新春暴論2016――「性的少数者」としてのオタク

何やら、毎年この時期に「新春暴論」と題した文章を書く流れになっているっぽい。「暴論」かどうかは皆さまにご判断いただくとして、今年もひとくさり。

 

いつもの通り長いので、要点を以下の通りまとめておく。

 

◎性的少数者をあらわすことばとして最近よく「LBGT」が使われるが、他にも多様な性的少数者がいる。LGBTはこの意味で限定的な概念であり、他の多様な性的少数者を切り捨てている部分がある。特に、性的少数者の概念が提唱された当初は含まれていた、性的嗜好に関する少数者を含めていないこと、また彼らを一段下に見ているふしがあることは、社会における多様性を旗印とするLGBTの主張との間に齟齬があるように思われる。

 

◎小児性愛やレイプなど、実行すれば犯罪となる行為を描いたマンガ、ゲームなどの創作物を消費する一部のオタクは、これにより自らの性的嗜好を実行に移すことなく充足させ、社会と共存している性的少数者といえる。犯罪抑止効果のないマンガ等のさらなる規制は、彼らの権利を不当に侵害するものである。表現規制に反対する根拠として、従来の表現の自由と併せて、こうした性的嗜好に関する少数者の権利を主張していくべきではないか。

 

 

「少数者」の権利

 

2015年は、いわゆる性的少数者の権利や社会的立場に関して大きな動きのあった年だった。

 

米国では6月、同性婚を禁じる州法が合衆国憲法に反するとする判決が出た。この時点で同性婚は、36州とワシントンDCで行われ、14州で禁止されていたが、これで保守的な風土の諸州を含む全米で合憲となった。

 

同性婚「全米州で合憲」 連邦最高裁判決、論争に決着(朝日新聞2015年6月27日)

http://digital.asahi.com/articles/ASH6V7R3KH6VUHBI044.html

 

これ自体は世界的にみれば必ずしも早いというわけではない。同性婚および登録パートナーシップなど同性カップルの権利を保障する制度を持つ国・地域は世界中の約20%の国・地域に及ぶという。ヨーロッパでも少なからぬ数の国ですでに合法化、あるいは一定の対応をとっている。それでも、世界で最も影響力の大きい国であり、かつ宗教右派との関連で抵抗の大きい州もあるにもかかわらず全米で、というのが大きなインパクトを持つ。

 

世界の同性婚

http://emajapan.org/promssm/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E5%90%8C%E6%80%A7%E5%A9%9A

 

同性婚との関係ではカトリックも否定的だが、この点で注目されるのは5月、カトリック信者が多数派を占めるアイルランドで同性婚を認める憲法改正が行われたことであろう。国民投票でこれを認めるのは世界初だという。

 

同性婚、国民投票で認める アイルランド、賛成6割(朝日新聞2015年5月24日)

http://digital.asahi.com/articles/ASH5S2SF4H5SUHBI00W.html

 

もちろんこれは、カトリック全体の話ではない。バチカンは10月、「家族のあり方」を論じる世界代表司教会議における3週間の議論の末、これまで通り同性婚は認めないことを確認する報告書を発表した。

 

同性愛など原則維持 カトリック司教会議、差別は戒める(朝日新聞2015年10月26日)

http://digital.asahi.com/articles/DA3S12035181.html

 

カトリック信者の多いスロベニアでも12月、国民投票が行われたが、アイルランドとは逆に、同性婚は認めないとの結論が出た。

 

スロベニア、同性婚に「ノー」 国民投票で反対多数(朝日新聞2015年12月21日)

http://digital.asahi.com/articles/ASHDP5H56HDPUHBI02Y.html

 

しかし、こうした否定の動きも、同性婚容認の動きが世界的に盛り上がっているからこそ出てきたものといえる。法王フランシスコは自らの改革路線を否定された後も、「神は新しいことを恐れていない」とのメッセージを出した。

 

法王フランシスコ「神は新しいことを恐れていない」 同性愛者の許容案が保守派の反対で立ち消えた翌日に(The Huffington Post2014年10月20日)

http://www.huffingtonpost.jp/2014/10/19/vatican-catholic-scrap-welcome-to-gays_n_6011014.html

 

一方日本では、現在のところ、憲法第24条に反するとして同性婚を認めていない。しかし地方自治体の中には、渋谷区のパートナーシップ条例のように、法的には認められなくとも、同性カップルに対し、一定の社会的に認められた地位を与えようとの動きが出ている。世田谷区にも同様の動きがある。

 

 

同性パートナー条例成立 渋谷区 全国初、偏見解消促す(朝日新聞2015年4月1日)

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11681216.html

 

同性カップル対象、世田谷区も証明書(朝日新聞2015年7月30日)

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11888507.html

 

 

概観すると、異論はあるにしても、これまで認められず苦しんできた性的少数者たちの存在と権利を認める社会へと動き始めているようにみえる。いろいろご意見はあろうが、個人的には「人に迷惑をかけない限り自由がいいのではないか」と考える立場なので、全体として結構なことではないかと思う。

 

 

LGBT以外の性的少数者

 

ここまでが前置き。さて本題。

 

「性的少数者」ということばは「sexual minority」のほぼ直訳だろうと思うが、近年はこれに代わって「LGBT」がよく使われる。この表現は、見ての通りLGBT、すなわち「Lesbian、Gay、Bisexual、Transgender」の4種類を列挙したものだ。

 

これを推進した人たちは、「sexual minority」の「minority」という表現自体が一種の差別的ニュアンスを含む、代わって用いられた「gay」だとLやBやTの人たちが含まれない、などの理由から、よりポジティブなことばとして、この表現に至ったらしい。

 

しかし、LGBTは全体からみれば数%の少数派ではあるので、個人的には「sexual minority」という表現の何が問題なのかいまひとつ実感がわかない。少数者として差別されてきた歴史的経緯があるのはわからなくもないが、現在は過去ほどではないだろう。「少数者」という呼称自体を差別と感じるのは、そう感じる人自身にも少数者を低くみる発想があるからではないか、という気がしてならない。

 

性的少数者は7.6% 7万人対象、電通ネット調査(朝日新聞2015年4月24日)

http://digital.asahi.com/articles/ASH4R5TZ1H4RUTFL00H.html

レズビアンやゲイ、性同一性障害者ら性的少数者の割合は7・6%――。電通が、成人約7万人に実施したインターネット調査の結果を発表した。2012年に行った同様の調査では5・2%で、19人に1人から13人に1人に増えた計算だ。

 

また、どんな集団も、細かく分ければ少数者の集まりなのであって、それを何らかの旗印を掲げて集めれば、その勢力を拡大することができる。それが多様性を認めようという旗印であるなら、「少数者」グループの中でも比較的「多数派」であろうLGBTだけ取り上げるのは、性的少数者の多様性を考えると排他的であり、それ以外の少数派をminorizeするという意味では、多様性という旗印に逆行する、いわば天に唾する行為ではないかとも思える。

 

似たようなことを考える人はいるようで、他の類型の人たちも含めようという話が出ているわけだが、何しろ性的少数者は実に多様なので、頭文字を集める方式だと、略称はどこまでも長くなる。

 

LGBTQ(LGBTにqueerを加える)やLGBTI(intersexを加える)あたりはまだ短い方で、長くなるとLGBTTQQIAAP(LGBTにtranssexual、queer、questioning、intersex、asexual、ally、pansexualを加える)とかLGBTTQQFAGPBDSM(LGBTにtranssexual、queer、questioning、flexual、asexual、gender-fuck、polyamorous、bondage/discipline、dominance/submission、sadism/masochismを加える)とか、とても覚えられそうにないところまでいく。これでも全部ではないだろう。

 

一部には「GSD」(Gender and Sexual Diversities)という表現を提唱している人たちもいて、これはかなり包括的だし短くていいと思うが、何と呼ぶかより重要なのは、実際に何を含めることにするかという定義の問題だ。

 

Wesleyan University creates all-inclusive acronym: ‘LBTTQQFAGPBDSM’(February 25, 2015)

http://theweek.com/speedreads/541158/wesleyan-university-creates-allinclusive-acronym-lbttqqfagpbdsm

 

‘Gender And Sexual Diversities,’ Or GSD, Should Replace ‘LGBT,’ Say London Therapists(The Huffington Post 02/25/2013)

http://www.huffingtonpost.com/2013/02/25/gender-and-sexual-diversities-gsd-lgbt-label-_n_2758908.html

 

たとえば、2015年7月に米国モンタナ州の男性が、彼の2人の妻との結婚を認めよと結婚届を提出した、と報じられた件がある。米国でも重婚は法律で禁止されているはずだから、かつての同性愛と似た状況だ。

 

「宗教上の理由」(多くの場合はカルトだろう)で、こうした人々は米国に一定数いるらしく、2011年にも、4人の妻と結婚しているユタ州の男性が重婚禁止法を違憲として訴えた事例がある。

 

Montana man applies for polygamous marriage license(USA TODAY Network July 2, 2015)

http://www.usatoday.com/story/news/nation-now/2015/07/02/montana-polygamous-marriage-license-supreme-court/29612673/

 

Polygamist, Under Scrutiny in Utah, Plans Suit to Challenge Law(The New York Times JULY 11, 2011)

http://www.nytimes.com/2011/07/12/us/12polygamy.html

 

いうまでもなくこの人々も性的少数者だが、LGBTには含まれていない(polyamorousの一類型ではあるのだろうから、LGBTTQQFAGPBDSMであれば含まれることになろう)。

 

カルトに関しては別の問題もあるのだろうが、たとえばイスラム教のさかんな国では男性が複数の妻と結婚することが許されている場合もあるから、イスラム教徒の比率が上がりつつある欧米社会において、今後重婚の問題がよりクローズアップされるタイミングはあるかもしれない。その際には、ポリアモリーの人々の権利や社会的立場についても議論になるのだろう。

 

深海菊絵(2015)『ポリアモリー 複数の愛を生きる』平凡社新書.

 

 

多様性の中の「切り捨て」

 

その観点でもう1つ、現代の議論の中であらかた抜け落ちているものがある。性的嗜好に関する少数者だ。LGBTにBDSMが含まれていない点は上記の通りだが、性的嗜好はもちろんこれだけではない。

 

WHO が定める疾病及び関連保健問題の国際統計分類であるICD-10では、性的嗜好の障害として、次の10の類型を挙げているが、あまりに多様なので、数の少ないものに関しては、後ろの方で「その他の」とくくっている。

 

かつては同性愛も以前のバージョンのICDには含まれていたが、ICD-10策定の際に削除された。念のため書いておくが、このリストに名前が挙がっているからといって、これらの性的嗜好そのものが精神障害であるというわけではなく、精神障害がこうした性的嗜好の形をとってあらわれるということである。

 

The ICD-10 Classification of Mental and Behavioural Disorders

Diagnostic criteria for research

http://www.who.int/classifications/icd/en/GRNBOOK.pdf

F65.0 Fetishism

F65.1 Fetishistic transvestism

F65.2 Exhibitionism

F65.3 Voyeurism

F65.4 Paedophilia

F65.5 Sadomasochism

F65.6 Multiple disorders of sexual preference

F65.8 Other disorders of sexual preference

F65.9 Disorder of sexual preference, unspecified

 

LGBTの権利は話題に上るようになったのに、こうした性的嗜好の人々の権利はそうはならないのはなぜだろうか。LGBのような性的指向とこれら性的嗜好は異なる、というロジックなのだろうが、もともと1960年代にスウェーデンのUllerstamが、ethnic minorityになぞらえて初めて「性的少数者」の概念を提唱したとき、その中にはこれら性的嗜好に関する「少数者」も含まれていた。

 

Lars Ullerstam (1967). The Erotic Minorities: A Swedish View.

Calder & Boyers, London. (Originally Published in 1964 (Swedish).

 

確かに現在、性的指向と性的嗜好は区別されている。性的嗜好には選択の余地があるが性的指向にはないというロジックだそうだが、実際のところ、選択の余地のないほど強い嗜好(性嗜好ゆえに犯罪にまで走る人は概ねそうなのではないか)もあれば、選択の余地のある弱い指向(bisexualにはそういう人もいるだろう)もある。

 

専門家の議論に素人が口をはさむのもどうかとは思うが、この区別はやや恣意的な、もしくはLGBを病気扱いさせたくないがゆえの為にする議論のようにもみえる。

 

Committee on Lesbian and Gay Concerns (1991). “Avoiding Heterosexual Bias in Language.” American Psychologist 46, 9: 973-974.

http://www.apa.org/pi/lgbt/resources/language.aspx

 

いわゆる適応的基準(所属する社会での生活が円滑にできるかどうか)や価値的基準(規範から逸脱しているかどうか)の観点から性的指向と性的嗜好を分ける議論もある。前者は社会に適応できるが後者はできないというロジックであろうか。

 

しかし前者が社会的に適応できるようになったのはLBGT運動の結果でもあるから、それで区別の根拠を説明しようとしても、「性的指向は社会的に許容すべきだから許容される」という循環論法にしかならない。

 

LGBのことをよく「恋愛対象が~の人」などと説明するが、それは同時に「性的関心の対象が~の人」をマイルドに言い換えたものでもある。後者の意味でなら、それは性的嗜好の問題に近いだろう。異なるものをいっしょにすべきではないというなら、そもそもLGBTも性的指向であるLGBと性自認であるTをいっしょくたにしている。

 

いずれにせよ、医学的な診断として両者を区別するのが正しいとしても、人の権利として考える際に、性的指向の少数者の権利は尊重するが性的嗜好の少数者の権利は尊重しなくてよいというような区別をすべき合理的な理由は私には見いだせない。

 

要するにいいたいのは、当初は含まれていたにもかかわらず、現在、多様な「少数者」の中で一部ないし全部の性的嗜好を除いているのは、「何を守るべきか」に関する意図的な選択だということだ。

 

もちろん、運動は当事者が自分たちの権利を主張するものである以上、最初は声を上げた同性愛者自身の権利を中心に据えるのは当然だろう。しかし、社会の中での多様性を旗印としてLGBTの権利を謳うのであれば、その他の多様な少数者たちをすくい上げる必要があるのではないかと思う。

 

残念ながら、現在に至るまでそうした動きは弱い。多様性という割には、LGBTという限定列挙になってしまっているだけでなく、LGBTの中ですら、たとえばLGBの人たちがTの人たちを排除しようとする動きがある。LGの人たちがBを排除する動きも、LとGの間の対立もあったと思う。

 

“T”がLGBTから除外される?オンラインで数百の署名が集まる(LETIBEE LIFE 2015/11/9)

http://life.letibee.com/community/drop-t-petition/

 

性的嗜好を含めない理由として、それらは性に直結していて、正面から認めづらいということもあるだろう。「性的関心の対象」を「恋愛対象」と言い換えてしまうあたりも、おそらくは性的関心を程度の低いものとみている表れだ。

 

中には小児性愛や窃視のように、実行すれば犯罪となりうる行為も含まれていて、これらを権利問題の論点とすれば自分たちが批判されるかもしれない、という点も、排除したくなる要因だろう。

 

しかし、あえて悪い言い方をすれば、このようなやり方は、自分たちだけ特別扱いで権利を主張し、そこから漏れた人たちを切り捨てる「名誉白人」型アプローチであるともいえる。

 

GSM acronym better than LGBT alphabet soup(Collegeate Times October 23, 2014)

http://www.collegiatetimes.com/opinion/gsm-acronym-better-than-lgbt-alphabet-soup/article_f7a325a4-5acd-11e4-bf0d-001a4bcf6878.html

 

運動をしかける側として、多くの賛同を得るために、賛同を得られにくい要素を切り離すこと自体は、理解できる。しかし、それでいて多様性や少数者の権利を主張するのは、やはり自己矛盾であろう。私がLGBT運動に基本的には賛同しつつもいまひとつ乗り切れないのは、そうしたある種の「ご都合主義」のようなものを感じるからだ。

 

もちろん、LGBT運動やその意義を否定するつもりはない。苦しい状況から地道な努力で成果を積み重ね、世界規模で大きな社会的変革をなしとげつつある。ただ、少なくとも現時点で、この運動の周辺に多くの「切り捨てられた少数者」たちが存在することは否定できない。

 

LGBTでない人たちの中に多様な性的嗜好がある以上、LGBTの人たちの中にも、性的嗜好の上で何らかの少数者である人がいるだろう。そうした人たちもまた、切り捨てられる側に含まれる。

 

 

性的嗜好と性犯罪

 

上記のような、性的嗜好に関する主張をすると、「お前は変態なのか」といった声がすぐに上がる。「気持悪い」とか「人間性を疑う」とかもいわれるかもしれない。これらはかつて(おそらく今も)LGBT運動の支援者たちを苦しめた言説と同種のものかと思う。せっかくの新春「暴論」であり、言い訳をすること自体この差別構造に乗っかってしまうことでもあるので、そうした、人を黙らせるための言論は気にせず進める。

 

もちろん、性犯罪を許容せよというような話ではない。そもそも性的嗜好と性犯罪を直結させること自体がまちがいだ。どんな性的行為も相手の同意なしに行えば犯罪になる。BDSMも、同意の上で行われることを前提として上記の長ったらしい15文字の中に入っているわけだ。

 

そのまま行えばまごうことなき性犯罪であるレイプにしても、合意の下でロールプレイとして行う分には他人が口出しする領域ではない。実際、よくいわれる「レイプ願望」は、性的ファンタジーのモチーフとしては珍しくない、という研究がいくつもある(だからといって実際のレイプが肯定されるわけではないことはいうまでもない)。

 

Joseph W. Critellia & Jenny M. Bivonaa (2008). Women’s Erotic Rape Fantasies: An Evaluation of Theory and Research. The Journal of Sex Research 45, 1: 57-70.

http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/18321031

 

Arndt, William B.; Foehl, John C.; Good, F. Elaine (1985). “Specific sexual fantasy themes: A multidimensional study.” Journal of Personality and Social Psychology, 48, 2: 472-480.

http://psycnet.apa.org/?&fa=main.doiLanding&doi=10.1037/0022-3514.48.2.472

 

小児性愛については、意味のある同意ができる年齢に達していない相手に対して、同意がある状況を考えるのは難しいだろうが、それとてファンタジーのレベルでそうした願望を抱くこと自体が糾弾されるいわれはない。

 

実際、子供に対する性虐待の約半分は小児性愛でない人々によって行われており、またこの傾向のある人であっても実際に子供への性虐待に走るのは一部であるから、小児性愛の傾向を持つ人を性犯罪者予備軍であるかのようにみるのは、男性同性愛者は男子更衣室で他の男性にセクハラを働くに違いない、女性同性愛者は女性用トイレで覗きをするのではないか、といった類の差別的な言説であろう。

 

M. Ashley Ames, David A. Houston (1990). “Legal, social, and biological definitions of pedophilia.” Archives of Sexual Behavior 19, 4: 333-342.

http://link.springer.com/article/10.1007%2FBF01541928#page-1

 

Michael C. Seto (2009). “Pedophilia.” Annual Review of Clinical Psychology 5: 391-407.

http://www.annualreviews.org/doi/abs/10.1146/annurev.clinpsy.032408.153618

 

すなわち、一見「危険」「異常」とも思える性的嗜好を持っていても、犯罪を犯すことなく円満に通常の社会生活を営んでいる人が多数いるのであって、それはLGBTの人たちの多くが(生きづらさを感じているとしても)社会と共存して生活しているのと同じことだ。性的嗜好を性的指向より格下の、一緒に扱ってはいけない存在であるかのようにみるのはまちがっている。【次ページにつづく】

 

 

 

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