2014.07.25

「出自を知る権利」をいかに保障するか――発展する生殖補助医療による新たな「家族の問題」

南貴子 医療社会学

科学 #生殖医療#出自を知る権利

生殖補助医療技術の発展とともに、生殖補助医療の利用が増加している。海外では1980年代より、生殖補助医療の法制度化が進み、とくに、第三者の配偶子(精子・卵子)・胚を用いる生殖補助医療によって生まれる子の「出自を知る権利」を認める国(州)が増加している。

一方、日本には生殖補助医療にかかわる法律がないため、日本産科婦人科学会の会告等に準拠した医師の自主規制のもとに生殖補助医療が行われている。近年、日本でも生殖補助医療の法制度化を求める意見が報道されるようになり、2013年10月には自民党内に「生殖補助医療に関するプロジェクトチーム(PT)」が設置されるなど、法制度化に向けた気運が高まっている。PTは卵子提供や、代理出産など生殖補助医療に関する法案を国会に議員立法で提出することを目指すとしている[*1]。

[*1] 朝日新聞, 2013.11.3,「自民、検討チーム立ち上げ」

本稿では、生殖補助医療に関する議論のなかでも、とくに、第三者の配偶子・胚を利用する生殖補助医療によって生まれる子の「出自を知る権利」の保障に焦点を当てて考察する。

生殖補助医療における問題の所在

そもそも生殖補助医療とは、「生殖を補助することを目的として行われる医療をいい、具体的には、人工授精、体外受精、顕微授精、代理懐胎等をいう」[*2]。生殖補助医療は、夫婦の精子・卵子・胚のみを用いるものと、提供された精子・卵子・胚を用いるものとに区別される。

[*2] 法務省民事局, 2003,「精子・卵子・胚の提供等による生殖補助医療により出生した子の親子関係に関する民法の特例に関する要綱中間試案の補足説明」

生殖補助医療のなかでも、とくに、法的、倫理的、社会的に問題とされるものは、第三者(ドナー)の配偶子・胚を利用する生殖補助医療や、妻以外の女性に「妊娠・出産」してもらう代理懐胎に関するものである。

第三者の配偶子・胚を利用する生殖補助医療には、血縁関係のない親子関係を人為的に作り出すこと、さらに、ドナーの匿名性のもとに提供が行われ、出自の事実が「家族の秘密」として子に知らされないことから派生する「家族の問題」がある。それらは子の出自を知る権利の法的保障の問題につながっている。

また代理懐胎においては、他の女性の身体によって「妊娠・出産」が行われることに伴う倫理的問題があり、法律による規制が正当化されるという議論がある[*3]。

[*3] 「代理懐胎には、母体を妊娠・出産の道具として提供する代理懐胎者という、現実的な被害を受ける他者が存在するのであり、これは、法律による規制を正当化するものである」 日本学術会議 生殖補助医療の在り方検討委員会, 2008, 対外報告「代理懐胎を中心とする生殖補助医療の課題―社会的合意に向けて―」

このように、生殖補助医療技術の利用は、複数の法的・倫理的・社会的な課題を抱えており、生殖補助医療技術が発展するいま、これらに対処するための法制度の導入が急がれている。

日本における法制度化の流れとその背景

すでに述べたように海外では1980年代から、生殖補助医療に関する法制度化が進んでいる。例えばスウェーデンでは、1984年に人工授精法Lag (1984:1140) om inseminationが制定され、人工授精によって生まれる子の出自を知る権利を認めている。他にもオーストラリア・ビクトリア州では、1984年に生殖補助医療技術を包括的に規制する法律Infertility (Medical Procedures) Act 1984を制定し、子の出自を知る権利を認めている。

日本では、1949年に慶應義塾大学病院において提供精子による人工授精によって最初の子が誕生して以来、ドナーの匿名性のもとに1万人以上の子が生まれていると言われている[*4]。一方、体外受精は、日本産科婦人科学会の1983年の会告「『体外受精・胚移植』に関する見解」で「被実施者は婚姻しており、挙児を希望する夫婦で、心身ともに妊娠・分娩・育児に耐え得る状態にあり、成熟卵の採取、着床および妊娠維持が可能なものとする」と定められ、以後実質的に第三者の卵子提供による体外受精を認めていない(日本では、1983年に東北大学医学部付属病院で初の体外受精児が誕生している)。

[*4] 厚生科学審議会生殖補助医療部会, 2003,「精子・卵子・胚の提供等による生殖補助医療制度の整備に関する報告書」

こうした状況を受けて、旧厚生省の厚生科学審議会先端医療技術評価部会のもとに「生殖補助医療技術に関する専門委員会」が設置され、2000年12月28日に「精子・卵子・胚の提供等による生殖補助医療のあり方についての報告書」が取りまとめられた。この報告書に基づき、関係する法制度を3年以内に整備するよう求められた厚生労働省並びに法務省は、翌年にそれぞれ審議会を立ち上げた。

厚生労働省の厚生科学審議会生殖補助医療部会は2003年4月28日に「精子・卵子・胚の提供等による生殖補助医療制度の整備に関する報告書」(以下、生殖補助医療部会報告書)を、法務省の法制審議会生殖補助医療関連親子法制部会も同年7月15日に「精子・卵子・胚の提供等による生殖補助医療により出生した子の親子関係に関する民法の特例に関する要綱中間試案」を取りまとめた(以下、親子法制部会中間試案)。

生殖補助医療部会報告書では、第三者の配偶子・胚の利用を「法律上の夫婦」に限って認め、生まれる子の出自を知る権利も認めたが、「代理懐胎は禁止する」とした。また親子法制部会中間試案では、母子関係については、「女性が自己以外の女性の卵子(その卵子に由来する胚を含む。)を用いた生殖補助医療により子を懐胎し、出産したときは、その出産した女性を子の母とするものとする」とし、父子関係については、「妻が、夫の同意を得て、夫以外の男性の精子(その精子に由来する胚を含む。)を用いた生殖補助医療により子を懐胎したときは、その夫を子の父とするものとする」とした。しかし、それらをもとにした法案の国会への提出は見送られた。

その後、法務省及び厚生労働省は、日本学術会議に対して、代理懐胎を中心に生殖補助医療をめぐる諸問題について審議するよう依頼した。日本学術会議は2006年12月21日に「生殖補助医療の在り方検討委員会」を設置し、1年3カ月にわたり検討を行った。その結果は対外報告「代理懐胎を中心とする生殖補助医療の課題―社会的合意に向けて―」(以下、日本学術会議対外報告)にまとめられ公表された。

日本学術会議対外報告では、「代理懐胎については、法律(例えば、生殖補助医療法(仮称))による規制が必要であり、それに基づき原則禁止とすることが望ましい」とされたが、「先天的に子宮をもたない女性及び治療として子宮の摘出を受けた女性に対象を限定した、厳重な管理の下での代理懐胎の試行的実施(臨床試験)は考慮されてよい」とされた。

このように政府や日本学術会議等で、生殖補助医療の法制度化をめぐる検討がなされてきたものの、依然として生殖補助医療に関する法制度は整備されないままである。

この間、海外で行った代理懐胎[*5]や性同一性障害者の人工授精による法的親子関係[*6]をめぐる裁判事例、卵子提供を求めて海外で体外受精をする多くの日本人女性[*7]、未婚女性による自己授精(医療機関を介さず、私的に行う人工授精)[*8]、提供精子による人工授精によって生まれた子の出自を知る権利を求める活動[*9][*10]などが報道され、生殖補助医療の早期の法制度化が求められている現状が浮き彫りにされた。

[*5] 読売新聞, 2007.3.24,「代理出産 母子と認めず」

 

[*6] 朝日新聞, 2013.12.12,「血縁なし 父子と初認定 最高裁 性同一性障害の夫と長男 提供の精子で誕生」

 

[*7] 朝日新聞, 2011.7.27,「卵子提供 海渡る日本女性」

 

[*8] NHK, 2014.2.27, クローズアップ現代「徹底追跡 精子提供サイト」

 

[*9] 毎日新聞(東京夕刊), 2014.3.25,「精子提供者開示請求:開示されず 慶応大病院、横浜の医師に回答」

 

[*10] 毎日新聞(東京朝刊), 2014.3.26,「人工授精:遺伝上の父、捜し続ける 40歳の医師、情報開示のルール化訴え」

法制度化における課題と提言:子の出自を知る権利の保障に関連して

日本においては、1949年に提供精子による人工授精によって最初の子が誕生して以来、精子提供はドナーの匿名性の保障を前提として行われており、現在も生まれる子の出自を知る権利は保障されない状況にある。

生殖補助医療は、これまで、子を持ちたいという親の立場から不妊治療として捉えられてきたが、近年、生まれてくる子の福祉を最優先とすべきであるとの提言や、子の出自を知る権利を認める報告も出されている[*11][*12]。

[*11] 「代理懐胎をはじめとする生殖補助医療について議論する際には、生まれる子の福祉を最優先とすべきである」 日本学術会議 生殖補助医療の在り方検討委員会, 2008, 対外報告「代理懐胎を中心とする生殖補助医療の課題―社会的合意に向けて―」

[*12] 厚生科学審議会生殖補助医療部会, 2003,「精子・卵子・胚の提供等による生殖補助医療制度の整備に関する報告書」

それでは、子の出自を知る権利は法制度によってどのように保障されうるのであろうか。

オーストラリア・ビクトリア州では、1984年にInfertility (Medical Procedures) Act 1984(1984年法)を制定後も1995年には改正法Infertility Treatment Act 1995(1995年法)を、さらに2008年には改正法Assisted Reproductive Treatment Act 2008(2008年法)を制定するなど子の出自を知る権利の保障をより確実なものとするための法改正がなされてきた。ドナーの匿名性を廃止し、子の出自を知る権利を認める法制度化を実現したビクトリア州の事例分析をもとに、生殖補助医療部会報告書及び親子法制部会中間試案を念頭に置き、さらに一歩踏み込んだ視点から、日本の法制度化に向けての課題について提言したい。

出自の事実とともに成長する権利の保障

ドナーの提供配偶子・胚による懐胎(donor conception、以下DCと略す)によって生まれる子(以下DC子と略す)の出自を知る権利について、生殖補助医療部会報告書では、「提供された精子・卵子・胚による生殖補助医療により生まれた子または自らが当該生殖補助医療により生まれたかもしれないと考えている者であって、15歳以上の者は、精子・卵子・胚の提供者に関する情報のうち、開示を受けたい情報について、氏名、住所等、提供者を特定できる内容を含め、その開示を請求をすることができる」としている。

しかし、親から出自についての真実告知を受けていない子は、実質上、出自を知る権利を行使することはできない。また、何らかの機会に突然出自について知ることは、それまで築いた家族の信頼を損なうことになる。

ビクトリア州の事例では、1984年法の施行によって子の出自を知る権利が認められたものの、18年を経ても多くの子が親から出自を知らされていない状況にあった(1984年法のもとでは、子は18歳になればドナーの情報開示の申請をすることができる)。すなわち、DCによって子をもうけたことは、依然として「家族の秘密」であり、法律において出自を知る権利が明記されていても、単に出自についての記録が残されているだけでは、子の出自を知る権利は保障されないことをビクトリア州の事例は示していた。日本においても提供精子によって生まれたことは、多くの家族にとって秘密とされている[*13]。

[*13] 久慈直昭、堀井雅子、雨宮 香 他, 2000,「非配偶者間人工授精により挙児に至った男性不妊患者の意識調査」『日本不妊学会雑誌』45(3): 219-225.

それでは、どのようにすれば、子の出自を知る権利が守られるのであろうか。ビクトリア州政府が採った対策は、親に対して子への真実告知を促すこと、親から子への真実告知がなされやすい環境作りをすることであった。ビクトリア州では、2006年から州政府主導で“Time to Tell”キャンペーンを行って、子の出自を知る権利の問題に社会全体で取り組んできた。そして2008年には、出生証明書を通して子が出自について知ることができるように法改正(2010年より施行)がなされた。

このようなビクトリア州の試みから見えてくることは、子の出自を知る権利を保障するには、子が「出自の事実とともに成長する権利」が保障される必要があるということである。

2008 年法の指針となる原則には、「提供配偶子を用いた結果生まれた子ども(18歳未満を意味している)は遺伝的親についての情報を知る権利がある」と記されている。そして、この原則に基づいて2008年法では、それまでの申請年齢であった18歳規定を廃止し、さらに出生証明書の交付時に、さらなる事実を知ることができると記した文書を添付することによって、出自の事実を知らせることとなった(出生証明書自体では、DC子かどうかは分からないようにされており、さらなる情報を得るための申請を行うかどうかは本人の意思に任されている)。

2008年法において採られた制度は、子の出自を知る権利の保障を確実にすることを求めたビクトリア州の先駆的な試みである。一方、日本においては、生殖補助医療にかかわる社会的議論はまだ十分にはなされてはおらず、ビクトリア州とは異なった社会環境にある。2008年法に見られるような革新的な法制度の導入を求めることは現時点では困難であろう。

しかし、子の出自を知る権利が保障されるには、子の「出自の事実とともに成長する権利」の保障が必要なことを示したビクトリア州の事例は注目に値するものである。単にドナーの記録を保存するだけでなく、子の「出自の事実とともに成長する権利」が保障されるための社会環境の形成を念頭においた法制度化が望まれる。

シングル女性、レズビアン女性の生殖補助医療へのアクセス権

親の立場から見た生殖補助医療における権利とは何か。その最初の権利は、生殖補助医療技術を利用して子をもうける権利、つまり、「生殖補助医療を受ける権利」である。日本ではシングル女性、レズビアン女性への生殖補助医療は認められていない。

例えば日本産科婦人科学会は、会告「『非配偶者間人工授精と精子提供』に関する見解」(1997年;2006年に「非配偶者間人工授精に関する見解」に改定)において、「被実施者は法的に婚姻している夫婦」としており、会告「『体外受精・胚移植』に関する見解」(1983年;2006年に改定)においても、「被実施者は婚姻している」こととしている[*14]。また生殖補助医療部会報告書も、精子・卵子・胚の提供等による生殖補助医療を受けることができる者の条件として、「子を欲しながら不妊症のために子を持つことができない法律上の夫婦に限ること」としている。

[*14] 2006年に改定された「体外受精・胚移植に関する見解」では「被実施者は婚姻しており、挙児を強く希望する夫婦で、心身ともに妊娠・分娩・育児に耐え得る状態にあるものとする」としている。体外受精を受けることのできる者については、「日本産科婦人科学会(日産婦)は『結婚した夫婦に限る』としていた条件を外し、対象を事実婚カップルに広げる方針を固めた」ことが報じられた。「昨年(2013年)12月の民法改正で、結婚していない男女間に生まれた子(婚外子)に対する法律上の差別が撤廃されたことが理由」であり、「すでに日産婦理事会での了承を得ており、6月の総会で決定する」としている(読売新聞, 2014.1.6,「体外受精 事実婚も容認 産科婦人科学会方針 国は助成拡大」)。胚提供については、2004年の会告「胚提供による生殖補助医療に関する見解」で「胚提供による生殖補助医療は認められない」としている。

一方、日本において、未婚女性がインターネットによる個人の精子提供サイトを介し匿名での精子提供を受け、彼女たち自身による「自己授精」が行われている実態が2014年2月27日放送のクローズアップ現代「徹底追跡 精子提供サイト」で報道され、自己授精による感染症などの危険性や倫理面での問題についての指摘がなされた。その背景には、シングル女性やレズビアン女性がシングルマザーとして、またレズビアンマザーとして子を持つことを望んでいるにもかかわらず、彼女たちが生殖補助医療(とくに、提供精子による人工授精)を利用することができない現状があることを見逃してはならない。

さらに、突き詰めていけば、生殖という「自然な行為」のなかに生殖補助医療技術の利用という「人工的な行為」を認める社会が、シングル女性やレズビアン女性の子を産む権利をどのように考えるのか、彼女たちから生まれてくる子の出自を知る権利の保障をどのように考えるのか、との問いに行き着く。今後、「なぜ結婚した女性に認められるものが、シングル女性やレズビアン女性には認められないのであろうか」との疑問に真摯に向き合う姿勢が求められるであろう。

ビクトリア州では、1995年法においてはシングル女性やレズビアン女性の生殖補助医療の利用は原則として認められなかった(既婚の夫婦のほか、異性愛の事実婚カップルには認められていた)。

2000 年に起こされたMcBain裁判は、男性パートナーのいない女性の生殖補助医療へのアクセス権を認めるか否かの議論として、ビクトリア州のみならず、オーストラリア連邦政府をも巻き込む議論を引き起こした。

その議論が提起したものは、「女性の子を持つ権利」と「子の父を持つ権利」の衝突であり、生殖補助医療の利用は「家族の在り方」をも左右するというものであった。2008年法においては、シングル女性やレズビアン女性の生殖補助医療へのアクセスが認められ、法の指針となる原則に「治療を受けようとする者は性的指向、婚姻状態、人種や宗教に基づいて差別されてはならない」ことが明記された。

日本においても、生殖に対する考え方の多様化、晩婚化に伴う生殖可能年齢に関する意識の高まりなどから、生殖補助医療の利用を望むシングル女性、レズビアン女性は今後一層増加することが予想される。法制度化の課題として議論されることが望まれる。

法施行前に生まれた子の出自を知る権利の保障

日本においては、1949年に慶應義塾大学病院で初の提供精子による人工授精(donor insemination: DIまたはartificial insemination with donor’s semen: AID、以下DIと略す)による子(DI子)が生まれて以来、多くのDI子が出生しており、DI 子によって出自を知る権利を求める活動もなされている[*15]。

[*15] 朝日新聞, 2004.9.21,「第三者との人工授精で誕生の『子どもの会』結成へ 出自知らぬ悩み」

しかし、その子たちは、ドナーの匿名性のもとに生まれており、出自を知る権利は保障されていない。日本産科婦人科学会の会告「『非配偶者間人工授精と精子提供』に関する見解」(1997年;2006年に改定)においても、「精子提供者のプライバシー保護のため精子提供者は匿名とする」とされており、生殖補助医療部会報告書においても、すでにドナーの匿名性のもとに生まれた子の出自を知る権利の遡及的な保障について、どのような法制度の整備が必要なのかについては示されていない。

最近、血液検査で父親と血のつながりがないことに気付いたDI子(男性)が、DI を実施した病院に自らの出自についての情報開示を求めたことが報道された。同病院からは「提供者の特定は難しい。特定できたとしても、(精子提供は)匿名が条件なので情報は開示できない」との回答がなされた[*16][*17]。

[*16] 毎日新聞(東京夕刊),2014.3.25,「精子提供者開示請求:開示されず 慶応大病院、横浜の医師に回答」

[*17] 毎日新聞(東京朝刊),2014.3.26,「人工授精:遺伝上の父、捜し続ける 40歳の医師、情報開示のルール化訴え」

このように、ドナーの匿名性のもとに生まれた子たちには、ドナーの情報にアクセスする道が閉ざされている。このような現状をどのように考えればよいのであろうか。

ビクトリア州でも、1984年法の施行前までは、ドナーの匿名性のもとに、配偶子提供が行われており、その子たちの出自を知る権利は、1984年法の施行後も認められていなかった。このような状況に対して、2012年、ビクトリア州の法改正委員会(Victorian Law Reform Committee)は、ドナーの匿名性のもとに生まれた子の出自を知る権利を遡及的に認めることを勧告した内容の報告書を議会に提出した。しかし、この勧告に基づいた法律の導入にはドナーの匿名性が保障されている事実を克服する必要がある。

日本では、現在もドナーの匿名性の保障のもとにDIが行われている。日本産科婦人科学会は1997年の会告「『非配偶者間人工授精と精子提供』に関する見解」以降、「実施医師は精子提供者の記録を保存するものとする」としているが、それ以前に行われたDIについては、記録が残っていたとしても、時を経るにつれて破棄されるなど、ドナーの情報を得ることが困難になることが予想される。ドナーの匿名性の保障が精子提供の前提とされてきたことから、ドナーの情報開示には、ドナーの同意など、多くの困難を伴うことが予想されるが、自己の出自を求める子のためにも、情報開示の道が開かれることが望まれる。

ドナーの権利についての検討

日本においては、DIはドナーの匿名性のもとに行われている。子の出自を知る権利を認めることは、ドナーの匿名性の廃止を意味する。

しかし、生殖補助医療部会報告書では、ドナーによって生まれる子の出自を知る権利を認めている一方で、ドナーが子について知る権利は認めていない。「出自を知る権利については、精子・卵子・胚の提供により生まれた子が、提供者に関する情報を知るものであるが、提供者については、希望した場合、提供を行った結果子どもが生まれたかどうかだけを、公的管理運営機関から知ることができることとする」としている。

また親子法制部会中間試案でも、「女性が自己以外の女性の卵子(その卵子に由来する胚を含む。)を用いた生殖補助医療により子を懐胎し、出産したときは、その出産した女性を子の母とするものとする」「(生殖補助医療部会報告書が示す生殖補助医療の)制度枠組みの中で行われる生殖補助医療のために精子を提供した者は、その精子を用いた生殖補助医療により女性が懐胎した子を認知することができないものとする」としている。

このように、子には出自を知る権利、つまりドナーの身元を特定する情報へのアクセスを認めているが、ドナーには、法的親子関係とともに、子の情報へアクセスする権利を認めていない。

ビクトリア州でも1984年法制定前には、配偶子提供(主に精子提供がなされていた)は、ドナーの完全な匿名性が必須とされ、ドナーも提供した配偶子の使用や結果について追求しないことが提供の条件とされていた。

しかし、子の福祉の立場から子の出自を知る権利が認められるようになり、ドナーの匿名性の廃止とともに、子や家族にとって、また、社会的にも、ドナーは可視的存在になろうとしている。法的には、ドナーは子との親子関係になくても、子と血縁関係にある存在である。ドナーを単なる配偶子提供のボランティアとしてではなく、将来、子や家族とのつながりを持つ可能性を有する存在としてみなす必要がある。現在、ビクトリア州では、ドナーにも子(18歳以上)の同意のもとで子の身元を特定する情報へのアクセスが認められている(子が親から出自を知らされていない場合、公的機関を通じて送られるドナーからの情報開示の同意を求める通知は、家族にとって「倫理的地雷原」「潜在的時限爆弾」になるとの批判もあったが、親から子への真実告知を促す結果につながった)。

日本においても、子の出自を知る権利の議論とともに、ドナーの権利やドナーと家族との関係性についての議論がなされることが望まれる。子の出自を知る権利が保障され、子がドナーにアクセスする可能性のあるなかで、子を特定できない範囲での情報(例えば、出生子数、性別、出生年など)であれば、ドナーにも子の情報へアクセスする権利が認められてもよいのではないかとの議論も必要だと考えられる。

制度の整備と専門機関の設置

生殖補助医療の法制度化に向けての課題は、生殖補助医療を利用する当事者の問題であると同時に、生殖補助医療を認める社会の問題でもある。社会全体で課題に取り組むことが求められており、法制度化には社会的合意を必要としている。

とくに、日本においては、DIが半世紀以上にわたって法制度の整備がなされることなく既成の事実として行われてきた現実がある。これらの問題は、一朝一夕に解決できるものではない。現に2003年の生殖補助医療部会報告書の公表以来、10年以上が経過している。

ビクトリア州の事例でも、1984年に法制度ができて以来、約10年毎に法改正が行われ、社会全体で生殖補助医療の利用に伴う課題に取り組んできた。ビクトリア州では、1995年法に基づき、生殖補助医療の円滑な運用と実施のための援助、生殖補助医療に関連した情報収集、情報提供、議会への年次報告等を目的として1996年にITA(Infertility Treatment Authority)が設立された(現在、ITAのこれらの役割は2008年法に基づき設立されたVARTA(Victorian Assisted Reproductive Treatment Authority)に引き継がれている)。

日本においても、このような専門機関の設置が望まれる。現在も多くの家族にとって、生殖補助医療によって子をもうけたことは、家族の秘密であり、子や家族の意見を得ることが困難な状況にある。また、匿名性のもとに配偶子を提供したドナーからの意見や情報を得ることも困難である。子の出自を知る権利が、単なる記録の保存にとどまることなく、実質的に機能するためには、生殖補助医療や生まれてくる子の福祉についての公教育活動、子の出自に関する情報の収集と管理、及び、子とドナーやその家族とのコンタクトやコミュニケーションをサポートするための制度とそのための専門機関の設置が望まれる。

おわりに

生殖補助医療が他の医療と異なる点は、その医療が生命の誕生にかかわるということである。生殖補助医療の法制度は、生まれてくる子の権利にかかわるものでありながら、生まれてくる子は意見を述べることができないという矛盾をかかえている。

生殖補助医療の利用は、(権利を主張することのできる)親の視点からこれまで不妊治療としてみなされてきたが、(権利を主張することのできない)生まれてくる子の視点に立った医療でもあることが望まれる。とくに、子の出自を知る権利の保障は、子の福祉の立場から、日本の法制度化の議論において優先されるべきものと考えられる。

生殖補助医療の利用は、親子関係など法的関係のみならず、家族の在り方にも深くかかわっている。子は生まれてくる環境を選ぶことはできない。生殖補助医療の利用に伴って生じる「家族の問題」は、その利用を認めた社会の問題でもある。子の出自を知りたいとの願いに、社会が誠実に向き合うことが求められている。

参考文献

南 貴子, 2009,「人工授精におけるドナーの匿名性廃止の法制度化の取り組みと課題―オーストラリア・ヴィクトリア州の事例分析を中心に―」『家族社会学研究』21(2): 175-187.

南 貴子, 2009,「オーストラリア・ヴィクトリア州における生殖補助技術へのアクセス権―シングル女性、レズビアン女性による人工授精の利用を巡って―」『日本ジェンダー研究』12: 69-83.

南 貴子, 2010,『人工授精におけるドナーの匿名性廃止と家族―オーストラリア・ビクトリア州の事例を中心に―』 風間書房

南 貴子, 2012,「オーストラリア・ビクトリア州における生殖補助医療の法制度化による子の出自を知る権利の保障」『海外社会保障研究』179: 61-71.

南 貴子, 2013,「生殖補助医療の法制度化において『取り残された子』の出自を知る権利―オーストラリア・ビクトリア州の新たな試み―」『保健医療社会学論集』24(1): 21-30.

南 貴子, 2013,「配偶子ドナーと家族の統合をめぐる近未来の制度設計」、日比野由利編『グローバル化時代における生殖技術と家族形成』日本評論社 180-199.

サムネイル「Who Am I?」Ahmad Hammoud

http://www.flickr.com/photos/ahmadhammoudphotography/5212868148

プロフィール

南貴子医療社会学

2001年東京外国語大学外国語学部欧米第一課程(英語専攻)卒業。2008年お茶の水女子大学大学院人間文化研究科博士後期課程修了、博士(学術)。現在、愛媛県立医療技術大学保健科学部専任講師。研究テーマは生殖補助医療をめぐる政策と家族。主要な業績として、『人工授精におけるドナーの匿名性廃止と家族―オーストラリア・ビクトリア州の事例を中心に―』(風間書房、単著、2010)、「生殖補助医療の法制度化において『取り残された子』の出自を知る権利―オーストラリア・ビクトリア州の新たな試み―」(『保健医療社会学論集』24(1)、pp.21–30、2013)など。

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