選挙からみる複数の「沖縄」――民意はどこで示されたのか?

はじめに――「沖縄」にみる亀裂

 

2014年11月の沖縄県知事選挙では、保守派ながら普天間基地の辺野古「移設」に反対し、「オール沖縄」をとなえ革新の支持を得た翁長雄志が、次点の仲井眞弘多と10万票の差をつけ当選した。

 

一部の新聞は「オール沖縄」や「イデオロギーよりアイデンティティ」というフレームが県民の心をとらえたと評価した。このフレームは、従来の「基地か経済か」という主張とは異なり、沖縄県内の利害対立を争点化せず、沖縄人(ウチナーンチュ)という集合意識に基づく「地域主義」を前面に出す言説戦略であった。

 

私は、2014年12月配信の『αシノドス』に「国家の「中心」と「周辺」―政党対立からみた沖縄の分断」という記事を寄稿したが(山﨑2014)、この知事選挙において、沖縄島北部や離島地域の有権者は必ずしも「オール沖縄」候補(翁長雄志現知事)を支持したわけではないことを指摘した。

 

翁長は、沖縄島中南部において従来の保革間の亀裂を埋め合わせることに成功したが、同時に沖縄県内にある「中心」(沖縄島中南部)と「周辺」(沖縄島北部・離島地域)の差異を際立たせたとも言える。「オール沖縄」の理念とは裏腹に、「沖縄」は一枚岩ではなく、政治的に全域が一様(オール)ではないのである。

 

本稿では、1972年から2010年まで実施された沖縄県知事選選挙の分析結果をベースに、2016年6月に実施された沖縄県議会議員選挙と7月に実施された参議院議員沖縄県選挙区選挙の結果を分析することによって、「沖縄」の複数性を踏まえた「オール沖縄」の可能性について考えたい。

 

 

基地問題のある「沖縄」

 

まず、沖縄の基地問題の概観を整理しておこう。

 

「沖縄県には74%の米軍基地が集中している」とよく耳にする。これは正確には「日本の自衛隊と共同使用されない米軍施設の面積」の県内総計が日本全体の74%を占めるという意味である。

 

2014年現在で、県内の米軍施設33のうち32が専用施設であり(沖縄県2014)、県土は専用施設によって占有されていると考えて良い。さらに、米軍の陸上施設(面積)の95.6%が沖縄島に集中しており、島外施設で一定の規模をもつのは伊江島飛行場(3.4%)のみである(図1)。

 

沖縄島における専用施設面積の割合は18.3%に達し、特に島の中部と北部において集中が著しい。よって、県内での一時的な海域・空域の使用を除くと米軍基地問題とは沖縄島(および伊江島)に集約的に現れてきたと言える。

 

 

図1 沖縄県内の在日米軍基地 出典 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/08/US_military_bases_in_Okinawa.svg (2016年10月30日閲覧)

図1 沖縄県内の在日米軍基地
出展:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/08/US_military_bases_in_Okinawa.svg (2016年10月30日閲覧)

 

対して自衛隊の施設面積は全国の0.5%にすぎず、多くは沖縄島南部に集中し、島外では近年までは久米島と宮古島に小規模の施設が立地する程度であった。しかし、2010年12月に閣議決定された「防衛大綱」において、沖縄島より南西部の島嶼部が陸上自衛隊配備のない「空白地域」と位置付けられてから、先島地域における自衛隊配備の議論が活発化する。

 

すなわち、県内地域の「軍事化」に関しては、米軍や自衛隊の分布に明確な地域差があり、そうした多様な「沖縄」の中で軍事基地の是非が議論されていることをまず踏まえておく必要がある。

 

 

県知事選挙からみる複数の「沖縄」

 

そこで、上で述べた米軍基地の分布の地域差が沖縄県民の投票行動にどのように反映されてきたかを考えてみよう。図2aから2dは、沖縄県が日本に復帰した1972年から2010年まで実施された県知事選の絶対得票率を保守系候補と革新系候補に分け、県全体(a)と3つの基地所在市町村(b, c, d)について示している。

 

各陣営から複数の候補が出馬した場合は合算し、いずれの陣営にも分類できない候補の得票率は除いてある。絶対得票率は当日有権者に対する各候補の得票率であるので、投票率が下がると得票率も下がる傾向がある。なお、2014年に保革の枠を超えた「オール沖縄」候補が出馬したのでこの分析は2010年までとしている。

 

 

図2a 沖縄県復帰後の知事選挙結果(県全体、1972-2010年) 出典 山﨑(2013)ほか(以下同様)

図2a 沖縄県復帰後の知事選挙結果(県全体、1972-2010年)
出典 山﨑(2013)ほか(以下同様)

 

 

まず図2aから2つのことがわかる。1つは、県知事選には県全体でみると保守系と革新系の知事が一定期間をはさんで交代する明確な「スイング」が確認されることである。

 

復帰前から沖縄県内の選挙において基地問題は主要な争点であり続けてきた。沖縄県内には、米軍および日本政府との関係において、米軍基地を容認するか否かで政治的な立場が(保革に)二分される傾向、つまり政治社会的な亀裂(クリーヴィッジ)が形成されてきた。そこにスイングが確認されるということは、有権者が保革いずれかの立場を一貫して維持しているというよりも、時々の状況に応じて、立場をかえる浮動票が多いということを示している。

 

もう1つは、県知事選における投票率は低下傾向にあり、その影響は保守票よりも革新票に強く現れていると考えられることである。言い換えると、投票率の低下と共に革新票の動員が弱まり、保守系の知事が近年連続当選する状況(県政保守化)の一因となったと推定できる。

 

多くのメディア報道は、県全体の選挙結果についての分析にとどまる。しかし、複数の地理的スケール(範囲)でこの結果を分析するとなにがわかるだろうか。上述のように、米軍基地は地理的には沖縄島中北部に集中する。したがって、その地域の基地所在市町村での投票行動には基地に関係する社会経済的メリットとデメリットが影響していると考えられるが、そのパターンは図2bから2dが示しているように多様である。理論的にも実態的にも各市町村の投票行動は革新優位、保守優位、いずれでもないという3つのパターンに区分できる。

 

読谷村(図2b)は、読谷補助飛行場ほかが返還されるまで基地が村域の大部分を占拠しており、近年まで革新優位の自治体であることがわかる。

 

 

図2b 沖縄県復帰後の知事選挙結果(読谷村、1972-2010年)

図2b 沖縄県復帰後の知事選挙結果(読谷村、1972-2010年)

 

対して北部の金武町(図2c)は、キャンプ・ハンセンほかが町域の6割近くを占めるが、一貫して保守優位の自治体である。

 

 

図2c 沖縄県復帰後の知事選挙結果(金武町、1972-2010年)

図2c 沖縄県復帰後の知事選挙結果(金武町、1972-2010年)

 

そして沖縄市(図2d)は嘉手納空軍基地のゲート前に形成された基地の街であり、有権者は保守と革新の間を揺れ続け、そのパターンは沖縄県全体の動きと近似している。

 

 

図2d 沖縄県復帰後の知事選挙結果(沖縄市、1972-2010年)

図2d 沖縄県復帰後の知事選挙結果(沖縄市、1972-2010年)

 

このように、沖縄県全体の投票傾向から読谷村や金武町の投票行動を読み取ることは不可能である。したがって、基地問題をめぐる地方政治の実像に迫るには、なぜ読谷村や金武町でこのように異なった投票行動がみられるのか、なぜ沖縄市では保革が拮抗するのかを市町村のスケールで見極めていく必要がある。

 

こうした地域差をもたらす要因の説明は拙稿(山﨑2008)に譲るが、ローカルな政治の動向を握るカギは、基地反対運動の強度、「自立」産業の有無、軍用地料依存といった要素であると考えられる。すなわち、選挙で集計される沖縄県民の「民意」とは、そうしたローカルなスケールでの民意が合算・平均されたものであり、県民の総意には違いないが、総意とは異なった民意が県以下のスケールに隠されている。当選した候補にとっては、そうしたローカルな民意、つまり複数の「沖縄」にこたえることも課題となろう。【次ページにつづく】

α-synodos03-2

1 2
シノドス国際社会動向研究所

vol.222 特集:沖縄

・仲村清司氏インタビュー「変わる沖縄——失われる心と『沖縄問題』」

・宮城大蔵「静かに深まる危機——沖縄基地問題の二〇年」

・北村毅「戦争の『犠牲』のリアリティー:当事者不在の政治の行く末にあるもの」

・神戸和佳子「『わからなさ』の中でいかに語り考えるのか——沖縄をめぐる哲学対話の実践から」

・山本ぽてと「沖縄トイレットペーパー産業史」
・齋藤直子(絵)×岸政彦(文)「Yeah! めっちゃ平日」