2016.10.17

田中角栄の政策は何をもたらしたのか?

斉藤淳×荻上チキ

政治 #荻上チキ Session-22#田中角栄

最近、続々と本が出版され、テレビでも特集が組まれるなど、今再び大ブームとなっている田中角栄・元総理。そのキャラクターが注目されがちだが、実際に行われた政策はどのような結果をもたらしたのか? そして日本はどう変わってきたのか。元イェール大学助教授で政治学者の斉藤淳氏が解説する。2016年8月22日放送TBSラジオ荻上チキ・Session-22「田中角栄の政策は、一体何をもたらしたのか?」より抄録(構成/大谷佳名)

■荻上チキ Session-22とは

TBSラジオほか各局で平日22時〜生放送の番組。さまざまな形でのリスナーの皆さんとコラボレーションしながら、ポジティブな提案につなげる「ポジ出し」の精神を大事に、テーマやニュースに合わせて「探究モード」、「バトルモード」、「わいわいモード」などなど柔軟に形式を変化させながら、番組を作って行きます。あなたもぜひこのセッションに参加してください。番組ホームページはこちら→ http://www.tbsradio.jp/ss954/

田中角栄の地域政策とは?

荻上 今日のゲストを紹介します。元イェール大学助教授で政治学者の斉藤淳さんです。よろしくお願いします。

斉藤 よろしくお願いします。

荻上 最近の田中角栄ブームについて、さっそくこんなメールが届いています。

「私は書店に勤めていますが、最近、たしかに田中角栄の本がよく売れています。買っていかれるのは当時を知る世代の方が多いようです。しかし私個人としては、田中角栄は金と権益誘導によって政治を牛耳り、現在までの密室的政治を確立した人物だと思っています。それなのになぜリアルタイムで見てきた人々に未だに支持されているのか、まったく理解できません。」

本が売れていても自分は支持できない、という率直なご意見をいただきました。斉藤さんは田中角栄という政治家に対して、どのように評価されていますか。

斉藤 書店に行くと、いつの時代も田中角栄の本は平積みで並んでいます。角栄は、高等教育を受けずに宰相まで上りつめた、日本近代・現代政治史上最もチャーミングな人物であることは、誰の目にも疑う余地のないことだと思います。一方で、これまで首相を務めた政治家の中で最も経済成長志向、そして農村近代化志向の強い政治家であったということも注目に値します。

荻上 農村近代化とはどういうことですか。

斉藤 農村社会を工業化するということです。現在の脱工業化社会においてはピンとこないかもしれませんが、日本全体の就業者の半分が農家だった時代に、経済成長を刺激し、都会も田舎も豊かにしようという発想でした。これを強力に推進し、初当選以来ずっと取り組んできたのが、田中角栄です。

1960年代までの日本の地域政策は、太平洋ベルト地帯、つまり雪の降らない地域に工場を立地して産業化を進めようというものでした。そうではなく、むしろ農作物が育ちやすい温暖な地域を農業地域とし、寒い地域に工業を誘導しようというのが、田中角栄が打ち上げた「日本列島改造」だったわけです。

荻上 どの地域にもそれぞれの産業をつくっていこうという政策だったのですね。最近、安倍総理も「アベノミクスの成長の果実を全国津々浦々にまで行き渡るようにする」と演説するなど、角栄を彷彿とさせるような政策を打ち出していますよね。

斉藤 安倍総理ご自身は、田中角栄の政敵であった福田赳夫の派閥の流れを汲んでいます。しかし、外交政策、経済政策、とくに地域政策においては、むしろ田中角栄の列島改造の理念を引き継いでいる側面が大きいと思います。

荻上 その地域政策について、リスナーの方々からこんなメールをいただいています。

「田中角栄の行動力はたしかに世の中を大きく動かしたと思います。しかし、結局は利益誘導によって(角栄の出身地である)新潟県だけが良い思いをすることも少なくなかったでしょう。良いところもあるが、悪いところも検証すべきです。」

「私は生まれも育ちも新潟県長岡市、田中角栄の地盤であった旧新潟三区の中心地です。都会の人からは「金権政治」「利益誘導」などと批判されていますが、彼のような政治家が中央からお金を持って来てくれなければ、田舎には本当に何もないままでした。田中角栄は、今でも新潟の誇りだと思っています。」

人によって評価はさまざまですが、やはり角栄の行った「地方へのばらまき」が注目されていますね。

斉藤 この点については、まず歴史的経緯を抑えておく必要があります。当時、東京オリンピックが開催された1964年までは、東京への行政投資が重点的に行われました。一方で、地方においてはまだインフラが未整備の段階であり、むしろ公共事業は都市偏重だったのです。

荻上 当時は、貧富の格差が都市部と地方にかなり比例する状況もあったので、角栄の政策には再分配の意味もあったわけですね。

斉藤 そうです。実際に、東京オリンピックの頃から1970年代中盤まで、地方と都市の所得格差が縮小していきます。つまり、田中角栄的発想に基づいて行われた農業政策、地域政策がある一定の再分配効果を持っていたと言えます。角栄は、全国の道路やダム、さまざまな生活基盤インフラを整えるための仕組み作りも積極的に進めました。

ただ、出身地である新潟県に公共事業が集中したという事実も確かにあります。1978年、1980年には、人口一人あたりの公共事業の金額が全国1位だったのです。私の出身地である山形県と比べても2倍に近い予算がありました。

荻上 そんなに他県との差があったのですね。

斉藤 田中角栄が大蔵大臣に就任した1960年代の中盤ごろから、新潟県は比較的、公共事業の予算が多く流れ込む県だったのです。ちょうど関越自動車道、上越新幹線などの大規模な事業が集中していたことも関係しています。

「闇将軍」「金権政治」

荻上 そんな中で、田中角栄といえば「金権政治」と批判されることも多いですよね。

斉藤 たしかに、「闇将軍」として議会民主主義を踏みにじるというイメージは、当時の報道においても根強くありました。しかし、田中角栄は総理になる以前に、日本の憲政史上、最も多く法律を通した議員であることは、あまり知られていません。実は、彼は議員立法で33本、共同提出も含めると84本も提出しています。

むしろ、議員立法を最も着実に推進し、選挙で民意を汲み取ることに最も心血を注いだ政治家であるとも言えるのです。だからこそ、少し飛躍だとは思いますが「政治は数であり、数は力、力は金だ」という言葉も角栄自身から出てきたわけです。

荻上 地方でインフラを作り、格差を是正していくためには、お金をどう配分するかが重要であり、それこそが政治なのだという、ある意味本質的なコメントでもあるのでしょうか。

斉藤 田中角栄は仕事をすることに非常に貪欲な政治家でした。その事前工作として、エンジンに潤滑油をオイルを回すように金を流し込んだところがあったようです。

荻上 また、角栄は演説も注目されていますね。やはり、その言葉は当時の人々の心に響いたのでしょうか。

斉藤 そう思います。とくに、高等小学校卒業で宰相に登りつめていく中で、大臣を務めながら一流大学卒業の幹部職員を掌握していく、そうした姿勢は見事だったと思います。一方で、「人に金を渡すときは頭を下げて渡せ」など、生々しい名言も吐いているわけですが。

荻上 一人一人の官僚の名前やプロフィールを覚えるなど、社交力が非常に高かったとも言われますね。

斉藤 以前、私も書店で20代のサラリーマンの方が角栄本を買っていくのを目撃したことがあります。社会人のマナーを田中角栄の生き様から学ぼうとしているのかなと想像しました。

斉藤氏
斉藤氏

『日本列島改造論』と自民党のジレンマ

荻上 さて、角栄は総裁になる直前に『日本列島改造論』を出版し、さまざまな経済政策、地域政策を打ち出していきました。この本にはどういったことが書かれているのでしょうか。

斉藤 私は博士論文を書く時に、この本を隅から隅まで読みました。一言で言ってしまうと、当時の主な政策課題であった農村部の過疎化、都市部の過密、公害問題を解決するために産業を地方に分散しよう、ということが書かれています。それを実現するために、高速道路網、整備新幹線網といった情報と交通のネットワークを全国的に整備することを目指したわけです。

また、エネルギー政策においては火力から原子力への転換を主張しています。当時はまだ、原子力は「夢のエネルギー」として信じられていた時代だったのです。

荻上 具体的な手段としては、道路や鉄道の整備などの公共政策が中心になっていったのですね。

斉藤 はい。それもただ単に道路を作っただけではありません。田中角栄は自民党結党前の段階で、改正道路法(1951年)や、道路整備日の財源等に関する臨時措置法(1952年)、つまりガソリン税から道路整備の財源を生み出す法律を議員立法で通しているのです。

また、有料道路の通行料から得た財源を道路整備に回す仕組みも作っています。こうした道路特定財源はのちに一般財源化するわけですが、現在の道路の仕組みの大本はこの時に出来上がったものなのです。

荻上 そうした公共政策の効果はどうだったのでしょう。

斉藤 それが非常に皮肉なのです。というのも、田中派の議員が利益誘導をした地域ほど早く都市化が進んだわけですが、それにより自民党自身の集票基盤を崩してしまう結果になりました。自民党はもともと農村部を地盤にしていた政党でしたから。政策を進めれば進めるほど、自民党が弱体化するというジレンマがあったわけです。

さらに、田中派が行ったような、議員立法を通して予算をつけて関連の業界団体を集票マシーンとして手懐けるという手法は、経済全体が成長している時代にはそれほど軋轢を生み出さなかったのですが、低成長時代となり予算が限られていくと、その非効率性が目立つようになっていきました。だからこそ小泉政権での改革の遡上に挙げられてしまったわけです。田中角栄は戦後日本の政治経済を語る上で、功罪相半ばする存在なんですね。

荻上 いわゆる「族議員」といって、官僚と業界を議員が繋ぎながら献金政治を行いつつも、利益を誘導してさまざまな政策を実行していくというやり方だったのですね。ただ族議員は否定的な側面もありますが、政策通を生んでいく側面もありますよね。

斉藤 はい。要求・表出を法律として着実に実行していく、むしろ民主主義に忠実な姿勢ともとれるわけです。全体の利益の調整さえすれば肯定的に評価できる部分も多いです。

田中角栄は自身が族議員であっただけでなく、最盛期には140人いた派閥のメンバー全員に族議員化を促した「スーパー族議員」でした。そして「田中派は総合病院である」とも自ら豪語しています。

荻上 田中角栄のやり方から「その手腕こそが政治なんだ」と学んだ人たちが、チルドレンをたくさん生んでいったわけですね。

斉藤 ただ、「総合病院」というのは象徴的な表現で、病気が全快すればいいのですが、常に患者さんでごった返している病院こそ、大規模な院内感染を起こしてしまう可能性さえあります。実際、田中派的な政策は、特に地方における公共事業への依存状況を生み出した側面があります。この点は否定的に捉えるべきかもしれません。

荻上 つまり、産業をすべての地域に作ろうとしたことで、現在では補助金などに頼らなければ産業を継続できない地域が出てきてしまった。あるいは原発政策のように、この政策で本当に良かったのか、と問われるところもあるわけですよね。

斉藤 田中角栄が関わった議員立法の中には、地域経済の成長を促しうる交通インフラ関係のものから、あまり経済成長には貢献しそうにない分野のものまでいろいろとあります。ひとつひとつを精査していかなければ、なかなか全体的な評価や経済効果は分からないと思います。

時代の転換点

荻上 1973年以降、高度経済成長がいったん落ち着き、安定成長と呼ばれる時期に入っていきます。ちょうどこの時期に角栄は総理を務めたわけですが、「田中角栄のせいで高度経済成長が早く終わったんだ」という批判もありますよね。一方で、「田中角栄がいたからこそ日本全国の経済基盤が安定し、総中流の社会が実現したんだ」という意見もある。このあたりの政策効果については、どうなのでしょうか。

斉藤 田中角栄が総理を務めた時期は、まさに時代の転換点だったのです。国際政治が大きく動き、その荒波の中で日本政治経済はかなり舵取りの難しい時期でした。米中国交正常化という非常に大きな出来事がありましたし、変動相場制に移行する準備期間に入ったということもあります。

また、自民党としても重要な時期でした。というのも、高度経済成長期は、岸、池田、佐藤と官僚出身の宰相が続いていました。1955年、保守合同で結党した時、自民党は過半数を大幅に上回る議席をもち、選挙の得票率でみても盤石でした。

しかし日本の人口が全体的に都市化を続けていく中で、自民党の集票基盤が弱体化していったのです。そんな中で、自民党の退潮を食い止めるべく、党人派の田中角栄が宰相に選出されたのです。つまり選挙で勝てる総裁を期待されていたのです。

ひとつ言えるのは、日本列島改造策を打ち出したことで地方の経済成長期待が大いに高まったということです。それが何を引き起こしたかというと、地方の土地価格の急激な値上がりでした。やがて資産価値の上昇に伴い、物価の値上がりが発生しました。

そこで、総需要全体を抑制する必要があるということになり、財政均衡主義者でもあり大蔵省出身である福田赳夫が、角栄の政敵であるにもかかわらず、田中内閣で大蔵大臣に就任するわけです。そこから先はどちらかというと日本列島改造策で膨らんだ期待を弾いてしぼませるような政策が取られていきました。

そして変動為替相場制に移行し、日本円がドルに対して切り上がっていく中で景気のスローダウンが始まる。それが、70年代以降の政治経済の流れになります。

荻上 こんなメールがきています。

「田中角栄の時代は、当時の日本列島を改造する伸び代があったからこそ、物事が上手くいったのでは? 今の日本は内需拡大が飽和して、安い労働力を求めて海外進出が進んだため、国内は廃れていくのだと思います。」

当時の経済状況はどこまでが田中角栄によるものだったのか、あるいは時代的な必然性だったのか、このあたりはどうでしょうか。

斉藤 評価を定めるのは難しいと思います。実際、田中角栄が宰相の座を降りてからインフラ開発への予算が若干減らされて、一方で選挙対策の福祉、農村構造改善などに力を入れるようになるなど、予算全体の組み替えが起こっていきます。つまり地方の経済成長促進というよりは、自民党の地盤を保守するような公共政策に転換していくわけです。それは田中角栄のせいなのか、あるいは後任の政治家たちのせいなのかは分かりません。

荻上 その転換による影響はどのようなものだったのでしょうか。

斉藤 仮に日本列島改造政策をより加速させる形で推進していれば、農村人口が多かった都道府県の経済成長率はもう少し高かったのではないかと思います。

一方で、そうした地域が都市化することによって、自民党が政権から転落するタイミングがもう少し早まったかもしれないと考えられます。実際、1993年の政界再編では、旧田中派の流れを受け継ぐ竹下派が分裂したことにより、自民党が過半数割れをして細川連立政権が出来上がりました。その渦の中心にいたのが、旧田中派の若手の面々だったのです。

荻上 なるほど。ということは、もし東京以外の各地域の都市化が進んでいれば、集中型の国家作りではなく、より分散型の国家モデルになっていた可能性もあるわけですね。同時に、田中角栄の政策のコアな部分というのは、本来それを進めていくと自ずと自民党を瓦解させ、別のスタイルの政治状況を生み得たものでもあったと。

斉藤 そこが、日本の自民党長期政権の終焉について考える中で、一番面白いところなんです。利益誘導の中にも、ただ単に選挙の集票基盤を保守するための利益誘導と、経済成長全体を刺激するような利益誘導と両方あるわけです。地域経済そのものを都市化する、あるいは産業競争力を強くするような政策をとりすぎると、むしろ自民党が弱体するというパラドクスがあったわけです。

荻上 とはいえ、日本全体にとってはその方が良かったわけですよね。

斉藤 恐らく産業競争力のみについて言えばそうだったのでしょう。一方で、冷戦時代において、日本国内の政治的安定性がより重要であったかもしれないなどという、メタな判断基準もあり得るでしょう。

荻上 そのあたりは政治の難しいところですね。

田中角栄以降の地域経済

荻上 小泉内閣で「角栄モデルを脱しよう」と言われたりもしましたが、結果的には今でも整備新幹線、高速道路網の建設が続くなど、政策が引き継がれている面は否めないですよね。田中角栄以降の地域経済への影響をどう評価するべきなのでしょう。

こんなメールも来ています。

「日本列島改造論で作られた高速道路のおかげで便利にはなりましたが、結果的にどの地方都市も似たようになってしまったと感じます。」

日本全国を平準化しようという政策によって、結果的に地域の特産物や観光による収益の減少を招くようなインフラを作ってしまったということでしょうか。

斉藤 田中角栄がいたから日本全国が同じになってしまったのかどうかは、なかなか微妙なところだと思います。たとえば、連邦制で地方分権の最たる例として紹介されるアメリカでも、どこに行っても同じようなダウンタウンや郊外のショッピングモールが風景です。グローバリゼーションが進んだ現代において、「財源を下ろして地域間競争を促進すれば平準化しなくなる」というのは、楽観的すぎるのではないかと思います。

荻上 平準化するのではなく、それぞれの地域で経済を回していくだけの適切なサイズの都市を作っていくことについては、どう思われますか。

斉藤 それは必要な施策と思います。とはいえ、これまでの背景として地方の住民が平準化したサービスを欲しがっていたという現実もあるんです。そこを否定して、「地方は地方で頑張れ」というのは少し大都市目線ですよね。

荻上 そんな中で、安倍政権のこれからの課題を考える上で田中角栄の政治から学ぶことがあるとしたら、どんなところでしょうか。

斉藤 田中角栄型の政治の負の側面といえば、やはり陳情政治です。当時は地方からたくさんの陳情団が東京にやって来て、頻繁にロビー活動を行っていました。それが、どこまで意味があったことなのでしょう。それよりは地方に権限を委譲し、地元で工夫しながら効率的に政策を実行していく。そうした姿に変わっていくべきだと思います。

荻上 ただ現在の地方創生においても、実際には交付金モデルが全面に出がちですよね。

斉藤 そうしたインセンティブの設計は非常に難しく、なかなか一筋縄にはいきませんね。ただ私としては、ばらまきはある意味で賢明なやり方だと思っています。田中角栄はよくばらまきを批判されますが、より最近の利益誘導政治の実態は、支持をしてくれた人に便益を切り売りする「えこひいき政治」だったのではないでしょうか。そうではなくて、基準に基づいてきちんとばらまくのなら、その方が機能するのではないかと考えます。

荻上 今、安倍総理は「成長と再分配の両輪を回していく」と言っていますが、この再分配というのは単に集票のためではなく、経済効果もあり、かつ弱者に優しい地方創生という意味で、是非やってほしいところですね。

斉藤 日本は課税による再分配後の貧困が緩和していないというデータもあります。地域的な再分配はもちろん、世代間の再分配も含めてその仕組みをきちんと設計していかなければいけません。

荻上 斉藤さん、今日はありがとうございました。

Session-22banner

プロフィール

荻上チキ評論家

「ブラック校則をなくそう! プロジェクト」スーパーバイザー。著書に『ウェブ炎上』(ちくま新書)、『未来をつくる権利』(NHKブックス)、『災害支援手帖』(木楽舎)、『日本の大問題』(ダイヤモンド社)、『彼女たちの売春(ワリキリ)』(新潮文庫)、『ネットいじめ』『いじめを生む教室』(以上、PHP新書)ほか、共著に『いじめの直し方』(朝日新聞出版)、『夜の経済学』(扶桑社)ほか多数。TBSラジオ「荻上チキ Session-22」メインパーソナリティ。同番組にて2015年ギャラクシー賞(ラジオ部門DJ賞)、2016年にギャラクシー賞(ラジオ部門大賞)を受賞。

この執筆者の記事

斉藤淳政治学

J Prep 斉藤塾代表。1969年山形県酒田市生まれ。山形県立酒田東高等学校卒業。上智大学外国語学部英語学科卒業(1993年)。エール大学大学院 政治学専攻博士課程修了、Ph D(2006年)。ウェズリアン大学客員助教授(2006-07年)、フランクリン・マーシャル大学助教授(2007-08年)を経てエール大助教授 (2008-12年)、高麗大学客員助教授(2009-11年)を歴任。これまで「日本政治」「国際政治学入門」「東アジアの国際関係」などの授業を英語 で担当した他、衆議院議員(2002-03年、山形4区)をつとめる。研究者としての専門分野は日本政治、比較政治経済学。主著『自民党長期政権の政治経済学』により第54回日経経済図書文化賞 (2011年)、第2回政策分析ネットワーク賞本賞(2012年)をそれぞれ受賞。近著に『世界の非ネイティブエリートがやっている英語勉強法』など。

この執筆者の記事