マイナンバー制度をきっかけに日本のプライバシーを考える――アメリカとヨーロッパとの比較

マイナンバーという手段

 

2016年1月から社会保障、税、災害対策の分野における行政手続にマイナンバーが用いられることになる。いわゆるマイナンバー制度は、かつての消えた年金問題や生活保護の不正受給といった問題を克服するために設計された。その目的は行政運営の効率化、公正な給付と負担、そして国民の各種申請の簡素化や利便性の向上にある。正確な税の徴収と行政サービスの給付によって、公平公正な社会の実現というマイナンバー制度の目的に異論はない。問題はこの目的を実現するための手段として、マイナンバーが適切に仕立て上げられているかである。

 

先日、靖国神社のトイレで爆発事件が起きた。しかし、このような事件を防止するために、すべての公衆トイレの便器の上に監視カメラをつけるべきだ、とはならないだろう。それは、たとえ公共の安全という正当な目的に必要であっても、便器を監視するという手段が国民のプライバシーの水準として受け入れられないからである。マイナンバーが便利だからといって、それをやみくもに拡充させていくべきだ、という話にはならない。プライバシー権との調和が常に必要である。

 

マイナンバー制度については、内閣府の世論調査(2015年7月実施)によれば、内容まで知っていると回答した者は43.5%にとどまる。そのため、マイナンバー制度の導入に伴う便乗詐欺の例も報告されており、制度の正確な理解が必要である。また、プライバシーに関する懸念は根強く、漏えいによりプライバシーが侵害されるおそれがある、または不正利用による被害にあうおそれがあると回答した者が少なくない。(図1)

 

 

図1 「マンナンバー制度に対する懸念」(「内閣府世論調査」2015年7月実施より)

図1 「マンナンバー制度に対する懸念」(「内閣府世論調査」2015年7月実施より)

 

 

しかし、制度の内容を正確に知らずに、ただ漠然とプライバシーの不安を感じる国民が多い状況では、マイナンバー制度の運用や普及も進まないだろう。マイナンバー制度の運用を直前に控え、漠然とした不安感を抱くのではなく、プライバシーの観点から何が問題であり、何が問題でないか、正確に理解する必要がある。

 

 

 プライバシー権からの課題

 

(1)漏えいのリスク?

 

そこで、国民ID制度に関するアメリカとヨーロッパの動向を踏まえつつ、マイナンバー制度におけるプライバシー保護に関する問題について考えてみる。第1に、国民の多くが不安に感じているマイナンバーに関する情報漏えいの問題である。重要なことであるが、12桁のマイナンバーはそれ自体が漏えいしてもそこから本人の個人情報がただちに外に出ることはない。マイナンバーは行政手続に利用されるための鍵の一つであって、金庫そのものではない。一般の国民がマイナンバーそれ自体から個人情報を引き出すことはできない。

 

さらに、マイナンバー制度により新たに国民の膨大な量の個人情報が一つのデータベースに集約されるわけでもない。個人情報の管理は依然としてそれぞれの役所で行われる。行政手続の際に必要な情報だけをマイナンバーという鍵(各機関は別の符号)を用いて引き出すという分散管理の仕組みが採られている。(図2)マイナンバーが知られたからといって、国民の納税情報や年金記録などがすべて芋ずる式に流出することはない。

 

 

図2 「個人情報の管理の方法について」(内閣官房資料より)

図2 「個人情報の管理の方法について」(内閣官房資料より)

 

 

もっとも、1月以降役所の窓口で交付される「個人番号カード」には注意が必要である。個人番号カードは顔写真付きの身分証明書として利用でき、2017年1月からは自宅のパソコンやスマートフォンで各種の行政手続申請が可能となる予定である。しかし、このカードを紛失すると個人情報の漏えいの危険やなりすましの申請が行われる危険が生じる。各種申請などのログインには別途パスワードが必要とされるが、もしパスワードを生年月日などの推測されやすいものに設定していた場合、納税情報や年金記録などが流出したり、無断で行政手続が行われる危険がある。

 

政府は「個人番号カード」を国家公務員の身分証明書として携帯を奨励するなど検討しているが、紛失した際の個人情報の漏えいのリスクを軽視していると言わざるを得ない。ちなみに、万一個人番号カードを紛失してしまい悪用のおそれが生じれば、自治体で番号の変更を請求することができる。

 

 

(2)自治体で異なるサービス?

 

マイナンバー制度に伴うプライバシー問題として、第2に、自治体におけるマイナンバーの利用に関する問題である。たとえば、前橋市は個人番号カードを利用して、予防接種の記録などをスマートフォンやパソコンで閲覧できる母子健康情報サービスを開始する予定である。住基カードについても自治体によっては公共施設の予約等に用いられたこともある。しかし、近年、TSUTAYA図書館と呼ばれる、Tポイントカードの利用を認める自治体図書館におけるプライバシーの在り方が問題視されるなど、自治体における個人情報保護の運用にもバラつきがある。

 

日本では個人情報保護の取り組みについては、自治体の方が先行してきたため、1800を超える自治体においてそれぞれバラバラの個人情報保護条例が存在する。しかし、マイナンバー制度の運用について自治体によってバラつきが生じるのは違和感を覚える。コンビニで住民票を発行できるという程度の差であれば問題はないが、健康情報や思想信条に関わる図書館の貸し出し履歴などのセンシティブ情報の取扱いに自治体ごとに差が生じるのはプライバシー保護の観点から見て疑問が残る。

 

このような自治体や行政機関等を監視するために設置された独立機関である個人情報保護委員会(12月まで特定個人情報保護委員会)の役割が重要となる。しかし、個人情報保護委員会の定員はわずか39名である。住基ネットの最高裁判決によれば、行政による個人情報の取扱いについて「システム技術上又は法制度上の不備」があれば、憲法違反と判断する可能性もある。そのため、国の行政機関等のほかに1800の自治体をしっかりとチェックする体制強化が必要である。また、マイナンバー法には不正利用等の罰則のみが規定されており、漏えいや不正利用の被害が生じた場合の国民に対しての救済措置や損害補填について手当てされていない点も改善が必要であろう。

 

 

(3)人間ではなくデータから分かる?

 

第3に、マイナンバーの最大の懸念事項が「プロファイリング」である。マイナンバー制度の設計が議論されはじめた2009年には「ビッグデータ」の脅威が認識されていなかった。しかし、その後「ビッグデータ」がもたらすプライバシーへのビッグリスクが明らかにされていった。たとえば、アメリカでは乳がんのリスクがあるというだけで、ある女優が予防手術を受けたことが報道された。アメリカには「データブローカー」という個人情報を売買するビジネスがある。(図3)

 

 

図3 アメリカではデータブローカーを通じて自らが生み出す個人情報それ自体が売買の対象となっている(「Natasha Singer, A Data Broker Offers a Peek Behind the Curtain, New York Times, August 31, 2013」より)

図3 アメリカではデータブローカーを通じて自らが生み出す個人情報それ自体が売買の対象となっている(「Natasha Singer, A Data Broker Offers a Peek Behind the Curtain, New York Times, August 31, 2013」より)

 

 

医療情報や遺伝情報が売買されてしまえば、保険会社がリスクの高い個人に対して保険加入を拒んだり、差別的取扱いを行うことも可能である。ビッグデータの時代には、生身の人間ではなく、人の個人情報を集積し分析するだけで、特定の個人像を浮かび上がらせることが可能となった。

 

たとえばマイナンバーについても、納税情報と預金情報の二つが結びつくだけで、新たなことが分かる。つまり、年間に稼いだ額と預金の額が分かれば、その差額からその人の年間の消費額が分かる。個人情報を見るだけで、その人が節約家なのか浪費家なのか人物像が浮かび上がる。

 

むろんマイナンバー制度の下でも法律で列挙された目的以外に利用することを禁じてはいる。しかし、マイナンバーという鍵からはシステムにおいて物理的に連携することができることに変わりなく、住基ネットの運用でも自治体では職員の個人情報ののぞき見の例が報告されてきた。

 

今後、民間の利活用を視野に入れているのであれば、マイナンバーに紐づける対象情報は限定していく必要がある。特に、医療情報と税の情報などとを結びつけられる必然性はなく、どうしても医療情報の管理が必要ということであれば、別のID番号を使い、マイナンバーとの連携を原則禁止すべきであろう。公平公正な社会の実現を目的として導入されたマイナンバーがプロファイリングを通じて差別と偏見の温床となる最悪のシナリオは避けるべきである。【次ページにつづく】

 

 

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