科学技術は軍事技術から切り離せるか

「防衛のため」ならいい?

 

――今回の議論では、防衛装備の研究であれば参加していいのではなないかという意見もあります。

 

最近のように、北朝鮮が核兵器や長距離ミサイル技術の性能を向上させていると報道され、また中国も防衛能力を高めていると聞けば、日本の防衛力は大丈夫か、もっと防衛費を増やし、軍事研究を促進すべきではないか、という気持ちに駆り立てられるのは当然だと思っています。結果として、攻撃的な兵器開発には反対でも、防衛のための兵器開発ならよいのではないかと思い悩むことはごく自然な流れです。

 

戦争を目的とする研究を否定する理念には賛成するし、軍事研究が学術の健全な発展を妨害するかもしれないことは承知している。しかしそれは、防衛力を向上させるための研究が必要でないという理由にはならない。そうした議論も可能だと思います。

 

あるいは、防衛目的の研究は、攻撃的な兵器開発ではないのだから軍事研究とは別に考えて、安全保障技術という名前にでもして研究すればよいのではないか、という意見もあるかと思います。

 

 

――防衛目的であれば、戦争を目的とする研究には入らないと言えるのでしょうか。

 

防衛技術と攻撃技術の区別が可能かという視点で考えると、事情は複雑です。事例で考えて見ましょう。例えば原爆は、攻撃ではなく防御の目的を持ってアメリカで開発されました。原爆開発を進言した物理学者のシラードは、ナチスドイツが原爆開発計画をスタートさせるという恐怖から、ドイツが先に原爆を開発して使用することがないように、先に開発すべきであると考えたようです。あくまで抑止、防衛が動機だったのです。

 

第二次大戦中に開発された、電波を利用して敵航空機の接近を探知するレーダーの開発の場合も示唆的です。敵が接近することを知る機能(探知機能)は防衛的と言えますが、レーダーには相手までの距離を正確に測定できる機能(測距機能)があり、これは先制攻撃の手段に使われます。このように、防衛か攻撃かを兵器そのもので区別することは困難で、運用で決まると考えた方がよさそうです。

 

 

――「防衛目的」と位置づけることが難しいのですね。

 

科学技術の両義性は、攻撃・防御だけではありません。確かに、防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」という名前からも分かるように、この場合の安全保障技術は防衛装備と同義語です。日本学術会議が、今年3月初めに公表した「中間取りまとめ」では、「軍事的安全保障研究」という表現でその性格を表しています。

 

しかし一方で、日本の科学技術政策やイノベーション政策の中枢機能を果たしている、総合科学技術・イノベーション会議は昨年、「安全保障に資する可能性がある研究開発」を目指し、自然災害やウィルス感染の拡大、テロに備えた装備・技術などを想定した研究開発を推進すると宣言しました。そして、これらの技術開発では、防衛省の協力が必要な技術、さらには実際に運用する場面が想定される自衛隊の協力が不可欠であるとして、防衛省や防衛産業界からの協力を求めています。

 

つまり、自然災害対策などに用いる技術の開発を行う際に、軍事技術と共通する技術を活用する必要があるのではないかという考えです。政府の方針では、これらを軍民両用技術(デュアル・ユース技術)という言葉で呼んでいます。

 

軍事的な技術ではなく、こうした自然災害などからの防衛技術ということならば、攻撃的な技術との区別が成り立つのではないかという問い立てがあるかもしれません。当然、災害予防に関わる安全保障技術の開発は必要なことです。新型インフルエンザや、さらに危険なウィルス感染に対抗するための技術は科学技術の平和利用といえるでしょう。しかし、こうしたウィルス等の感染力に関わる研究は、生物兵器への対策に止まらず、効果的な生物兵器そのものの開発に使われる可能性があり、実際にそうした懸念が指摘されています。

 

ここでも、技術や研究の側からは区別を付けることは困難で、何を開発しようとしているのかという目的、どのように使おうとしているのかという運用方法で区別するほかはありません。

 

防衛や安全保障のための技術が、いかに攻撃技術と密接に関わっているか、関わる可能性があるのかを考えると、防衛目的の研究は戦争のための研究ではないという議論は、想像以上に複雑かもしれません。

 

 

揺れる軍備と科学技術の関係

 

――安全保障技術研究推進制度の開始を受けて、日本学術会議では理念の見直しも含めて検討されていると聞きました。こうした議論を呼び起こす制度が今現れている理由は何だとお考えですか。

 

安全保障技術研究推進制度が登場した背景には、北朝鮮の核開発やミサイル開発など、近年の防衛環境の悪化があるとする見解もありますが、私の判断では、より長期的な変化の結果だと思っています。防衛装備開発に関わる新たな制度が登場するには、20年ほど前からの取り組みがあったと思うからです。

 

例えば、今回の安全保障技術研究推進制度は、2014年6月に閣議決定された『防衛生産・技術基盤戦略』に基づき検討が始まりましたが、こうした検討が実施された背景には、1989年の冷戦終結後の軍需産業界の再編の動きがあります。冷戦後、アメリカでは大幅な軍事費の削減や、一方で2000年代にはハイテク兵器の開発など、産業の再編が進みました。次第に日本にもその影響が及んだのです。

 

 

――具体的にはどのような経緯で今回の安全保障技術研究推進制度に至ったのでしょうか。

 

日本における軍事研究に関わる最初の変化は、先にも紹介した、1995年5月に経団連が提示した「新時代に対応した防衛力整備計画の策定を望む」という提言です。アメリカの防衛産業においても防衛費削減のもと再編が進む中で、日本の防衛産業について、「防衛生産・技術基盤が一旦崩壊すると、その再構築には多大な時間と経済的コストが必要になる」、それゆえ、日本政府としては、防衛予算の単純な削減に動くのではなく、基盤の維持・強化のための施策を実施すべきだとして、長期的な視野に立った防衛技術戦略の策定を政府に求めました。これは、2016年の『防衛技術戦略』を登場させる最初の提言といえます。

 

さらに2004年の経団連による提言では、「わが国では、従来、防衛技術と民生技術は、政策上、別個のものとして扱われがちであったが、今後は、防衛、民生を含めた広範囲の総合的な科学技術の向上とフレキシブルな対応能力の涵養」が必要であると述べ、軍事技術と民生技術をフレキシブルに扱う提言や、「防衛関連技術をタブー視することなく、安心・安全に関する技術開発のあり方やそのための資源配分のありかた、技術安全保障に関する方針などについて十分な議論が行われる必要がある」と、科学技術基本計画の中に防衛技術開発を加えることも提言しています。その後はより具体的な形で軍事技術に民生技術を取り込む必要性、科学技術政策に軍事技術に転用できる両用技術開発を加える必要性など、すでにアメリカで進められていた軍民融合という路線を提言してきました。

 

また、2014年11月にはアメリカが「国防イノベーション構想」で、防衛技術における技術的優位性を確保することで、相手の能力を相殺するという「第3のオフセット戦略」を示しました。以後の軍事研究は、こうした動きも取り入れ、防衛技術における「技術的優越の確保」と、優れた防衛装備品の「効果的・効率的な創製」という方針に結びついていきます。アメリカや中国は、軍における「ゲーム・チェンジャー」となりうる最先端の軍事技術をいち早く保有するため、研究開発に注力しています。こうした背景を受けて、日本でもこのゲーム・チェンジャーの開発競争に遅れをとらぬよう、軍事研究推進の動きに拍車がかかった側面があるでしょう。

 

 

――短期的な対外的安全保障に対する懸念だけではなく、冷戦以後の長期的なコンテクストで読み解く必要性があるのですね。

 

ええ。物事の登場には、歴史的なバックグラウンドがあります。なぜその事象が生じたのかを考えるとき、そうした長期的な文脈を振り返っておくことは、事態を冷静に分析するために必要ではないかと思います。

 

 

開発した技術の責任を背負う

 

――防衛省への資金面での依存が高まると、研究の自主性・自立性が損なわれるという懸念の声も聞きますが、なぜ学術研究は軍事研究から自立していなければならないのでしょうか。

 

大前提として、学術の健全な発展のためには、研究の自主性・自立性が欠かせない、ということがあります。人類のこれまでの科学知識の発展は、人々が知恵を出し合い、批判的な討論を重ねてきたことでもたらされたものです。閉鎖された集団、管理された集団、批判が許されない集団では、長期的にみた場合に、学問の発展、科学の発展が停滞してしまう。これは科学史の事例からも指摘できます。

 

軍事研究を進展させる手法として、目的基礎研究があることに触れましたが、目的基礎研究では研究に関わる科学者に対して進捗管理が行われる場合があります。これは短期間で結論を出して目標の実現に向う目的基礎研究のようなプロジェクト型研究には有効な手段ですが、同時に科学者の自主性や自立性に制限を加え、科学技術発展のための弊害になることも懸念されます。

 

アメリカの科学史家であるスチュワート W. レズリーは、その著『冷戦とアメリカ科学』(1993年)のなかで、科学者が軍事研究を目的とした政府と契約することで、軍事研究への関心が、幅広い知的好奇心に取って代わることの弊害を論じています。こうした懸念は、軍事研究を大規模に進めるアメリカ政府でも認識されており、冷戦期の核軍拡競争の時代においても、軍事研究を行う大学の研究施設を通常の大学キャンパスから切り離すなど、軍事研究の弊害を最小にする対策を取っているといいます。

 

 

――自由に発想し、批評できる環境こそが、科学技術の発展には欠かせないのですね。

 

その通りです。ただ、自由、自主性・自立性といっても、それは勝手気ままな権利ではありません。むしろ厳しい責任を科学者自身が背負うことを意味します。しかし今現在、すべての科学者がこうした厳しい責任を自覚しているのかといえば、その答えはノーと言わざるを得ません。

 

それでも現在、日本学術会議などが中心となって、科学者の自主性・自立性を踏まえて、研究者倫理、研究に関するガイドラインを作っています。法律による規制が整っていない問題でも、研究費の不適切な使用を防ぎ、研究データの捏造や不適切な流用などを防止する対策を、社会からの厳しい視線を自覚することで、科学者が作り出しています。

 

今回の軍事研究の問題の場合を、この研究者倫理の問題として考えると、結果責任を科学者が背負うことなのだと考えています。ロボット開発での結果責任を考えてみます。少し古い例になりますが、私の世代にとってロボットと言えば、鉄人28号、鉄腕アトムでした。さらに鉄腕アトムに登場するプルートゥを加えて、3種類のロボットを次にように分類してみましょう。鉄人28号は、テレビ番組で使われた歌にも出て来る、「敵に渡すな大事なリモコン」というように、使用者によって、「正義の味方」にも「悪魔のてさき」にもなります。一方、鉄腕アトムの歌詞には、「心ただし ラララ科学の子」とあるように、最初から正義の味方となっています。プルートゥはとりあえず、悪魔のてさきとさせてもらいましょう。

 

これからのロボットを開発する科学者が結果責任を負う必要があるとすれば、鉄人28号ではなく鉄腕アトムを生み出すように努力しなければならないということではないでしょうか。自分の研究が、その後にどのような物に転用されるのかは、科学者の責任ではないという態度は、鉄人28号を作りあげることと似ているからです。

 

科学者が果たすべき結果責任とはどのようなものなのか。こうした結果責任を科学者が自ら考え、背負うことを避けるならば、科学者は、社会からの特権とも言いえる、自主性・自立性をもつ資格を失うのではないかと思います。

 

 

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