2014.03.28

STAP細胞の問題はどうして起きたのか

片瀬久美子 サイエンスライター

科学 #STAP#小保方

STAP細胞は、画期的な発見として一月末に大々的に発表され、研究者のキャラクターも話題となりメディアに盛んに取り上げられました。ノーベル賞級の発見だとして世間が熱狂ムードにある中、私は違和感を感じ、次のようにツイッターでつぶやきました。

「STAP細胞の研究についての色々な意見を見て思ったのですが、論文の共著者に有名な研究者の名前があるからきっと信用できるだろうという意見が散見されました。共著者に著名な研究者がいるかどうかではなくて論文の中身で判断しないと危ういです。過去の捏造問題から何も学んでいないことになります[*1]」(2014年1月30日)

論文公表直後から、再現できないという報告が相次ぎ、「小保方さんが自分でも意識していないコツがあるのではないか?」「成功に必要な手順が特許の関係で隠されているのではないか?」などという憶測がなされ始めました。残念ながらその後、STAP細胞の論文に多くの疑惑が発覚して、今ではSTAP細胞の存在すら疑われる状況になってしまいました。こうして原稿を書いている間にも、次々と新しい事実が判明してきており、STAP細胞は本当に存在するのか? という疑惑がどんどん深まってきています。

どうして、この様なことになってしまったのでしょう?

今回の件で浮かび上がってきた問題のうち、重要だと思われるポイントを取り上げます。

[*1] https://twitter.com/kumikokatase/status/428754254258388993

杜撰だった大学院教育

研究者は実験サンプルやデータ、それらを記録した実験ノートは簡単に捨てられないし、整理して大切に保管するものです。研究資料の管理は指導教官から指導される基本事項でもあり、データの保管と整理ができずに、論文などで肝心のデータを間違える様なことをすれば、その人の研究そのものが信頼できなくなってしまいます。

Nature論文でSTAP細胞の多能性を示した重要なデータは、小保方氏の博士論文で使われていた別の細胞由来だと説明されている組織画像と同じものと判明しました。これについて、小保方氏は間違って使用したと説明しています。

また、STAP細胞が分化したリンパ球から作られたことを示したDNA電気泳動画像には、切り貼りの操作がされていました。これも小保方氏は認めており、こうした切り貼り操作は、やってはいけない事だと知らずに行ってしまったとのことです。

研究不正には、特に悪質なものとして捏造(fabrication) ・改ざん(falsification)・剽窃(plagiarism)の3つがあり、略してFFPと呼ばれています。

不注意による間違えではなく、故意による操作が入るほど悪質性が高くなります。DNA電気泳動画像の切り貼りは、故意に操作しないとできません。また、多能性を示した組織画像についても、博士論文の画像の文字の部分を黒い四角で塗りつぶしてその上から新たに文字を書き入れており、これも故意の操作がされています。いずれも、STAP細胞の特徴である「分化した細胞から作られた証拠」と「多能性の証拠」となる最も重要なデータで、これらに不適切な画像が使用されていた事は、論文全体の信頼性を大きく損なっています。

また、STAP細胞の論文の中で実験方法を書いた部分に、他の研究者の論文からの剽窃も見つかりました。

STAP細胞の論文とは別に、小保方氏の博士論文にも大量の剽窃が見つかっています。また、彼女の出身大学では、他の研究室の人達も含めて多数の人の博士論文に同様な剽窃が見つかっています。これは指導教官の問題であり、論文の書き方の指導を受けなかった学生達が気の毒でもあります。

小保方氏の博士論文の元になったTISSUE ENGINEERING: Part Aに掲載された論文(筆頭著者は小保方氏、責任著者はハーバード大学教授チャールズ・バカンティー氏)でも、複数のPCRバンド画像の「重複」が見つかり、今年3月13日に訂正(Erratum)が出されました。この様な数々の不適切な行為が見逃されてきたのは、周囲の指導的な立場にいた人達の問題でもあります。STAP細胞論文の共著者でもあり、バカンティー氏の研究グループに所属する小島宏司氏にも過去の論文で複数の不適切な画像の使い回しが指摘されています。

問題の多い論文が、どうしてNature誌に掲載されたのか?

科学誌での論文査読(同じ分野の研究者による論文掲載の可否の審査)は、主に内容に整合性があるか等のチェックを行った上で、内容のレベルや話題性などを判断して掲載するかどうか決定されます。不正がある前提で査読されないので、不正のチェックとしては機能していません。また、再現性があるかどうか実際に実験して確かめるという再現性の検証は論文査読の段階では行われません。

STAP細胞の論文で切り貼りが確認されたDNA電気泳動の画像は、注意深く見れば不自然さが分かるものでしたが、査読では見落とされていました。

また、共著者に権威のある研究者がいるかどうかでも査読の通りやすさが違ってきます。

STAP細胞の論文がNatureに掲載されたのも、笹井芳樹氏・丹羽仁史氏・若山照彦氏というこの分野では実績と権威のある3名が含まれていたことも大きかったと考えられます。 バカンティー氏は幹細胞研究では主流の人ではなく、その分野での信頼性は上記3名の方が上です。

客観的に比較するために、STAP細胞論文を投稿する前の主要科学誌の掲載論文数[総説も含む]と論文の最高引用数を調べてみました。Nature誌に掲載された論文の数は、笹井氏8本、丹羽氏1本、若山氏3本、バカンティー氏0本。Science誌に掲載された論文の数は、笹井氏0本、丹羽氏0本、若山氏2本、バカンティー氏0本。Cell誌に掲載された論文の数は、笹井氏6本、丹羽氏2本、若山氏1本、バカンティー氏0本(主要3誌の合計論文数は、笹井氏14本、丹羽氏3本、若山氏6本、バカンティー氏0本)。

論文の最高引用数(Google Scholarより)は、笹井氏1133回、丹羽氏3965回、若山氏2719回、バカンティー氏595回でした(595回引用されたバカンティー氏の論文は、背中にヒトの耳が生えている様に見えるネズミを牛の軟骨細胞を使って作ったという論文で、「バカンティマウス」として知られていますが、幹細胞研究分野のものではありません)。

これらをまとめたのが次の表です。

業績比較-改

2012年にNatureに投稿して「過去何百年にも及ぶ細胞生物学の歴史を愚弄している」と言われ受理されなかったと小保方氏が話している論文では、笹井氏・丹羽氏は共著者に入っていませんでした。

再現性への軽視が生んだ「スター研究者」

STAP細胞の研究を進めていく過程で、「再現性」が軽視されていた事は、大きな問題だと捉えています。「再現性」というのは、他の誰でも同じ結果を出すことができるというもので、客観性を担保する上で重要となります。科学の手続きの中でも結果の信頼性を保証する大事な項目です。

しかし、若山氏が(理研に在籍している時に)小保方氏に教わって一度成功した他は、STAP細胞は小保方氏しか作ることができませんでした。Natureに論文を出すくらい自信があり、権威とされる人達が共著者にいるのですから、何重にも確認してから投稿したものと多くの人達は思っていましたが、実際には、理研の組織内では追試が積極的に行われずに「小保方氏の関与なしには再現できない」という「再現性が欠落」したまま突き進んでしまっていました。

人間の心理には「確証バイアス」というクセがあります。ある事を信じてしまうと、それに反する事が出てきても軽視しやすくなる傾向を持っています。科学の手法はこうした心理的な弱点を排除しながら洗練されてきましたが、今回の件ではSTAP細胞を見出したという研究成果を確かめる追試をしていたのは若山氏しかいませんでした(しかも成功したのは一度だけで、小保方氏と一緒にやっています)。

「再現性」は、別の人が独立して行っても同じ結果が得られないと成立しません。若山氏は理研から山梨大学に移った後で追試を繰り返しましたが一度も成功しておらず、厳密な意味での「再現性」は、まだ確認されていません(注:STAP細胞の再現性の確認は、多能性を示す実験とマウス作成までの一連の追試に成功しないと、再現できたとは言えません)。

理研は追試を他の研究員にも奨励した方が良かったのではないか思います。もし追試をする事が小保方氏を疑う様でやりにくいという遠慮があったのであれば、そうした雰囲気は自由な検証を妨げるもので、科学研究の場として問題があります。

科学として成立する大事な条件の1つである「再現性」の軽視は、「未熟な研究者」を「優秀な研究者」だと誤認させた原因ともなっています。STAP細胞の研究では小保方氏の実験に「再現性がない」ことが、他の人にはできない事を難なくやり遂げる飛び抜けた才能を持つ人としてすり替えられてしまい、逆に「優秀な研究者」だとして重宝させてしまったのではないでしょうか。ハーバード大のバカンティー教授も、自説を証明してくれた小保方氏のSTAP細胞の発見を手放しで喜んで高く評価していました。

これは、特殊な事例なのか?

組織内でのチェックが不十分であったこと、問題発覚後の理研の対応が後手後手に回ってしまった事などは、すでに他の多くの人達からも指摘されています。ここでは、

1.教育の不備

2.権威のある共同研究者の名前で信用されてしまう

3.科学の手続きで大事な「再現性」の確認が軽視されがちである

以上3つのポイントについて取り上げましたが、これらは理研以外の研究機関でも共通して起きる可能性があります。

これらの科学の実践に関わる問題の中、3番目の「再現性」が軽視されてきた背景として、最先端の研究では特殊な装置が必要であったり、追試だけに終わる研究は評価され難いという問題の側面があります。また、複数の研究者で分業して研究をするケースが増えていることで、全ての実験を把握することが難しくなってきている状況もあります。

しかし、STAP細胞の場合は、その研究室にしかない特殊な実験装置は必要なく、その分野の人なら誰でも追試に挑戦できたにも関わらず「小保方氏しかできない」という不自然な状況でした。

過去の捏造問題を振り返ると、他の人ができない実験を難なくやりこなす「黄金の腕」「神の手」等と賞賛された「凄腕の研究者」が実は不正を行っていたというケースが、しばしば社会を騒がせる大事件に発展しています。

興味のある方は、ジョン・ロング事件(1979年)、マーク・スペクター事件(1981年)、ヘンドリック・シェーン事件(2002年)などを調べてみて下さい。

これらの事件との類似性は、STAP細胞の問題が一通り明らかになってから、記事として改めてまとめたいと考えています。

上述した問題の3つのポイントの共通点は、身近な人達の間で防ぐことができたのに、それができなかったということです。問題が深刻化する前に、何度も周囲が気付くチャンスがあったのに、それがずっと見過ごされてきたのです。自分の事だけに関心があり、隣の人が何をしているのかは無関心で、互いに干渉するのを避けていたのではないでしょうか。大学院生の博士論文の剽窃などは、研究室の中で気付かれていた可能性が高いと思われます。同じ大学の教員の間ではどうだったのでしょう。小保方氏の共同研究者である権威ある人達は、どうして不適切な行為に気付かなかったのでしょうか。周囲の研究者達も小保方氏の研究に干渉するのを避けていたのではないかと思われます。あるいは、順調に成果を上げている人に対して疑念を示せば、周囲から妬んでいると思われるのではないかという抑制も働いたかもしれません。

科学者どうしの間で自由に意見を交わして相互にチェックし合うことは科学の世界で奨励されてきたことです。相互チェックにより、科学の品質管理がなされてきました。本来は、不適切な行為は周囲の身近な人達がいち早く気付いて問題がまだ小さく深刻化していないうちに修正すべきところですが、今回の様に最近ではネット上の第三者達によるチェックにより不適切な行為への指摘がなされるケースが多くなっています。ただし、ネットで指摘される時にはかなり不正が深刻化していたり広がってしまった後です。

不適切な行為を初期のうちに止めるには、やはり身近な周囲の人達がチェックできる体制が必要です。科学者の間で培われてきた健全な相互チェックを補強する体制が必要ではないかと考えています。

大きな不祥事があると厳しい罰則を設けて管理を強めるという動きになりがちですが、 厳しい罰則が作られると互いに指摘し合うのをさらに遠慮してしまう空気ができてしまうのではないかと懸念しています。新たな罰則よりも、科学者同士の自由な相互チェックをサポートする制度を設ける方が建設的だろうと思います。

プロフィール

片瀬久美子サイエンスライター

1964年生まれ。京都大学大学院理学研究科修了。博士(理学)。専門は細胞分子生物学。企業の研究員として、バイオ系の技術開発、機器分析による構造解析の仕事も経験。著書に『放射性物質をめぐるあやしい情報と不安に付け込む人たち』(光文社新書:もうダマされないための「科学」講義 収録)、『あなたの隣のニセ科学』(JOURNAL of the JAPAN SKEPTICS Vol.21)など。

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