2015.04.28
「被害者萌え」では救われない――セックスワーク論再考
セックスワーク=貧困!? メディアがセックスワークと貧困の関係をぞくぞくと取り上げている。しかし、その関係性を強調するあまり、別の弊害は出ていないだろうか。今までのセックスワーク論をアップデートするために必要な視点を語り合う。(構成/山本菜々子)
感染症対策からはじまった「セックスワーク語り」
荻上 いま、新たな売春形態やJKビジネスなどにフォーカスをあてる形で、セックスワークが貧困のひとつの受け皿になっている語りが出てきています。ぼくも個人売春に焦点を当てて、貧困とセックスワークの関係について書いています。
こうした語りに対し、セックスワーク全般のスティグマ化につながるのではないかとして、要さんは懸念を表明しており、僕のリサーチについてもご批判をいただいたりしています。そこで今回は、SWASHの要さん、研究者の青山さんに、いま改めてセックスワーカーを日本で議論するため、どのような注意が必要なのか伺っていければと思っています。
まずは前提として、SWASHはどのような活動をされているのか、ご紹介ください。
要 97年に「セックスワークの非犯罪化を要求するグループ」(UNIDOS)で活動していたんですが、当事者に特化したような活動したいというメンバーが集まって、99年にSWASH (Sex Work and Sexual Health)が発足しました。
政治的な要求になってくると、どうしても当事者が置き去り、現場が置き去りでインテリな人たちの議論になりがちだから、当事者ベースでやっていきたいという思いがあったんです。
最近の活動では、従来の性感染症予防啓発や相談支援の継続のほか、風俗求人サイトでセックスワーカーが仕事をする上で知っておくべきことを毎月情報発信したり、当事者向けのストーカー対策の質問会や風俗店オーナー研修を開催したり、海外でのセックスワーカー会議では発表だけでなく、ここ近年はオーガナイズもするようになるなど、多岐に渡ります。(参照:2014年度SWASH活動報告資料 )
荻上 活動はどのように広がっていったのですか。
要 当時の厚生省では、HIV予防啓発の中でセックスワーカーへのアプローチがありませんでした。そこと調査協力しながら、性感染症予防に取り組みました。
しかし、やはり限界もあって、性感染症予防をメインにしないと助成金が取りづらかったんです。
エイズ予防啓発の取り組みのことしか助成金がなかなか得られないので、公衆衛生の面からしか、セックスワーカーを支えようという社会的な機運がなかったと言えます。
15年活動を続けていますが、女性支援の助成金や労働者支援関係の助成金を申請すると必ず落ちますね。セックスワークを辞めさせることが目的の申請だったら通りやすいみたいですけど、私たちは、セックスワークは労働という考え方なので弾かれてしまいます。
青山 厚生労働省から助成があったとはいえ、あくまで「厚生」の部分、公衆衛生の問題に対する助成です。HIV対策は個別施策層が決まっていて、その中の一つがセックスワーカー。いわば施策のための「研究対象」としてなら助成を受けられるというわけです。
要 2008年には派遣村やリーマンショックがあり、その頃から、派遣切りがきっかけでセックスワークに参入するようになった女性がメディアで取り上げられるようになります。そこから、セックスワークと貧困が結び付けられる動きがあるように思います。
荻上 いま、SWASHで力を入れている活動はありますか。
要 風俗店のオーナー研修が新しい活動です。2012年からその可能性についてアプローチをし、去年から開催することができました。去年11月に行った、「セックスワーカーを守るためのストーカー対策研修」では、風俗店店長さん・男性スタッフさん90名にご参加いただきました。
今年は4月に「セックスワーカーにとって働きやすい労働環境=在籍率UP!」をテーマに研修&ワークショップを25名の店長さん・スタッフさんたちにさせてもらいました。
やっぱり、現場の男性従業員の方々も、セックスワーカーからの相談の乗り方やアドバイスの仕方について悩んでいるんです。「彼氏にDVされている」と言われても、どのようなアドバイスが適切なのかよくわからないと言います。DV被害者の相談機関やシェルターの存在も知らない方が多いので、情報提供できるようにしています。
もう一つは、セックスワーカーは悲惨で救済対象という風潮があまりにも強すぎるので、それに対する問題提起をしたいというのがあります。
セックスワークってどうしてもネガティブな面しか語られないし、求められないじゃないですか。でも、他の仕事だったら良い面も言われますよね。こんなに仕事で人に喜んでもらえるとか、自己実現できるとか、他の仕事に活かせるとか。
でも、そういう話をする人も団体もいないし、取り上げてくれるメディアもないんですよ。メディアはスキャンダラスで悲しい物語が好きです。悲惨な不幸話はみんな大好きで売れるから消費の対象で、それを何とも思わない人が多すぎる。去年、SWASHは「ストーカー問題」という関心でいくつかのメディアに取り上げられたのですが、私たちのメイン活動ではないのにこのような注目のされ方になります。
そこで、去年の12月に、「人生で大事なことはすべてセックスのお仕事で学んだ」という自主企画を11人のAV男優さんたちと開催しました。セックスワーカーのスティグマを強めるようなネガティブな話だけではなく、ポジティブな話も発信してバランスよくやらなければいけないと思っています。
荻上 マスメディアですと、「可哀想な面」に注目する情報の方が多いです。一方で、ユーザー向けのものなどでは、過剰にポジティブな言説が多い気もします。媒体や領域によって分断されていると思います。
いま、貧困とセックスワークとを結びつける言論があります。貧困を再発見することが新たな社会問題として響いた面もあると思いますし、それによってテレビなどでも取り上げやすくなったのは確かです。一方で要さんとしては、「権利」の問題がおきざりのまま語られることにもどかしい思いがあるわけですね。
要 そうですね。「貧困だから風俗で働くというのは残念だ、そのような因果関係はなくさないといけない」という考え方を多く人はしていると思うのですが、私が正しいと思う考え方は図解にするとこうです。
左が、貧困とかのネガティブな動機のセックスワーカー、一緒くたの考え方です。右が、労働環境や労働条件の改善によって搾取とリスクをなくすという考え方。
前者だと、とにかくセックスワークをしなくて済むようにすることが主眼に置かれます。最近では貧困という言葉は経済的な意味だけでなく、関係性の貧困という言い方も流行っているみたいですが、この考え方もこちらに入ると思います。夜の仕事関係の人間関係しかないのは関係性の貧しい人々だということですね。
後者の考え方であれば、性産業内での搾取や暴力をなくすことに主眼を置きますので、当然、夜の仕事関係者の多様性の広がりや、社会関係資本に開かれた業界を目指すことになります。
それから、これもよくある見方として、風俗をいやいやしている人が辞めれるようにとか、好きでやってる人は別にいいけど、みたいな見方があります。これも働いている人を二分する考え方でよくないと思います。
実際には一般的な労働者がそうであるように、セックスワーカーも可変性のあるモチベーションです。これも考え方の違いを図解にしてみるとこうなります。
モチベーションがネガティブな場合、その人がセックスワークを辞めることが解決という考えに結びつきがちですが、セックスワークでの嫌な経験や危険な経験のほとんどは、社会的フレームや法的フレームによって引き起こされていて、セックスワークそのものが原因ではありません。だから現場改善の考え方、差別と偏見をなくそうという考え方が大事なのです。
青山 セックスワークになると、他の仕事とは違った特殊なものとして扱われます。悲惨な物語を商品にされるか、喜んでいるからいいじゃないか、と、お客の側だけの勝手な物語になるか。
当たり前ですが、仕事には楽しいこともあるし、困ったこともあります。セックスが介入するから偏見にさらされますし、肉体的接触を個室でするわけですからそれ独特の危険もあるでしょう。でも、リスクはどの職業についてもあるものなのに、セックスワークについては特別にリスクばかりが強調される。それ自身がすごく不当だと思いますね。
調査設計のバイアス
荻上 僕がいま、セックスワークと貧困の問題についてどのような調査をしているのか、簡単にお話できればと思います。
これまで僕は、セックスワーク全般ではなく、出会い系メディアを使って行われる個人売春、通称「ワリキリ」をしている人にスポットを当ててきました。ワリキリはこれまで、風俗論議の対象になってきませんでした。また、現代のワリキリは、90年代の援助交際の議論を当てはめることのできない現象です。そこで、かつて軽視されていた経済的要因に着目したアンケートを行いつつ、当事者のインタビューを続けています。
調査によって分かった点は多々あります。ワリキリの実態は多様でグラデーションがあり、貧困型のものもあれば、目標金額を定めて副職として行われるものもあります。
そんななかで傾向としては、ここ数年でワリキリ業界の価格がすごく下がっています。マクロ経済や他の市場の変化も影響しているでしょうが、そうなると「低価格でもそこにいる」人が増えていることになる。ワリキリ市場の規模が縮小しているので、もしかしたら他の雇用にいったのかもしれません。
要 近年、セックスワークに関する調査が流行っていて、私もよく依頼され協力することがあるのですが、偏った調査が多いと思います。
質問の立て方にも疑問を感じるものが多く、「リストカットしたことありますか」「摂食障害ありますか」「家族から暴力がありましたか」とか。リストカットといっても、失恋でリストカットしたかもしれないですし、親からの暴力といってもタオルで「勉強せえよ」パシンってやられたことも暴力に入るでしょうし。全部が全部、セックスワークと結びつくわけではないと思うんです。
荻上 調査設計にバイアスがあるのではないかと。ただ、疫学的な話をすれば、他の集団と比べて数値上の違いがある、割合的に多いなと可視化された場合、ではどういうアプローチが求められてくるのかが見えてきます。「全部が全部」結びつけるというのは、そもそもが雑ですよね。
要 セックスワークのイメージが悪くなるからとか、そういうことではないんですよ。「被害ベース」と「ニーズベース」の考え方でやっていくべきと思うんですよ。
特定層をターゲット化するのではなく、救済のターゲットにされてない人も含めて、その人が必要としていることが適切に届くというのが大事だと思っていて、しんどさを階層的な見方で捉えていくというのは、他者が、それは大したことない、大したことある、の基準を決めていくことに繋がらないか心配です。
青山 ボトムラインは、現実的な政策を立てるには「全部悲惨」とまとめてはダメ、ということでしょうね。
上の要さんの図にあるように、性産業に従事することをみんなブラックボックスに入れてしまうと、ある状況を改善するための具体的な対策を取ることなく、「風俗は全部つぶせ」という話につながります。
みんな一緒くたにしてはいけないという前提を共有していないと、現実に細かに対応しないと減らない危険を増やすことにもなります。
荻上 そうですね。さらに言えば、「統計的差別」に使われる可能性はあります。明らかになった傾向を元に、「低学歴のビョーキのやつがやっているんだろう」みたいに語られてしまうとなれば、です。
他方で、いま困窮を訴えているワリキリ当事者はいるわけで、便宜的に区別し、社会保障の議論をする意義はあります。要さんは今、経済的問題ばかりが再クローズアップされた結果、権利の話が見えにくくなっているとお感じですか。
要 みんな「貧困の女子を助けたい」という気持ちが強すぎて、ほら見たことか、セックスワーカーはこんなに悲惨ですと広告代理店のような発想の扱いになっている。そうなると、どうしても人権ベース・労働ベースの話ではなく、性産業でサバイブしなくて済むようにという婦人保護ベースに偏っていきます。
そういう思考に陥ると、スカウトマンも風俗の店長も搾取する人たちというふうにしかみなくなる。いくら当事者が「店長いい人で親切な人です」と言っても、「それは男に騙されているからだ」と断定します。この図は、その視点の違いを表したものです。
当事者調査の必要性
荻上 困窮に着目した、その先のソリューションに違いがありますね。ちなみに当事者の語りで言えば直近の調査で、ワリキリに対するイメージを尋ねると、フリー回答でまっさきにポジティブな回答をする層が2割、ネガティブな回答をする層が2割くらい、という感じでした。残り6割は、あくまで稼ぐ手段としてフラットにワリキリを語ります。
青山 この結果は面白いですね。確かな統計というよりも、調査している人の間で聞く「あるある話」ですが、イギリスなどヨーロッパでは、両極とも「1割、1割」だと言われることが多いです。つまり、一方では被調査者の10%を下回るくらいの人が、人身売買をされたり奴隷のように扱われている。
もう一方の1割は、いわゆる「ハッピーワーカー」で、仕事を仕事としてポジティブにうまくやっている。「2割、2割」は、ネガ・ポジにもっと幅を持たせたときの回答か、ワリキリの特徴なのかもしれませんね。
荻上 具体的なトラブルを経験しているのは1割ほどです。ポジティブにとらえる層は風俗を経験していて、風俗よりもよい市場として位置付けていました。
ネガティブの2割は、一般企業で働いていたり他の仕事を持ち、「ここに落ちてきた」という感覚を持っている。彼女たち自身がワリキリに対する社会的な評価、差別を内面化していて、自分たちをその言葉で切り刻んでいるという感覚ですね。このように全体の中には、剥奪感を持つ人も、獲得感を持つ人もいる。一枚岩ではありません。
ところで、「当事者のための調査」と言ったとき、他分野でも今は、「当事者参加型」が重要だとなってきています。そうした調査になっていないという指摘はもっともです。
青山 複雑ですよね。当事者調査ができる人たちは、そもそもそんなに条件が悪くない人たちでしょう。そして、ハッピーな人は現状を大きく改善する必要を感じないし、ハッピーじゃないひとは辞めていってしまいます。
ハッピーでない当事者自身に、それでも踏みとどまって現状改革のために行動しろ、まして改革までいきつくかどうかわかりもしない調査をしろ、というのは酷な話です。
特にワリキリは、ネットワークへのアクセスが制限されますよね。これもさっき要さんが指摘したように、産業の中で多様な人びとのつながりができればそれに越したことはないけれども、そういう現状にいない人は、大変な目にあった時さえ、同じような経験を持った先輩や仕事仲間とつながれない。
そもそも、自分たちは「ここに落ちてきた」というふうなミスマッチ感を持っていたら、内部であれ外部であれ、人や社会資源のネットワークにアクセスするのが難しいですよね。
荻上 本人がスティグマを内面化していますからね。ポジティブ層には、結婚資金をためるなどの目的があるのですが、彼女たちもやはりスティグマがあって、彼氏ができたり結婚できたりたら辞める。その経験を身近な人たちには言いません。
フラット層は、あくまでマッチした労働手段なので、特段「卒業」などは意識していない。そんな中で調査設計に参加する人、となると、そこにもバイアスは生じるんですよね。ワリキリの場合、風俗調査とはまた違う課題が出てきます。「早めの卒業」を望んでいる人が多いため、市場改善に参加数するインセンティブが低いのです。
青山 スティグマは社会全体のものだから、そっちが変わっていく必要がありますよね。同時に、当事者といってもさまざまであるとか、自分が底辺にいると感じている人は積極的な行動がなかなか取れないとか、困難は認めたうえで、やっぱり私は当事者調査が大事だというところは譲れないです。
学会でも、障碍(者)研究の分野なんかで、最近あらためて当事者中心主義が注目されていますが、研究だって政策だって、もっとも影響を受ける人たちが議論のテーブルにも呼ばれずに決まっていくのは、21世紀になってずいぶん経つのにおかしいですよね。人権とかなんとかいう以前に、「人をなんだと思ってんだ?」てことです。
荻上 そうですね。いまは、政府の有識者会議にも当事者団体の方が出てくるようになっていますからね。
青山 それなのに、性風俗産業についてだけは、当事者を呼ばないのはどうかとおもいますね。
荻上 「私たち抜きに、私たちのことを決めるな」(nothing about us without us)という障害運動のスローガンが、そのまま当てはまるのですね。【次ページに続く】
「被害者萌え」
荻上 ご指摘はその通りだと思います。青山さんはタイと日本でのフィールドワークをもとに『「セックスワーカー」とは誰か』をご執筆されていますよね。その本の冒頭で、搾取なのか選択なのかという議論について触れていました。
そのうえで、実際のセックスワークというのは、「搾取か選択か」のどちらかに割り切れるものでもなく、両極の中にグラデーションがあるが分けたうえで議論されていました。その認識は今も変わらないですか。
青山 はい。世界共通ですし、確信を持っています。もちろん、特定の社会の経済状況や文化によって、その指標を変えるべきことはありますが、「搾取」と「選択」どちらかに決めようとすると理解できない、そのあいだのグラデーションの中に誰もが位置づけられることは確かでしょう。そして、同じ一人の人でも時間の流れでこのグラデーションの中を行き来するということも。
荻上 最近の調査でポジティブ層とネガティブ層の存在を可視化しましたが、『彼女たちの~』でも、貧困型売春と格差型売春のグラデーションについて触れました。そこには構造的なジレンマがありますね。
ポジティブ化していこうと市場が変わった時に、ネガティブ層はその市場から追い出されることになる。そうなれば、特定市場の外側に、福祉的な対応が必要、あるいは経済状況で雇用状況が改善する対策が必要となる。
そんな中で、ポジティブ言説に対するカウンターも必要だと僕は思っています。「選択に追いやられた」と認識している当事者が多い中、グラデーションの中から、声を出しにくい層をより不可視化する可能性もあるということをどう捉えていこうか、ということですね。
青山 それはよくある指摘ですよね。ポジティブ層がネガティブ層を追い出すとしても、彼女たちは彼女たちで優先すべき活動があるわけですから、追い出さないような包括的な改善方法を考えなさい、というのはまた押し付けすぎでしょう。
荻上 そう思います。当事者運動をしている人に「押し付ける」必要はありません。
青山 たとえば、そもそも貧困問題に対処するのは福祉の役割です。また、女性差別をなくすのは、より広い社会全体の問題です。そういう包括的な問題に取り組む責任までを当事者に押し付けるのは当事者中心主義の誤用、乱用ですね。
もうひとつ、いわゆる「語り」、言説、「声を出す、出さない」の問題だけに焦点化することにも注意が必要です。
援助交際の時もその傾向がありましたが、個人の語りや語られ方ばかりに注目するのではなく、その人の置かれた具体的な仕事の条件がどんなものか、それを良くするには何が必要かを、メディアなり研究者なりが伝え、世間一般も考えるようにしなければ。語りだけだと、ネガティブにせよポジティブにせよ、消費されて終りがちです。
その意味で、セックスワークに関してポジティブ層がやっていることには大きな意味があると思います。自分たちの状況が良いならばその共有をめざす、改善を求めることができるならば求めていく、いずれにしても全体の底上げにつながりますから。労働運動一般にも共通することでしょうが。
要 この根本には、支援や社会活動のゾーニング・分業問題があると考えています。人身売買被害者支援団体もある、SWASHみたいな現場支援の団体もある、転職支援の団体もある。「それぞれが得意分野で、個性を生かしてやるのが良いんじゃない」という話ってすっと通るじゃないですか。
SWASHは現場支援団体だからそれで頑張って、私たちは貧困問題や人身売買でやりますよ、と言われても、問題はつながっているわけです。課題ごとのゾーニング分業は難しいと思うんです。
荻上 うん、よく分かります。支援に関しては、本来はワンストップである必要があります。
要 「なんで、セックスワーカーを通して貧困問題や家族問題だけにクローズアップしちゃいけないの?」って聞かれるんですけど、「セックスワークの入口と出口だけに焦点を当てるのは、セックスワーカーのスティグマにつながるから」って説明してもなかなか伝わらないんですよ。
荻上 「だけに」という話については、他の労働についても同じ語りを当てはめるのかでチェックすれば、いろいろと浮き上がりますね。もちろん、全部他の労働と同様に置き換えられるのかというと、業界の独自性も出てきます。
権利の問題を考えるには、他の産業に代入してみて、もしあてはまらない言説なのであれば、偏見が手伝っている可能性がある。一つは「本来は特殊ではないが、特殊化されている現状を踏まえたうえで、いかに腑分けするか」というのが課題のように思います。
青山 この前あるメディアで、性暴力をなくす法律をつくりたいという話をするために性産業の中で性暴力に遭った人が多いという話を出してきて、いつの間にか「性産業は全体的に暴力的だからいけない」という話につなげていました。
でも、性風俗産業の中に暴力がある問題は、この産業だけが暴力的だからいけないという話ではまったくなく、性産業の中で暴力が振るわれやすい環境をこの社会がつくっているという話のはずです。
荻上 たぶん、風俗に対しては独特の観方というものがあって、「施しモード」のままでいられる語りなら、多くの人が話には乗れるというのはあるでしょう。でも、人権や権利の問題を指摘すると、多くの人たちのパラダイムを変えることになるし、認知的不協和を起こす方も出てくるでしょうね。
青山 「被害者萌え」ですよね。可哀想だから助けてあげなきゃという、実は、立場の弱い人を助けてあげる自分にドキドキしちゃう人たちがいっぱいいて、そういう人たちが満足するためには、「可哀相な被害者」はいなくなっては困る。
暴力に対する具体策を立てたり安全に働く権利を主張したりして、社会全体に問題を投げ返すと、被害者があまり可哀相とは呼べない積極的な行動者になる。そうすると、「助けてあげる」側も変化しなければならない。「被害者萌え」の人たちはそこまでは手を付けないです。
こういった救済パラダイムは、150年くらいほとんど変わってないんですよ。オーストラリアやニュージーランドやヨーロッパの一部では、それこそ当事者運動と当事者調査によって変わりつつありますが、まだ大きな流れは、19世紀後半から20世紀初めに起こった売春婦救済運動や「白人奴隷」問題と同じなんですよ。
入口と出口と
荻上 セックスワークの議論の中に、社会保障の議論をどう組み込んでいくのか。そのあたりはどうでしょう。
青山 よく、セーフティネットが性風俗産業に負けたと言われています。でも、それは風俗の、ではなく、福祉の問題です。福祉が風俗に負けているのはなぜなのか考えるべきですよね。たとえば、拘束時間が短くてすむとか、大勢の人と一度に付き合わなくてすむ。もちろんバラ色じゃないけれども、こんなふうに仕事にフレキシビリティがあったらいい、しかも時間単価が高ければなおいい、と考える人がいて当然と思うんですよね。
そうでない仕事に疲れ果てて福祉のドアを叩こうとすれば、さらに融通が利かない対応が待っている。これで風俗をバッシングするのはいわゆる「スケープゴート化」、何がほんとうに悪いのかを隠す議論です。
荻上 セーフティネットが風俗に負けた、という言説には、風俗なんかに負けるべきではないという価値判断が入った言説の可能性がありますね。
青山 よくある話で、たとえば「精神的な問題を抱えた人が風俗に多いから風俗はダメ」と言うのも逆転した発想。精神的に問題を抱えた人が出来る仕事が他より風俗に多く存在する、ということですよね。それは果たしてダメなことなのでしょうか。
荻上 そうですね。しかし実際にワリキリをみていると、排除を受けやすい経歴の方と、ワリキリがマッチングしている。前提として、労働環境として、現場を改善していくという試みが必要でしょう。性労働の権利も広げなくてはならない。
その一方で、本人はミスマッチだと思っている層が、他のところに繋がりにくいという、セックスワークの外の問題も改善することも重要です。実際に「はやく辞めたい」と言っている人が存在している以上、二重の議論が求められますね。
ただご指摘のように、その中で「いま来たくない子たちが、来なくていいようにしよう」という話は慎重にしなければいけませんね。「こんなところにいてはいけないから」ではなく、「彼女たちが満足していないから」として、現状を考えないといけないなと。
青山 無理やり働いている人がいない環境がベストですよね。どんな仕事でも。使用者にとっても労働者にとっても、利用者にとっても。
荻上 この仕事につきたいという権利と、ここから出たいという権利。労働社会学における「ボイス(抗議)/イグジット(退出)」の概念ではないけれど、労働環境の改善と、市場の外側の改善、両方掬い取っていく社会運動をしていくべきだとおもいます。これ自体はセックスワークに限りませんね。
要 でも現在、出口の部分を具体的に想定している支援を見たことがありません。荻上さんはどのような出口を想定していますか。
荻上 そもそも僕は、「セックスワーカーに対してはこの出口を」「具体的なこの雇用を」というものを想定していません。
他の労働と同様に、他の福祉・雇用などのチョイスと比べた上で、その仕事を選び取れる環境について考えるため、貧困などの普遍的な対処がなされていないといけないという見方ですね。だからエコノミストと共に、マクロ経済動向や賃金と関係ありそうなデータに注目しています。
要 私は、セックスワーカーを減らしたい人たちは、セックスワーカーが前職に就いていた職業に目を向けたらいいと思います。
セックスワーカーの前職は、販売員、アパレル、看護師、介護、美容師、事務など一般的に女性が多く就く仕事が多いんです。そういう仕事をしている人たちの賃上げ闘争をオルグ支援したり、休暇を取りやすくしたり、残業をなくしたり、無理なく働けるようになる労働環境づくりに力を貸してあげてほしいです。
それは、セックスワークしなくて済むようにという意味じゃなくて、セックスワークのように効率的に稼げるとか勤務形態の柔軟性を目指そうということです。
もし仮に、セックスワーカーだけキャリア支援されるというなら、望まずにセックスワーカーになる人が増えるかもしれない。それって本末転倒ですよね。
荻上 本人たちというよりも、それを使ってビジネスにする人はいるかもしれませんね。そもそも、「セックスワーカーを減らす」ことそのものを目的とするのも誤りですし。
青山 昔からフェミニズムが問題にしてきた「女の仕事」っていうやつですよね。「女の仕事」は賃金が安くて価値が低く見られている。
いま要さんが言ったことは、「女の仕事」の条件を良くしろ、と、そうすれば現状ベターなセックスワークをしたくないのにしなくてすむ人も増えますよ、ということですね。
実際に、オーストラリアの事例をみていると、セックスワークとケア労働との差がなくなってきていると思います。人の面倒をみる仕事として、少なくとも実感として近いと思っている人はいっぱいいますよね。ケア労働と往復している人も多いようです。これは日本でも。
要 2013年にSWASHで、店舗型非ホンバン系風俗店で働くセックスワーカーの月収調査をしたのですが、平均34.1万円でした。同年の30代男性と同じくらいです。前職の月収平均は19.1万円でした。ちなみに、30代女性の平均月収は24.8万円というのが同年の国税庁発表のデータです。
風俗の他に女性が34万以上稼げる仕事なんてほとんどないと思うので、転職支援の難しさがあると思います。
青山 前のいわゆる「女の仕事」では、フルタイムで20万円を切っていたのが、性風俗産業で女でも「男並み」に稼げると言えますね。
要 この2013年の調査は店舗型ですし、かなり条件の良い方だと思います。ですが、15年前に調査した時、風俗嬢の平均月収は63万円でした。その時は、昼に調査をしていて、お店が紹介してくれる子も売れっ子が多かったこともあるかもしれませんが、34万円という値段はかなり低くなったと言えるでしょう。
荻上 その月額だと、ワリキリより高いですね。ワリキリだと、2015年で23万円です。ただ、例年より下がっていますね。他の労働よりまだインセンティブはあると思いますが。
不況が続いたことで、権利より貧困という議題にスポットが当たるようになった。僕は現状ではやはり、主にワリキリについては貧困に注目すること自体は重要だと思いますが、それでは今までやっていた権利の問題がおおわれてしまうのではという感覚はよく分かります。他の雇用に行けばゴール、みたいな設定にされてしまうのではないかと。【次ページに続く】
アウトリーチの難しさ
荻上 JK散歩が話題になりました。仁藤さんの『難民高校生』が評判ですが、同じくJK散歩の取材をしていた自分として、いま一般に語られているリアリティと、自分の感じたことは違います。
たとえば、話を聞いた子の大部分は「なにが悪いの」ってあっけらかんとしているし、裏オプをやる子はすごく少数です。
要 そうなんです。でも、一般の人はJKビジネスを売春するところだと思っています。
荻上 裏オプをやっている子は一部ですし、だまされた子も一部です。でもメディアも警察もそこに注目する。JK散歩規制条例も、青少年保護や福祉を名目としつつ、近隣住民の迷惑視という流れで進んできた。街づくり、景観、秩序の論理ですね。
JK散歩といいつつ、多くは「女子高生」ではない。18才以上の子も多いというだけでなく、16,17歳だがいわゆる「女子高生」ではない、学校に通っていないという子も多い。そうした子にとって、「マックよりも稼げるバイト」として魅力なんですね。でも、そうした「選択」はありえないとされる。
青山 JKビジネスのスキャンダルでは、「幼気な女子高生がこんな被害に遭ってます」と女子高生のイメージを売っているわけですよ。そこでまた「被害者萌え」を喚起している。ビジネスを運営している側と売ってるモノに変わりがない。
それに気づかない救済者は、売春婦救済の歴史と同じく、このしくみを根本的に変えることはできないでしょう。もちろん、未成年労働の観点からも問題ですが。
荻上 もちろん、いやな目にあって、規制してくれという人がいてもおかしくありません。それが、散歩と言う形態のせいなのか、客や店員の傍若無人な扱いが嫌なのか、問題を因数分解していく必要がありますよね。
青山 セックスワークだけのせいにしてしまう人が周りに多いほど、業界内の人も問題について発言しづらくなってきます。それもスティグマの効果ですよね
荻上 セックスワークの支援について、様々な団体が出てきています。懸念はありますか。
要 「なんでも困ったことあったら相談してください」と私が門戸をひらいても、私となんとなく相性合う人しか来ないと思います。仁藤さんも相談を受けつけていますが、やはり一般的に、共鳴するものがあったり似ている人が集まる傾向はあるでしょう。私もあんまりギャルぽくないから、ギャルっぽい子とは続きにくいですよ。
そうなると、「連絡してね」といっても、本当にアプローチしたい層には届きません。アウトリーチするには、デリヘルの待機室に入れてもらったりして、直接出向いていって相談電話をかけないような子にも知ってもらうような現場介入(現場相談・講習)ができることも大事だし、支援者個人のキャラや努力に頼ってもしょうがないことなので、オーナーの人たちと協力して、ワーカーが必ず目にするライングループ等に情報回してもらったり、風俗の会社やグループで出しているワーカー向けの「○○通信」のようなグループ内の新聞に載せてもらったりすることです。
お店が働いている子たちに相談先としてSWASHを紹介していると、ワーカーも安心して電話をかけられますよね。そして一番大事なのは、SWASHがいなくても、SWASHのような立ち振る舞いができる店長さんやスタッフさんを増やしていくことです。
荻上 なるほど。結構なNPO組織は属人的で、代表の個性と支援者がマッチングしないと支援が難しいという限界もあります。本来社会は、「窓口の人と相性が悪いから払わない」ではなく、普遍的な制度を提供するものです。そこからこぼれた人に個別で対応するのがNPOになっているので、そこは難しい問題ですね。
要 私もサポーターになっている、若者のキャリア教育支援をするD×Pという団体があるのですが、経済環境や養育環境の違いによる若者の未来の可能性の不平等の問題を解決しようとしています。
若者の選択肢を広げるためにいろんな仕事・人生経験のある大人と若者を繋げたり、若者に未来の幅広い展望を持ってもらえるような試みなのですが、若者をキャリア教育に繋げるアウトリーチワーカーとしてホストやスカウトマンと一緒にできたらいいですよね。夜の仕事している人らの中にも社会貢献したいと思っている人はいますから。
やはり一般的に、支援者に出会う入口として、ホストやスカウトマンのお兄さんがいたり、セックスワーカーもいたら、いいと思います。
夜寝てる昼間の生活圏の大人たちが、“「裏社会」の人々を「表社会」に引っ張り出す”ためにがんばってたりしていますが、私たちも現場だという意識で、例えばスカウトマンをオルグして育てて、アウトリーチワーカーや、セックスワーク・コミュニティ・ソーシャルワーカーにするべきです。
でも今の支援ではスカウトマンや風俗関係者を目の敵にしているものがありますよね。「女性を性の対象としてみる文化を無くそう」だとか、そういう方向にいっています。
荻上 無垢な女の子が被害にあうと言うストーリーがメインですよね。かつての援交論と逆転していますが、ひとつの物語として消費するという意味では対になっているとも言えるものです。
風俗とハーム・リダクション
荻上 幾人かの方が、僕の『彼女たちの売春』を引用する形で、風俗の規制化を主張されていました。昨今の、「需要を減らせば市場が消滅する」という論理で、買春を規制しようとする論理についてはどう思いますか。僕は反対です。
要 SWASHのサイトで、オーストラリアの報道番組「LATELINE」のセックスワーク特集の一部、「スウェーデン、買春する客を処罰対象に」(http://swashweb.sakura.ne.jp/node/143)の翻訳を紹介していますが、買春者処罰法があるスウェーデンでは、セックスワークをする場所提供は厳しく罰せられるので、路上でセックスワークするか、あるいは客の家に行くかという二つしかありません。しかしこの二つの方法は、セックスワーカーにとってはよりリスクが高くなるのです。
同番組では昨年買春者処罰化が決まったカナダのセックスワークの様子も紹介されたのですが、警察の監視が強まった結果、客と事前に交渉する余地もなく、客の車にすぐに乗ってしまわなければならなくなったり、客とお金の交渉がしにくくなり、仕事とプライベートの境界線を引きにくくなるなど、セックスワーカーの負担やリスク増大の声が出ています。
犯罪化してしまうと、「危ないからやめよう」という人は来なくなって、「それだからイイんだ、セックスワーカーの弱味を握れる」という危険な客がくるようになる。それと、セックスワーカーが、自分のお客さんが逮捕されないように客を守りながら働かなくてはいけない状況になるでしょう。
荻上 脅迫事案も増えそうですよし、窓口でのピンハネも増えるでしょう。不可視化することで、リスクはより増大します。
青山 犯罪化については国によってもですが、国連の中でも意見が分かれています。たとえばWHO、UNFPD、UNAIDSなどは、ハーム・リダクション(危害の軽減)という考え方にのっとって、犯罪でなくすることでセックスワークのリスクを低くすることをめざしている。
その対極のセックスワークは「すべて悪い」という発想で、厳罰化によって撲滅をめざす派閥もある。私は後者には実効性はないと思っています。
荻上 残念ながら、今の日本の政治状況からすると、ハーム・リダクションは縁遠い状況ですね。買春規制により需要を減らそうという議論は反対ですし、逆効果です。しかし非犯罪化を目指せる政治的状況にあるかといえば難しいとも感じています。
ぼくは、『彼女たちのワリキリ』の中で、「買春男たちに彼女たちを抱かせることをやめたいなら、社会で彼女たちを抱きしめてやれ」という表現を使いました。道徳論者に対する皮肉のつもりでしたが、セックスワーク批判だと捉えられる人もいました。
青山 この分野、皮肉はなかなか通じませんよね。抱きしめた上で、「可哀相だ、厳罰化しよう」と萌える人たちが多いのですから。
非犯罪化する(犯罪でなくする)と、まず、本人たちが暴力などの具体的な被害に遭った時に、警察に飛び込んで助けを求めやすくなりますよね。
それが今はできないから、良心的なお店で、女の子の権利と言うよりも、気持ちよく働いてもらえばおたがいに儲かるWin-Winだろうからなんとか守ってやるのが精一杯です。
荻上 諸外国の中で一番取り組みが進んでいるのはどこでしょうか。
青山 いま一番進んでいるのはニュージーランドですね。非犯罪化を2003年に実現して、それも当事者の活動が政策につながっていった。感染症予防のためでないと助成金が出にくいのは、どの国でも多かれ少なかれ指摘される共通の課題です。
でも、ニュージーランドではとくに、当事者団体がそのような調査をすることで、資料が集めやすくなったり、当事者のニーズに答えながら偏見なく進められたりした結果が非犯罪化でした。政策決定者側も、これと協力すれば実効性の高い法律が出来ると考え、それが実行されたんです。
もっと具体的に言うと、性感染症については、オーストラリアでも、セックスワーカー当事者が積極的に担う運動が政府の性感染症対策にも参加するという事実があり、セックスワーカー人口の方が、その他一般人口より感染率が低いという結果に結びついています。健康省が公式見解を出しています。
私としては、外国の事例をみていると理屈としては非犯罪化がいいと思います。私の知る限り犯罪化や厳罰化に賛成する当事者団体はありません。非犯罪化でスティグマが減少することが期待されています。ですが、急に日本で、売防法も風営法も無くしましょうとはいかないでしょう。
働く人の安全面でもそうです。法律で規制されている店舗型だからこそ、SWASHがしているような講習などの介入が可能なんです。規制が無くなってしまって、誰がどこで何をしているのかがますます分からなくなるのは、いまはリスクが高すぎる。「法律で規制せよ」という主張が理解を得るのは当然のことだと思います。
荻上 非犯罪化をめざしてはいるけれども、テクニカルにそれをどう実現するのかが難しいと。
青山 非犯罪化するには、労働者の権利が守られるという社会的な基盤が必要なんですよ。セックスワークだからといって特別な法律で取り締まられることはない。その代わり、他のどんな仕事とも同じように労働基準法などで働く人は守られる。他のどんな仕事とも同じように、その中で事件が起きれば事件、盗まれれば窃盗、殴られば暴行、強姦されれば強姦として扱われるってことです。
だけど、そもそも他の仕事でも労働基準法がなし崩しになっている日本の現状では、性風俗産業独特の規制をも無くす非犯罪化は、理想でしかないと感じています。
差別を利用されないために
荻上 ぼくはこれからも調査を続けますし、記事にも関わるでしょう。要望はありますか。
要 一言説明を増やしてほしいと思います。「セックスワーカー」だけではなく、他の仕事でも同じように、仕方なく仕事をしている人たちがいる。その人達がみんな社会教育や支援なりキャリアアップできればいいという言い方だとすごくフェアだし、スティグマにならない。
また、セックスワーカーの差別やスティグマを利用して、ほかの社会問題を訴えるのも差別の助長です。「セックスワーカーはバカで貧乏な人たちがこんなに多いから、社会福祉や教育をもっと良くしていかないとだめだ、就労問題を解決しないとだめだ」という取り上げ方です。
社会の不平等や格差のせいで、セックスワークという、人がやるようなもんじゃない仕事に就いている人たちがこんなにいるじゃないか、という差別的な煽り方をしなくても、社会問題は語れるはずですし、それはセックスワーカーだけの問題じゃないです。
それと同じくらいみんな気づかない問題は、女性や若い女の子たちだけがセックスワーカーであるかのように語れば語るほど、セクシュアルマイノリティのセックスワーカーが声を出しにくくなるということです。そこだけ気にしてもらえれば、いいかなと思います。荻上さんと私は、問題意識は同じだと思うので。
荻上 重く受け止めます。議論の「だし」にするのではなく、その市場、その当事者のための議論になるかと考えることが必須ですね。それから、生態系を共有することは大事です。どの部分をクローズアップしているのかについて自覚的にならないと、たまたまみた部分が全体だと認識されてしまいます。
自分が問うてきた一つは、性労働をめぐるミスマッチの問題です。排除を受け、そこにスティグマのある市場があったから、この仕事にやってきたという層が現にいます。ここにおいてスティグマが、参与者の選別を行う機能を持っている。その生態系を見ながら語りましょうということと、スティグマを無くすこと、そしてそれ以外のゴールイメージを持つ必要があると思います。
要 セックスワークの仕事以外にも、社会から排除されたと思って働いている人はたくさんいると思いますが。わたしは、差別があるから被害が起ることをもっと知って欲しいんですよね。自業自得や自己責任だと言われるのも差別があるからです。努力しないあなたがこんな仕事しているからだと。それを当事者も内面化する。
性感染症に感染しても、感染することを前提で働いているからでしょうと思われているわけ。セックスワーカーに危険な仕事をさせていい、そういう仕事でしょ、って、まともな仕事と思われてないという差別があるからだし、貧乏で頭の悪い人たちがやっているからしょうがないとか、お金もたくさんもらっているからリスクはしょうがない仕事、と思っている人が多いから、性感染症対策も進まない。
お店の悪い人や悪い客は、セックスワーカーへの差別や偏見があるという弱味を利用して悪いことをします。「こんな仕事していることをばらすぞ」と脅迫して、写真を取ったり誓約書を書かせたり、ストーカーするのも、差別を利用して行われます。
私達は、差別や人権の問題を主張しているのですが、それってプライドの問題だと思われてしまうんですよ。本当は差別によって被害があって、被害があるから差別をなくそうと言っているのに、「セックスワーカーの仕事をリスペクトしろ」と聞こえてしまうらしい。
青山 恵まれた人たちだと思われている部分はあるよね。
荻上 構造上の差別が利用されるということですね。そのとおりだと思います。差別や社会的状況を変える努力を長期的にやっていくと同時に、短期的には労働環境を改善しつつ、ミスマッチだから辞めたい人が辞められる状況もつくっていく。差別は今日明日で無くなるものではないけれど。
青山 それは両方できますよね。構造的な差別とスティグマを無くせば、ミスマッチ現象自体が減るわけですから、矛盾しない。
荻上 お二人の話は、ぼくが取材をしても絶対たどり着けない部分が多数あるので、ぜひこれからも情報交換できればと思います。本日はありがとうございました。
■SWASHイベントのお知らせ
「SWASH活動報告会」4/29(水曜・祝日)18:00~千駄ヶ谷区民会館、参加費千円。
「超リアルなストーカー対処策を考える」5/17(日)19:00~ロフトプラスワンウエスト、5/2前売券発売。
(※詳しくはHPをご覧ください。http://swashweb.sakura.ne.jp/)
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プロフィール
要友紀子
1976年⽣まれ。セックスワーカーとして働く⼈たちが安全・健康に働けることを⽬指して活動するグループSWASH(Sex Work And
Sexual Health︓スウォッシュ)で1999年から活動。主な著作は、『⾵俗嬢意識調査〜126⼈の職業意識〜』(⽔島希との共著・ポット出版、2005年)、『売る売らないはワタシが決める』(共著・ポット出版、2000年)、「性を再考する」(共著・⻘⼸社、2003年)ほか。2018年夏頃発売予定「現場から考えるセックスワーク・スタディーズ(仮)」(SWASH編著、日本評論社)
web: http://swashweb.sakura.ne.jp/
twitter: @swash_jp
facebook: https://www.facebook.com/swashweb/
青山薫
社会学の枠組みで、ジェンダー/セクシュアリティ、性労働、国境を越えた移住、調査方法論を主なテーマに研究教育することが生業。SWASHとは2006年いらい調査協力関係にある。神戸大学国際文化学研究科所属。
荻上チキ
「ブラック校則をなくそう! プロジェクト」スーパーバイザー。著書に『ウェブ炎上』(ちくま新書)、『未来をつくる権利』(NHKブックス)、『災害支援手帖』(木楽舎)、『日本の大問題』(ダイヤモンド社)、『彼女たちの売春(ワリキリ)』(新潮文庫)、『ネットいじめ』『いじめを生む教室』(以上、PHP新書)ほか、共著に『いじめの直し方』(朝日新聞出版)、『夜の経済学』(扶桑社)ほか多数。TBSラジオ「荻上チキ Session-22」メインパーソナリティ。同番組にて2015年ギャラクシー賞(ラジオ部門DJ賞)、2016年にギャラクシー賞(ラジオ部門大賞)を受賞。