上 リスナーからメールが来ています。
「自民党は最近、ニコニコ動画を使っての広報活動が盛んになっている気がします。どういった意図があってのことなのでしょうか。」
西田 安倍総理自身、ときどきニコニコ動画の生放送に出ておられます。本人も、「編集されていない生の情報を届けたい」とおっしゃっていました。まさにそういうことなのだと思います。同時に、若い世代にリーチしやすい。これも諸説ありますが、ニコニコ生放送のユーザーはやや保守的な傾向があると言われています。それはまさに自民党の支持層とも重なりますから、需要があるところにコンテンツを出していく意味では合致しているのでしょう。
荻上 ニコニコ動画ユーザーの保守的傾向は確かにあります。私は毎月「ニコニコ世論調査」の司会をやっていますが、毎回のように野党第一党が「次世代の党」になるんです。ほかにも民主党の支持率が1とか2になるくらい、一般のメディアの世論調査とはユーザー層が違うのかなと思います。
とはいえ、その癖を踏まえてデータを見れば別に信頼できない調査ではない。そうしたユーザー傾向はこの調査から見えるのかなと思います。逢坂さんは自民党のニコニコ動画などの活用についてはどうお感じですか?
逢坂 ニコ動やFacebookはサポーターを可視化してくれる媒体なので、やはり安倍さんとしても気持ちが良いのだと思います。政治家とは不安を抱えているものですから、自信になるのでしょう。ニコニコ動画では、安倍さんが出演されると「88888」(拍手)といったコメントが流れますし、Facebookでも「いいね」が沢山つく。
テレビ政治の時代だと、マスメディアと世論調査だけでしたが、ネットだと1万人、2万人の規模で自分をサポートしてくれる人たちが現れる。しかも自分が好きなことを誰にも邪魔されずに喋ることができる。
荻上 一方で、以前安倍総理がニコニコ動画の番組の中で安保について議論された際には、一日大体1〜2万再生されていました。つまり今、ニコニコ動画は政治的な視点だけでは見られていない面もあると思います。その中で、安倍総理は誰に向けて呼びかけているのか。ファンの層なのか、それとも今までリーチしていなかった層に届けるために使っているのでしょうか。
逢坂 おそらく、コアな支持層に向けてアプローチしていくのではないでしょうか。基本的にネットは興味を持つ人が情報を探していくプル型メディアです。その点は政治家もよくわかっていると思います。
今の段階では、他のメディアで叩かれていてもここには支持層がいると思える。自民党にしても、安倍さん個人にしても、マスメディアに相手にされない野党のときにネットを活用して成長してきました。その経緯もあり、ネットではコアなファン層に向けてアプローチしているのだと思います。ですからこれからの時代、もし、ネット上で左派が強くなっていった場合に安倍さんが出続けているかというと、違ってくるはずです。
民主党政権時代のネットと政治
荻上 民主党政権の時代におけるネットと政治の距離感も問われる必要があると思います。西田さんはこの時代のネットと政治の絡みについてはいかがですか。
西田 民主党政権は色々な意味で残念だったと思いますが、ネットと政治の関係についても同様でした。というのは、民主党は長らくネットを使った選挙運動の解禁を主張してきて、2010年に野党合意に達しました。しかし、普天間基地問題で鳩山内閣が倒れた時、この議論を棚上げしてしまった。このままではネットでも民主党の支持を失うのではないかと考えたからです。その意味でも、民主党はネットでの活動に踏みこめなかったのだと思います。
一方、自民党は政権時代にメディアにずっとちやほやされていたのが、野党になった瞬間にサーっと引いていった。そのとき野党の悲哀を痛感した、と各所で聞きます。それで新しい方法としてネットに真剣に取り組み始めた。自民党サポーターズクラブの開発や、ネットを使った訴求など。どうすれば人々に良い印象を与えることができるのか、技術の開発に取り組みました。ここで一挙に民主党と差がついてしまった。
荻上 民主党政権下では尖閣諸島のビデオがネットで流出した事件がありましたね。これからはウィキリークスなど、ネットが報道の形を変えるのではないかと議論されている中で、民主党に対してネットのあり方が打撃を与えた面もありました。
逢坂 そうですね。もう一つ忘れてはいけないのは、鳩山政権下で松井孝治官房副長官らがつくった「キョリチカWG(国民と政治の距離を近づけるための民間WG)」の活動です。首相Twitterを最初に始めたのは鳩山政権ですし、首相ブログもそうです。彼らなりに、テレビをバイパスして直接、有権者に声を届けていこうと、「政治のメディア化」に対抗し始めました。ちょうどiPhoneがでてきた2009年ごろのことです。
しかし、結局は沖縄の基地問題をマスメディアが大きく報じるなかで、鳩山政権のコミュニケーションは頓挫します。Twitterもリーチが少なく、「正しい意図」は拡がらない。自民党はその姿を見て学んだ面もあるのでしょう。
広告代理店との慣れ親しみの関係
荻上 リスナーの方からこんな質問が来ています。
「広告代理店の役割はどうでしょうか?」
西田 この点に関しては様々な著書が出ていて、僕の本でも書きました。自民党は広告代理店と長い関係性を作ってきたことが知られています。例えばネットの選挙運動の取り組みも、広告代理店が主導しました。むしろ自民党に提案したのは広告代理店だとも言われています。特にアメリカでこの分野は盛り上がっています。ここが新しいマーケットになるのではという目論見です。
荻上 それで日本でもやろう、となったのですね。自民党はPR会社に協力してもらい、例えば特定の支持層を狙って演説内容を工夫するようアドバイスを受けたり、「○○を行脚しましょう」「○○駅前に行きましょう」と具体的な戦略を立てたりしていますよね。
西田 1950年代から自民党は広告代理店を上手く活用してきました。慣れ親しみの関係を作ってきたのはメディアだけではなく、広告代理店もそうです。
荻上 広告代理店との関わりのなかで、ネットに関する知見も調達していった部分もあるんでしょうね。
西田 政党としてのネットに対する意識は高く、先ほどの「Truth Team(T2)」など、ガバナンスを用意するところまでは自分たちでやってきた。一方で、具体的に何をするかは広告代理店や、その下にたくさんのITベンチャー企業を並べ、そこに委ねていたところもあります。
メディアに対して「だから何か?」
荻上 第一次安倍内閣と現在を比較して、どの点に変化をお感じになりますか。
逢坂 おそらくマスメディアに対する躊躇がなくなったのだと思います。「だから何か?」というような、露骨な態度になってきた。21世紀以前は、自民党の中にも戦前・戦中の経験を持つ方々が多く、「メディアにはあまり口を出すな」という黙契があった感じでした。しかしこの方たちも、ちょうど21世紀に入るころから引退していなくなります。
さらに、安倍さん個人について言えば、マスメディアとの関係が大切だという考えと、「一旦ことがあるとマスメディアは容赦なく攻撃してくる」という思いがないまぜになり、非常にガードを固くしている。しかも、ネットでサポートしてくれる人たちもいて、足場ができてきた。90年代まではマスメディアが総攻撃すると政治家は大体潰れていきました。辻元清美さんや鈴木宗男さんは、まだネットが発達していない時代でしたから追い込まれてしまった。
一方、例えば小沢一郎さんは西松事件などではテレビや新聞で強く批判されましたが、インターネットのサポーターらを足場にして踏みとどまった印象があります。安倍さんも同じように、インターネットに足をかけながら躊躇しなくなった。「法律に書いてあるんだから、何が悪いの?」というような。ある意味、黙契の破棄ですよね。
荻上 安倍さんの言説の内容も、ネットに影響を受けたり共鳴しあっている点はあるのでしょうか。
逢坂 安倍さんは下野後の野党時代から、自身のホームページでマスメディアに対する批判は書いていました。また、その不遇な時代を日本会議の人や右派の「チャンネル桜」さんらが、ずっとサポートしてきたわけです。今は、それらのコアなファン層に乗っかりながら、マスメディアを攻撃できるようになった。2012年の選挙の際には、右派の集会において「インターネットで一緒に世論を変えていこう」などと演説しておられました。
荻上 つまり、「法律にはこう書いてあるけど、何か?」という立場と「偏向している今のメディアに応答して何が悪いの?」というスタイルが重なっているのですね。「公正」という法解釈の面と、メディアの「中立」に関するバランスの面とで、クロスして応答が行われているように感じます。
「中立」は、右と左があればそのセンターに立つこと。「公正」は、立場がどうであれ手続きやプロセスを明確にすること。捏造をしない、きちんと検証するといった別の概念です。自民党は前回の選挙の際にメディアに対して「公正中立」な報道を求めましたが、ここは非常に重要なポイントだと思っています。【次ページへつづく】
スマートなメディア対応
西田 僕はスマートになった点と、戦略性がキーワードだと思っています。躊躇がなくなった、という話とも関係があります。スマートになったとは良い意味ではなくて、うやむやにするのが上手くなった、と思っています。従来の中立公正の考え方と違うものを持ってきているのに、「これが中立公正だ」と言っている。どっちもどっちに見せるのが上手くなったと思います。似た論点を提示することで、あまり政治に詳しく無い人に、理性的な判断を難しくさせるような手法です。
もう一つの観点で言うと、ばらまきを使ったアプローチは鳴りをひそめた。形式的合法性は過去と比較しても高くなったと思います。つまり形式的には納得出来る側面は増えた。例えば政府広報において随意契約を用いたアプローチは減ったとか。そういう形式的な合法性の範囲の中で何をするかの工夫が長けている。その意味でスマートになりました。
戦略性はそこにも対応します。単にネットだけを見る、マスメディアだけを見る、選挙運動だけを見るのではなくて、これら全てを総合して見ながら、さて次はどの打ち手をするかを考える。戦略的意図を見出せるようになったのも特徴です。
荻上 安倍総理はどういう事例にメディア対応を学んだと感じますか。
西田 これは推論の範囲を出ませんが、試行錯誤の結果だと思います。安倍総理は小泉内閣のときに党と政府の要職を経験されていて、かつ第一次安倍内閣で首相を務めて、他方でメディアから強いプレッシャーを受けて敗北した。その経験の中で、チームも同様の経験をしてきました。個人的な資質もそうだし、組織能力も向上し、洗練されてきた。
逢坂 おそらく彼自身の経験だけでなく、祖父である岸信介さんの経験からも学ぶことがあったのだと思います。岸さんは、60年安保を巡ってマスメディアとの対立があった方ですから。それに忘れてはいけないのは、大叔父の佐藤栄作さんも、外務省機密漏洩事件など様々なメディアとの対立があった方です。この二人を直系の人にしている点も大きいと思います。
もう一つ、徹底的なモニタリングを行っていること。インターネットだけでなく、テレビも丁寧にモニタリングされています。定期的でかつ徹底したモニタリングが、チームとして行われている。ここが特徴だと思います。傷つけられたぶん、マスメディアの権力性を非常によく知っている。
「内向きのプリンス」
荻上 ネットの活用という点でいうと、橋下徹大阪市長のTwitterの使われ方がよく話題に上がります。これと安倍総理との違いはいかがでしょうか。
逢坂 確かに、安倍さんも橋下さんに学んだ点はあると思いますが、安倍さんはずっと前から、マスメディアに対する批判はブログで書いていました。ただ、この5、6年、特にスマートフォンが登場してSNSが普及してくるなかで、マスコミュニケーションの全体的な状況が変わってきています。
これまではマスメディアが国民の情報環境を取り巻いていたのが、今はマスメディアをインターネットが取り巻いている状況ですよね。徐々にマスメディアがネットのネタを後追いをし始めるなど、いわば図と地が変わってきました。
つまりマスコミュニケーションにおけるマスメディアの位置が、昔は図だったのが、だんだん地になってくる。その変化の中で、安倍さんは上手くインターネットも使いながら、マスメディアもきちんとモニタリングしてきました。
そして、インターネットで支持者を呼び込みながら政権と一緒に、マスメディアを挟撃するようなやり方をしています。
荻上 以前、歴代首相のメディア出演回数をカウントしてみたのですが、安倍首相は新聞、雑誌、夕刊紙も含めてトップクラスなんです。その意味でも、メディアとの距離感は変わってきているのだと思います。
一方、安倍さんが橋下さんから喧嘩の仕方を学んだという指摘はその通りですが、質的な違いはあります。橋下さんは、テレビのバラエティー番組のノリで敵を打ち負かしていく快楽を学んだ。安倍さんは保守論壇の雑誌などで、左派のマスメディア批判や歴史観批判を学んでいった。「内向きのプリンス」という立場が基軸となっていったのだと思います。
第一次安倍内閣では教育再生などの内向き感を外に出そうとして失敗したけど、第二次以降はバランスがより調整されるようになった。チームとしての練度が上がり、個人としての観点も変わったのでしょう。
西田 橋下大阪元市長は言葉の選び方がすごく上手い。彼の場合は組織というより俗人的な能力が長けているのだと思います。それに対して安倍総理さんの場合は、Twitterのようなリアルタイムでどんどん書いていく媒体には踏み出せずにいる。だからFacebookなど、比較的クローズドで安定して、リアルタイムでなくても済むような形でアップしていく。そして支持層の忠誠心を高めていく。そういう違いがあります。
荻上 Twitterの橋下さんとFacebookの安倍さんで使い方も違いますよね。また橋下さんは選挙の時も、Twitterで維新の党の候補者を応援するような親分肌は全然示さないんですよね。
でも安倍さんはFacebookを使ってサポートしている地方の候補者の写真をアップしたりしている。肩を組んだり手をつないだり、演説している模様を撮ったりして、結構応援している。自民党独特の党の絡み方が、Facebookに向いていたのかなって感じはしますよね。
西田 まさにその通りだと思います。橋下市長の場合、俗人的なスキルは極めて高いが、一極集中型で同時に安定感を欠く。維新の党全体で見ると一人しかその能力を発揮できないので、うまく機能しない。
それに対して、自民党にはきちんとした体制があって、そこにお金を突っ込んでいくので組織能力が安定しています。外れ値はないけど、平均点が高い。この組織能力には様々な応用の仕方がありえます。これまでは選挙の時に活用してきましたが、今は平時のメディア対応においても生かすようになっている。
メディアの政治対策が追いついていない
荻上 メディア戦略を変更しつつ学んできた政権側に対して、メディアの側は政治対策はどうなのでしょうか。
逢坂 21世紀になってマスメディアの中で進んできたのは、一つは「分極化」です。新聞ごと、テレビごとで主張が分かれてきました。もう一つは2000年ごろに始まったことですが、報道全体の「エンタメ化」が進んでいった。例えば杉村太蔵さんなど、タレントのような政治家が出てきました。それによってエンタメ化が加速され、テレビで政治が軽く扱われるようになっていった。第二次安倍内閣になっても、分極化はそのまま進行していますよね。
エンタメ化も進行はしていますが、政治の扱いは全体的に腰が引き気味になってきたと感じます。それを牽引してきた日本テレビ番組「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。」や、みのもんたさんのTBSテレビ番組「朝ズバッ!」などがなくなり、政治に対する揶揄性や批判性が徐々に失われていきました。
荻上 その二番組は政治家をキャラクター付けしていく番組でもありましたよね。ワイドショーの報道も、選挙の期間はむしろ減っていたり、媒体によって違いはありますが全体的に政治色が弱くなっているように感じます。
逢坂 とても難しいところだと思うのは、安倍さんには「今までマスメディアが政治をどう扱ってきたのか」という批判が根っこにあると思います。同じくネットの人たちも、なぜ自分ではなくマスメディアが偉そうに情報を伝えているんだという対抗意識がある。インターネットは基本的にはマスメディアと対抗関係にありますから、「マスメディアやジャーナリズムってそれほどまともなのか?」という批判を受けるような状況になっているのです。
荻上 テレビが政治面で新しい新陳代謝を起こせていない状況がある。新聞はデータジャーナリズムで軸を模索していて、成功している記事もあると思います。しかしテレビは政治との距離感が落ち着いていないように見えますね。
逢坂 もう一つ、安倍さんは特にメディアに対して優位的環境をはっきりさせていますよね。東京新聞に対しては選挙時のインタビューを受けないとか。また、記者クラブが首相を囲い込んでいるという批判を背景にルールを変え、首相が会見に応じるメディアを自由に選べるようになってきた。
すると「うちは安倍さんにアクセスできない」というところが出てきますが、安倍さんはそれでいいって思っちゃっているようにみえます。90年代のマスメディア批判が、結局ジャーナリズムの弱体化につながっている面もあって、なかなか難しいところです。
荻上 メディア批判としては妥当なのだけど、それを言う政治権力批判の担保が欠けたままだと、どこかでリバランスしなくてはいけないですよね。
西田 先ほどの分極化の話に対応して、分断統制が進んでいるのだと思います。メディア同士もゲームチェンジが起きていることはわかっている。でもそれに対応して何をしていいのか分からない状況にあるのだと思います。
メディアの新しい取り組みとしてのデータジャーナリズムは、従来の政治報道と切り離されているんですよね。ですから全く有機性がなくて、結局、権力監視の機能を果たしていない。政治のメディア戦略の洗練と高度化にジャーナリズムが対応できていなくて遅れています。
荻上 新しいジャーナリズムの形を模索していくことも求められていますね。
西田 そのとおりです。他方で、これは繰り返しいわれていることなので、早くやらないと、メディアも政治に緊張感を与えられないし、政治も政治のなかで緊張感を作り出せないと思います。マスメディアの存在理由が問われますね。
プロフィール
逢坂巌
立教大学兼任講師。東京大学法学部卒。同大学院法学政治学研究科修了後、同博士課程中退。同大学助手を経て、現職。専門は、現代日本政治、政治コミュニケーション。著書に『日本政治とメディア』(中公新書、2014年)『「戦後保守」は終わったのか』(KADOKAWA、2015年、共著)『政治学』(東京大学出版会、2012年、共著)『テレビ政治』(朝日選書、2006年、共著)など。
荻上チキ
「ブラック校則をなくそう! プロジェクト」スーパーバイザー。著書に『ウェブ炎上』(ちくま新書)、『未来をつくる権利』(NHKブックス)、『災害支援手帖』(木楽舎)、『日本の大問題』(ダイヤモンド社)、『彼女たちの売春(ワリキリ)』(新潮文庫)、『ネットいじめ』『いじめを生む教室』(以上、PHP新書)ほか、共著に『いじめの直し方』(朝日新聞出版)、『夜の経済学』(扶桑社)ほか多数。TBSラジオ「荻上チキ Session-22」メインパーソナリティ。同番組にて2015年ギャラクシー賞(ラジオ部門DJ賞)、2016年にギャラクシー賞(ラジオ部門大賞)を受賞。
西田亮介
1983年京都生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。同大学院政策・メディア研究科修士課程修了。同大学院政策・メディア研究科後期博士課程単位取得退学。専門は、地域社会論、非営利組織論、中小企業論、及び支援の実践。『中央公論』『週刊エコノミスト』『思想地図vol.2』等で積極的な言論活動も行う。