2016.10.08
いろいろな性を手話で表現したい――『いろいろな性、いろいろな生き方』
セクシュアルマイノリティ(性的少数者)は13人に1人いると言われています。30人のクラスに2人はいる計算ですが、小学校の教科書には「思春期になると、みんな異性を好きになります」と書かれています。そんな状況のなか、多様な性を子ども達に伝えるため、LGBT当事者を中心にしたインタビューを掲載した絵本『いろいろな性、いろいろな生きかた』(渡辺大輔監修、ポプラ社)が上梓されました。
本記事では、手話でLGBTを表現する山本芙由美さん、セクシュアルマイノリティの子どもを学校で支えるために教師になった眞野豊さん、ありのままの性で働きたいと就職活動をした中島潤さんへのインタビューを紹介します。(文:永山多恵子、写真:清水久美子、ページデザイン:まる工房 正木かおり)
好きになる性は、なんでもあり
芙由美さんは、生まれつき耳が聞こえません。ずっと女性に興味がありましたが、今は、同じろう者の諒さんと結婚し、パートナーとして支えあって暮らしています。
諒さんは、女の体で生まれ、心の性は男という人でした。そのため、体の性別を変える手術をして、戸籍の性を男に変える手続きをし、法律上も男性になっています。
「わたしの場合、好きになる相手の性は、なんでもありなんですね(笑)」
今は、しあわせに暮らしているふたりですが、諒さんの性を変える手続きのとき、思いがけずいやな対応を受けることになりました。
いろいろな性をあらわす手話がない
「日本の手話では、男女を区別して表現することが多い。たとえば、名前のあとに親指を立てれば男、小指を立てれば女をあらわします。諒さんは、手術を受けて体も男になったのに、手話通訳者が、彼の名前を呼ぶとき、女をあらわす小指を立てたんです」
そのとき、芙由美さんも諒さんも、いやな気持ちになりました。それと同時に、いろんな性があることを、手話でどう表現したらよいかと、考えるようになったそうです。
LGBTのなかにも、ろう者はいる
「わたしたちが活動をはじめるまでは、LGBTの集まりで手話通訳者がつくことは少なく、ろう者はなかなか情報を得られませんでした。また、サポート団体は電話相談が多いのですが、ろう者は電話ができません。LGBTのなかにも、ろう者がいる。ろう者のなかにもLGBTがいる。どちらの人たちにも、偏見をなくし、理解を広めていく必要があると感じました」
自分の性を表現する手話を
直接相手に話すことができても、自分の性のことを人に伝えるのは、たいへんなこと。ろう者は、筆談や、手話、通訳者を通しての会話になるので、うまく理解してもらえないのではないか、という不安が、なおさら大きくあります。
「どう表現すればいいかわからず、差別的な表現をしてしまう人もいます。まずはLGBTをあらわす手話をつくり、広めることがたいせつなんです。
反響をよんだサポートブック
しだいに活動がいそがしくなった芙由美さんは、それまでの仕事をやめ、活動に専念します。
2014年3月には、全国大会の成果をまとめた「ろうLGBTサポートブック」を完成させます。このサポートブックには、LGBTに関する手話用語をはじめ、役に立つ情報がたくさんのっています。
「ろうLGBTの人だけでなく、手話通訳者の団体や、一般のろう者など、いろんな立場の人からたくさんの反響がありました」
「手話を教えてほしい」「力になってほしい」そんな声が多く寄せられ、立ちあげたのが「Deaf-LGBT-Center」(ろうLGBTセンターという意味)です。サポートブックを出して、わずか2か月後のことでした。
みんなで、新しい手話を決めていく
「Deaf-LGBT-Center」では、手話通訳養成講座のなかで、女性と男性だけでなく、いろいろな性がある、ということを伝える講演や研修をしています。また、LGBTに関する手話の開発もおこなっています。
「手話は、ろうLGBTの当事者で集まり、ひとつひとつ相談しながら決めていきます。差別や偏見をなくし、ちがいを認めあえる社会にしていくために、当事者のわたしも、どんどん意見をいっていこうと思います」
自分だから、できること
「ろう者にはろう者の習慣がある。正しいLGBTの知識を伝えるためには、ろう者の価値観にあわせた伝えかたをしなければいけません。ろうとLGBT、このふたつの当事者のわたしだから、できることがあると思います」
「みんなに正しい知識を身につけてほしい」と強く願う芙由美さん。そのために、今、アメリカでろうLGBT支援の勉強をしています。
LGBT手話教室
●LGBT手話教室その1
L(レズビアン):小指を立て胸に当てる。小指を立てる形は、女性をあらわす。
G(ゲイ):親指を立て胸に当てる。親指を立てる形は、男性をあらわす。
B(バイセクシュアル):親指と小指を立てて胸に当てる。親指と小指を立てる形は、男性と女性をあらわす。
T(トランスジェンダー):人差し指と中指を立てて、指を開きながら胸の前でクルッとひねる。
●LGBT手話教室その2
LGBT 左手で「L」の文字をつくり、右手の親指と人差し指を立てて、右手をヒラヒラさせながら左手からはなしていく。
テレビのキャラクターを笑っていた自分
眞野さんが小学生のころ、テレビのコント番組に、ゲイをおかしく表現したキャラクターが登場したことがあります。「ホモ」ということばをもじった名前がつけられていました。眞野さんは「ホモってキモい」と思い、クラスのみんなと、そのキャラクターを笑っていたといいます。
眞野さんが同性を好きになったのは、ちょうどそのころ。
「みんなに自分も同じだと知られたら、人生が終わる」と思いつめ、バレないようにびくびくする毎日がはじまりました。
休み時間が大きらいに
「歩きかたが女っぽいといわれると、ふつうに歩けなくなったし、しゃべりかたが女っぽいといわれると、だんだんしゃべれなくなった。ものをとるときに小指が立っていないか気になって、手も出せなくなった。そういうのを、かくすのに必死な毎日。なんのために生きているのか、わからなくなっていきました」
たいていの子どもにとって楽しみな休み時間も、眞野さんには苦痛でした。
「休み時間は、自分がゲイだとばれないように、じっといすにすわったまますごしていた。だから、学校にいるあいだで、いちばんきらいな時間になりました。もう地獄というか、ばれないこと、秘密にすることが、生活の中心になっていったんです」
暗闇のなかにあかりが見えた
高校生になった眞野さんは、「これからどう生きていけばいいんだろう」と悩むようになります。同性愛者として、明るく楽しく人生をおくっている人を、見たことがなかったからです。そんなとき、「チャイルドライン」という子どものための電話相談があることを知ります。
「家族がいなくなるのを待って、思いきって電話をかけ、『ぼくは同性愛者なんです』と話しました。電話の向こうの人が、ぼくの話を受けいれてくれたのがわかりました。暗闇のなかにぽつんとあかりが見えた気がしました」
同じ悩みをわかってあげられる教師に
人に話し、否定せずに聞いてもらえたことで勇気づけられた眞野さん。その後、ほかの電話相談にも電話し、少しずつ、心が軽くなっていきました。そして、「学校の先生は、ぼくが1日1日をどんなにつらい思いで生きていたのか、少しも想像してくれなかった。だから、自分と同じような子どもの悩みを、なんとかわかってあげられる教師が必要だ」と思ったのです。
学校のなかから、教育によって、子どもたちを支えたいと思った眞野さんは、教師を目指すための大学に進みました。
「セクシュアルマイノリティへの偏見をなくすために、教師になるのなら、自分がゲイだということをかくしていてはいけない。いつかは公表しなければ……」
眞野さんは、そう考えるようになっていきました。
先生ってゲイなの?
広島の大学院で性の多様性について学んでいたとき、たまたまテレビに出演する機会がありました。そのとき、眞野さんはゲイであることを公表し、セクシュアルマイノリティへの理解を求めます。新聞でも「同性愛を公表した大学院生」として紹介されました。
その後、中学校の理科の教師になった眞野さんに、ひとりの生徒がたずねました。
「先生ってゲイなの?」
眞野さんが新聞に紹介された記事を、インターネットで読んだのです。眞野さんは、「うん、そうだよ」と答えました。
「そのことで校長に呼ばれましたが、『ぼくはゲイですが、理科を教えるのになんの支障もありません』といったら、納得してくれました。
教室にはいれなくなった生徒
眞野さんには、忘れられない生徒がいます。その子は、中学1年生のとき、いちばんの仲よしだったレズビアンの友だちを、自殺で失っています。それをきっかけに教室にはいれなくなっていました。その子は、「わたしは、この世に存在してはいけない」と考えていました。
「ぼくは、その子を変えたかった。自分を肯定できるように支えていくうちに、気持ちも安定してきて、少しずつ教室にはいれるようになっていました。ところがある日、その子が突然怒って早退してしまったのです」
まわりの人間を変えなきゃ意味がない
男子が「ゲイ」ということばをつかって、からかいあっていたのを見たのが原因でした。「自分のことも、眞野先生のことも、バカにされているように感じた」と、次の日に話してくれました。
「そのとき、気づいたんです。セクシュアルマイノリティの子どもたちを支えるには、まわりの人間を変えなきゃ意味がないって」
「差別って、差別をされるほうの問題ではなく、差別する側に問題がある。だからまわりの意識を変えなくては」と思った眞野さん。さっそく、性の多様性についての授業をしたいと学校に提案し、2年後に実現させます。
「今、大学院では、性の多様性について、学校現場でどのように教えていくのか、カリキュラム研究や授業研究をしています」
男性らしくならなきゃ
「もしかしたら、女の子が好きかもしれない」
中島さんがはじめてそう思ったのは、高校2年生のときでした。
性に関していろいろと調べるうちに、中島さんは、心の性と体の性がちがうことをあらわす「トランスジェンダー」ということばと出会います。
「そこではじめて、自分は『女の子が好きな女の子』ではなく、『心の性が女ではない』とわかりました。女ではないなら、男にちがいない。男になるように努力しなければ、と思ったんです」
男とか女とかでなく、ひとりの人間として
「いつか手術をして、体も男に変えるんだ、と思いつめていた。でも、自分は男だと決めることは、女として生きていたときと同じくらい、窮屈なことだったんです」
思いつめていた中島さんの気持ちを、ときほぐしてくれたのが、大学で出会った仲間でした。男とか女とかに関係なく、理解しあえたのです。
人はみんな、ちがっていて当たり前
セクシュアリティ(性のありかた)もふくめて、人はひとりひとりちがっていて当たり前。そう考える仲間に支えられて、中島さんは「男とか女とか決めなくていい。のびのびできる自分でいればいいんだ」と思えるようになったそうです。
就職でも性別の壁をこえて
はじめて、のびのびと生きられるようになった中島さん。けれども、就職活動のときに性別の壁が立ちはだかりました。
「履歴書には性別欄がありますが、自分は男とか女とか選べなかったんです。それで、性別欄には記入せず、男性用スーツを着た写真をはっていました。女性の服を着て、女性として仕事をするのだけは考えられませんでした」
就職試験の面接では、いつも「戸籍上は女性ですが、女性社員としてではなく働きたい」と伝えていました。それを問題にした会社もありましたが、就職活動を続けるうちに、「仕事ができれば、セクシュアリティは特に問題にしない」という会社と出会うことができたのです。
わかろうと歩みよること
入社してからずっと、中島さんは男性用のスーツを着て働いています。そんな自分をまわりの社員に理解してもらおうと、自分のセクシュアリティについて、丁寧に伝えるようにしてきました。そうするうちに、社内には「中島さんが男とか女とか、こだわらなくてもいいのかも」という空気が広がっていったといいます。
「自分も、ほかの社員について、わからないことってたくさんある。だから、自分のことをわかってほしいなら、おたがいに、わかろうと歩みよることがだいじなんだと思います」
ありのままの「性」で働く
中島さんは、自分がトランスジェンダーだと知った高校生のころ、トランスジェンダーのおとなには、どんな人がいるか調べてみたそうです。
「そのときは、いくら調べても、自分のなりたい職業の人が見つけられなかった。未来をえがくことができず、苦しかったです。だから、自分がありのままの性で仕事をしていくことで、どんなセクシュアリティの人も、ありのままの性で社会人として活躍できることを、多くの人に伝えたい」
仕事だけでなく、中島さんは今、教職員向けの研修会などで、セクシュアルマイノリティについての講師もつとめています。
「だれもが生きやすい社会にするために、自分にできることは、せいいっぱいやっていきたいです」
プロフィール
山本芙由美
LGBT(性的少数者)に対応した手話をつくり、手話通訳の研修をするなど、LGBTのろう者を幅広く支援している。
中島潤
学生時代は子どもたちに向けて、今は会社で働きながら、教育関係の人たちに、セクシュアルマイノリティ(性的少数者)について伝える活動を続けている。
眞野豊
公立中学校に6年間勤務。性の多様性をテーマに授業や教員向けの研修もおこなってきた。その後、九州大学大学院で性の多様性について研究を深めている。