被災地で聞かれる怪異譚

はじめに

 

東日本大震災が勃発してから、1700日。この間警察庁は継続的に被災状況の詳細を公表してきたが、10月9日現在の死者総計は15,893人、宮城県内の死者だけで9,541人に上っている。かかる情報は、震災直後には毎日更新されていたが、2014年3月からは月一回、毎月10日前後の更新に公表原則が変更された。

 

変更された背後には、震災からの経過時間と共に、被害状況がほぼ正確に把握されたという認識があったものと思われる。震災被災地のある部分は、震災以来の激動の波の渦中から、徐々に脱却しつつあるのかも知れない。

 

とはいえこうした死者の大部分は、東日本大震災が起こらなければ亡くなるはずではなかった。年間死者数が22,000人ほどであった宮城県の2011年の死者総数が30,047人、例年の1.4倍の死者数を記録する特異な年となったことが、そのことを示してもいる。

 

換言するなら、ここにあげた犠牲者の多くは徐々に衰えた「衰弱死」ではなく、地震とそれに伴う津波による「突然死」として命を終えたのである。そしてまた、震災により大量死した犠牲者一人一人の背後には、それらの人々と近しい関係の家族・親族・友人・知人が、おそらくその何倍何十倍もの数いたはずである。

 

それらの人々にとって、身近に生じた「死」は、これまた文字通りの「突然死」の体験であった。津波被災地においては、一家族から四人も五人もの死者が出たケースが希ではなく、たった一人生き残った生者が、家族から生じた複数の「死」を一人で受けとめざるをえないといった悲惨な話も珍しくない。

 

さらに、自分が手を離したことで家族が津波に呑まれた場合など、その「死」の原因を、生き残ってしまった自分の至らなさに帰して責任を感じ続けている人も多く、身近に生じた震災死は悔やんでも悔やみきれない“負い目”となって、現在もなお癒えないままに継続している。

 

 

怪異譚の誕生

 

震災被災地、とりわけ津波被害地域から、「海の中に沢山の眼が見え、こっちを見ている」「多くの犠牲者が出た建物の修復作業中、ありえない場所から声が聞こえ、人の姿が見える」と言った“体験談”が、私的会話の中で聞こえてくるようになったのは、震災のあった年の夏以降のことである。

 

しかしそうした<死者から生者への働きかけ>譚の入手経路を調べると、それを自己の体験として語る人は多くない。大半は友人・知人から聞いた「又聞き」、また誰言うとなく聞いて知っていた「噂話」といった情報であることが通例である。

 

ただ、そうした<死者から生者への働きかけ>譚に通底する共通認識は、死者は亡くなった存在であるにもかかわらず、生きているわれわれ生者に何らかの働きかけができる能力をもつとしている点である。

 

死後の人間を指して、従来は「死後霊魂」「死霊」などといった「霊」の語を使って語られることが多かったことが示すように、死後の人間存在に関わる考え方には、「霊肉二分論」が前提されている。

 

つまり生きている人間は霊魂と肉体が合体してその姿を構成しているが、ひとたび死を迎えたなら、霊魂は肉体から離脱し、朽ちていく肉体とは異なって、死後も存在していくという考え方である。

 

戦後行われた新聞社などの社会調査の中で、「死後の霊魂の存在を信じるか否か」という質問項目は多くの関心を集め、1952年の『読売新聞』以来、時代を通じて取り上げられてきた(図参照)。

 

筆者の実施した全国調査も含め、どの調査結果でも「信じる」とする回答が占める割合が一番多く、最低でも35%、多いと60%に及んでいた。これに対して死後霊魂の存在を「信じない」人は、毎回20%から30%ぐらい必ずいる点も注目すべきことであろう。こうした数値を考える際に、「その他」の選択が「信じない」をほぼ毎回上回っていることは重要であろう。

 

信仰という不可視の世界との関わりに立つ問題であるがゆえに、霊魂の存在を問うこの設問は、“合理的思考こそが善”と考える戦後日本の歩んできた王道的価値観にあってはなかなか認めがたい回答である。「その他」の選択が多い理由は、おそらくその点にあるのであろう。

 

ここの数値は、「信じない」わけではないが「信じる」と断言できかねる人々によって選択されていると考えられる。というのは、もしも「信じる」と回答したなら、「教養がない」とか、「迷信深い」「変わった」といった負のレッテルを貼られかねないため、その意味から正直な回答ができかねる人が、「その他」を選択している可能性が高いものと推測される。

 

この点を加味するなら、戦後のわが国では、70%近くの人々が死後霊魂の存在を否定してはこなかった、というあたりがこの図から読み取れることではないだろうか。

 

 

図:死後霊魂の存在に対する意識の変化

図:死後霊魂の存在に対する意識の変化

 

 

なお<死者から生者への働きかけ>にみられる働きかけの主体(=死者)のことを「幽霊」と呼ぶ場合が散見されるが、本稿ではこの語は用いない。その理由はまず、<死者から生者への働きかけ>を直接経験した人自身、あるいはその近くにあってこうした話を伝聞として語る人は、働きかけの作用因をオブラートに包んで、その主体が誰であるかに触れずに語る場合が多いためである。

 

ちなみに、以下の事例の中で、「幽霊」という言葉で作用因を説明した人は皆無であった。「幽霊」の語を使用するのは、そうした現象を対象化して整理する研究者・宗教者・報道関係者たちが多く、言うなれば現象の外縁にいる人たちが、直接間接にその経験をした人たちの言説をまとめ上げるときに「幽霊」という言葉を当てはめているケースが多いのである。

 

またもう一つの理由は、「幽霊」という用語自体の問題である。これまで柳田國男をはじめ先学の多くが、「幽霊」の語をそれぞれ定義して来た。また、類似概念の「妖怪」「お化け」などと「幽霊」の違いについてもさまざまに論じてきた。

 

しかしかかる概念整理における線引きはなかなか難しく、従来言われてきた定義では、概念が重なり合う無理が生じてくる。そのため被災地で聴くさまざまな言説を、予断をもって「幽霊」の語でまとめることは、「事実」に反することになると判断して避けることにした。

 

そこで本稿においては「幽霊」の語は使わずに、<死者から生者への働きかけ>を「怪異現象」という語を使用して整理したい。<死者から生者への働きかけ>を経験したと考える当事者は、その作用因を言葉で示しはしないが、ともかくその場が正常な状況ではない、チョット不可思議な状況であると認識しているのは間違いがない。ここではその点に注目し、そうした状況を「怪異」と呼び、そこで紡がれる語りを「怪異譚」と呼ぶことにする。

 

 

怪異譚の実態

 

以下では、東日本大震災の被災地に見られる死者と生者の出会いの場のうち、とりわけ<死者から生者への働きかけ>を経験したとする事例に注目し、その出会いの意味を考える。

 

筆者は震災前から、宮城県南から福島県相馬市、南相馬市で継続的調査に従事してきた。本稿で扱う事例の多くは、そうした限定的な地域のデータが主な対象となる。

 

被災地周辺から聞こえてくる怪異譚は、ある事柄を「怪異」と見なした判断基準がいかなる点であったかと言ったことから整理すると、以下の四種に分けることができるものと思われる。

 

Ⅰ.人が消えた

 

これは、怪異譚の中では良く聞かれるタイプである。少なくとも一旦はある場所にいたことが確認されたはずの人が、不自然に消滅したという言説である。

 

いずれの場合も、怪異経験をした人が、一瞬目を離したスキにその姿が見えなくなったという展開が共通点として指摘できる。見えていたはずの人が消滅したことで、実は最初からそこに見えていた「人」が、この世に存在する人間ではなかったのだと気づくわけである。

 

ただし、これらの怪奇譚においては全て、その「人」が何者であるかについての言及はなされることはなく、この点の解釈は、怪奇譚を聞く人々の想像力の中に留められることとなる。

 

Ⅰ-(1) 新聞配達中の朝の三時頃、道ばたで立ち話をする人々、捜し物をしている人々を良く目撃するが、そうした人々の中にはチョット目を離したすきにすぐに消えてしまう場合がある。

 

場所は特定されず、新聞配達の目撃談として被災地ではしばしば聞かれる噂話である。早朝にも関わらず、津波で流された被災地の中で動き回る人を見ることが良くあるそうだが、そうした光景の中で出くわした経験である。

 

Ⅰ-(2) 津波に洗い流された見通しの利くところで、100mほど先に赤い服を着た人が見えていたのだが、チョット目をそらした後に再び見ると、姿が消えてしまった。そのあたりには、隠れるようなところは全くないのに・・・・・・。

 

筆者が経験者本人から、直接聞いた話である。だだっ広い水田地帯での被害状況調査中、百メートルほど先に赤い服を着た人がおり、自分と同じように田圃の被害をみているように見えたという。あまり気に留めることもなく、ちょっと目を離してもう一回見たら誰もいなくなっていた。直後に移動したので、改めてその人がいた近くを注意しながら車で通ったが、見通しが利いていて身を隠すような場所がないにもかかわらず、誰もいないことが確認できたという。

 

Ⅰ-(3) タクシーに客を乗せてA地区へ行き、行き先の詳細確認のために運転手が後ろを見ると誰も乗っていなかった。

 

この話は日本全国で良く聞かれるタクシーに乗る幽霊の話、あるいはブルンヴァンの『消えるヒッチハイカー』に出てくる都市伝説に通じる内容である。目を離した間に姿が消えてしまったので、聞いた人の想像力を掻き立てることになるのであるが、とりわけこの場が、津波で壊滅したA地区であったことから、そうとは指摘されてはいないが、消えてしまった人がA地区で津波に流された「人」ではないかという含みをもって伝えられている。この言説は、タクシー運転手仲間の間を伝わり、名古屋市内のタクシー運転手からも確認された。

 

Ⅰ-(4) 車で走行中、人をはねてしまったので急停車したが、被害者はどこにもおらず、車にへこみもなかった。このことを電話で警察に報告すると、「こうした話は、今晩、あなたで七人目ですね」といわれた。

 

同内容の話を、筆者は宮城県の石巻市内でも聞いたことがあった。ただし、石巻警察署からの返事の内容は、「そうした話は、今晩あなたで五人目ですね」と言うものであった。このように、同じモチーフで語られる怪異譚ではあるが、警察から伝えられる人数といった細かな点についてはバリエーションが見られる。警察という公的立場からの応答が、一見この話の信憑性を高めているように思われるが、実際警察署からは、そのような電話連絡があったという確認をとることはできなかった。【次ページにつづく】

 

 

 

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