憲法論議を「法律家共同体」から取り戻せ――武器としての『「憲法改正」の比較政治学』

文化の日。「国民の祝日に関する法律」第2条によれば、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを趣旨とする。それでは、それがなぜ11月3日でなくてはならないのだろうか。実は、70年前、1946年(昭和21年)のこの日、日本国憲法が公布されたのである(なお、5月3日の憲法記念日は、翌47年(昭和22年)に憲法が施行された日である)。日本国憲法が自由や平和、文化といった理念を重視していることにちなんで、この日は祝日とされた。

 

その日本国憲法をめぐる情勢は、いまや新たなステージに入りつつある観がある。改憲を志向する勢力が、国会において憲法改正発議に必要な「3分の2」を獲得し、憲法審査会での審議がまもなく再開するからである。改正を視野に入れた憲法論議は今後、ますますホット・イシューとなってくるだろう。

 

2016年7月に刊行された駒村圭吾=待鳥聡史(編)『「憲法改正」の比較政治学』(弘文堂)は、そんな今こそ注目されるべき多くの問題提起をなしている。そもそも、一体「憲法改正」とは具体的にどのような営みなのであろうか。主要各国の「憲法改正」の事例をつぶさに眺めてみることで、改正経験の有無や回数といった表層的な事柄にとどまらない、「憲法改正」の多様な見方が浮かび上がるのではないか。

 

本書が試みたのは、憲法学×政治学という、これまであまり交わることのなかった分野どうしのコラボレーション。これからの憲法論議のあるべきベースラインと新たな可能性を静かに、しかし力強く示唆している本書の「使い方」について、政治学者であり本書の共著者の一人である浅羽祐樹教授(新潟県立大学)と、気鋭の憲法学者である横大道聡准教授(慶應義塾大学)、そして政治記者の清水真人氏(日本経済新聞編集委員)を迎え、1990年代の政治改革から昨今の皇室典範をめぐる議論までを題材として、熱く語ってもらった。(弘文堂編集部)

 

 

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「基幹的政治制度」として憲法をみるということ

 

浅羽 憲法や憲法改正をめぐる議論はこれまで、結論ありきになりがちでした。そこで『「憲法改正」の比較政治学』(以下、「本書」)は、特定の条項について変わったか変わっていないか、改めるべきか護るべきかという議論のされ方に対する違和感から出発しました。学問的に一歩引いて、憲法改正に対する態度をとりあえずカッコに入れたうえで議論するには、どういう道具立てを準備すればよいのか。どうすれば冷静に、他国との比較や歴史的な先例との比較の中で、日本の事例を考えることができるのか。こういった問題意識が、本書全体を貫く指針、構成原理、いわばコンスティチューションになりました。つまり、「憲法」や「憲法改正」についてどのように観念するのか、そしてそれをどうやってそれぞれの事例に当てはめて分析していくのか、という部分でイノベーションを試みたというわけです。

 

本書で提示した視座は、「基幹的政治制度」です。憲法典――憲法という名の付いているテクスト――が改正されるかどうかが、これまで憲法改正の有無を測る基準だったわけですが、もう少し視座を広げて「政治制度」に着目をする。その中でも、国の政治の仕組みの根幹を定める「基幹的政治制度」について、「憲法体制」として捉えて、その制度が変われば、憲法典の改正がなくても、憲法体制が変わった、とみなすことができるという視座を打ち出しました。

 

それでは、何が「基幹的政治制度」に入るのか。これは多少論争的ですけれども、基本的にはやはり、権力をまず構成し、そのうえで、その構成された権力をいかに各部門に任せて相互に牽制し均衡をはかるのか、という2つの契機があります。前者に該当するのは選挙制度ですし、後者は執政制度で、両方で「基幹的政治制度」を成している、と本書ではみなしています。この2つが「憲法体制」の中でどう配置されているのか、にはさまざまなパターンがあり、国によっては両方とも憲法典に置かれている場合もありますし、選挙制度の部分は憲法典ではなく法律で詳細が決まっている場合もあります。そもそも、何を憲法典で規定し、何を法律に回すのかは一様ではありません。

 

日本の場合、選挙制度は公職選挙法という法律マターです。これが1990年代に公選法を改正することで中選挙区制から小選挙区比例代表並立制へと変わったわけですが、選挙制度という「基幹的政治制度」が大きく変化したという意味では「憲法体制」が変わったと言えるのではないか、ということです。「憲法」や「憲法改正」を別様に観念することで、戦後日本政治においても、日本国憲法という憲法「典」の改正はなかったけれども、選挙制度改革という「基幹的政治制度の変化」があったので、実質的には「憲法体制の変化」があったという見方が可能になります。

 

本書では、この「憲法典の改正なき憲法体制の変化」について、良いとか悪いとかという論者の規範的あるいは政治的な判断が示されているのではなくて、観念を変えるとその実証の部分――いつ、どこで、何が、どのように変わったとか変わっていないとか――をこれまでとは違うかたちで提示することができるのではないか、という呼びかけにもなっているわけです。明示されているわけではありませんが、今のアクチュアルな政治課題に取り組むうえでも、そのほうがダイナミズムを捉えることができ、かつレレバンシー(妥当性)も確保できるのではないでしょうか。

 

横大道 本書で駒村圭吾先生(慶應義塾大学教授)が書かれていますけれども、一般的な憲法の教科書は、最初に「憲法とは何か」という項目を立てて、「形式的意味の憲法」と「実質的意味の憲法」の区別とか、「立憲的意味の憲法」といった概念を出して、憲法「典」だけが憲法学の対象ではないということを最初に述べます。そのように言っておきながら、憲法改正の項目のところになると、一転して憲法「典」の改正に関する解説しかしていません。実は、「基幹的政治制度」とか「実質的意味の憲法」が重要であってそれも憲法だ、という視点を憲法学はもともと持っていたはずなのに、それがいつの間にか消えていたというのが、これまでの一般的な教科書だったのではないかなと思います。

 

そうした状況に対して、「実質的意味の憲法」の改正も含めて憲法改正のところまできちんと憲法学の対象であるということを非常に明瞭に出してきたのが本書であり、憲法学にとっても意味があるという感想をまず持ちました。

 

なお、本書では導入部分に引き続いて、イギリスについて近藤康史先生(筑波大学准教授)と上田健介先生(近畿大学教授)の議論が収録されています。そこでは、イギリスは成文憲法典を持たないがゆえに、「憲法とは何か」「憲法改正とは何か」を常に自覚的に論じていることが明瞭に示されており、本書全体の企図との関係で大変周到な配置となっていますね。

 

浅羽 構成をお褒めいただき恐縮です。いわば本書の「憲法」がよくデザインされていたということですね(汗)。

 

横大道 憲法典の「改正」というのは非常に特別な瞬間で、日常と切り離された局面であると理解されるのが一般的であると思います。しかし、「実質的意味の憲法」の改正を視野に入れた場合、憲法に関わる政治というものが日常の政治からまったく切り離された別物なのではなくて、同一線上に並んだプロセスという視点から見ることができるようになるのではないか。

 

要するに本書は、「憲法の改正は、主権者が立ち現れて制憲権が行使されるという、非常に特別な瞬間である」というような、そういう固定化された「憲法改正」の見方を変える、非常に良いきっかけになるという印象を持ちました。

 

清水 昨年来、集団的自衛権をめぐる憲法解釈の変更問題を取材してきたんですけれども、内容においても、プロセスにおいても、あれは、はたして是とすべきことだったのか、非とすべきことであったのか、未だに自分の中で回答が出せません。自分なりの評価が定まらないモヤモヤしたものがあります。

 

なぜか。まず、安倍晋三首相が内閣法制局長官を代えて憲法解釈の変更の閣議決定に動いた。その後、それに沿った安全保障関連法案を国会に提出して審議するという手順を取りました。その出発点となった首相官邸の「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)」には政治学者や国際法学者が何人も関わって解釈変更を容認しました。半面、外側にいた多くの憲法学者からは、この解釈変更のプロセス自体にも猛反発が起きましたね。アカデミズムも割れたとなると、我々は一体どう受け止めればよいのか、戸惑いました。

 

次に、今度は憲法典の改正プロセスが始まるかもしれないという政治状況にあります。ではそれをどう捉えるのか、今度は何が起きるのか、という課題に直面しています。もちろん憲法改正手続法、いわゆる国民投票法という法律はあるんですけれども、まず国会のどこでどういう議論をしてどういうプロセスで改正案の発議に至るのか。そのあとの国民投票も、現実にどんな流れを経て行われていくのか。誰も経験がない。実は政治家たちもまったく手探りです。どうプロセスを創っていくのか。

 

そう思案しているときに、本書が出たというわけです。本書は、「憲法改正」というものの捉え方についても形式・実質の両方がありうるよ、と議論の射程を大きく広げてくれています。現実にどういうことが起こるのかという政治プロセスについても、改正の是非などは別問題として、ひとまず比較研究をしてみようということで、欧米主要国や韓国について非常に多様なパターンの知見が得られる。もちろん日本についても明治憲法下を題材に歴史的な考察を展開していますけれども、さしあたり各国の経験に学べる。

 

この手の研究で、憲法学と政治学がコラボレーションする例は、今まで必ずしも多くなかったのではないでしょうか。率直に申し上げて、憲法学者と政治学者はなぜこんなに仲が悪いのか、と不思議に思う場面がしばしばあったものですから。本書の内容以前に、両者の協働というこの出版企画自体がひとつのニュースではないかと。アカデミズムの変化の胎動みたいなものを、手に取ったときに非常に感じた次第です。

 

浅羽 アカデミズムの怠慢とタコツボの問題をご指摘いただき、耳が痛いです。政治学はどうしても、すでに起きたことについて経験的に分析することを第一義的な課題とするものですから、政策提言や制度の改革に向けてまとまって何かをするということは、なかなかありません。

 

しかも、90年代以降に日本では選挙制度改革があって、これはもちろん憲法「典」の改正ではないですが、ゲームのルールもプレイの仕方も実質的に大きく変わったので、そこに分析を集中させたわけです。いわば広い意味での「憲法体制の変化」の部分を明らかにしてきたことの代償だったのか、憲法「典」の改正それ自体を正面に据えて取り組んでこなかった。

 

そもそも政治学、特にポリサイ(政治科学)は経験分析が主眼ですし、日本には憲法改正の事例がなかったという事情もあります。だからこそ、すでに起きた他国の事例を盛り込んでいるというのは本書の特徴です。ともかく、清水さんのご指摘に対しては、反省が半分、残りの半分は政治学の学問的性格によるところが大きいと言えそうです。

 

横大道 憲法学としては、これまで政治学とまったく没交渉であったというわけでは当然なくて、いろいろなところで参考にしてきたとは思います。政治哲学は当然のこととして、そのほかにも、たとえば、議会研究であればレイプハルトなんかは憲法学者も当然読んでいますし、政党であればサルトーリの研究であるとか、そういう政治学の研究成果を参考にしてきました。しかし、それは必ずしも体系的でも包括的でもありませんでした。それを包括的にまとめるような役割を果たしたのが、今回の「実質的意味の憲法」とか「基幹的政治制度」という視座の設定です。本書ではこれを視座として設定し、共通の議論の土台を設定したために、政治学とのコラボレーションが成功したのでしょう。

 

浅羽 そうですね。政治学では近年「合理的選択新制度論」という観点が一般的で、これは制度が各アクターの戦略や相互作用を規定するという見方です。同時に、アクターの相互作用によって制度そのものが変わるという逆のベクトルもあって、制度が生まれ、維持され、変わっていくダイナミズムも射程に捉えます。そうした制度のうちのひとつが憲法であるわけですが、必ずしも憲法ですべてをカバーしているわけではありません。ゲームのルールとして、選挙制度も同じくらい重要です。憲法「典」だけ見ていては、制度の効果や起源の全容をつかめないというわけです。

 

たとえば、選挙制度が中選挙区制から小選挙区比例代表並立制になった結果、政党間の関係(政治システム)、政党(執行部)と政治家の関係(政党組織)がどう変わったのか、そもそもなぜ変わったのかについて、政治学は経験的知見を積み重ねてきました。しかし――極めて重要ではありますが――選挙制度改革の効果や帰結に分析が集中しすぎたきらいがあります。そこで本書が、議会制度や司法制度など他の政治制度も含めてトータルで「基幹的政治制度」として概念化し、それが憲法学で言われてきた「実質的意味での憲法」と実は同じものなんだということを、今回、もしかしたら初めて示したのかもしれません。そうすることで、政治学と憲法学との間に橋が架かって、前よりも見晴らしがよくなった、見通しが立つようになったのだとしたら、とても嬉しいですね。

 

 

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