2016.01.29
鼻血は被曝影響だったのか――原発事故のデマや誤解を考える
小峰 私は大学生の男子の母なのですが、うちの子は頻繁に鼻血だしてたんですよ。保育園の集合写真では鼻にティッシュ詰めてるのが何枚かあったくらい。
菊池 こどもはよく鼻血をだすものだよね。
小峰 保育園の先生は慣れたもので、鼻血の止め方を園児に教えてました。強力に鼻をつまんでゆっくり10数える、っていうだけですけど、それがわりと効果あるんですよ。うちはアレルギーもあってしょっちゅう鼻をぐずらせてたし、粘膜も弱かったんだと思います。中学生くらいまではよくワイシャツを鼻血で汚して帰ってきてました。それでね、先日「そういえば最近は鼻血出ないね」って言ったらなんと「鼻のほじり方がうまくなったからな」という「鼻血の真実」にせまる答えを。
菊池 無意識に鼻をほじってたっていうのも、こどもの鼻血ではわりとありがちなことみたい。血管が集まってるから、傷つくと出るんだよね。
小峰 で、それをTweetしたら、友人のこどもも同じく鼻血がひどくて、レーザーで鼻の粘膜焼いたんですって。二人子どもがいて二人ともひどかったらしい。私の兄もしょっちゅう鼻血だしてたのをおぼえてましたからそんなに慌てなかったけど、たまにいつまでも止まらない時があって、心配しました。学校に行く前によく出してたんで、お医者さんに「朝出るんですけど」って相談したこともありました。気にしないでいいですよ、っていう答えでした。
菊池 僕はおとなになってからはたまに、かなあ。やっぱり子どもに多いんだよ。原因はいろいろあるよね。大量に出るのも珍しくないって、耳鼻科のウェブサイトに書いてあった。
小峰 私は、小さい時は出なかったけど、おとなになってから乾燥すると出るようになっちゃった。フランスって乾燥してるでしょう? お肌もカサカサになるけど、鼻の粘膜も乾いて、パリ行くたび鼻血だしてたな。かっこわるーい。ライヴ前にたらーって出てきて、本番に出たらどうしようってあせったことも。
鼻血は放射線被曝のせい?
小峰 で、その鼻血のことですが、放射線被曝との関係が度々取り上げられますよね。確かに原発事故以前の鼻血と、事故の頃の鼻血では心配の度合いが違ったとは思います。でも、事故での被曝量から鼻血との関係は早くから否定されていましたよね。それでも鼻血の話題は不安を煽るようにいまだに繰り返されてる。こどもが鼻血をだしているイラストに「おかあさん、どうしよう」っていうコピーの画像がネットで流れてたこともありました。あれはいやな感じだったなあ。
菊池 母親たちをただ不安にさせるような印象操作はたちが悪い。そういうのが「デマ」なんだよ。今回、4年前の雑誌や本をあらためて確認したんだけど、被曝で鼻血が出ると主張していた人たちは、ほかにも下痢や喉がいがいがするのを代表的な症状として挙げていた。むしろ、まず下痢から、かな。
小峰 まず下痢だったんですか。こどもは下痢も鼻血くらいよくあった。これも原因はいろいろありますよね。「福島に行ったら下痢」というのは聞きませんね。下痢の…イラスト…うう、むずかしい…よりは鼻血のほうが、なんというかびっくりするかな。出血だから。
菊池 どれもよくある症状だよね。その中では鼻血がいちばん印象的だったんじゃないかな。結局、鼻血だけがクローズアップされた。
小峰 私と同年代の方が、放射線の件で鼻血が出てくるのは山口百恵の「赤い疑惑」って番組の影響があったんじゃないかって。
菊池 宇津井健と三浦友和の。
小峰 はい、私は見てなかったんですけど、百恵ちゃんが放射線を浴びて白血病になるという設定で、鼻血出して倒れるシーンがあったらしくてですね。
菊池 「赤いなんとか」ってシリーズがあったのはよくおぼえてるけど、鼻血の場面はおぼえてないや。そもそも見てないかも。
小峰 それでね、被曝で白血病になる、ということと、白血病の症状は鼻血、っていうイメージが、ある世代には強烈にくっついているのではないかとおっしゃってました。
菊池 それは「太陽を盗んだ男」でパーソナル原爆を作れるというイメージができた、っていうのと似たような話だね。
小峰 ええ。鼻血が出たら白血病かもしれないぞ、という。白血病と特定はしなくとも、原発事故で「鼻血が初期症状で、今後いろいろな健康被害が出る」と考えてる人がいるからこんなに何度も鼻血騒動が繰り返されてる。
鼻血で病院に行った人の数は増えてない!
菊池 鼻血は前兆だというわけだね。たしかに大量に被曝して下痢や鼻血が起きたのなら、それだけでは済まない。命にかかわる可能性もある。でも、震災から5年近く経つけど、そんな話はないよね。そんな大量の被曝をした人はいないんだから当然なんだ。結論から言っちゃうと、震災のあとにも鼻血で病院に行った人の数は増えてない。
小峰 え、ちゃんとそういうデータがあるんですか。
菊池 ある。福島県内の病院で患者数の変化を調べてる。被曝が原因かどうか以前に、そもそも鼻血そのものが増えてないんだ。そういうデータが最近になって出てきた。
小峰 なんかもう、鼻血、取り上げなくていいような気がしてきた……。
菊池 鼻血が前兆だって言うのなら、鼻血を出す人が本当に増えているかどうかがいちばんの問題のはずだよ。
小峰 そうですよね、本当に増えてたらその人たちの追跡調査をして健康被害をチェックしていくべきだと思うし。
菊池 仮に本当に増えていたとしても、震災によるストレスとかほかの理由のほうが被曝よりもずっと可能性が高いでしょう? でも、実際にはデータに現れるほどは増えてない。
小峰 でも、鼻血からだんだんひどいことになっていきますよ、っていう被曝のシナリオみたいなものは聞きますよ。
菊池 実際、原発事故後にそう言ってみんなを脅した人たちがいるんだ。まず下痢や鼻血で始まって、それからいろいろ起きてくるって。それも、低線量被曝でそうなるって。
小峰 先日、福島から関西に保養に行った先で「震災当時、鼻血がでなかったかどうか」と訊かれたっていうお母さんの話を聞いたんですけれど、「そういえばあの頃鼻血を出したことがあった」と思い出して泣いちゃったそうなんです。
菊池 被曝したら必ずからだに影響が出るって決めつけてるんだね。わざわざ関西まで行くくらいの人なら、もともと不安を抱えているわけでしょう。その不安をさらに大きくしようとしてる。
小峰 早く避難するべきだったと言われたそうです。「心配する」「心配してあげる」っていう範疇を超えちゃってる。
菊池 心配する気持ちは本当だとしても、知識がなければ逆効果になりかねない。そういう閉鎖的な場でデマが広まってる。その言葉は無責任にもほどがあるよ。
小峰 あ、でもそんな保養ばかりじゃなくて放射線の「ほの字」も言わない保養先もあるそうです。それって大事ですよね、心からリラックスするには。震災以降「不安に寄り添う」って嫌いな言葉になりました。寄り添うという言葉に責任が伴わないことが多すぎたと思うのです。当事者性っていうのも微妙な言葉ですけれど、当事者じゃないからそんなことも平気で言えるんだろうなと。
ほんとうに鼻血が出るとしたら
小峰 わたし、昨年末に第一原発の敷地内の視察ツアーに行きましたけれど、鼻血出してる人にはひとりも会いませんでしたよ。いわきでも原発でも。
菊池 原発敷地内だと、それなりに線量の高いところに行ってますよね。
小峰 はい、バスからの視察ですが、かなり線量高いところも通りました。鼻血出ませんでした。竜田一人さんの「いちえふ」の中に、原発作業員さんの最も困ることとして、鼻がかゆくなってもマスクをかなり着けているので掻くことができない、かゆい!! っていう描写があったんだけど、もし鼻血がそんなにバンバン出るとしたら、作業員さんは鼻血でマスク内溺死してしまうだろうな、と思いましたよ。作業どころじゃなかろう、と。もしよくあるなら鼻血排出装置つきマスク、とか開発されるに違いない。
菊池 原発の視察に行った人はこれまでに16000人なんだって。鼻血を出す人がたくさんいたら、とっくに大ニュースになってるよね。歯科医の方もその程度で鼻血がでるならレントゲン室は血の海だろうと言ってた。
小峰 宇宙飛行士も研究作業どころじゃないすね。宇宙は放射線量高いですからね。
菊池 国際宇宙ステーションでは1日で1ミリシーベルト被曝するらしいよ。あとは、長距離の飛行機の中とか。どっちも宇宙線による被曝。
小峰 ああ、でもね、原発で出た放射線だけが身体に悪さする、レントゲンや宇宙線は人体に害はない、っていう誤解をしてる人にはこの話は通じないな。
菊池 そんなわけにはいかないよね。元がなんであれ、放射線は放射線、被曝は被曝。
小峰 自然放射線は人体に害がないと主張するひとが実際身近にいて、これもデマの元になっている「思想」のひとつと思うのですが、私たちのからだには自然放射線か人工か見分けられる能力はないですよね……。このあたりは『いちから聞きたい放射線のほんとう いま知っておきたい22の話』を読んで理解していただきましょう。そもそも、鼻血が出るのは高線量被曝の症状なんですよね?
菊池 ほんとうに鼻血が出るとしたら、それは高線量を浴びたときの確定的影響というものの範疇。その場合には、鼻以外の粘膜からも出血する。
小峰 高線量被曝と低線量被曝っていう境目は?
菊池 低線量っていうと100ミリシーベルト程度より下を指すことが多いと思うけど、出血が起きるとなると、境はずっと高くて、ミリがつかないシーベルトだね。しかも、それを短時間に浴びないと起きない。
小峰 下痢や鼻血も内部被曝の症状ということですか?
菊池 いや、内部被曝か外部被曝かじゃないよ。ガンマ線なら外からでもからだの中まで入ってくるから、外部被曝でも大量に浴びれば粘膜に確定的影響が出る。
小峰 つまり重篤な事態の初期症状であって、たまに出た鼻血がそれにあたるか、というとそうじゃない、もし鼻血が続き粘膜からの出血が始まった、というなら本当に危険、ということでしょうか。
菊池 そう。もちろん、今回の事故でそんなふうになることはありえない。そんな心配をしなくてはならないほど大量の被曝をした人はいないから。鼻血にはいろんな原因があるけど、震災の時に指摘されていたのは、瓦礫の埃などで鼻の粘膜が傷ついた可能性とか、あとは花粉の季節だったことも。それにストレス。
厄介な「腑に落ちるかどうか」
小峰 放射線を気にして鼻血がでるんじゃないか、ってしょっちゅう鼻かんだりしてたらよけいに傷つきそう。最近また北関東に行った芸能人が宿泊したホテルで鼻血を出した、ということで「被曝=鼻血」の話題がありましたね。Twitter上のやり取りですぐに決着したみたいですけれど。
菊池 「これまでに鼻血が出たことなんかなかった」という自分にとって珍しいできごとと「放射線量が高そうなところに行った」ことを結びつけてしまったのでしょう。
小峰 郡山の友人が「そんなんだったら私たちは毎日鼻血出してるよ」って怒ってた。あ、ホテルの部屋って乾燥してるからそのせいだったりはないのかな。
菊池 鼻血の原因にはいろんな可能性があるよ。行っただけで出た、っていうのは「美味しんぼ」もおなじだった。
小峰 体験不足や観察不足だったことがらを放射線と直結させて考える、っていうのは前回前々回も話した、放射線デマや誤解のよくあるパターン。
菊池 それまで体験したことのないできごとに出会ったとき、なんとか「理由をつけて納得したい」という気持ちになるのはどうしようもないかもしれない。だからって、なんでもすぐに放射線と結びつけてしまってはいけない。低線量の放射線被曝でそんなにいろんなことが起きるはずはないんだ。放射線がすべての答えを与えてくれるわけじゃないよ。
小峰 答え、ね。「腑に落ちる」「腑に落ちない」、これも事故後あまり好きじゃなくなっちゃった言葉なんですけど。
菊池 「腑に落ちるかどうか」にはデータも根拠もいらないから厄介だね。
小峰 理解ではなく、気持ちの問題ですからね。で、最初にも話したんだけれど、こどもの鼻血も「心配しなくていいですよ」と言われて私は安心しましたが、そう言われても「なにか病気なんじゃないか」って疑ってしまうこともあると思います。不安な気持ちがまるでないなんてひとはいないと思うし、他人の不安を非難するなんて誰もできないと思います。
不安な気持ちって、抱えたまま放置しておくというのは過酷なことですから、その落ち着き先みたいなものを求めてしまうのはわかるんですよね。「症状の原因に病名をつけてもらったほうが安心する」というか「病気であっても病気とわかれば安心」というのもヘンですけど、そんな気持ちもひとにはあって、そうなると鼻血被曝説は支持されるだろうな、というのが今回の事故後の個人的感想なんですけど……
菊池 デマを受け入れるというのは、結局そういうことなのかもしれないよ。子どもが鼻血を出せば、とりあえずびっくりするのは普通だと思う。そのときに「ただの鼻血です。異常ありません」で納得できないと、あらぬ方向へ行きかねない。
小峰 鼻血が放射線の影響によるものだとするデマの背景については、これから菊池さんに詳しく説明していただくとして……最後に「これまでもずっとこどもたちがよく鼻血を出してきたように、これからもこどもたちは鼻血を出すことがあるだろう、でもそれだけなら問題はないのだ」ということは、確認したいです。
菊池 鼻血だけじゃないよね。本当はありふれているはずのさまざまな症状や現象をつい放射線と結びつけてしまいたくなることはあるかもしれない。そんな時に、ちょっと立ち止まって考えてみてほしいな。デマには、作る人と広める人と受け入れる人がいる。デマを作る人は止められなくても、せめて広める側にはならないようにしないと。
小峰 この世の中、この世界で生きていくのは不安だらけだから、不安な気持ちになるのはしょうがないですよね。でもちょっとの知識やちょっと違ったものの見方がそれを解消してくれることだってある、っていうことも今回の事故後の個人的感想です!
『美味しんぼ』と鼻血問題のリサイクル
2016年の新年早々1月9日付け日刊スポーツの記事の中で、お笑いコンビ、ロンドンブーツ1号2号の田村淳が、以前北茨城を訪問した翌日に大量の鼻血を出した経験を語って話題になった[1]。
田村は「北茨城に行って興奮していたのか、いきなり線量高いのに当たってそうなったのか、それはわからない……。今となっては調べようがないですからね。でも、だからこそ『美味しんぼ』のような話も、ボクはなくはないと思っていたんです。」と言い、マンガ『美味しんぼ』で描かれたような放射線被曝による鼻血の可能性を示唆している。ツイッターで問題点を指摘された田村はこの発言が軽率だったと認めて、同じ日刊スポーツの1月16日号で謝罪した[2]。『美味しんぼ』の影響力を示すひとつのエピソードだ。
この『美味しんぼ』が、放射線被曝によって鼻血が出たかのような描写で批判を浴びたのは、東電福島第一原発事故から3年経った2014年4月末[3]。福島県双葉町が小学館に公式に抗議し[4]、環境省が放射線影響を否定する文書を公表するなど[5]、大きな騒動になった。
作中で主人公の山岡たちは、東電福島第一原発構内をバスに乗って見学するが、戻ったあとでひどい疲労に襲われ、さらに原因不明の鼻血を出す。この顛末は原作者・雁屋哲の取材体験に基づいたものとされている。物語では、このような疲労と鼻血を経験したのが山岡ひとりではなかったことがわかり、その原因が実は放射線による被曝だったのではないかという方向へ話が進む。
放射線被曝の影響で鼻血が出たという話題は、この『美味しんぼ』が初めてではない。「鼻血体験」はインターネットを中心として、東電原発事故からほどなくして現れ、そのたびに多くの人たちによって「被曝が原因ではない」と指摘されたにもかかわらず、何度となく蒸し返されてきた。『美味しんぼ』事件はもう何度目になるかもわからない「リサイクル」だったのだが、人気マンガだったこともあり、改めて、そして鼻血問題としては最も大きな話題となった。
先に結論を書いておくと、今回の東電福島第一原発事故で生じたような低線量の放射線被曝は鼻血の原因にならない。これにはほとんどすべての専門家が同意するはずだ。だから、誰かが「東電原発事故による放射線被曝が原因で鼻血が出る」と信じているならそれは誤解だし、もしそういう主張を広めているならそれは人騒がせなデマを流していることになる。『美味しんぼ』の描写は、その影響力から考えて、単なる誤解ではなくデマと言ってしまっていいだろう。
鼻血描写の回が雑誌に掲載されるとすぐにたくさんの批判が集まり、編集部は次の号でマンガの続きとともに多数の識者による賛否両論の意見を掲載するという異例の対応を取った[6]。この特集には、それまで雑誌やテレビなどで放射能問題が取り上げられる際にコメントしていた人たちが顔を揃えている。それぞれの「識者」がどの程度信頼できるかがよく分かってとても面白いので、未読のかたはダウンロードして読んでみることをお勧めする。数が多いので個々には検討しないが、鼻血デマ問題を考えるうえでの必読文献だ。放射線防護の観点からの常識的な考えについては、「放射線防護学」を専門に掲げる安斎育郎と野口邦和のコメントに目を通せばわかる。
『美味しんぼ』のこの2回は現時点での最新シリーズである『福島の真実編』の最後のエピソードとして、2014年末に刊行された単行本(第111巻)に収録された[7]。批判に応えるためか、単行本化に際して文章が何ヶ所か書き直されたうえ、注釈も追加されている。ここでは単行本版に基づいて考えるが、実際に社会に与えた影響が大きかったのは雑誌のほうだったかもしれない。ちなみに、雑誌に掲載された賛否両論の意見はインターネットで公開されているからか、単行本には収録されていない。できれば書籍版にも本編と併せて収録してほしかった。
『福島の真実編』は、福島の農産物の安全性を強調するなど、いいところもないわけではないが、この最後のエピソードですべて台無しになっている。放射能についての誤解も見られ、取材や理解が行き届いていないことも露呈している(たとえば、何度も繰り返されるICRPの線量基準についてはまったくの誤り)。
鼻血以上に問題なのが、作中で松井英介医師が口にする「福島に何度かいらしているそうですが、体調に変わりはありませんか。」という言葉だ。たかだか何度か福島に行った程度で体調に影響が出るのなら、福島で暮らしている人たちはどうなると言いたいのだろう。この言葉は被災地に対する差別意識を端的に表していると思う。
この最終エピソードにはほかにもさまざまな問題点があるが、きりがないので、これ以上指摘しない。最後に山岡の父、海原は「私は一人の人間として、福島の人たちに、国と東電の補償のもとで危ない所から逃げる勇気を持ってほしいと言いたいのだ」と語る(このセリフも雑誌掲載時に強く批判され、単行本化に際して少し修正されている)。雁屋が本当に主張したいのは、福島は人が暮らせる場所ではないということのようだ。鼻血デマもそういう文脈で利用されていると理解するべきだろう。
デマは何度否定されても繰り返し現れる。特にマスコミや文筆家など大きな影響力を持つ人たちが流したデマはすぐに広まり、なかなか消えてくれない。鼻血の話題そのものは実のところたいした問題ではないが、「放射能デマ」のひとつの典型として今の時点で振り返っておく価値はありそうだ。なお、『美味しんぼ』を批判する書籍『放射線被曝の理科・社会』が出版されているので、そちらも一読されることを強くお勧めする[8]。
ありふれた現象に意味を見出してしまうこと
上で述べたように、「放射線被曝が原因で鼻血が出た」という話は、インターネット上では東電原発事故後のかなり早い時期に現れた。最初がいつなのかを知るのは難しいが、自分のツイッターの記録を遡ってみると、原発事故から一ヶ月後の2011年4月15日に初めて鼻血に言及しているので、遅くとも4月半ば、おそらく4月にはいってすぐというところか。
同じく東電原発事故直後にインターネットで見かけた話題として、見慣れない黄色い粉が地面に落ちていたのは放射性物質がたまっているのではないか、というものがあったのを思い出す。もちろん放射性物質が肉眼で見えるほどたまっているはずがない。季節柄、花粉が飛んできてたまったというあたりが妥当な解釈だ。花粉は毎年飛んできていたはずだが、原発事故以前にはこの人たちの目にとまりもしなかったのだろう。それが原発事故をきっかけに突然目につくようになったわけだ。同じように、ありふれた現象がネットで騒ぎになった例として、植物の奇形騒ぎがあったことも挙げておこう。
鼻血についても同じ解釈ができる。鼻血はありふれた症状にすぎない。とりわけ子供は特に原因がなくても鼻血を出すものだし、空気が乾燥している時期である上に花粉症の季節でもあり、風邪をひいた人も少なくなかったはずだと考えていくと、鼻血が出る「あたりまえの理由」はいくらでもあったことがわかる(鼻血の原因については耳鼻咽喉科のウェブサイトを検索すればたくさん見つけられる[9]。大量の鼻血も珍しくなく、子どもの場合は「無意識に鼻をほじる」ことも冗談ではなく主な原因のひとつに挙げられている[10])。まして、地震と津波に原発事故が続くという未曾有の大災害の中では、塵埃を吸い込むなどの物理的理由やストレスなどの精神的理由で鼻血を出した人がいたとしても不思議ではない。
実際に起きたのはあたりまえの原因によるありふれた症状だったはずだ。原発事故という異常事態に直面して、鼻血を放射能と結びつけてしまった人たちがいたというのが真相だろう。鼻血や植物の奇形が簡単に放射能と結びつけられてしまったのは、そういう「放射能についてのぼんやりしたイメージ」が広く共有されていたからだと思う。そのおおもとは原爆の被爆エピソードかもしれないし、チェルノブイリ事故からの伝聞かもしれないし、あるいは昔のテレビドラマや何かの物語なのかもしれない。
上でインターネットと書いたのは、ブログやツイッターなど誰でも見られる場を念頭に置いたものだが、実は子どもを持つ親同士の情報交換の場としてはメーリングリストも盛んに利用されているし、子育てサークルのような「リアルな空間」もある。こういう閉じた世界でどのように情報が流れたのかを伺い知るのは残念ながら難しい。デマが作られて広まる空間として、メーリングリストなど「共感の場」も大きな役割を果たしただろうと推測はできる。
ところで、このように「鼻血は被曝の症状ではないよ」とインターネットで発言すると、おうおうにして「被害の体験を否定するのか」という非難を受ける。しかし、それは違う。もし自分なり周囲の人なりが鼻血を出したという体験をしたのなら、それ自体は事実なので誰にも否定できない。
否定されているのは鼻血体験ではなくて、あくまでも「鼻血の原因は放射線による被曝」という主張だということを改めて確認しておこう。これはほかのさまざまなデマの問題を扱う際にもだいじな点で、体験そのものを否定するのはまちがっている。ただし、その体験は決して「鼻血が増えた」ことを意味するわけではない。
マスコミに現れた鼻血問題
鼻血が「要注意の被曝症状」としてマスコミに現れるのは、インターネットよりも少し遅れる。週刊文春の5月26日号では、広島で原爆被爆者を多数診てきた肥田舜太郎医師に取材して、「被爆者の初期症状は、まず下痢です。それから嘔吐、鼻血。口内やまぶたの粘膜などから出血することもある。」と語らせている[11]。あくまでも原爆で被爆した方々の初期症状の話だという点に注意しよう。放射線の健康影響についての常識で考えれば、ここで挙げられている症状は短期間にかなり高線量の放射線被曝をした場合のもので、東電原発事故のような低線量被曝には当てはまらない。被曝量が違うというだいじな点にまったく触れていないこの記事は、きわめてミスリーディングなものだ。
肥田は「半年か一年後くらいから原爆のときと同様に、内部被曝がもたらす特有の症状の患者が出なければいいが、と心配しています。それは”ぶらぶら病”です」と懸念を述べて、下痢や鼻血が「原爆ぶらぶら病」という深刻な病気につながる可能性を示唆している。「原爆ぶらぶら病」というのは肥田が以前から内部被曝の現れと主張し続けているもので、被爆後にひどい怠さに襲われて働くこともできなくなる症状を指すとされるが、それがほんとうに放射線の影響なのかについてはおそらく今も決着していないと思う。肥田自身「だるくて働けないという訴えだけで、診察や検査をしても裏付ける所見が何もない。」と診断基準がないことを認めている。
肥田が鎌仲ひとみとともに2005年に著した『内部被曝の脅威』の中にも何度もこの「原爆ぶらぶら病」が出てくるが、やはりその詳細ははっきりしない[12]。症状がたしかにあるのだとしても、心因性である可能性も充分に考えられる。ここではこれ以上「原爆ぶらぶら病」に深入りしないが、倦怠感という症状は放射線被曝を暗示するものとしてほかのメディアにも使われ、上で述べたように『美味しんぼ』にもその描写が登場することになる。
少し遅れて、週刊現代も6月11日号の「フクシマの人たちよ、この症状が出たら要注意」という記事に同じ肥田を登場させている[13]。ここでの肥田はさらに踏み込んで、「内部被曝の初期症状の一つに下痢があり、フクシマの避難所でも下痢を訴える人が増えているのです」と、あたかも福島の人の下痢が被曝によるものと決まったかのように語っている。
実は肥田はこの記事に先立つ4月24日、広島で行われた集会でスピーチし、「東北では下痢が始まっています。最初の症状のひとつは下痢です。今の普通の薬では止まりません」と、下痢が被曝の初期症状であることを明確に主張している[14]。このスピーチではさらに「放射線の病気が始まってくるのは、おそらくこの秋から来年の春にかけて沢山出てくるだろうと私は想像しています」と予言しているのだが、もちろん肥田の予言が当たらなかったのはご存じのとおりだ。
同じ記事はまた、福島市在住の整体セラピスト丸森あや(どう考えても専門家とは思えないが)の言葉として、避難所で子どもの鼻血や下痢の相談が増えていると伝えている。この言葉自体は事実なのだろうが、それが被曝の影響であることを裏付ける根拠はまったく書かれていない。
センセーショナリズムを身上とする週刊誌だけではなく、正確な報道を任務とするはずの新聞にも鼻血や下痢の話題は登場する。6月16日の東京新聞は『子に体調異変じわり』という刺激的な見出しで、原発から50キロ離れた福島や郡山のこどもたちに鼻血・下痢・倦怠感などの不調が出ていると伝えた[15]。「放射線と関係不明」と言い訳のように付け加えてはいるものの、鼻血や下痢を放射線被曝の症状と読者に思わせたがっているのは明らかだ。
この記事はNPO法人「チェルノブイリへのかけはし」が6月12日に開催した健康相談会を取材したものなので、その場に集まったのは、そもそも子どもが鼻血などなんらかの不調を経験した親子が多かったと考えられる。だから、インタビューに対して子どもの体調異変を訴える親が多いのも当たり前で、これだけではなんのニュースにも情報にもなっていない。体調異変が実際に増えているのかどうかをデータに基づいて補足してこそ新聞報道と言えるはずだが、そのような取材や調査がされた形跡はまったくない。これでは報道機関としての新聞の役割を放棄した「煽り記事」にすぎない。
それでも、この記事の中には注目しておきたいある母親の言葉が記されている。彼女の小学一年の長女が4月上旬から3週間鼻血を出し続け、耳鼻科の診察を受けさせたところ、花粉症ではないかと言われたのだという。それについて彼女は「花粉症なんて初めて言われたし、普段は滅多に鼻血を出さないんですけど」と発言している。花粉症はそれまで経験がなかった人でもある年に突然始まるものだし、季節からいっても鼻血の理由として充分に考えられるので、医師の指摘は妥当に思える。
ただし、この話でだいじなのは鼻血の原因が本当に花粉かどうかではなく、この母親が花粉症の可能性を医師に指摘されても納得できなかったという点だ。放射性物質に汚染されるという異常な状況下では、花粉症という「当たり前すぎる理由」では納得できない人たちがいるのも理解できる。「納得」はデマの受容を考えるうえで重要なキーワードだ。
東京新聞が「放射線と関係不明」と書き、週刊現代も「それが内部被曝によるものかどうかはわかりませんが」という丸森の言葉を載せる。このように、「こんな症状が増えている」と書いてから「被曝によるとは限らないが」と書くのは、この手の記事で読者に疑念を与えるための常套手段だ。すべては印象操作にすぎない。鼻血や下痢といったごくありふれた症状があたかも被曝の影響によるものであるかのように読者に印象付けるいっぽう、逃げ道は残す。どう受け取ろうと、それは受け取った読者の責任というわけだ。しかし、このような記事を載せたという事実そのもので、編集側の意図は明らかではないだろうか。
ここまで、マスコミが伝えた例をいくつか拾ってみた。問題の性質上、女性雑誌や子育て雑誌にも記事が出ていそうだが、残念ながら確認できていない。鼻血関連の記事はインターネットの鼻血体験談よりも遅れてマスコミに現れているので、東電事故以降の「鼻血デマ」のおおもとというわけではない。しかし、デマに根拠や筋道を与え、デマの拡大を加速させる効果は大きかったはずだ。
誰が「鼻血デマ」を広めたのか
雑誌や新聞よりさらに遅れて登場した書籍もいくつか見ておこう。東電原発事故後の比較的早い時点で鼻血を取り上げたものとして、上でも登場したNPO法人「チェルノブイリへのかけはし」の野呂美加による『チェルノブイリから学んだ お母さんのための放射能対策Book』がある[16]。
野呂が出版したいくつかの本は(僕自身が中身を確認したのは他に『子どもたちを内部被ばくから守るために親が出来る30のこと』[17]『放射能の中で生きる、母たちへ』[18]で、この3冊は同時期に出版された)、目を通してみると、科学的にはほとんどすべてでたらめと言っても過言ではない酷いものなのだが、他に類書がなかったこともあってか、当時は書店でよく目にした。科学的にはでたらめでも、母親たちに時に優しく時に厳しく語りかけるその口調に惑わされてしまった人たちも少なくなかったのだろう。
ここでは『放射能対策Book』を取り上げるが、内容はどの本も似たりよったりだ。いずれにも、鼻血や下痢の症状が福島や関東の子どもに出ていることが記されている。特にこの『放射能対策Book』では「放射性物質の影響で鼻血を出す子どもが多い」と題して一節をまるまる鼻血に割いている。中心になるのは、野呂らが6月に東京と千葉で開いた医療相談会でのエピソードだ。子供が鼻血を出して病院に行った母親たちは、放射線の影響のはずがないと言われるのだが、野呂は「そんなふうに医師に言われても、お母さんたちはどうにもふに落ちないわけです」と書く。ここでも「納得」が問題だ。さらに「相談会でわかったことは、「3月15日」に鼻血を出した子どもがとても多いということです」と続ける。
もうお分かりだと思うが、先ほどの東京新聞の記事と同じく、これは「参加者の偏り」の効果と考えられる。「チェルノブイリへのかけはし」主催の医療相談会という性質上、子どもの健康に不安があり、しかもそれが被曝のせいかもしれないと心配している人たちが集まってくる。6月なので既に「鼻血デマ」は広まっている。特に3月15日頃に鼻血を出したことを思い出した親なら、その不安が大きくなるのも無理はない。
つまり、ここに書かれているのは、子どもが鼻血を出して不安を感じた人たちが集まったという事実にすぎないわけだ。鼻血が社会で実際に増えたというデータはこの本のどこにも載っていない。相談会参加者の中で鼻血を訴えた人の割合は野呂の講演で見られるが、たしかに多い時には50%近くに達している[19]。だから、野呂にしてみれば「鼻血は増えた」はたしかな事実なのだろう。しかし、それは結局ただの体験談だ。体験談を一般化して、放射線被曝の影響で鼻血が出たと主張することはできない。それは、明らかな「デマ」だ。
同じ節には「チェルノブイリの村で、毎時0.1マイクロシーベルトもあれば、子どもたちは鼻血を出しています」とも書かれている。毎時0.1マイクロシーベルト程度の自然放射線量の場所は世界中にあるし、その程度の低線量被曝が原因で鼻血が出るというのは常識ではまったく考えられない。仮にそんなことがあるとすれば、東電原発事故後の福島ではたくさんの子どもたちが鼻血を出しているはずだ。ところが、あとで見るようにそのような事実は報告されていない。
さらにこの本には「心臓にセシウムがたまって痛むことも」「のどのイガイガ、目のかすみ、下痢、口内炎が多発」といった節があって、母親たちの不安を掻き立てるのに余念がない。鼻血、のどのイガイガ、目のかすみ、下痢、口内炎といったごくありふれた症状をいちいち放射線の影響と言われたのでは、真に受けてしまった母親たちは大変な思いをしたに違いない。いや、過去形ではなく、今も決して少なくはない数の母親たちが野呂の話を真に受けて大変な思いをしているのではないだろうか。
「チェルノブイリへのかけはし」はベラルーシの子どもを日本に呼ぶ活動を長く続けてきた団体だが、東電原発事故以前にはそれほど知られた存在ではなかったはずだ。ところが、子どもの低線量内部被曝の危険を訴えるブログ[20]が放射線影響についての情報を求める人たちの検索にかかったのか、代表の野呂は急速に「被曝の専門家」として名を知られるようになった。4月初め頃からは、全国で母親向けの講演会や健康相談会を精力的に行い、ときにはそれがテレビのニュースで取り上げられてもいる。この活動は、鼻血をはじめとする「放射能デマ」が広まる初期段階で大きな役割を果たしたと思う。
いっぽう、何度も名を挙げた肥田も東電原発事故から1年後の2012年3月に『内部被曝』という本を世に問うている[21]。いわば肥田のそれまでの主張の集大成とでも言うべき本だ。率直に書いてしまうと、この本には「エイズの発祥と拡大も放射線の影響か」などという噴飯ものの節まであり、全体としてまったく信頼に値しない。ただ、野呂の本に比べれば一見科学的に書かれているので、こちらはこちらで真に受けてしまった人たちもいただろう。
中を開くと「私が実際に報告を受けたものでいえば、放射線に敏感な多くの子どもたちに初期の被曝症状が現れています」として、下痢・口内炎・のどの腫れと野呂の本とほとんど同じ症状が例に挙げられている。そして、さらに「多くの母親が心配していたのは子どもの鼻血です。鼻血がずっと続いて止まらない。そのうちに両親にもそんな症状が出てきます」と続く。
以前よりも鼻血を強調している点は少し目を惹く。これはおそらく「鼻血は被曝影響」というデマが広まったせいで実際に鼻血の不安を訴える母親がいたからだ。福島はもちろん、東京、神奈川、静岡、山梨などからそういう相談があるのだという。肥田によれば、「身体の粘膜は、放射線の影響が最初に出る場所のひとつ」で、鼻血や口内炎はその現れということになる。
肥田はこういった症状が内部被曝によるものだと強調する。「内部被曝は外部被曝とまったく違うメカニズムで体を壊し、ほんの少しの量の放射性物質でも、体の内側から長時間にわたって被曝することによって重大な被害を起こす」というのだが、ではその「まったく違うメカニズム」とはどういうものなのか。
残念ながら、この本に書かれているのは、放射線被曝によって細胞内にフリーラジカルが作られ、それが悪さをするということだけだ。これ自体はなんら特殊な主張ではない。むしろ放射線が人体に影響を与える基本的なメカニズムとして広く認められているもので、ここまでなら外部被曝でも内部被曝でも違いはない。さらにいうと、細胞内でフリーラジカルを生成する原因は放射線以外にもさまざまなものが知られている。
そう考えると、低線量内部被曝の危険性をことさらに訴える本書の最大の問題として、放射性カリウムをはじめとする自然放射性物質による内部被曝にひと言も触れていない点が浮かび上がる。カリウム40は多くの食品に含まれ、おとなの場合、誰でも4000ベクレル程度が常に体内にある。これによる低線量の内部被曝が年間約0.2ミリシーベルトあるのだが、これは肥田にとっては「不都合な真実」ではないだろうか。肥田がカリウム40をどのように捉えているかは残念ながらまったくわからない。カリウム40をどう扱っているかは、内部被曝の議論がどの程度まともかを判断するうえでよい材料であることをここでは強調しておきたい。
そんなわけで、ある意味で当然だが、雑誌のインタビューも書籍も登場人物は同じだ。マスコミに現れた「鼻血デマ」をたどると肥田と野呂のふたりに集約されると考えてよさそうだ。野呂は肥田の影響を受けていることを明言しているので、ふたりが挙げる被曝症状が共通しているのも当然だ。彼らが語る被曝の健康影響は僕たちの知っている常識とかけはなれている。ところが、常識に挑戦するにしては、彼らの話にはあまりにもデータがない。ただ印象と体験があるだけだ。
肥田は原爆被爆者の治療にあたったこと、野呂はチェルノブイリ原発事故被災地の子どもを日本に滞在させる保養活動を行ったことで知られ、その理由からマスコミが放射線被曝の専門家扱いしてきた。もちろん、過去の功績は功績でいいのだが、そのため逆に、肥田はすべてを原爆の経験で語り、野呂はすべてをチェルノブイリの経験で語ろうとする。しかし、東電原発事故による放射能汚染の状況は原爆ともチェルノブイリ事故とも違うので、彼らが語る話は日本の現状と大きく乖離している。
さらに、ふたりとも被爆線量の違いについては無視を決め込んでいる。野呂は講演ではっきりと「放射線はあるかないかだ」と言い、どんなに少ない被曝でも内部被曝は危険なのだと強調する。実際には、被曝は「あるかないか」の二者択一でなく、どれくらい被曝したかという「量の問題」が重要なのはよく知られた常識だ。「あるかないか」なのだとすると、前述のカリウム40を含めた自然被曝一般をどう解釈するのだろうか。日本人は自然放射線によって年平均2ミリシーベルト以上の被曝をしているのだが。
被曝で鼻血が出るメカニズム
さて、ここまで「被曝で鼻血」という主張はデマだと断言して進めてきたわけだが、いちおうそのメカニズムについても改めて考えておこう。被曝が原因で鼻血が出るという話は、メカニズムの観点からは大きく三つにわけられる。
ひとつめは短時間の高線量被曝による確定的影響だ。放射線の健康影響には被曝後比較的早く現れる確定的影響と時間が経ってから現れる確率的影響がある。後者は発癌のことだと考えておけばよく、ICRPは将来の発癌リスクが累積被曝線量に比例して増えるというリスクモデル(閾値無し線形モデルと呼ばれる)を採用している。
一方の確定的影響は短時間に大量の被曝をしたときにしか生じない。これには被曝量におうじて、短時間で回復するものから死に至るものまで様々な症状があるが、いずれにしても短時間に少なくとも100ミリシーベルト以上被曝しなければ現れないので、東電原発事故では確定的影響が起きたとは考えられていない。
この場合、鼻だけから出血するというのは考えづらく、からだじゅうのさまざまな粘膜から出血する。確定的影響の中でも命にかかわる可能性がある重篤な部類で、ミリのつかないシーベルト単位の被曝をしたときに起きうる。もちろん、東電原発事故でこのようなことが起きた可能性はまったくない。インターネットでよく「鼻血が出るくらい被曝したら死ぬ」と表現されていたのはこの確定的影響としての出血のことだ。
いっぽう、これまで見たように、肥田は内部被曝による初期症状として下痢や鼻血を挙げる。原爆で直接被爆した人たちだけではなく、原爆後に現地入りしたいわゆる入市被爆の場合にも見られた症状だから内部被曝によるはずだというのが、肥田の推測のほぼ唯一の根拠となっている。肥田は低線量の内部被曝が危険だと強調するわりには被曝線量についてほとんど語らないので話がひどく曖昧なのだが、症状が事実だとすると、常識で考えればこれも低線量ではなく高線量被曝による確定的影響でしかありえない。
また、内部被曝に関しては、東電原発事故後に何人もの医師がインターネットで、甲状腺治療のために大量のヨウ素131を投与して内部被曝させても鼻血は出ないことを指摘している。これから考えても、肥田の主張がおかしいことは間違いない。
三つめは、飛散してきた放射性物質がたまたま鼻に付着し、鼻だけが被曝して鼻血に結びついたというかなり特殊な話だ。これを検討する前に、『美味しんぼ』の中で松井医師が語る説明に触れておこう。これは放射線によって細胞内でフリーラジカルが生成されて悪さをするというだけのもので、マンガの中では特別な説であるかのように描かれているが、前述のとおり放射線影響の基本的メカニズムにすぎない。当然、鼻血を特に説明するものでもない。松井は疲労感もこのフリーラジカルのせいだと推測しているが、それは高線量被曝の場合にしか説明にならない。
松井説では鼻血が説明できないという批判があったのか、『美味しんぼ』が単行本化された際、西尾正道[22]と郷地秀夫[23]の両医師がそれぞれに発表した説が注釈として紹介された。ふたりとも、放射性セシウムを含む不溶性微粒子がつくばで検出されていたことを踏まえて[24]、そのような微粒子が鼻粘膜に付着した可能性があると推測する。西尾は鼻だけではなく、喉の痛みも同じ原因で起きたと想定している。つまり、鼻粘膜や喉の粘膜だけが運悪く高い線量で被曝したと考えるわけだ。ところが、そのような微粒子が飛んだのは2011年3月14日から15日にかけてのことと考えられているので、これでは「特別な期間に生じたかもしれない稀な鼻血だけを説明するメカニズム」にすぎないことに注意しよう。
つまり「非常に稀な可能性として、特別な期間に放射線によって鼻血が出た人がいたかもしれない」という程度の話だ。もちろん、これでは『美味しんぼ』に描かれた鼻血とは時期も状況もまったく違う。万が一そういうことがあり得たとしても、そんな稀なことが主人公の身に(そして、現実の雁屋や田村の身に)起きたとは到底考えられないし、稀なことなのでこれは決して「鼻血が増えた」理由にならない。このメカニズムで鼻血を出した人がどこかにいた可能性はゼロではないのかもしれない。しかし、「可能性はゼロではない」と言う表現は科学的には正しくても、現実には何も言っていないのと同じことだ。このメカニズムについては、正しいか正しくないか以前に、そもそも関係ない話と考えておくべきだろう。
結局、確定的影響なら鼻血だけでは済まないし、逆に鼻血だけで終わるなら特に心配する必要はないはずだ。肥田が言う「低線量被曝の初期症状としての鼻血や下痢」は常識とあまりに違っている。繰り返しになるが、鼻血が出る「当たり前の理由」はいくらでも思いつく。放射線被曝が原因という「ゼロではない程度の可能性」をどれほど考えたところで、「鼻血が増えた」には決してたどりつかない。
そもそも鼻血は増えたのか
実はいちばんだいじなのはメカニズムではない。ほんとうはメカニズムを考えるより先に答えるべき問いがあったはずだ。それは「鼻血はほんとうに増えたのか」だ。「まず屏風から虎を追い出してください」というわけだ。肥田にせよ野呂にせよ、あるいはその他の人たちにせよ、単に個人的な体験や印象で「鼻血が増えた」と言っているだけで、実はそういう基本的な調査をしていない。事実はどうなっていたのだろうか。
「被曝で鼻血」という噂がさまざまなところで聞かれるようになったため、医師などの間で、実際に増えたのかを調べようという動きが起きた。低線量被曝で鼻血が出るというのは常識に照らしてありえないので、本来なら「鼻血は出ただろうけれども、線量から考えて放射線被曝の影響ではない」で済ませてしまってかまわないはずだが、噂もいささか広まりすぎたというところだろう。ここでは、四つの調査を紹介する。
まず、東電原発事故から1年半後の2012年11月に福島県双葉町、宮城県丸森町筆甫地区、滋賀県長浜市木之本町の三地域で、住民の健康状態をアンケートによって調べた調査から[25]。これは津田敏秀ら岡山大学・熊本学園大学・広島大学の研究者によって行われた。実はこの調査結果は「美味しんぼ」単行本版の注釈に引用されて、双葉と丸森で鼻血が多かったと紹介されている。これだけを読むと、あたかも被曝影響が疫学的に検出されたかのような印象を受けてしまうが、実は報告内容はそうではない。
たしかに報告書の結論には「平成 24 年 11 月時点でも様々な症状が双葉町住民では多く、双葉町・丸森町ともに特に多かったのは鼻血であった」と書かれている。ところが、この調査ではそういった症状の原因が被曝なのかあるいはそれ以外のストレスなどによるのかが切り分けられていない。推定被曝線量と鼻血の関連も調べられているのだが、その間に関連は見出されていない。つまり、この結果から被曝影響があるという結論は出せないし、実際、報告書も「被ばくとの関連性を否定できない」としか書いていない。
それでも東北で鼻血が多いという結果は残る。報告書では考察されていないのだが、これが同一期間の三地域での比較調査で、特に比較対象が遠い滋賀県だという点を注意しておきたい。下に紹介する別の調査で見るように、鼻血の発生数には季節変動がある。これは乾燥や花粉や風邪などの影響を示唆するように思える。そうだとすると、実は地域差も無視できないはずだ。滋賀県よりも東北のほうが鼻血が多いという結果は地域差を表している可能性があるにもかかわらず、この調査ではそれが考慮されていないわけだ。
いずれにしても、同一時期で比較すると地域によって鼻血の発生率が違うという以上の結論をこの調査から出すのは無理そうだ。この調査にはもともと「被曝影響」のほうにバイアスがかかっている印象を受けるが、それについてはこれ以上述べない。
いっぽう、そこまで本格的なものではないが、2012年2月に出た『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』 のno.86で、山田真医師が北海道、福島、福岡の小学校の養護教諭に依頼して2011年3月から10月までに鼻血を出した生徒の数を調査した結果が報告されている[26]。これによれば、期間中に鼻血を出した生徒は福岡で多く、福島はむしろいちばん少ないという前述の調査結果とは逆の結果になっている。これは意外な結果としてニュースでも取り上げられた。もっとも、この調査結果でも地域差以上のことは言えないと思う。
「鼻血が増えたかどうか」を知りたいのなら、同一時期の別地域を比較するのではなく、同一地域での推移を見るほうが確実なはずだ。これに答えるものとして、東北大学のHasegawaらのグループが相馬総合病院での新患数の推移を震災の前後4年間について調べた論文がある[27]。調査の主目的は耳鳴りや目眩などさまざまな神経症状で受診する患者数がどう変化したかを知ることで、実際に変化があったことが報告されている。さらにおまけとして、鼻血についても年ごとの新患数を調べた結果があり、年単位で見ると新患は増えていないと結論されている。
日本医事新報2015年10月24日号には、もっと細かく区切った月ごとの患者数調査が掲載されている。これは福島県立医大の松塚崇が、福島県内の三つの病院について、鼻血で受診した人数の変化を調べたものだ[28]。これを見ると、鼻血で病院を受診する人は震災前にも毎月数十人いたことがわかる。つまり、すぐに収まる鼻血がありふれているだけではなく、病院に行くほどの鼻血でさえ確かに珍しくない症状だというわけだ。実のところ、これが鼻血デマを考える上で僕たちが知っておくべきいちばん重要な事実だ。
また、季節変動は大きく、概ね冬から春に患者が多く夏に少ない傾向が見られる。報告では理由を述べていないが、上述のように乾燥・風邪・花粉などの影響が考えられそうだ。そして、震災以前と以後で受診者数に目立った変化はないことが結論されている。仮に変化があったとしても、月ごとの変動に埋もれる程度でしかないという意味だ。松塚は「病院の受診を要する鼻出血は震災前後で変化がなかった」と結論している。
結局、「福島県内で震災後に鼻血が増えた」ことを示す調査結果はなく、「福島県内のいくつかの病院で見るかぎり、震災後にも鼻血による受診者は変化していない」という調査結果は複数ある、というのがここでの結論になる。地域間の比較調査については、地域差が見られたという以上のことは言えないだろう。要するに、原因がなんであれ、震災後に鼻血が増えたと考える根拠はない。仮に震災によるストレスなどが原因で鼻血を出した人がいたとしても、データに現れるほどは増えていないわけだ。
僕たちは何を学ぶのか
鼻血も下痢もごくありふれた症状で、さまざまな原因で起きうる。大震災後の緊迫した状況では、粉塵やストレスも原因になるだろう。もちろん季節の影響も考えられる。そういう「当たり前の原因」がいくらでもあるのに対して、低線量の放射線被曝で鼻血や下痢が起きるという説は常識とあまりにかけはなれている。それだけで充分に「鼻血の原因は放射線被曝ではない」と断言できる。当たり前の原因があるのなら、どれほどつまらなかろうと、それが正解だ。
残念ながら、その「被曝影響の常識」を知らないために、あるいは「当たり前の原因」にどうしても納得できないために、子供の鼻血で不安を抱いた人たちが少なからずいたし、今もいるに違いない。もちろん、鼻血がさらに悪い影響の前兆だと考えるからこそ不安になるのだろう。そのような「鼻血はより悪いできごとの前触れ」という印象を作り出したのは、野呂や肥田のような人たちが語った言葉であり、彼らを専門家扱いしてきたさまざまなメディアだった。彼らの言葉をよく読んでみれば、個人的な体験談と印象ばかりで、根拠らしい根拠は書かれていないことがわかるはずだ。
ここまで、これだけの分量を費やして敢えて鼻血デマを語ってきたのは、これが「放射能デマ」のひとつの典型と考えられるからだ。鼻血問題自体はつまらないものでも、ここから放射能デマの作られ方や見分け方について学ぶことはできる。
たとえば、放射能デマはごくありふれたできごとを放射線の影響だと主張する。ありふれたできごとなのだから起きて当たり前だ。デマは印象操作によって作られている。根拠は個人的な印象や体験談だけだ。あるいは、偏った人たちを集めれば偏った報告が得られることもわかる。「チェルノブイリではこうだった」よりもチェルノブイリと何が違うかのほうが重要だ。被曝線量に触れずに放射線の健康影響を語っている人がいるなら、その人の話は信頼に値しない。現象が起きているかどうかを確認する前にメカニズムの議論をしてしまうのも、さまざまな問題で見かける典型的な誤りだ。他にもいろいろ学べるに違いない。それは鼻血以外の問題にも応用できるはずだ。
鼻血の話のオチは「鼻血が増えたことを示すデータはない」だった。木を見る前に森を見よ、ということだと思う。教訓はどこにでも転がっている。
参考文献
[1] 「ロンブー淳 原発問題。都合の悪い歴史こそ残そう」(日刊スポーツ2016年1月9日)
[2] 「ロンブー田村淳 謝罪 訂正 そして伝えたいこと」(日刊スポーツ2016年1月16日)
[3] 雁屋哲・花咲アキラ「美味しんぼ(604話)」(2014,ビッグコミックスピリッツ22・23合併号, 小学館)
[4] 「小学館発行『スピリッツ』の『美味しんぼ』(第604話)に関する抗議について(双葉町 2014年5月7日)
[5] 「放射性物質対策に関する不安の声について」(環境省 2014年5月13日)
[6] 「美味しんぼ福島の真実編に寄せられたご批判とご意見」(2014,ビッグコミックスピリッツ25号, 小学館)
[7] 雁屋哲・花咲アキラ『美味しんぼ(111)』(2014,小学館)
[8] 児玉一八・清水修二・野口邦和『放射線被曝の理科・社会』(2014,かもがわ出版)
[9] たとえば http://www.okayama-u.ac.jp/user/jibika-1/sub3.html#04
[10] 岡本康裕「こどもの鼻血」
[11] 「最初は下痢、ぶらぶら病、出血そして老化へ」(2011, 週刊文春5月26日号, 文藝春秋)
[12] 肥田舜太郎・鎌仲ひとみ『内部被曝の脅威』(2005,ちくま新書)
[13] 「フクシマの人たちよ、この症状が出たら要注意」(2011, 週刊現代6月11日号, 講談社)
[14] https://www.youtube.com/watch?v=59l5caWjCe0
[15] 「原発50キロ 福島・郡山は今」(東京新聞2011年6月16日)
[16] 野呂美加『チェルノブイリから学んだ お母さんのための放射能対策Book』(2011, 学陽書房)
[17] 野呂美加『子どもたちを内部被ばくから守るために親が出来る30のこと』(2011, 筑摩書房)
[18] 野呂美加『放射能の中で生きる、母たちへ』 (2011, 美術出版社)
[19] たとえば https://www.youtube.com/watch?v=61n0vh6pln0
[20] チェルノブイリへのかけはし公式ブログ
[21] 肥田舜太郎『内部被曝』(2012, 扶桑社新書)
[22] 西尾正道「鼻血論争について」
[23] 「福島の鼻血「内部被曝」か 神戸の医師、学会で発表」(2014, 神戸新聞7月14日)
[24] K.Adachi et al. “Emission of spherical cesium-bearing particles from an early stage of the Fukushima nuclear accident”(2013, Scientific Reports所収, DOI:10.1038/srep02554 )
[25] 「低レベル放射線曝露と自覚症状・疾病罹患の関連に関する疫学調査」 http://www.saflan.jp/info/870
[26] 山田真 「お母さん・お父さんのためのこども治療学25」(2012, 『ちいさい・おおきい・よわい・つよい no.86』所収、ジャパンマシニスト社)なお、同じデータは[6]でも紹介されている
[27] J. Hasegawa et al. “Change in and Long-Term Investigation of Neuro-Otologic Disorders in Disaster-Stricken Fukushima Prefecture: Retrospective Cohort Study before and after the Great East Japan Earthquake” (2015, PLOS ONE所収, DOI:10.1371/journal.pone.0122631 )
[28] 松塚崇「震災後の福島を見つめる – 耳鼻咽喉科医の立場で -」(2015, 「週刊日本医事新報」10.24号所収, 日本医事新報社)
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プロフィール
小峰公子
福島県生まれ。1991年にkarakというユニットで キングレコードよりデビューし3枚のアルバムをリリース。ZABADAKとデビュー当時より活動を共にし、作詩とヴォーカルを担当。コンセプチュアルワークやアートディレクションにも参加していたが2011年に正式メンバーとなる。TVCMは200曲以上、アニメやゲーム、TV番組、演劇作品などへの詩や歌唱の提供も数多い。2014年3月に、物理学者・菊池誠氏、漫画家・おかざき真里氏との共著『いちから聞きたい放射線のほんとう~いま知っておきたい22の話』(筑摩書房)を刊行。
菊池誠
大阪大学サイバーメディアセンター教授。1958年生まれ。専門は統計物理学・計算物理学。テルミンという怪しい電子楽器も弾く。著書に『科学と神秘のあいだ』(筑摩書房)、『おかしな科学』(渋谷研究所Xと共著、楽工社)、『信じぬ者は救われる』(香山リカと共著、かもがわ出版)、訳書に『ニックとグリマング』『メアリと巨人』(ともにフィリップ・K・ディック、筑摩書房、後者は細美遥子と共訳)などがある。