出生前診断について考える

今春、妊婦の血液検査だけで、胎児にダウン症をはじめとする3種類の染色体の変化があるかどうかを調べる出生前検査が始まった。「無侵襲的出生前遺伝学的検査(NIPT)」、「母体血中胎児DNA検査」、「母体血を用いた出生前遺伝学的検査」、あるいは端的に「新型出生前検査」と呼ばれている検査である。

 

また、現在、一部の不妊クリニックでは、体外受精・胚移植の際に、新たな解析方法を用いてすべての染色体の変異の有無を調べ、「正常」とされる受精卵だけを子宮に戻す受精卵診断(受精卵の着床前診断)が行われ始めている。網羅的な遺伝学的検査技術の登場に伴って、新しい命を迎える医療現場で、今、何が始まっているのだろうか。

 

 

「新型出生前検査」とは

 

妊婦の血液に含まれる胎児由来の物質を用いて、出生前診断を行おうとする試みが始まって久しい。母親の血液中に微量の胎児細胞が存在することが最初に報告されたのは19世紀末に遡る。1980年代後半になって、PCR法やFISH法といった高感度な遺伝子分析法が利用できるようになり、母親の血液中の胎児細胞、とくに胎児の有核赤血球だけを集めて出生前診断を行う研究が進められたが、現在のところ、実用化には至っていない。

 

一方、1997年に、妊婦の血漿中に胎児のDNAの破片がただよっていることが明らかにされ(*1)、これ以降、この胎児DNA断片を出生前診断に用いる方策がさまざまに試みられた。2008年には、遺伝子を高速で解析できる次世代シーケンサーを用いて、胎児および母親由来の約1000万個のDNA断片を網羅的に調べてどの染色体のものかを確認し、21番染色体由来のDNA断片の量的な変化を評価することで染色体の数的異常を診断する方法が開発された。2011年10月には、米国の検査会社「シーケノム社」が、ダウン症(21トリソミー)を対象とした検査を開始し、2012年3月に18トリソミー、13トリソミーの検査も開始された。シーケノム社以外にも、米国および中国の検査会社数社が受注を開始し、米国、中国をはじめドイツやフランスなどヨーロッパの数か国でも実施されている。

 

(*1)Lo YM, Corbetta N, Chamberlain PF, et al., 1997, “Presence of fetal DNA in maternal plasma and serum” Lancet,350:485-487.

 

これまでも、より早い時期に、侵襲が少なく安全で、より精確な診断を得るべくさまざまな出生前検査法が開発されてきたが、確定的な結果を得ようとすれば、診断時期も遅く、母子に対し侵襲的にならざるをえないというジレンマを抱えてきた。この新型検査は、血液採取だけという簡易さに加えて、妊娠10週からという早期に、流産等の心配もなく、相当の精度で胎児の染色体変異の有無が分かるとされている。

 

 

新型出生前検査の導入をめぐって

 

日本でも、専門家らのあいだで、この新型検査の海外での動向が注目された。そして、「いずれ、国内に導入されるのは不可避」と考えた遺伝医療関係者らは、営利目的の業者が介入する前に「カウンセリング体制の整った施設で臨床研究を進め、一定の歯止めをかけたい」として、共同研究組織(NIPTコンソーシアム)を発足させ準備を進めていた。

 

2012年8月29日の新聞各紙は「妊婦血液でダウン症診断 精度99%」との大見出しで、妊婦の血液だけでダウン症かどうかがわかる検査が、国立成育医療研究センターや昭和大学などで来月にも開始されると大きく報じた(『読売新聞』2012.8.29ほか)。同時に、「新しい検査法は採血だけで、流産の心配もない。検査を受け安易に中絶を選ぶ人も増えかねない」(『朝日新聞』2012.9.1)といった懸念も示された。

 

新型出生前検査の臨床への導入が報じられると、多くの障害者団体や女性団体が異議や反対を表明した。「日本ダウン症協会」は、日本産科婦人科学会(以下、日産婦)への「要望」で、「出生前検査・診断がマススクリーニングとして一般化することや、安易に行われることに断固反対」であり、新型検査が「高精度で、一般の検査同様に、血液検査で同じようにできるからといって妊婦に紹介されたり実施されたりすること」に強く異議を申し立てた(*2)。

 

(*2)日本ダウン症協会、「遺伝子検査に関する指針作成についての要望」(日産婦あて 2012年8月27日付)http://www.jdss.or.jp/info/201208/youbou.pdf

 

「DPI(障害者インターナショナル)女性障害者ネットワーク」は、本検査の実施は「障害をもつことそれ自体が否定されるような不安を抱きました。“障害”が生まれる前に検査対象になる、そんな社会のまなざしは、自分を大切に思う気持ちを深く傷つけます」と述べて、新型検査の導入は、染色体に変化をもつ人のみならず、他の障害をもって暮らす人々をも無力化すると主張した。

 

また、2006年国連総会による「障害者権利条約」の採択以降、心身の機能が他の人と違うことが「障害」になるかどうかは社会の側の問題であるという認識が定着し、社会の側が変わろうとしている。にもかかわらず、「胎児の特性によって産むか産まないかの選択がなされるとすれば、障害を個人の問題に押し戻し」、これに逆行するのではないかと主張した(*3)。

 

(*3)DPI女性障害者ネットワーク、「出生前診断に対するDPI女性障害者ネットワークの意見」(2012年9月24日)http://dpiwomennet.choumusubi.com/syuseiiken.pdf

 

また、産むか産まないかを国家が管理・強要する人口政策に反対し、女性の選択権を主張してきた女性団体「SOSHIREN女(わたし)のからだから」も、現在、出生前検査によって生じている事態は選択の幅の拡大ではないとして、新型検査の導入は避けるべきだと主張した。妊婦やパートナーの選択を支えるカウンセリングの重要性ばかりが強調される論調に対しても、「それでは、問題を妊娠・出産する個人の領域に押し込めてしまう」と危惧する。

 

検査技術が開発・実施される背景には、障害に対する社会的偏見と障害者への社会的サービスや支援が不足している現実がある。このような現状で検査が導入されれば、障害をもつ子を産んだ母親は「なぜ、検査を受けなかったのか?」という視線に曝されるようになり、そうした視線が、これから子どもが欲しいと思う人たちに、障害をもつ子の出産を断念させる圧力となると憂慮し、「これでは、リプロダクティブ・ライツの重要な一部である、どんな状態の子どもでも安心して妊娠・出産する権利を侵害」すると訴えた。

 

(*4)SOSHIREN女(わたし)のからだから、「新型出生前診断に関する意見」(日産婦あて 2012年10月18日)http://www.soshiren.org/shiryou/20121018.html

 

日産婦は、外部委員も含む「検討委員会」を立ち上げ、11月中旬には公開シンポジウムを開催した。12月中旬には指針案を提示してパブリックコメントを募集、200件以上の意見が寄せられた。

 

2013年3月9日、日産婦は「母体血を用いた新しい出生前遺伝学的検査に関する指針」(以下、「指針」)を発表した。「指針」は、冒頭で、簡便さを理由に本検査が広く普及すると「染色体数的異常胎児の出生の排除、さらには、染色体数的異常を有する者の生命の否定へとつながりかねない」との懸念を示した。そして、新型検査の実施は、「十分な遺伝カウンセリングの提供が可能な限られた施設において、限定的に行われるにとどめるべきである」として、日本医学会に新設する「認定・登録委員会」で審査し認定を行うとした。また、マススクリーニングとして行われないためにも「本検査を行う対象は客観的な理由を有する妊婦に限るべきである」と述べて検査対象を限定している(*5)。

 

(*5)日本産科婦人科学会、「母体血を用いた新しい出生前遺伝学的検査に関する指針」http://www.jsog.or.jp/news/pdf/guidelineForNIPT_20130309.pdf

 

「指針」の発表と同時に、日産婦に加えて、日本医師会、日本医学会、日本産婦人科医会、日本人類遺伝学会が、本検査は、臨床研究として認定・登録された施設において慎重に開始されるべきとする共同声明を発表した。厚生労働省も、「指針」を周知するよう求める通達を出した。4月1日には、日本医学会が実施施設として認定した医療機関を公表し、新型出生前診断が全国で開始された。

 

以上の経緯を見る限り、十分とはいえないまでも、手順を踏んだ上での慎重な導入のように見える。だが、新型出生前検査は、以下に述べるように、産むこと、生れることの意味に大きな変更を迫る質と、さらなる拡張に向かうポテンシャルをもっている。いかに慎重な身振りを伴っていようとも、本検査の臨床現場への導入によって、わたしたちの社会は、曲がり角を曲がったと言わざるをえない。

 

 

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