LGBTと「異常動物」のゆくえ――差別発言の報道をめぐって

昨今、LGBTなどの性的少数者に対する発言が物議をかもしている。

 

11月29日には海老名市議がツイッター上で、同性愛者について「生物の根底を変える異常動物だということをしっかり考えろ!」などと書き込み、批判を受けてツイートを削除。酒を飲んでいたせいだと弁明した上で「同性愛は個人の自由だと思うが、基本的には男女の別があるので少しおかしい」と述べた。12月3日、海老名市議会は同市議に対する辞職勧告を賛成多数で可決した。

 

また、11月29日、岐阜県庁の職員もツイッター上に「同性愛は異常でしょ」などと書き込み、他にも信用失墜行為のあったことから、県は同職員の処分を検討。さらに、12月10日、岐阜県議が本会議の最中に「同性愛は異常」とヤジをとばし、翌日に謝罪会見。県議会政治倫理審査会委員長と自民党県連政調会長の辞任を申し出る結果となった。

 

これらのニュースは、少なからぬ人々からのリアクションを引き出し、関心を惹いている。

 

私はLGBT当事者だが、エイリアンや「深海からの物体X」でもなければ、おそらく「異常動物」でもない。あえて平凡で善良な市民ぶりをアピールするのはヤボだろう。日常はぼんやりと勤め人をしている。そんな中で、ニュースを見て最初に思ったのは「うーん、こんな人どこにでもいるじゃんね」ということだった。

 

「こんな人」とは、LGBTについて否定的な言動をする人のことだ。

 

この2015年も暮れに差しかかるニッポンにおいて、良し悪しはともかくも、大多数の人はLGBTのことをきちんと知らない。多くはノホホンと、無理解や無知を披露しあってこれまで生きてきている。

 

学校の休み時間、親戚の集まり、職場の飲み会、テレビ番組にいたるまで(今年も紅白歌合戦で「桃組」はやるんだろうか?)とにかく安易かつ深くものを考えずに、これまで「あいつホモなんちゃう?」「オカマみたいで笑える」と、みんながゆるやかに差別をしてきたのではなかったか。身近にはありえない存在として……。

 

このようにいたった経緯には、日本の教育施策や、当事者が姿を見せづらい社会であることなど、さまざまなことがある。差別をしてしまうのは、けっして個人がトンチンカンだから、悪意があるからではない。

 

もちろん報道をめぐっては「公人の発言だからケシカラン」という向きもあろうが、私たちは、だれかの友人や同僚や家族として、つまり私人としてこそ、多様性の問題について考える必要がある。事件は日常で起きているからだ。

 

単なる処分や発言の自粛といった安易な解決方法は、多様性の味方にはならない。そうではない道を、本稿ではみなさんと一緒に模索したい。

 

 

「キモい」のは空気のせい?

 

まずは○×クイズだ。以下の5問、正確に答えられるだろうか。

 

(1)同性愛者は、努力すれば異性を好きになれる

(2)同性愛は人間だけのもので自然界にはない

(3)性別を変えるのは、楽をしたいからだ

(4)LGBTを認めると、少子化が進む

(5)LGBTを認めると、LGBTが増える

 

正解は全部×だ。詳しく知りたい方は、下記リンク先のQ&Aをご覧いただきたい。

 

セクシュアル・マイノリティ/LGBT基礎知識編

 

リンク先にはないが、(4)については、同性婚を合法化した社会ではおおむね出生率が向上していることを言い添えたい。個人の生きやすさにフォーカスすれば、もっと子どもを安心して産み育てられる社会が作れるということだろう。

 

さておき、このクイズ、全問正解できただろうか。おそらく全国の正答率はだいぶ低いだろう。低いにも関わらず、LGBTについて否定的なイメージをもっている人が多いのだ。

 

LGBTに対して「だってキモイじゃん」「でもフツーじゃないし」と思う感じ方のことを、同性愛嫌悪やトランス嫌悪(男らしさや女らしさの典型にあてはまらない人への)という。

 

これらの感じ方は、幼い頃からの周囲とのやりとりや刷り込み、「空気」によって、私たち一人ひとりにもたらされている。空気を読めば、私たちはだれもが同性愛嫌悪やトランス嫌悪を身につけてしまうおそれがある。だれもがLGBTについての歪んだイメージをもたされ、正確な知識を得る機会さえないままに暮らしてきている。

 

「キモい」のは空気のせい、もっと言えば、多様な性についてのまっとうな教育や人権啓発を行ってこなかった日本の制度のせいである。

 

しかし、今では正確な知識や、生身の当事者の姿はどんどん見えてきている。食わず嫌いだったなら、関連図書を手に取ることから「味見」してもよいのではないか。

 

 

差別をめぐって起きる反応

 

今回のような差別発言があると、私たちは百人百論になる。みんなそれなりに正義感や傷つきの経験をもっている。差別快楽主義者でもない限りは、私たちは好んでだれかを傷つけたいとは思っていない(少なくとも表面上は)。

 

LGBTというトピックに限定されないことかもしれないが、差別というテーマをめぐっては、私たち一人ひとりの中に、複数の声があらわれてくるように思う。大きく分けて「傷つく人」「ドキッとする人」「管理する人」の三役だ。

 

 

(1)傷つく人

 

今回の件であれば「異常動物」扱いされたLGBTの当事者は、自分の存在が軽く扱われたことに多少なりとも傷つくが、傷つく人は、それだけではない。自分自身が当事者ではなくても、大事な友人や家族を貶められた人は、自分のこととして傷つくだろう。子どもをもてない異性愛者が傷つくこともあるし、単身者が傷つくこともある。

 

人間の性を「正常/異常」と切り分ける発想自体をプレッシャーに感じ、自分もまた「異常」になってしまうかもしれないと、心のどこかで恐れてしまう人も多いだろう。事実これらの傷つきによってこそ、同性愛嫌悪やトランス嫌悪は、根拠もなく人々の間で正当化されていくのだ。

 

傷つく人は、尊厳を回復するために「こんなこと言うやつは許せない」と怒ったり、傷つけられたことへの復讐心から「あいつはどうしようもないバカだから」「相手のほうが異常動物だ」などと反撃したりすることもある。

 

これらは尊厳を守り、力をもった相手を振り向かせるためにはある面では有効だが、一方では「だれもが差別をする可能性がある」という側面について見落としてしまうことになる。前述したように、LGBTについて無知で無理解なのは、個人の責任やトンチンカンさのみに責任を負わせられない部分もある。

 

一方で、「怒る声」の大きさにかき消されがちな「これ以上もう傷つけられたくない」としゃがみこんでしまう人たちがいる。数年前に、石原都知事(当時)が同様の差別発言をしたとき、あるゲイの大学生からこんなメールが来た。

 

「ただでさえビクビク暮らしているのに、ぼくはもうこんなことを言われて耐えられない。これまで、自分の悪いところを直せば差別されないんじゃないかだとか、自分の性格をこう変えてみようとか、いろんな努力をしたりしてきたけど、さすがに、どうして、ここまで、バカにされなくちゃ、いけないんですか……。」

 

傷つく人々が見せる「怒りのパワフルさ」は、一面でしかない。【次ページに続く】

 

 

 

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